はがき通信ホームページへもどる No.119 2009.10.25.
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 『臥龍窟日乗』 —杉ざかや— 


 原稿はペンでマス目をひとつずつ埋めていかなければ書いた気がしない。職場では全員がパソコンのキーボードを敲(たた)いていて、陰では「アナクロ爺さん」なんて陰口されていた。
 事故の後何がつらいといって、四肢麻痺のため手書きが不可能となったこと以上のものはない。手足をもがれたカエル、声の出なくなった歌手みたいで、生きる希望すら失っていた。
 救ってくれたのが、神奈リハの職能であった。ひと月の特訓で音声入力をなんとかこなせるようになり、これが機縁となってパソコンが手放せなくなったのであるから不思議なものだ。
 パソコンの凄いところは検索システムにある。オレゴン州の不動産売り物件の広告やパリの地下鉄路線図などが寝そべったまま瞬時に目にできる。
 いま問題になっている金融危機だって、2年前の今頃にはアメリカでは大騒ぎになっていて、なぜ政府・日銀、報道機関は頬被りを決め込んでいるのだろうと不審に思ったものだ。
 当時から世界大恐慌再来という言葉が飛び交っているのに、政府が隠蔽(いんぺい)工作をしているのは、ユダヤ資本のマネーゲームに日本の金融機関が相乗りしているのだと勘ぐっていたら、本当にその通りだった。
 去年の暮れからある陶芸家の伝記を手掛けているが、その人が京都南座前にあったちっぽけな居酒屋に入り浸っていたという資料が見つかった。
 たかが居酒屋の名前。出ているはずもないと思いながらも、「杉さかや」を検索してみたら、信じられないことに「与太郎文庫」というブログに行き当たった。ただ厖大(ぼうだい)な量でどこにあるのか分らず、ご本人にメールを入れてみた。
 すぐにご返事をいただいたが、この「杉さかや」というのが知る人ぞ知る大変な場所で、映画監督の大島渚率いる大島組のクセモノ役者、殿山泰司、戸浦六宏、渡辺文雄、佐藤慶、石堂淑郎、小松方正らのほか、劇団民芸、くるみ座、テレビ局の演出部などの人々が溜(たま)り場としていた店であった。
 佐藤慶さんの文章に、この「杉さかや」(正しくは杉ざかやという)の女将について書いたくだりがある。イケズ(関西弁のこのニュアンス分るかナ)で怖いおばあちゃんで、大島の悪口を言うと勘定が高くなったそうだ。
 筆者も学生時代、くるみ座の役者のタマゴたちと交流があったが、「杉ざかや」の名なぞついぞ聞いたこともない。もっぱら銀閣寺から北白川あたりが縄張りであった。「ショウちゃん」というバラックみたいな呑み屋にたむろしていたが、ナニ祇園に近づくだけのカネがなかっただけだ。
 この半年、伝記の取材のために鎌倉、伊賀、京都を強行軍で回ってきたが、銀閣寺周辺もずいぶんと変わっていた。哲学の道は琵琶湖疎水に絡まるように沿っているが、今回40年ぶりに訪れてみると、若い女の子や外人観光客などが散策していて様変わりしたものだ。
 昔はもっと暗い雰囲気で、琵琶湖疎水は水量が圧倒的に多く、哲学の迷路に嵌(はま)り込んだ学生がいく人か自殺していた。今ではすっかり観光地になってしゃれた喫茶店すら散在している。
 休憩に寄った喫茶店のママさんの話では、私の下宿の斜向かいにあった深夜営業のディスコ「ナイト&デイ」から沢田ズリーのタイガースが出たと、それがこの界隈ではいまだに語り草になっている。
 苦しい旅であったが、予想しない最大の収穫は、わが下宿のすぐ近くに陶芸家の生家があり、現在も存在しているということであった。これもまたインターネット検索のおかげである。

