はがき通信ホームページへもどる No.119 2009.10.25.
Page. 1 . 2 . 3 . 4 .
前ページへ戻る

 かゆみとの闘い 

C5損傷22年、60歳

 ◇日光ジンマシン
 忘れもしない2007年の春、いきなり顔いっぱいに赤いボツボツができた。首にも広がっている。かゆくてたまらない。顔まで手が届かないから掻(か)くこともできない。たまらずかかりつけの医院までおもむいた。ふだんは往診でバルーン交換をしてもらっているのだが、とても次回の往診まで待てない。「日光ジンマシン」という診断でレスタミン軟膏(なんこう)というかゆみ止めが出た。その年はそれで治まった。
 ところが翌2008年の春またもや同じ症状が出た。こんどはキンダベート軟膏が処方された。効能書きに「ステロイド」とあるのを見て家内は心配し、「なるべく付けないほうがいい」という。もともと薬の嫌いなひとなのだが、弟がアトピー性皮膚炎で苦しむ様子を見ているからなおさら心配なようだ。
 ありがたいことに来宅する看護師やヘルパーもいろいろなアドバイスをしてくれる。お肌のお手入れにかけては女性はみな一家言持っている。それぞれ微妙に意見が異なるのだが、外出する時は必ずUVケアしなければならないという点は一致している。そこで馴染みの調剤薬局で日焼け止めを購入した。ドラッグストアより信頼がおけると思ったのだ。しかしいっこうに効果がない。外出すれば必ずかゆくなる。

◇スキンケア
 そのうちすこしずつ賢くなっていった。いちばん驚いたのは、日焼け止めをじかに顔に塗ってはいけないということだ。化粧水と乳液で肌を保護したうえで塗らなければいけないということをしばらくたってから聞いた。日焼け止めなんか若いころ海水浴で使ったきりだし、そのときは直塗りでなんの問題もなかった。もっと早くいってくれよとも思ったが、毎日顔にいろいろなものを塗る女性たちにとっては、いうまでもないことだったのだろう。帰宅後はクレンジングオイルで日焼け止めを落としたあと石鹸で顔を洗い、化粧水や乳液で肌を保護する。車椅子上で顔を洗う方法もくふうした。
 顔全体を覆うサンバイザーも買った。あの黒い鉄仮面みたいなやつ。でもあれは自分で上げ下げできない者には向かない。ひとに声が届かなくて困る。道行くひとに奇異な目で見られるのもイヤだ。
 ほかにもいろいろ勉強した。天気予報ではずいぶん紫外線情報を流していることに気づいた。春の紫外線量は冬の倍になるそうだ。寒いあいだは紫外線量も少ない。日光に当たる機会が少ないから日光過敏症になるのではないかという意見を聞いた。それなら冬のあいだにすこしずつ顔を日に当てればいいのだろうと考え、外出できない日でも玄関の外に出て冬の日差しを浴びるようにした。

◇メサデルム軟膏
 それほど努力しているのに、忘れもしない2009年4月4日、花曇りの土曜日、まだ寒いし日差しなんか全然ないからいいだろうとUVケアせずに近所の桜をちらっと見にいっただけで、翌日からひどいことになってしまった。寒くても4月は春だ。
 かゆくて夜も寝られない。ハルシオンもかゆみの前には効果がない。顔を冷やしてもレスタミンを塗ってもキンダベートを塗っても治らない。塗りすぎたせいか、軟膏を付けたとたんかえって異常なほどのかゆみに襲われるようになった。薬はやめて化粧水だけにした。保存料等々なるべく何もはいっていないものを選んだ。
 めがねをかけると鼻がかゆくなる。めがねなしでの読書やパソコンを強いられた。よく見えない。イライラした。
 ひげそりに問題があるのかもしれない。T字形のカミソリから電気カミソリに変えた。高いものほど肌にやさしいかというとそうでもない。最近のものは一様に「深ぞり」をうたっている。深ぞりが肌に悪いのは明らかなのに、なぜメーカーは競って深ぞりを目指すのだろう。いくら深くそったってどうせ生えてくるのだ。探しまわった挙げ句パナソニックのスピンネットという、安すぎて不安になるほど安いシェーバーを買った。これがすばらしく肌にやさしい。
 それでもかゆみ問題は解決しなかった。良くなったかなあと思っても、外出すると顔中赤くはれる。ただでさえ厳しい頸損人生に、なんでまたこんな苦痛を加えなくてはならないのだろう。憂きことのなおこの上に積もるとは。
 ある日バルーン交換に来た主治医が、わたしの顔を見て驚き、皮膚科の専門医を紹介してくれた。皮膚科の先生もありがたいことに往診してくれた。「メサデルムというすこし強めのステロイド剤を処方します。良くなったらキンダベートに切り換えるように」といって処方箋(しょほうせん)を書いた。ステロイドと聞くと患者が心配するのを見抜いて、「医者が診ながら出すんだから大丈夫」と付け加えた。
 さあそれから一悶着あった。処方箋を持って薬局へ行った家内は、薬剤師から「これを顔に塗るのか」と驚かれたという。もう凍りついたような顔で帰ってきた。キンダベートより数段強いようだ。
 だがここから先はあっけなかった。メサデルム軟膏を3回塗っただけでかゆみも赤みも改善した。さらにキンダベートを数回塗ってほぼ全快した。4箇月近く苦しみつづけたものが、あっというまに治ってしまった。医学の勝利だと思った。「処方箋で出るような薬なら心配いらない」と訪問看護師もいう。しろうとが使って危ないような薬は出さないということだ。必要最少量にとどめれば安全だと思う。いざというときにはこの薬があると思えばそれだけで心強い。

