下記は「店主のつぶやき」と題して、日本てんかん協会東京都支部の機関誌「ともしび」に連載されているものに加筆訂正したものです。


左の写真は、かつて岡山県の津山みのり学園を訪問し、寅さんよろしく、芝生にシーツを置いて本を販売した時に撮影していただいたものである。
写真を送ってくださった小川孟氏(元横浜市総合リハビリテーションセンター所長)が、「貴君の会社が発展し、いつか美人秘書でももてた時に、かつてはこんな時もあったんだよ、と話しの材料に使いなさい」という意味の手紙を書き添えてくださった。
しかし、残念ながら美人秘書は当分もてそうになく、この写真の当初の目的どおりの使われ方も当面は期待できそうにないので、ここに利用させていただいた。



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 私はスペース96という名前の本屋を経営している。
 本屋といっても、普通の本屋とは少し違っていて、障害者関係の本だけを販売している。もちろん、本屋だから、注文があればマンガでも、辞書でも売る。しかし、普段は障害者関係の本だけしかおいていない。
 特定のテーマの本屋ということだけだと、医学書専門の本屋とか、建築図書専門の本屋など色々とある。そういう専門書店の案内だけの本さえあるくらいで、スペース96もそのひとつということになる。しかし、スペース96がそういう本屋ともさらにひと味違っているのは、通常は店舗で本を売るのではなく、出張販売をするという点である(出張販売というのは展示販売、略してテンバイと呼ばれることもある)。
 日本てんかん協会の東京都支部が主催する夏の講座に参加された方はご存じかもしれないが、会場で机に本を並べて関係図書を売っている、あれがスペース96である。(そこで、エプロンを着て黒縁メガネをかけた口ひげのオヤジが私である)あのような形で日本全国どこへでも、車に本をつんで出張販売にでかけていくのである。いってみれば、本のテキヤである。(テキヤというとフーテンの寅さんを思い浮かべる方も多いかもしれない。フーテンの寅さんとスペース96の唯一最大の違いはマドンナが登場しないということである。)
 出張販売のほかに、もちろん通信販売もするし、時には、お客様が直接本を買いにみえることもある。スペース96の事務所は、普通の本屋のように整然と本がディスプレイされているわけではなく倉庫状態だが、それでも時々はお客様がお見えになる。そのため、それほど本格的ではないが、近い将来、店舗もつくろうと思っている。(現在は、一応、常時取り扱っている約二千点強の本を並べたショールームと称するものを作ってある。)
 私がこの仕事を始めたのは1994年のことで、その前は15年間以上いわゆる障害者関係の施設で働いていた。その頃の、「必要な本が必要とする人のもとになかなか届かないのはなぜか」という疑問をもったのがこの商売を始めたきっかけだった。
 当時はそれなりに福祉の世界を理解していたつもりだったが、本屋になった立場で福祉の関係者とつきあいはじめてみると、福祉の世界に身をおいていた時には見えなかったものが見えてきたりもした。
 来月からはそんな話しをしてみたい。

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 最初に本屋の業界に関する常識的なお話しをちょっとさせておいてほしい。そうしないと後でさせていただく話のたびに説明が必要となってくるかもしれないからだ。
 まず、固い話しから始めて恐縮だが、本の製造原価率というのはだいたい定価の約4割前後である。千円で売られている本はだいたい400円くらいで作られているということだ。これは、だいたい、初版(最初に印刷する部数)二千部から三千部というのがあたりまえの福祉関係の本の話しである。講談社や小学館などという大手出版社が最初から何万部も印刷する本はこれよりもずーっと原価率は低くなっている。
 この製造原価率4割程度でできた本を、出版社はおよそ定価の約7割程度で、「取次(とりつぎ)」と呼ばれる本の卸業者に卸す。だから、出版社のもうけはだいたい定価の3割程度である。取次として有名な日販(にっぱん)とかトーハンなどという名前を聞いたことのある人は多いだろう。
 この「取次」は、出版社から定価の約7割前後で仕入れた本を定価の約8割程度で本屋に卸すのである。つまり「取次」のもうけは約1割程度もしくはそれ以下と本当に少ないのである。しかし、これを取り扱う量の大きさでカバーしている。
 だから最終の書店での利益はだいたい約2割程度である。しかし、専門書と称される類の本はこれよりも卸値が高く、障害者関係の本などもこれに含まれる。本屋はてんかんに関する本などを売るより藤沢周平の本を売った方が一般的には儲かるのである。だから小さい本屋には福祉や障害者関係の本は置いていないのである。
 そもそも、どうして障害者や福祉の関係の本は卸値が高く、結果として本屋が儲からないのか。それは、障害者関係の本を購入する人間の数が少なく、そんなに売れるわけがないことが最初からわかっているからである。
 たくさん売れない→印刷部数が少なくなる→製造原価率があがる→定価があがる→定価をあげるともっと売れなくなるので、卸しの掛け率をあげる→本屋が儲からない→本屋におかれない→たくさん売れない、へ戻るという構造になっているのである。要するに、手短に言うと「売れないから高い」という、ケインズもナニワ金融道も関係ない単純な理屈である。

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 出版社と書店の違いは何かと問われれば、たいていの人は間違いなく答えられるだろう。いうまでもなく、書籍という商品にとって書店は小売りであり、出版社はメーカーである。
 どうしてこのようなことを書くかというと、お客様の中にはこの区別がよくついていない人が多いのではないかと思われるからである。両者を区別することなく、まとめて「ほんや」と呼んでいる人が多いのではないだろうか。
 そのひとつの例が、スペース96(これは小売りとしての書店である)に対して、しばしば「目録をくれ」というお客様が数多くいることだ。目録というのはメーカーとしての出版社が作るものである。小売りとしての駅前の書店が独自に目録をつくることは通常はないのである。だから、駅前の書店に行き、突然「おたくの本屋の目録をくれ」という人はあまりいないはずである。
 しかし実はスペース96でも目録と称されるようなものをいくつか作っているのである。たとえば、「てんかんに関する本」とか「ケアマネージャーに関する本」という形で、ある特定のテーマに関する本をまとめてリストにしている。いや、むしろそういうのを売りにしているところもある。
 そういう意味では、スペース96は情報発信型ともいうべき新しいタイプの書店である。別の言い方をすると、スペース96は、障害者福祉の本そのものというよりは、障害者福祉の本に関する情報を売っているといえるのである。
 ところが、お客様の中には、このリストだけスペース96からゲットして本はスペース96以外の近所の書店や生協あるいは、施設や学校などという機関では出入りの業者から安く買うというフトドキな方がいらっしゃる。本は再販商品(再販売価格維持制度という、全国どこでも同一価格で販売することを法律で定められた商品)なので、これを効率よく阻止できるてだてはない。しかし、これをやられるとスペース96は一銭にもならない。
 情報を得たところで買ってほしいというのがこちら側の本音であるが、商人のはしくれとしてはそういう泣きはいれたくない。今のところ歯ぎしりするばかりである。

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 スペース96は障害福祉の本そのものというよりは障害福祉の本に関する情報を売っている、と書いた。この情報提供に対して「食べていける」だけの対価が支払われれば問題はない。しかし、そうはいかないので代償的に本を買っていただくわけである。
 だから、スペース96が本をならべているところへ来て、本の書名と出版社名を書きひかえていくだけの人が時々いるが、こういう人などは、スペース96にとっては「情報ドロボー」とも呼ぶべき憎っくき存在である。情報が商品であると考えるスペース96にとっては、このような情報だけ持ち去る行為は万引き同然なのである。
 なかには、こちらの冷たい視線に気がついて「大丈夫、後でちゃんと買うから」などとのたまいつつ、さらにせっせと書き写し続ける御仁がいらっしゃるが、これなど前に書いた書店と出版社の区別がついていない典型の方である。他の店で買われてもしょうがないっちゅうの。
 こんな例を引き合いに出すのはおかしいかもしれないが、ホテルの宴会に飲み物を持ち込めば、そのホテルで飲み物を買ったのと同額を請求されるようなことを考えれば、ほんと、書名を書き写すだけでもその本の代金を請求したくなるものだ。いやこの際、もっと言っちゃうと、本を見るだけでも木戸銭いただきたいというのが・・・・いや、こりゃ、ちょっと言い過ぎか(でも本音)。
 ともあれ、このような本に関する情報に限らず、著作権、ソフト、ノウハウと呼ばれるような目に見えないものに対してお金を支払うということはまだまだ一般化していないようである。それはCDのコピーがでまわって問題になっていることをみれば明らかである。そして、そういう傾向は福祉という要素がからむとさらにすすむのではないかと思われる。とにかく、公費支弁と現物支給のもとで「福祉はなんでもタダ」みたいな考えの方が多い世界だからである。
 「なんでもタダ」と思っている人たちに、さらに、目に見えなくてタダと思われている情報を売りつけようとしているのだからスペース96が成功したら21世紀の奇跡というほかないかもしれない。

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 スペース96は冒頭で紹介したように、全国各地の障害者関係の集会やセミナーなどにおける出張販売を行っている。
 最近のスケジュールをご紹介させていただくと、札幌で日本小児精神神経学会を2日間、翌日、熊本で日本自閉症協会九州地区大会。いったん東京に戻って、その3日後には鹿児島で全国社会就労センター協議会を3日間、翌日は大分で全国地域生活支援協議会のセミナーを2日間。同時期に精神科ソーシャルワーカーの全国大会を3日間、知的障害者の就労支援の集会を2日間、それぞれ東京で・・・という具合である。こんな形で、年間に約170回ほどの集会にお邪魔し、車の走行距離は4万キロ近くに達する(これはタクシードライバーと同じくらいの走行距離である)。
 このような集会やセミナーの中で、大都市圏ではない地方都市で開催される集会に行くと、共通してよく言われることがある。それは、「いやあ、この辺は田舎だから、こういう本をまとめて見られる機会がなかなかなくてねえ」というのがそれである。
 お客様の発言だから「それは違います」とは面と向かっては言わないが、それは違うのである。別の言い方をすると、東京や大阪であってもスペース96が並べるような形では本が用意されている所はないのである。たしかに、八重洲ブックセンターとか紀伊国屋書店など大店舗書店が大都市にしかないのは事実である。ところが、八重洲ブックセンターなどに行ってみればわかると思うが、必要とされる本がたとえば医療・教育・福祉など様々な場所に置かれていて、たとえその本が置いてあったとしても探し当てるのは非常に難しくなってしまっているのである。
 しかし、今は、地方都市に住んでいようが大都市圏に住んでいようが、インターネット書店の普及などにより、本に関する情報は得ようとすれば誰でも入手できる条件はそろっている。そうした本の情報を入手できるか否かは、そうした情報を求めるアンテナをはっているかどうかにかかっているのであり、住んでいる場所とは関係ないのである。
 実際、筆者などよりもよっぽど詳しく障害者関係の本について知っている方々を何人も知っているが、そういう人たちは必ずしも大都市圏に住んでいる人ばかりでは決してないのである。
 だから、田舎に住んでいるからこういう本を見る機会が少ないなどとおっしゃる方々は、実は、そういう情報収集の努力をしていないということを告白しているようなものなのである。

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 スペース96ではファックスによる障害者関係図書の新刊情報というものを発行している。この情報誌では1ケ月に20点の新刊を紹介している。こういうことをしていると「新刊の情報をどのようにキャッチするのか」という質問をよくされる。
 そういう質問をする人は、新刊を知るための情報収集の方法として何か特別のものがあるのではないかと期待していると思われるが、特別な方法はない。強いていえば、「常にアンテナをはっている」というようなものだろうか。
 「常にアンテナをはっている」などといえばきこえはいいが、アンテナといってもテレビのアンテナと違って、座して待っていて何か入ってくるということはない。具体的には新聞や週刊誌から、障害者関係団体の発行する機関誌・紙、あるいは最近はウェッブのサイトなどに対してこまめに目をとおすという地味な作業の積み重ねでしかない。
 そのため、日本てんかん協会をはじめ30くらいの団体の会員になっているし、50誌・紙以上の定期刊行物を購読している。ウェッブサイト上のメーリングリストなどというものにもいくつも参加している。情報収集は疲れるし、格好のいいものではないし、金がかかるものなのである。
 これらの情報源をチェックする際に重要なのは、どこに必要とする情報があるかというのを見つけだす嗅覚ともいうべきものである。新聞の書評や広告、福祉関係の毎回決まった場所にある書籍紹介コーナーに本の紹介があるのは誰でもわかることである。それだけでなく、記事や論文の中に隠されたヒントや手掛かりからも必要な情報をつかみとることが必要である。こうなるともう職人芸、伝統工芸の域にも近くなる(のではないかと本人だけが思っている)。
 スペース96は本の新刊情報だけでなく、障害者関係の集会やセミナーといった売場の情報もつかむ必要があるので、それらの情報収集も同様の作業となる。毎年、決まってある定期ものだけでは十分ではないので、スポットの集会をさがすことになる。
 こうした集会、大会、セミナー、講演会、研修会などのスケジュールをならべただけの情報でも商品として成り立つのではないかと思えるのだが、ある時こんなことがあった。関東の某県の障害福祉課から電話がかかってきて、今後のスペース96の販売予定先を教えくれという。それも、できるだけ遠い所がいいという。なんのことはない、年度末の予算消化としての研修先を探しているというのである。スペース96に目をつけたのは正解だったが、こんなことに情報収集の成果が利用されたのでは困りものである。

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 「どの本がおすすめ?」この会話はお客様たちからされる挨拶のようなものだ。どの本がおすすめかって聞かれたって、そりゃ、答えはあなたの仕事や関心によって全然違うんで、誰にでも共通してこれがよいと薦められる本などないといいたいところなのだが・・・。そんな質問をするお客様へ、それでもお教えできるアドバイスがひとつふたつはないわけではない。
 そのひとつは、タイトルだけで本を買ってはいけないということである。看板だおれの本というのはやっぱりあるのである。本は中身を点検してから買うべきである。じゃ、どうやって中身を点検できるかというと、やっぱり買って読んでみなくてはわからないという、わけのわからないような話しなのであるが、これは本当の話しである。やはりたくさんの本をお買い上げのうえお読みいただき、時には「こんなもの売りつけやがって」とか「金かえせ」というような形で発行元の出版社に対して怒りを感じるくらいの経験をつうじつつ、本物と偽物をかぎわける嗅覚をやしなっていただくしかないのである。もっともそんな嗅覚のよい読者ばかりだと、本屋はやっていけなくなるかもしれないけど・・・。ともあれ、本は不動産と違って誇大広告で訴えられることもなければ、クーリングオフで返品がきくわけではないので、ご注意くだされ。
 もうひとつは、発行日を確認したほうがよいということである。理念や歴史などの普遍的な内容をとりあつかった一部のものを除けば、やはり一般的には鮮度の高い本のほうがよいといえる。食料品と同様に本にも賞味期限をつけろというのが筆者の持論であるが、使えないデータばかり掲載されている本でも平然として販売し続ける出版社はある意味では犯罪的ですらあるといえる(特に辞書など)。
 もうひとつは、本の最後の部分にある発行日などを書いてある奥付(おくづけ)という部分に記載されている、この本を何回印刷しなおしているかという回数(刷り数という)をみて売れているかどうかを判断してお買い上げ判断の材料とされている人々がいる。つまり刷り数が多ければたくさんの人々に支持され、よい本である証拠のはずだから買ってみようと考える人々がいらっしゃるのである。
 この考え自体は誤りではないかもしれない。しかし、よく考えてみるとすぐ分かることであるが、この刷り数と実際に売れた数とは必ずしも一致しないのである。なぜなら、一回の刷り数で何部印刷するかというのは本によってすべて異なるからである。一回に五千冊印刷しても刷り数としては一回だし、たった五百冊しか印刷しなくても刷り数としては同じ一回なのである。売れている感じを醸し出すために一回の印刷部数を少なくしたという実際にあった話しも知っているのでご用心あれ。

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 いうまでもなく、本屋にとって一番いいお客様は本をたくさん買って下さる方である。 では、本はどれくらい売れるのか。これは残念ながら企業秘密なので正確なことはお教えできないのだが、ちょっとだけお教えしよう。スペース96の経験の範囲でいうと、集会やセミナーなどで売れるのはだいたい一人平均千円くらいである。百人の参加者なら十万円、二百人なら二十万円というところである。
 しかし、それは参加者の層で変わってくる。一人平均千円というのはいわゆる施設職員のレベル。これが施設長の集まりとなると平均は1.5倍くらいになり、学会と名のつくような場所になるとさらに平均購入価格があがることになる。
 これらの数字も記念講演の講師の本が一挙に売れたり、あるいは、その集会のテキスト指定の本があったりするなどという変則的な要素がからむとまた変わってきたりするので、あくまでも目安である。
 もうひとついえることは、人数が多いから本が売れるは限らないということである。たとえば、いわゆる親の会などは参加者数は多いが一般的には本は売れない。また、参加者数が多くても、朝日新聞やNHKなどが呼びかけるような参加費用が無料の場所ではあまり本は売れない。
 また、参加者の熱心さによっても売上げは変化してくる。作業所の職員などは一般的には収入は失礼ながらそう高くはないと思われるが、だから本は売れないかというと必ずしもそうではない。出張で参加している人が多い場所よりも、私費を投じて参加している人が多い場所の方が本は売れるということもいえる。
 しかし、やはりなんといっても、個人としては大学の先生などに代表される研究者が一般的には一番たくさん本をお買い上げくださる。しかし、もちろん仕事に必要なのだろうが、段ボール箱に何箱も購入される姿を見ていると、ありがたくはあるが、失礼ながら、「この人は、今まではどういう資料のもとで研究していたのだろうか」と首をかしげたくなる時もある。

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 前回、一般的には研究者と呼ばれる人たちが一番たくさん本を買ってくれるということを書いた。研究者だろうと誰だろうと、もちろん沢山の本をお買い上げくださるお客様が本屋にとっていいお客様なのだが、本のお買いあげ方にもいろいろある。
 机に並べてある本をさして「これ全部1冊ずつ送っておいてくれ」などという豪気なお客さまもいた(「あら、じゃ私にも同じものを」とおっしゃった隣のお客先はもっと豪気だったなあ)。予算あわせで「とにかく12万4千512円ふりこむから、あとから適当に本を送ってくれ」などというありがたいお客さまもいた。(こういう時は、返品できないでいる売れ残りの本を謹んでお送りさせていただく)
 もっとすごいのは、金曜日の夕方5時頃に電話をかけてきて、「月曜日の朝一番に、すべての在庫1冊ずつ、請求書をつけてもってきてくれ」などというお客さまもいた(250万円くらいした)。これは、国の予算を消化していなかったところに急遽、会計検査院の監査がはいることになっての注文であった。
 驚いたというか呆れた注文の最たるものは「本を長さ1間(1m80cm)分くれ」というものであった。これも、ある施設に県の監査がはいり「おたくの施設は関係資料が少なすぎる」との指摘を受け、本を置くために間口1間分の書棚を買ったからというものであった。(国も県もますます監査に励んでいただきたいものである)
 もっともこういう歓迎すべきお客様ばかりではない。連日の研修会の2日目にあらわれて「この本を昨日買って読んだのだが、思っていた内容と違うので返品したい」などというお客様もいる。そんなこと普通できるかよテメーといいたいところだが、ぐっと我慢の子。
 「この本とっといてね」と言いおいて二度と登場しないお客さまなどというのはあたりまえ。本をとりおきさせておいて、研修会の終了間際になって再登場したはよいものの、とりおいていた10冊ほどの山の中から1冊だけしか買っていかないという方もいらっしゃった。残された9冊は完全に販売チャンスを失わされたわけである。
 いかにも後で買いにくるという感じで「何時まで本を売っているか」と尋ねる客は二度とあらわれないというのはウチの業界の常識である。

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 スペース96は様々な集会、講演会、研修会やセミナーの会場などで本屋として書籍の展示販売をさせていただいているわけだが、こういう場所で展示販売をしたいという業者は他にもたくさんいる。もちろん、その集会の中身によって異なるが、具体的には車いす、おむつ、ベッドなどの福祉機器を扱っている企業から、薬品メーカー、おもちゃ屋や楽器屋、最近ではコンピュータのソフト販売会社まで実に様々な企業がスペース96のような展示販売を希望しているのである。
 しかし、会場のスペースの問題もあるし、全体を運営する事務局の手間の問題などもあり、こうした業者が展示販売にでることは一般的にはあまり歓迎されない。ある特定の業者が展示販売すると、主催者がその商品を推薦したかのように思われるということも歓迎されない理由のひとつでもあるが。
 そういう中で、本屋だけは特別扱いされていることが多い。いうまでもなく、本屋も業者のひとつに違いないのだが、取り扱っている本という商品がもつ特性(なんのこっちゃ?)ゆえに、何かしら一般の業者とは異なるものと受け取られているのである。本というと知識の伝い手というか、文化のかおりというか、研修につきものというか、ともあれ、ダンゴや煎餅などといった土産物とは何かしら本質的に違うという大いなる共同幻想を抱かれている商品なのである。
 てなわけで「いやあ、色々と出たいっていう業者が多かったんだけど、とにかく面倒くさいから今回は業者はみんな遠慮してもらって本屋だけにしたから」などと主催者からいわれることが多いのである。そんな時は内心ほくそ笑みつつ(うちも業者のひとつなんですけど、などということはオクビにもださずに)「そうですねえ、ギョーシャは、一社いれると次々に出たいっていうところが現れてきて線引きが難しいから入れないほうがいいですよ」などと相手にあわせてうなづいたりしてしまうのである。

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 前回、業者としての書店の特異性(?)についてふれた。他の業種にくらべると書店は集会やセミナーの場などに入り込みやすいという話しである。とはいうものの、両手をあげて大歓迎というわけではない。
 福祉という仕事に携わっている方々からみると、やはり「モノを売る」などというのは一種卑しむべき仕事とみえるのか、冷たい視線をあびせられることもしばしばである。「職業に貴賤なし」などというが、そこはそれ士農工商の時代より商人の地位はあいもかわらず低いのである。
 とりわけ、主催者が毎年の持ち回りで、地方の施設が担当の主催者だったりするとその視線の冷たさは倍加する。机を借りたいと声でもかけようものなら、「セミナー開始の忙しい時に、うるせえなあ、あっちいけ」という態度で迎えられること必定である。
 ところが、こういう態度がころっと変わる瞬間がある。それは、主催者の本部スタッフや講師の人たちがスペース96の売場に立ち寄り、親しく会話している姿を、この冷たい視線の主が目撃した時などである。
 こちらは、障害福祉という狭い業界で何年も書店をやっているため、本を書くような、つまり講師をやるような人はたいていは見知っているわけである。そのうえ、本部のスタッフなども打ち合わせ等でよく知り合っているのである。
 さらに、講師の先生方も、地方の集会などの場合は、知っている人も少ないため、会場に着いてから、つい顔見知りの本屋のところに「おい、俺の本、ちゃんともってきてるかあ?」などと言いつつ立ち寄ったりしていしまうのである。
 そういうのを見かけると主催者が「あれ、あの本屋なんか変だぞ」ということになってくる。そのうち、手の平をかえしたように「あのー、厚生省の〇〇専門官はもうお見えになってますでしょうか」なんてことを揉み手で聞いてくる。
 こういう瞬間が、ほんと、おっもしれえんだよなあ。