千葉県:臥龍



 どたばた、パパ!(その2)『新しい生活。』 


 今日は、桃太郎が退院してくる日です。「ちゃんと子育てできるんだろうか? どんなお世話ができるんだろうか?」そんなことを考えながら期待と不安で胸一杯! ドキドキ、ワクワクしながら待っていました。
 そしてついに桃太郎が帰宅、「ただいま〜」の声に胸が弾む。「おかえり〜、今日からここで暮らすんだよ」と話しかけました。とはいえ産まれて5日目、まだ目は閉じていて、小さい手足をもじもじと動かしていました。顔はお猿みたいにむくんでいましたが、それがまた可愛くてたまりませんでした。
 それからの日々は目まぐるしく、妻の言葉を借りれば「わけの分からないまま日々過ぎて行く……」といった具合でした。ある程度の覚悟はしていましたが、こんなに子育てが大変だとは?! 2時間ごとに母乳が欲しいよ〜。「え〜ん、え〜ん」と泣き、母乳が足りないとまた泣き、ミルクをあげ、オムツを替え、寝たな〜と思っているとまた母乳と、桃太郎中心の生活でした。夜は2時間おきに泣いては母乳、オムツ交換と眠れない日々が続き、妻と私はひどい睡眠不足に陥りました。しかし、辛いことだけではなく、寝顔は天使のようにとても可愛いし、時々「にこ〜」と笑顔をみせてくれるし、小さい手足をバタバタさせたりとすべてにおいて愛らしく、癒される毎日でした。
 両親は桃太郎が産まれる前、「あんまり甘えさせてはだめだよ」と言っていたのに、産まれたとなるとあらびっくり! 桃太郎にメロメロ状態になってしまいました。陰になり日向になり応援してもらい、感謝の一言に尽きます。
私の慣れない育児はどうかというと、できないと思っていた抱っこが手渡しでできるようになりました。初めは首が据わってないので怖かったのですが、大泣きしていた桃太郎を膝の上に乗せるとすやすやと眠ってくれます。少しずつではあるけれど、沐浴(もくよく)の手伝いや子守唄を歌ってあげたり、あやしたりと、自分なりにできることを探しながらやっています。でも、「抱っこして〜、あまえたいよ〜」と泣いている時や、ウンチが出ていてお尻が汚れている時に、私は手が動く父親のようにすぐに対応してあげられません。「抱っこしてもらいたくて必死なんだろうなぁ」「悲しいんだろうなぁ」「お尻が汚れて気持ち悪いんだろうなぁ」「我慢してるんだろうなぁ」と、桃太郎の気持ちを考えると胸が締め付けられせつない思いで一杯になります。そんな時は、自分に障害があることを悔しく思って涙が出そうになります。それも父親としての試練だと思い、乗り越えないといけませんが日々葛藤(かっとう)の連続です。
 妻は出産して間もなく、体力も戻っていないので安静にしていないといけません。毎日睡眠不足でありながらも育児を頑張ってくれていました。たまにはストレスが溜(た)まり愚痴を言ったりしましたが、この状態では仕方ありません。私もできる限り頑張っていこうと試行錯誤しながら過していました。
 私たちは妊娠中より、産後の妻の体を考え、桃太郎が産まれてからの生活をどうするか話し合っていました。両親には頼らず、有料のヘルパーさんを利用することにしました。行政には相談しましたが、妊娠は特別な理由にはならないとのことで、家事援助の時間がもらえませんでした。少子化対策に貢献しているのに何とも厳しい態度です。
 ところが、このヘルパー業者がとんでもありませんでした。難しい料理をお願いしてないのに1時間半以上かかるし、お風呂の床掃除だけで1時間、同行と言う話だったのに二人分の料金の請求と、私たちにとって満足のいく仕事ではなかったのです。決定的だったのが、私が苦労して桃太郎の服を洗濯して、1時間かけてハンガーに干したのを勝手に干し直したのです。私たちは激怒しました。結局、利用することで妻のストレスが溜(た)まり安静にできない、経済的に厳しいのにお金ばかりかかる、ということで止めることにしました。
 ほかに頼む所もなく、結局妻を人一倍頑張らせることになってしまいました。こんな時も、手足が動けば良いのにと思って落ち込んでしまいます……。でも、桃太郎の笑顔や妻の頑張りに励まされ、「こんな気持ちではいけない」と自分に一喝! 気持ちを奮い立たせます。食後の食器洗い、洗濯物をたたむ、デイの支度など自分でやれることを探し、妻のフォローに努めました。
 月日は経ち1ヶ月、桃太郎は身長56センチ(+4センチ)、体重4200グラム(+300グラム)までに成長しました。検診で先生に「異常はなし、健康です」と言われ安心しました。この頃になると指しゃぶりが始まり、両手のげんこつを口に入れたり、目を開けている時間も増えました。表情も出てきて笑ったり、「あ〜ん」などと、お話しするようになりました。顔のむくみも取れ、一日経つ毎に顔が変わっていき私たちもこの変わりようにびっくりしました。それも、今で言う「イケメン」です。(親ばかです。笑)
 記念の手形と足形を取ろうと悪戦苦闘! 手足をバタバタするのでなかなか取れず、うつぶせにして何とか取れました。ここ1ヶ月で大きくなっていて、着実に成長してるんだと実感し大変嬉しく思いました。
 私たちはというと疲労が溜まり、相変わらず振り回されてばかりいました。この1ヶ月間は振り返る余裕もなく、ただがむしゃらに子育てに専念していました。親には休みがありません。桃太郎は、ベビーバスを卒業し浴槽デビューを果たしました。広くて深い浴槽に満足したみたいで、終始ご機嫌で気持ちよさそうな顔をしていました。夜も長く寝てくれるようになり少しは楽になってきましたが、寝る前にぐずぐず愚図り困らせました。
 私は、手渡し抱っこが様になってきたようです。桃太郎は、安心しきった様子で笑顔も見せてくれます。重くなってきたので、30分ぐらいになると足が痺れてきて冷や汗が出てきますが、手を振りながらご機嫌に「あ〜ん」とか「う〜」とお話して、笑顔まで見るとつい無理して抱っこしています。まだまだ落ち込んだりしますが、明日を見つめて頑張りたいと思う毎日です。
 

