はがき通信ホームページへもどる No.68 2001.3.25.
Page. 1 . 2 . 3 . 4 .
line
前ページへ戻る

21世紀事始め・人工呼吸器利用の立場からのベッドワーク体験談 


 新年明けましておめでとうございます。
 まずは去年の報告から……。
 現在、株式投資において運用総額に対し、7割の含み損を抱えております。去年は皆様方の暖かいご支援のおかげで、株式投資で大きな含み損を抱えながらもどうにか身ぐるみはがれることなく新年を迎えることができましたが、結果として投資家見習い2年めは惨敗の年になってしまいました。
 年初はミレニアムという年にふさわしく株高の恩恵にあやかり、しばらく含み益をかかえながらご満悦の一時を過ごした時期もありました。しかし、それもつかのま、次から次へと移っていく資金の流れが読めずに売り時を逃してしまいました。その後、4月から始まった相場全体の下降トレンドに気づくことなくずるずると引き込まれ、先の見通しも立たないまま無計画なナンピン買いを繰り返した挙句、6月ごろには資金も尽きてしまいました。
 それからの半年、気がつけば資金は安全な国債へ、国内よりはましと海外市場へと逃げてしまい、おそらくは僕のような個人もかなりいるのではないかと思います。なんにせよ、傷は深い。2年越し塩漬けも覚悟しています。
 結局、1年半かけて何もわかっていないことに気付いただけでした。無論いくつか学んだことも実践してみたいこともありますが、次の機が熟すまではそれもできません。しかし、株をやっていく上でどこかで大負けも必要だと考えています。とはいえ、そういつまでも負けてばかりいられません。なら、投資歴2年めで負けるというのはひょっとするといいタイミングなのかもしれない。ネットバブル崩壊のあおりもこの程度で済んだのも吉兆なのでは。手痛い市場の洗礼を受けた年ではありましたが、とてもいい勉強をさせていただきました。
 ……言い訳していたらしかられました。もっとまともな売買してから言え、って。言い返せないところが悔しいですが、言われるまでもなくそんな買いかたしてきた自分が腹立たしい。お金を持ったら使いたがる悪い癖はいまだに直ってないようです。 
ですから、来年の目標は「むやみやたらと買いたがらない」にします。23の男が言う言葉じゃないですね。(T-T)あんまりだから少しばかり言葉を変えて、
  • ロスカットルールの厳守、買値の83%で損きり。
  • キャシュポジションは最低でも資産時価総額の20%を維持。
  • 時間内の取引の禁止。(狼狽売りなどを防ぐため)
  • 一銘柄の投資額上限を資産時価総額の30%までにする。

 こんなところかな。要は、どのような局面でも理性が保てるかどうかです。これが方法が正しいのか、自分にあっているのかはわかりません。流されやすい自分への戒めのつもりですが、どこまで有効なのだろう? しばらくは、仮想投資ゲームでがんばります。

 相手を理解することも必要でした。この1年買い方の価値観しか理解しようとせず、売り方を無視してきました。独り善がりの片思いのようなものです。相場は買い方と売り方がいてはじめて商いが成立するもの、買いから入っても売り方の心理も理解できないようではうまくいくはずがありません。売り方の価値観がすっかりそのまま抜け落ちていました。そうですね、外人でなくとも森さんは売りです。ただ、日本が売りというのは信じたくなかったのかもしれません。感情的になりすぎました。

 ですが、新しい価値観を取り入れるには自分という秤にかけ、感情でもって推し量るしかありません。できるだけ多くの価値観がほしい。物事の賛否を見分けるための対の極となる2つの価値観と、自分の行動を決定付ける気色の異なるもう1つの価値観と、最低3つの価値観で物事にあたりたい。僕なりの文殊の知恵の新しい解釈です。3人なら話がまとまるわけないんだ、だいたい。
 そういえば、去年の今ごろ障害者の経済的自立の可能性とか大きなことを言っていましたが、素人の独り善がりの資産運用の恐ろしさを身をもって知る結果になってしまいました。西暦2000年、忘れられない世紀末の1年でした。株の面白さもようやくわかってきたところです。