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 スペース96は全国各地の集会や大会などで展示販売を行っているが、実は、スペース96の売上げの半分以上は、そうした場所におけるもではなく通信販売によるものである。通信販売で本を購入してくださる方々というのは、展示販売などの場所をきっかけとして、うちがどういう本屋か知りリピーターとなってくださっている方、会員制の新刊情報の会員として本を購入してくださる方、各種DMをみての方など様々である。
 以前に年間で約150回くらいの出張販売もしくは展示販売を行うと書いたが、これらのひとつひとつの集会にかけられた費用と売り上げで経済的にバランスする(儲かるという意味)ものは3分の1もないのではないだろうか。そういう意味では、こうして出かけていくのは売り上げそのものを求めてというよりも、障害者福祉関係図書の専門書店がありますよということを知っていただくための宣伝行為ともよぶべきものかもしれない。
 ともあれ通信販売というのは当然、後払いである。注文をいただいた本に請求書と郵便局からの振込用紙を同封してご注文の本を送らせていただく。細かい統計をとったことはないので感覚的なものだが、この請求に対して90%以上の人は黙っていても1ケ月以内に支払ってくださる。あと5%くらいはその後1ケ月くらいの間に支払って下さる。
 残りの5%くらいの人は、なんとそのままだと支払って下さらないのである。そこで、スペース96では送本後2ケ月経っても入金がない場合には督促させていただいている。
 ついうっかり忘れたという人はしょうがないとしても、なかには何ヶ月、それどころか何年も支払わない人もいるので驚きである。それが結構、福祉の世界では著名な大学教授だったりすることもあるのでさらに驚きである。こういう人に限って、督促の確認ために注文書をひっばりだしてみると「至急送ってほしい」などと書いてあるから何をかいわんやである。
 いうまでもないが、スペース96ではキャッチセールも押し売りもしていない。すべての購入は消費者の自発的な意思にもとづいてのものである。それに対して支払いを怠るとは人前はばからない公然たる万引きみたいなものである。
 「福祉の世界に働いている人に限ってお金を支払わないなどということはないはずだ」などと思っているあなたは甘い甘い。支払わないまま、電話が不通になってしまったり、転職されたり、逆にどなりこんできたり、やっとつかまえると「主人が死んで金がなくなって・・・」などとこぼしてみたり。こうなると居直り強盗に近い。こういう人は、ほんと、日々の福祉の現場などでどういう言動をとっているのだろうと首をかしげたくなってしまう。

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 本屋へのお客様からの注文は電話、ファックス、それに最近はe-mailなどでもはいってくる。お客様からの注文というと、当然、「○○出版社の△△という人が書いた××というタイトルの本を送ってほしい」という形ではいると思われるかもしれないが、必ずしもそういう形ばかりではない。
 なかには、「職場のあの人がもっているのと同じ本がほしい」「こないだ新聞に紹介されていた本を送ってくれ」などというものから「先日の会場で販売していた時に右隅にあった赤い本を送ってくれ」という形のものまである。こういう人たちは、「職場のあの人」といえばこちらもわかっていると思い、「新聞」といえば誰でも同じ新聞を読んでいると思い、「右隅」といえばどちらから見ても右だと思っているジコチューな人々である。
 まあ、こんなのはいいほうである。手掛かりがちょっとでもあればなんとかなる。始末におえないのは「最近、なんかいい本ない?」、「知的障害の本をなんか紹介してほしい」、「施設を作りたいけどマニュアルはないか」という類いの問い合わせである。
 こういう問い合わせへの対応は、おおげさにいうとほとんど相談業務、コンサルタント業務である。相手の曖昧な言葉をひとつひとつ解きほぐし、相手のニーズを明らかにし本当に必要なものを探しだしてあげなくてはならない。こうなるともうはっきり言ってソーシャルワークである。こういうことのために割かれる時間と情報提供に対してはチャージできない。それでいてたどりついた本が1冊500円だったりすると思わず天をあおぎたくなるものである。
 でも500円でも売れればいい。全然お金にならない場合もある。たとえば「来年の社会福祉士の試験はいつ?」などときいてくるお客様には唖然とさせられる。クライエントと社会資源を結びつけようってェ人が自分の受ける試験日を調べられないうえに、本屋に電話してくるとは!でもこういう人はたいてい合格できなくて毎年参考書を買ってくれるいいお客様だということもある。うむう、商売は難しい。

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今回は領収書にまつわる話しをいくつかご紹介する。
 しばしば、お客様から「本と一緒に領収書を送ってほしい」といわれるのだが、これはたいていは「本と一緒に請求書を送ってほしい」の誤りである。領収書と請求書の区別がつかない人が多いのには驚かされる。また、宛名や日付抜きの領収証を求めるのに際して「カラ領収証をください」と平然としていう人がいるのにも驚かされる。(ここを読んで驚かなかった人はすぐにカラ領収証の意味を調べなさい)
 たまには、本当に本と領収証を一緒に送ってくれという非常識な(失礼!)リクエストをされるお客様もいらっしゃる。こういう方には「通常はお支払いの後に領収書を発行させていただくのだが」と説明するとむしろビックリしている様子なので、こちらはさらに驚かされる。
 領収書といえば、展示販売の場所で領収書を求める際の表現も曖昧でおもしろい。たいていは「領収書は・・・・」と語尾を濁らせるか、「領収書あるかしら」という疑問形で聞いてくる、あるいは「領収書なんてでないわよね」(なぜか、このあたりは女性言葉)と反語的表現でくる。中にはお金を支払われた後に「なんかもらえるかしら」(何もあげないよーだ)、「一応、領収証もらっとくか」(なんで、一応なの?)、「とりあえず何かもらえる?」(本以外あげないぜ)、「領収証みたいのくれる?」(領収証じゃダメなのかなあ)とくるお客様もいらっしゃる。単刀直入に「領収書をください」というお客様はむしろ少ないのである。
 余談だが(もっともこの連載全部が余談みたいなものだが)、領収書を求める際に、声をひそめて伝える人が多いのはなぜだろうか。口元に手を添えて小声で求めたり、中には指先で空中に矩形を描いて手話もどきで伝えようとするお客様もいらっしゃる。自分のお金で買わないということを周囲の人に知られることは恥ずかしいことなのだろうか。もっとも500円以下の領収書を求める人には、こちらも内心「これくらい自分で払わないの」と言いたくなるのだが。
 時として、領収書をもらわなくてはということで頭がいっぱいで、なおかつ、領収書をもらうのは体裁が悪いと思っている人のなかには、本と領収書をひったくるように受け取り、おもわず釣り銭を受け取るのを忘れていく人が時々いる。こういうお客様は大歓迎である。

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 スペース96は全国各地の様々な会場で書籍販売を行っているが、必ずしもスムーズに販売ができるわけではない。その理由のひとつに会場が販売を許可しないためというのがある。
 よくあるのは「会場が公的な建物のため販売行為を許可しない」というものである(公的な建物だとなぜ販売行為がいけないのかよくわからないが)。そういいながら、公立中の公立である県立の建物だったりすると、地元の産業振興とばかりに、書店よりも堂々とお土産屋さんが物産フェアを開いたりするのには驚かされる。実は、最も公的な所は販売行為大賛成なのである。
 このお土産屋さんの隣で本を売ると面白い。本屋のところでは、送料の350円に悩み抜いた人が、隣で販売している「広島お好み焼き冷凍パックのクール宅急便代1000円」(送料だけで1000円だぜ)などというのにはなんの迷いも感じていない姿が観察される。「本を買うと重くなるからなあ」などとおっしゃってた方も、もみじ饅頭の箱は10箱くらいを両手にかかえても平気である(なんか、話しがズレてきているなあ・・・)。
 ほかに「前例がない」という断り方というか断られ方がある。つい先日も関東のあるS県(ん?)の社会福祉協議会主催のセミナーで販売を申し入れたところ「前例がない」と断られた。そのセミナーのテーマが「障害者雇用をどうすすめるか」というのだから笑ってしまう。障害者雇用なんて前例がないからどうやってすすめるかって考えてんじゃないのかしら。
 売場の建物や対応の話しでいうとホテルはいい。それも、ホテルのグレードが高くなれば高くなるほど販売はしやすくなる。従業員の対応もよくなる。こちらが恥ずかしくなるほどの待遇をしてくれる。(話しが飛躍するが、施設の職員もホテルでの研修を義務づけるといいと本当に思う)
 それにホテルには段差がないのもうれしい。ホテルには搬入業務が多いので段差はほとんどないのである。もちろん、世の中のバリアフリーの風潮の影響もあるのだろうが、バリアフリーで恩恵をこうむったのは障害者ばかりでないのである。

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 「スペース96は障害者関係の本だけ売っている」というと、限られた数の本だけしか売っていないようなイメージをもたれるかもしれないが、そうでもない。スペース96で常時、取り扱っている本は2千種類以上である。これには医学書などの数は入っていない。
 いうまでもなく、障害というのはその定義にもよるが、実に幅広い。いわゆる障害の種別だけでも、大きくわけて身体障害、知的障害そして精神障害と3つある。さらに、身体障害の中にも肢体不自由、視覚障害、聴覚障害、精神障害の中にも分裂病、うつ病などと異なる分野がある。
 そのほか、これらの「枠組み」にはいらない、てんかん、自閉症それに難病などもある。最近では、学習障害、注意欠陥多動症候群(ADHD)など新しい概念も次々に出てきている。エイズや性同一性障害、あるいは最近の若者の衝動的殺人にみられる行為障害などを障害と理解するむきもある。こうした障害の定義に関する本や障害学などと題した本までいくつもあるくらいである。
 これらの障害の種別を縦軸として、さらに医療・教育・職業あるいはスポーツ・文化・芸術などの分野別テーマが横軸として絡んでいる。さらには児童と成人、在宅と施設などという考え方の基軸もある。そして、これらの縦横両軸に囲まれた部分ごとに、それぞれ固有の分野が存在しているのである。
 さらにいうと、これらの上に主催者の政治的立場や考え方も三次元的にからんでいる。そのため「うちの集会では〇〇先生の本は売らないでね」などと念押しされることなどもしばしばである。それどころか、販売する本をチェックされる集会すらあるのである。
 このように考えてみると、障害分野の数というのは幾何級数的に増えていく。そして、このように、細分化された分野ごとに障害福祉の世界が存在し、それにともなった専門家と業界(その分野に寄生してメシを食っている人たち)が存在している。そして、それらすべてにともなって異なる種類の本が存在するのである。スペース96にとっては、その数だけ売場が増えることにつながるので歓迎なのだが逆に苦労も多い。

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 というのも、スペース96では、販売に行くのに際して、これら細分化されたテーマの集会や参加者(さらには主催者の考え方にまで)あわせて本を選びださなくてはならないからである。
 たとえば、知的障害者の職業問題をテーマにした集会と車いすの作り方に関する工学系の集会とでは用意する本の種類が全く異なるのである。あるいは、施設長の集まりと当事者の運動団体の集まりでは、同じーテマであっても売れる本の種類は違ってくるのである。これが難しいところであり、でも、これがわかると面白いのであり、それができるから偉いのである(誰が?)。
 前回も少しふれたが、こうした様々な種類の集会にお邪魔させていただくと、その分野ごとに業界とか専門家とかが存在していることがわかるのであるが、驚かされるのは、分野が異なると、案外、それらの専門家同士の交流が薄いようだということである。名前は知っていたとしても面識はなかったり、分野が異なると基本的な用語さえ知らなかったりするようである。こうした障害種別の壁をこえようというのは、国際障害者年以来のテーマであるような気がするが、いっこうに改善される気配を感じさせられない。
 そんな中で、スペース96は、毎日のように様々な集会で本を売って歩いているので、自然といろんな分野のことを知ってきてしまう。〈門前の小僧習わぬ経を唱え〉じゃないけれど、深くは知らなくてもキーワードだけは頭に入ってくるし、キーパーソンだけは覚えてきてしまうのである。
 そのせいか、時々「〇〇さん知ってたら紹介してほしい」あるいは「こんどセミナーやるのだが、講師には誰がいいか」などと聞かれることさえある。先日などは、そんな質問に答えて何人かの名前をあげたら、本当にそのとおりの人選でセミナーの案内ができていたのには驚かされた。また、ある学会では「スペース96のような事業こそ真のソーシャルアクションだ。その内容について、ぜひ次回の学会で事例報告してほしい」とまでいわれたのである(この学会の見識が疑われるといけないのであえて学会の実名は明かしませんが本当にあった話しです)。

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 スペース96は書店だがエンパワメント研究所という名前の出版社もやっている。当方としてはあくまでも書店を中心にしていこうと考えているのだが、本を並べて売っていると、しばしば「こんな原稿があるんだけど本にしてもらえないかなあ」というような形で話しを持ち込まれるのである。
 駅前の書店に行って「この原稿を本にしてください」と言うことがないことを考えれば、書店であるスペース96に出版の話しを持ち込むのは本当はおかしいのであるが、前にも書いたように書店と出版社の区別がない人が多いという理由で、なんとなくそうなってしまう。
 実はこんな形から書店や印刷屋さんが出版社になってしまったというケースは少なくないのである。たとえば、精神障害関係の専門書店の星和書店は、もともとは駅前の本屋だったのだが近くの松沢病院の人たちから精神障害関係の本の注文を数多く受けているうちに出版社に転じたものである。京都のかもがわ出版はもともとは印刷屋さんだったが、福祉関係の本の印刷を受けているうちに出版社に転じたものである。
 スペース96に出版の話しがきてしまうもうひとつの理由は、そのように持ち込まれる原稿の内容は、たいていの場合、新しい動きや考え方に基づくものが多く、既存の出版社ではテーマとしてつかみきれていなかったり、テーマとして新らし過ぎて理解できないためである。つまり売れるか売れないかが既存の出版社には判断できないので出版を引き受けてもらえないのである。たとえば、最近の当社の好評書にジョブコーチ関係の本がある(知ってますか、ジョブコーチって?)。こんなテーマはどこの出版社にも意味不明なのである。
 そういう意味では、スペース96のように現場の最先端の人々と接するところで本を販売しているということは、一番新しいトレンドをつかめる、つまり本としてのネタを仕入れられる場所にいるということでもある。そこで、しばしば出版社からは「今、何が売れているのか」とか「どんな本を出せば売れるのか」と尋ねられる。でも、そんなこと教えないもんねえ。

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 さて、そのようにして出版の話しを引き受けて原稿を読ませていただくと、残念ながらその文章のお粗末さに驚かされることが多い。「てにをは」もおかしければ、「ですます」と「である」が統一されていない、漢字は間違っている(ワープロゆえの間違いも多い)、主語と述語が結びついていない、慣用句の使い方が間違っている、用語が統一されていない、繰り返しが多い、みだしと本文が一致していない、接続詞で結びつけた内容が結びついていない(全然「しかし」にも「つまり」にもなっていない)・・・。
 そういう文章は原稿に朱筆(訂正)をいれて戻させていただくのだが、原稿が朱筆で真っ赤になることもしばしばである。そんな時は、「生意気にもこんなに訂正させていただいて申し訳ない」とか「こんなに訂正して怒られないかなあ」などと思いつつ原稿を著者に戻すのだが、ほとんどの場合、そのまま訂正されて著者から戻ってくる。そうなると、逆に今度は「この人は自分が書いたものにプライドがないのか」などと感じさせられてしまう。それが大学の先生だったりすると、日本の未来さえ案じられてくるほどである(ちょっと大袈裟か)。
 考えてみると、新しい本は続々と刊行されているが、最近はいわゆる書き下ろしの単著、つまり、その本のためだけに原稿を新たにひとりで書いたという形のものはほとんど見あたらないことに気付かされる。たいていの本は何人もの人が分担執筆していたり、ひとりの人が書いていても、それまでに色々な雑誌に掲載されたものをまとめたものや、それらに加筆訂正したという形のものが多い。これは、創造的な出版人、編集人が減ったという問題でもあるが、やはり書き手の能力の減退傾向を示すものだろう。
 文章で意見を正確かつシンプルに伝えることの重要性はいうまでもない。とりわけ、福祉の世界で指導的な立場な立つ人々にあってはなおさらである。文章を書くということは、自分の考えや意見をまとめることである。その過程では考えや意見の曖昧さが問われることになる。話すのと違って、いい加減さが許されないのである。また、論旨がまとまれば、必然的に文章は簡潔になるはずである。冗長で、もってまわった言い回しには嘘があるのである。これからは、福祉関係の様々な資格制度の試験や研修などには、文章の書き方講座のようなものをぜひとも設けていただきたいものである。

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 福祉関係の研修には「文章の書き方」講座のようなものを設けてほしいと前回書いた。ついでにいうと、福祉の関係者の研修にはそのほかにも色々とつけ加えてはいかがと思われるものがある。
 たとえば、それは挨拶や電話のかけ方から始まって、世間の一般企業などで入社の際にたたきこまれる類のものである。つまりは、直接的にはあまり福祉的あるいは福祉技術的ではないことがらである。
 大学に入って朝から晩まで福祉を勉強して(そんなに勉強しないか)、受験技術だけで社会福祉士の資格でもとって、職場にはいれば途端に先生と呼ばれてしまうのであるから、そうした社会勉強をする機会なんかないのは当たり前である。しかし、学校の教師でさえ、最近では教職免許取得過程で福祉現場での研修が必須とされ、夏休みには企業での研修があったりするのだから、福祉の関係者にも、その種の研修を義務づけてもなんら不思議はないのである。
 そして、その際には、是非ともビジネスというかお金の感覚というようなものを学んでいただきたいものである。福祉といえば、利益追求とは正反対の仕事であり、利益を生み出すことはまるで悪いことのにように思われている節があるが、そんなことはないのである。
 いいサービスを利用者に提供することは、企業的にいえば顧客満足度を高めるということであり、そのことは最終的には金銭の形で戻ってきてなんら問題ないのである。いやむしろそうあるべきなのである。福祉関係の仕事というと薄給で当たり前みたいな感覚は、福祉関係の仕事を聖職とみなしているのと同様に間違った考えである。
 社会福祉基礎構造改革というのも、本当はそのあたりの意識改革と結びつけることができれば、本当の基礎構造改革といえるようになるのではないかという気がしている。
(前回の掲載の際に編集子から「つぶやき」ではなくて「吠えている」とのご指摘をいただきました。あいかわらず、「吠え」ててすいません。次回からは「つぶやき」ます。)

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 色々な集会や学会などで毎日のように本を売っているが、お客様との関係は、本の売り買いに関する「これください」「○○円です」だけで終わるわけではない。様々な人々が立ち寄り、様々な会話をかわしていく。
 たとえば「俺、未払いの金あるかな」などと話しかけてくる常連さんもいる。「おい、ちゃんと食えてんのか」などと心配してくださる昔からの知り合いもいる。「今度、集会があるから売りに来てよ」という貴重な情報をもたらしてくれる人もいる。
 そんな中には講師の先生などで、毎週のように顔を合わせる人もいる。先日も、その一人に「僕は単身赴任だから、女房の顔よりも君の顔を見る機会のほうが多いくらいだよ」と言われた。こういう人になると、どんな傾向の本を買うかはもちろん、講演の中身やよく使うジョークまで知っていることになる。それどころか、その人が講演の際に着る服を何着もっているかまでわかってきてしまう。(ここだけの話し、不倫相手まで知っている某大学教授もいるくらいである)
 また、なかには関係者同士の確執や人事抗争の話しなどというスキャンダラスな話しを伝えにくる人もいる。あるいは公表されていない行政の最新の情報など、極秘ともいうべきことがらについて伝えにくる人もいる。
 こういう人たちは、話しの内容の性格上、誰とでも話すというわけにはいかないのであるが、その話しをしたくてたまらないのである。その点、本屋というのは、何にも知らないわけではないから話しの相手にはなるし、とはいっても直接の利害関係者ではないから話しをしても安全牌という感じがして話しをしやすいのだろう。
 こうなると、こちらは単なる本屋ではなく、その役割は業界関係者がよく立ち寄る場末のバーの止まり木、時には現場の戦士にとっての砂漠のオアシスともいうべきものなり(ちょっと大袈裟か)、その対応の際の語り口はベテランのバーテンダーかスナックのチーママのようになる。曰く「本当、さすが○○さん」「まあたいへん、恐ろしいわあ」「いやあねえ、やっぱあの人ってそういう人だったの」(なんで女言葉ばっかりなのか)・・・。
 こういう話しは本当に興味深く、面白い。こういう話しを聞かせていただく時は、本屋をやっててよかったなあとさえ思えるくらいである。しかし困るのは、こういう人たちは、だいたい話しばっかりであまり本を買っていかないということである。

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本をお買い上げくださるお客様の中にはいくつかの共通した傾向ともいうべきものが観察されることがある。
 たとえば、本を買う時に、平たく積まれている本の山の一番上に置かれている本を買うのではなく、その下、あるいは、もっとずーっと下の本を抜き出して買うというのもそのひとつである。これをお読みの方々の中にも同じような習慣をおもちの方は多いのではないだろうか。
 そうすることの心理は、「一番上にある本は他のお客様に何回も手にとられていて汚れているので買いたくない」というところであろうか。確かに、ふつうの本屋だったらそういうこともあるかもしれない。しかし、スペース96は集会のたびに何回も本を箱から出したり、入れたりということを繰り返しているので、本の並んでいる順番は年中いれかわっていて、残念ながらこうした心理にこたえるものとはなっていない。
 先日も、お客様が、上から2冊目の本をぬきだした。しかし、迷った末にその本をまた山の上に戻してしまった。通常、上から2冊目の本を抜き出すということは、売り上げほぼ確定のサインだから、こちらは内心ほくそ笑んでいたのががっかりさせられた。しかし、その後で、同じお客様が戻ってきて「やっぱり買うわ」といって、また、上から2冊目、つまり、さきほどは山の一番上にあった本をお買い上げになっていったのである。(わかりにくい話しですいません)
 こういう人々は、本当に本が汚れているかどうかを心配しているのではなく、「一番上の本を買わない」という点にそのこだわりをもっているのである。だから2冊目(もしくは、それより下にある)の本をぬけば、それだけで安心して、さらにそのうえ、その本が果たして汚れているか否かということを確かめるということはないのである。
 こういうお客様の心理につけこんで、本の中身には何の問題もないが外見上「難あり」「わけあり」のような本をわざと山の2冊目に置いておくようなあくどい本屋もいるという噂(あくまでもウワサです!)をきいたこともあるので、ご用心あれ。