 ◇タオルの害
 そもそもなぜこんなことになったのか。わたしは週1〜2回散歩に出る。頸損としては多いほうではないかと思うが、やはり日光不足もあるだろう。歳をとって肌が弱くなったのかもしれない。しかし一番の原因は、タオルで顔をこすりすぎたことにあるのではないかという気がする。
 入院すると、頸損のような顔を洗えない患者には朝晩蒸しタオルが配られる。在宅になってからもそれを続けた。なんの疑いもない。病院が採用している方法に害があるなんて思うだろうか。
 日光ジンマシンが発症する以前から顔はかゆかった。かゆいからなおさらゴシゴシこする。ある医師から「タオルのループは肌に悪い」といわれ手ぬぐいに変えた。時すでに遅く、顔は粉を吹くようになっていた。あのときベナパスタやヒルドイドのような薬品に頼るだけでなくスキンケアを心がけていれば、これほどつらい目に遭わなくてもすんだかもしれない。しかし今時の若者ならいざ知らず、まさかわたしの人生に化粧水なるものが必要になるなんて夢にも思わなかったのだ。
   
東京都:F川


 心臓弁膜症手術その後 

C4、受傷歴26年、53歳、O型、♂

 ◇事の始まり
 2006年11月だった。呼吸が苦しくて、我慢ができず3日目の深夜、救急病院に担ぎこまれた。診断は、心臓弁膜症による心不全である。肺炎を併発しており、すぐに家族が呼ばれた。
 抗生剤や利尿剤の投与により症状は多少落ち着くが、しんどい。気分は最悪である。心臓に過大な負担をかけた結果、心臓は肥大し、動きが悪い上に、2つの弁が逆流している。
 思えば、①足首やふくらはぎが浮腫(むく)んでいた。②外出中、急にしんどくなって動けなくなった。③排便中にお腹を押さえると痰が絡んだり、血痰が出た。④少量のお酒でも顔(ほっぺた)が真っ赤になる。などの症状があった。
 心臓に負担を与えるものには、水分や塩分の多量摂取や糖尿病がある。私の場合、暴飲がいけなかったようだ。
 2ケ月後に退院したが、すっきりしない日々を送る。減塩食(7g/日)に水分調整(800cc/日)は、ヒジョーに辛い。意識が薄れ、心臓が止まってしまいそうな気がしたことが何度かあった。車椅子に乗ってもリクライニングを倒し、横になっている時間が多い。仕事がはかどらず気持があせる。

 ◇辛いからこその決断
 2007年11月に、広島市内の心臓外科手術で有名な病院で手術を受けた。7時間半にも及ぶ手術で、心臓の2つの弁を交換した。術後は順調で1ケ月で退院できた。……とは言ってもとても不安な毎日だった。入院中によく聞いた、槇原敬之のCD(CELEBRATION)は当時を思い出すので聞かない。

