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アクセシブルな電子出版への展望

講演者

河村 宏(日本DAISYコンソーシアム運営委員長)

講演内容

ご紹介いただいた河村です。

今日の多岐にわたる発表を踏まえ、アクセシブルな電子出版への展望としてお話しします。

まず最初に、著者と読者が、今日のお話をずっと聞いて、読者の立場、特に障害のある読者の立場では、わくわくしながら、こういうことが実現できればいいな、と思いながら聞いたと思います。

今度は、著者および著者と並んで出版を担う出版社の立場としては、「え、これ全部やらないといけないの、大変だ」と思っている方も少なくないと思います。

それをこれからどういうふうに、お互いにWin-Winになっていけるのか、少しお話しします。

まず、著作権と情報アクセス権という2つの大変重要な人権を認めるところから始めます。

一見対立する2つの権利はともに重要な人権で、国連の加盟国では、すべてが承認して加盟する世界人権宣言に根ざす人としての権利だと思います。

それについて、これまで様々な両方の対立する権利を、どういうふうに調和させるのかという努力がされてきたと、私は理解しています。

調和させるための制度的な努力は、もちろん、各国の著作権法で、制度的にどう調和させるのか。

著作権と、ある場合には著作権を制限する、そういう著作権および権利の制限を、それぞれの国の著作権法で度重なる改定を経てこれまで築き上げてきた、調和点があると思います。

具体的には、著作権を制限する場合には、日本の場合は事例があって、障害者のアクセスのために著作権法37条、あるいは教育のためなら著作権法33条、35条とか、個別に著作権を一定に制限する場合を定めている。

そして、積み重ねてきた国際的なルール、条約で人権に関するものの障害者に関わる最大のものは、国連の障害者権利条約です。

この権利条約の30条では、明確に知的財産権を名指しで挙げまして、知的財産権を保護する法律が障害者が文化的な作品を享受する機会を妨げる不当な、差別的な障壁とならないことを確保するためのすべての適当な措置を取ることを義務づけている。

日本は、この権利条約に加入しているので、この義務を受け入れています。

マラケシュ条約は、著作権の所有権機関が、特別に障害のため情報アクセスに制約のある人々のために、一定の著作権を制限するというものです。

それには日本も加入しています。

ここには3つのポイントがあります。

マラケシュ条約は、1つは障害者権利条約30条を、世界知的所有権機関という国連の1機関として実施しているものです。

2番目に、制限付きで各国の著作権法で障害者のためにアクセスを保障しているものを、国境を越えて流通できるようにする。

3番目は、最終的なゴールがボーンアクセシブルの出版だと、実は明示している。

そのことについて、すべての関係者が合意する。

この3つの要素が、とても重要なマラケシュ条約について押さえておくべきところです。

そして、アメリカではADAとか、ヨーロッパでは欧州のアクセシビリティ法。

そういった調和努力、日本では障害者差別解消法。

明文としては弱いですが、読書バリアフリー法、教科書バリアフリー法で、調和のための努力が現れようとしています。

制度だけではなく、技術そのものの開発による調和努力も必要です。

技術がなければ、いくらしたいと思っても実現できないので、そのために出版技術ではEPUBの規格の開発が、電子出版の共通規格として確立しています。

それは、インターネットのWebの技術をべースにした規格になったているのが、大きな特徴です。

そして、Webの技術は、もともとWebアクセシビリティイニシアチブという、ウェブ規格を開発するW3Cの組織そのものに内蔵した、アクセシビリティを確保するための委員会、活動があり、そこが、常にWebのコンテンツあるいはサービスに関しては、アクセシビリティを常にチェックして、できる限りのアクセシビリティを実現しながら技術開発するという、大変よい先例が、Webに関して調和努力が払われています。

DAISYあるいはEPUBアクセシビリティの開発は、Webの開発における好事例を参考に、行われています。

そういう意味では、ISO規格化、あるいはJIS化もWebについて先行して、ISO規格としてWebのコンテンツアクセシビリティガイドラインがある。

それをJIS化して日本でも応用している。

そういったことを、前例にならう形で、EPUBのアクセシビリティがISO規格化され、さらにそれがJIS化されて日本でも実施される方向を目指しています。

次に、今度は人のライフステージを考えると、著者と読者が必ずしも単に対立することではないと分かってきます。

読者も著者も、それぞれライフステージがあります。

「ゆりかごから墓場まで」の、それぞれの段階での人生です。

読者であろうと著者であろうと、ゆりかごでは皆、まだ読んでいないし、これからというところで、みんな一緒です。

著者も読書して著者になっている。読んで著者になっている。

読書しない著者はほんとに希だと思います。

確かにジュラシック・パークの恐竜博士として登場する、実在の有名な恐竜学者のジャック・ホーナーというディスレクシアで読むことが困難だった学者もいます。

彼は図書館の最も熱心な利用者でした。

彼は図書館で何を読んでいたのか。

図鑑です。

何かを読んで吸収して、学者あるいは著者になっています。

必ず、既にあるものを読み、次の著作のクリエーションをしている。

これまでの出版技術の恩恵に浴している著者、あるいは支援技術を用いて読書している著者が、今の出版市場に出ている著作を作っている人々だというのも重要な事実です。

つまり、著者も障害と無縁ではありません。

人生のライフステージ全体を考えると、どこかの時点で、子どものときはもとより、何かの支援が必要だったり、読むことに助けが必要だったり、あるいは、将来、これから様々な加齢に伴う障害のある著者は、そうなっても読める、書けることに期待するのは同じではないでしょうか。

