はがき通信ホームページへもどる No.72 2001.11.25.
Page. 1 . 2 . 3 . 4 .
line
も く じ
ball ごあいさつ 広報委員:麸澤孝
ball 懇親会を終えて 陰の実行委員長:瀬出井
ball 懇親会便り 懇親会参加者
ball 迷いながらの初参加  東京都:KS
ball 懇親会イン横浜奮闘記 熊本県:SI
ball アメリカでリハビリ 兵庫県:西村みどり
ball タイで越冬しませんか! 福岡県:H
ball 精神的にも明るく前向きに 佐賀県:F一剛・ひとみ
ball 自分のためだけに生きれば良い境遇を生かしたい 埼玉県:MS
ball リハビリ病院をさがしています 愛媛県:S
ball 銭感情 玉葱の腐朽愚論 広島県:玉葱おやじ
ball 地域で連携・情報交換を! 広島県:HK
ball はじめまして 静岡県:HO
ball 横浜行きと言葉遊び第6弾! 佐賀県:中島虎彦
ball 不幸中の幸い? 広報委員:麸澤孝
ball 命の重みを痛感している毎日 AY
ball 家族の一員となる子猫たち 埼玉県:HS
ball これが俺にできるボランティア 佐賀県:KN
ball ひとくちインフォメーション


ごあいさつ

 朝晩寒くなってきました。皆さん、いかがお過ごしですか?
 第6回「はがき通信」横浜懇親会も終わりました。アッという間に6回の懇親会が過ぎましたが、私自身この2〜3年の懇親会を振り返ってみると年を追うごとに、お酒を飲むと12時を過ぎたくらいから眠くなってしまい「数年前は夜中まで友人たちと盛り上がったなぁ」なんて、ちょっと自分自身の体力の変化を感じています。
普段も電動車いすのリクライニングを倒していると、ウトウトしてくることが多くなった気もします。体重もここ1年で6kgも増えてしまいました。私もそろそろ「○年」と呼ばれる時期なのかな? と、思っています。東京に来る直前の「何も怖くなかった♪」頃が懐かし〜いです。皆さん、マイペースが一番ですね。私も、自分の思った通りのことをして生きていくのが一番だと思っています。
 これから寒くなります。皆様もお元気で!

広報委員:麸澤 孝

butterfly


懇親会を終えて

皆さん、“はがき通信懇親会in横浜”には多くの方々が参加して下さり、ありがとうございました。それぞれに横浜を楽しんでいただけたでしょうか?
 陰の実行委員長の瀬出井さんをはじめ、Hさん(送迎ボラ)やスタッフ、ボラの皆様の協力によって、無事に横浜で懇親会を開催することができました。
 多くの方たちの好意があり、助けられたことに満足し、感激しております。皆さんに、心より深く感謝したいと思っています。ありがとうございました。
 実行委員長 伊藤 道和 

 メールで伊藤さんのことを“ゴリラちゃん”、伊藤さんは私のことを“姫”という。これって、シチュエーション的には「美女と野獣」ってこと?!(異議は認めません!)
 ゴリラちゃんと懇親会の準備を始めたのは、広島懇親会が終わってまもなくだった。足かけ2年になるということだ。2人でインターネット等で会場とホテルを検索して、片っ端から電話をかけまくった。会場の件では、2人してキレそうになったこともあったっけ。ベイシェラトンはゴリラちゃんのまったくの飛び込みだったが、とても好意的な担当者の方に巡り会うことができて本当にラッキーだった。当日、久しぶりにお会いした宿泊担当のS氏は、最初お会いしたときよりもフケて白髪が増えたような気がした。きっとゴリラちゃんが泣かせすぎたせいでしょう。ゴリラちゃんは交渉ごとがとってもうまい。
 今年の夏は、カラ梅雨で6月から暑く長かった。懇親会の準備があるので、2人ともバテるわけにもいかない。暑い中、下見にも出かけた。暑くなると、とたんに食欲が落ちる私…。しかーし、ゴリラちゃんは違うノダ! 彼の辞書に「食欲不振」の四文字はない! ゼッタイに! 食べられない私を尻目に、懇親会の間も食いまくっていた。ゴリラちゃんのタフさの源が、食べることだということがよーくわかった。
 今回は、3日間で飛び入りの参加者を含めると70名を越え、今までで一番盛況な懇親会となった。出足が遅かったので「来ないねぇ」と言っていたのがウソみたいに、最後はうれしいようなおそろしいような状況に陥った。NHKのニュースでも流され、「はがき通信」全国メジャーデビュー(?)も飾った。
 ゴリラちゃんは、3日後にはもう講演に行っていた。2人とも元気とタフさが取り柄の、根っからの体育会系頸損のようだ。精神的な疲れなど元よりなく?(脳みそも筋肉でできている?!)次の日には「来年もまたやってもいいね」などと話していた。(笑)
 ストレスがたまることもあったが、ゴリラちゃんが大きな体で受け止めてくれた。私は「さすが姫!」の言葉にメチャクチャ弱かった(単におだてられているだけの気もするが…)。今回ゴリラちゃんとコンビを組んでみて、懇親会請負人としては絶妙の最強コンビだったと思っている。
 多くの方にご参加いただき、よいスタッフとボラさんに恵まれ、晴れ男・晴れ女の面目も立ったし、あわただしかったが楽しい3日間だった。皆さんに心から感謝申し上げます!
 

