はがき通信ホームページへもどる No.68 2001.3.25.
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初めての作品展 


 「今日、FM横浜で聞いちゃいました!」と友人からEメールが来ました。何かと思ったら、な・なんと! 1月24日の朝、FM横浜の「ザ・ブリーズ」の放送中に、私の作品展のことが紹介されたらしいのです。私は放送されることも知らず、その日は訪問看護婦さんに身体の関節を動かしてもらっていました。

展覧会のもよう 今年の1月24日〜2月3日まで、横浜市港北区にある「障害者スポーツ文化センター・横浜ラポール」で、水彩画の作品展をしました。横浜ラポールは、障害者がスポーツ・レクリエーション・文化活動を通じて、健康づくりや社会参加、障害者が主体的に参加する市民交流の場として、障害者の自立に向けた環境づくりを促進しているところです。その横浜ラポールから作品展の依頼があり、初めて作品展が実現することになりました。絵を描き始めてから、約17〜18年間に書き溜めた22点中の16点を展示させてもらいました。
 当初、1月24日〜29日までが展示予定でしたが、大雪のためラポールに行くことができず、一度も作品展に顔を出すことができないので、急遽、ラポールのほうで私が絵の搬出に行く2月3日まで延長してくれました。

 展示期間中、多くの友人や知人が絵を見に来てくれました。松井先生と本村さんも来て下さったのに、雪のためお会いすることはできず残念でした。最終日に、瀬出井さんとお会いすることができました。また、22年ぶりに教え子に会うこともできました。神奈川新聞で私の作品展の紹介を見た教え子が、静岡にいる友人に連絡してわざわざラポールまでふたりで来てくれました。そのあと、私に会いに自宅までわざわざ訪ねてくれました。私が高校でサッカー部の顧問をしていた時の生徒でした。当時の練習や夏季合宿、試合などの昔話に盛り上がりました。教え子いわく「先生に殴られると吹っ飛んだけど、痛くはなかった」と話してくれました。
 昔の私は暴力教師ではなかったのですが、生徒にしてみればやはり恐ろしい存在だったらしいのです。ふたりは今、立派な社会人となって家庭を持つ38歳の父親になっていました。翌日、ふたりからEメールが来ましたが、それには、「22年間の頭の中のモヤモヤがようやく解消しました」「家に帰りさっそく家族(娘2人)に先生の話をさせてもらいました。ふだんはろくに話も聞かない2人がこの時ばかりは最後まで話を聞き、何かを感じとってくれたようです」と書かれてあり嬉しく思いました。
 作品展のおかげで、ラポールでは友人たちの再会の場となり、友人の和が広がって同窓会のようになっていたようです。皆さんに感謝!

神奈川県:伊藤道和 golira@super.win.ne.jp

 ★★★ 伊藤道和作品展より ★★★ 
アラスカの初夏 (C)伊藤道和
アラスカの初夏
ハワイの夕陽 (C)伊藤道和
ハワイの夕陽
 
 ★★★ 作品展のレポート ★★★ 

 伊藤さんの初の絵の作品展を拝見しに行って来ました。伊藤さんの作品は年賀状では拝見していましたが、原画は初めて。大きなお体に似合わない?(失礼!)繊細なタッチの風景画(水彩)で、厚みのある塗り方の技巧はすばらしいものでした。年を重ねるとともにお上手になられてゆく様子が絵を通してよくわかり、原画を拝見できて本当によかったです。新聞の記事によると星野富弘氏の存在を知り、ご自分も絵を描いてみようと思われたとか。元体育教師という境遇も似ていらっしゃいますね。
 個人的には、前ページの「秋」があたたかみのある配色で大好きです。カラーで掲載できないのが残念。横浜懇親会時にもぜひ展示しましょう!とお願いしたら、「皆さんの前に顔を出せなくなるからご勘弁を!」とおっしゃるんですよ。作品展を開いていらっしゃるのに勘弁できないですよねぇ。(笑)そんなこと言わず、飾りましょうよ。ネッ! 伊藤さん!皆さんからもプッシュしてください。

