はがき通信ホームページへもどる No.154 2015.8.25.
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 『臥龍窟日乗』 −越南新娘− 


 平成10年ごろだったろうか。
 台湾ではいたるところで、奇妙な貼紙を見かけた。手拭いほどの赤い紙が、塀といわず電柱といわず、タテ書きでべたべたと貼ってある。赤地に白抜き文字だから、やたら目につく。
 越南新娘(イェナンシンニャン)と大書して、なにやら下にごちょごちょと書いているが、越南とはベトナムのことである。ひところ日本でも流行ったフィリピンパブのたぐいだろうと、気にもとめなかった。
 台湾では現地社員とクルマでまわるのだが、あるとき相方が尋ねてきた。
「アレ、なんのことか分かりますか?」
「キャバレーかなんかの宣伝じゃーねーの」
「いま台湾じゃ花嫁不足なんですよ。男が製造業に就いて、女がセールスやるから、外人バイヤーとくっ付く女が多いんです」
「花嫁斡旋業か。下になんて書いてあるの?」
「まず費用ですね」
 ざっと換算して、日本円で200万くらいか。
「それから身元保証。逃げない、とも書いてありますよ」
「逃げない、とわざわざ書くところをみると、逃げることもあるっちゅうことだな。言葉は通じるの?」
「越南といっても、華僑なんです。北京語だから会話は問題ありません」
 華僑という言葉を、若い方はご存知ないかもしれない。進取の気性に富んだ中華系の人びとは、地球の果てまで出張って商いをした。彼らを華僑と呼ぶ。

 台湾に滞在中は、オフィスの近くの大衆食堂でバンメシをとる。張先(ティュンシェン)という30半ばの独身男と、腹の突き出た母親がきりもりしている。ちなみに張先とは張さんのことだ。若いのに張先は、ひたいから頭頂部まできれいに禿(は)げあがり、ヒョットコが苦虫をつぶしたような顔をしている。
 まずビールをたのみ、おかずとチャーハンを注文する。「チャーハンは最後だよ」と母親に念を押すのだが、毎度チャーハンが最初に出てくる。
「チャーハン食うとビールがまずくなんだろ。日本人にメシ物さきにだすっちゅうのは、もう帰れってことだよ」
 母親にクレームつけるのだが、
「そう言ってやるんですけどねェ……」
 と眉を寄せ、調理場をアゴでしゃくる。
 つまり張先は、筋金入りの〈へんこつ〉なのである。

 ある日のこと、午前中の仕事を終えオフィスに戻ってくると、女子社員たちが嬌声をあげ、おおはしゃぎをしている。たしかイェナンシンニャンという言葉が耳に残った。「なにかあったの?」と訊くと、
「張先が越南新娘をもらったんですよお」
 とクスクス笑った。
 これはぜひとも拝見しに行かなきゃならんなと、夕方、男性社員と野次馬よろしく見物に行った。

 い〜ろは黒い〜が、南洋じゃ美人、なんてケシカランことを妄想しながら食堂に行ってみた。ところが予想を裏切って、越南新娘は色白でぽっちゃりしたなかなかの美人だ。愛想もいい。
「張先、いい嫁さん貰ったじゃないか」
 と背中をたたくと、これまで笑顔など見せたこともない男が、ヒョットコ顔を歪ませてニッと笑った。
 俄然、張先が変わった。
 チャーハンが最後に出てくるようになった。ときどき調理場から出てきては、ぶきっちょなオアイソを言うようになった。やがて奥さんによく似た女の子ができた。
 母親と嫁とが険悪なムードだと、そのころ噂を耳にした。
どこにでもある話だと思っていたが、事態は深刻だったようで、越南旧娘は子連れで越南に帰った。つまり逃げたのだ。
 張先と母親も、その後、見かけることはなくなった。

 千葉県:出口 臥龍




『夜と霧(新版)』書評 −3−

 (フランクル著、池田香代子訳)



 (つづき)

