はがき通信ホームページへもどる No.158 2016.4.25.
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 特集 座席の振動 

C4

 外出時のことです。デイサービスに行っていたころ、初めてバス旅行に行きました。サポートする人がいますので、抱えてもらって座席に座りました。
 座席は小さな振動があり、お尻(肛門)にもろに伝わってきます。その振動のせいで、便意があるような気がしてなりませんでした。結局何事もなかったのですが、気持ちは最悪でした。
 飛行機に乗ったときも同様でした。飛行機は浮かんでいるから大丈夫と思っていましたが、やはり座席に移乗すると、お尻に直接振動が伝わって嫌な気持ちになりました。幸いなことに便で失敗はなかったのですが、便意が頭から離れず楽しい旅行にいつも水を差されていました。
 しかし、車イスにのっているときは、車で移動してもお尻が振動して気持ち悪くなったことはありません。私は、車イス用クッションとして10cmロホクッションを愛用しています。それで座席に移乗するときは、ロホクッションを敷くことを考えましたが、10cmの高さでは安定が取れませんでした。もう少し低い5cmロホクッションがありましたので、購入して旅行時に持って行き、座席に敷くようにしたところ振動が気になりませんでした(セルの高さ:ハイタイプ:10cm、ミドルタイプ:8.3cm、ロータイプ:5cm )。
 今では、移乗が必要な旅行時には、ちょっと荷物になりますがロホクッションを袋に入れて必ず持って行きます。
 

熊本市:K.I.



 特集 てんとうむしの顛末(てんまつ) 

ロシア春夏脳炎、障害歴23年、59歳

 お久しぶりです。一昨年の「はがき通信懇親会in福島」に参加して、これからはマメに投稿するぞ!と燃えましたが、毎度お馴染み口先女でした。反省を込めて、私の失敗談を書いてみたいと思います。
 1993年10月末、私はロシア春夏脳炎に罹患し四肢マヒになりました。5ヵ月の入院後、退院し自宅療養。しばらくはリハビリのために通院していましたが、自宅でも夫の手を借りて日常生活の中でできるリハビリを模索しました。

 1.意欲的な歩行練習にて(1994年)
 病名さえも判明していなかった頃、もしかしたら歩けるようになるかも……と体育館のトレーニングルームで歩行練習にトライした。いつでも押さえられるように夫が傍に付いていたので、体幹不全でふらつきながらも数歩は足を出せるようになった。ある日、当時10歳の息子Yも一緒に行き大きな鏡の前でバドミントンのフォーム確認をしていた。私は自分の姿勢を保つだけで精一杯なのに、その日に限ってチラッとYのほうを見やってしまった。次の瞬間、私の全身は棒のようになって(のような気がした)右側の額上部を床にぶつけた。幸いアザだけで済んだが、どうやら気を失ったらしく気がついたら車イスに座っていて、夫が「大丈夫か? 失敗した。一瞬、Yに気を取られたんだ」と言い、息子は心配そうに横に立っていた。
 偶然、夫と私の何分の1秒以下のタイミングが重なっただけのこと。意気投合するのは、もう少し気の利いたときに!

 2.デイサービスにて(1997年)
 晴れた日にデイサービスの職員さんが散歩に誘ってくれたので、青空大好き人間の私はホイホイとついて行った。全介助車イスのおばあちゃんと室内用脚駆動式車イスの私2人に職員さんが1人。彼は私のブレーキを確かめてから「待っていて下さいね」と言って、先におばあちゃんを道の向こうへ。その間に私はキャスター前のブレーキを外して少し進もうとした……。ごく緩い下り坂の先に側溝を覆う目の粗い網(グレーチング)があった。たちまちキャスターは網にはまり、顔面からアスファルトに激突。驚きと痛みで声も出ない。飛んできた職員さんが車イスに座らせてくれて室内に入った。「私がブレーキを外したから……」と説明しようとしたが、構音障害の言葉はうまく通じない。夫が迎えに来て、そのまま自宅へ戻った。それから顔の右側が日を追うに従い青→黒→黄と変化し、おどろおどろしい形相がしばらく続いた。
 まず自分の身体状況と車イスの機能を十分、把握していなければ「自己責任ですから」と堂々とは言えないと思い知りました。

