はがき通信ホームページへもどる No.95 2005.9.25.
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も く じ
ballごあいさつ 広報委員:麸澤 孝
ball「特集のテーマを募集!」へのご提案について はがき通信編集部
ball「あなたはガンです」 編集顧問:向坊 弘道
ball総合せき損センターを退任いたしました 福岡県:岩坪 暎二
ball自動吸引装置が完成して(後編) 大分協和病院:山本 真
ball映画「海を飛ぶ夢」を観賞して 東京都:K・H
ballスペイン人の家族関係と介護事情 編集顧問:松井 和子
ball地震で帰宅難民初体験 東京都:I・Y
ball主人が脳梗塞で倒れて 東京都:匿名
ball肩の荷がおりるまでとことば遊び集 第20弾! 佐賀県:中島 虎彦
ball結果は!? 編集委員:瀬出井 弘美
ball山猿が水泳サポート?? 神奈川県:I・Y
ball「特定非営利活動法人 お世話宅急便」の事務所開設 佐賀県:原口 恭輔
ballハワイが心をほぐしてくれた(その2) 埼玉県:U・T
ball褥創のラップ療法後日談 東京都:A・Y
ballレニングラード国立舞台サーカスを見に行きました 埼玉県:S
ball上高地への旅行 広島県:ハローまり
ballひとくちインフォメーション


ごあいさつ

 皆さん、この夏は元気で乗り切れたでしょうか?
 今、日本ではテレビ・新聞・インターネット等、総選挙一色です。衆議院が解散して、あれだけ障害者団体が抗議申し入れを行った「障害者自立支援法」が無かったように廃案になりました。(廃案には賛否両論あるようですが……)私も抗議のデモ行進のため何度も足を運びましたが、気温30度を越える中、全国から1万人以上の障害者・家族・関係者が集まり霞ヶ関や永田町を埋め尽くし、障害や地域、立場を越えて集まった力はまさに「ピープルパワー」を感じました。
 この通信が皆様に届く頃には、選挙も終わり政権も決まっている事と思います。どこの政党が政権を取ろうと「私達抜きに私達の事を決めないで!」を大前提に、この国の障害者福祉政策を進めて欲しいものです。

広報委員:麸澤 孝

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 「特集のテーマを募集!」へのご提案について 


  №94の「はがき通信」編集部からの「特集のテーマを募集」のお知らせの記事をご覧になって、S市のYさんから「知りたいこと・教えたいことをQ&A方式でとりあげてみたらいかがでしょうか」というご意見のおはがきをいただきました。どうもありがとうございました。1行程度の簡単なQuestion、それに対するAnswerなら、皆さんも気軽に投稿できるのではないでしょうか。皆さんに教えたいことも本当にちょっとしたことでけっこうです。
 Yさんは受傷歴31年、不全マヒで何とか立位ができ、手もある程度お使いになれるというお話でした。現在は、息子さんご夫婦と同居されているそうです。
 今のところ、保田さんご自身は特別とても困っていることはないそうなのですが、慢性の膀胱炎のよう(ご自身の判断)で、数年、病院の泌尿器科に通院し抗生物質を服用していたとのことですが効かなくなり、それ以来泌尿器科にはかかっていないそうで、発熱まではないが尿の混濁、夜中の頻尿、また尿意を感じると陰部に痙攣が起き排尿痛とで尿が出にくくなり、まずタッピングをして尿意を促し痙攣を止めるために5分くらいかかり、排尿時間が10〜15分くらいかかってしまうのが悩みだそうです。自力排尿ですが残尿が多く、それについては導尿されているとのお話でした。かかりつけ医(外科)は、「膀胱瘻(ぼうこうろう)にすれば」と言っているそうですが、保田さんご自身はあまり気が進まないとのこと。
 慢性的な膀胱炎のよい解決策、また上記の排尿の仕方によい対処法等がありましたら、どなたかお教えください。よろしくお願いいたします。 



