はがき通信ホームページへもどる No.72 2001.11.25.
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横浜行きと言葉遊び第6弾!


 瀬出井さんと伊藤さん、横浜では水を得た魚のようでしたね。お二人には向いているんだなあと思いました。どうもご苦労さまでした。
 懇親会に酒が出なかったのは、飲んべえ仲間としては「魚影ーっ!」でしたが、会場の性格ならばいたしかたない。それならどうして初めから飲める会場を設定しなかったのか、それにもお金の問題などあったのでしょうから、とやかく言うつもりもありません。そこを突いたTさんのスピーチは面白かったですが、彼は脊髄損傷と頸髄損傷の本質的な違いをいまひとつ理解していないようです。
 自分で改造車を運転するなど比較的移動の容易な脊髄損傷とちがって、頸髄損傷は会場までたどりつくことそのものに大きな意義がある。その前後の自由行動で未知の市内を試行錯誤しながら移動し、飲み食いすることそのものにまた大きな意義があるのですね。それにくらべれば、懇親会のひとときなどはほんの点景にすぎない、ということなのですよね。それは「脊損ニュース」と「はがき通信」の誌面作りにもまざまざと表れているでしょう。
 そこで一首。
 脊損と頸損とでは博多ちゃんぽんと長崎ちゃんぽんくらい違う
 それではまた。骨病みなさらないように。私は少し出てきています。
 <言葉遊び>
 日陰ぼっこ、純風満帆、使用済み近藤さん、焦る場合じゃん共和国、名残の空箱自治州、佐藤利男は食卓に欠かせない、いやしい系のはなタレント、いいたい放談、猿又も軒から落ちる、待ちなせいアナ、茹でた孫と訛った孫、平均的な阿部礼二、男のロマンは女の不満、質店発展急転、てんきよほうへん、誇りにまみれる、叩けば誇りの出る身体、熟年が何やっちゅうねん、ブラック・ジャイアンツは略すなよ、ビキニ面、反戦史、重い槍をもつな、槍杉なんだよ、ミルク直行冷凍、油ゼミナール、熊ゼミナール、みんみんゼミナール、にいにいゼミナール、妄想猛々しい孟宗竹、情けは人のためならず者国家、鉄の女から更迭の女へ、拾いズム、熱中ショウ、お子様ランチに五輪旗を立てる、まっちゃりとしたアイス、大きな駄目字をもらう、一語警句、はがくれんぼう、半端な散歩、無礼句するー、寝盆、なんかよーかここのかとーか、小太り爺さん、天下り坂を転がり落ちる、キャンディーズのミキちゃんは不通の女の子、椎茸を待つ竹、名取よりいえもっと偉い、仮住まい美容師、試行錯誤時代、はげ強いる人生、あらヨット学生服、引っ越すそばから引っ越しソバ、正津のパンツ、大特注る、
 パリコレモデルと何これモデル、食べ物の風土、ガウディを訪ねる桜田ファミリー、ねこがいぬ、例の薬があれば亭主は倍あぐらをかける、ケッタイ電話、暖炉で考える人、大惨事世界大戦なんかごめんだ、冗句、びびり屋の理髪師、獰猛犬を盲導犬に、盗難アジアにご用心、アナログでもない話、ホームページの重い荷無駄になるところだった、横浜っちゅうか、よしもっと明るくいこう、志村けんが愛飲している酒、寝る娘は争奪、ためらいがちに告白するススキ、一姫寝太郎三茄子、笑いはくすり
 中島 虎彦
E-mail: nakaji@po.saganet.ne.jp
http://www2.saganet
 [写真]ランドマークタワーを見上げしみじみとビル爆破テロを思い知る(虎彦)

佐賀県:中島虎彦 nakaji@po.saganet.ne.jp 障害者の文学・虎の巻ホームページ




不幸中の幸い?