 後は政治かな。政治には絶望させられ続けです。また新聞の政治欄を読み飛ばしたくなってきました。ただ、来年1年を考えて危機感を覚えたのは参院選です。もし、ここで与党が議席の過半数を確保したなら、その向こう3年は国民の審判の場がありません。支持率には無関心な方々ですから、またどんなユニークな政策を打ち出してくれるのかと思うと堪りません。選挙後、先延ばしにしていた年金と401kなどがどう決着つけるのか気がかりです。
 今の野党に期待するのは無理がありますが、少しでも自民党と他党との勢力差を減らすことで与党に歩み寄らせられるなら……。でも、社会党と自民党がくっついた例もあるからなぁ。もう改革なんて、ソフトランディング路線は不可能かもしれない。ハードランディングとなると、明治維新の時の江戸幕府を思い浮かべてしまいます。去年の選挙をみても変化は始まっているように思えてなりません。この流れが大きくなればと期待しています。
 成るか? 平成の維新。ネットで反自民運動でもしてみようか。去年話題になった落選投票にも1票いれたっけ。少しは効果あったのかな?
 新年早々から、長々と愚痴に付き合っていただきありがとうございます。これで新年をすがすがしい気持ちで迎えられました。21世紀も何かとご迷惑をおかけすることでしょうが、皆様方の寛大さをもちまして長い目で見ていただけたら幸いです。最後になりましたが、皆様方ご家族と子々孫々百代までの健康と繁栄を祈らせていただきます。 

2001.1.7

大阪府 : KY QZR05431@nifty.ne.jp



 言葉あそび第3弾!


 口は災いの元木、変ちくりんの七賢、ミニロトに迷う、鮫が負けて付加価値、年寄りの冷ややっこ、禁忌傷、象も鼻が高い、棚からボタ山、心臓癌、井の中の蛙千代大海を知らず、虻は血とらず、案ずるよりやすしきよし、手話っち!、黒臼三太さん、非の打ちどころが悪い、魚影ーっ!、銀河新年、亭主淡白、惹句・安堵・別離、アナログでもない話、額賀に釘、帯に短し襷に長し首くくるのにちょうど良し、ヴィデ夫人、つみつくり大学、あんたが死んだらあの世まで化けて出てやる、弘法も筆下ろしの誤り、膿の親よりエステの親、バンジー休す、へーそっくり、鳥取につく島根もない、毒見にも薬師にもならない、松を割ったような性格、
血なまこ、小粒ぞろい、他人行儀見習い、ジッポを出す、いばらぎの道、マイケルが価値、喉のつまったフグッと喉のかわいたミ、ミズ、どっと混む西都市、ちんぴらゴボウ、宿ろくでなし、格子ておけば安心、しんねりむっつり助平、安穏族、一本張り、ぬれ手で泡踊り、ダダをこねる、ビックリ腰、鞭打ちショー、若い首ねっこの会、工事まあ多し、森おろしが吹く、台所の腐敗に敢然と立ち向かうキレイ頭巾、長崎名字後、出ました山下!、便箋と盤ゴッホ、バラバラストライクサンドイッチ、見たよ四股ふむ息子、馬鹿の大足まぬけの小足ちょうどいいのがあんぽんたん、見殺しの罪と死んだふりの罰、ああ死ぬほど生きたい、大字林と紅茶、
佐賀県 : 中島虎彦 nakaji@po.saganet.ne.jp



