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東腎協運動を明日に托して(1)(1991年発行あゆみ東腎協の20年より)
東腎協誕生の夜明け

結成総会

東京都腎臓病協議会は1972年11月19日、大手町都立産業会館で結成総会を開いた。各界代表も10名近く出席し、紹介しきれぬほどの激励の祝電が届いた。会員席には都内在住患者のほかマスコミ等で知った隣県各県の患者、家族も詰めかけ盛況な総会となった。

結成に至る経過について、堀江紀久雄(三軒茶屋病院腎友会)は、こう述べている。

 <私たち腎臓病患者にも本年(1972年)10月ようやく国庫負担による救いの手がさしのべられることになった。しかしながら、この恩恵に預かれる人はほんの僅かに過ぎない。

先頃出された、1973年厚生省案をみるかぎり

  • ネフローゼ腎炎等の長期療養者対策の不足
  • 人工腎臓の不足とその情報網の不備
  • 医療従事者の不足による遊休設備の増大
  • 社会復帰対策の不足

という現実には今後の解決を待たなければならない事項が多い。

私たちは、今後も全腎協を通じ、根強くこの現状を国や世論に訴え続けなければならない。

また、自分たちの住んでいる地方自治体である東京都へも、この現状を訴え、地方自治の立場から国よりも一歩先んじた福祉行政を実現し、東京都と共に国へも強力に働きかける必要を痛感しました。>

東京都では、いち早く

  • 人工透析自己負担額の半額助成、
  • 18歳未満全ての腎臓病患者については全額補助を打ち出し、
  • 衛生局に医療福祉部を設置し、
  • 私たち腎臓病には特殊疾病対策課が、その任に当たることになり、

強力に福祉政策の意欲を打ち出し、その動向が全国で注目されるに至りました。

私たちは東京都への陳情活動をさらに強力に行い、私たちの切なる願いを東京都へと託し、地域住民の身になった、血の通った地方自治体の独自の福祉行政実現のための組織化。また、患者どうしの親睦、交流をしたいという願いからも、東京都腎臓病患者連絡協議会を結成しました。

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発足当初の活動方針として

  • 腎疾病の早期発見、早期治療の確立
  • ネフローゼ等の長期療養者の医療費公費負担と生活保障
  • 総合腎センターの設置
  • 専門医療関係者の充実
  • 社会復帰対策の促進

の5項目を決めた。

総会では、次のような大会宣言を行った。

<私たち腎臓病患者は“1人の人間として、1人の社会人として”生きる事を切望しております。そして、じっくりと、治療、療養し、体調を整え、あるものは職場へ復帰し、家族の大黒柱となり、主婦は家庭へ戻り、しっかりと家庭を守り、又学生は学園に戻り、勉強にいそしみたい、皆、精一杯自分自身の責務を果たしたいと念願しております。しかし肝腎の医療制度や、私たちを受け入れる社会は、私たちにとって、まだまだ厳しいものがあり、1人1人では、いかに努力しても解決できない問題があまりにも多すぎます。
 一方私たちの生活環境はますます悪化し、腎臓病患者はまだまだ増える傾向にあります。私たちはこれ以上の私たちの肉親、友人、知人そして一般の人々に、これ以上の苦痛を味あわせたくはありません。常に早期発見、早期治療を広く社会に呼びかけ、腎臓病の認識と理解を広め、私たち腎臓病患者のみならず、全ての人々が、“健康的で文化的な生活”ができる、そんな世の中にする為、“1人の人間として、1人の社会人として”を合言葉に立ち上がったこの市民運動の情熱の炎を決して燃え尽きる事のない永遠の炎とする事をここに宣言します。

1972年11月19日

東京都腎臓病患者連絡協議会>

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会長に選出された寺田修治(大久保病院)は大久保病院腎友会の初代会長を務め、全腎協の役員ではなかったが、渉外調査部の都庁担当専門委員という形で運動に参加していた。寺田は1970年3月から透析始めていた。当時、新聞に大久保病院で社会復帰第1号と紹介された。勤務は都税事務所で、全腎協は「都議会だより」など都関係の広報資料が提供されていた。

寺田は、所属する大久保病院腎友会の会報「ほほえみ」第5号(1974年1月発行)にこう書いている。

<今の世の中、自分本位で、自分さえよければと考える人が多過ぎると思う。思いやりのある心で、相手の立場に立ってはじめて言うべきことは、言うことが大切ではないか。そこに正義存在すると思います。私たちが社会福祉を要求するのも結局は、社会正義の実現の要求であります。>

寺田は思いやりのあるやさしい心を待った男だった。

東腎協結成の翌年1973年9月には、いち早く都議会への請願署名を行うなど精力的な活動を展開していった。しかし、第2回総会(1974年)の寸前に大久保病院の近くの喫茶店で患者会の打ち合わせを行っている最中、突然倒れてそのまま帰らぬ人となってしまった。3月31日に行われた第2回総会のために用意していた会長あいさつ文が遺稿となった。

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寺田修治の遺稿となった第2回総会のために用意していた会長あいさつ文

<昨年、私たちにとっていかに組織が大切であるかという事を思わせる出来事がありました。それは1連の石油危機の中で報じられた、透析液の生産が削減されるかも知れないという事態があったということであります。

透析液の削減ということそのものは人間の命を扱う医療でさえもが結局、企業利益の追求といった次元でしか取り扱われていないのではないかと思われるのですが、それはされおき、その時、私たちがたよりにしたのはどこであったでしょうか。

あの時、いち早く全腎協の役員の方々が厚生省にかけつけ、透析液確保の約束を取り付けてくれたことが、どんなに透析患者を安心させてくれたことか記憶に新しいところであります。

このことは一つの例であります。しかし、このような目に見えたことに限らす、どんな小さなことでも、どんなささいなことでも私たちが運動するためには、組織がなければならない、力を合わせなければならない、力を合わせなければなにもできない、このことははっきりいえることであります。・・・以下省略>

最後まで患者が、団結して運動を進めていく必要性を説く寺田の生き方は、総会に参加した会員に感銘を与えたのであった。

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最終更新日:2001年5月1日
作成:S.Tokura