はがき通信ホームページへもどる No.155 2015.10.25.
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『夜と霧(新版)』書評 −4−

 (フランクル著、池田香代子訳)



 

Ⅱ ユーモアは魂の武器ではあるが


 (つづき)
 ●悪夢に苦しむひとにはどうすれば……
《とにかく、あれは忘れられない。ある夜、隣で眠っていた仲間が何か恐ろしい悪夢にうなされて、声をあげてうめき、身をよじっているので目を覚ました。以前からわたしは、恐ろしい妄想や夢に苦しめられている人を見るに見かねるたちだった。そこで近づいて、悪夢に苦しんでいる哀れな仲間を起こそうとした。その瞬間、自分がしようとしたことに愕然(がくぜん)として、揺り起こそうとさしのべた手を即座に引っこめた。そのとき思い知ったのだ、どんな夢も、最悪の夢でさえ、すんでのところで仲間の目を覚まして引きもどそうとした、収容所でわたしたちを取り巻いているこの現実にくらべたらまだましだ、と……。》(評者注:日本語が少しおかしい。「すんでのところで」から「引きもどそうとした、」は不要だ。)
 悪夢にうなされているひとにはどういう態度をとればいいのだろう。精神科からもらった大量の向精神薬やら安定剤やら睡眠薬などで一日中眠っていた妻は、いざ夜になってわたしが就寝準備にはいると目を覚まし、わたしやわたしの家族を攻撃する呪詛(じゅそ)のことばを吐きつづけ、それに嫌気がさすとこんどは果てしない自虐を始め、疲れはてて明けがたに眠る。つぎにくるのは悪夢だ。薬で一日中ウトウトしているせいか夜もしょっちゅう悪夢に悩まされる。わたしは起こしたものかどうかさんざん迷ったあげく、あまりにも苦しそうなときは声をかける。「こんな悲しい夢を見た、こんな苦しい夢を見た」という愚痴をひとしきり聞いてやったあと、「でも夢でよかったじゃないか、現実じゃなくて」と慰めるのが精一杯だった。だがフランクルのいうように、彼女にとって最悪の夢でさえ現実にくらべたらまだましだったのだろうか。
 
 ●粗野と繊細、どちらが生きのびるか
 「内面への逃避」という一節で、フランクルはこんなことを述べている。《強制収容所に入れられた人間は、その外見だけでなく、内面生活も未熟な段階に引きずり下ろされたが、ほんのひとにぎりではあるにせよ、その感じやすさとはうらはらに収容所生活という困難な外的状況に苦しみながらも、精神にそれほどダメージを受けないことがままあったのだ。そうした人びとには、おぞましい世界から遠ざかり、精神の自由の国、ゆたかな内面へと立ちもどる道が開けていた。繊細な被収容者のほうが、粗野な人びとよりも収容所生活によく耐えたという逆説は、ここからしか説明できない。》
 ここから先がややアマイようにわたしには感じられる。いかに苛酷な状況に置かれようとも、妻の面影を想像すれば耐えられるというのだ。《人は内に秘めた愛する人の眼差しや愛する人の面影を精神力で呼び出すことにより、満たされることができるのだ。》独身だったらどうするのか。仲の良い夫婦ばかりではあるまいにと茶々を入れたくなる。フランクル夫妻は新婚1年で引き裂かれた。すべてのひとにあてはまることではなかろう。
 日本人には西洋人の「愛」がわからないのだ。『逝きし日の俤』(「障害老人乱読日記」№36)のなかで著者の渡辺は「当時(明治以前)の日本人には、男女間の性的牽引を精神的な愛に昇華させる、キリスト教的な観念は知られていなかった」とかたっていた。フランクルはユダヤ教の信徒であってキリスト教徒ではないのだが、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教は同一神を信仰している分派であるに過ぎないから、同じ精神構造と見てさしつかえない。フランクルはそのうえ強制収容所にはいると性欲は消えると書いているから、純粋な愛、プラトニック・ラブに心を占められている状態なのだろう。ちなみに頸髄損傷者は消えない。
 