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 もうひとつの共通して見られる傾向は、スペース96が本を並べて販売している前にきて、本を買わないことに対する「言い訳」をされるということである。曰く「買ってもどうせ読まないからなあ」「こないだ買った本もまだ読んでいないし」「買うと重たいからなあ」「後で施設で買ってもらおうっと」「うひゃー、高い!」等々。
 スペース96は呼び込みもキャッチセールスもやることはないし、尋ねられない限り、本をお薦めすることもない。だから、本を買うか買わないかはまったくお客様の自由なのだが、どうしてわざわざ、問わず語りにこういう「言い訳」をされるのか、こちらとしては不思議な思いで聞いている。そういう「言い訳」をされる裏には、おそらく「本を買わないで、不勉強なやつだと思われるのはいやだなあ」という思いがあると思われる。(そう思われたくないなら買えばいいじゃん!)
 このような、本を「買わない言い訳」の心理というのは皆さんにもわかりやすいであろう。しかし、本を「買う言い訳」もあるというと、「買うのになんで言い訳が必要なの?」と思われる方も多いのではないだろうか。
 この「買う言い訳」でよく耳にするのは、「この本、前にも買ったのに、誰かに貸したら戻ってこないんだよなあ」というものである。本当は貸した本が返ってこないのではなく、今さら初歩的な本を買うのを知られることに対する照れ隠しかもしれないが・・・。「おれだったら、貸した奴に返してもらうけどなあ」と思いつつも、当社の販売促進に貢献してくださった誰かさんに感謝しつつ販売させていただく。
 「見ると買っちゃうんだよなあ」と言いつつお買い上げなさるお客様も多い。筆者自身もかつてはそうであったのでよくわかるが、あんまり本をたくさん買うことを他人に知られるというのはなんとなく照れくさいものである。しかも、どんな本を買ったかまで知られるというのは、自分の裸をさらした気分に近いものがある。
 「買うとそれだけで安心しちゃって、結局、読まないんだよなあ」と言いつつお買い上げなさるお客様も多い。ついにスペース96はお客様に安心を売る癒し系書店になったかと思わされる一言であるが、書店としては10冊買って3冊読むというイチロー程度の打率をキープしていただければありがたいところである。

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 お客様の中に、時々以上頻繁以下くらいに見られるもうひとつの傾向は「あたしこの人知ってます症候群」ともいうべき傾向である。この表現をきいて、いったいなんのことかと思われる方も多いのではないだろうか。
 たとえば、よく売れている本を手にして「このあいだ○○君(その本の著者のこと)とも一緒に飯を食ったんだけど、そういえば、今度こんな本出すなんて言ってたなあ」などと言いながら、その著者と自分は知り合いなのだということを、それとなくという雰囲気を醸しだしつつも、その実ねっちりと自らの存在をアピールしたがる方々である。本の著者だけではなく、講演をしている講師と自分との関係をアピールしたがる方々もたいへん多い。こういう人々が「あたしこの人知ってます症候群」別名「だから僕ってすごいで症候群」に属す人々である。
 福祉自体がたいして大きな業界ではないし、さらにその中でも障害福祉の業界は保育、高齢者についでようやく三番手くらいのマーケット規模の世界である。そんな中で本を書ける人や講師をやるような人々はある程度限られている。そのうえ、どんな本でも同じテーマであれば同じ様な書き手で、どんな集会でも同じテーマであれば同じ様な講師陣で、金太郎飴状態とさえ陰口をたたく人がいるほどのチョー人材不足業界である。だから、そんな人々をたとえ親しく知っていてもたいした意味はないし、外の世界にでれば「誰それ?」といわれるのがおちである。こういう傾向は、おそらくは心理学や社会学などでは、きっちりと定義もしくは診断を下されている、多かれ少なかれ誰にも共通して見られる性向だとは思われるが、有名人との関係をもっているというだけで自分も同一化して見られたいというような傾向は福祉の世界にあっても確実に存在するようである。
 もちろん、引き合いに出される著者や講師は有名でなくてはならない。黒縁メガネでチョビひげはやしたエプロン姿の本屋のおやじなどを知っているといっても、「だから?」と首をかしげられるだけで意味がないのである。そんなことから、東北の某県の知事などはご本人の知らないところでしばしばその対象とされている。筆者なんか何回もこの知事と親しく酒を飲んだこともあるのだが・・・あれ、この症候群は感染するのか?!
 とまれ、ほんと、そんなこと本屋の前で「自慢」してもしょうがないと思うんだけどなあ。

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 本屋をやっていてしばしばされる質問のひとつに、「どういう本がよく売れるの?」というものがある。この質問は、正確にいうと「どういう形態・タイプの本が売れるのか?」という意味である。以前「最近、どの本がおすすめ?」という質問にまつわる話しを少し書かせていただいたが、これは実際に売れている本は具体的にどれかという、いわば本の内容にまつわるもので少し質問の意味が異なっている。
 どういう形態・タイプの本が売れているか、その答えを一言でいうと、いわゆるマニュアルもの、ハウツウものと呼ばれるものである。つまり、そこに書かれている内容が職場でそのまま活用、転用できるようなものという意味である。福祉現場のサービス提供における個別性が叫ばれる中で画一性と共通性を基調とするマニュアル本、ハウツウ本が売れるとは時代の流れに逆行しているようであるが現実はそうである。しかし、個別性重視を伝えるためのマニュアル本なんてなんか形容矛盾しているような気がするのだが・・・。
 これらの本にしばしば見られるのは、そのタイトルに「○○のABC」「○○入門」「○○実践マニュアル」「はじめての○○」「○○Q&A」「よくわかる○○」「わかりやすい○○」「図解○○」「絵でわかる○○」「必携○○」「○○ハンドブック」などと冠されていることである。ダイレクトに「HOW TO ○○」というのさえある。巷でも「猿にもわかるインターネット」などというように題された本が売れていたりするが、あの類である。
 そのうえ、1テーマにつき見開き2ページ完結読み切り型で、必要に迫られた時にどこから読んでもいいとなればなおいい。さらに、やさしい文章で、小見出し、写真や図が多ければなおさらいいということになる。忙しい現場の人々は難解な長文を継続して読み続けることが困難となれば、これも、読者のニーズにあわせた、つまり顧客満足度を高めるために出版社がクリアーすべき目標のひとつともいうべきか。そこには、文化と教養を伝える出版社のイメージとはほど遠い本作りの姿が求められているのである。
 逆にいうと、高邁な理念や哲学について書かれた本は本当に売れない。また、一般に翻訳ものや海外事情紹介ものというものも売れないというのが実感である。これは、いくつかの大手出版社の関係者からも同様の感想を得ている。先日、大手取次店のひとつであり人文科学系の本の取り扱いを中心とした鈴木書店の倒産が伝えられたが、スペース96の本の売り上げからも、さもありなんと頷けるニュースであった。

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 スペース96が売っている本の中には雑誌もある。雑誌の購入の方法には年間定期購読というものがある。読者の皆さんも、日本てんかん協会の会費を払うことで、本誌を受け取っているのである。当然、前払いである。しかし、これが当然でない世界もある。それはお役所もしくは国立大学などお役所に準じた公的機関である。
 お役所は、雑誌の定期購読代などは、購読期間の最後の号が納品されてからでないと購読料を支払ってくれない。4月号から購読を始めて、翌年の3月号が届けられてはじめてお金を払うということである。その理由は「納品が確定しないうちは支払えない」というものである。
 定期購読料を後払いされると、書店は発行元の出版社に対して立て替え払いを強いられることになる。出版社だって、直接購読の読者から「1年後に支払います」といわれたら経営が成り立たなくなってしまう。
 しかし、それが「お役所の掟」(という故宮本政於さんの本ありましたねえ)というものである。先日も、厚生省からの天下りで某障害者団体に勤務する方と話していたら、長年の役所勤めの経験から、そうした後払いシステムをまったく疑わず、世間ではすべてそうなっていると思いこんでいるのを知らされ驚かされた。この人は、自分で雑誌の定期購読などしたことがないのだろうか。
 役所の本の購入の仕方には他にも首をかしげたくなることがある。
 たとえば、消費税の処理である。消費税は、本体価格によっては、正確に計算すると小数点以下の端数が出てくる。この消費税の端数の処理は、税法上は切り捨てでも切り上げでも四捨五入でもよいことになっている。しかし、役所は切り捨てしか認めない。そのため、たとえば四捨五入方式で請求を行うと、数円単位で、請求金額が役所の計算基準とは異なってくることがある。そのため、わざわざ、役所のためだけに切り捨て方式での請求書を再発行させられることもある。
 「1円にもこだわる」といえば、血税を管理しつつ働く者の姿としては立派だと感じられるかもしれない。しかし、その1円をあわせるために、何十倍ものお金をかけて、長距離電話を何分もかけてきたり、あるいは郵便で書類を送ってきたりするのである。結局は書類のための書類仕事に血税は費やされる結果となっているのである。

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 消費税の話しに関連しては「消費税の記入は認めない」という不思議なお役所もある。消費税を支払わないというわけではないのであるが、消費税という独立した表記を認めないというのである。その理由はよくわからないが、世間では、ほとんどが本体価格と消費税額は別書きなので、このお役所に請求する企業などはおそらく大半が書き直し、それも、こうしたイレギュラーな処理は電算処理できないために手書きで処理を迫られるということになるのである。いうまでもなく、こうしたやりとりもすべて経費がかかるため、千円程度の本をお役所に購入してもらうと、利益が薄いどころか足がでてしまうことすらある。
 もうひとつ、しばしばあるのは「送料を認めない」というものである。スペース96では、発送手数料ということで冊数、地域にかかわらず全国一律350円を請求させていただいているのであるが、こうしたものを認めないのである。これも、消費税の別書きを認めないのと同様に、送料を支払わないというのではなく、送料という別書きを認めないというのである。どうやら、そういう経理科目を認められてないのか、その分は本代に上乗せして請求してくれといわれるケースが多くある。
 公的機関が銀行振込なのにも驚かされる。以前に比べれば安くなったとはいえ、銀行からの送金手数料は決して安くはない。当方の用意した送金手数料加入者負担の郵便振替用紙を用いれば、1円もかからないのに、わざわざ高い振込手数料を使って振り込んでくる。さらには、その通知を事前に葉書で送ってくる。まさか、銀行に対する公的資金の投入として行っているわけではあるまいが、これらはすべて税金である。あるお役所など、送料だけ独立した請求書として提出させ、本代とは別に送料だけを銀行振込してくるのだから、さらに驚かされる。
 請求、支払いのためには、その機関独自の様式を用いなくてはならないということも多い。しかし、その様式はすべてバラバラで、なかには同じ請求書を2通書かせるという不正の温床ともなるようなことを堂々と要求してくるところもある。これらは、いずれも手書きの記入となる。
 代表者の丸印というのを死ぬほど大事にされるのもお役所である。しばしば、丸印がないというだけで請求書の再発行を求められる。それでいて、捨て印などという白紙委任状に近いことも要求してくるから不思議である。
 「規制緩和」や「構造改革」というのは、この辺のことは改善してくれないのだろうか。

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 スペース96では年間170回ほどの集会や学会に本を売りに行くが、その会場となる場所には公立の建物も数多く含まれている。たとえば○○県立××公会堂などといった所である。あるいは、最近ではカタカナ名称を冠しているために一見わかりにくいが、実は中央省庁の外郭団体(「天下り先」と読む)が運営する建物などである。
 こういう場所の多くは、その建物が決めた開館時間にならないと決して開館してくれない。たとえば9時開館と決まっていれば、NHKで9時の時報がならなければ絶対に開けてくれないときている。たとえ入り口の前で多くの参加者が寒空のもとで待ちわびていても、建物の職員はそれを視野の片隅に入れながら暖房のもとで熱いコーヒーカップをかたむけ続け、時間がくるまで開場ならぬ開錠さえしてくれないのである。一度など、外で待たされていた参加者が怒ってドアを足蹴にして大騒ぎとなったことさえある。
 こういう場所では、9時の開館で9時から始めるプログラムなどの設定をしてしまうと大変である。その準備をする時間がまったくなくなってしまうからである。そのことが事前に判明したので、前日の晩に準備させてくれというと「では、その分ご請求させていただきます」とくる。
 そういう所は当然、終了の時間についてもうるさい。5時といえば5時、6時といえば6時シャープである。ある会館では、時間になるとエレベーターさえ止められてしまうのである(ここは、そもそもエレベーターを動かしてもらうのにも許可がいるのであるが)。日曜日だというので電気もきられていた国立大学もあった。
 そのことを事前に知らされていればいいが、終了間際になって「約束の時間には現状復帰で完全に退出していただきます」などと突然言われるとモー大変である。あわてて片づけのために本を箱詰めしているそばで、掃除のおばさんが早く出ていけとばかり箒でせきたて、出口では、腕時計にチラチラと目をやりつつこれ見よがしにキーチェーンを振り回す守衛さんがじっとこちらを見つめるというシチュエーションになってしまう。
 関連してはもっとひどい話しもある。会議の前日着で会議資料を会場(愛知県内の当時の労働省の外郭団体が運営する建物である)あてに宅配で送りつけていたところ、「事前に聞いていなかった」といって主催者の事務局がある東京へ送り返してしまった会場があったのである。その時は、約四百人の参加者を前にして青ざめた主催者をはじめ関係者一同唖然であった。

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 (大袈裟にいうと)障害福祉図書の専門書店から見た、知られざる福祉ワールドをえぐり出すというのが本コーナーの趣旨だったのだが、ここのところ、福祉というよりはお上的体質の呆れ話しばかりになってしまっていて申し訳ないが、そのついでにもうひとつ。
 スペース96でも取り扱っている本で、福祉の関係者に必携ともいうべきもののひとつに、「○○六法」あるいは「○○関係法令通知集」という類のものがある。これらの本が2年ほど前に新聞でやり玉にあげられたのをご記憶だろうか。それまで、この類の本はたとえば「厚生省○○局監修」というような名前のもとに出されていたのであり、出版社からは、当然、その監修者に対して印税が支払われていたのであるが、この印税収入を収入申告していた者がいなかった事が問題とされたのである。
 そこで税務署は出版社に対して印税を支払っている者の名簿を提出するように求めたのであるが、出版社は「支払ったに相手に迷惑がかかるから」という、まったく理解できない理由でその名簿提出を拒否したのである。ある出版社などは、印税を受け取った者が支払うべき税金を肩代わりしてまで名簿の提出を拒否したりしたのであった(こんなことを認める税務署もおかしい)。あらまし、こんな話しであった。つまりは、印税はもらったが、それに対する税金を支払っていない者がいたということである(ふつう世間ではこれを脱税と呼ぶ)。
 こんなことがあったものだから、最近ではこの類の本は「○○法研究会」とか「○○運営検討会」などという、聞いたことのない団体名による監修とか編集という形で発行されるようになった。しかし、その本の中には、その団体の代表者も連絡先も記載されていないのである。結局は、ただ省庁の部局名を出さなくなっただけのことである。
 こういうことを後追いして記事にしない新聞のていたらくにも呆れるが、それ以上に呆れるのは、この類の本の内容は行政担当部局の者が仕事の一部として処理しているもの、仕事として集計している統計データなどそのものであるということである。これに対してはきちんと給料が支払われているのであるから、さらにそれを出版社から発売して印税をもらうということは、いってみれば給料の二度取りみたいなもので、そのこと自体がどうかしているのである。印税をきちんと収入申告しているかどうか以前にもっと大きな問題があるということである。

30*********************************************************
 この原稿を書いているのは3月で、福祉関係の機関、施設などにとってはほぼすべてで3月が年度末となっている。年度末となると、予算消化で道路工事が集中して渋滞がおこるなどということがあるが、書籍の購入に対しても似たようなことがおこる。
 つまり、年度当初に書籍購入とか資料費などという科目で予算計上していたにもかかわらず、年度末近くになっても、その金額が支出されていないためにあわてて書籍を購入しようというわけである。とりわけ、公立の施設などでは、支出金額が予算を下回っていると当該科目の翌年度予算が削られてしまうという理由で、必死に予算を消化しようとする。
 「予算が一万二千四百五十円余っているのだが、それにあわせて何か適当な本のリストを送ってくれないか」などという電話が数多くかかってくる。やっと、それにあわせた本揃えができたところ、予算を三十円オーバーするという。こちらは、(ハッキリいって面倒くさいので)「じゃあ値引きしておきますから」というと「それでいいか上司の決済をあおぎます」などとくる。おまえのこの長電話の料金はもうとっくに三十円以上だぜと言いたいところだが、ぐっとガマンの子である。そのうえ、「送料の350円というのは予算上認められないので、電車にのってとりにいく」などとおっしゃるお客様も。もちろん、電車賃が350円以上であることは言うまでもない。
 3月中に本がそろわないとなると「とにかく請求書だけ送ってくれ」というところもある。こういうところは本を送らなくても送金だけは3月末までにしてきてくれるというありがたいお客様である。4月に入ってから、「3月の日付の請求書をくれ」などといってくるのはいい方で、なかには、勝手にお金を振り込んできて「あとで、金額にみあった本を何か適当に送ってくれ」といってくるお客様もいらっしゃる。こうして購入された本は読まれることも活用されることもないのだろうなあと内心思いつつ本をお送りさせていただく。こういうところは、もしかすると、後から正直に本なんか送らなくても何も言われないのかも知れないが・・・。
 まあ、年度末の予算消化というのは本屋にとってはありがたいお話ではあるが、釈然としない話でもある。年度末間際まで本を購入しなかったというのは、いうまでもなくその必要がなかったということではないか。それなら、無理に買わなくてもよいのではないだろうか。

31*********************************************************
 スペース96では 北海道から沖縄まで、基本的には車に本を積んで売りに行く。ただし、沖縄だけは飛行機だ。その場合、本は宅配便で送ることになる。それも、この間までのことで、最近は激安航空チケットが売られているので、沖縄以外の場所にも飛行機で行く機会がふえてきた。なにせ、札幌往復にホテル一泊つきで1万5千円くらいのものがあるのには驚かされる。
 沖縄まで本を売りに行くというとよく驚かれるが、先日はついに宮古島まで売りに行った(もうしばらくはやらないでほしいなあ)。最近は本屋としての顔が定着して、どこへ行く場合もたいてい本屋なので、本売り以外のことで集会場にいると(そういうこともあるのです)「今日はどこで本を売ってるの?」としばしばきかれる。ちょっと前など韓国のソウルで開かれた国際会議の会場にいたところ(その時は分科会の司会の仕事をしていたのである。英語でだぜ、エヘン。)「あれ、今日はどこで売ってるの」に続いて「やっぱこういう時は関釜フェリーを使うの?」と真顔で尋ねられたのにはまいった。でも、日本人参加者が沢山いたから、本を売ってもよかったかなあ・・・。
 「沖縄や北海道まで売りに行って儲かるのか」としばしば尋ねられるところであるが、その返事は「いいえ」である。前にも書いたが、本の利益率というのは2割から2割5分の間くらいである。そこから、ガソリン代、高速代、出張費などをさしひいていくと、遠隔地に行く場合には相当な売上げがないとペイしないことになる。
 前にも書いたが、ひとつひとつの集会にかかる経費とその売上げを比較した場合にバランスする(つまり儲けがでる)集会というのは全体の3分の1から4分の1程度ではないだろうか。しかし、様々な理由や人間関係から儲かるとわかっている所だけ行って、儲かる見込みのない集会には行かないというわけにはなかなかいかない。つまり、オイシイトコ取りだけはできないのである。
 だから、よく「何人くらい集まれば来てもらえるのか」とも尋ねられるのだが、それに対する明確な答えや基準はないのである。札幌の100人くらいの学会に行ったこともあるし、前述のように200人程度の宮古島で行われた集会に行くこともあるのである。まれに「ホテル代や飛行機代はお出ししなくてよろしいのでしょうか」ときかれることもあるが、そういう時は「今回は勉強させていただきますが、次回からはよろしくお願いします」と答えることにしている(冗談ですよ)。

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 研修会や学会の会場で書籍を販売することに対して、販売手数料いわゆるショバ代を要求されることがある。
 ショバ代の「取り立て方」は様々である。そのひとつは定額というものである。学会などと称するものに多いのがこの形式である。とにかく販売に対して何万円という形で請求されるのである。定額ものの変形に机1本いくらというものもある。あるいは、販売の条件として大会要綱などに広告掲載を義務づけるというも形のものもある。(その日限りしか用のないプログラムに広告を載せたとしてもその効果は知れているのだが)
 今年の夏に横浜で行われる精神障害関係の国際会議のブース代などは三メートル四方で十万円というので出店をあきらめざるを得なかった。十万円というのは本を五十万円くらい販売してやっと得られるお金である。それをショバ代でもっていかれてしまうのである(ヤクザがキャバレーから取り立てている話しみたいに聞こえるでしょ?)。スペース96では行かないが、高齢者や保育関係の大規模な集会では机1本十万円などというものもあるときく。
 定額方式でないものには、売り上げに対するパーセンテージ払いがある。前にも書いたが、書籍の粗利率(売り上げマイナス仕入れ価格)は2割から2割5分程度というものである(1万円売って、もうけは約二千円から二千五百円程度ということ)。だから、せいぜいお支払いできる限度は売り上げの三から五パーセント程度である。三から五パーセントというと、たいした金額ではないと思われるかもしれないが、それを利益に対する割合に計算しなおすと、粗利益(本当の利益ではないのですよ)の四分の一くらいになるのであるから、支払う側にとっては厳しい数字である。
 しかし、主催者のなかには平然と「売り上げの二割を支払え」などといってくる方もいらっしゃる。これでは、こちらは生きていけない。売り上げの二割などと要求される方は、前にも説明した書店と出版社の違いというのを理解されていない方である。いうまでもなく、出版社は自分で作った本を売るのであるから、売上げはすべて自分のものになる。そのうえ、通常は取次と呼ばれる卸し業者に三割引きくらいで卸しているのであるから、二割をショバ代として支払ったとしても、普段よりはよっぽどもうかるくらいなのである。ここはひとつ出版社と書店の違いを理解してもらいたいところであるが、残念ながら福祉の関係者の方々にはほとんどお分かりいただけないようである。