そして、健康21という、厚生労働省がこれからの生活の質、QOLを提唱しました。

QOLを考えたとき、これまではあまり読書が注視されていません。

厚生労働省で指摘していたのは、食が大事、スポーツが大事、精神的なメンタルヘルスが大事とは挙げていますが、読書が大事だとは特に挙げていません。

しかし、想像力で世界を広げ、自分のペースで生活の充実を図れる読書は重要なQOLの要素だと思います。

それができるかどうかで、QOLに大きな違いが出てくる。

そして、当然、学習や調査研究のための読書も社会参加に必須なので、権利として重要です。

したがって、加齢にともなう障害や、今のwith/postコロナ環境における読書の持つ個々人のQOLにおける役割に、より強く注目する必要があると思います。

その反映だと思いますが、2021年上期の出版産業全体は伸びているそうです。

紙も電子も両方伸びている。

with/postコロナ環境と読書は、切っても切れない関係で、さらに様々な読書の形、障害があっても読書できる、そうしたことで伸びていくのだと考えます。

読書と出版が、どういうふうにWin-Win、互恵的な関係になれるのか。

まず、ボーンアクセシブルな出版ということに尽きるのではないかと。

これは、マラケシュ条約でも指摘しています。

最終的にアクセシブルな出版がなされることで、著作権の制限も必要ないし、市場も出版社、著者が十分に制限なく把握することができる。

読者にとっては、出版と同時に読むことができるという、まったく対等な権利が実現するので、これが解であることは間違いないと思います。

そのなかで、Webのアクセシビリティと対比すると、Webアクセシビリティは必ずインターネットにつながっているときのアクセシビリティです。EPUBのアクセシビリティはインターネットにつながっていない、いつでもどこでも読めるWebのコンテンツに相当するものです。

そういう意味でWebよりも汎用性が高い、より広いマーケットも望めると思います。

支援技術は、多くの場面で、そのほかのニーズも助けます。

例えば、多言語の出版を考えるとき、支援技術がそれを助ける要素はたくさんあると思います。

具体的には申しませんが、多言語対応においても支援技術が活躍する場面はあると考えます。

公立図書館、国立国会図書館を含めて、図書館が購入においても非常に重要な役割を果たす、マーケットとしても重要な役割を果たすと考えます。

つまり、図書館は貸し出すシステムで普通は利用料を取りません。

利用料金は税金でまかなわれる公のサービスであるという前提で、それが公立図書館の役割です。

同時に、公立図書館は、地方で出版されたもの、あるいは国立国会図書館の場合は日本国内で出版された出版物を網羅的に収集し保存し、アクセスを保障し、次の世代に継承する。

そういったものが単にタダで貸し出されるというだけではなく、これまで様々な努力によって、図書館の活動が活発なところほど、書店の売り上げも多いという統計もあります。

それがデジタル化されて、どのように相乗効果が発揮されるのか、そこについての注目も必要かと思います。

まとめますと、2024年から2025年と言われている、日本におけるデジタル教科書の無償配布の実施の年が、今、秒読みで近づいています。

デジタル教科書を国会で文部科学省が説明するときに、どういうモデルが扱われてきたかというと、だいたいはDAISYが実現してるアクセシビリティをモデルに説明されています。

そのようなレベルのアクセシビリティが、今、発行されてるデジタル教科書で本当に実現していればあまり心配ないですが、残念ながら、私どもが知る限りでは、まだまだアクセシビリティに課題が残っている。

そして、この問題を解決して、本当に1人ずつインターネットにつながった端末を1台ずつ配付して、それをベースにした教科書、教材で教育をするんだというGIGAスクールの構想が、本当の意味でのインクルーシブな教育、誰もが1人残らず取り残されず、教育を受ける機会があり、その結果として十分なリテラシーを持つ。出版業界から見れば、旺盛な読書をする読者の状態になるには、この教科書、教材がきちんとアクセシビリティを確保し、読むためのリテラシーを身に付けた生徒が確実に義務教育段階で育っていくのが必要だと思う次第です。

もしここで失敗すると、またインクルーシブ教育の実現が延びてしまい、人口の中のかなりの部分が、読書から阻害されていく危険があります。

年間400~450億円と予算化されている、今の教科書の無償配付という公共調達があります。公共調達でもあり、そこに税金が使われるので、誰もがアクセスできるデジタル教科書が無償化されて、1人1端末の中におさまって、それによってインクルーシブ教育が大きく発展する。

そういうふうな契機に、このデジタル教科書の無償化をしていくのが、大変重要ではないかと。

今日の石川先生の最後のまとめにもありましたが、それを受けて、これからのデジタル教科書の動向に注目しつつ、今後の出版がインクルーシブなものになっていくことを何とか実現するために、微力を尽くしたいと考える次第です。

ご清聴ありがとうございました。