 ●「ユーモアのおと」の失敗
 ユーモアについて前回フランクルはおもに「やけくそのユーモア」について述べていた。今回はわたしの「魂の武器」としようとしてとりくんだユーモアが、とんだ墓穴を掘った体験について綴(つづ)ってみたい。
 《ユーモアも自分を見失わないための魂の武器だ。ユーモアとは、知られているように、ほんの数秒間でも、周囲から距離をとり、状況に打ちひしがれないために、人間という存在にそなわっているなにかなのだ。》ひとりの外科医と数週間ともにはたらいたとき、フランクルはこの仲間に、毎日ひとつは笑い話をつくろうと提案した。それもいつか解放されてふるさとに帰ったときに起こりうることを題材とする。《仲間たちも、似たような滑稽な未来図を描いてみせた。夕食に招かれた先で、スープが給仕されるとき、ついうっかりその家の奥さんに、作業現場で昼食時にカポーに言うように、豆が幾粒か、できればジャガイモの半切りがスープに入るよう、「底のほうから」お願いします、と言ってしまうんじゃないか、など。》
 《ユーモアへの意志、ものごとを洒落のめそうとする試みは、いわばまやかしだ。だとしても、それは生きるためのまやかしだ。収容所生活は極端なことばかりなので、苦しみの大小は問題ではないということをふまえたうえで、生きるためにはこのような姿勢もありうるのだ。》
 ウツ病は、ウツるからウツ病というのだとおもった時期がわたしにはある。妻の鬱病がいっこうに癒えず(ほんとうは強迫神経症だったようだが、わたしにその区別はつかない)、しだいにわたしも不眠の度をくわえ妻と同じ神経内科や精神科に通うようになった。そんななか「ユーモアのおと」というものを思いついた。最初のページにこう記した。「悲劇はいらない。この世が悲しみに満ちているのは自明の理だ。/そこへ悲劇を付加する必要はない。必要なのは笑いだ。誰だって日に一度は笑うはず。それをちょっと記録したらどうだろう——。1984.11.1 地下鉄車内にて」この時期通勤に利用していた地下鉄都営三田線の車中で書いたものとおもわれる。ちなみに妻のぐあいが本格的に悪くなりはじめたのが1985年。わたしがけがをしたのは1987年夏のことだ。
 雑誌や街中で見かけたのどかなものを拾っている。
 「ブスに二号はない」(ビックリハウスから)
 「有楽町駅前の宝くじ売り場で見かけた広告。“よく当たる 有楽町で買いましょう”クジ売り場のおばさんもバカにならない。(85.5.1)
 ところで皆さんご存じだろうか。妻が玄関口で帰宅した夫を出迎えハグしたりキスしたりするのは、ほかのメスの匂いが付着していないか確かめるためであることを。かいがいしい世話にも意味が隠されている。ある日帰宅すると、上着を脱がせて洋服ダンスに掛けようとしていた妻が、急に激しく泣き出した。「そんなことないっていって! うそだっていって!」と地団駄踏んで叫びながら。わたしには何のことやらさっぱりわからないから理由を尋ねても叫喚(きょうかん)の理由をあかさない。長い時間をかけて聞き出したところによると、セビロの襟の裏に1本の長い女の毛が潜んでいたという。それではラッシュアワーの車中で付いたんじゃないのとはいえない。意図的な行為の結果といわざるを得ない。だが断じて身に覚えはない。やはり社内の女性のしわざだとしか考えられないが、恨みを買うようなことをした覚えはない。
 わたしの1年間の入院中にこのノートを見つけた妻は、退院後怒りを爆発させた。「この世が悲しみに満ちている」という記述で、遠回しに自分を責めていると受け取ったのだ。わたしの「生きるためのまやかし」はまったく通用しなかった。「ユーモアのおと」だけでなく日記のすべてを読み(日記・手紙など記録癖のあるひとには即刻シュレッダーを買うことを薦める)、退院後毎日のようにわたしを責めつづけた。特にわたしの浮気を自白させようとした。日記の中に証拠を見つけられなかった妻は検事のように執拗だった。浮気の定義が「婚外性交」だとしたら、おあいにくさま一度も経験がない。清い人間だったからではなく、単に後難を恐れたからにすぎないのだが。
 (つづく)
 【途中でひとこと】
 「はがき通信」の誌面を独り占めするような長文を連載して恐縮です。終了もしてないのにさらにひとこととは図々しいが、緊急を要する事柄なのでお許しを。ある読者から「これはフィクションではないのか」という旨のメールをいただきました。書評の中の私事にわたる部分のことだと思いますが、あくまでもノンフィクションであることを申し添えます。