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 高いショバ代を支払うというのは、もちろん、物を売る側としては嬉しいことではない。しかし、考えてみれば、主催者が金と時間と労力をかけて設定し、集客したところで商売だけして帰るというのは、よほど理解のある主催者は別だが、それ以外の多くの主催者にとっては迷惑なことかもしれない(「かも」じゃないか)。それに対して、書籍販売は参加者に対する情報提供として意義のある必須なものだからなどと理解を求めるというのはさらに迷惑な話しなのかもしれない(これも「かも」じゃないか)。
 考えようによっては、ショバ代を支払うというのは、主催者との間でビジネスライクにことを運ぶという意味では確かにいいことかもしれない。ビジネスライクというのはギブアンドテイクということである。こちら側がお金を支払ったのなら、せめて人の動線上で販売をさせてくれるなどの配慮があってもいいのではないかと思うのはこちらの身勝手であろうか。(駐車場を確保しろとか、ましてや宿泊費や食事を出せなどとまでは決して申しません)
 しかし、どうやら最近の集会や学会の主催者の多くは、ビジネスライクというよりは、「とにかく、物を売りにくるやつからは金をとる」ということしか頭にないのではないと思われる。お金をとったうえで、何かを配慮していただけるというようなことは皆無といってよい。金をもらったって、福祉なんだから当然というのであろうか。こういう人達は支援費制度のもとでのサービス提供などということを本当にご理解できるのだろうかと思わず首をひねってしまう。むしろ、そうしたショバ代を要求しないような主催者の方が、よほど、本を販売することに対して様々な配慮をしてくださる。
 ある大会では、こんなこともあった。主催者があちこちに声をかけてしまった結果、会場にいくつもの書店や出版社がたちならび、それぞれに同じ本をならべて売るというようなことさえ現出してしまったのである。こうなると、販売にでかけていった多くの者が共倒れである。
 先日も、大きな大会の前日の夜に搬入ということで、その前段階として多くのボランティアとともに会場作りを手伝わせていただいた。すると、そこの作業をしきっている人が(こちらが誰とも知らないものだから)「ここはギョーシャの場所だから、机だけ出しておいて後は勝手にやらせればいいの」と、その語調がいかにも物を売る者を毛嫌いしている風であったのにはウンザリさせられた。僕って嫌われてるんだなあ・・・。

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 スペース96は一年に約170回ほどの全国各地で行われる集会や研修会にお邪魔させていただいているわけだが、当然そのプログラムについても知ることになる。この種の集まりに参加された方はご存じだろうが、これらの多くのプログラムは似通った構成になっている。
 主催者挨拶、来賓挨拶(自治体関係者、時には政党関係者なども)、祝電紹介などがあり、それに続いて基調講演(運動系の主催者の場合には基調報告と呼ばれることもある)もしくは記念講演などというものがある。そしてシンポジウムとかパネルディスカッションあるいは分科会などと続くのである。
 この両者にはさまれる形で行政説明といいう名のもとに厚生労働省の担当者が施策の動向について報告するという形もしばしば見られるものであるが、最近ちょっと驚かされたのは、この行政担当者による説明を基調講演と称す主催者がいたということである。それも、どちらかといえば運動的要素の濃いような主催者による場のことだったのには首をひねらされた。こうした現象は、正確にはなんと呼ばれるのか知らないが、日本の社会に深くしみこんだオカミに対する意識を反映したものと思わざるをえない。
 お役人の話を基調講演と呼ぶところもあるくらいだから、お役人、とりわけ中央省庁からのスピーカーに対する主催者の対応はVIP扱いともいえるくらいである。送迎、弁当、謝金から宴会まで、横でみているとその気の使い方は相当なものである。
 こうした対応が見られるのは、なにも中央省庁のお役人に対してだけではない。とにかく「本部的なるもの」「中央的なるもの」に弱いというか、過度にへりくだった態度をとっているのが見受けられるのである。以前にご紹介した、わたしたち本屋をはじめとするギョーシャに対する高圧的に態度とは大違いである。
 先日も、ある中央団体の役員がドタキャン(土壇場でキャンセルすること)したかわりに、右も左もわからない新入女性職員に挨拶文をもたせたところ、その女性に対してまでVIP待遇であったのには端で見ていて苦笑させられたものである。施設の現場などでも、利用者に対してああいう態度で日々接してくれれば、さぞやすばらしい実践ができるのではないかと感心させられたものであった。

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 基調報告もしくは基調講演とならんで、ほぼどの集会や研修会につきものなのが記念講演である。その内容は多くの場合、主催者にとっての重要課題や集会のテーマに関連したもので、なおかつ著名人によるものが多いのであるが、そうでもないものもある。たとえば年1回の大会で、毎回、全国各地もちまわりというパターンになると、なぜかそのご当地に関連する文化教養的内容の講演が多くなる。たとえば、「○○地方に伝わる××奇譚について」などと題した、およそ福祉とはかけはなれた内容のものがそれである。
 そのことの是非はここではどうでもいいのであるが、こうした記念講演をはじめとするスピーカー、講師の執筆になる本が講師本(こうしぼん)と呼ばれるもので、本屋の売り上げを大きく左右するものである。当然、事前の調査に基づきこれら講師陣の著書は用意させていただくのであるが、必ずしもそれが予想どおりに売れるとは限らない。
 なかには、主催者をつうじて「集会の当日に自分の著書を必ずおいてくれ」と依頼してくる講師もいるが、こうした講師の著書が売れるともまた限らない。それどころか、講師の中には、自分の講演の中で、陰に陽に、あるいは直接に、ほとんどあからさまに、時には本を売っているこちらが聞いていても恥ずかしくなるくらいに自著の宣伝をされる方もいらっしゃる。その「手口」たるや、話しの中で突然「詳しくはこの本の○○ページをみてください」などと告げるというのは序の口、最近ではパワーポイントを用いて突然、自著の表紙の写真を大写しにして「あれ、どうしてこんな写真が入ってるのかなあ。ま、ついでだから紹介しておくけど・・・」などと続けるという高等テクニック派の講師もいらっしゃる。
 こうした涙ぐましい販売営業努力さえ本の売り上げに資するか否かは確実ではない。本が売れるかどうかは、やはり話しが面白いか否か、あるいはその講師が聞き手に対して魅力を感じさせられたか否かに大きく左右されるといってよい。記念講演のどんなに著名な講師であっても、聞き手の笑いひとつ誘い出せなかったような場合は、山と用意した著書もその高さを減らすことはないのである。逆に、無名な講師であっても軽妙な語り口で聞き手の共感を誘うことに成功した講師の本は、本屋の予想をさえこえて売れることもあるのである。

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 とはいうものの、やはり講師やスピーカーの本が売れるというのはかなりの確度でいえることではある。講師の著書を司会者が紹介しようものなら、その後の休み時間の売り上げはかなり期待できるところとなる。さらに、著者がサインを行うなどとなれば、時には本を買い求める人たちが殺到してパニック状態とも呼べるような状態さえ現出することもある。
 このサインというのは不思議な魔力をもったものである。
 ある集会で、さる高名な作家で出家をされた女性による記念講演があった。ところが、多数の参加者にもかかわらず、講演の後もまったくといっていいほど本は売れなかった。しかし、少し時間が経過した頃にこの講師がたまたま書籍販売の横を通り過ぎ「あらアタシの本を売ってるの。じゃあ、サインでもしましょうか」と申し出てくださり、通りすがりの人にサインをする旨を告げた途端に山にようにあった本が一瞬にして売り切れてしまったのである。
 サインをすれば売れるというのは、なにもこのような著名な作家の場合だけではない。福祉関係の講師の場合でもそうなのである。どうしてサインをするというと本を買う気になるのだろうか。単なるミーハー感覚によるものなのだろうか。こちらとしては「ブックオフに売りにくくなるのじゃないのかなあ」などと余計な心配をしつつも「ま、売れればいいか」とほくそ笑ませていただく。
 しかし、サインをしたからといって必ずしも売れるとは限らない。
 こんなこともかつてあった。それは、作家としては中堅どころで時にはテレビの自然派的な番組などでもレポーターとして活躍している某氏の記念講演であった。参加者が千人をこえているということもあり、多数ある著書の中から著者自身が指定された著書をそれぞれ百冊ずつくらい用意したのであった。事前の打ち合わせの場所では、山と詰まれた本を前にして「君らは(こんなにサインさせて)僕の肩をこわす気かい?」などと軽口をたたかれていたのであるが、講演が終わった途端、その記念講演が最後のプログラムだったこともあり、参加者は脱兎のごとく会場から出ていってしまい、サインを求める人は皆無に近い状態であった。あわてて主催者が関係者を強制的に並ばせたものの後の祭り。本人は大恥をかき、本は山のように残ってしまったのであった。

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 本屋をやっていると、年間では相当数の人数の人々の前で販売を行わせていただくことになるので、かなり多くの人々に顔を知られてしまう。こちらも、可能な限りお客様の情報を、それも顔だけでなく、名前や仕事などもインプットしようとしてはいるのだが、人数が膨大なうえに、当方の減退しつつある記憶力の問題も重なりすべての人々を記憶することは到底不可能になっている。
 困るのは、本を売っている時にしばしば「先日はどうも」と声をかけられ、相手の顔に見覚えはあるものの、どこでどうお世話になったのかさっぱり思い出せない時である。何かの集会の主催者だったのか、あるいは、何かまとまった注文をいただいた方だったのかなどと必死に思いをめぐらす。しかし、どうしても思い出せないままに、「あの時の人かな」などと思って適当に話しをあわせていると、途中で話しが食い違うことから全然違う方であることに気づかされて冷や汗の時もある。
 話しはなんとか調子をあわせたまま無事やりすごしたものの、最後に「じゃあ、この本、いつもの所に送っといて」などと言われた時はつらい。今さら「どちら様でしたっけ」と聞くわけにもいかない。苦労して相手の名札に書かれた名前と所属を盗み見たり、「発送は別の部署で行うので、念のために」などと言い訳しつつ名刺をいただいたりする。
 時には、毎週のように同じ参加者の方に連続して会い、その方から「いったいオマエはどこに住んでいるのか」「家族はいるのか」などと警察の取り調べで詰問されるごとく尋ねられたこともある。それは本とは関係ないだろうと内心で思いつつ、こちらも、同じ質問をしたいところではあったが、そういう時は「実は双子でして」などと笑ってごまかしたりするのであるが・・・。
 それにしても驚かされたのは、先日、電車の中で突然「本屋さんでしょ」と声をかけられた時であった。それも、こちらとしては、全然、見覚えのない方だったのである。まるで、何かのドラマの始まりかとさえ思わされる一瞬ではあったが(アホか)、あまりの突然さに、おどおどと「ええ。はい」と言っただけで終わってしまい、ドラマも物語も始まらなかったことは言うまでもない。

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 いやいや、もっと驚かされたのは唐突に「読んでますよ」などと言われた時だ。そう、なんとこの連載を読んでいるというのだ。それも東京ではない地方都市でのことである。
 この連載は日本てんかん協会東京都支部の機関紙に連載されているので、その読者はほぼ東京都内在住者に限定されているはずである。それなのに東京都以外の場所にすんでいる人が、どうしてこの連載を読んでいるなどということが発生するかというと、実はこの連載は、インターネット上にも掲載されているからである。
 スペース96のホームページ(http://www.normanet.ne.jp/~ww100136/)の中に「店主のつぶやき」がそのまま連載されているのである。厳密にいうと、若干、この原稿とは異なっているのだが、それは、原稿料の問題、いやちがった原稿の量の問題でカットされたものが加えられていたりするからである(原稿料はいただいておりません。念のため)。編集子の厳しいチェックで検閲・削除されたものまで復活されていたりしていてこちらの方が面白いかも、というのは冗談です。
 そのため、全国の立ち売りの場面で、しばしば「読んでますよ」と言われるようなことが発生するというわけである。その反応は、「読んでるわよ」とつぶやき(!)ながら立ち去るだけの、なぜかそういうときに限って美しい人(おいおい本も買ってってくれえ)、連載の内容について立ち話をされていく方、「もっと舌鋒鋭くしろ」と励ましてくださる方、「ずいぶんと書いてくれるじゃないの」とやんわりと恫喝される某大手出版社の方とさまざまである。1年に何回か「あのボヤキ読んでるぜ」といわれることもあるが、なんで、つぶやきがボヤキになるのかなあ・・・。
 最近、スペース96では求人を行って15人ほどの方の面接を行ったのであるが、これらの方々の大半も面接にこられる前にスペース96のホームページにアクセスして、この「つぶやき」を読んでこられていたのには驚かされた。もっとも、これを読んだがために面接に来なかったという人も数多くいたりするもしれないのだが・・・。
 いつの日か、本連載が大手出版社の優秀な編集者の目にとまり「ぜひこの連載をまとめて当社から出版させていただけないでしょうか」という電話がかかってくる(内容的には晶文社あたりが似合いかなあ)。内心、小躍りしながらも表面的にはしぶしぶ引き受ける筆者。本屋の店頭に平積みされる本。徹子の部屋への打診、というのが筆者の今年の初夢だったのであるが・・・。 
 印税の使い道ですか?もっちろん東京都支部に寄付です。

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 世の中、不景気だという。出版や書店の業界もそれほどいい話しはない。ハリーポッターなどのメガヒットに恵まれる出版社は希であり、各社ともその経営は青息吐息である。書店の数も減り続けており、ネット書店もそれほどパッとせず、元気なのはブックオフばかりである。
 とりわけ、福祉の関係の出版社などは、どこにも景気のいい話しがなく、よく食えていけているなあというのが実感である(同じことはスペース96に対してもよく言われています)。いってみればバブルもないかわりに、不景気もないという、つまり世の中の動きとは関係なく、超低空飛行ではあるが安定しているという、良いのか悪いのかよく分からない業界である。
 しかし、新刊は次々と出されている。スペース96では「クイック・テン」というファックスによる新刊情報サービスを有料で行っている。これだけでも月に二回から三回、毎回十点の障害者関係の新刊書籍と関連書籍二点の紹介を行っているのだから、一年では二百五十点から三百点もの新刊を紹介しているのである。スペース96で把握しきれなかったものを含めたり、その範囲を、たとえば医学書などへというように少しでも周辺領域にまで広げれば、障害者関係だけでも膨大な数の新刊書籍が刊行されていることがわかる。不景気だといわれながら、町には人やモノがあふれかえっている状況とよく似た感じである。
 スペース96が常時、取り扱っているのが二千点強の書籍である。スペース96は今年で十年目にはいったので、一年に二百五十点の新刊とすると、最初の頃にあった本はほとんど姿を消してしまって入れかわっているという見方もできる。なんだか、こういうのも恐ろしい気がする。
 制度や考え方が時代とともに変化していっているのだから、障害者関係の書籍がどんどん刊行されていくのは、ある意味では当然である。しかし、中には、そういう時代の流れに左右されないロングセラーがあってもいいのではないかと思う。しかし、スペース96を始めた年に販売されていて、十年後の今も販売されている本というのは、いったい何冊あるのだろうか・・・・。

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 前回も少しふれた、スペース96の新刊情報「クイック・テン」の読者のおひとりから最近ひとつの疑問を投げかけられた。この方は、あるリハビリテーションセンターでPT(理学療法士)をされている。当然、仕事での主たる相手は高齢者および身体障害をともなった人々である。
 この方の感覚からすると、「クイック・テン」に掲載される新刊の中には知的障害、自閉症あるいは最近ではLD(学習障害)、ADHD(注意欠陥多動性障害)などの関係の本ばかりで、ご自身が深く関わられている肢体不自由(主に脳性まひ)関係の本がほとんど見当たらないというのである。
 スペース96の情報収集能力による問題もあるかもしれないが、身体障害関係の本は実際に少ないのである(中でも脳性まひに関する本は少ない)。あっても、若干の医学書程度であり、新刊となるとさらに少ない。考えてみると、本だけではない。スペース96が本を売りに行く集会や研修会そのものに、身体障害を主たる対象者とする場所が少ないのである。年間180回ほどお邪魔させていただく場所で身体障害者のみを念頭においた場所は、5回もないと思われる。いや、もしかすると3回もないか。
 考えようによっては、これはよいことである。もちろん、身体障害者の数が減ったりしているわけではない。むしろ高齢からくる身体障害をもつ人々や、医療の進歩により延命できた重度の身体障害者などは増加しているほどである。しかし、こうした人々に対する対応というのは、主に住宅、交通機器、建築物などのハード面の環境整備によって解決される部分が多く、制度保障、偏見除去、権利擁護などのソフト面の問題はかなり残されているとしても、ある程度の社会参加が実現されていると考えられる。いうまでもなく、これは当事者を中心とする関係者の長年にわたる運動の産物であり、歓迎すべきことである。
 このように、障害の種別ということだけに着目すると、その障害の発生原因や生理的機序が明らかにされ、医療や福祉などのサービスや制度が整備されるにともなって本は少なくなってしまうのである。かつては脳性まひや筋ジスなどの本は、闘病記、手記のような本を含めてたくさんあったのである。

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(承前)さらにそれ以前には、脊髄損傷による車いす利用者の本なども数多くあったが、やはり今日では皆無といえるほどである。視覚障害や聴覚障害となると、点字や手話の本を除けば、そうした障害をもつ人々について書かれた本というのは実に少ない。同様に、知的障害でも、たとえば、ダウン症関係の本などは本当に少なくなった。ある意味ではてんかん関係の本も同様である。どちらかといえば医学書が多く、てんかんと福祉や教育、地域生活などをからめた本は案外に少ない。
 同じことは制度面でも同様である。つまり、制度ができあがるまでの過程では、様々な論議に基く本が多数出されるのであるが、ひとたび制度が確定してしまうと、制度解説のマニュアル本を除いて、本もなくなってしまうのである。近いところでは、介護保険然り、ケアマネ然り、である。あまりの売れ行きに新聞ダネにもなった介護支援専門員(ケアマネジャー)のテキストなど、刊行された当初は朝から晩まで同じ本を梱包していた、いわば、ケアマネ・バブルとも呼ぶべき日々もあったほどである。しかし、今はその名残も感じられないくらいである。支援費制度も同様である。3月までは、いくつもの本が出され、ガンガン売れたのであるが、制度がスタートした4月からは新しい本も出ないし、それまでに刊行された関係書籍の売れ行きもパッタリである。
 そういう意味では、自閉症、LDやADHDあるいは精神障害などという分野は、医学的解明という部分も含め、未開拓、未確立の部分が多く、その結果、本も集会も多いということにつながっているのである。未開拓、未確立の部分が多いということは、言い換えると、さまざまな考え方や解釈、あるいは治療やアプローチが、書く人それぞれに成り立ちうるということである。書き手の数だけ本がありうるのである。
 たとえば、自閉症についていえば、書店で入手できる自閉症関係図書だけでも200種類以上あるのではないだろうか。スペース96は、こうした障害以外の身体障害や知的障害などを含めた障害全般を扱うことを“売り”にしてはいるものの、その集会や本の多さから自閉症やLD、ADHDだけの専門書店にころもがえしてもビジネスとして成り立つのではないかとさえ最近では感じさせられているほどである。

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 スペース96が書籍販売する場所というのは、セミナー、研修会、大会、総会、講演会、シンポジウム、学会、研究会(以下、集会という)などさまざまな名称のものがあるが、開催時期、開催方法、プログラム、構成などにも興味深いものがある。
 まず、日程的なものについてであるが、主催者の事務局に有給の専従職員がいるような場合は、土日および祝日開催の集会はまずない。これは、ウィークデーの開催でないと、そこで働く者にとって休日出勤となって高くついてしまうためと思われる。このような事務局を構えている場合、参加者も出張として参加することが多いのも理由のひとつであろう。
 時間的にいうと、1日目の昼に開会して2日目の昼に閉会するというパターンの集会が多い。これも、参加者の便をはかるということのみならず(朝からだと遠隔地からの参加者は前泊が必要になる)、そこで働く従業員を配慮してのためというのがその理由の大きな部分を占めているのではないかと思われる(朝からの開会だと早出が必要となるし、さらに前日からの仕込みとなると会場費もかさむ)。
 一方、運動団体とか親の会など、その事務局に有給の専従職員などがいないような会や団体の主催による集会というものには土日あるいは祝日に開催されるものが多い。いうまでもなく、参加者や主催者が仕事の休みの日でないと集会自体が成り立たないからである。さらに、学校関係者などを対象とした集会だと、夏休み・冬休みにあたる時期に開催されるものも多い。また、通信教育のスクーリングなども働きながらの受講者を配慮して、休みのとりやすい夏休み、それもお盆の時期などに開催されることが多い。
 スペース96はこれらに全部つきあうので1年中休みなしである。ただし、毎年のことであるが、4月1日から5月なかば頃にかけては、まったくといっていいほど集会は開催されない。これまで年間で約180回、今年度はおそらく200回くらいの集会にお邪魔させていただくが、それでもこの時期にはまったくといっていいほど集会がない。これは、年度がわりの時期にあたっていて、主催する側も参加する側も外の集会などにでかけていくのが難しい時期にあたっているためと思われる。「秋には集会が多いでしょう」といわれる方が多いが、この4月から5月にかけての時期を除けば、特にどの時期がシーズンということもなく1年中、集会は開かれている。