(瀬出井・編集委員)



主人を介護する日々


 「通信」の皆様、2001年新しい年を迎えお変わりなくお過ごしでしょうか。今年は15年ぶりという厳しい寒さが続きましたが、やっと早春の日の光が暖かく感じられるようになりました。
 昨年はいろいろと楽しいこともありましたが、心配事もあった年でした。今年は寒さも厳しく、主人の身体、健康状態に気をつけてきました。おかげさまで今のところ風邪を引くこともなくゆっくりとした日々を過ごしています。主人は、夜寝てからが注意しなければなりません。まだときどき無呼吸状態になったりすることがあり、絶えず息づかいに注意している毎日です。呼吸器でもついている時のような神経の疲れる私です。これは、寝ている時のちょっとした姿勢が関係するようです。夜あまり寝ている時間も少なく、すぐ朝を迎えてしまいます。
 午前9時に主人を起こし、 
 ①着替え(用意した着物を一人で着る)
 ②リハビリ体操をする。(私と一緒に)毎日の仕事として行う。 
 ③杖を使わずに歩く練習をする。(35歩ほど歩く)そして車いすまで行く。
 ④靴を左手で履く。
 ⑤20歩ばかり歩いて洗面所へ行き左手で顔を洗い、歯を磨く。(水歯磨き使用)
 ⑥20歩歩き車いすへ戻る。
 ⑦やっと朝食を食べる。

 いろいろな朝の仕事をし、食事までに約1時間はかかります。食後は数種類の薬を飲みます。やっと一通りのことが終わります。主人は一時テレビを見て過ごします。しばらくするともう昼食です。時間だけが過ぎていく毎日です。午後8時30分夕食です。食後は歯磨き、身体を拭き着替え、トイレへ行きやっとベッドへ入ります。主人の世話に追われ一日が何と早いことか、月日ばかりがどんどん通り過ぎていきます。
 倒れてから2年が過ぎました。毎日このようなサイクルで一日が終了します。主人は、寝てからも世話がかかります。寝てから1時間半〜2時間するともうトイレです。(介助溲瓶で取る)200㏄〜300㏄出る。次のトイレは2〜3時間後で300㏄くらいです。その後は3時間後200㏄くらいの尿量です。トイレを教えるのは良いのですが、私が寝ていることができず寝不足に悩まされている状態です。今日は起こされずに寝られたという日は、紙おむつはびっしょり、ずぶ濡れです。昼間のトイレは午前10時にトイレを済ませると夕方までほとんど出ず、夜になり寝ると集中的に尿の出る夜型のおしっこのようです。少しでも体調が苦しいと昼間でも尿もれをします。ほとんどのことに介助が必要です。夜起こされずにゆっくり眠りたい、そんな思いの私です。
 主人がいつまでも元気でいてほしい。そんな思いで一日一日を頑張っています。これからも「通信」の皆様と共に、頑張っていきたいと思います。よろしくお願いいたします。
 埼玉県 : HS