 「あなたはガンです」 

C4,5、電動リクライニング式車イス使用、頸損歴46年、私的ヘルパー雇用、自立独居生活

 「あなたはガンです」と医者から告げられたのが今年の3月。約1ヶ月間、血尿が続いたあとだ。バットでうしろから突然殴られた想い。「なんで私が?」「1週間前の検査では白だったのに」「人生はこれでおわりだ!」などと、落ち込む。
 しかし、生への執着は冷静さと闘争心をかき立てる。すぐに入院、手術の手続き。腎盂ガンは第3期、しかも進行性の最も速いヤツだ。右腎臓の全摘手術は3時間半で予定通り。ところが、最終段階で摘出する尿管が見あたらず、膀胱まで切開して、手術は5時間半に及ぶ。
 「腸閉塞だ」。手術後、3日間ガスが出ない。腹が張って小山のようになる。すぐに手術を、と看護婦たちが騒ぎ出す。危険な状態だ。他科の医師が呼ばれる。「頸損腹はいつもこうなる。一晩だけ待ってくれ」と哀願。苦しい。死んだほうが楽か、と変な考えが浮かぶ。ところが、座薬を挿入して数時間後に、ガスの轟音(ごうおん)と共に中身が鉄砲玉のように飛び出す。ああ、助かった。片方だけの腎臓も、日に2,000ccの尿を出してくれるし、これで生き残れる、と希望が湧く。
 「両手が壊死か」。腸閉塞に気を取られている間に、手術以来4日間、両手首から先が氷のように冷たくなっている。医師に相談しても「わからない」の一点張り。彼の注意はガンだけに向けられているようだ。想像するに、術部と腸に大集合した血液は手を暖めるだけの余裕がないらしい。ガスが出た翌日も手はよくならない。両手が凍傷を負ったように、褐色のマダラ模様に変色し、所々に黒い斑点が現れてくる。何と言うことだ、掌の内部まで腐ってくれば切り落とすしかない。しかし、そんな体力はみじんもない、と独りつぶやく。ところが翌朝、異変を感じて手を頬に当ててみると、幸いに血流が戻った暖かみがほんのりと感じられる。急いで合わない両手を腹の上に重ねて夢中で擦る。
 「抗ガン剤か、死か」。手術後1ヶ月もすると、風前の灯火だった体力が何となく元気を取り戻す。頃はよし、と医師は抗ガン剤の投与を持ちかけてくる。抗ガン剤をやらないと死んでしまうと誰もが思いこんでいる。しかし、体力のない頸髄損傷者に対する抗ガン剤の投与は命がけになる。果たせるかな、2回目に抗ガン剤を点滴したあと、意識不明に陥る。2日2晩お経を唱えていたというが、記憶がない。医師は脳梗塞を疑ったので、検査のために病院中をストレッチャーで駆けめぐったことも覚えがない。検査結果は無罪放免となり、頭蓋骨切開は免れる。看護婦は交代で「あなたのなまえは?」「ここはどこ?」と叫び続ける。返事もできず、髪の毛は抜け落ち、正体もなく痩せ細った姿を見て、毎日通い詰めていた介護の太田さんも兄弟たちも泣き崩れていたという。3回目の点滴のあと、残りの5回を忌避して強引に退院。
 「命は地球より重い」。3ヶ月の入院生活は悪夢のように過ぎ去る。大分県の湯布院温泉へ1ヶ月の転地療養。蝉時雨(せみしぐれ)の林間、命について考える。奇しくも、父がほとんど盲目になった晩年、この山荘で、命について思索を重ねていたのを思い出す。駅から電動車イスでコットリコットリ山間を登ってくると、父はベランダから身を乗り出すようにしてこちらに手を振っていた。そしてその夜、命について激論を闘わすのが楽しみだった。
 親子の世代を越え、時代を重ねて生き残ってきた命、その命の中に有史以来のDNAの進化がキラ星のように刻まれている。それだけでも、小さな命と地球と同じ長さの歴史を持っている。まして、他のすべての命によって大切に育まれた小さな命は計り知れないほど尊いものだ。命は自分だけのものだ、と思ってはならない。結論の行き着くところは、いつも命の複雑で不思議な小径に迷いこみ、最後にはすばらしい命の絶頂に登りつめるのが常だ。苦しいながらも、貴重なガン体験だった。
  
