はがき通信ホームページへもどる No.67 2001.1.25.
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日本パラプレジア医学会にて 


 平成12年11月8・9日、名古屋国際会議場にて第35回日本パラプレジア医学会が開催されました。松井先生、総合せき損センターの松尾先生も発表なさるので聴いてみたいと思い事務局に問い合わせたところ、一般でも参加費を払えば入場できるとのこと。2日で7,000円は厳しいと思いましたが、名古屋でこんな機会に恵まれることは滅多にないので、おもいきって参加しました。

 私は主に高位頸損と呼吸器障害について聴きました。難しい医学用語やスライドも英語だったりして分からないことも多かったのですが、その中でいくつか印象に残ることがありました。
 保健衛生大学では三重県の七栗サナトリウムに週7日のリハビリを行う病棟を開設したそうです。病棟と訓練室が同じフロアにあり、ナースセンターも近いので目が行き届くということです。集中して密度の濃いリハビリを行い、回復度を高め、かつ早期退院にも結びつくということを目指しているそうです。発表をされた才藤先生は、装具を使っての歩行訓練等を紹介していらっしゃいましたが、将来的に歩けるようになった時に備えてのリハビリが必要だとおっしゃったことに、私は感動しました。クリストファー・リーブの本を読んで、日本にもそんな考えのドクターはいらっしゃらないかしらと思っていたからです。
 また、美唄労災病院の山本先生は、本当は急性期にはベッド上でも1日3〜5回肺理学療法が必要だとおっしゃいました。アメリカやオーストラリアの病院に入院していた方の話によると、セラピストがかかりきりで徹底的にリハビリをするそうです。日本のように一人のPTが同時に何人もみるというようなことはありません。セラピストの技術的な差ではなく制度的な違いが日米にはあるようです。
 また、村山苑診療所の大谷先生の「整形外科医としての脊損医療——35年を振りかえって」も興味深く拝聴しました。日本の脊損治療は箱根療養所から始まったことなど歴史を教えてくださいました。大谷先生は長年の経験をもとに97年に厚生省宛に要望を提出なさったそうです(もし、「はがき通信」の読者の方で大谷先生と親しい方がいらっしゃったら、ぜひその要望書を見せていただけるようお願いできればと思います)。脊髄損傷の治療は、不採算部門として入院期間を制限されたりして充分な治療を行えない現状に、医療従事者、患者ともにたいへん苦慮していると思います。
 それは、現行の保健制度に問題があるので、それに対する提案をなさったとのことです。高度脳外傷は国立リハビリテーションセンター病院が中心となって治療法の調査確立をすると最近新聞で見ました。脊髄損傷、特に高位頸髄損傷についてもぜひ同様のシステムは確立できないでしょうか。8日の高位頸髄損傷の発表の際されていた質問を聞いても、適切な治療法を知るということ自体がドクターの立場であっても難しいというのが現状です。急性期から慢性期までの一貫した最新の治療方法を紹介したホームページがあればと思います。たとえば、救急で運ばれてきた患者に、はたしてどういう手術をすべきか、どんな検査法があるのかということを、日々新しい情報を提供できるのがホームページだと思います。それは、医療従事者にも患者・当事者にも開かれたものであってほしいと思います。頸損治療の確立をリナックス方式(オープン・ボランティア・ノンプロフィット)で、というのが私の希望です。
 ただ、誰が中心になってホームページを運営していくか、施設を作るよりは格段に費用はかからないとしても、それぞれにお仕事をこなしながらホームページに係わるというのはとても大変なことです。また、誰が舵取りをするかということによっても大きく方向が変わってくると思います。適任者がそれに専従できる体制を厚生省主導でとれれば、ホームページは確かなものになるのではないでしょうか。
 日本全国どこにいても最新で最善の医療が受けられることは誰もが望むことだと思います。退院後も最新の医療情報が家に居ながらに得られる可能性があるのがインターネットです。急性期から受傷後数十年まで、医療と福祉が一貫したものであってほしいと願います。医療従事者と受傷者が、する側とされる側という立場ではなく、共に作り上げるという関係になれば、医学の進歩はスピードアップされるのではないでしょうか。
 以上、私に元気と勇気を与えてくれた学会初体験の報告です。