東京都:藤川 景



 自立生活 


 受傷後、約2年間の入院生活を経て実家の隣の一戸建てで暮らしています。一人暮らしに近い生活という感じで、現在3年目です。今感じることは、やはり人・もの・お金がないと生活できないなということです。人では、良い訪問看護と良いヘルパー事業所と良い相談支援事業所、困ったことや悩みを相談できる頸損の仲間も大事だなと思います。親にしてもらっていることは、ゴミを出すこと、緊急時に電話で呼び助けてもらうこと、朝ご飯と夕ご飯を用意してもらうこと、ヘルパーさんのできないことをしてもらうことです。今後、親が弱った時やいなくなっても、安定した生活を送れるようにこれからの生活を考えることが、私の課題だと思います。
 ものはお金で何とかなる部分もありますが、無限にあるものではないのでコスパも考え自分にあったものを選んでいくことが、生活にも大きく関わってくるような気がします。家を私が住むにあたって少しリフォームしたのですが、玄関の施錠を暗証番号方式の開き戸にしました。自分でドアの鍵を開けることが難しく、一日にいろんな事業所の方が訪れるので暗証番号を伝えておけば入れ、ドアを閉めれば勝手に施錠され、閉め忘れの不安もありません。父は、泥棒は玄関からは入ってこないとこのドアに関してあまり賛成ではありませんでしたが、私の不安を大きく取り除いてくれています。
 お金の面では、年金に助けてもらっていますが、国の財政状況等を考えるといつまで続くかわかりません。同じく福祉サービスや医療サービスも、将来変わりなく利用できるかどうか確信は持てません。経済的なことだけではなく、いつか何かしら仕事をしたい気持ちもありますが、今の現状に甘えがあり踏み出せてはいません。
 また、現在5社のヘルパー事業所と契約しており、1週間に20人ぐらいのヘルパーさんにお世話になり、週2回訪問看護、週2回訪問リハでOTさんに来ていただいています。入浴は、ヘルパーさん2人で週2回家でシャワー浴、週1回入浴のみのデイサービス、それ以外は、洗面台で洗髪洗顔をしてもらっています。毎日、洗髪洗顔をしてもらえることが本当に嬉しいです。
 関わる方は、全て女性の方でお願いしています。サービス時間が短くても人間関係でストレスを感じる場面が多いのも悩みで、年々上手に付き合っていけるようにはなっていると思っているのですが、あるヘルパーさんにあなたはこれから先がまだ長く、たくさんのヘルパーさんにお世話にならないといけない、だからなるべく苦手な人を作らないようにしたほうが良いと思うと言われました。
 確かにと思う反面難しいときもあり、全くストレスを感じないわけにはいきません。そんなときは、何か他に集中できるもの、夢中になれるものを自分で見つけることも大事なことだなと感じています。外出することや些細な当たり前のことを幸せに感じること、旅行をすること、友達と話すことを大切にしようと思っています。
 入院中はこれからの生活を考えたときに、大変悩みました。そもそも頸損で一人暮らしをされている方が少なく、私と同じくらいのレベルで一人暮らしをされている方はもっと少なく、女性となると出会ったことがありませんでした。悩んでいるときに病院で知り合った方に母親と一緒に暮らしているけれど、一人暮らしに近い形で生活されている実家の近所に住んでいる女性を紹介してもらうことができました。この方の生活を聞いたことが、私の中で在宅生活を頑張ってみようと思うきっかけになりました。
 市町村によって福祉サービスの時間数やヘルパー事業所、行政の対応、医療面は大きく違うので情報はとても役に立ちました。他にも、年齢の近い男性で一人暮らしをされていた方のアパートを見学させてもらいに行き、これからの生活がイメージできるようになりました。今は、入院中に退院したらやろうと思っていたことを一つ一つ叶えている感じです。
 体調管理も大事で、外出から帰ってきたときはうがい、バランスの良い食事と体重の維持、スキンケア、挙げればきりがありませんが、常に自分の体のことを考えていないといけないことは大変です。入院していた病院で、医療関係者であっても頸損のことは誰もわからないから、自分で管理できるようにならないといけないと言われました。本当にその通りで初めはトラブルも多く大変でしたが、最近では少し負担が軽くなり、訪問看護師さんに2割くらいは預けられているような気がします。
 些細なことも自分で決めること、決めたことに責任を持つこと、他人のせいにしないこと、誰かにしてもらう上で自分で、決めることができる自由を与えられていることには感謝しているのですが、ときにとても疲れます。そんなときは気を抜いたり、適当にしたりすることもあります。
 今回、自立生活について原稿を頼まれましたが、頸損新米の自分が諸先輩方を差し置いて書いて良いのか迷いました。私の感じていることは、これまでの頸損の諸先輩方が通っていることで、制度のなかった時代からを思うと逞(たくま)しいなと思います。そんなに逞しくなりたくないのですが、日々成長していける自分でありたいと思っています。

広島県:S.O.