 ◇手術から2年
 現在は、近くの内科で2ケ月おきに定期健診を受けている。足首やふくらはぎの浮腫みはない。血痰も出ない。利尿剤も飲んでいない。心臓の負荷を表すBNP値は90台で、正常の17.5に比べるとずいぶん高いが、術後の値としては上出来らしい。
 食事は減塩に気をつかい、ヘルシーな野菜や魚、豆腐など中心の食生活である。お酒はワインを少々。バランスも重要である。水分は2000cc/日、体重は70kgをキープしている(入院前が78kg、退院後は65kgであった)。
 SpO2(血中酸素飽和度)は95%、血圧は上が90〜140と変動が大きい(手術前は70〜90)。下は高く、90を超える時が多々ある。不整脈はないが、脈は弱い。
 心臓は全身に血液を送り、臓器を動かす。大元の心臓が十分に機能しないことにより、全身に悪影響をおよぼす。脳の働き・尿の出具合・呼吸機能・胃腸の動き・皮膚の状態・髪の毛の成長などなど。

 ◇心臓外科と心臓内科
 最初は、心臓内科にかかった。薬物投与と生活管理を徹底してやり、手術には否定的である。まだ内科的処置でいけると言う。セカンドオピニオンで受診した病院では、手術の危険性をしきりに言う。
 当然ながら手術は心臓外科であるが、手術による改善はある。あなたのような頸損患者は初めてなので、危険性は3%+αぐらい、肺炎を起こしやすい。「あなたが決めて下さい」と言う。ドクターの顔が自信に満ちているように思えた。
 術後は、普通食。ジュースやゼリーも付く。「減塩や水分調整はいいのですか?」と聞くと「普通に生活してくれ」と言う。およよ……。

 ◇今の悩み
 ①自律神経が安定していない(男性更年期かもしれない?)。
 顔が熱くなったり、赤くなったり……、青くなったり……黒くなったり(髭がのびているのかも?)。
 ②気力がない、集中できない、頑張りがきかない、ときめかない(歳かもしれない?)。
 ③老後をどう生きるか。まだ53歳じゃないかと言われるけど、頸損25年、体は結構ガタがきて老人の入口付近にいるような気がする。私の勝手な計算によると(受傷年齢+受傷歴×1.5)すなわち私は67歳なのだ。

◇最近始めたこと
 川柳と盆栽は去年から、将棋は今年から始めた。ジジーの3大趣味を制覇し、脳の活性化と心の安定および気力の向上を目指す。
 川柳は投稿川柳に応募したり、仲間同士で作句し、人気投票などして楽しんでいる。盆栽は、ボケ、梅、桜、藤、林檎(りんご)、百日紅、紅紫檀(べにしたん)、紅葉など10鉢。奥が深い。将棋は素人だが、スリリングな攻防に魅力を感じている。自称5級、目標は1年で初段。
 以下、自作の川柳です。
 ☆まだまだと ハゲ増しながら 生きていく
 ☆ハイとしか 言えない質問 されている
 

広島県:Y.O.