 9月28日「はがき通信」懇親会のため、横浜に行ったときの話です。
 家から約2時間、途中、乗り換えもスムーズに行き、JR横浜駅③ホーム先頭車両から降りた瞬間「ぐずぐず」と後に倒れかかり、自分では一瞬「振動でリクライニングのレバーを倒してしまったのだろう」と思った。が、しかし「これは違う」と思った瞬間、介助者の「あっ!」という声が聞こえ、すぐ背もたれを押さえてくれた。ここで運が良かったのが、「介助者と駅員がすぐ押さえてくれたこと」。もし誰もいなければ、折れた鉄パイプが背中に突き刺さっていただろう。次に運が良かったのが、「停車時間の多い横浜駅だったこと」。停車時間が短く、駅員がいなかったら本当に大事故になっていたと思う。
 次に運が良かったのが、「駅員がたくさんいる横浜駅で駅に車いすがあったこと」。応援の駅員が5人くらい出てきてくれて、「人身事故」かと人だかりができた。すぐに、駅所有の車いすに乗り換えて自分の電動車いすを見た瞬間、本当に唖然とした。背もたれのパイプが左右2本折れているのである。初めは「ボルトでもはずれたのかな?」と思っていた。この間約10分間、背もたれを押さえる介助者、離せば後に倒れる。運転はできない。自分でも介助者にどう指示をしてよいか言葉が見つからなかった。あれが「頭の中が真っ白になる」ということなんだなぁ〜と思った。
 すぐに今回の実行委員長である伊藤さんに電話をして事情を説明すると、懇親会の会場に神奈川県の福祉プラザがあり、展示用のリクライニングの手動車いすがあるという。伊藤さんが事情を説明して借りることができた。それを持って懇親会スタッフが駅まで迎えに来てくれ、なんとか会場にたどり着くことができた。これも偶然だ。
 次に運が良かったのが、会場に着くと知り合いの移送サービスがちょうど参加者を降ろしているところ。訳を話すと「車は空いている」。車いす改造業者に電話すると「今なら手が空いている」とのこと、すぐにリフト付きワゴンに飛び乗った。知り合いの車いす改造業者が近くにあったことも不思議だ。改造業者に着くと30分もしないで補強し、溶接してくれた。何事もなかったように電動車いすが甦り、15:00頃には懇親会に参加できた。
 長年にわたりリクライニングを繰り返し、段差を乗り越えるときに負荷をかけすぎたり、重い荷物を付けたりで、金属疲労が進んでいたのだと思う。
 折れたパイプを見たときは、懇親会に参加せず帰ろうと思った。でも、こうして参加でき、皆さんにお会いでき、改めて「自分は何かに守られているのか?」なんて思った(本当はこんな余裕はなかったけど……)。
 どんなことが起きても、口しか動かない私は「冷静に物事を把握していかに的確に指示が出せるか?」今回のことで改めて実感した事件だった。
 本当に介助者や「はがき通信」スタッフ・駅員さん・運転手さん・車いす改造業者、皆さんに感謝しています。

広報委員:麸澤孝




命の重みを痛感している毎日


「はがき通信」様 7月号には、理絵の原稿を載せていただきありがとうごさいました。おかげさまでいろいろな方からお手紙をいただき文通を楽しみにしておりましたが、腸閉塞から容体が急変し9月8日の朝、永眠いたしました。21歳の短い人生でありましたが、皆さまのお手紙に勇気づけられ励まされたようです。
 「理絵は、みんなによくしてもらって幸せだったよ……どうもありがとう」の言葉を残し、あの世へ旅立ちました。本当に長い間ありがとうごさいました。
 皆さまもお身体を大切にし、貴重な生命を悔いなく生ききって下さい。生命の重みを痛感している毎日です。  A.Y

 《理絵さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます》
お母様のAさんよりお手紙をいただき、ご了解を得て掲載させていただきました。