 『臥龍窟日乗』 —秘すれば花— 


 男ばかりの社会で生きてきた。
 社長がいて、重役がいて、部長がいて、課長がいて、課長補佐がいて、はるか下に自分がいた。小型のヒエラルキー社会だ。
 現在の官公庁、民間会社、組組織はすべてこの階層構造でできている。あらゆる方針は重役以上の会議でもってきまる。上意下達。独断専行は許されない。はみ出し者は独房謹慎か、最悪のばあい電気椅子である。
 それがイヤな者は、はなからこのヒエラルキー社会には近づかない。個人商店、芸能人、スポーツ選手、日雇い労務者、学者、芸術家などになるしかない。
 まちがってヒエラルキー社会に紛れ込んでしまったばあい、多少の屈辱はみずから癒すほかない。心に沁(し)みる演歌を聞きながら、手酌のショーチューをあおり、はらはらと悔し涙にくれる。そしてときおり、
「社長のこっぱ禿(は)げめ、ぶち殺したる」
 と叫ぶのだ。
 いよいよ、おのれの人格を蹂躙(じゅうりん)されたと思ったときには、重役会議に乗り込み、禿げデブどもの頭をどつきまわす。
 やおら懐から辞表を取り出し、社長の前に叩きつけるのだ。そして三度笠をかしげ、受付嬢に「あばよ」と微笑みかけて玄関を出る。
 いやいや案ずることはない。
 同じような小型ヒエラルキーは、日本国中ゴマンとある。けなげにも「賞罰なし」なんて履歴書に書き、こまめに就活すれば、あらたなヒエラルキーなんてすぐに見つかるものだ。
 前書きが長すぎた。
 こんなデラシネな人生を続けてきたタタリか、10年ほどまえから指一本動かせない地獄に堕ちこんだ。生活が一変した。斬った張ったの世界から、うるわしき女性たちに囲まれる日々へ。まるでエーリアンのような感覚だ。
 毎日の話題は天候に始まり、洗濯、育児、PTA、スーパーの安売り情報、そしてときどき下ネタ。毎度この繰りかえし。みごとなほどに、はみ出すことはない。
「あんたら、たまには政治経済とか、夫婦喧嘩とか、姑の悪口とかの話もしたらどやねん」
 と言いたくなるが、いまだかつて口にしたことはない。なんか、われわれ男の近寄りがたい世界があるに違いない、と思ったからだ。
 はたと気づいた。
 女性には「天候、洗濯、育児、PTA、スーパーの安売り情報、そしてときどき下ネタ」しか話題にしないという不文律というか掟(おきて)があるのだ。
 だからこそ、テーシュが財務省の守衛だとか、こんど息子が早慶大学に合格したとかいう内輪話はタブーなのである。つまり女性の社会には、ヒエラルキーはあってはならないのだ。息子や娘の偏差値が、PTAにおける母親の序列になっては断じてならない。
 いったんヒエラルキーができてしまうと、ねたみ、そねみ、いじめ、いやがらせ、足の引っ張りあいが始まる。男の社会とおんなじだ。
 出る杭は打たれる。目立つ花はたおられる。
 男は、気にくわない上司をボコボコにして、辞表を叩きつければいいのだが、女性はそうはいかない。行動半径の大きい男と違い、居住地域が女性の生活の場、すなわち「社会」なのだ。逃げ場がないのである
 派手なケンカでもしようものなら、つぎのPTAでどんな目にあわされるかしれない。スーパーのトイレに連れ込まれ、集団暴行すら受けかねないのである。
 だから自分のことは言いたがらない。家族のことはなおさら言おうとしない。
 「天候、洗濯、育児、PTA、スーパーの安売り情報、そしてときどき下ネタ」だけ話しておけば、災難が降りかかってくることはまずない。
 秘すれば花。これぞ清く正しい主婦の生きる道なのだ。
 

東京都:出口 臥龍

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