 3.楽しいときへのスロープにて (2006年)
 1ヵ月に1度、遊びに行く友達の家。いつもは電動車イスのスイッチを切り重度訪問介護者さんに押してもらって入り口のスロープを上がるのに、その日も晴れていて私はハイテンションだったのだろう。介助者さんが先に家の中に入って準備をしていることを知りながら、私はスイッチ・オン! 軽快にスロープをクリアする予定だった……のに1mほど進んだとき、前輪がふわっと浮いた。まるでスローモーション。突き抜けるような青空をバックに楓の緑色の葉が幾重にも重なって目に映った。ヘッドレストのおかげで右頭部を土にゴッツンとぶつけただけで、うしろでんぐりがえしは無事着地。その後、吐き気もなく、いつも通り食べて話して笑って楽しんだ。その日は通院日でもあったので医師に話してMRIを撮ったが、何事もなく帰宅することができた。
 思わぬミスから一瞬でも初夏に真上の空を見上げることができました。楓の葉が輝いていた光景は、いつでも鮮やかに思い出すことができます。

 4.爽やかな散歩中にて (2008年)
 秋の晴れた日、夫と愛犬とで自宅の周りを散歩した。
 3台目の電動車イスの操作にも慣れてきて、あまり緊張せずに外出できるようになっていた。しかし、それはあくまでも平坦なところでの話だった。自宅周辺は舗装はしてあっても車道と歩道の区別はなく、断面がいわゆるカマボコ型の道路なので、端を行くときは常にコントローラーを調整しつつ進まなければならないのは、ご存じの通り。そうとう吟味してオプションで作った足コントローラーだったが、操作する右足にもマヒは残っていて注意はしていた。
 1kmくらいのところで少し先に行っていた私は気を抜いたのかスーッと車イスは低いほうへ寄り始めた。「止まれ〜!」夫の声が飛ぶ。ペダルから足を浮かせば電磁ブレーキがかかるのに、私の足は思い切り突っ張り踏み込み、アクセル全開……。当然、そのまま路外に頭から落ちてしまった。ただ両脇が牧草畑なので、頭が倒れ込んだところにも牧草が生えていてクッションになり、ケガをせずに済んだ。私の横を走っていた愛犬は、いつもと違う私の姿勢を見て「遊ぼう!」と大喜びで乗ってきた。私も嬉しくなって笑っていたら、夫が「何で止まらないんだ?!」と怒りながら起こしてくれた。「焦ると力が入っちゃうんだ……」としか言えない私。夫も十分、承知していること。いささか疲れ気味のよう……。
 慣れてきたと思う頃に油断が生ずる、おっちょこちょいの私ですが、笑っていられる内はまだ良いのですよね。これで車イスでの転倒は前、横、後ろの一通り経験したので深く反省し、しばらくはやらない予定です。