編集顧問:向坊 弘道


 総合せき損センターを退任いたしました 


独立行政法人労働者健康福祉機構総合せき損センターを退任いたしました。
 脊髄障害の皆様と長年お付き合いいただきながら無事に退職の年を過ごしましたが、お礼のご挨拶もせずじまいで心苦しく感じておりました。K.M先生、K.M氏、K.S氏、H.M氏、そのほか数え切れない多数の方々とのご縁をいただき、志高く脊損医療に生き甲斐を持ってこれたのは総合せき損センターという立派な働く場所に恵まれたからであります。
 そして、この「はがき通信」の中に皆様のご活踵を喜び、心躍る文章に共鳴してまいりました。私は、現在では脊損医療から引退したような立場でありますが、いつも皆様のご健勝を願っております。このたび、可能かどうか分かりませんが、皆様に感謝とお見舞いの心を込めて、退任の御挨拶の一文を「はがき通信」にご紹介いただければこれに勝る喜びはございません。
 これは、私の九州大学医学部の後輩、医者の卵に向けた一文です。
 今年3月、四半世紀勤務した独立行政法人労働者健康福祉機構総合せき損センターを無事退任した。1979年6月に労働省の特殊法人として労災事故で脊損となった労働者の長期入院療養を改善し、欧米先進国並の医療水準をめざし、社会復帰のレベルを高める目的で脊損医療専門施設として開設された。私は当時の天児民和名誉教授(九州労災病院院長)の御厚意で、本邦初の脊損センター泌尿器科部長就任準備のために、ハーバード大学医学部整形外科(脊損学)講座へ1年の留学機会を与えていただいた。
 それから25年間、恩師である Prof.Alain B Rossier 教授(ご自身が脊髄損傷対麻痺者)の薫陶(くんとう)を受けて国際パラプレジア医学会評議員で日本代表委員として、日本支部のお世話をする一方、日本パラプレジア医学会委員会活動(脊損予防委員会・医療保険問題等検討委員会:委員長)にも携わりながら、総合せき損センターの泌尿器科管理を任された。本邦初として恵まれた職場で脊髄障害者の尿路管理治療に当たり、九州大学他、関連大学医学部の学生教育(非常勤講師・九大臨床教授)にも携わってきた。脊損医療への理解やバリアフリー化など社会整備が進んだものの、しかし、脊損医療の社会医学的概念が熟せず、第二、第三の脊損センターが設立されることもなく四半世紀が過ぎて第一線を退くことになったのである。この領域で感じたことは「障害者のいない世界はない。明日は我が身」の戒めである。「人生は短い」が、私自身は完全燃焼できたことを嬉しく振り返ることができる。
 さて、新たな新世界は高齢者医療の現場「慢性期医療介護の世界」である。排尿障害臨床研究の学会活動を通じて専門性を認められたお陰か、総合せき損センター勤務当時から、高齢者の「オムツ外し」を旗印に再就職の要請があって、現在の医療法人北九州古賀病院に赴任することになった。北九州病院グループ(9病院3000床)の排泄管理指導室室長を任せられることになった現在は、高齢者医療の「いろは」を必死に勉強中である。介護保険制度ができて5年経過した今でも一番遅れている「排泄管理の世界」に身を置き、一仕事を任されることは幸せである。この領域も脊損医療に劣らず社会医学の大切なところであり、臨床の最先端なのである。国民の健康・生活に日常的に大切な部門なのに学問的にも実践医療の現場でも大変遅れているのは、中途半端な研究とペーパーワークによる業績評価など日本の医学教育・研究が偏って行われた結果であり、これが日本医療の現実である。慢性期療養型病床群、介護保険の現場をこの目で見て感じることは多い。 
 軽症の要介護者が同じ環境の中で痴呆化してゆく、廃用性萎縮と退行に陥ってゆく現実、患者家族の期待に応えきれない職員不足・介護力不足、医師・看護師の患者治療介護の充実よりも、カルテ記載・会議記録・所見の整理など事務処理業務の過剰な負担を強いる病院機能評価への取組、親を在宅で看る義務はないという患者家族の権利意識など、人間の知恵の賜物とも言える介護保険制度は崇高な目的のもとに作られたはずなのに、真に要介護老人のためになっていない。介護力・労働力よりも医療・介護・福祉機器など医療産業への持ち出しが多い経済構造。ハード対応でソフトが抜けたこの国の官僚体質、本音と建前の使い分け体質が露骨に見えてくる。「明日は我が身」を警鐘とモットーにして、先輩医師から介護医療に関する知恵とアドバイスをいただきながら悪戦苦闘している私は、今高齢者医療の現場にいる。

 岩坪 暎二(元総合せき損センター泌尿器科部長)
 北九州医療法人古賀病院
 北九州病院グループ排泄管理指導室
 E-mail: iwatsuboe@yahoo.co.jp


 自動吸引装置が完成して(後編) 