Ⅱ ユーモアは魂の武器ではあるが


 ●「反応の第2段階」は感情の消滅

 収容所に入れられたショック段階を過ぎると、つぎに来るのは感動の消滅であるという。身も世もなくなるほど被収容者をさいなんだ家族に会いたいという思いは消え、便所掃除や汲み取りで汚れることなどなんとも思わなくなる。汚れを拭き取ろうとすれば「上品ぶるんじゃねえよ」とばかりカポーの一撃が飛んでくるからだ。ほかのグループがサディスティックに棍棒(こんぼう)で殴られ、何時間も糞尿のなかを行進させられる姿は、はじめのうちは正視に耐えなくても、「反応の第2段階」にはいれば、《無関心に、なにも感じずにながめていられる。心に小波(さざなみ)ひとつたてずに。》
 診療所に12歳の少年が運び込まれたときもそうだった。《靴がなかったために、はだしで雪のなかに何時間も点呼で立たされたうえに、一日じゅう所外労働につかなければならなかった。その足指は凍傷にかかり、診療所の医師は壊死して黒ずんだ足指をピンセットで付け根から抜いた。それを被収容者たちは平然とながめていた。嫌悪も恐怖も同情も憤りも、見つめる被収容者からはいっさい感じられなかった。苦しむ人間、病人、瀕死の人間、死者。これらはすべて、数週間を収容所で生きた者には見なれた光景になってしまい、心が麻痺してしまったのだ。》
 殴られつづけるとなにも感じなくなるようだ。本書では「不感無覚」ということばが使われている。青木の造語だろう。《この不感無覚は、被収容者の心をとっさに囲う、なくてはならない盾なのだ。なぜなら収容所ではとにかくよく殴られたからだ。まるで理由にならないことで、あるいはまったく理由もなく。》