 5.真夏の朝の悪夢 (2010年)
 前日の夜更かしもたたり、夫に「起きろよ」と声をかけられても、私ははっきりと目覚めぬままに私の朝一番の仕事、トイレへ。……ここまでは毎朝のことだった。それまで私は羞恥心から、ほとんどの場合、用を足す間は介助者にトイレの外にいてもらい、事なきを得ていた。
 が、この日は何を焦ったのか、用を済ませて足下のリモコンを操作している途中で、いつもなら、やらないのに届くか届かないかの位置にあったスイッチに足を伸ばした。あ!と思う間もなく、両上肢全廃の私は、そのまま床に転倒してしまった。顔を右に背けたらしく、顔の左側面から落ち、鼻の左根元を横に置いてあった体重計にしたたかぶつけたようだった。
 突然の悲鳴に、夫が飛び込んできて「どうした!」と言いながらも、激しく動かさないように少し頭を持ち上げてくれていることを私は分かっていた。あられもない姿で倒れている我と我が身の何と恥ずかしかったことか……。しかし問題は、そんなことではなかった。「立てるか?」と言う夫の問いに「うん」と頷いたつもりの私。夫に立たせてもらいながら、痛む右膝、止まらない鼻血に「大変なことになった」と思いつつ、車イスに座らせられて私は目を開けられずにいた。そのとき、すでに鼻の左根元が腫れてきたのを感じた。寝ぼけて変な無理をしてバランスを失い、夫と義母に、また心配をかけてしまっている自分に腹が立って仕方がなかった。
 それからすぐに主治医の元へ走り、検査と問診の結果から『脳挫傷・外傷性くも膜下出血』と診断された。8日間の入院だけで手術もせずに退院したが、1ヵ月後の経過観察で『硬膜下血腫』の出現が認められた。さすがに今回は後遺症の心配もせざるを得なかった。何度も主治医に食い下がったが、彼は「それはありません」と笑うばかりだった。そして今日に至る。
 我ながら、よくもまぁこれだけ転がって無事に生きているものだと呆れます。そのたびに思ったのは、奇跡が起こって転んだ瞬間に手が前に出ないだろうかということでした。今のところ残念ながら奇跡は起こっていません。毎回、右側頭部を中心に打っているのは私のマヒがどちらかと言うと右のほうが軽いので、とっさに身体をかばおうとするため右側に首を捻るからではないかと思います。あまりにもミスが多いので電動は諦めようかという気持ちになります。けれども散歩したり買い物したりするときに電動を使い一人で歩きたいとも思います。マヒの残る右足でしか電動の操作はできないので、今後なんとかしてより良い車イスを見つけたい(考えたい)と願っています。
 ちなみに、この7年間、車イスでの転倒はありません。それは電動車イスに乗るときは、ひとえに危険を避けて恐がりになったからです。

●Sさんのマイ電動車イス


 この場を借りて皆様に伺いたいのですが、どこかに使いやすそうな屋外用のフットコントローラーをご存知の方がいらっしゃいましたら、ご一報ください。よろしくお願いいたします。
 最後に、いつも私を見守り気にかけてくれている方々に心からの御礼を申し上げます。ありがとうございます。そして、これからもよろしくお願い申し上げます。


北海道:A.S.


 特集 頸損になったらカロリー制限を 

C5損傷29年、67歳

 1987年夏にけがをしてから半年ぐらいは朝から晩まで震えつづけていた。歯がカチカチ鳴って不愉快だったし、舌をかむ危険もあったので、ずっと奥歯をかみしめていた。
 食欲などまるでない。夏だったこともあってのどが渇き、息が苦しく水ばかり飲んでいた。看護婦がお膳を持って来ても半分くらいしか食べなかった。まずかったせいもある。最近でこそうまい食事を出す病院もふえてきたようだが、まだまだといったところではないか。
 あるとき例によって食事を残すと、看護婦に「いまのあなたの仕事は食事を全部食べることですよ」といわれた。たしかに体力をつけなければならない。それ以後は反省して「完食」を心がけた。
 1年後の1988年に膀胱瘻を造設して退院、在宅の身になった。退院指導で「膀胱洗浄は毎日すること」といわれたのが忘れられない。
 在宅になってからも健常者のころと同じように食べた。そうしたら糖尿病になってしまった。考えてみれば当たり前のことだ。消費カロリーは健常者のころにくらべておそらく半分以下になっているのに、同じだけ摂取していれば当然カロリーオーバーになる(ただし糖尿病はカロリーだけではなく、ストレス、遺伝というものも原因になる)。「はがき通信」誌上にはあまり出てこないが、頸損になってから糖尿病になったというひとは意外に多いのではないか。
 いまは1日1200キロカロリーぐらい。毎朝空腹時血糖値をはかりインスリンを注射している。
 ちなみに「毎日するように」といわれた膀胱洗浄も、いまではあまりしないほうがいいという意見に医学界は変わってしまった。カロリーに関する注意をしてほしかった。

東京都:F川



 特集 「自宅にいる」ことの危険性 


 私は頸髄損傷になりリハビリ生活を終えてから10年近く、バリアフリー改装した実家で両親と暮らしています。自分の生活スペースは2階の奥にあり、特に何もないときはその部屋で一人で過ごし、パソコンをいじったり、本やテレビを見たり、自分でできる作業をこなしたりしています。
 そんな生活の中で、これまでに何度か、部屋の中で「遭難」しかかったことがあります。

