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東腎協運動を明日に托して(3) (1991年発行あゆみ東腎協の20年より)
事務局体制の確立

突然の就任

 1986年4月に行われた第14回総会で会長に就任したのが石川勇吉で宝生と同じニーレ友の会の会員だった。泉山知威会長代行が全腎協の会長に就任することが決まって、突然という印象を本人も持っていた。その時の心情をこう語っている。

<とにかく困ったなあというのが本音です。ある日突然という感じで・・・。私が会長を引き受けようという気になったのは、何より事務局体制がしっかり確立してきて、独走もできないようになってきているし、短い期間だけでも手伝おうという気持ちからです>

東腎協事務所独立

 念願の事務所が独立し、森義昭事務局長、草間和男事務局次長、森山事務局員と3人の半専従の勤務体制が確立した。

 5月には全腎協の結成15周年記念第16回総会が東京で開催された。東腎協会長、全腎協副会長として石川は総会を成功させるため奮闘したのであった。

 会長になる頃、児童福祉手当ての打ち切りが全国各地で起こった。東腎協でも直ぐ対応すべく、4月10日、東京に対し要請を行った。家族らが切実な訴えを福祉局児童部の課長らにぶつけた。また東京都知事に対しても異議申し立てをも行ったが、国の施策ということで認められなかった。また、国民年金も障害年金の支給停止等、透析患者のとりまく状況は厳しくなって言った。

 患者運動に打ち込む石川の情熱は、主治医からは再三にわたってドクターストップがかかっても衰えることもなく、他の東腎協役員を引っ張っていった。失礼ながら御年齢の割りには新しいものに迷いなく挑戦する姿勢にいつも敬服させられた。

 はじめの頃は気短なところもみせて、役員会などで激昂される場面も合ったが、若い人たち中心の東腎協役員の「よいお父さん」役も果たしていたようにおもう。

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最終更新日:2001年5月1日
作成:S.Tokura