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 集会が開催される場所というのにも変化があらわれてきた。
 スペース96がオープンした十年ほど前には大規模な集会といえば温泉地で開催されるのが常であった。近場では群馬の水上温泉、栃木の鬼怒川温泉、神奈川の熱海、箱根。少し遠くでは、宮城なら松島温泉、岩手なら花巻温泉というところである。多い時は週に3回も水上温泉に行くということもあったくらいである。
 ところが、最近では、これらの温泉地で集会が開催されることはほとんどなくなった。これをお読みの方々は、その原因はなんだと思われるであろうか。その第一の原因は、集会参加者用のシングルルームが少ない、もしくくは無いということである。
 各地の温泉といえば、大部屋つまり複数の参加者同士が相部屋に宿泊ということになる。それも、場合によっては、その集会で初めて顔をあわせたまったく知らない同士での相部屋となる。これが、最近の参加者には喜ばれないのである。
 たとえ、料金を高く支払おうとも、集会もしくは研修以外の時間にはプライバシーを守るというかひとりになりたいというのが大多数の参加者の希望なのである。そのため、温泉町に開催場所を設定すると参加者数が伸び悩んでしまうという事態が出てきたのである。
 温泉町が開催場所に選ばれなくなったもうひとつの原因は、いわゆる懇親会と称される宴会である。温泉町の旅館といえば、浴衣姿になって、座敷に用意された膳の上の和洋中折衷の食事の前に座って無礼講で、というのがかつての定番であった。これも、宿泊同様、知らない同士で座席が固定されることが好まれないのである。
 じゃあ、立食形式ならいいのかというとそうばかりでもないらしい。先日、ある主催者が「懇親会そのそものを希望しない参加者が多くて、トホホ」とつぶやいていらっしゃった。飲んでハメをはずしてという「ノミュニケーション」自体が嫌われているということのようでもある。
 もっとも、古くからの温泉町がおおかたのライフスタイルにあわなくなってきているのは何も福祉の関係の集会の話だけではないようである。先日、久しぶりに水上温泉で集会があったのであるが、温泉町全体がすたれてしまっているのである。どうやら、一般の観光客からも旧来の温泉町スタイルは敬遠されつつあるようである。

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 集会のプログムラのもち方にも最近は変化を求める姿が見られつつある。
 主催者挨拶そして基調報告・記念講演から分科会へというのが王道というか定番であり、それ以上なかなか変化のつけにくいのがプログラムの持ち方であるが、それでも「ただ座って聞いて帰る」というのを少しでも変えたいという主催者の熱い思いが伝わってくるものもある。
 全国療護施設協議会では、いわゆる学会方式というものをとりいれはじめた。参加者がテーマごとに発表する演題をあらかじめ登録し、原稿も用意し、時間割に従い複数の会場で同時並行的に発表を行うのである。聞く側は自分の興味や関心のある発表を選んで会場間を移動することで、退屈な発表に時間を費やされることはないわけである。これを実現するための発表者や主催者の努力には頭がさがる思いである。
 全国育成会では、しばしば「バズセッション」と称する形式をとりいれている。バズというのは、わいわいがやがやしゃべるという意味だと思うが、要するにスモールグループにわかれての自由討議である。これをすれば、多くの参加者ので発言する機会が増えるわけで、「ただ聞くだけ」よりはかなり「参加した」という実感がもてるはずである。
 先日お邪魔させていただいた知的障害者福祉協会北陸地区職員研修会のプログラムにも驚かされた。そもそも、大会のテーマが「さあ、はじめることから始めよう」というのである。題字下にはLet's begin the beginとまで書かれている。分科会のタイトルも「新しい人間観、社会観をつくる」「地域に住んでみた!」「人を支えるということ」「支援費で本当に大丈夫?」「やる方、わからない方、どっちが悪い?」というのである。なんだか、どれも聞いてみたいという気がそそられるネーミングばかりである。紙数の問題で詳しくは書けないが、これだけでもいかに新鮮かということはわかる人にはわかるはずである。この会ではプログラムの他の部分でもユニークな取組を数多く行っていた。
 しばしば懇親会と称されるものを「意見交換会」とか「情報交換会」などと名称を変える姿も見受けられる。参加しない人から「ただの飲み会だろ」といわれたくないという理由によるのかもしれないが、酒を飲んだ席がしばしば「意見交換」や「情報交換」の場となるのは事実である。だとすると、これは、プログラムの持ち方の変更ではなく、単に正確な名称への変更だけにすぎないのかも知れない。

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 「デジタル万引き」略して「デジ万」という言葉をご存じだろうか。テレビのニュースや新聞でも取り上げられたことのある話題なのでご存じの方も多いかもしれない。また、最近では、書店の前に「デジ万」防止のポスターがはられているという。
 ご存じない方のために説明させていただくと、これは携帯カメラの写真機能を利用して、本の内容だけを写真で撮って(盗って)いってしまう行為のことである。たとえば、グルメの本の中の行きたいお店の情報の部分だけ写真で撮って(盗って)しまうのである(いうまでもないが、その本は買わない)。
 以前に本コラムで、スペース96が本をならべて販売しているところで、書名だけを書き写していく者がいることに対する怒りについてふれたことがあったが、この「デジ万」もほぼ同様の行為といえるだろう。
 スペース96の前に登場する悪質客も、機器の進歩にともなってハイテク化し始めている。最近では、書き写すどころか、携帯電話のメモ機能を利用して、本の前に何分も立ちはだかりながら書名を両親指で入力していく輩もいる。それどころか「デジ万」同様に携帯電話や時によってはデジカメやビデオで本の表紙を撮影してく御仁もいらっしゃる。
 こういう人の中にも、正確にいうと二種類の人がいる。そのひとつは、こういう行為はいけないことだという認識というか後ろめたさを感じつつなさっている方と、悪いことだなどとはぜーんぜん思っていない方である。前者の方は、こちらと目があうとそそくさと引き下がることもあるのだが(でも、こういうことは滅多にない)、後者の方にはそういうことは一切ない。
 先日も、ある学会で、某若手大学教授が携帯電話を利用して撮影を始めた。そのあまりの無遠慮さに、こちらも止めて欲しい旨をつげたところ。「わかりました」というなり、今度はやおら大学ノートを取りだして書き写し始めるのである。まったくもって問題が何かをご理解されていないのである。「そうじゃないんだよ」とさらに加えると、こんどは「つまり、記憶していくしかないのですね」と大まじめでおっしゃるのである。こうなるともう、ホント専門バカにつける薬なしというところである。
 次回の立ち売りからは「デジ万」防止のポスターを張り出すことを真剣に考え始めているところである。

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 先日、ある障害者団体の方から電話があって、その方が働いている団体の機関紙を、スペース96が書籍を販売する片隅においてくれないかとの依頼があった。この方は、筆者も個人的によく知っており、ある雑誌の編集委員会ではご一緒させていただいたこともある。そんな席上では、他の多くの編集委員が障害者関係の雑誌には誰でもが安い原稿料もしくは無料で書くのがあたりまえと考えているのに対して、この方は「原稿を書くことで食べている人に対してはきちんとした原稿料を支払わなくてはならない」などとたいへん筋のとおった意見を述べられていたのである。その方にしてである。
 この種の依頼は、たとえば、集会のチラシを配布してくれないか、主催者が出した自費出版の本を一緒に販売してくれないか、書評を書いてくれないかなどと様々な形で数多くある。そのいずれもに共通するのは「無料で」ということである。「チラシを持っていくくらいいいじゃない」というのである。しかし、チラシひとつであっても、それを会場に運び入れ、置き場所を確保し、「ご自由にお持ち帰りください」などという張り紙とともにセットするには、それなりに手間がかかるのである。ましてや机1本に高額なショバ代を支払っている場合は、「地代」そのものがかかっているのである。
 そもそも、世間では物や人が動き、時間や意識をとられるということに対してはすべてお金がかかるのである。しかし、福祉関係の方々はこういうことに対してはとんと頭がまわらないらしい。そういう頭で、これからの「利用者本位のサービス提供」とか「サービスにみあった対価の支払い」などということが可能なのであろうか。
 もちろん、チラシの配布も自費出版物の販売代行もまったく行わないわけではない。しかし、それらは、目にみえる形でのお金のやりとりは伴わなくとも、そのチラシを配布した集会で書籍の販売をさせていただくなどという形で経済的なバランスがとれているのである。(この原稿もかな・・・)
 興味深いのは、このように自らの依頼を無償で依頼して平気でいられる神経と、自らが無償で何かを依頼されても平気でいられるという神経は共存するらしいということである。たとえば、出版社などが、「チラシを置いて欲しい」などという依頼をしてきてた場合には、何の抵抗もなくそれを受け入れているということである。こういうのは普通の感覚でいうと、営業行為を無償で行わされているのであるから、きちんと請求すべきなのである。

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 スペース96は障害者関係図書の専門書店であり、情報発信型の書店であるということは何回か書かせていただいた。また、本は再販売価格維持制度(再販制度)という、全国どこででも同一の価格で販売すべしという法律があったり、その結果、書籍購入に送料をかけるという習慣が消費者にないなどということから、スペース96から本に関する情報だけゲットして他の書店で購入される方が多くいらっしゃることで苦慮しているということも何回か書かせていただいたと思う。
 そこで、ささやかな抵抗ではあるが、スペース96が発信する書籍に関する情報については出版社名を明記していない。インターネット時代にあっては、書名から検索すれば出版社名などはすぐに調べられるのであるから、実にささやかな抵抗といえる。そのため、これも何回かご紹介させていただいた、ファックスによる新刊情報「クイック・テン」という中でも出版社名を明記していない。
 この「クイック・テン」には、ありがたいことに、これによって注文してくださる常連の方々がいらっしゃる。なかには、毎回、紹介した本の半分以上、時には大半を注文されるというお得意さまもいらっしゃる。これらの方々には、お顔もお名前も立場も考え方も財布の中までも(冗談です)存じ上げている方もいらっしゃれば、お名前だけで、どこでどういう仕事をされているかも全然存じ上げない方々もいらっしゃる。いや、むしろ、後者に属する方々の方が多いといえる。
 しかし、そのような、どこのどなたかは具体的に存じ上げなくても、これらの方々が注文される本をみていると、どういうことに関心をおもちの方か、あるいはどういう立場の方かがだいたい見えてくるのは面白いところである。さらに、出版社を明記していないにもかかわらず、必ず、同一の出版社から刊行された本に限って注文されてくるという方もいらっしゃる。この出版社が、かなり政治的立場の明確な出版社だったりする場合は、大げさにいうとその方の思想的背景までも見えてきたりするのはさらに興味深いところである。
 「あの人からは、この本の注文はきっとくるな」などと思いつつ、「クイック・テン」を流すのは最近の筆者の密かな楽しみのひとつである。時として、そのお好みや立場がよく見えている常連の方が予想外の本を注文をされてくると、思わず「え、どうして、どうして?」と電話をかけて確認したくなるほどである。

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 クイック・テンという新刊情報をファックスで流す際に「あの人からは、きっとこの本の注文がくるだろうな」などと予想することを密かな楽しみとしつつ送信しているという話しを前回書かせていただいた。考えてみると、販売に行く時の本の品揃えやダイレクトメールの発送などの際にも同じことを思いつつ作業をしているのである。
 「この集会には、労務関係の本に目のないあの施設長がくるだろうから、この新刊をもっていけば売れるだろう」あるいは「あの講師は毎回話しの中で同じ本を紹介するから忘れずにいれておこう」などということを「つぶやき」ながら本を箱詰めしたりしているわけである。ダイレクトメールの時も然りである。今は支援費について関心があると思えば支援費の本を、会計の規則が変わったといえば会計の本を、年度末で予算消化の時期と思えば高額なビデオのリストを流すといった次第である。
 つまり、相手のニーズにあわせて商品を用意するという点では他のショーバイとなんら変わりないのである。相手の興味や関心、集会のテーマと制度の動向をみきわめ(カッコイイ!)、新しい情報を仕入れて品揃えをするわけである。
 時には、お客様自身の反応の中から売れ筋商品が見えてくることもある。それほど売れないだろうなあなどと思い少部数しかもっていかなかったところ、思わぬ売れ行きをみせ、その後の定番商品として根づいたという本もある。たとえば、最近でいうと「聞く技術」という本がそうであった。これは、何も福祉の本ではない。一般書として書店でよく売れている本である。職場の同僚との間、上司と部下の間、職員と利用者の間などで、福祉関係者もいかに問題を感じているかが伝わってくる現象であったが、意外にこんな本がどこでても売れるのである。
 もしかしたら、案外に、福祉関係以外の本をもっていっても売れるのかも知れない。たまたま講師だったので養老孟司氏の「バカの壁」と「逆さメガネ」(この本はほんとに面白い)を大量に用意したところ、若干余ってしまった。しかし、養老氏が講師ではない別の集会にもっていったところ、たちまちに売り切れてしまったので、その後も持ち歩くことになったということもある。逆に「五体不満足」などは世間ではあれほどのベストセラーであったにもかかわらず、スペース96の売り場ではほとんど売れなかったということもある。不思議なものである。

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 前回、ダイレクトメールという言葉がでてきたので、関連した話をさせていただく。
 ダイレクトメールというと、読者の中には郵送によるものを思い浮かべがちの方が多いかもしれないが、スペース96が行うものはすべてファックスによっている。ファックスで一斉に送信するとB4サイズまでなら二十円弱程度で送ることができ、郵便物で送る時のように印刷物を作成する手間も費用もかからないし、封筒詰めの作業などもなくて楽である。
 また、一昔前と違って、現在では、スペース96のダイレクトメール先である施設や学校のほとんどにファックスが備わっている。ただし、これをつきとめてデータとしてリスト化しておく作業、さらにはそれをアップツーデイトしておくという作業はたいへんである。住所や宛名などの情報を最新のものにしておくということでは郵送の場合も同じであるが、ファックス番号というのは実はそれほど公開されていないことが多いのであり、それのありかをつきとめることがたいへんである。
 ファックスによるダイレクトメールを始めたのはもう6年も7年も前のことであるが、始めた当初はたいへんであった。何がたいへんかというと、様々な形でクレームがくるのである。
 朝、出勤してみると留守番電話に「こんなもん勝手に送りつけやがって、テメーんとこでなんかで絶対に本は買わないからな!!」(ガッチャン!!)などというメッセージが残っていたりする。こういう人に限って名乗っていないので、次回に送信しないような手続きをできないので困りものである。また、ある時は郵便で理事長印まで押印した文書で「かくのごとき行為は当方のファックス用紙の無断使用にもあたるものであり」云々と抗議を受けたこともある。
 「おたくのファックスがかかってきてピーピーいうので、なにがなんだか訳が分からず、職員も帰ってしまっていて、でも緊急のことなのかと思い、帰宅した職員を呼び戻してしまった」と宿直の方からお叱りを受けたこともある。おそらく、この施設では、筆者の幼少時つまり四十年くらいの前のテレビのように、ファックスに布でもかぶせているのではないかと思ったのは、想像のしすぎであろうか。

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 この連載も今回でな、な、なんと五十回目をむかえることになった。奇しくも、スペース96はおかげさまで創立十周年をむかえさせていただいた。
 この十年間で、従業員数は筆者を含めて5人に、売上げはン億円に、年間の売り場の数は約二百五十ケ所、自社出版物は約四十点に達した。この連載を書き始めた頃には年間の売り場は約百五十ケ所などと書いていたのだから数ばかりはずいぶんと伸びた。なんとか、スペース96の名前も少しは知られるようになった。
 売上げはン億円などと書いたが、伸び率は落ちたものの10年間右肩上がりですすんできた。というと景気がいいようだが、実は創立10年目にして初めて年間売上の対前年度比でダウンを喫してしまった。経営をしている人には分かると思うが、企業にとって大事なのは必ずしも売上ではなく利益なので、売上が落ちていても利益がキープできていればいいのだが、それはかろうじて維持といった状態である。
 車の走行距離は年間で何万キロになるのだろうか。スペース96全体では6万キロとか7万キロ、いやそれ以上かもしれないとも思われる。そのうち筆者がひとりで3万キロ走るとして、高速道路を走ることが多いというものの平均した時速を四十キロとした場合、それでも年に七百五十時間、これは三十一日、約1ケ月を朝から晩まで車の中で過ごすという計算になる。十年間にわたり毎年1ケ月の禁固刑をくらっていたようなものである。車中で語学学習のテープでも流し続けていれば十年間で2ケ国語くらいはマスターできていたかもしれない。しかし気付くのが遅かった。
 前の福祉関係の職場では十五年半勤めた。その頃は、今とは違って文章を書いたり人前で話すことも多かったのであるが、近頃はこうした知的生産活動からはまったく遠のいてしまった。その頃から通して数えるとこの業界に四半世紀以上もいるわけだから、前の職場関係の知り合いの多くは、今では施設長だったり常務理事などになっている。それにひきかえ、こちらは、最近ではすっかり肉体労働者としての「本屋のオヤジ」になってしまった。ま、生き残るためにはかなり人知れず頭脳を動かしているのだが。
 申し訳ないと思いつつ、五十回記念で自分のことばかり書いてしまった。このあたりでそろそろといつも言うのだが、なかなか止めさせてくれないので、来月からもボヤキ、じゃない「つぶやき」続けさせていただく。 

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 ときどき「万引きなんかないんですか」とたずねられることがある。
 今、書店では万引きが大問題となっているのをご存知だろうか。全国の書店の一店舗あたりの昨年の年間万引き被害額はなんと二百十二万円という統計もでているのである。二百万円というのは、一千万円以上の本を売ってやっと回収できる額である。別の言い方をすると、売上一千万円までは利益なしということである。昨年一年間で書店は千五百軒つぶれたといわれているが、そのつぶれた原因の大きなものが万引きだともいわれている。
 さらに問題とされているのが、この万引きの動機である。現在の万引きの最大の動機は、万引きした本をブックオフなどに持ち込み現金化するためであるといわれている。本を読むための万引きならいいというわけでもないのだが、ブックオフが新しく開店すると、その周辺地域の書店における万引きが急上昇するともいわれているくらいである。(ブックオフが悪いといっているのではありませんので、念の為)
 毎年4月に東京ビックサイトで国際ブックフェアというのが開催されるが、ここの出展の中でも、最近は万引き防止システムのコーナーに大きなスペースが割かれている。CDや衣料品などの万引き対策で、レジ以外では取り外しが容易でないタグがつけられており、それをつけたまま店外に出ようとすると警告音が鳴るシステムはよくご存知だと思うが、同様のことが本についても検討されつつある。しかし、本の形状がネックになってなかなか決定的なシステムが開発されていない。いいシステムと思われると導入に万引き被害額以上のコストがかかったりと、わけがわからない状態になっている。
 ではスペース96で万引きはあるか。答えは「わからない」である。
 万引き対策として監視カメラを設置しているわけではないし、大手書店のように私服警備員を置いているわけでもない。それどころか、二日や三日にわたる集会などの場合、夜間はシーツをかけただけで本を放置していってしまうのだから、本を持っていく気になれば"やり放題"といったところである。
 でもこんなこともあった。ある集会の二日目の朝、シーツをめくると、なんと現金と本のスリップがおいてあったのである。そして、「二日目には参加できないので、申し訳ありませんが、本をいただいていきます」とのメモが添えられていたのである。なんとなく、本を持ち去った人は美人であったような気がした朝であった。(この話し、つづく)

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 ご存知のように、スペース96ではセミナーや研修会の会場で机をならべて大量に本を並べて販売しているのであるが、はっきり言って単品管理などしていないのである。一年に二百三十回も、毎回、何百冊だか、何千冊だかという本をダンボール箱につめては出して、またつめては出してという繰り返しの中で、何という、いくらの本を何冊もっていき、何冊戻ってきたからいくら売れたなどということはいちいちやってられないのである。
 ではどのように売上を管理しているかというと、販売が終わった時点で金庫にあるお金から用意したお釣りの金額をさしひいて、それが売上という考え方である。もしかすると、本の定価を間違えて計算したかもしれない、お釣りの計算間違いもあるかもしれないが、売上はそれ以外に計算のしようがないのである。
 確かに万引きもあるかもしれない。しかし、たとえば出版社から10冊預かった本が6冊しか残っていなければ、なくなった4冊の中に万引きによるものが含まれていようが、いまいが4冊分の仕入れの支払いはしなくてはならないのである。出版社に対して「4冊のうち1冊は万引きと思われますので、お支払いしません」などという理屈はとおらないのである。そういう意味では単品管理をして計算したところでたいした意味はないのである。もし本当に単品管理を行ったなら、そのためだけで一人雇う必要があるくらいである。
 「福祉の関係者の中にまさか万引きをするような人はいないのではないか」などと考える人は甘い甘い。最大では三千人も集まる集会もあるのだから、へんな話し、三千人も人がいれば一人くらい出来心の働く人がいる方が自然というものではないだろうか。いろんな人がいるのがノーマライゼーションじゃありませんか、などという冗談を言っているときではない。
 目の前でひじにかけた大き目の紙袋に黙って本を入れられたこともある。「それは売ってるものなのですが・・・」と恐る恐る声をかけたところ「あら、(形が)小さかったので持っていっていいのかと思ったわ」との答えであった(小さいとタダなどとどこで教わったのだろうか)。山のように本をかかえてきて「これ持っていっていいんだよね」と聞いてきた施設長もいた(まったく、聞いてくれてありがとうございました!)。薄い冊子なのでパンフレットと間違えて持ち去られる可能性があると思い、わざわざ「有料です」と張り出した紙を見て「あら、無料なんだわ」と言いつつ持っていこうとしたオバサンもいました(この時は言葉を失いました)。

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 新聞各紙にも記事が掲載されたことからご存知の読者も多いと思われるが、障害福祉分野で今、最大の関心事はなんといっても支援費制度の介護保険への統合論である。本当は、支援費そのものについて書きたいところなのであるが、それは巻頭の「障害時評」の守備範囲なので、ちょっと遠慮しておきたい。
 でも、ちょっと一言、あまり触れられていない観点から支援費について考えてみたい。
 支援費制度が正式にスタートしたのは昨年の4月である。それまでの2年間くらいにわたり、実に様々な取り組みが行われた。とにかく制度全体を変えるのであるから、とんでもない作業量である。数えきれないくらいの会議や議論、資料検討、調査などが行われた。さらに膨大な印刷物!そして、やっとスタートしたのに、1年もたたないうちに、また制度変更するというのである。
 もちろん、制度をよくするためには何度改革を行ったっていい。しかし、考えようによっては、これは失敗、失政である。このまま介護保険に統合するというのであれば、支援費制度を設けたことは誤った判断で間違った政策を実施してしまったということである。
 同じようなことは、企業にもあることである。売れると思って作った製品が全然売れないということなどはしばしば起こることである。その場合、どうなるかというと、降格されたり、売れなくて給料が下がったり、果ては倒産したりするのである。あるいは株主総会で株主の批判の矢面に立たされたりするのである。つまり、なんらかの形で「オトシマエ」がつけられるのである。しかし、行政の制度上で誤った判断をしても誰も責任をとる人はいない。
 いったい、この制度改革劇でどれだけのお金が使われたのであろうか。人件費、会議費、出張費、印刷費など、このすさまじい金額を誰か試算してほしいものである。
 これらのうち行政関係者にかかわる費用はいうまでもなく税金から出費されているのである。こういうのを誰も「もったいない」とは思わないのだろうか。
 きっと思わないのだと思う。どうしてかというと、そこで費やされている税金は自分が支払ったお金だという意識がないからである。なぜかというと、たいていの人の場合、税金は給与から天引きされていて直接支払わないからである。実は、支援費制度も最大の問題は同じ点に問題があると筆者は思っている。(つづく)