実行委員長 伊藤道和 E-mail:POSTgolira@super.win.ne.jp
実行委員 瀬出井弘美 E-mail:POSTh-sedei@ma4.justnet.ne.jp

      陰の実行委員長 瀬出井




懇親会便り


 ★ ボランティア、ヘルパーとの関係で早朝から家を出られず、開会式には参加できませんでした。翌日、楽しみにしていた午後からの自由行動も主人の到着が1時間ずれて、1人寂しくホテルで待つこと1時間半。最終日は、川崎の叔母が「どうしても」と会いに来て、そのまま……。
 なんだかみんなとゆっくりお話したり行動できず、心残りが……。瀬出井さん、伊藤さん、麸澤さんにお礼も言えませんでした。ほんとうに失礼しました。
 でも、車椅子初新幹線、娘との2人旅、初顔合わせのボランティアさん介助と、ずいぶん自信となりました。そんな意味ではこの横浜懇親会、感謝の思いでいっぱいです。今度は、梓とゆっくり遊びに行きたいと思います。こんな私ですが、これからもよろしくお願いします。ほんとうにありがとうございました。皆様にもよろしくお伝えください。

 M.K(広島県山県郡)

 ★ 実行委員長の伊藤さん、瀬出井さん、そしてスタッフの皆さん、はがき通信の懇親会のお世話、有り難うございました。そして、お疲れさんでした。
 今回は初日から最後まで参加させていただき、有意義な三日間を過ごさせていただきました。昨年は二日の参加で余り皆さんとお話しできなかったのですが、今回はかなりの人達と話もでき、楽しい時を過ごすことができました。
 それに、途中で電動車椅子が故障するし、寒さで筋肉が固まって車椅子の操作が困難になるなど、トラブルも有りましたが、妻共々楽しんで皆さんの元気をたくさんもらって帰宅することができました。
 すべて、伊藤さん、瀬出井さん、及びお世話をしていただいたボランティアやスタッフの皆さんのおかげだと思います。本当に有り難うございました。また、次回の懇親会で会えるのを楽しみにしております。

 M.A(奈良県香芝市)

 ★ 遅刻しまって本当にすみませんでした。父の仕事が長引いてしまって、思ったより遅くなってしまいました(汗)でも、お会いできて嬉しかったです!私は想像どうりでしたか…? がきんちょ☆でしたか(笑)中身はオヤジ。あっ、介助犬にお会いできなかったのが、かなり心残り(−−☆)でした……。
 学校が始まりました。く〜っ# 懇談会、とても良い経験になりました。メール共々またよろしくお願いします(^_^)v 

M.A(千葉県袖ヶ浦市)


 ★ 懇親会では大変、お世話になりました。そして、準備などありがとうございました。私たちはホントおのぼりさんで……。横浜、楽しかったです。
 山口では乗れない電車や地下鉄、バスに乗ることができ、充実した5日間を送ることができました。私たちの足はマイカーしかありません。山口では……。県内からは、電車もバスも新幹線も乗ったことがありません。都会に行けば公共交通乗車体験ができるなんて、そして、都会に行かないと乗車できないなんて、なんかとても不思議な複雑な気分です。
 ともあれ、楽しい時間をありがとうございました。お疲れが出ませんよう、お身体ご自愛くださいませ。 

M.I(山口県山口市)

 ★ ご苦労様でした。間近までご心配いただき、すみませんでした。お陰様で、とても楽しく初デビューをすることができました。これからもよろしくお願い申しあげます。

 S.T(千葉県千葉市)