 ●「人間はなにごとにも慣れる存在」

 つぎのような観察はおもしろい。《新入りのひとりであるわたしは、医学者として、とにかくあることを学んだ。教科書は嘘八百だ、ということを。たとえば、どこかにこんなことが書いてあった。人間は睡眠をとらなければ何時間だか以上はもちこたえられない。まったくのでたらめだ。わたしも、あれこれのことはできないとか、させられてはならないとか、思いこんでいた。人は「もしも……でなければ」眠れない、「……がなくては」生きられない。》これらの常識にフランクルは異をとなえるのだ。《アウシュヴィッツでの第一夜、わたしは三段「ベッド」で寝た。一段(縦が二メートル、幅が二・五メートルほど)の、むき出しの板敷きに九人が横になった。(中略)言うまでもなく、わたしたちは横向きにびっしりと体を押しつけあって寝なければならなかった。》糞まみれの靴を枕にしている者もいた。こんなありさまでも、眠りは意識を失い、状況の苦しさを忘れさせてくれた、というのが教科書嘘八百説の一例。
 歯なんか磨かなくても、ビタミン不足でも、歯茎は栄養状態の良かったころより健康になり、半年間同じシャツを着た切り雀で体を洗うこともなく土木作業をさせられても、傷口は化膿しなかった。《人間はなにごとにも慣れる存在だ、と定義したドストエフスキーがいかに正しかったかを思わずにはいられない。人間はなにごとにも慣れることができるというが、それは本当か、ほんとうならそれはどこまで可能か、と訊(き)かれたら、わたしは、ほんとうだ、どこまでも可能だ、と答えるだろう。だが、どのように、とは問わないでほしい……。》
 最後の一句は何をいいたいのかわからない。以前はかすかな物音にも目がさえて眠れなかった者が、すし詰め状態でとなりの被収容者に大いびきをかかれても横になったとたんにぐっすり寝入ってしまった、というのだが、その背景に極度の疲労があることを見のがしてはならないだろう。「どのように」というのは、極限状況に追い込まれればという条件を指しているのではないか。
 どれほどの極限状態であるかを示す一節を引いてみたい。フランクルが「発疹チフス病棟」に入っていたときのことだ。まわりじゅうが高熱を発し、譫妄(せんもう)状態にある患者ばかり。ひとり亡くなると「看護人」は《死体の足をつかみ、右にも左にも五十人の高熱を発している人びとが横たわっている板敷きのあいだの狭い通路に転げ落とし、でこぼこの土の床を棟の入り口まで引きずっていった。外に出るには階段を二段、上がるのだが、これがわたしたち慢性的飢餓状態にあり衰弱しきっている者にとっては大問題だった。何ヵ月も収容所で過ごした今、わたしたちはみな、両手で柱にすがって体を引きあげないと、足の力だけでは自分の体重を二十センチだけ二回持ち上げることなど、とっくにできなくなっていた。》
 最後のころの食事は、日に1回与えられる水としかいえないようなスープと、人をばかにしたようなちっぽけなパンで、それに「おまけ」として20グラムのマーガリンや粗悪なソーセージの一切れなど。《皮下脂肪の最後の最後までを消費してしまうと、わたしたちは骸骨が皮をかぶって、そのうえからちょっとぼろをまとったようなありさまになった。すると、体が自分自身をむさぼりはじめたのがよくわかる。有機体がおのれのタンパク質を食らうのだ。筋肉組織が消えていった。》これほどの極限状況に追い込まれれば、いかに劣悪な環境でも眠りに就くことができるだろう。ほとんど死んでいるのだから。「人間はなにごとにも慣れる存在だ」というドストエフスキーのことばを文字どおり受けとめてはならない。
 そもそもドストエフスキーのことばがフランクルに感銘を与えるためには、ドスト氏がフランクルと同程度、いやそれ以上の苦難に遭っている必要がある。ドスト氏の人生はいかなるものであったか。たしかに空想的社会主義サークルにはいった廉(かど)で5年間シベリアに流された。そのときの体験が上記の格言を産んだのだろうが、それ以外は処女作から大当たりをとり、数々の超大作をものしている。つまりそれだけ生活にゆとりがあったのだ。生涯貧乏だったといっても博打癖が原因だからね。
 ひるがえってわたしたち頸損の置かれた肉体的状況はどうか。ひとそれぞれであるから一般論は述べられない。個人的な事情を書く。C5の四肢体幹麻痺、全介助の身だ。全介助というのは食事から排泄までなにもかもひとに頼るということ。小指いっぽんうごかない。皮膚感覚がないから肩甲骨から下は針で刺されても感じない。そのくせ背中と腕には激痛がある。深部感覚というのだろうか。背中になにかが当たっているだけで苦しい。車椅子の背もたれにもたれても痛ければ、最新式のエアマットを敷いたベッドに寝ても、仰臥位(ぎょうがい)なら2時間が限度だ。そこで比較的痛みの少ない右側臥位(そくがい)で寝るのだが、やはり下敷きになった腕や腰は痛くなり、どういうわけかなんのプレッシャーもかけていない左側も痛くなる。極度の疲労があればすし詰めでも糞まみれでもひとは眠れる、要するに慣れだという意見にわたしは異を唱えたい。頸髄損傷者の耐えがたい痛みは一晩に何度もあなたを起こすだろうと。この痛みを軽減するのにどれほどの工夫を凝らしたかしれない。ペインクリニックといって患部にキシロカインを注射する方法もすがる思いで2年ほど試したが、効果はなかった。「人間はなにごとにも慣れる存在だ」などと気軽にいってほしくない。
 体位交換は一晩に何度も頼まなければならない。介助者も疲労が蓄積してくる。妻は特に精神科で処方された睡眠薬を大量に飲んでいたから、ただでさえぐあいの悪い精神状態がさらに悪化し、次第に家を空けるようになった。夜は深夜営業の飲食店に行ってタバコを吹かして時間をつぶし、昼は行く先も告げず外出して夜まで帰らず、そしてしばしば旅に出た。家にいない隙を狙って当初通っていた代々木病院精神科の妻の主治医に電話をかけ、いくつか質問をした。
 「手首を切ると心が楽になるというんですが、これはなぜなんでしょう」
 「わかりません」
 「妻はわたしのそばにいたいというんですけど、ひんぱんにでかけるんですよ」といったら、患者の心のゴミ捨て場である精神科医はひどくいらだたしそうに、
 「あんたもわからないひとだねえ。言葉より行動が真実だっていうことぐらい知らないんですか!」と怒鳴られてしまった。
 最後に通った都立M病院の主治医がまちがってふだんの3倍処方した薬を——わたしは返却するよう説得したが、それを無視して——飲んで永眠した。
 (つづく) 