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 支援費では障害者一人ひとりにとって必要なサービスが市町村によって決定されると、そのサービスをどの事業者から購入するか(たとえば、どこの施設を利用するか)というのは、障害者自身が決定できる仕組みになっている。
 本当なら、ここで、そのサービスに対する対価を障害者自身が支払うべきである。しかし、それでは大変でしょうからということで、たとえば施設などのサービス提供の事業者が障害者本人にかわって市町村に対して代理請求を行うのである。つまり、お金は障害者自身を通過しないのである。
 これでは措置費制度と大差ないではないか。措置費の時代にだって、障害者は自分で行きたい施設を探し出してきて、その情報を福祉事務所にもちこみ、希望するところに行っていたのである。だから、評判のいい施設には、近隣だけでなく遠隔地から多数の障害者が措置されていたりしたのである。    
 支援費を障害者本人に手渡すべきとの主張を行っていたのは身体障害者の本人を中心とする団体だけで、その団体は最後までせめてクーポン(金券)でと主張していたが、結局受け入れられなかった。
 お金を障害者自身がにぎるという点がサービスの消費者としての障害者を確立するうえで何よりも重要なのである。だからこそ、アメリカでは障害者運動はコンシューマー・ムーブメント(直訳すれば消費者運動)と呼ばれるわけである。障害者自身もお金を使って失敗を経験することで成長するのである。
 支援費が始まるまえは「これからは、施設の提供するサービスで競って障害者を奪い合う」がごとき姿がまことしやかに語られていたがそんな姿はどこにも見られない、それどころか、本を販売した後の懇親会などに同席させていただくと「うちなんか年間で一千万円もあがりよったとよ」なとどいう話を耳にすることがある(プライバシー保護のため方言は変えてあります)。
 サービスを提供する側の関心事はもっぱらそんなところにしかないのである。そこには、利用者たる障害者からお金をいただいているとか、あるいは障害者をお客様と思っているなどということはまったく感じられないのである。すべては障害者本人にお金を手渡さないことに起因しているのである。
口の悪いお客さんは「これでまた介護保険という話しになりゃ、儲かるのは本屋とコンピュータ屋だけだ」などと正しくもご指摘くださる。確かにそうかもしれない。しかし、少なくともスペース96は本当のお客様が誰かを正しく心得ているつもりである。そして、つぶやく「お客様は神様です・・・」

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 スペース96は障害者福祉の本のみを扱う書店であり、「立ち売り」と呼ばれる展示販売を主な仕事としている唯一の書店である。今風にいえばオンリーワンの会社である(カッコイイ!)。というか、障害者福祉の分野というのが小さくて複数の書店が成り立つほどのマーケットがないというのが正確なところかもしれないが。
 では、その営業スタイルそのものもスペース96が作り出したものかというとそうではない。スペース96の手法は、本欄の読者の中にもご存じの方々が多いと思うが、筒井書房という先達のモデルを模倣したものである。筒井書房というのは、主に老人福祉や社会福祉一般の分野でスペース96と同じことを行っている書店兼出版社である。こちらは既に30年近い歴史もあり、300点以上もの出版物を刊行している大会社である。
 筒井書房からは、トロルという保育・児童の書籍を中心とした立ち売り書店も生まれており、筒井書房、スペース96,トロルの3社で、社会福祉の中の老人、障害者、児童という主な3分野をカバーした形になっている。
 筒井書房の筒井社長はスペース96の役員でもあり、前にも書いたかもしれないが、スペース96という名前の一部である「6」は筒井眞六の六の字に由来している。因みに「9」は筆者の名前の一部である「久」からきている。
 スペース96設立当時は、明治時代にできた法律のせいだかなんだかで、日本の企業の名称にはアルファベットや算用数字を用いることができなかった。日本IBMも正確には日本アイ・ビー・エムだし、第1パンはあくまでも第一パンであった。そのため、長い間、スペース96の正式名称は有限会社スペース久六という野暮ったいものであった。スペース96というのは、あくまでも、通称であり、登記簿どおりの名前でしか開設できない銀行口座の名称などはあくまでもスペース久六であった。ところが、1年か2年前の規制緩和で、この規制がとりはられ、今ではめでたくスペース96というのが正式名称となっている。
 96というのは、意味がよくわからないので、しばしば「1996年にできた会社ですか」(本当は1994年にできた)とか「スペース21」とか「スペース99」などの様々な名称で呼ばれている。設立当時は、「来年はスペース95になるのですか」という質問もよく受けた。最近では、96の意味を説明するのも面倒くさいので、なんと呼ばれても「はいはい」と答えるようにしているが。(つづく)

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 (前回からの続き)筆者はかつて、国際障害者年日本推進協議会(現在の日本障害者協議会)の仕事の一部として、障害者関係図書フェアというものを開催したり、書店では購入できない障害者関係団体発行の書籍の一覧を小冊子にまとめるなどの仕事をしていた。この図書フェアは、当時としては注目を集めて、全国の図書館からダンボール箱単位で本を購入にこられるなどということもあったのである。この図書フェアの時に、出版社を通じて刊行されている障害者関係図書を担当していたのがこの筒井書房であった。
 この会社の代表である筒井社長から、スペース96を始めるときにしみじみと言われた言葉で今でも忘れられない言葉がある。それは「久保さんねえ、商売をするっていうことは、いかに屈辱的な目に多くであうかっていうことなんだよ」と言われたことである。言外には「あんた、それに耐えられるの?」という問いが込められていたのだろうし、さらには「あんたには、できないんじゃないの」という言葉が飲み込まれていたのかもしれない。確かに、毎日毎日、出版社との間で、集会の主催者との間で、注文をくださるお客様との間で実に屈辱的な目にあわされることの連続である。
 先日もこんなことがあった。ある施設の地方ブロックの大会のことである。書籍販売を担当することになったスペース96は主催者からの依頼で記念講演の講師の先生の著書を手配することになった。700人ほどの参加者がいる集会で記念講演の講師の先生の著書を売れるとあって、捕らぬ狸の皮算用丸出しで胸をときめかして現地に行ってみると、なんとその先生の著書が既に主催者によって山積みされてるではないか!さらには、主催者の用意した本が売り切れるまではスペース96がもってきた本を売るなというのである。
 聞けば、講師の先生から直接、本がもちこまれて販売を依頼されたというのである。持ち込まれたとっいても、なにも当日、突然持ちこまれたわけではないのである。あらかじめ申し入れのあった話である。どうして、その時点で電話1本かけていただけないものなのだろうか。
 同じことが次の週にはもう一度おこったのだからいやになる。さらに、その次の週も、こんどは確かに主催者から講師の著書の販売の依頼はなかったものの、書籍の販売にきてほしいとの依頼で現地に赴いてみると、やはり主催者が記念講演の講師の本をデーンとそれも大幅値引き価格で販売しているのであった。(まだ続く)

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(また続き)それほど多くは売れない集会の中で講師の方の著書やテキスト指定の本というのがあればこそなんとか経営をやっていけているというのがスペース96の現実である。本を売りに来てと依頼されて、現地へいってみたら主催者が講師の本を販売しているのを発見したときの気持というのは、いわば「メインディッシュのステーキは私が食べるから、つけあわせのクレソンはあなたが食べていいわよ」と言われた時のような気持である。
 ちょっと前にはやったお笑いタレントのギャグというかネタで、最初に「悲しいとき!」と叫んで、そのあと紙芝居風にコントを続けるというものがあった。あれ風にいうと「悲しい時!」「主催者から頼まれたので講師の本をもってったら、主催者も同じ本を売ってた時!」という感じである。
 こういうのがきっと、前回、紹介した筒井社長のいうところの「屈辱的な目にあう」ということなのだと思う。こういう話しが、主催者との間だけでなく、前にも述べたようにお客様との間や仕入先である出版社との間にも日々あるわけである。主催者である福祉の関係者との間に限ってそんなことは少ないのでは、と思われる読者の方は勘違いをなされているのである。実は「福祉の関係者だから」なのである。この先はあまり言えないが・・・。
 お客様との間だって、まあ、何回も書かせていただいたように色々とあって、数回前に書かせていただいた「お客様は神様です」なんてセリフはいったいどういう意味かとしばしば考えさせられるところである。だいたいこのフレーズを最初に言ったのは誰なのだろうか。国民的演歌歌手と呼ばれた歌手がはやらせたような記憶があるが、松下幸之助あたりが言った言葉でも不思議ではないような気がする。
 と、ここまで書いて、生来の探求心が首をもたげてきて「お客様は神様です」という言葉はいったい誰がひろめた言葉が確かめようと思ってインターネットで、まさかな、と思いつつ検索してみたところ、なんとGoogleでは5470件のヒット。そして、そこには、これから筆者が書こうとした「決して、お客様は神様なんかじゃない」ということについて、実に様々な立場や業種の方々が書かれているのである。おっかしいので、ぜひ読んでみてください。
 なんか、今回は、ちょっとヤケクソ気味で、かつ最後は横道にそれたままで終わってしまいました。来月からは従来どおりの品性と風格を取り戻したいと思います。

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 障害福祉を専門にしていたある大学の先生が突然退職された。というか、その先生が講師となった集会でしばしば本の販売をさせていただいていたのであるが、気がついたら誰ともなく「そういえば最近見かけないなあ」という話しになった。近しい人に聞いてみると、なんとセクハラが原因で大学を去ったという。本人の口から直接聞いたわけではないが、その先生がひきうけていた県レベルの委員などをすべて引き継いだという方がおっしゃるのだから確かなのだろう。
 しかし、真偽のほどを確かめようと思い、その先生の名前とセクハラという単語でインターネット検索をかけてみたところ、ピンポーン。ちゃんとヒットするではないか。障害福祉業界の梨本勝と呼ばれたこともある筆者としては、「オレの知らないスキャンダルがあったとは」と思いつつ、そのサイトを開いてみて驚いた。その先生がかつて「障害をもつ女性とセクハラ問題における権利擁護について」というようなタイトルで話しをしていたという過去の集会の案内なのである。
 いうまでもなく文学作品にしろ、芸術作品にしろ、あるいはアカデミックな論文にしろ、それを作ったもしくは書いた人自身と、その作品とは別のものである。乱れた私生活を送っている作家が、純愛小説を書くこともある。電車の中で女性のスカートの中をのぞく大学教授が書いた経済論文だからといって間違った内容とは限らないのである。
 壇上で「施設を出て地域へ」と主張する親御さんもご自身の子どもはしっかり施設へ入れられている(だからこその主張かもしれないが)。施設解体を叫ぶ当のご本人が大規模施設の重鎮だったりすると、何かわけがわからなくなる時もある。これも「だからこその主張」なのだろうか…。
 休み時間に、スペース96が並べた本の前に立って本を読みふけっている集会参加者に対して、「ハーイ、もう次のプログラムがはじまりますから会場に入って下さーい」などとまるで幼稚園の先生よろしく、しっかり営業妨害して下さる方は、さきほどまではしきりに自己決定の重要性を説いていた施設職員であったりもするのである。
 施設職員や教師だからといって、聖人君子というわけではないことは十分承知している。しかし、冒頭にご紹介した先生などは、いまだに、勢いのある、どちらかといえば人権や権利擁護などという問題に対してアグレッシブな団体の役員などは継続して行っているし、近く、都内の某大学の先生として再出発されるという。関係者の方々は、セクハラの対象となったのが自分の娘でも、こういうことをよしとされるのだろうか。

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 前回、「勢いのある団体」という表現をしたのであるが、全国各地の集会で書籍の販売をさせていただくと、「勢いのある」団体というのは自然と見えてくるものである。今回は、そのいくつかをご紹介したい。
 まずは、勢いがあるといえば各地で地域生活支援フォーラムを開催している全国地域生活支援ネットワークであろう。フォーラムの総括的なものとして、毎年2月に滋賀県の大津で開催され、今年で8回目をむかえるアメニティフォーラムには千五百人以上の参加者がある。根来、北岡、福岡、曽根という4人のリーダーに恵まれ、レスパイトケアと呼ばれるサービスを先駆的に手がけた各地の小さな動きが大きな流れとなったものである。最近ではNPO法人化も果たし、今後も勢いはさらに増しそうである。
 もうひとつは、障害者の就労支援をすすめるジョブコーチを中心とした動きである。これは、横浜の仲町台センターの小川さんらを中心とした動きが結実したものであり、既存の動きや流れ、あるいはジョブコーチという同じ名称を制度化させた行政の動きからはまったく独立した流れとなっている。障害者の働く問題というと、あまりメジャーな分野ではないかの感があったが、最近では、ジョブコーチ・ネットワークという全国組織の結成にまでいたり、3月には最初の本格的な集まりを都内でもつことになっている。
 さらに注目したいのはATAC(エイタックと読みます)である。これは、毎年12月に京都で、やはり千人規模で開催される会議であるが、テクノロジーの活用により障害者とのコミュニケーションをはかることなどを通じて社会参加を実現しようとするものである。こちらも、香川大学の中邑先生などを中心とした小さな動きが全国規模にまで成長した動きであり、福祉情報技術コーディネーターという認定資格を生み出すにまで至った。
 もちろん、これら以外にも「勢いのある」流れや動きはいくつかある。毎年8月か9月に千五百人規模で自閉症カンファレンスを開催する、自閉症をもつ人たちに対するTEACCH(Cは2つで、ティーチと読みます)と呼ばれる手法についての流れ、特別支援教育の制度化とあいまって注目を集める注意欠陥多動性障害や学習障害などの軽度発達障害と称される人々自身やそれを支援する人々の動き、精神障害者に対するSST(社会生活技能訓練)をすすめる動きなども注目に値するところである。
 いずれの動きも、ホームページをもっているので、さらに詳しく知りたい読者の方はそちらをあたられてほしい。

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 立ち売りという形で本を売っていると、主催者の人などから「どう?売れてる?」などとしばしば尋ねられる。それに対する当方の返答は、残念ながらほとんどの場合、「いやあ、あんまり・・・」というワンパターンな表現にならざるをえないのだが、さらにそれに対する相手の返事というのも、ほぼワンパターンで「みんな帰りがけに買うんじゃない」という励ましというか慰めである。
 本は重たいのから参加者の多くは帰り際に買うのではないかと考えるのは当然のことかもしれない。しかし、これが違うのである。経験からいわせていただくと、集会が終わるやいなや、参加者の皆様は脱兎の如く帰路につかれるというのが常なのです。
 昔は、スペース96も、お客様は帰り際に本を買うのではないかという淡い期待を抱きつつ、集会の終了時までしばしば粘ったものであった。しかし、それが報われることはほとんどなかったのである。そこで、今ではたいていの場合、午後の最初の休憩をもって販売を終了させていただいている。
 事情があって、時には集会の終了後も販売をすることもある。そうすると、ほとんどの人が即座に帰ってしまうのに、非常に少ない人数の人だけが、今度はいつまでも本の前にはりついてなかなかこちらが帰れないということになりかねなくなる。そういうお客様が、じゃあ、最後にたくさんの本を買ってくれるかというと必ずしもそうではないのである。
 ねばる人をみながら、こちらは心の中で「買え、買え、買え」と念波を送り続けているにもかかわらず、突然あらわれた「ゴメン、ゴメン、待ったあ?」などという人に「ううん、本見て時間つぶしていたから大丈夫」などとお答えになっている客様に出会うとコンニャローと思わざるをえない。
 もっとひどいお客様もいらっしゃるのである。片づけはじめて、やっと本を箱に入れ終わった頃になって登場し「あれえ、もう終わっちゃったのお?ねえ、あの本出してくれない?」などと平然とおっしゃるお客様である。容易に想像できるであろうが、その本が何箱もある箱の中のどの箱に入っているかなどということは全然わからないのである。確率的にはすべての箱を開いて最後に出てくることもあるのである。
 それでも、こちらは1冊でも売れればと思いつつ、やっとその本を取りだしてみたところ、隣のお客様が「あ、それアタシその本持っているから、貸してあげるわ」だなんて、ほんと神も仏もいないのではないかと思わざるを得ない一瞬であります。

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 メルマガというのをご存じだろうか。メールマガジンの略である。インターネットをつうじたメールの送信の形で雑誌的な内容や情報を提供するものである。少し前に、小泉総理大臣のメルマガというのが評判になったことがあるので、コンピュータなどに詳しくない人も耳にしたことがあるのではないだろうか。
 スペース96でも、このメルマガで障害者関係の書籍などについての情報提供を開始した。2月に配信を初めて、1ケ月少しで購読者数は、既に2500人をこえている。
 このメルマガというのは、受信をする側は、配信する者に対して1円も払わない。マガジンとか購読者数とかいっても購読料は無料である(有料メルマガといものも一部存在するが)。発行する側も、システムを提供する会社に対して1円も支払わない。多くの検索エンジンなどと同様、広告収入などによって成り立っているのであろうが、スペース96のように広告を掲載しないメルマガも多数ある。ただし、一番最後に、この会社の広告だけは数行はいるが、その広告効果はほとんど期待できそうにない。不思議な経済である。
 面白いのは、2500人をこえる人が購読しているといっても、発行側には、いったい誰が購読しているのかはまったくわからないという仕組みになっていることである。具体的なアドレスについて、このアドレスの人は購読しているかどうかという確認作業はできるのであるが、それが、どこのどなたかは全然わからない。
 その発行システムもいたって簡単である。相手が何万人であろうと、パソコンの前にすわっていながら、一瞬で、しかも無料でダイレクトメールをうてるようなものなのである。しかし、それがすぐに売上に結びつくかというと、そうは問屋が卸さず、その反応の大半というかほとんどは「見てるだけええ」という感じで「ザ・ア・ン・ネエーーーーン」というところである。スペース96をつうじては本を買ったことがない人から「いつもメルマガを活用させてもらっています」と言われると、何か釈然としないものがある。
 最近では、メルマガよりも、もう少し私的なブログ(ウェッブ・ログの略)というものも流行りはじめている。ほとんど個人の日記ともいうべきものであるが、店主のつぶやきもいつの日かブログにかわるかもしれない。
 なお、スペース96のメルマガ購読ご希望の方は、スペース96のホームページからお申し込みください。タダですけど「タダより高いものはない」かもしれませんよお。

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 先日(といっても1回前だが)、直木賞を受賞した奥田英朗「空中ブランコ」をお読みになっただろうか。これは、伊良部という精神科医と、奇妙なこだわりや強迫観念にとらわれる患者との話しである。この<こだわり>や<とらわれ>というのが「本当にそんなのありかよ」と思われるようなものであるところがオカシイのである。この中に、ある流行作家の話しがでてくる。この流行作家は、あまりにもたくさんの原稿を書いた結果、同じ話しを二度書いてしまったのではないかという考えにとりつかれてしまうのである。

 もちろん筆者はこんな流行作家というわけではないが、それでも、しばしば「この話しは前に書いたのではないか」という気持ちから、前に書いたものを全部ひっくりかえしたりしたものである。だから、時々「前にも書いたかもしれないが」などと前置きして書かせていただいているのである。本人さえわからないのだから、この連載に書かれていることなんかをちゃんと覚えている人なんかいるわけないのにである。
 筆者など話しのネタが少ないものだから、1ケ月かけて、この連載に何を書こうかと思っているのである。地方へ本を売りにむかう長距離運転の車中で、これはどうか、あれはどうかなどと思いをめぐらしているのである。そういうことを繰り返していると、同じことを何回も頭の中に思い浮かべるものだから、なにか以前に既に書いてしまった話題であるような既視感にとらわれることしばしばなのである。
 実は、前回、メルマガを発行しはじめたというお話しを書かせていただいたところ、その直後にあるメルマガの廃刊のお知らせを受け取った。浅野史郎宮城県知事のメルマガである。時に、難しい政治論議、国際問題から、時に、軽くプレスリーや楽天イーグルスの話題まで、実に、軽快なトークを連続してくださったのに実に残念である。廃刊の理由はいろいろと書いてあったが、要するに 自然体で無理なくできなくなったというような意味のことが記してあった。浅野知事くらいだとほかにもいくつも連載をかかえており、そりゃたいへんだよなあと思っていたところ、この連載にも突然、連載ストップのお話しがまいこんできた。こんなくだらない話しに既視感を感じはじめたのは筆者の限界というところであろう。
 なお、奥田英朗氏の作品は受賞作よりデビュー作の「最悪」の方が面白いし、最近文庫で出された、まだ、作家として本格的にデビューする以前の「延長戦に入りました」のほうがもっと面白い。最後は本屋らしく本の話題で。では。

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 前回、書いたように日本てんかん協会東京都支部の機関誌「ともしび」の連載は終わってしまい、昨日送られてきた「ともしび」では新しい連載がはじめられていた。
 いつも月末になると「原稿書かなくちゃならないなあ」とたびたびイヤイヤ思っていたのだから、これを機にやめればいいのである。しかし、なぜか月末になると何かを書きたくなっている自分を発見してしまった。私の指先が疼くのである・・・。