 ★ 懇親会はお疲れさまでした。あんな大都会でのコーディネートは、ご苦労が多かったことと思います。
 このような機会がなければ、横浜まで足を運ぶことなんかとてもできなかったと思いますので、とても感謝しています。本当にありがとうございました。お世話になりました。 

K.H(福岡県北九州市)

 ★ ご苦労さんでした。さすが、瀬出井姉御、あまり疲れも見せていないようで感心しました。伊藤あにいもタフそのものみたいで、レストランで2時間も粘っていたのには感心しました。
 29日午後はみなさんと別行動で、知り合いと会う約束もあったし、みなとみらいだけを周りました。今回は最高の盛り上がりですばらしかったですね。体をくれぐれも大切に。

 H.M(福岡県北九州市)

 ★ とても盛会で、さぞお疲れになられたことと心配いたしておりますが、お疲れはでませんか? 翌日、参加の予定でしたが、痰が酷く、なかなか出発できず諦めてしまいました。
 お元気な皆様にお逢いでき、Hさんともお目にかかってお話ができましたので、目的はなんとか達成されました。
 もっとお声をかけたい方もいらっしゃったのですが、引っ込み思案のところもあり、不完全燃焼のまま帰ってきてしまいました。向坊さんの回復を心から喜び、麸澤さんの健在に心の中で拍手していました。
 では、参加させていただいたことに感謝しつつ、またお目にかかれる時を楽しみにいたしております。 

M.T(東京都清瀬市)

 ★ 大変お世話になり、ありがとうございました。そしてお疲れさまでした。あれほどの企画は、さぞかしたいへんなことだったろうとお察し致します。簡単に外出できない娘にとって、交流会は大変楽しかったようです。これからもよろしくお願いします。 

A.H・母(神奈川県厚木市)




迷いながらの初参加 



 正直なところ、「自分が参加しても良いのだろうか」と迷いながらの参加(懇親会)でした。これで、少し肩の力を抜いて「通信に投書デビュー」ができそうです。
 28日当日の朝、頭痛が強かったので計った血圧が下100上200という、知ってしまったからクラクラしましたというコンディションでした。久しぶりにマトマッタ台数の電動を見て、生意気にも「哲学をしていました」。
 歩くことができる頸損の私は、自分自身でも無意識の中で「健常者」・「障害者」を気持ちの上で使いわけているのではないかという、苦しさを持っています。残っている機能の多いことには、偽りなく感謝の気持ちを持っています。しかし、一般の人(健常者)とは比較のできない不便さに縛られて生きていくことに、苦しいと思うこともママあります。しかし、懇親会に参加して見聞きしたことの全てが、自分のエネルギーになったことはほんとうです。
 こんなにすばらしい会を開催していただいたことに感謝します。松井先生をはじめ、今回のボス・伊藤さん、瀬出井さん、スタッフ、ボラさん、その他たくさんの人々にお礼を申し上げます。今度お会いできる機会には、私も肩の力を抜いて、もう少しお話の輪に混ざらせていただききたいなと思いました。いつも文字だけで、想像をしていた方々の姿を目に焼き付けて、これからの「通信」を読んだらもっと臨場感が出るでしょうね。これからもよろしくお願いします。 