電動車イス用アイデアテーブル


 昨年9月の「はがき通信」福岡懇親会で、古川さんが自作の電動車イス用テーブルを発表されていました。そのテーブルは使わない時はテーブルの真ん中から折りたためて肘掛けより外に倒し、後ろにスライドさせると肘掛け横にコンパクトに収まるアイデアテーブルでした。弱い腕力でも開閉可能な設計です。材料は古川さんが日曜大工店に行って買い求め、友人に家のガレージに来てもらいあれこれ指示しながら作ってもらい、そして日本リハビリテーションの福祉機器展で「ハンドクラフト賞」を受賞しているそうです。もうどこかのメーカーから市販されているかと思い質問したところ、市販していないとの答えでした。
 自分の電動車イス用のテーブルについては、すでにメーカー製の脱着式のテーブルを購入していました。しかし、必要のない時は自らの力では取り外せないために、不便を承知で装着していない時が多くなっていました。特に外出して食事する時など、ほとんどのレストランのテーブルは低く、膝がテーブルに当たるために食べ物との距離がありすぎて食事しにくく困っていました。そこでもし図面等があるならば、鉄製部分は近所の鉄工所に作成を依頼して木製部分は弟に作ってもらおうかと考え、休憩時間の控え室で古川さんに図面等がないかお尋ねしたところ、ナントご厚意で作成していただけるとのご返事でした。もし、たくさんの人から頼まれていたら大変だろうと思いつつ、そのお言葉に甘えてお願いすることにしました。
 それから、友人の方と一緒に作っていただいたテーブルが1ヶ月後にありがたく届きました。それは、テーブルの木製部分表面にニスが塗られているなど、何工程をも経てできている丁寧な作りのテーブルでした。せめてものお礼にと製作費の実費をお送りいたしました。
 そのテーブルを装着するさい、同じ電動車イスメーカーだと肘掛け下のパイプに穴を2箇所開け、ビスを止めて固定するだけで装着完了でしたが、メーカーが違うのでどうしても形状が違い、閉じた時に後ろにスライドしないので、パイプ以外の場所に板を設けて溶接しないことにはきちんと収まりそうにありません。試行錯誤の結果、溶接する場所を決めて近所の鉄工所に溶接をお願いして装着してもらいました。
 必要な時だけ広げてテーブルとして使用できるので、とても重宝して活躍しています。本当にありがとうごさいました。この折りたたみ式テーブルが古川さんを通したのちに、各電動車イスメーカーのオプションとして商品化されればと思います。それぐらい便利なアイデアテーブルです。

 藤田忠(編集委員)fujitata@aioros.ocn.ne.jp



江戸線は本当にバリアフリー?


 大江戸線は昨年12月に開通した都営地下鉄線です。開通当日に乗りに行きましたが、すごい人でエレベーターを4〜5回待ったり、その各駅でイベントをやっていたり、とても賑わっていました。
 大江戸線は、光が丘から練馬、都庁前を経由し、新宿、国立競技場、六本木、大門、月島、森下、蔵前、上野御徒町、春日、飯田橋、新宿西口などを通って再び都庁前に至る全長40.7kmの路線です。
 このうち光が丘〜練馬間は平成3年12月に、練馬〜新宿間は平成9年12月に、新宿〜国立競技場間は平成12年4月にそれぞれ開業しました。現在、平成12年12月の国立競技場〜森下〜都庁前間が開業。全線開通となりました。
 確かに、大江戸線は車いす使用者にとって便利な路線です。障害者団体が会議などに使う、都庁・戸山サンライズ・飯田橋セントラルプラザなどの近くに駅ができてアクセスが容易になり、遠方から東京に来る障害者にも上野御徒町駅(埼玉・茨城方面)・大門駅(羽田空港・横浜方面)を使うことで乗り換えが楽になりました。
 東京の西側に住む私としても、「下町」と呼ばれる月島や門前仲町・築地市場などにも行くことができるようになり、新宿や青山・六本木から下町を回る「大江戸線食べ歩き」や国立競技場・両国(江戸東京博物館)・春日(後楽園)なども楽しそうです。
 皆さんご存じの通り、昨年「交通バリアフリー法」が施行され、新しくつくる施設、車両についての公共交通事業者の義務としてエレベーター、エスカレーターの設置、誘導警告ブロックの敷設、トイレを設置する場合の身体障害者用トイレの設置等が義務付けられました。大江戸線もその法律に準ずると思いますが、確かに改札・ホームまではエレベーターがあり電動車いすでもアクセスできます。しかし、エレベーターがホームの端にあったり、延々と地下道を歩いたりと手動車いすや高齢者などはちょっと使いづらいかもしれません。他線との乗り換えには階段も残っています。バリアフリー法でいわれる「移動円滑化」(公共交通機関を利用する高齢者、身体障害者等の移動に係る身体の負担を軽減することにより、その移動の利便性及び安全性を向上することをいう。)には疑問があります。
 大江戸線ができることにより、私たち障害を持つ者にとって便利になりましたが、より複雑になった「東京の地下鉄」のエレベーター・車いす対応型エスカレーター・身体障害者用トイレなどの情報を正確に簡単に発信することも、行政や公共交通事業者の大切な役割だと思います。これから先、首都圏では臨海副都心線の延長や埼玉高速鉄道など開業が迫っています。地方から東京に遊びに来る障害を持った人たちが迷わずに目的地に行けるよう、今以上に案内などにも配慮が必要だと思います。
 そして、未だに残っている鉄道やバス事業者の「乗せてやっている」の意識改革を、私たち自身が呼びかけ、進めていくことがまず先決ではないでしょうか? みなさんも東京においでの際は大江戸線をはじめ、東京の地下鉄に乗ってみてください。
広報委員:麸澤孝 ホームページHOME fuzawa@par.allnet.ne.jp