愛知県:TK tomoe850@mue.biglobe.ne.jp


butterfly


立った!そして 今、ついに歩いた

小樽の右近さん/独自に考案、5年で成果 奇跡のリハビリ指導/主婦、歩けるように 【小樽】

リハビリ中の森さん
障害物乗り越え訓練 高さは18㌢
全て自作の壁面のスチールの棒
上肢・下肢・腹筋・腰筋の強化訓練のために
 首の骨を傷め、全身まひとなった小樽の主婦森照子さん(60)が、隣人の写真館経営右近清さん(56)の考えたリハビリメニューに挑戦し、5年間の訓練の末、自力歩行を回復した。医師も「医学の常識を覆した事例」と驚く苦闘の道のりを、右近さんとともに五日、小樽市主催の講演会で発表する。

 森さんは一九九三年五月、自転車で転び首の骨四カ所を損傷、全身まひに。入院先の札幌の病院の診断は「回復は難しく寝たきりになる」。森さんは「できるのはまばたきだけ。自殺も不可能だった」と振り返る。家族ぐるみで付き合いのある右近さんは「人間には意志の力がある。回復の可能性を捨てきれない」と、森さんを八カ月後に退院させた。小樽の脳神経外科医の助言を受けながらリハビリ法を考え、元旦を除く連日八時間ずつ、森さんの家族と交代でリハビリを支えた。

 訓練は百四十種類に及んだ。体を動かすのも二カ月単位て数㌢刻みの目標を立てた。電動ベッドの角度を数㍉単位で上げて体を立てることから始め、垂直状態に慣れると手を引いて立たせた上で、支えていた手を離し、転ぶ直前に抱き留めて平衡感覚を回復させていった。さらに、ステッキ一本で自ら立つ訓練をした後に、より簡単な松葉づえ二本の自立に挑戦するなど、ユニークなものばかり。この結果、森さんはリハビリ開始から四年で少しずつ歩けるようになった。
 小樽の島田脳神経外科院長の島田孝医師は「これほどの機能損傷からの回復は聞いたことがない。本人の意思と長期間のリハビリを支えた周囲の協力が力になった」と驚いている。

(情報提供:北海道新聞平成10年11月5日) 

決して諦めないで下さい。諦めた時、それが最後です : 右近清

 私はつい最近パソコンを始めたばかりで「はがき通信」を知り、お便りさせて頂きました。森さんが事故に遭ったその日からの8年間の記録もここに同封いたします。

 今から8年前、この8年間の記録に書かれてあるほんの些細な自転車による事故がきっかけとなり、大きな渦に巻き込まれました。と申しますのはこれを読んでいただけるとお分かりの通り医学的知識がゼロで、しかもリハビリテーションの経験が皆無の私が脊髄損傷の中でもその病態から残酷、悲惨この上ないと言われる頸椎損傷により「瞬き」と「自発呼吸」だけに陥った人のリハビリに8年間携わってきたからです。
 その損傷は骨化した靭帯が折れ、頸髄に損傷を与えたという頸椎損傷(Cレベル2〜5番)であり、しかも脊髄を圧迫していた頸椎の2〜7まで全て取り外さなくてはならない、というちょっと例のない破壊的な事故でした。6人の医師団、4ヶ所の公立病院の脳神経外科、整形外科で完全マヒを宣告され、リハビリでの社会復帰などは論外と言われ、ことごとく入院を断られました。しかし絶対諦めず自宅での8年間にわたる1日6時間の凄絶とも言えるリハビリに挑戦し、ついに立ち、現在は松葉杖で歩き、手が肩まで上がるようになり、人間としての尊厳を取り戻した森照子という一女性の迫真の生き様の記録です。これは紛れもない事実であり、私のところに来た多くの脳外科医・整形外科医そしてPT・OTの各先生方は驚嘆し絶句いたします。
 ほんのちょっとしたきっかけでこのことが講演・新聞などで紹介された時から一挙に悲鳴が私のところに押し寄せて来ました。当然脊髄を損傷した方たちばかりでしたが、私が思った通り森さんより重度の障害を負った人はいなかったのです。この障害の性格上、ほとんどが交通事故、スポーツ事故の発生であり当然若者、それも男性が大半でした。

