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信じるこころを

 記事「くじけないこころを」で紹介した私に取材を申し込んだ(6月24日)大学3年生のW君の後日談.
3日間ほど返信が無く,「いまの若い学生との間でのやりとりはやっぱり難しいのかも知れない」となかばあきらめかけていたところ突然,彼からメールが届いた.
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Wより(6月29日午前1時)
 返信ありがとうございます。正直びっくりしました。
 見ず知らずのいち学生に対して、こんなにも心のこもった熱いお言葉を頂けるとは思わなかったからです!
 全て噛み締めながら読みました。このお言葉をしっかりと胸に秘めてこれからも活動して参ります。
 いつかまた先生と何かの機会で関われたら最高です。
 それでは失礼します。
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 私はなんだかとても恥ずかしい気持ちになりました.果たしてわたしは彼のことをどこまで信じていたのだろうか
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W君へ(6月29日13時)
 メールをありがとうございます.
 見ず知らずか,古くからの付き合いかは,私の中ではまったく関係ありません.
 何かに向かおうとする君の気持ちに感動します.
 くじけず取り組んでください.
 応援しますので,気が向いたら,気軽に面談アポイントをとってください.
 それから,うちのゼミ生の誰から紹介を受けたか,こっそりと教えて下さい.
 うちのゼミ生はいろんなパーソナリティの人がいて,面白いです.
 はらはらすることやドキドキすることもありますが.
 お待ちしております.ではまた (^_^)ノ
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Wより(6月29日15時)
 先生のお言葉は私にとってとても新鮮です。ありがとうございます。
 ゼミ生の名前は3年のM君です。彼とは同じサークルで仲良くさせていただいています。
 いつか良い報告と、改めて面談のお願いができたらと思います!!
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 若いW君とのやりとりを通して痛切に感じたのは,ちょっとしたことにも一喜一憂する自分があること,
 若い彼らをもっと信じることこそ今の自分に求められいるということ.
 「先生をしている」ようで,実は決してそうではなくて,若い彼らに教えられている自分を感じてしまった.
 もっと彼らを「信じるこころを」と自分に言いきかせている今日この頃です.

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くじけないこころを

 先日,社会学部3年生の学生W君からメールで取材したいとの申し込みをいただいた.老老介護における福祉ロボットの可能性について映像取材し,放送局が主催する大学生コンテストに応募したい,そのためにぜひ映像インタビューをしたいとのことであった.
 いまどきの大学生にしてはたくましいなと嬉しく感じると同時に,私は短いメールを送った.

 介護が専門ではないこと,
 どちらかと言えば,障がいがある人や高齢者の自立支援をテーマにしている
 介護現場に福祉ロボットを導入することに全面的に賛成しているわけではないこと
 それでもインタビューが必要なら面談のための時間を割くからメールをください
と伝えた.

 その後,追加情報をメールで送ったり,メールにあった携帯電話に留守番電話をしたが,まったく返信がない.
 それでは今回の話しはなかったことでと最後のメールを送ったところ,ようやくリプライがあった.

「返信が遅れてしまい大変失礼しました.介護の専門家ではないことはこちらの調査不足でした.重ねてお詫びします」と丁寧なメールをいただいた.

 このメールにたいして,私は次のようにメールを返信した.
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W君へ
メールを拝見しました.

 君は将来,ジャーナリストなどのクリエータを目指しておられるのかも知れません.
時折,それらの人々から取材を受ける機会がある人間としていくつかお伝えしておきます.
余計だと思われるところは遠慮無く聞き流して下さい.

1.情報は汗を流して手にいれるもの
 相手と信頼関係を築けていない映像は訴求力に欠けます.
 下調べを入念にすること,取材対象とコミュニケーションをとること
 これが基本です.

2.セレンディピティ
 幸運やチャンスは思わぬところに隠れているものです.
 一つのテーマにとらわれていると,実はその近傍にあるもっと重要なテーマが見えなくなる可能性があります.
 君は高齢者の介護現場に福祉ロボットをというテーマに関心があるようですが,もう一方で,介護を受ける人の気持ちや心理面に目を向けることも必要でしょう.
 そこには「家族に迷惑をかけたくない,なんとか自立したい,生きている実感がほしい」という気持ちが隠れています.
 他人とは異なる独自の視点をもつこと,それが新たな創造につながります.

3.4つの「あ」
 若い時に,ある人(故人)から与えられた言葉です.
 あたまにこない,あせらない,あてにしない,でも,あきらめない

 君の可能性が羽ばたく日をこころまちにしております.

 失礼いたしました.
 では (^_^)ノ
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 学生にたいするメッセージとしてはちょっと手厳しいのではないかという懸念は感じつつも,「負けるものか!」と『くじけないこころ』でもう一度体当たりしてくれることを,どこかで期待している...そんな今の気持ちです.

 いつか一人のジャーナリストが誕生することを夢見て.

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電子体温計のピッピ

昨夜、少しばかり喉が痛くて、今朝になってみるとかなりの発熱を感じ、きょうは一日おとなしくして床に臥せっております。
電子体温計を脇の下にセットし、10秒も経たないうちに計測完了のピッピの音が鳴った。いやに早いなと表示部をみると、35.4と平熱以下、やがてあのピッピの計測完了音の正体がベランダの野鳥のさえずりだと判明した。
加齢をあらためて意識するとともに、この電子音、もっとわかりやすいものにならないかとつくづく感じた。
聴覚以外の感覚、例えば振動などの皮膚感覚に働きかけるものがすでにあるのではないかとも。
ところで、聴覚に障がいがある人の場合はどうしておられるのだろうか...

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20年目の出会い

高知ふくし機器展に今年もよばれ,今,高知市にいます.
会場から宿泊先のホテルへ向かう自動車の中で,送ってくださったOT(作業療法士)のSさん(女性)から予想もしないお話しを聞かされました.

昨年,20数年間近く四肢マヒで寝たきりであったお父さんが亡くなったとのこと.ほんとうはもっと座位姿勢がとれるようにしてあげたかった.それができなかったことがとても心残りだと.

実は,そのお父さんが1991年にNHK教育で放映された「僕の気持ちを伝えたい」をみて,わたし(畠山)に電話で連絡をとったとのこと.
当時,まだ高校生だったSさんの将来についてわたしに相談したとのこと.
この子(Sさん)をどんな道に進めたらいいのか,畠山のような仕事に就かせたいがということだったとのこと.
そこまで言われて,おぼろげながら20年前の記憶がかすかに浮かびました.
でも,私がなんと答えたかは思い出せません.

それを聞くと「患者さんの身近で働く魅力のある仕事として,OT(作業療法士)があります」と答えたそうです.(このくだりは記憶から完全に抜けている)

私の横で運転してくれているSさんは,今,りっぱな作業療法士として仕事をしておられる.

すでに毎年この季節,高知に来るようになってから5年ほどが経つが,何か不思議な糸のつながりのような気がしてならない.

Sさんのお父さんにお会いすることができずに亡くなられたことはとても残念でならないが,SさんがいまこうしてOTとして一所懸命に患者さんのためにがんばっておられることをお父さんは天国で嬉しく,そして誇りに思っておられることと思った.

人と人の不思議な出会い,その一つ一つを大切にしたいと感じました.

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