 ここからは、「店主のつぶやき」改め「店主の遠吠え」として自由に、今ふうに言えば、ブログ調にいってみたい。

63*********************************************************

 まずは、なんとしても、触れておかなくてならないのは、最近亡くなられた調一興(しらべかずおき)さんのことである。
 
調さんといっても、ご存知ない方もいらっしゃるかもしれないが、日本障害者協議会の代表や全国授産施設協議会の会長などを歴任された方である。
 戦後、若くして結核を患い、いわゆる患者運動、結核回復者の職場作り運動としてのコロニー作り(国立や県立の大規模・隔離・収容というコロニーとは違うもの)、内部障害に対する障害認定などに力を尽くされた。その後、社会福祉法人東京コロニーおよび社団法人ゼンコロの創設や運営の中心的存在として長く活躍された。
 筆者は
1978年に、当時、東京コロニーの常務理事であった調さんの秘書として働きはじめたのが最初の仕事であった。社会福祉法人の本部が独立した事務局を構えて有給の職員をかかえる、あるいはその常務理事が秘書をもつなどというのは今でもあまりないことだと思うが、当時は今よりもめずらしかったと思う。ともあれ、筆者は、調さんが東京コロニー以外の場所でうけもつ、障害者運動と呼ばれるような場所における役割を助けるのが仕事であった。「助ける」といったって何ができるわけでもなく、半分は原稿の清書係り兼運転手みたいなものだったのだが。
 秘書というわけだから、調さんに年中くっついて外へでかけるわけである。調さん自身は既に地位も役割ももっているので、外で会う相手も相応の身分というか立場の人が多いのは当然である。そうした場所で、調さん同様に様々な分野で開拓者としてあるいはリーダーとして活躍される方々とお会いする機会をもてたことが、筆者にとっては何よりもの経験であり、研修であり、学習であった。これらの方々から学ばせていただいたことは何ものにもかえがたく、今、仕事ができていることの大きな肥やしとなっていると思う。
 ある日、これらの方々をみていて共通することに気づかされた。それは、仕事を仕事として始めたのではなく、やっていたこと、あるいはやりたいことが仕事になっていたという点である。たとえば、調さんも、授産施設の運営をやりたくてはじめたのではないのである。止むにやまれず、生き場のない結核回復者の職場作り運動をはじめたら後から授産施設という制度がくっついてきたというようなものである。だから、仕事のすべてが自然体にこなせるのである(あまり意味がよく伝わらない表現かもしれないが)
 もうひとつは、知らないものを知らないという謙虚な態度と新しいものに対する子どものような素直な興味ということだった。知らないことや新しい情報・動向などについては、実に原則的な学習の態度を崩さず、また流行ものなどにも目を輝かせて知りたがるようなところがあるということだった。
 さらにもうひとつは、自分のことだけを考えないということだった。多くの関係者は自分がよってたつというか背負い込んでいる障害種別や「業界」の利益を最優先して考え、発言し、行動するのが常である。しかし、調さんをはじめとする優れたリーダーたちは、全体の中で今なにが必要かを考え、判断し、優先順位をつけることができる人々であった。その答えが、たとえ自分の仕事や立場にとってすぐに結びつくものでなくても優先順位の高いものに取り組むことができたということである。

 学ばせていただいた数多くのことをまとめるのは別の機会にゆずるとして、心からご冥福をお祈りいたします。

64*********************************************************

 前回の調さんの話しに続いて亡くなった人の話題で恐縮というか憂鬱だが、ヤマト福祉財団の小倉昌男さんが亡くなられた。調さんとは違って、こちらは逝去の報が新聞の一面でなされるのだからちょっと格が違うのかもしれないが(草葉の陰の調さんは「オレの方が格が上だ」と言っているかもしれないが)。
 小倉さんについてはご存知の方も多いだろう。宅急便という商品としての固有名詞を一般名詞としてまで定着させた業績(因みに一般名詞としては「宅配便」)、許認可事業をめぐって中央省庁と裁判までおこした反骨精神などなど。考えてみれば昨今の郵政民営化論議の根っこを耕したようなものである。そして、自らがもつ株を売却して(それも半端な金額ではないのですよ、ウン十億円ですよ)ヤマト福祉財団をたちあげ、無認可共同作業所における障害者に対する安過ぎる工賃に対して憤ったことをキッカケに開始したスワンベーカリーにおける成功などとなど。
 宅急便の話しはNHKの番組「プロジェクトX」でもとりあげられた(この番組も先日のヤラセで格が落ちましたが。でも好きだなあ、この番組。ネタがなくなったらスペース96にも取材にこないかしらん。「その時久保は思った。もう、あとはない」なんて田口トモロヲのあの声でいわれたらウフフ)。
 ご自身の著書も多い。スペース96でもずいぶんと売らせていただいた。筆者も個人的にすべて(ちゃんと本屋で買って)読ませてもらった。創業者ではなく、いゆわる「二代目」とはいえ、宅急便をはじめたという点では創始者ともいえる、その「事を成す」過程の面白さやダイナミズムは本当に面白い。奥様が亡くなられたということで書き記した、別の女性に対する思いについてだけはちょっと個人的に理解し難かったが・・・。
 ちょっと前に開かれた、前回ご紹介の調さんの77歳(喜寿)のお祝いの席にも出席されていて、その時には既に杖をついて少し年老いた感があった。「乾杯の音頭を」と請われて「ちょっとオシッコ。これが本当の執行(シッコ)猶予」などとつぶやいて周囲の爆笑をよんでいたのが印象的であった。(前回も書かせていただいたが、各界のリーダーに共通する、こういう子ども心的なところがいいんですよね。単なるオヤジギャグといわれるとそれまでですが)
 この小倉さんが「障害者が作業所などで1カ月働いても月給1万円以下とはケシカラン」と発言したのは有名なことである。小倉さんは、ただそう言うだけでなく、知的障害者が働くスワンベーカリーを銀座のど真ん中でたちあげ1万円以上稼げる実績も示したし(その前には、パン屋さんで自ら修行もしたりするところがこれまたスゴイのだが)、それだけでなく作業所の職員を対象とした研修会をヤマト福祉財団負担で全国で開催するなどという、問題の根本的解決に挑戦する事業も行った。
 作業所などで作る製品というのは、この文章を読んでいる方々ならだいたいご存じだろうが、言葉を選ばずハッキリ言わせていただければ「普通は売れない」ものを作っているのである。スペース96も、大会や集会の会場でしばしば、こうした作業所や授産施設の製品販売とご一緒させていただくことがあるのだが、横でみていると、参加者の方々が、こうした商品に対して賞賛の言葉をなげかけながら買っていくのである。
 まあ、中にはそれなりの商品もあるかもしれないというものの、品質・価格などの点においてほとんど資本主義社会というか競争原理のもとでは勝ち残れないものである。つまり、あんまり良いものではない、あるいは買いたいものではないものに対してお客様が誉め言葉を呈して買っていくのである。これは、はっきり言って同情である。憐憫である(「憐憫」読めますか。意味知っていますか)。言ってみれば、障害者が作ったからというだけでというか、その分を差し引いて誉めているわけである。しかし、この誉め言葉を真に受けて励みとした障害者あるいは施設職員がいたとしたら、その発言は犯罪的であるとさえ言えるかもしれないのである。
 喩えに飛躍があるかもしれないが、こうした誉め言葉というか態度は戦時中の大本営発表と同じ嘘八百である。もしくは「自衛隊は軍隊ではない」とか「サマワは戦争状態のところではない」という今のこの国の政府見解と同様の滑稽さである。あるいは、イラクのフセイン政権崩壊の直前に、西側諸国のプレスのインタヴューに答えて、すぐ後ろをアメリカ軍の戦車が通り過ぎているにもかかわらず「イラクにはアメリカ軍はいません」と言っていたサハフ情報相のようなものである(もう名前さえも忘れていたでしょうが、サハフ情報相の滑稽さをおちょくっただけのwebサイトもたくさんあるのをご存知ですか)。
 言い換えると「裸の王様」状態なのである(知ってますよね「裸の王様」。最近、こういう比喩が通じなくて困っているものですから、一応、念のため確認させていただきます)。福祉の世界だけにかかわらず、日本の社会全体がこうした「ウソ」のうえに成り立っているのである。こうしたウソはあちこちに存在しているにもかかわらず、寅さんではないが「それを言っちゃあオシマイでしょう」ということになっている。
 ノーベル平和賞受賞者でケニア環境副大臣のワンガリ・マータイさんが、国連で、日本語の「もったいない」という表現を環境保護の合言葉として紹介し、会議の参加者とともに唱和したことで有名になったが(マータイさんの指摘以前から、この表現は英語にはない表現だということをで有名だったが、強いていうとIt is too good to disposeとかspoilになるとのこと)、この表現と同じで、この「それを言っちゃオシマイでしょう」は実に日本社会を支えるキーワードもしくはキー・エクスプレッションだといえる。これに並べて、世界に誇るべき日本語にしかない表現として「みっともない」と「お互い様」をあげている人がいることを最近知り、フムフムとも思わされたりもしましたが。
 小倉さんは、言ってみれば、皆が思っていたことを言っただけなのである「王様、裸ですよ」と。「作業所が作っている製品は世間では売れませんよ」ということは、声に出す人は少なかったものの多くの人が思っていたのである。しかし、良いか悪いかは別にして「地位のある人」がいうと重みが違うのである。
 同じような話で、みんなが思っていても施策に反映されないようなことを中央省庁の人がいうと、それはすごい革命的なことのようになるのである。そうすると、その人自身がすごいことのようになってしまうのである。そうではなく、本当は、蒼茫(意味知ってるかなあ)の声が施策として反映されないという構造自体が問題なのである。
 これらのことが示しているのは、福祉という世界では「当たり前のこと」を言ったり実現することがいかに難しいかということである。福祉の業界に従事する人々は障害者をはじめとする社会的弱者を受け入れない、あるいは差別するような人々や社会の構造に対しては声高に批判するものの、自らが社会では受け入れられない感覚に陥っていることにはまったくといって気づいていないのである。
 かつて、大正時代の初期に、この国の精神障害の世界の泰斗であった東京帝国大学の精神病医学教室の呉秀三が、精神障害者が座敷牢にいれられている実態を見て「我が国十何万の精神病者は、病を受けた不幸のほかに、実にこの国に生まれた不幸を重ぬるものというべし」と言ったといわれるが、呉秀三が今生きていたなら「この国に生まれた不幸」にもうひとつ別の意味を加えるのではないだろうかと思われるほどである。
 今回は、ここまで。「つぶやき」ではなくかなり「遠吠え的」になってきましたね。  

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 前回「裸の王様」という話しを書いた。無認可の作業所が作っている商品価値のない製品に対して、それを無理して誉めるような行為は「裸の王様」のような話しであると。この話の部分をある県の作業所の研修会のような場所での資料として使ってもよいかという問い合わせがあったのには驚かされたが(いつも本を売らせていただいているのに、きょうされんさんごめんなさい)。
 同じような話を現職の本省の人が書いている。「もう施設には帰らない」という、なかなかセンセーショナルなタイトルの本の中で、大塚晃専門官が書いている「もう嘘をつくのはやめよう」という一文がそれである。「もう施設には帰らない」という本は施設を出て地域生活をはじめた知的障害者たちに対する聞き取りを文章におこしたものである。新聞などでもずいぶんとりあげられた本なのでご存じの方も多いのではないだろうか。
 その中で、大塚専門官は「入所施設で一生を送ることが幸福だと、彼らに『嘘をつくのはもう止めにしたい』」と書いている。施設中心の施策を続けてきた本省の担当者(といっても大塚専門官がやってきたことではないですが)としては、まあ、なんと大胆な発言ではないだろうか。これを出版した出版社が、中央法規だというのもまたなんだか皮肉なのだが。なんで皮肉なのかはわかりますね。(いつも本を売らせていただいているのに、中央法規さんごめんなさい)
 そもそもこの専門官という立場をご存じだろうか。出入り業者との癒着などを防ぐというような理由で、役人というのは数年で異動するのが常である。そうすると、そこにおける専門性というのが継続されないことになる。「やっと担当者が、中身がわかってきた」という頃になると役人はいなくなってしまうのである。そこで、この専門性を担保しようというのが専門官制度である。本来は民間の、その分野における深い経験と詳しい知識をもった人材を登用するのである(必ずしも、民間からの登用とは呼べないようなケースもあるが)。他の部署への異動もしないが、10年くらいで退職して大学の先生になっていくというケースが多いようである。
 大塚専門官は、その活躍ぶりとあわせて、たしか「親」でもあるはずで、こうなると鬼に金棒みたいなものである(わかったようなわからないような表現ですが)。きまった大学や機関から「あて職」的にわりふられているどこかの部局の「何にもセン」モン官にくらべると、歴代の専門官の中で、かつての河野、丸山あるいは中沢専門官(これらの専門官をもう知らない人が多いかなあ)以来の久々の専門官らしい専門官だといえそうだ。実は、筆者も今の仕事を始めた頃にこの専門官にならないかと誘われたことがある(エエ、ウッソォー!という声が聞こえそうですが)。履歴書まで出したのに、その後におこった岡光序治事務次官の汚職・逮捕問題(もう覚えていないでしょう)の騒ぎの中でふっとんでしまったのだが(という、よく考えてみれば、理由になっていない理由でこの話はナシになりましたが。ま、本当の理由は別にあったに違いありませんが)。世が世なれば、今頃みなさんの前で「オーエキフタンがあ・・・」などとのたまわっていたかもしれないのです。
 えーとなんの話だったか、そうそう、裸の王様。
 でもその話に戻る前に、「施設にはもう帰らない」という本の話がでてきたついでにいうと、この本の中には、現在、全国地域生活ネットワークの事務局長になった戸枝陽基さんの文章も載っていてこれがまたいい。
 地域生活だとかいって障害者の生活を施設から地域に移したといっても、それはいわば牧場を拡げて柵を見えなくしているだけであって、大事なのは柵を壊すことだとの当事者の指摘に愕然としたという話なのだが。一読をおすすめします。
 この戸枝さんがやっている(正確には「やっていた」というのかな)ふわりという知多半島での活動は実にすばらしい。施設や福祉が先にあり、ではなく、必要なことをただやっていたという話し、だから公的資金などなんにももらわずに事業をやっていたら、そのことがマスコミに書き立てられて、ついには行政の方から「お金をもらってください」といってきたというような話しは好きだなあ(ちょっと表現が正確でないかもしれませんが)。
 もう少し、ついでにいうと、戸枝さんが、かつてふわりのホームページに書いていたエッセイのようなものもおもしろかった。カルピスの適正な濃度はどのくらいか、などという、どうでもいいような話で読者を引き寄せておきながら、いつのまか福祉の話につながっていくという絶妙な語りでした。今でもhttp://www.mmjp.or.jp/fuwari/books/books.htmからはいれますよ。でも最近の同氏のブログはあまりおもしろくないなあ・・・。(いつもフォーラムで本を売らせていただいているのに戸枝さんごめんなさい)
 なぜか、大塚専門官と戸枝さんの絶賛で今回は終わりでした。
 (なんか、この連載も、てんかん協会東京都支部の連載という形が終わってからトーンがかわってきちゃいましたね。) 

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 スペース96は1年をつうじておよそ250回ほどの集会、研修会、セミナー、大会や学会などの会場で書籍販売をさせていただいている。そのなかで「学会」と名前を冠されているものは案外に少ない。その少ないなかのふたつ、日本特殊教育学会、日本LD学会が、金沢、福井という、日本海岸添いの都市で連続して9月に開催された。金沢で開催された日本特殊教育学会の1週間前には、やはり金沢で日本知的障害者福祉協会の全国職員研修大会が多数の参加者のもとで行われており、スペース96としては毎週のように金沢もしくは金沢越えの地域に赴くことになった。
 ご存知のようにスペース96ではたいていの場合、車で現地に向かうわけであるが、東京から金沢にどうやって行くかなどということを、皆さんはすぐに頭に思い浮かべられるであろうか。高速道路網が発達した最近では、練馬から関越道にはいって、高崎の手前の藤岡というところで左折して上信越道に入り、釜飯で有名(といっても知る人はもう少ないかもしれないが)な横川や霧深い軽井沢経由で山越えし、更植(こうしょく)というところで長野道にとんとつきあたり、そこを右折して100キロ足らずで日本海にまたつきあたって左折し、親不知(おやしらず、と読みます。その名前の由来を知らない人はネットででも調べてください)で有名な海岸沿いに(親不知という名前の由来ゆえに)連続するトンネル26個を過ぎて富山、金沢へと至る。さらに、福井に行くには案外と難しく、実は東京圏からだと、関越道から行くよりは東名高速の用賀からはいって、東海道が北陸道へと分岐する米原(降雪情報などではよく駅名としての「まいばら」と読まれますが、正確な地名としては「まいはら」と読みます)経由のほうが実は近くなっている(たかだか30キロくらいではありますが)。しかし、都内の出発地点と東名高速入り口の用賀との地理関係で、どちらから行くかはビミョーなところ。スペース96は練馬にあるので、関越道までの距離と用賀までの距離を差し引き、混雑具合を勘案し、そのうえ道中の景色などを加味し、さらにはどっちの道沿いのサービスエリアの蕎麦がうまいかを考えれば、自ずととるべき道は決まってくる。
 なんだか言いたかったことと全然違う方向の話しをしてしまった。2005年度の「全国書店員が選んだいちばん!売りたい本 本屋大賞」(いわゆる本屋大賞)第2位に選ばれた、若年性認知症を描いた「明日の記憶」(絶対、読むことをおすすめします)のようになってきた。この「明日の記憶」があまりに面白いので配偶者殿に読ませたところ「あれ、あんたが書いたんじゃないの」とのたまうので、その心はと問えば「だってアンタがすることばっかり書いてあるじゃん」との由。絶句。
 閑話休題。(読み方と意味わかるかなあ、若者よ)
 ええっとなんだっけ。
 そうそう、まず、そのひとつ目の日本特殊教育学会では、書籍販売がふたつの教室にわけられたのである。あるフロアーの両端の位置で廊下を軸とした対角線上に位置するふたつの部屋での販売が指示され、それぞれの部屋に数社ずつが配置されたのである。どちらの部屋でどの出版社や書店が販売するかは主催者に委託された会議屋さんと称される業者によって事前に決められていた。ところが、どういう訳か一方の部屋にはまったく参加者が行かないという現象が生じてしまった。当然、参加者が寄り付かない部屋に割り振られた出展業者からクレームがでたのであるが後の祭り。スペース96はさいわい参加者が相対的には多数寄りつく部屋にいたのだが(あくまでにも相対的にで、それでも参加者全体の中で訪れる人は少ないロケーションだったのだが)、実は、当初はもう一方の部屋の方が人の流れがあるのではないかと、内心「やばい」と思っていたのである。ところが、結果としては、スペース96にとっては幸いな結果となってしまった。うがった見方をすれば、スペースを大きくとる(別の言い方をすると、ショバ代を高く払う)スペース96のところには人がつきやすく、人が多数いるところにはさらに人が集まりやすいということもあるかもしれないが、どうも理由はそれだけではなかったようである。しかし、長年の経験によってもその本当の理由はよくわからなかった。ともかくも、書籍販売の場所は部屋にいれないでほしい(別の言い方をすると参加者の動線上で売らせて欲しい)、また一箇所にしてほしいというのが出展業者一同の思いであるが、そういうことは全然伝わらない。また、今回のようなことがあっても、実際の運営をしきるのがその年限りの開催現地の実行委員会だったりすると、経験や教訓としてはまったく蓄積されることもなく情報が翌年に伝達されることもない。
 1週間後に福井で開催された日本LD学会での、当初示された販売場所の条件はさらに厳しかった。日本特殊教育学会と同様、まず販売場所がふたつにわけて部屋の中とされたうえ、いずれの場所も、送られてきた図面上からはどうみても参加者の動線とはかけはなれた場所での販売。さらにスペース96が割り振られた部屋の2階部分は、なんと3日間の学会期間中プログラムがひとつもないという、比喩の言葉も思い浮かばないような、シベリアで早朝、乾布摩擦みたいな厳しさである。さすがに、事前に手をつくして、他社に呼びかけたり、主催者に申し入れたりで、最終的には難なきをえたが(清水先生ありがとうございました)、それに至るまでに費やした労力、手間、時間、精神的疲労たるや、北極で裸で水風呂に入りヒヤピタをつけながらカキ氷を食べているような厳しさであった。思えば同学会では、昨年も同様のことがあった。主催者の指示どおりのことではあったのだが、スペース96だけが参加者の動線上で販売をすることになり、他社のところにはほとんど人がいかないというということになってしまった。そのため、スペース96以外の書店や出版社すべてが、翌日になってから移動を余儀なくされたのであった(ひとたび並べた本を他の場所に移動するというシンドサをご想像いただけるだろうか)。
 日本LD学会に続いて1週間後には日本社会福祉学会が仙台で開催された。ここでは、もうまたさらに凄まじい販売条件となった。その販売の場所自体が記念講演やシンポジウムが行われるメイン会場とはかけ離れた場所というロケーションであるうえに、販売が許されるスペースは1.8メートル四方。それも、刑務所の独居房よろしく三方を壁で囲まれ、1ミリたりともハミダシは許しませんよ状態での販売であり、そのうえ与えられた机は2本で、それも1本1.2メートル。その机1本の幅は本が2列にも置けないという狭さ(ウッソーという声が聞こえそうですが、本当です)。それでショバ代はななななんと4万円。恐る恐るチクチクとクレームすれば「4万円なんてえのはブース代の実費だ。条件については事前にそう伝えてあるんだから、それを承知できたんだろう。文句あっかオメエ」的回答。たしかに、だからこそ、こちらは「ブースや看板などはいりません、机だけで結構ですからもう少しスペースをください」と事前に要望したにもかかわらず、とにかく聞く耳もたずであったのである。それでいて、事前にあったのは、仰々しい、こちらにいわせれば無駄金と思わざるを得ないような膨大な紙資料の洪水ばかりかりであった。実際に現地に行ってみれば、会場には、広すぎるくらいのスペースがあるのに、こちらはカゴのトリ状態。もう何を大事にしているのか、ほんとに疑わしくなる状態であった。参加者からも「これはヒドイ」との同情の声ばかり(同情するなら金をくれ、って昔ありましたね、なんだかもうよくわかりませんが)。聞けば、会場である主催者校について、多くの人からは「とにかくカネ、カネ体質」「とにかく官僚的」との評判ばかり。いったい、こういう体質の学校のもとで行われる教育を受けた人が福祉の現場で他の人のためになどと考えられるのであろうかと遠く思いをはせてしまった。
 実は、同学会では、ここ何年も今回同様の厳しい状態ばかりが続いていたのである。ちょっと前だが、かつて明治学院大学では各社に与えられたが机が1本でかつ背中合わせ状態のロケーションで各社絶叫。日本社会事業大学では50周年記念だから今回限りという理由で法外なショバ代を請求され各社絶叫(さらに、そういう点だけはその後に開催された学会にもちゃっかりと引き継がれふたたび各社絶叫)。ご本人は知る由もないだろうが、このときの展示担当者の日本社会事業大学の某教授はこの学会の展示販売に歴史的禍根を残したA級戦犯として今でも出版社の間で名指しで「語り継がれ」ている。四天王寺国際仏教大学ではメイン会場と遠く離れた体育館での販売となり、会場では閑古鳥が鳴くありさまで各社絶叫。こうした事情を配慮し「今回は高いショバ代はとらないし事前に出版社や書店に会議にも出てもらって細部についてきちんと協議をしてから決める」といっていた東洋大学でも、ついに会議への出席の連絡もなく、講堂の地下2階での販売という最悪の条件のうえ、ショバ代に加えて机代は別にとるは、各社のクレームで結局は2日目に場所は移動になるはという最悪の結果に各社絶叫という歴史である。古館一郎だったら「いや、まさに、歩く絶叫マシーン学会とでもいうのでしょうか」とでも言うところである。
 ここまで読んだ読者の方々は首をひねっているのではないだろうか。「じゃあ、なんで、みんなで、もっときちんと条件について協議したり申し入れをしないのか」と。そうである。出展業者の側もダメなのである。根性なしなのである。スペース96(あるいは、ご存知かどうかわからないが、老人分野での筒井書房、保育・児童分野でのトロルなど)のような書店はその学会における売上で食べているのであるから必死となるのだが、数多(あまた、と読みます)の出展業者は出版社であり(出版社と書店の違いについては本「つぶやき」の冒頭の方を参照してください) 、その学会での売上が死活問題とはならないのである(別の言い方をすると、その学会の会場で売れなくてもお給料は出るのです)。多くの出版社にとっては、著者の先生方に対する顔見世興行的な要素が学会出展の主な目的なのである。いきおい、販売条件についてなどは、そう目くじらたてることではないということになるのである。
 何年に一回かの引き受けで、今までの経緯もよくわかないまま、どうせ次回にお鉢がまわってくるのは50年後なんだから、なんとか今回だけやりぬけちゃおうという旅の恥はかき捨て的な現地実行委員会と顔見世興行でクレームをつける勇気もない根性なしの出版社との間で、スペース96だけが「それはないでしょう」とつぶやきながら泣いているのです。うううう、しくしくしく。