パパさん



 第24回リハ工学カンファレンス「いま考える、当事者発のリハ工学」の報告 


 開催日:8月26日(水)〜28日(金)
 場所:国立障害者リハビリテーションセンター(埼玉県所沢市)
 今年のリハ工学カンファレンスは当事者(ユーザー)の参加を歓迎する楽しい、わかりやすい、プログラムや企画になっていて多くの当事者が参加していました。
 特に全国頸髄損傷者連絡会が企画した、頸損実態調査報告会「頸損実態調査から見えてきた課題と今後の取組」では、頸髄損傷の障害を持った「はがき通信」購読者メンバーもたくさん参加していました。ホームヘルプ利用の増加、移動の利便性、支援機器活用の広がり等、QOL向上などの反面、地方との格差の問題も報告されました。
 シンポジウムでは、頸損当事者・医療関係者・エンジニアから頸髄損傷者が自立(律)して生きられる社会の提案、調査結果をふまえ、経験、専門分野の目でそれぞれ提議しました。
 また、障害当事者セッション「障害当事者セッション—わたし流環境デザイン」も行われ、障害当事者の方が日ごろの自らの経験・気持ち・研究をもとに、生活を支援する道具や技術にまつわる話題提供をしました。リハ工学研究者や開発者が障害当事者のことを知る場、リハ工学研究者や開発者と障害当事者が知りあう場としても意味があったと思います。
 今回、カンファレンス実行委員としてお手伝いしてきましたが、今年のカンファレンスは国立リハセンターでの開催でもあり、私自身特別な思いがありました。1993年の国立リハセンターでのカンファレンス参加が初のカンファレンス参加であり、支援機器やリハ工学に興味を持つ契機にもなりました。あの時のカンファレンスで、頸損の皆さんやエンジニアの方たちから生活についてアドバイスしていただいたことを今でもよく覚えています。時がたつのも早いですが、今こうして生活してリハ工学に携わっていることが本当に不思議に思います。





 障害当事者に真に必要とされる道具や技術を開発するために、リハ工学研究者や開発者と障害当事者が一緒に考え、ものづくりを進める道筋を考えていけたらと思っています。リハ工学研究者や開発者の皆さん、これからも一緒に発想・協働・実現していきましょう。
 第25回リハ工学カンファレンスは、2010年8月26日から28日に、仙台市情報・産業プラザにて開催します。

広報委員:麸澤 孝



 腰折れ俳句(11) 


 病室の月見顛末(てんまつ)など聞きつ

 水玉の蝶ネクタイや案山子(かかし)翁

 どんぐりが目になり鼻になる遊び

 園長の鞄の奥に木の実独楽(こま)

 子の器父の器やむかご飯





熊本県:K.S.

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