AY




家族の一員となる子猫たち


「通信」の皆様、いかがお過ごしですか。暑かった夏も過ぎ、やっと過ごしやすい季節となりました。おいしい秋の果物もたくさんお店に並び、秋一色となりました。空も美しく、空気も澄み渡り、秋風に冷気の感じる一年中で一番好きな季節となりました。主人も私も2匹の子猫たち(4ヶ月になりました)も、おかげさまで元気に過ごしております。
 子猫のトラ(メルちゃん)は体重1800グラム、白のブチ猫(ミニーちゃん)は1700グラムと大変大きくなりました。毎日2匹は元気よく遊び、よく食べ元気いっぱいです。行動範囲も広がり、子猫たちの可愛い姿は、いつまで見ていてもあきることはありません。主人の回りで遊ぶ子猫たちは主人のよき遊び相手でもあり、可愛いアイドルです。車いす生活の単調な毎日を送る主人には、元気な子猫たちから元気をもらっているようです。
 日夜疲れている私も子猫たちを見ていると、心が癒されているように感じられます。可愛い姿と2匹で駆け回り運動会をする様子も、思わず笑顔になる瞬間です。これからも、子猫たちと元気に明るく生きていけるように願っています。
 平和を願う私たち家族にある日突然、9月11日にテレビに映し出されたアメリカ・ニューヨーク市の貿易センタービル同時多発テロの映像に何が起きたのか、事故なのか、テロなのか、とにかく驚き、一日中テレビのニュースに釘付けになった日でした。
 あまりにも突然な惨事に5000人近くの方が犠牲となり、心からご冥福をお祈りいたします。世界の敵、テロ組織を撲滅するという意図の元にアメリカは、アフガニスタン・タリバンとの戦争にまで発展することとなり、いつまで続くのか、いつ終わるのか先の見えない戦いへと拡大され、ついには、アメリカ本土へのバイオテロ(10月上旬)の疑いも持たれる炭疽菌による感染者が出たりと、だんだん恐ろしい事態に発展しつつあるアフガニスタン・タリバンとの戦いです。
 一日も早く終結してほしい、静かで平和な世界へとなることを心から祈らずにはいられない私です。

埼玉県:笹井裕子





これが俺にできるボランティア


 (平成元年受傷、C3〜5不全、61歳)
懇親会in横浜、大盛会だったとのこと、おめでとうございます。 夏バテも落ち着いたかと思う間もなく、またまた苦手の寒さを迎えようとしていますが、通信の皆さんいかがお過ごしでしょうか。
 4月に、娘に娘が生まれました。平たく言えば孫ですが、61歳にしての初孫です。直接の責任が薄いためか、無条件に可愛く、爺バカ振りを発揮しています。が、腕に抱くことができないのが残念でたまりません。ヨチヨチ歩きが始まり、物事がわかるようになったら車椅子の私を見てなんと思うだろう……。その時の言葉を考えておかなければ、と思うこの頃です。
 わが町では、夏休みになると「ふれあいスクール」、秋には「総合学習」の一環として、福祉学習が4〜6年生を対象に行われます。車椅子体験、盲導犬を連れた視覚障害者の講話、施設見学などです。私も数年前から「障害をもって」として話をさせてもらっていますが、外見は健常者と変わらず、果して話だけでどこまで理解してもえているのか……。いっそ大人なら話し様もあるのに……と、心もとない限りですが、街で出会う子供達が声をかけてくれるのが嬉しく、今年も性懲りもなく出かけて行こうと思っています。
 看護学校生やヘルパー養成の実習生が、スッポンポンの入浴や排泄の見学に来ます。プライドも何もあったものではありません。ジョークを振り撒きながら、心の隅では、この中の一人でも立派な看護婦・ホームヘルパーが飛び出してくれれば……と期待を込めつつ、今日も下ネタの一つでも吐きながら、いらっしゃいませ〜! これが俺にできるボランティア。
 最近、また排コン(排便コントロール)が乱調で、今もスポンジ脳で書いています。70号でお願いした“排コンの工夫を…”をよろしくお願いしま〜す!

佐賀県:KNポスト

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