 瞬時にして一生動くことを奪われた人たち、立つ機能さえもぎ取られた若者。本人と家族の悲嘆は計り知れません。必ずと言っていいほど入院を断られ、運良く入院できるまで何年待ちであり、しかも他の患者のリハの邪魔になる、と露骨に退院を勧められます。もとより在宅介護する家族の負担は計り知れず喘ぎ喘ぎ生きているという現実を否応なく知らされることとなりました。脊髄損傷と断を下された時点で機能マヒを宣告され残存機能の活用を必ず言われます。私は今回多くの方々からの切実な苦悩に接し、脊損イコール全廃、リハビリは時間の無駄と宣告され、諦めざるを得なかった数多くの人たちを知り、いてもたってもいられない気持でこの記録をまとめたのです。どこの病院でもサジを投げられ絶望視された最重篤頸椎障害の森さんが実際に歩いている、というこの事実は素人の私が書いた文章ではとても分かってもらえないでしょう。しかし実際にその凄まじいまでのリハビリを目にしたとたん、動きを取り戻した原点が分かると思います。森さんよりはるかに軽度な胸椎損傷(Tレベル)、腰椎損傷(Lレベル)の人たちが希望を捨てず、自分を投げ出さないでリハビリに挑み、ついに立ち、歩けるようになった複数例がつぎつぎと出てきたとき、今までの常識論は根底から覆りますし、またそうならなければならないと思っています。

 ヒポクラテスの時代から2000年以上経った現代まで、いったん損傷を受けた中枢神経は再生不可能と長いあいだ言われ、信じられそれが医学の常識でした。しかしつい最近、この10年間での神経伝達の仕組みと解明、再生医科学の目覚しい研究等により中枢神経に備わった驚くべき潜在的再生能力、修復能力がつぎつぎと明らかになり、「サイエンス」、「ネイチャー」などで報告されNHKの特番などでもたびたび紹介されているのはご存じの通りです。
 ニューロン・シナプス、アセチルコリン、ドーパミンなどの神経伝達物質のリハビリによる刺激での活性化とそれを受けるレセプターの増大等ですが、今では科学的に実証されているにもかかわらず脊髄損傷で動きを取り戻した例はきわめて稀です。

 その中でもここに紹介した森さんのようにCレベル2〜5損傷で、しかも後縦靭帯が折れて脊髄を挫滅し、首の後ろ側の骨全てが取り去られた人が、立って歩き手が肩まで上がり、現在もリハビリの成果が着実に表れている、といった例はおそらくわが国では例がないのではないか、と多くの先生が言っております。
 なぜこれらの方々はリハビリをしなかったのか、というかできなかったのかは言うまでもなく損傷された中枢神経の再生、修復は有り得ない、との断言、宣告により諦めざるをえなかったからでした。しかしいったん脊髄を損傷したら決して動くことはない、というのはまったく根拠がありません。

 もとよりここに書かれてあること全てが事実であり、フィクションは一言たりともありません。逆に書き足りないことはまだまだございます。私と森さんの友人、今まで相談してきた脳外・整外の先生たちとPT、OTの方たち、そして何より脊髄を損傷した本人とそのご家族方が、この貴重な体験を何らかの形で多くの方々に知らしめるべきだ、との強い勧めでここにお送りしました。
 これをお読みになり、何か感ずることがございましたらこの8年間の記録をコピーするなり、あるいはインターネットで公開しても私はいっこうに差し支えございません。むしろそのほうを望んでいるのです。