 なんとかシステムとロジックを安定させようと、2004年2月になっても徳永装器の研究室で実験を繰り返していました。そのとき実験モデルの気管に痰を注入していた器具がありました。徳永さんが、唾液吸引用に作っていた小型のローラーポンプです。「だえQ」という名前のその器具をみて、ひらめきが起こりました。徳永さん、これを逆に回してみよう! いや、やはり吸いませんね、という冷静な徳永さんでしたが、吸引ラインのロックを外すのを忘れていました。おいおい。ロックを外すと痰を吸い出してくれるではありませんか。宇佐の徳永装器から帰る車の中で、このローラーポンプを使えば、これまでの問題が全て解決するんじゃないかと、期待ばかりが巨大になっていく感覚をもちました。ローラーポンプだからエアリークがない。吸引量は少量だから、換気を奪わない。換気に影響しないんだから、常時オンに出来る。常時オンなら誤作動の可能性はない。考えれば考えるほど夢の機械じゃないかと思えました。
 翌々日、いつも研究に協力してくれる患者さんにお願いして3時間ほどローラーポンプによる持続吸引をしてもらいました。ゴロゴロという気管カニューレの異音に続いて、静かにゆっくり痰が吸い出されてきます。まるで見えない天使が吸い出してくれているようでした。3時間の試験は、用手吸引はゼロで終わりました。ローラーポンプを用いる、ということが、第二のブレイクスルーです。私は、ローラーポンプを使ったこのシステムをエンジェル・フローと名づけました。私は有頂天でしたが、すでに最終のロジックを組み込んだ基盤も完成し、コントローラーの実機が出来るばかりになっていた徳永さんは、嬉しそうな反面落ち込んでおられました。「あのコントローラー、もう本当に使わんの?」と聞く徳永さんに、「おう、ありゃもういらん」、と嬉しそうにいう私の顔が悪魔に見えたといいます。
 臨床試験の第1例は、従来型の吸引器オンオフ制御で行いました。正直言ってかなりよい成績でした。しかし、吸引器作動中には低圧アラームが鳴ったりして、私たちも不安で病院に泊まりこんでの臨床試験でした。第2例目からは、ローラーポンプに変更しました。これまでもし止まらなくなったらどうしよう、という不安が、常時つけっぱなしにしてよいのですから、これほど安心なものはありません。7例行った臨床試験では、約半数が用手吸引回数の減少に有意差が認められました。しかし、半数では効果がありませんでした。この半数でた無効例をいかに減らすか、というのが、2004年度の私たちの研究課題となりました。
 まず、一つはローラーポンプの能力を上げることでした。これは、徳永さんの力では比較的簡単にクリアすることができて、15ml/分のだえQから、200ml/分の能力と、静音化に成功しました。ただ問題は閉塞が生じたときに生じる吸引圧の異常高値で、これのセンサーを設けるとそちらの方に痰が流れてセンサーが傷むという問題がありました。しかし結局高圧になるとローラーポンプから激しい異音が例外なく出るということがわかり、まずはこれでよいかということになりました。次に、カフ下部の吸引孔はどこにあけると吸引効率が良いか、という問題について実験を繰り返しました。それまでのモデルは、気管カニューレの先端に吸引孔が開けられていました。カフ下部のオーバーハングをなくしたらデッドスペースがなくなりより効率よく吸引するのではないか、と思いましたが、結局判明したのは、カフ下部のオーバーハング部の下方から吸引することでした。実験では圧倒的に他のモデルより効率がよいことがわかりました。新たに作った高容量ローラーポンプに、カフ下部下方吸引孔、この二つで、成績は間違いなく上がり、用手吸引はもう必要がなくなるのではないか、などとさえ妄想しました。ところが……、なかなか成績が出ないのです。半数くらいの方では、明らかに用手吸引回数が減ります。しかし、なぜか半数の方では、結構な量の痰を吸引しているにもかかわらず、用手吸引回数が減らないのです。時は、既に2005年の正月を迎えていました。研究期限まであと3ヶ月しかありません。結局11月から12月にかけて行った臨床試験は、6例中、著効0、有効3、無効3という成績に終わりました。
 いや、実は、終わりました、どころの呑気な状況ではなかったのです。臨床試験を実施した2例において、カフ下部下方吸引孔が気管壁を吸い上げてしまうという由々しき事態が発生していたのです。この2例は、首が太い男性で、かつ首の前傾位置を好み、気管カニューレが立った状態で気管に挿入されている傾向があったようでした。臨床試験では、よりカニューレの長いサンプルを用いて自動吸引を行うことが出来ましたが、実際に臨床現場に使われることになると、事故が頻発するんじゃないのか、という不安がよぎりました。かなり冷たい風が背中を通り抜けたような不安感でした。研究班会議では、半数が有効なのだからあまり悩まなくてもいいのではないのか、というありがたいアドバイスもいただきましたが、事故の怖れという不安は拭えるものではありません。