東京都:KStokyo24ku.sato@dream.com




懇親会イン横浜奮闘記 


 皆さんこんにちは。この「通信」が届く時は、「寒いなあ」とぼやいている頃ですね。9月の「はがき通信横浜懇親会」にご参加の皆さん、お疲れさまでした。天気を一番心配しておりましたが、晴れ女の瀬出井さんのおかげ(編集委員注:伊藤さんも晴れ男です!)で、期間中は良い天気に恵まれ最高でした。
 初日の座談会では今年も元気で再会できた方、名前は知っておりますが、初めてお目にかかる方と、それぞれに楽しい時を過ごすことができました。私は夏バテの影響でしょうか、会場で一人ばてており、長椅子にしばらく寝ておりました。寝たままでお話しした方もおり、見苦しいところをお見せし申し訳なく思っております。
 2日めの観光では、日本一高いランドマークタワーを見学しましたが、エレベータの早さと、乗り心地の良さには感動いたしました。そして、夜はお待ちかねの中華街の夕食でした。移動は全て公共機関を利用しましたが、階の移動ではいろいろなエレベータに乗り、車ばかり利用している私には珍しいものが多数ありました。ただ、横浜駅のエレベータ以外は、バリアーがあるたびに、全て駅員さんを呼ばないとアクセスできないことに情けなく思いました。そして、「一生言い続ける」であろうという出来事がありました。
 ランドマークタワーから中華街に行くために、JR桜木町駅から、JR石川町駅まで電車を利用しました。当然ながら桜木町駅で駅員さんに乗せていただき、石川町駅に連絡していただきました。ところが、石川町駅で駅員さんがいないではありませんか! 妻に「頑張って降りろ!」と言いましたが、「ホームと車両間が広すぎて、車椅子を怖くて降ろせない」と叫びます。そうこうしている内に発車してしまいました。「どうしよう」「次で誰かの援助でおりようか」と言っていると、男性の乗客の方が「次の駅は、上下線のホームが別だから2つめの駅で降りたほうがいいですよ」と教えてくれました。そして、駅に着くと慣れた手つきで車椅子を降ろしてくれました。感謝、感謝です。
 私の電動車椅子が、JW2という手動と似たタイプだから男性1人でも降ろせましたが、通常の重い電動車椅子ならどこまでも行っていたところです。そう思うと冷や汗が出ます。ただし、ここまでならまだ許せます。駅員さんを呼びに行き事情を話すと「すみません。石川町駅にはよく注意しておきます。今度は連絡をきちんとしておきましたので」と言ってくれましたが……。そして、再度石川町駅に向かいました。到着すると、またまた駅員がいないではありませんか! 妻があたふたしていると最後尾車両にいたのが幸いし、乗客が列車の車掌に連絡してくれて、車掌があわてて降ろしてくれました。ホームに降りた時、腹が立って震える思いでした。
 やはり、都会の街は恐ろしいものでした。できるならば、電車にはもう2度と乗りたくないものだと妻としみじみ語り合いました(妻はまだ懲りていないようですが)。以上「腹の立つJR奮闘記」でした。
 上記のような苦い思い出が一部ありましたが、楽しい懇親会を準備していただいた瀬出井さん、伊藤さんをはじめとする関係者の皆様、ボランティアの皆様ありがとうございました。来年以降の予定は未定となりましたが、今後とも続いていくことを切に希望する1人です。

