はがき通信ホームページへもどる No.150 2014.12.25.
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 『臥龍窟日乗』—霧笛海峡〈2〉— 


 11月15日、下関市の東亜大学で作家、佐木隆三さんの講演会が開かれた。招いたのが同大学の崔教授。
 先月、崔教授が佐木さんを訪問されたのは講演依頼のためだった。関門海峡の対岸、門司から車イスでおいでになったそうだ。
 著作については触れず、ご自分の生い立ちについて、佐木さんは話された。ご両親が広島の出で朝鮮に渡り、ご本人はその地で生まれた。日本の敗戦後、親戚を頼って現在の北九州市八幡東区に移った。
 福岡県立八幡中央高校を卒業後、八幡製鉄に就職した。八幡製鉄では社内の文芸同好会に加わり、岩下俊作氏の指導を受けた。
 岩下俊作氏は映画『無法松の一生』の原作者だ。その当時、北九州では火野葦平氏を中心とする同人誌『九州文学』が全盛だった。
 火野葦平氏は『糞尿譚(ふんにょうたん)』や『花と龍』で知られる超売れっ子作家だった。だが『麦と兵隊』などの戦争物によって従軍作家という重い烙印(らくいん)を押されていた。
『九州文学』には火野葦平、矢野朗、原田種夫、岩下俊作、劉寒吉などそうそうたるメンバーが名をつらねていた。
 佐木隆三さんより10歳年下の私は、小学校3−4年だったと思う。日本の敗戦からちょうど10年が過ぎたころだ。娯楽なんてろくなものはなかった。太さ2センチほどの竹の棒を振り回し、チャンバラごっこに明け暮れた。
 子供用自転車が出始めたが、毎晩のように飲み歩く親父の酒代で、毎月わが家は火の車だ。「自転車を買ってくれ」なんてとても言えなかった。
 標高100メートルちょっとの山が島の北側にあった。砲台山といった。天気の良い日はこの山に登ることが多くなった。眼下に玄界灘。関門海峡をはさんで左手前から門司、小倉、戸畑、若松、八幡の北九州工業地帯が見わたせる。
 玄界灘に落ちこむ夕陽を逆光に浴びて、八幡辺りに林立する煙突のシルエットが心に刺さるかのようだった。暗くなって家に戻ると、母が「あんた、どこに行っちょったん?」と尋ねる。「砲台山のぼってきた」と答える。母は大きなため息をつき悲しげな目をした。
 一般家庭に白黒テレビが普及し始めたころだった。学校では、休憩時間になると前夜の番組の話題でもちきりになる。ゲッコウカメンだオンミツケンシだなんて言われたって、何のことやらさっばり分からない。
 電化製品といっても、わが家には電気ランプと電気アイロンと電気ラジオしかなかった。その電気ラジオも、母が実家からもらってきたお古だ。横長の木箱の正面にスピーカーの穴が丸くうがってあり、内側から布が貼ってあった。
 このおんぼろラジオで、NHKとRKB毎日放送の電波だけがひろえた。『くろがね劇場』というドラマ仕立ての30分番組が毎週水曜日の夜7時半から放送された。泉鏡花の作品をドラマ化したような内容だ。
 番組のはじめに「八幡製鉄提供」の音声が入る。昼間見た煙突のシルエットを思い出し、母に尋ねるとびっくりした顔になった。「あんた『くろがね劇場』は八幡製鉄の人たちが創っちょるんよ」と嬉しそうに言った。私もこの番組のとりこになった。
 なかに一本だけ、60年近くたったいまでも鮮明に覚えている物語りがある。木曽の御嶽山を題材にしたものだ。BGMに正調木曽節を流しており、その哀調をおびた旋律が心の琴線に触れた。
『くろがね劇場』の台本を担当したのが、『九州文学』の同人だった。火野葦平、劉寒吉、岩下俊作、原田種夫などの人びとが持ち回りで台本を書いた。岩下俊作氏が八幡製鉄に縁があったことから、八幡製鉄がスポンサーになったのだろう。ちなみに『くろがね』とは鉄のことだ。
 昭和35年の3月末、わが家は父の転勤で千葉県に引っ越した。60年安保の年で世情は混沌としていた。この年の1月24日、火野葦平さんが亡くなった。
 13回忌のおり、火野さんは死に際して遺書を残していたこと、睡眠薬による服毒自殺だったことが、遺族によって公表された。
 この報に接したとき、火野さんは戦争協力という禍根に、落とし前をつけたのだと思った。私はすでに成人していたが、心の奥底であの関門海峡の霧笛が泣くのを確かに聞いたのであった。           

