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東腎協運動を明日に托して(5) (1991年発行あゆみ東腎協の20年より)
新たな明日をめざして

石川勇吉からバトンタッチして第5代東腎協会長に就任したのは泉山知威。1989年東腎協第17回総会だった。泉山は1972年11月19日、東腎協が結成総会を開いた直後からずっと東腎協、全腎協に関わり続け、全腎協では1986・87年度に会長を務めた後は相談役に就いている。

腎疾患総合対策

泉山は、自分が患者運動にどうして関わるようになったかをこう言っている。

<・・・途中省略。東腎協の活動に参加した理由は、私の透析導入は初診日から4ヶ月後で「なんでもっと早く検尿などで腎臓病を発見できなかったのか」との思いが強く、「他の人にはこの苦しみを味わって欲しくない」、そのためにも「腎臓病と人工透析の知識普及に努めたい」との思いからでした。・・・以下省略>

また、東腎協会長になった時の抱負を泉山は、こう述べている。

<透析患者は年々増え続け、糖尿病患者からの透析が20%を占め、高齢者透析も増える一方で、現状のままでは従来の透析がそのまま続けられる保障はなくなってしまった。1番大切なことは腎疾患総合対策で、腎臓病の予防に努め、早期発見、早期治療の方針を貫き、透析開始を出来るだけ遅くする。透析に入ったならば十分な透析を保障し、合併症の治療研究にも力を注ぎ、結果的に社会保障を促す。このような総合対策の推進に頑張りたい。>

この思いは、他の東腎協役員にも共通している。副会長の一ノ清明、高橋勇二郎、柳光夫は全腎協の運営委員として頑張り、糸賀久夫、木村妙子、竹田文夫、中田青功らは泉山を補佐している。事務局を担当する半専従の森義昭事務局長。草間和男、石川みさ事務局次長はがっちりと組織のかなめとしての役割を負い、それらを支えているのが強力な常任幹事たちである

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最終更新日:2001年5月1日
作成:S.Tokura