熊本県:SIisikawa@pa2.so-net.ne.jp




  アメリカでリハビリ


兵庫県在住の西村みどりと申します。突然お便りする失礼をおゆるしください。昨年4月末、17歳の次男がバイク事故で頸椎を脱臼骨折、2週後に医師から、完全麻痺で回復不能と宣告されました。リハビリセンターでは残存機能強化しかできない上、空きもないから半年間自宅で待機するようにとのこと。途方に暮れていた時、アメリカで事故に遭った方が集中的なリハビリで完全に回復されたという、日本せきずい基金の記事に出会いました。
 それがきっかけとなって、事故後5週めに次男とともに渡米。シアトル市ワシントン大学病院リハビリセンターで、2ヶ月のリハビリを受けることになりました。初めは1分間立っているのも困難でしたが、帰国時には歩行器で歩けるところまで回復。現在では杖でバランスを取りながら、どこへでも歩いていけます。あのとき諦めて自宅で待機していたら、一生車椅子の生活だったことは間違いありません。
 アメリカのリハビリは、今は動かなくても刺激を与え続け、動かし続け、できる限り立たせてゆこうというものでした。それに対し現在の日本では、動けない状態を受け入れさせようとするのが一般的です。集中的なリハビリを継続すれば、もっと回復するかもしれないのに絶望を宣告され、諦めてしまった方が他にもあるはずではないか。絶対に立てないと言われた息子が今歩いているということが、その証拠ではないかという疑問がふくらみました。
 その後、息子の回復を伝え聞いた数人の方が、アメリカのリハビリを受けに行かれました。彼らは「日本での入院生活は、1時間足らずのリハビリの時間を除いてほとんど寝かされているだけだった。アメリカでは、1日中、次から次へと訓練を行うし、排尿排便も自立を促される。いろいろ大変な面もあるが、やはり日本にいたら考えられないほど回復したと思う」とおっしゃっています。
 けれども、あまりにも費用がかかりすぎるし、言葉の問題や移動の問題もあります。なんとか日本でも、アメリカのような積極的なリハビリを継続的に受けられるようにできないものだろうか、とずっと考え続けていました。
 そんな折り、インターネットの「はがき通信」に、K.Uさんからの奇跡的なリハビリの報告が届きました。8ヶ月間瞬きしかできなかった最重度のT.Mさんが、杖で歩いているという事実。しかも、自宅でUさんという「医療の素人」がそれを支え続けたという事実は、脊損やリハビリについての今までの常識を完全に覆すものでした。
 さらにその後、十数人の方が、Uさんの指導で自宅での集中トレーニングを始めています。なかには座位も保てない状態から、立ち上がるまでに回復された方もあります。その方は事故後6年を経ていたそうです。脊髄は再生しないというのが医学界の常識で、それが絶望宣告の根拠とされているようです。しかし、実際に諦めずに努力を続けた人のなかから、つぎつぎに著しい回復の報告が寄せられています。これでも、単なる例外や奇跡として片づけられるのでしょうか。
 とはいえ、自宅で家族とともに、なかなか成果の見えない単調な訓練を続けるのは大変なことです。がんばろうというかけ声だけで、続けられることではありません。
 「自宅での息の長いリハビリを支えるための具体的な方法、介助の仕方、訓練器具などについて学びたい」「実際にリハビリを中心にした生活習慣を身につけたい」「アメリカの進んだリハビリを学ぶ機会がほしい」そういう声が集まって、1週間の在宅リハビリワークショップという私たちの企画が生まれました。
 幸い、K.Uさん、T.Mさんもはるばる小樽から参加して一人一人にあったメニューを組み、独自に工夫されたさまざまな訓練法や、器具を紹介して下さいます。また、ワシントン大学病院のベテランPTの ポール・メリックさん、ヴィッキー・スティヴンスさんも1週間日本に滞在して、全面的に協力・指導して下さることになりました。さらに、脊髄損傷患者の排泄の問題を研究されている和歌山県橋本市民病院泌尿器科のT.O先生も、相談にのって下さいます。
 リハビリセンターが満床で自宅待機されている方、あるいはUさんの報告を読まれて、再度挑戦したいが具体的にどうしたらよいかわからないという方にとって、新しい目標への第一歩となること。また、生活をともにするなかでお互いの体験を共有し、学び合う機会になることを祈っています。また、本人は参加できないけれど、代わりに学びたいというご家族、友人のみなさん、あるいは、新しいリハビリの可能性を探りたいと考えておられる医療関係者の方々や一般の方々にも、ぜひ参加していただきたいと思います。 

平成13年9月7日

 P.S. 第1回脊髄損傷在宅リハビリ研修会のご案内は、10月と11月に行われました。「はがき通信」の9月号にこの原稿が間に合わず、失礼しました。ところで、来年4月上旬にも第2回研修会を企画しています。詳しくは、下記連絡先までお問い合わせ下さい。

 [問い合わせ先]
西村みどり 兵庫県篠山市 TEL:0795−56−2896 E-mail: midori@hk.sun-ip.or.jp
杉山えり子 和歌山県橋本市 TEL:0736−39−1125
 内田 啓二 東京都大田区  TEL:03−3722−5035



 タイで越冬しませんか!

 昨年1月から2ヶ月間、タイのバンコクで冬ごもりしましたが、最高にいいところでした。また行きたいと思っています。おおまかな情報を記します。
 ①空港は24時間対応で、車イス用トイレ、巨大な売店街、両替所があります。リムジンタクシー案内所は高いので、外で待機しているタクシーメターを利用したほうが賢明です。
 ②車イスは、どこに移動するのにもタクシーに積める手押しが有利です。
 ③タイは国民性がよく、食べ物も豊富で(日本のデパート、日本食材店、屋台、マーケット)、バンコクだけでも観光には事欠きません。
 ④ホテルは立地条件が大切です。料金が高く、部屋も狭いところほど便利がいいのです。私が滞在したのは8階建て、月極めで¥45000(ツインベッド)、高かったけれど、一歩出れば店、屋台だらけ、どこへ行くにもタクシー代は¥200くらいでした。
 ⑤カンボジアのアンコールワットには直行便があります。アライバル・ビザは不安ですから、カンボジア大使館でビザを取っておくほうが間違いありません。バンコクは航空券が非常に安く手に入ります。
 ⑥「地球の歩き方」タイ編、バンコク編、近隣諸国に行く予定があれば東南アジア編で、ほとんどのことがわかります。
 
 [写真説明文]私が滞在したホテル、サムラン・プレイスです。1階がレストランとレセプションです。

    福岡県:平川 hirakawa@ruby.ocn.ne.jp

このページの先頭へもどる  次ページへ進む


line


HOME ホームページ MAIL ご意見ご要望