ニセ障害者に追随せよ 


 「グシャ愚者回路の玉葱考」を展開しよう。「ふ」一文字の持つすごさに、驚きを感じたのは玉葱だけだろうか? 1月中旬、某TV局で放映のドキュメンタリーで障害者の書いた本が500万部売れ、世界6ヶ国語に翻訳でまだまだ行きそう……と。「ふ」一文字を加えた熟語が日本中を沸かせるとは、彼の鋭い感性として喝采したい。玉葱は彼を敢えてニセ障害者と呼ぼう。彼が障害者と言われ、自覚する必要性はない。少なくとも今は……。五体とは四肢と頭であるなら、「四肢不満足」と言うのが彼の場合正しい。体、ボディーは普通人の健康体であれば尚のこと。
 そして、さまざまな困難や不自由を乗り越え切り拓く能力を身に付けた今日を、周りの人々が障害者として見るのは的を得ていない。何故なら、不自由が不自由と感じる必要のない状況を会得した者に、いまさら障害者のレッテルは無用であろう。つまり、彼が能力的に自分の生活や人生を組み立てられる立場にあれば、健常者と何ら変わらないのである。「はがき通信」で知る何人かもそうである。
 著書やマスコミで彼の真意や自身の生き様が一人歩きし、本人の思いと乖離した状況に障害者としての有り様を自問していたのは何であろうか? 彼が普通人(健常者)として生きることに、不安や迷いを抱いているとしたら笑止千万。「ニセ障害者を返上しろ!」と言わねばならない。
 しかし、彼は著書の第2弾、3弾を模索しているはずだ。スポーツ記者の仕事に挑戦している姿も、脱障害者を目指しているであろうと勝手に想像する。四体不自由は当たり前と思えば、障害者の意識を脱ぎ捨てて生きられる世の中である。彼は玉葱から見れば、まさしくニセ障害者なのだ。そして、玉葱もニセ障害者を標榜してはばからない人物になろうと、奮起しているのだが……。
 「不自由を常と思えば不足なし」を信条の玉葱は、愚鈍と紙一重かもね。「はがき通信」の面々も彼に追随し、社会の人材になり、活躍の場を切り開いてほしい。玉葱のグシャ愚者、無才浅学の思考回路は焼けモーターの臭いで胡散臭いと評判が芳しくないので、清虎瀬伊曽辰竹坊服麩……精気みなぎる才覚の持ち主に期待したい。
広島県 : 玉葱おやじ ecosakohata@do2.enjoy.ne.jp



アブノーマルな夜?!
C8レベル/受傷12年め

 これを書いている今は、まだ春遠い2月1日。寒い毎日が続いています。私は暑さより寒さに強いほうですが、年とともに(21世紀は○十路突入! ウック…信じられない…!)両方苦手になりつつあります。
 冬は夜間の掛け物の調節も難しく、皆さんもいろいろと工夫されていることと思います。私は自分で体位交換するため冬でも毛布が2枚、薄手の軽〜い布団が1枚です。暖房は一切なし! 肩あてにくつ下を重ねて履いて、顔も出せずに寝ておりマス。横向きでしか眠れましぇーん。
 体位交換は下肢の痛み・痙性のせいもあり(薬は飲んでいない)、短くて20〜30分、長くて1時間〜1時間半に1回。少なくとも10回はしているでしょう。他にこんなヤツいないって?! 健常者は、きっと無意識のうちにこのくらい寝返りを打っているのでしょうね。それを自分でやったら寝るヒマないっつーの。このうえに尿捨てもあって、冬は毎晩つらいデス。
 でも、しなくてはいられない! そして、この短い睡眠時間に何度となく見る幻覚……オット、もとい夢。。。自虐が快感に変わる…?!(こんなコト続けていていつか肉体的にガックリくるかもしれないし)瀬出井弘美の夜は薬(ヤク)もやっていないのに、かなりアブナく、アブノーマルなのでありマス。
 