 例えば、
 (1) 床に落ちた物を無理に拾おうとして横倒れし(押し手にかけていた腕が外れた)、起き上がれなくなった。
 (2) しばらくテレビを見たあと急に動いたら、痙性が強く入ったはずみで前倒れし、起き上がれなくなった。
 (3) カーテンを閉めようとしたら、カーテンの足がキャスターに絡みついて、身動きできなくなった。(簡易電動車イス使用時)
 (4) 猛暑の日、家族が留守中、エアコンをつけようとしてリモコンを床に落とし(拾えず)、暑さにやられそうになった。

 いずれも経験のある方はおられるかもしれませんが、僕は数年前、性懲りもなくこれらを連発していました。自分の体の状態を甘く見ていた部分もあったでしょうし、家にいるため油断していた部分もあったでしょう。
 (4)以外はその場で身動きできなくなったわけで、もちろん家に誰かいれば大声で助けを求めればいいし、手元に携帯でもあればそれを使ってもいいのですが、夏や冬などエアコンで部屋を閉め切っていれば声は届かないし、携帯を肌身離さず持ち歩くわけにもいかないし、持っていたとしても姿勢によっては操作ができません。
 そんなわけで、すぐ階下に家族がいるのに気付いてもらえず、1〜2時間救助を待ち続けたこともあります。待っている間に落車にいたったり、暑さや寒さでしんどい思いをしたこともあります。
 そんな経験から色々と対策(予防策)を練りました。

 具体的には、
 (1)→落とした物を拾うときは、(ひっかけて取る)リーチャー棒を使うか、急がずに家族やヘルパーに頼む。
 (2)→痙性を溜めすぎないよう、合間合間にこまめに動く。(→褥瘡予防にもなる)
 (3)→電動車イス使用時は、カーテンの開閉は家族やヘルパーに頼む。
 (4)→リモコンにループを付けてリーチャー棒で拾えるようにする。机に置いたまま操作できるよう、リモコンの向きや位置を調整する。家族が外出前にエアコンをつけておく。

 一言で言えば、「無理をしない」という当たり前のことになります。完璧に実行できているわけではありませんが、以降「遭難」は激減しました。
 また当然、家族が留守中でヘルパーも来ないときは危険性が増します。以前は半日くらい留守番をすることも多かったのですが、現在はせいぜい2〜3時間程度です。両親が歳を取りあまり遠出をしなくなったこともあるのですが、私が長時間一人にならないよう父と母が別行動して時間を調整してもらったり、ヘルパーが来る時間と合わせてもらったりしています。それでも両親が長時間出かける必要があるときは、私も一人で外出します。
 私は普段から、買物・食事・仕事関連・飲み会・イベント参加などで一人で出歩くことは多いので、何もない日は本来家にいたいのですが、上記のような場合は臨時に外出して、駅前のカフェで本を読んで時間を潰したりしています。外出先では、見ず知らずの人とはいえ、いざというときに助けを求められる誰かが必ず近くにいるので、「遭難」の心配がないからです。私の家の構造や家族環境などの要因が大きいのでしょうが、それだけ自宅や自分の部屋に一人でいることの潜在的な危険性は大きいのです。
 私は以前、福祉関係の小さなセミナーで、頸髄損傷者の生活実態などについて講演させていただく機会が何度かあったのですが、その際余談の一つとして、「日常の生活範囲内で、一番危ない場所はどこだと思うか?」という質問をしていました。私が外出の話を多くするせいもあってか、返ってきた答えは、段差の多い道、路肩が狭くて交通量の多い道、駅のホーム、踏切などがありました。確かにどこも大なり小なり危ない場所で、駅のホームのように転落が死に直結するようなところもあります。しかし敢えて僕は「自分の家の中」と答えています。
 3年ほど前、都内の路地を夕方一人で自走していて、段差を見誤って踏み外し、見事に落車してしまったことがあるのですが、その際は通りがかったお互い見ず知らずの数人の方々が協力して、すぐに救助していただきました。もちろん落車による怪我のリスクはありますが(幸いこのときはほぼ無傷でした)、家の中ではなかなかこうスムーズはいきません。屋外での段差や落車の危険性と同時に、逆に改めてプライベート空間に一人でいることの危険性も痛感した出来事でした。

埼玉県:K.E.

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