★番外編


下記は長文ですので、別サイトにアップしましたが、ぜひお読みください。

「たたかいはいのち果てる日まで」復刻顛末記

http://www.normanet.ne.jp/~ww100136/tatakai.htm


★67★*********************************************************

 今日は20081026日である。本サイトを更新しなくなってかなりの時間が経過した。
 本連載は、冒頭にも記してあるとおり、当初は日本てんかん協会東京都支部の機関紙「ともしび」に掲載されたものであった。掲載中は月刊の締切日があり、かなり頑張って執筆(執筆というのはちょっと大げさかな)していた。掲載が中止となった時にも「これからも書くぞ」と意気込んでいたのだが、数回書いただけで終わってしまった。数回のうちの二回は調さんと小倉さんがなくなったことに関連して書かれたものであった。
 そしてまた、久しぶりの更新内容が、丸山一郎さんが亡くなったことについての内容になるというのはなんとも憂鬱なことである。


 丸山一郎さんは
、慶応大学を出てから、太陽の家東京都心身障害者福祉センター → 東京コロニー → 厚生省 → 総理府 → 全国社会福祉協議会 → 埼玉県立大学、と仕事をされた。もちろん、その合間というか、それらの仕事をしながら日本障害者リハビリテーション協会や日本障害者協議会などの仕事も多数こなされた。

 その丸山さんが32日にすい臓がんで死去した。発見から約十ヶ月後のことであった。筆者の一回り上の午年、65歳という若さであった。

 実は、丸山さんは私の職業人生で最初の上司であった。私が1978年に東京コロニーで調さんの秘書兼ゼンコロの書記として仕事を始めた際に、丸山さんは東京コロニーの法人本部企画部長兼ゼンコロの事務局長であった。二十代の若さで所長(丸山さん自身は「社長」と称していた)として就任した東京都葛飾福祉工場における苛烈な労働争議のあと 当時、同工場を辞して法人本部に所属していた。

 当時、国内の障害者関係団体を糾合しようとして、国際障害者日本推進協議会(現在のJDの前身)の設立準備に熱心に取り組んでいた丸山さんの姿が今でも忘れられない。当時、全国心身障児福祉財団から出版されていたA5版の横開きの「全国療育名簿」を片手に、何の面識もない関係団体に片端から電話をかけ国際障害者年の意義を訴え、推進協への結集を呼びかけていた。今では全国の障害者団体はさまざまに交流の機会があり、リーダーたちはお互いに面識があるのが当たり前となっているが、当時はそのようなことはなかったのである。


 私が、仕事を始めた当初に丸山さんと一緒にさせていただいたもうひとつの仕事は障害者リハビリテーション交流セミナー(現在のリハビリテーション総合セミナー)の事務局の仕事であった(その時の事務担当は、当時、日本女子大学の大学院生だった奥野英子さん)。リハビリテーションという仕事が、上田敏先生の表現を借りるならば「全人間的復権」とも呼ぶべきダイナミックなものでありながら、医療職者を中心とした仕事のように限定的に理解されていた状況を打破し、リハビリテーションにかかわる様々な専門分野の人々の結集と交流を目指したセミナーであった。こうした専門分野においても、異なる分野の専門家たちの交流や面識はまだまだ浅く、本の著者として名前のみを知っていた同士がこのセミナーをつうじて始めて出会うなどということも多かったのである。

 この最初の二つの仕事が、私にとって、いろいろな意味で現在の仕事につながる源流のようになるのだが、今は丸山さんのことなので、ここでは詳しくはふれない。

 丸山さんは、その後、厚生省の板山更生課長に白羽の矢をあてられ(板山さんのこの判断は歴史的判断ともいうべきものである ! )1981年の国際障害者年の準備にあたる目的で障害者福祉専門官に着任してしまう(丸山さんという逸材を、障害者福祉全体の利益を東京コロニーの利益より優先させて放出した調さんの偉大さよ ! )。そのため、私が丸山さんと実際に職場そのものをともにして仕事をしたのは僅かに二年ほどということになるが、その後も継続してさまざまな意味で仕事を一緒に続けてきた。丸山さんの頭の中では、最後まで、私は直属の部下であったのだろう。組織の中の人には頼みにくいような仕事をしばしば依頼されたものである。そういう依頼になんとかこたえることができたのは、なんといっても東京コロニーの調さんの寛大さというか、懐の深さがあったためである。いちいち細かい決裁手続きなどを経ずに、自由に行動できたのはなんともありがたいことであった。

 その後、職場は異にしながら、実に様々な型にはまらない仕事を一緒にさせていただいたと思う。

 イギリスのレンプロイ公社から旅行用の大型バックを多数輸入し、輸入業務の手続きを学んだり、その後、丸山さんや私の家の押入れにあふれかえった製品の販売に苦労したのも丸山さんとの仕事であった。

 国際障害者年日本推進協議会については、結局、前年の1980年の準備、創設から、1981年の国際障害者年とその後の数年にわたり、仕事にかかわることになった。1980年から1981年にかけてはほぼ毎日のように12時過ぎまで事務局仕事を手伝うような毎日が続いた。

 1983年に日本の各地で開催され、その後の自立生活センター作りのきっかけになった日米障害者自立生活セミナーに今は亡き今岡秀蔵くんや大森幸守くんらと関わったのも、その事前準備として訪米して、当時まだハワイの自立生活センターにいた高嶺豊現琉球大学教授と打ち合わせたり、サンフランシスコで、エド・ロバーツや、当時まだ日本では無名だったマイケル・ウィンターやジュディ・ヒューマンなどと打ち合わせをしたのも、大きくは丸山さんの仕掛けであったいえる。サンフランシスコでの打ち合わせに、私の英語のチェック役として同行してきたのは、アメリカの自立生活運動や高嶺さんの存在について最初に丸山さんに知らせてきたアイリーン・ヤマグチ(元九州リハビリテーション大学校のOTの教師)であった。

 1983年に2ヶ月にわたり総理府主催の東南アジア青年の船に乗ったのも、丸山さんと、数年にわたり青年の船に障害者を乗せようとしていた運動がきっかけであった。

 1986年の障害者施設に対する費用徴収制度の過程で、当時、完成したばかりの厚生省の建物に泊り込みの反対闘争が行われた際には、厚生省の専門官としてピケをはる前線の丸山さんと相対する羽目にも陥った。

  1987年からアメリカでジャスティン・ダートさんがRSAの長官に就任し、私が、1987年から1年にわたりRSANational Council on Disabilityでインターンとして働かせてもらったのも、丸山さんとの仕事といえる。当時、アメリカの障害者行政のトップの地位にたったダートさんから丸山さんのもとに、日本人の誰か有為の青年を自分の秘書役として派遣することが依頼された。例により、丸山さんから、その人材さがしが私に依頼されてきた。何日かたって丸山さんから電話があった時の会話は次のようなものであった、「誰か見つかったか」「見つかりました」「誰だ?」「私です」「そうかあ、やっぱそれしかないか」。私は、条件が許せば丸山さん自身が本当は行きたかったのではないかと今でも思っているのだが。 

 
1988年に韓国で開催されたパラリンピックでは、その準備のための韓国人の日本における受け入れ、養成などにつきあわされ、最後は日本赤十字語学奉仕団の橋本祐子さんの訪韓まで同行することになった。自身の仕事を始めるきっかけが東京オリンピックにおける通訳ボランティアであっただけに、丸山さんの韓国パラリンピックに対する思いいれには大きなものがあった。

 その頃から始められたJICAの障害者プログラムの研修生の「夜の案内」ばかり何年か続けてさせられたことなども実に楽しい思い出である。

 1989年から、授産施設や福祉工場の国際的組織であるIPWH(現在のワーカビリティ・インターナショナル)への日本からの代表として、当初から数年にわたり、会議に派遣されたのも、既に全国社会福祉協議会で働き始めていた丸山さんのおかげであった。

 セルプ協の最初の二回の海外研修のプログラム作りから旗振り添乗員までを仰せつかったり、療護施設協議会の海外研修プログラム作りと事前訪米打ち合わせ、競馬福祉財団の国際セミナー開催のための事前打ち合わせにヨーロッパに行くなど、いずれも丸山さんのプロモートであった。当時のILOリハ部長の日本招聘のためにジュネーブのILOの本部に行かされたなどということもあった。

 まあ、書き出しらキリがないので、今日はこのへんまでとさせていただくが、そのほかにプライベートな面でも、とても書けないようなことも含めて実にたいへんなお世話になった。

 そんな丸山さんから入院するというメールがあったのは、昨年
(2007)4月の中旬過ぎであった。その月のはじめに、浅野さんの東京都知事立候補のための数寄屋橋での演説の応援で会った際にはいつもの調子であったので「成人病の検査かな」などと軽く受け止めていた。そこで返信のメールで近況を伝え、その中に「母がすい臓がんになり」と書いたところ、すぐに返信があり「それは奇遇ですね」と書かれていたので、ビックリしてしまった。私の母には2月頃にすい臓がんが見つかり、それまでに、ネットや国立がんセンターでの説明などを通じて、すい臓がんとは何かについての知識がある程度あったので驚きはなおさらであった。「がんも治る時代になった」などといわれるが、このすい臓がんとスキルス性胃がん(アナウンサーの逸見さんのがんもこれ)には打つ手がなく、発見=末期という代物である。発見から1年後の生存率は10%という難治のがんである。

 その後も病床から何回か電話やメールをいただいたが、本人は「会いにくるな」「他の人には言うな」ばかりで、ようやく、丸山さんから「病院に来れるか」との電話があり、見舞いを許されたのは
9月になってからであった。既にかなり体重をおとし容貌もかなり変化し、最初は部屋を間違えたかと思ったほどであった。

病魔と闘いながら、痛みを感じつつ、なおILOへの提訴について熱く語る姿は凄絶であった。ILOへの提訴の持ち込みのためにジュネーブに行く藤井さんに付き添ってほしいという依頼を何ヶ月か前に断ってしまったことが悔やまれた。

 あまり時間がないことを知り、何かしたいと思いつつも、ただ気をもむしかない非力な自分がもどかしいばかりであった。最後の職場でもっとも丸山さんの近くで同様に気をもんでいた朝日雅也教授とともに、何かしたいと相談を重ねたがアイデアが出ないままであった。10月の誕生日を機会にバースデイ・メッセージを集めるるなどということを考えてみたものの不発に終わってしまった。

 そんな時に丸山さんがヤマト福祉財団から小倉昌男賞の特別賞を受賞することが決まりhttp://www.yamato-fukushi.jp/works/award/08.html、このお祝いのメッセージを集めるということになった。時間はなかったものの、実に多くの方々からお祝いのメッセージを集めることに成功した。大半の方々は既に、この時点で丸山さんの病状について知っていたのだが、一部の方々にはそのことについてお伝えしないままの依頼となったことはたいへん申し訳ないことになってしまった。朝日先生が多忙の中、これを小冊子としてご本人に授賞式の当日わたしてくださった。メッセージを寄せてくださった皆さんありがとうございました。メッセージを集めるための声かけに協力していただいた全国社会福祉協議会の古田さん、日本障害者リハビリテーション協会の上野さん、ありがとうございました。

 それからは残念ながらあっという間であった。その後、私がお会いしたのは亡くなる前日を含めた何回かと埼玉県立大学における最終講義のときだけであった。

 29日の雪がちらつく寒い日の最終講義には教室をあふれさせるような参加者が駆けつけた。医師の忠告をふりきり病院からなんとか駆けつけた丸山さんは車いすにのったままであった。講師紹介の佐藤学長が涙ぐんでしまうような中で丸山さんの話しが始まったが、残念ながら話しは途切れ途切れで、最終的にはきちんとした話しとは言い難いものであった。しかし、その執念はよく参加者に伝わった、すばらしい最終講義であった。そんなでありながら、花束やプレゼントをうけとると、林家三平よろしく「なお、私のカバンには若干の余裕がありますし、本日は車で来ていますので」などと皆を笑わせていたのは実に丸山さんの面目躍如というところであった。

 通夜には500人をこす関係者が駆けつけた。皇族からの花輪があるかと思えば、行政関係者から運動のリーダーたちまでがかけつけるという幅広さが、丸山さんの生前の活躍ぶりを実感させるものであった。遺影の笑顔も実によかった。自分の遺影には、あんな笑顔にまさるものが用意できないだろうな、などという不謹慎な思いが心をよぎった。もちろん、通夜の参加者数でも勝てないだろうし・・・。  

ともあれ、丸山さん、やすらかにお眠りください。

★番外編

★その1★小倉昌男賞受賞にあたってのメッセージ★

 丸山さん、このたびの受賞おめでとうございます。
 丸山さんは、私の職業生活における最初の上司でした。
 このような悪条件にもかかわらず、私が今日の地位と財産を築き上げることができたのは、私自身の才能と努力の結果と思いたいところですが、やはり常に反面教師とし存在し続けた丸山さんの存在を抜きにしては考えられません。
 丸山さんの、その失敗、不始末、誤解、勘違い、調子よさ、いい加減さの数々はすべて私の職業キャリアを育むうえでの豊かな肥やしとなってくれました。
 また、私の直属の上司ではなくなった後も、なお継続して私を部下であると誤解し与え続けてくださった無償の仕事の数々は、決して他では得ることのできない貴重な機会と経験を私に与えてくださいました。
 丸山さんが、このたびのような名誉ある受賞をされたのであれば、いつの日か私に芥川賞やノーベル賞受賞の打診あるいは3億円宝くじ当選のお知らせがくるのも夢ではないと、また、一段と人生の励みと期待を与えてくださった丸山さんに、心から感謝とお祝いを申し上げます。

★その2★丸山一郎追悼文集へのメッセージ★

たくさんのありがとう

 丸山さんには、たくさんの人たちを紹介していただきました。丸山さんには、たくさんの場所や場面に連れていっていただきました。丸山さんには、たくさんの世界や仕事があることを教えていただきました。丸山さんには、たくさんの仕事の機会を与えていただきました。丸山さんには、たくさんの昔話やエピソードを聞かせていただきました。丸山さんには、たくさんのジョークや笑い話で笑わせていただきました。丸山さんにはたくさんの映画や歌を教えていただきました。丸山さんには、たくさん美味しいものを飲んだり食べたりさせていただきました。丸山さんとのことは、何を思いだしても楽しい思い出ばかりです。ありがとうございました。

★その3★小倉昌男賞受賞にあたっての丸山一郎さんの受賞の言葉★

(下記は久保ではなく丸山さんが書かれた文章である。丸山さんは残念ながら、著書や論文などはあまり残していない。どちらかというと書くことよりも話すことが得意であった。そんな中で、下記の受賞にあたっての言葉は、短い中にも丸山さんの思い、障害福祉の歴史などが凝縮されたすばらしい文章であると思われるので、ここに無断転載させていただく。)

本日はお越しくだされ誠にありがとうございます。この4月に腫瘍が見つかり療養中でありまして、ご覧のように栄養を中心静脈の点滴でしております。この度のこと、私がしてきましたことが、小倉昌男さんの賞に値するのかお恥ずかしいとことがありますが、本当に多くの皆様のご厚情に感謝しあり難く頂くことにしました。ことに大変な苦労をかけてきました妻や家族に少しは報えるかと喜んでおります。皆様誠にありがとう御座いました。疲れで声が止まりますので、息子にメモを代読させますことをお許しください。

約40年まえの1964年、私の学生のときです。

日本赤十字社の通訳ボランティアとして参加した「東京パラリンピック」では、目を見張る激しいスポーツをする日本の選手はすべて病人か患者として扱われ、病院と収容施設から来ておりました。働いている人は誰一人としていませんでした、働けると思っている人もいませんでした。

一方、欧米の選手はすべてが普通の社会人で、かなりの重い障害のある人でも、さまざまな職業につき社会に参加していることが解りました。

欧米からの参加者は、障害のある人びとを取り巻く日本の状況を、彼らの社会からみて少なくとも30年から50年は遅れていると言いました。

日本選手の解団式では、人間賛歌の素晴らしい世界大会にでられた歓びの反面、明日からまた全く希望のない生活に戻ることを想い、皆泣いていました。私は、彼我の社会的に大きなギャップと日本人の惨めな状況に愕然としたのです。

パラリンピックの選手たちの就職支援をボランテイアグループで取り組みながら、私は

卒業論文で「障害と生産性」をテーマにして、雇用されない障害のある人々の働く状況を調べました。箱根の傷痍軍人の授産場、東京・神奈川の数少ない授産施設での内職仕事では人々は暗い表情で働いていました。 

東京コロニーでは、国鉄払い下げの客車を区切って住み、病院の残飯を食べ、ベッドの上でガリ版印刷をしながら職場を自分たちの力で作ろうとしている調一興さんたち結核回復者の姿に特に衝撃を受けました。

さらに、欧米からの選手の実際の職場を訪ねることが出来、リハビリテーションと雇用施策の違いと、ともに生きる社会環境をつくることや、根本的な障害に関する考え方を知るのです。特に、一般雇用されることの困難な重い障害のある人々の多くが、米国グッドウィルインダストリイーやアビリティーズで楽しく働く姿を見、ヨーロッパの選手の多くが英国のレンプロイのような、特別支援の雇用政策の下で働いているのを知り勇気づけられました。

日本の遅れは絶望的に思えましたが、他面、欧米で進められたことは日本でも実現できるはずだとも考えました。パラリンピックの団長であった中村裕先生に、欧米での状況を報告し、内職や零細作業所でなく近代的な工場を作るべきと提言し、後の‘太陽の家’の建設募金運動に参加しました。“家”と当時の障害のある人への想いから水上勉さんがつけたのですが、英文名はJapan Sun “Industries” としたのです。 

卒業後、工場計画や品質管理、動作研究を勉強したことが役立つかも知れないとも思い、九州別府に飛び込んでゆきました、無我夢中であったようです。竹細工から始めながら、三年目にシャープに部品納入を実現できたときは大歓声を上げました。現在の太陽の家は、伊方博義さんのような優れた実務家や全国から集まった障害のある人の頑張りにより、他には類のない、オムロン、ソニー、ホンダ、三菱商事、デンソー、富士通などの大企業と提携した1100人を超える障害のある人の雇用就労を継続しています。

東京パラリンピックから43年がたちますが、私は、調一興、小川孟、板山賢治さんなどの先輩である良き師に指導をうけ、頼もしい仲間を全国にまた世界各国に得て、職業リハビリテーションと雇用就労の促進、福祉工場の経営と多様な就労方式の開発、環境改善運動、障害者施策の促進、アジアの働く場づくりと人材養成などに係わる機会を与えられました。本日一緒に受賞するという嬉しいことになった山田昭義さんとも生活圏拡大運動からの古いお付き合いです。

特に国内の多くの障害関係団体の活動をつなぐ役、国際的な協力すすめる役割を少しは果たせたのではないかと思っております。障害のある人々との運動体験を基本にして、国際障害者年のPR担当、福祉専門官として様々な施策の提案ができたことも大きな歓びでした。

この間に確かに多くの前進がありました。 私が係わることが出来た、情報提供などを通しての障害問題の理解促進、政治的関心の喚起、当事者運動との調整などの成果として、基礎年金制度・特別障害者手当が創設され、障害のある人々の所得保障が改善され、多くの障害のある人々の生活が一変したことは大きな喜びでした。ともに生きるということにむけて、日本社会が必要な費用を国民全体が負担することを了承した大きな前進だと誇りに思ったものです。アジアへの日本の具体的貢献ができたとも思いました。

これらを徹底して、もう一歩を進める事が出来れば解決できそうだと期待がもてました。国連は障害問題のテーマを「完全参加と平等」から「総ての人の社会」へと進めましたが、50年の遅れは縮まったのではと思えたのです。

しかし、障害問題が社会全体をよくすることの基本であるとの共生社会への理解は、財政危機にともなう社会保障削減の動きのなかで進展がとまりました、今や逆行しているとさえ思えます。社会保障全体の論議に、最も生活に困難を抱える人々の問題への取り組みが回避されています。共生社会の根本が決断されていません。

重度障害のある人々が当たり前の社会生活が出来るところに目標をおけば、総ての人の利益につながることを、社会の総ての分野が根本的に理解することをもう一度努力できればと願うものです。障害基礎年金を誕生させた国民全体の動きを再現したいのです。

雇用に関しても、本当に職業的に障害のある人々、生産性低い人々は、福祉施策の対象とされ雇用政策から排除されたままです。このことは50年以上も前にILOが勧告をしていることなのです。 この度行ったILOへの申し立ては、企業、労働組合、社会福祉事業者、そして政府など社会全体への問題提起です。これ以上見過ごしてはなりません。

余命は短いのですが、問題解決への協力体制づくりの働きかけを続けて、次に引継いで貰いたいと存じます。今回の受賞は小倉さんが最後までしっかりやれとハッパをかけてくださったのでありましょう。

皆様に心から御礼申し上げます、本当にありがとうございました。




つづく


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