元気になった森さん
 森照子さんと愛犬ナナ
 平成11年10月撮影(リハビリ開始から5年8ヶ月後)
 以前、私はこのレポートをリハビリに権威がある、といわれている先生、その施設の院長、そして整形の先生方に読んでいただきました。そのご返事は「思うにこの例は受傷程度が軽かったのでは」とか、はなはだしい例は「失礼ながら誤診ということも考えられなくもなく」との返答がありました。
 森さんを手術したのは大きな公立病院であり、そこの脳外科部長は北大の講師を勤め、将来は母校の教授になる、とまで言われた先生です。その先生が教授選のゴタゴタに巻き込まれ赴任して来たのです。あるいは弾き飛ばされたのかも知れません。ともあれ当時の新聞にこの先生の赴任は驚きの目で報道されたそれだけ実力のある先生でした。その先生の下にはいずれも北大の第一線のバリバリの脳外科医が4人いました。さらに文中しばしば出てくる島田院長は脳神経外科という単科ではわが国最大規模の札幌中村記念病院(780床・今は複数料)で勤務し、それも救急外来での修羅場をこなし脊髄損傷患者は日常茶飯事のベテラン脳外科医です。大学病院など問題にならないその巨大な規模と設備はわが国でまっさきにCT・MRI・ガンマーナイフなどどこよりも早く取り入れ、医療の最先端を取り入れるところでも有名です。森さんは事故当時救急車で島田先生のところに運ばれたからこそ命が助かり、現在動いた、ともいえるのです。
 なぜなら当時個人病院ではまったく使用されていなかったステロイドをその状態を見ながら集中投与し、最も恐ろしい第2次障害のフリーラジカルを防いでくれたからでした。大きな公立病院の先生方は後でこう言ったのを私は今でもはっきり覚えております。「当時治験薬のようだったステロイドを森さんの状態を見ながらしかも絶妙な量で投与したのには驚きました。なぜならこの病院でも使ったことがなかったからです」その驚くべき効果の反面、副作用が激しい魔法の薬とさえ言われたステロイド剤のおかげで第2次損傷の脊髄の破壊をこうして防いでくれたのでした。これは中村記念病院でこの薬剤の扱いに慣れていたからなのです。

 「受傷程度が軽かった、誤診かも知れないというなら、では森さんが頸髄挫滅による運動神経マヒ、感覚マヒによる1年間わたる全身不随から今こうして歩いている現実はどんなことをしても科学的に証明できないだろう、これはあまりに専門医を馬鹿にした話だ」と温厚な先生に似合わず激昂していたのです。
 動きを取り戻すまでの8年間にわたる筆舌に尽くしがたい過酷なリハビリに耐えぬいた精神力と、周囲の善意は科学をはるかに超えた崇高なものである、と森さんを知る全ての人は言います。

 わが国の脊髄損傷患者は約10万人と言われ、しかも年々5000人ずつ増え続けていると統計に出ております。しかしこれはあくまでも推定であって実態はとてもそんなものではない、と多くの識者は言っております。そのうち最重度の頸椎損傷がじつに75%をしめる、という戦慄すべき現状です。文化の熟成度が高くなるにつれて当然交通事故とスポーツ事故の多発です。わが国の高度医療技術と設備、薬剤などの発達により昔なら命を取り止め得なかった重度障害の救命が可能となりました。しかしせっかく命が助かったものの専門リハビリ施設のあまりの少なさ、入所数年待ちという異常さ。そして設備と専門医の徹底的不足。この分野での後進性は世界に冠たるものがある、ということはご承知のとおりです。

 柳田邦男氏の新著『脳治療革命の朝』でもこのことが鋭く指摘されております。これではせっかく命は助かったものの、逆に重度障害者が増え続ける一方なのがわが国の現状だ、ということを実際にリハビリに携わり痛感したのです。私は先生に次期作品はこの問題点をテーマに脊髄損傷の実態をぜひ取り上げてほしいと訴えました。もちろん森さんのレポートを添えてです。程なくして先生からこのようなご返事が来ました。「人間の持つ生命力の凄さ、神経と筋肉の回復力の凄さ、(中略)これは月並みの医療人の常識を超えるきわめて貴重な記録」とのご返事とともに激励をいただきました。

 文中紹介した例はいずれもご本人とご家族に前もって了解を得ている方たちばかりでして、その他に明らかに地名と人物を特定できる方はいっさい載せておりません。自殺の失敗によるC損傷で四肢マヒとなった方、スキーで首の捻挫によるC損傷で完全四肢マヒになった娘さん。路肩で話し中、バイクに突つ込まれ腰を強打し、搬送された個人の救急病院でロクな検査もせず、信じられないことに牽引を続け、腰髄を目茶目茶にされた中年の女性。泥酔でのL損傷。屋根の雪降ろしでのC損傷。喧嘩で腰を砕いた若者。弟のバイク事故によるC損傷で全介護のため婚約を破棄された娘さん。あの阪神大震災で地下室に閉じ込められ、恐怖のあまり心身症に陥り、実家の北海道に帰ったとたん交通事故でT損傷になり不随のまま病院を追い出された18歳の娘さん。キリがありません。