 内側にも吸引孔を開けてみよう。実はこのアイデアは、1年前に思いついていました。当時のカフ下部吸引用カニューレを用いて、手動で吸引器をつないで吸引することが簡単にできるということがわかっていました。しかし、当時の先端吸引孔タイプでは、いざカニューレ内に侵入してしまった痰には無力だったので、それを吸い出すために、カニューレ内側に2箇所孔をあけてみたものを、わざわざ孔を開ける器具を作って、試作していたのです。ただ、当時のローラーポンプでは、この内側吸引孔からエアを吸い込んでしまい、痰を吸引する能力が消えるだろうと、自動吸引用には使いませんでした。しかし、当時の微量の吸引量ならともかく、約15倍の吸引量を手にした今なら、それが可能かもしれません。下方吸引孔からドリルを通して、内方に吸引孔を貫通させた試作品をつくってみました。それをこれまでのように実験モデルに組み込んでみると……、なんと吸いません。全く痰を吸ってくれないのです。痰はモデルの気管内に溢れてしまいます。しばらく考え込んで、人工呼吸器をモデルに接続してみよう、ということになりました。一年前に、吸引ロジックを作ろうとしていたときには実施していた動的実験モデルです。すると、静的状態では全く吸引してくれなかった下方内方吸引タイプが、今度はどんどん痰を吸い出してくれるのです。気管内に溜まった痰が人工呼吸の動作で、呼気相のときに空気と一緒に気管カニューレ内に飛び込んでくるのです。それを今度のカニューレは捕捉してくれたのです。静的モデルでは、最高の吸引能力を示した下方吸引タイプは、動的モデルでは、カニューレ内に飛び込んだ痰のため異音が続き、気道内圧も上昇してしまうという状況が生じました。おそらくこの下方吸引タイプで臨床試験を行って無効だったのは、こういうことが起こっていたのではないか、と想像できました。
 2005年1月から臨床試験を再開しました。下方内方両吸引タイプを用いてです。変化はすぐわかりました。患者さんが用手吸引を要求しないのです。本当にいいんですか、とたずねたある患者さんは、文字盤で、「ジャバラの水抜きだけしてくれたらいい」と答えてくれました。はあ、そうですかと平静な顔をして病室から出た私と徳永さんは、廊下で声を出さずにハイタッチ! です。この最終モデルの成績は凄いものがありました。7例中、著効5例、有効2例、無効なんと0例。内方吸引孔が、下方吸引孔のリリーフバルブとして作用するため、今回は気管壁の吸引も全く発生しなくなりました。用手吸引回数に有意差が出ただけでなく、7例中6例までが24時間での用手吸引1回以下という数値を達成してくれました。また、ある例では、最終的に1週間でわずか2回の吸引という成績が出ました。この患者は、通常の吸引回数は17回/日なのです。下方内方両吸引方式、これが第三のブレイクスルーとなりました。この最終モデルの臨床試験で、私たちは二つの「はじめて」を経験しました。一つは、看護師のみなさんから、「はじめて」これはいい、という評価をいただいたこと。もう一つは、患者さんから、「はじめて」これを持って家に帰りたい、という言葉をいただいたことです。
 私たちの当初の目標は、夜間用手吸引ゼロでした。介護者が充分な睡眠をとれるような自動吸引装置を作りたい、というのが祈念でした。しかし、私たちの最終モデルは、一日吸引ゼロも夢ではないという性能を示してくれました。もちろんこれは、患者さんを放ったらかしにしてよい、ということではありません。体交や、タッピング、バイブなどの排痰援助行為は必要です。ですから無人化できるなどと言っているのではありません。それに口や鼻からの吸引は別途必要になります。しかし、あの煩雑な吸引手技の必要がほとんどなくなるのです。用手吸引がなくなる、ということは別のことも意味します。それは患者さんの苦痛がなくなることなのです。これまで気管カニューレの入った患者さんの痰を吸引することは、患者さんの苦痛はあたりまえでした。意識があれば激しくむせます。また吸引中は呼吸器を外しますから、なかにはチアノーゼが出てしまうような方も、重症患者ではよくあります。この二つが、私たちの自動吸引装置では、全くなくなるのです。人工呼吸の中断はありません。また痰の吸引に際して、苦痛は全く生じないのです。
 こうして私たちの自動吸引装置の開発研究は、完成に漕ぎ着けることができました。今から思えば、ラスト2ヶ月での成功です。幸運な研究だと思わざるをえません。しかし、成功したのは研究にすぎません。これからこの方法を現実のものとして、臨床現場で使えるようにしていかねばなりません。今からが本当の勝負と言えるのかもしれません。とりあえず、今は、乞う御期待! と言っておきます。
2005年4月23日
 山本 真(大分協和病院)

 ※自動吸引装置の開発者である山本先生の「Dr.山本の診察室HP」の「コラム山本の主張」より転載させていただきました。
  http://www3.coara.or.jp/~makoty/column/list.htm



<自動吸引装置の実験モデル>
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