 最近のバリア・フリー事情に思うこと 

 伝説と化すほどの視聴率を記録したテレビドラマ「ビューティフルライフ」以来、バリア・フリーという言葉は、この国の人々の多くにすっかり定着してきたのではなかろうか。どこへ行っても、「バリア・フリー」という言葉が自然と耳に入ってくる。たとえば、車椅子ユーザーである私たち夫婦が旅先で飛び込みで飲食店を利用する。その店の内装がどうなっているかなど知ったことじゃない、腹の虫がグーと鳴けば、本能のおもむくままに突き進むのが私たちのやり方。そんなとき、困惑した顔の店員さんが語りかける。「すみません、バリア・フリーになってないんですよ」
 景気対策の一環として長期の住宅減税、低金利融資が続いている。住宅メーカー各社は、ここぞとばかりに新聞折込チラシを投入している。カラー刷りの大判の紙面には、かっこいい家の写真がドカンと載っている。そして、自社商品・プランのセールスポイントが大きく書いてある。そこには、どのメーカーも必ず「バリア・フリー」と載せている。しかし、なぜなのか、本当に不思議なのだが、写真の「かっこいい家」の玄関には、階段が3〜5段付いている。チラシを手に逆さにしてみたり、透かしてみたり……。いろいろと試してみるが、いっこうにスロープは正体を見せてくれない。「これじゃあ家に入ることすらできないじゃん!」と、私たちはいつも口にしてしまう。(笑)
 10年前、5年前をふりかえってみる。「バリア・フリー」なんて言葉は流通していなかった。せいぜい「ノーマライゼーション」程度であろうか。間違いなく、ここ1〜2年で一気に身近になった。乙武氏の著書が爆発的に売れ、「心のバリア・フリー」が春先の花粉症のごとく日本列島をかけめぐり、社会現象と化したことも大きな要因であろう。公共広告機構なんていう、怪しいCMに登場しはじめたことが大間違いの第一歩だったのかもしれない。(笑)某長野県知事の口癖ではないけれど、「バリア・フリー」という言葉は非常にしなやかで心地よいのだ。正確な意味はよくわからない、でもなんとなくやさしい響き。そう、今が旬の“癒し系女優”と同じかもしれない。(笑)
 誰のためのバリア・フリーなのだろう? この言葉の本意はどこにあるのだろう? 私たちの経験では、まだまだどこへ行ってもバリア・フルな状態なのである。政府広告が心を込めて作るCMの中には、心地よい響きに隠蔽されたさらなる排除の政策が……。そして、企業CMの中には、販売促進へ向けた新たなイメージの構築を垣間見るのである。
山口県 : DI hartbeat@po.cisnet.or.jp


 実習がはじまります 

 後期のテストも終わり、2月19日から3月9日まで実習に行きます。社会福祉実習で、私は在宅介護支援センターで行います。朝が苦手な私は起きることができるかどうかと、トイレのことがすごく心配です。私は留置カテーテルを使っていますが、目立たないように(邪魔にならないように)レッグパックを使用して、ズボンの中に入れています。しかし、問題は、カテーテルとレッグパックの接続部分が外れてしまう危険性。そして、レッグパックは容量が少ないためにすぐにいっぱいになってしまい、何度も捨てなくてはいけないこと。トイレで捨てるときに焦って衣服を汚してしまうことです。
 先日のこと、授業中に外れてしまい、おしっこが漏れズボンがびしょ濡れになってしまいました。実習の授業で男の先生のみ6人いて言いづらく困ったのですが、放っておくと床まで濡れてしまうので仕方なく一番近くにいた先生に声をかけました。そうしたら教壇で喋っていた先生が異変に気付き、マイクを持ったまま「どうした?」と私に聞きました。ただでさえ震えている私は何と言っていいやら……。やっとの思いで「トイレに連れて行ってください」と言いました。トイレで接続したもののズボンは濡れているし、寒気はするしで教室に戻ることができませんでした。結局保健室に行き、家に電話をかけてもらい主人に着替えを持ってきてもらいました。
 また、ファミリーレストランに行っているときにも同じことがありました。このときはすぐに帰りました。家や学校ではなく、実習先でそんなことがあったら、と思うと少し憂鬱です。皆さんはこんな経験をしたことはありませんか!?
 話は変わりますが、2000年11月15日「交通バリアフリー法」が施行されましたが、みなさんの生活は快適になりましたか!? 公共交通機関は利用しやすくなりましたか!? 私の卒論のテーマは「公共交通機関のバリアフリー」なのですが、山口ではあまり進歩はないように思います。そのためか、ついつい批判文になってしまい、悩んでいます。あと半年間くらい悩んでいるかもしれません。皆さんの意見や体験談、当事者参加の活動(運動)などありましたら、ぜひお聞かせください。よろしくお願いいたします。また、次号には私の旅行体験談を送付したいと思います。みなさま身体をご自愛の上、21世紀最初の春をお迎えくださいませ。

山口県 : ミカリン mikarin@mx5.tiki.ne.jp
このページの先頭へもどる  次ページへ進む



HOME ホームページ MAIL ご意見ご要望