 しかしこれらの方々も森さんを訪ね、生きる希望を見出し、皆頑張っているのです。森さんも「私でお役に立つのでしたらどんなことでもします」と言っております。医学の進歩は目覚ましく、10年前では考えられない手術法とその器具・治療法と薬剤、そして新たな学説と科学的根拠がつぎつぎと確立されていきます。
 また、3度の新聞報道と2度にわたる講演で森さんのリハの実態が一気に知れたことにより、私は想像をはるかに越える問い合わせと来訪、そして原稿の整理と発送に連日深夜までその対応に追われ、肝心の森さんのリハビリに大きな支障をもたらしたのです。しかも私の商売も深刻な打撃を受けました。端的な例で申し上げますが、報道されたとたん、リハの実態とスケジュール、そして記録などその膨大な整理と印刷にこの1年間、ワープ口2台が故障し、複写機1台が機能しなくなったと書けばおおよその想像がつくことかと思います。
 私はこれからの自分の余生といいますか、最大の目標をこれらの脊髄を損傷した方々に少しでもお役に立ちたい、と決心したのです。商売にも影響を与えることでしょう。このことについては何回も妻と息子と話し合いました。そして快く賛成してくれました。

 私は皆様方からの数多くの問い合わせに少しでもお答えしようと今まで森さんのレポートを送り続けてまいりました。リハ内容はもちろん、自作の器具、部屋の改造、一日の生活など非常に多岐にわたるものですが、なにせ膨大な資料の整理と印刷、そして発送しお手元に届くまで時間がかかりますのでつい先日全てパソコンに切り替えました。メールですと瞬時に、そして要点を的確にお伝えできるからです。
 いよいよインターネットをと思い、ただいま連日取り組んでおります。そこで「はがき通信」を知りました。これを機会に全国の脊髄を損傷した皆さんとの交流が広がるのではないかと楽しみにし、森さんの今後のリハビリを行う上で参考にしようと思っております。どうかその意味でも密に連絡をとり、情報の交換をお願いいたします。
 北海道は冬の季節に入り、森さんのリハにとっては最も大敵な寒さとの戦いに入りました。完璧な暖房と空調ですが、やはり自然の温かさと日の光にはとうてい及びません。

 8年間の想像を絶する特訓で立ち上がり、歩け、肩まで手が上がるとはいえ介護認定5の全介助が必要です。2001〜2002年までになんとか社会復帰できるよう目標を定め、スケジュールを組み、ただいま最難関の肘から下の猛特訓を行っています。また、森さんの休めるのは一年で元旦だけです。
 脊髄を損傷する、ということを常に念頭において車を運転し、スポーツを行い階段を上り下りする人は果たしているでしょうか。しかしいつか誰かにこの災難は予告なく必ず襲いかかります。私も森さんも不治の病ではあるまいし、現代の医学での手術で回復し、その後のリハで頑張れば社会復帰はできる、と確信しておりました。しかしそんな甘い考えは木っ端微塵に打ち砕かれてしまいました。脊髄を損傷した皆さんが森さんが考えていたとおりの過程を経たと思います。

 これからも決して減ることがない脊髄損傷という病態の恐ろしさと牢固とした固定観念によりリハビリを諦めざるを得なかった多くの人たちと、何よりも不幸にして事故により、ある日突然不随になった人たちに森さんの実例を通し「絶対諦めるな」という心の支えになってくれればとの切ない思いで書いたレポートです。
 瞬きと自発呼吸だけに陥ったごく平凡な一人の女性のがこの8年間、どのように生きてきたかを分かっていただけますならば、私はそれだけで満足です。
 どうかこれから決して減ることがない脊髄を損傷し、不幸にも動く機能を奪われた人たちに対し、森さんの例を発信し、決して諦めないよう勇気づけて下さい。私の願いはただ一点、病院から邪魔者扱いにされる脊髄損傷者に対するわが国の驚くべき後進性とその発想を啓発すること、このことだけです。膨大な8年間の記録をお読みになるのにはかなりのご負担でしょうが、私の真意がわかっていただけますならば幸いです。


※〜脊髄損傷〜立った!そして今、ついに歩いた。【完全四肢麻痺からの生還・その全記録】

http://www15.ocn.ne.jp/~ukon/

 北海道 : KU  Ukon@aioros.ocn.ne.jp

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