東京都:藤川 景



 ★★★ ひとくちインフォメーション ★★★ 



 ◆ ご協力を

NPO法人「日本せきずい基金」
基金残高(2015年3月末現在)
28,977,896円

[お問い合わせ先]
日本せきずい基金事務局
〒183-0034
東京都府中市住吉町4-17-16
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FAX:042-314-2753
E-mail: jscf@jscf.org
URL:http://www.jscf.org 
「日本せきずい基金」 



〈ニュース〉 「いつか紅白に」障害を抱える歌手がCD さいたまのスタジオが支援

 24時間の介護が必要な身体障害と言語障害を抱えながら歌手として活動する天羽柚月(あまは ゆずき)さんが6月、CD「感謝状〜母へのメッセージ〜」を発売した。亡き母と約束した「いつか紅白歌合戦に」という夢を持ち、歌い続けている。
 天羽さんは1981年、宮崎県生まれ。2005年に上京し、障害者の自立を支援する事務所のサポートを受け、自立へ向けて活動を開始。介護ボランティアを頼もうと駅前で道行く人に夜遅くまで声を掛け続けた。
 そうした活動の中で「自立して歌を頑張りたい」と思いが芽生え、08年から介護者とともに路上ライブを行うようになった。通行人の心ない声や、不自由な体、思うように出せない声にくじけずに歌い続け、ファンは徐々に増えている。
 さいたま市北区宮原町で総合建築企画、損保鑑定会社「ネクスト」社長の川田秀夫さん(70)は、夢に向けて進む天羽さんに共感。同社がJR宮原駅前で運営するスタジオ「ゆめひろ」でのレッスンや、イベント出演契約を結び、音楽活動を応援している。
 2枚目となるCD「感謝状〜母へのメッセージ〜」は、島津亜矢さんの曲を編曲家の若草恵さんが天羽さんのためにアレンジ。01年の大みそか、母親と見た最後の紅白歌合戦で感銘を受けた曲という。
 天羽さんは「落ち込み、歌うのを諦めようと思ったことは何度もあったが、声を捨てたら自分ではないとも思った。どんなにつらいことがあっても自分を信じ、諦めないでほしい」と呼び掛けている。
 CDはネクストゆめひろ事業部で販売。1枚千円(税込み)。問い合わせは、同事業部(048・651・5454)へ。
(2015年7月7日 埼玉新聞)









【編集後記】


 今号では、初めのほうに、排尿管理に関する記事を掲載させていただきました。
 私は、負傷当時、回復期に膀胱ろうの手術を受けました。
 今年6月中旬に尿路感染の症状(膀胱炎悪化)が出たため、抗生剤が欲しくなり、泌尿器科を受診しました。
 念のためCTスキャンをしてもらったところ、膀胱に3.2cm×1.2cmの棒状に育った結石が見つかり、とてもがっかりしました。膀胱ろうカテーテル交換のつど、エコー検査を行っていたのですが、それでは探し出せませんでした。
 夏の暑さが落ち着いたころに日程を決めて、摘出してもらってこようと思います。4年前に同じ泌尿器科で膀胱結石の摘出手術を受けたので、不安はありません。
 エコー検査では、腎臓の結石は高い確率で見つけられますが、膀胱は見つけられないこともあるようです。
 膀胱ろうや尿道留置カテーテルの方で、長期間結石の検査を受けていない場合は、他の目的での通院のついでにでも、CTスキャンでの検査をお勧めします。
 「はがき通信」 №151 から連載を始めさせていただいております「頸損と介助犬」は、投稿者ご本人の都合により、今月号ではお休みさせていただきました。
 次号の編集担当は、瀬出井弘美さんです。

編集担当:戸羽 吉則





………………《編集担当》………………
◇ 藤田 忠  福岡県 E-mail:stonesandeggs99@yahoo.co.jp
◇ 瀬出井弘美  神奈川県 E-mail:h-sedei@js7.so-net.ne.jp
◇ 戸羽 吉則 北海道 E-mail:toba@blue.ocn.ne.jp

………………《広報担当》………………
◇ 麸澤 孝 東京都 E-mail:fzw@nifty.com

………………《編集顧問》………………
◇ 向坊弘道  (永久名誉顧問)

(2015年2月時点での連絡先です)

発行:九州障害者定期刊行物協会
〒812-0054 福岡市東区馬出2丁目2-18
TEL:092-292-4311 fax:092-292-4312
E-mail: qsk@plum.ocn.ne.jp

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