 不意打ちの汗だくウロトラブル 

C4、5

 私のこの夏の一騒動であります。
 15歳で受傷した後20代は、ほぼ病院との付き合いも薄くなっていたなか30歳を前にするころ、泌尿器トラブルが続き(ほとんどが尿閉だった)夜中救急車で運ばれることもあり、そんな事情で自尿から膀胱ろうへ切り替えることになった。
 その後は、バルンカテーテルを留置した生活上で大きなトラブルもなく、3週間ごとに交換しながら時折尿の中でフォアグラ状の浮遊物の塊で流れを悪くさせることはあったが、チューブの簡単な調整で回復することが常だった。
 友人には、砂利状の結石がつまり尿閉を起こしやすくカテーテルの太さを大きくしていったり、薬の服用を続けたりと注意を払いながら調整が絶えないと愚痴を言う人もいた。他には、介助中にチューブを引っ掛け抜けてしまったとかのアクシデントを耳にしていたので、私の場合は比較的安定して過ごせているなと思っていた。
 そんな矢先の今年の夏、外出先の駅ビルへ到着したころふいに冷汗が上半身から噴出し、タオルで拭っても拭っても止まらずシャツも上着もビッショリ。そのうち悪寒が始まり、このままだと救急車騒動になるやもと思いそのまま電車で逆戻り、真夏だというのにガタガタ震えながら最寄り駅から何とか電動車椅子を操作して自宅まで辿(たど)り着き、すぐさまベッドへ移乗!
 服を脱ぎ、バスタオルに包まっても冷汗は止まらず頭痛もしだし、明らかに排尿が止まった状態だ! 以前、ベテランの訪看師さんに教わったようにカテーテルの根元をネジったり、ゴム管全体のミルキングを続けても流れ出てきません。結局、訪問クリニックへ連絡して新しいカテーテルに交換してもらったのだが、大して尿量もなく頭痛が治まったのみだった。緊急で来てくれたドクターに尋ねてみても、確かな原因は解らないので少し様子をみるしかないと頼りない返答が返ってきただけだった。それから徐々に排尿が流れ出し、やれやれと安堵した。しかし時折、腹部・膀胱あたりに通常ない強い痺れを感じては再び冷汗は出るが、それは一過性で治まりチューブを見るとゆっくり排尿は流れている様子。
 友人にこうした状態を伝えると自らの経験から、おそらく何らかの原因で尿が膀胱に溜(た)まるごとに強い膀胱収縮が起きているのだろうから、できるだけ早めに腎臓・膀胱のMRI検査を受けるようすすめてくれた。こんな時、当事者からのアドバイスは生きた情報として参考になり心強い! 時には専門家よりも身近で説得力を感じることも少なくない。
 その翌日も同じような状態が続き、それでも午後から電動車椅子に移乗後しばらくすると、昨日と同じように冷汗が止めどなく流れ出し血圧が上昇し、頭痛が激しくなった。慌ててすぐさまベッドへ戻り、訪問クリニックへ連絡し主治医が駆けつけてくれた。腹部に触れると膀胱が張っているのが解り、カテーテルを交換しようと膀胱内のバルンに注入してある生理食塩水を抜くと、同時に流れの止まっていた尿がチューブの中を勢いよく流れていき、スッーと冷汗と痺れが引き頭痛が治まった。溜まった収尿バッグを見ると多少の血液交じりの浮遊物はあるがそれほど濁ってもおらず、砂利混じりの結石が出ている訳でもなかった。
 神経内科が専門の主治医からもこうした状態の原因は特定できないので、腎臓・膀胱機能に不安を感じるなら検査するようすすめられ、以前通院していた自宅近くの総合病院で受診することにした。泌尿器科では軽い膀胱炎との診断ではあったが、投薬のみで2、3日は血尿が続き、その後日MRI検査を行った結果では、腎臓・膀胱には特に異常は見られないとのことでホッと一安心した。
 そうすると、やはり自律神経性過反射によって膀胱収縮が頻繁に起こり、留置カテーテル先のバルンや穴を膀胱壁に圧迫させて排尿の流れを圧し止めていたということになり、血尿は膀胱壁からの出血だったのだ。
 泌尿器科ドクターからも、この手のトラブルは大なり小なり膀胱ろうの皆さんは起こして診療に来るから、過度に神経質にならなくても良いと諭すように言われた。
 それはそうなのだろうが、今までこの手のトラブルが少なかっただけに他人事ぐらいにしか思っておらず、まるで急性期のような戸惑いから先への不安をあれこれと大きく募らせていた始末。その後は、訪看日に取り敢えず膀胱洗浄を何度か続けて、現在はというと留置カテーテルの種類をシリコン性に変え、後はベッド上での体位交換や車椅子へのトランス等で少しは意識して介助者へ指示と確認を行うようになったぐらいで、それ以前と変らぬ通常の暮らしに戻っている。
 私たち頸損の在宅暮らしは、あれやこれや不意打ちのようなトラブルに見舞われては、アタフタしてそれまでのゆるやかな日常が一変する。常日頃から健康面の維持には最善の配慮が必要なのだが、この思わぬドッキリのような落とし穴にはまると、少々挫(くじ)けて気落ちさせられるものだ。〜とはいえ時は過ぎて、次はどんな出来事が待ちうけているのやらと想いつつ、季節は巡るのですが……。
 頸損の一生って綱渡りの道化師だよ、どれほどの命綱を備えるかはおのおの次第。はてさて行こか戻ろかで先へ進むしかあ〜りませんと、嬉し悲しの頸損生活30年!
 気がつくと早30年を超えちゃった今、改めて思い知るよな暑さの乏しかった夏の一騒動でありました。
 

東京都:H.K.

このページの先頭へもどる  次ページへ進む



HOME ホームページ MAIL ご意見ご要望