機能的電気刺激手術者の講演会


 昨秋、広島頸損ネットワーク(会員130名)の定例交流会が、景勝地宮島の福祉センターでありました。この日の呼び物は、午後行なわれたFESの手術をした頸損者の説明会でした。
 FESというのは機能的電気刺激(Functional Electrical Stimulation)のことで、筋肉に埋め込んだ電極にコントローラーで電気信号を送って、動かない手足を電気の力で動かす治療法です。日本では、東北大学の医学部と工学部が共同で研究開発に取り組んでおり、世界でもトップレベルだそうで今までに300人の人が治療を受けています。近くにその治療を受けた人が住んでいて、実際にお目にかかれたのは驚きであり、ご本人には失礼ですが怖いもの見たさの興味がありました。
 講演をした人は三原市に住む後藤昇さんで、平成2年会社の帰りに事故に遭い頸椎4・5番に受傷し、平成4年7月に電極を埋め込むために最初は右手のみ、しばらく様子を見て左手に、次に右足、左足、右肩……のように計8回の手術を2ヶ月にわたって行なったそうです(最近は全身麻酔で一度に電極を埋め込んでしまう場合が多い)。今までは保険がきかなかったので手術費も入れて1000万円以上の費用がかかりましたが、平成13年4月からは保険が適用されます。
 壇上に上がられた後藤さんは両腕と両脚に電極を埋め込んでいるので、身体から電気のケーブルが出ているのを見るとちょっとびっくりします。実際に手を動かして見せてくれましたが、右手の場合ほとんど動かなかった腕の筋肉に電気刺激を送ることで、装具にスプーンをつけて食べ物を口まで運ぶことができたり、缶ジュースが飲めたり、電気カミソリは直接握ってひげを剃ることができました。脚の電気刺激は、運動のためだけで歩くことはできません。
 見ていて医療技術の進歩には驚きましたが、筋肉の動かし方の設定(プログラム)が非常に面倒で、2年に1度仙台まで行ってコンピュータの設定を調整してもらわないといけないこと。筋肉の状態を変えないために、1日6回、1回15分間の電気刺激の運動が欠かせないこと。動きがコンピュータにプログラムされた動作に限定されること。感染を予防するために、入浴後は電極を埋め込んでいる部分の皮膚の消毒が欠かせないことなど、まだまだ研究改良の余地が多いなと思いました。
 でも、褥瘡が治ったあとできないこと。排尿、排便の調子が良いこと。食事が自分でできることなどで、ご本人も付き添いのヘルパーさんも満足しておられました。
 当日、十数名の頸損仲間が熱心に話を聞きましたが、結果は賛否両論でした。もし、仮に気持ちが動いたとしても、簡単に結論が出せる問題ではないでしょう。
広島県 : TUTIYA tutiya@fkym.enjoy.ne.jp




森さんの8年間の記録の反響


 「はがき通信」№67に森さんに対する8年間の記録「立った!そして今、ついに歩いた」が掲載されてから、全国のじつに多くの方々から問い合わせが殺到しております。あの記録を編集し、これらの方々に対する一切の窓口になっていただいた編集委員の藤田さんのところには、2月現在で25件。私のところにはこの「はがき通信」を見た方からの口づてで、これまた30件近くの問い合わせがありました。全てC損傷の方たちばかりです。覚悟はしておりました。中には、受傷後1週間という方もおります。
私が一番うれしかったのは、「待ちに待った光が差し込んできた感じ」「生きる勇気を与えられた」「あきらめないでよかった」と、全員といっていいほど前向きな心の躍動を寄せていただいたことです。そうして驚いたことは、森さんほどではないにしてもあきらめないで訓練を続けていた人たちに、症状の改善がみられたとの報告が数多くあったという紛れもない事実です。
 今、私と森さんはこれらの方々に、全力を挙げて手分けしてご返事を差し上げている最中です。インターネットという形で、森さんの8年間の凄まじい実態が全国に発信されました。お問い合わせがあった方たちからの「なんとしても!」という強い覇気を今更ながら知り、私も人の一生に関わる重大なことに身の震える思いがいたします。今、森さんはこれらの方々を一軒一軒訪ね歩き、励ましと勇気を与える役目を担っていると私は思っています。
北海道 : Ukon Ukon@aioros.ocn.ne.jp




アメリカと日本のリハビリの違い 

18歳/男性/2000年4月末バイク事故で受傷/頸椎7〜8番を脱臼骨折/完全麻痺

 はじめまして。兵庫県に住むMidoriと申します。森さんの報告を送っていただいてから、もう1ヶ月が経ってしまいました。送っていただいたその晩、夜の更けるのも忘れて何度も泣きながら一気に読ませていただきました。こちらから感想を書いて送りたいと思っているうちに、右近さんのほうから息子の受傷とその後の経過についてお問い合わせのメールをいただき、お電話でもお話しする機会があり、その後、お手紙と森さんのお写真などもいただきました。

 現在18歳の次男は、昨年4月末バイク事故で頸椎7〜8番を脱臼骨折、完全麻痺で二度と歩けないと宣告されましたが、6月から2ヶ月間シアトルのワシントン大学付属病院でリハビリを受け、現在は杖一本でバランスを取りながら、山道の登り降りもできるところまで回復することができました。7月末に帰国してからは近くの病院のリハビリに通院していますが、事故後半年を経た昨年10月頃からは目立った進展がなく、リハビリの内容も決まった運動の繰り返しになり、症状固定と見なされている感じです。本人もこの辺が限界かというあきらめがでてきたのか、通院時間以外はあまり積極的に運動したりすることもなくなっていたのですが、森さんの報告を読ませていただいて大きな衝撃を受けたようで、それ以来、通院時間以外の散歩や柔軟体操なども自分から積極的にやるようになり、歩ける距離もどんどん伸びているようです。

 アメリカのリハビリについて問い合わせを受けるたびに、確かに次男の場合、県立のセンターが満員で2〜3ヶ月待ちと言われた段階でそのまま待機していたら、一生車イスの生活になっていたことは間違いないし、かといって、言葉の問題、費用の問題などいろいろ考えるとそう手放しですすめられることばかりでもない。それにリハビリ自体はそんなに特別の器具が必要なわけでもなく、日本でもやる気で取り組めばできないことではないはずだし、なんとかアメリカのPTを呼んでワークショップのような形ででも、早期集中リハビリの実績を日本に紹介できないだろうかと考えていました。
 そんなときに森さんと右近さんの貴重な報告にふれ、私自身、どこかでリハビリはプロのPTでなければできない、と思いこんでいたことに気づきました。森さんと右近さんのなさったリハビリは日本であれ、アメリカであれ、医療産業の枠内では不可能なことであり、家族や友人でなければできないことです。在宅でできることから、今すぐにでもできることはたくさんあるはずです。できれば、この報告を具体的な方法についてさらにわかりやすく、順を追って写真なども加えた形で本にしていただけないものかと思って右近さんにもお尋ねしましたが、今のところ、出版を引き受けてくれるところがないとのこと。せめて全国の整形外科医に、せき髄損傷は治らないという誤った宣告(宣告されたのに動けるようになった患者がいる以上、そのような宣告をする資格は誰にもないはずです)を下すことの犯罪性を訴えたいと願っています。
兵庫県:Midori midori@hk.sun-ip.or.jp
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