千葉県:出口 臥龍


 「はがき通信」の道のりをたどる(その1) 

54歳

 「はがき通信」の読者の皆様、はじめまして。私は、住まいや都市における暑さ寒さの感じ方と、それに基づく健康で快適な環境づくりの方法などを研究している者です。10年ほど前から、頸損者の体温調節と、車いすやベッドなどの福祉機器、それと住まい空間との温熱的な関係について、調査、実験やシミュレーションを行っています(同様の研究は、日本大学の三上功生先生らもされており、三上先生らのほうが研究の先達です)。
 ご存じのように、頸髄損傷者の皆さんにとって体温調節は非常に大切なことです。頸損者の体温調節の特徴については、これまでに吉田燦先生(故人)、三上功生先生らのご尽力によって明らかにされてきています。しかし、まだまだ研究しなければならないことはたくさんあります。特に頸損者の皆さんが外出する際の体温変動を予測することや、うつ熱や低体温に対する予防方法、それとそれに対する建築・都市空間のあり方の検討が必要となっています。こうしたことは、頸損者の皆さんや家族・介助者の方々のみならず、高齢者や乳幼児などのいわゆる温熱環境弱者にとっても役に立つものですし、温暖化などの影響により、今後ますます必要な状況になると思います。
 私は兵庫県の姫路市に在住していますが、ある日、兵庫頸損連絡会の会員さんと日常生活における体温調節の工夫のお話しを伺っていましたら、「はがき通信」を紹介していただきました。「はがき通信」には皆さんの日常生活の工夫がつまっているとアドバイスをいただきました。そこで、「はがき通信」に投稿された記事を拝見し、これまで「はがき通信」がたどってきた道のりを俯瞰(ふかん)し、その内容がどのように移り変わってきたのかなどを見てみることにしました。どこまで深く掘り下げられるか、まだまだわかりませんが、少しずつご報告させていただきます。
 今回は、「はがき通信」の創刊から現在(2014年4月号)までの記事の投稿数(約2,900件)などの変遷をご紹介します。

 1.年別の投稿件数
 下図に年ごとの投稿数を示します(2014年は4月号までの数字です)。1990年の創刊以来、投稿件数は順調に伸び、2000年にピークを迎えます。その後、2004年にかけて少しずつ減っていきますが、2005年あたりから盛り返します。ここ数年は、年間で100件程度に安定しています。



 2.年別の総文字数
 上の図の件数を、今度は文字数で見てみましょう。そうすると1995年あたりから現在まで、ほぼ安定している状況がみられます。上の件数の図では多少変動はあるものの、「はがき通信」の内容としては、この頃からすでに安定した状況になっていたものと考えられます。


 
 3.投稿者の性別
 「はがき通信」の投稿者(総数)の性別は、判明している数だけ見ると男性が女性の約2倍になっています。ただ、性別不明の方も多数いらっしゃるので、一概に男性が多いとは言えないでしょう。お一人が複数回投稿していることを考慮しても、この男女比はほぼ同じくらいだと思われます。




 4.投稿者の地域
 投稿者の地域は、関東地方と九州地方が非常に多くなっています。それに次いで、中国地方、中部地方と続きます。ただし、地域が不明の方も相当数いらっしゃいますので、関東、九州以外の地域の方も多く含まれていると思われます。



 今回はこれくらいのご紹介ですが、いかがでしたでしょうか。20数年にもわたって途切れなく「はがき通信」が続いており、しかも安定した内容であることは本当に素晴らしく、心から敬意を表する次第です。次号でも「はがき通信」の内容から見えてくることをお伝えします。

兵庫県:土川 忠浩
 兵庫県立大学環境人間学部・教授・博士(工学)




 [掲載のいきさつと著者のご紹介]
 2008年、関西の頸髄損傷者の友人から紹介があり、兵庫県立大学土川先生が研究されている「頸髄・脊髄損傷者の方々のお住まいにおける温熱環境アンケート調査」に協力したのがきっかけで交流がはじまりました。
 今回の「はがき通信」を使った調査企画では投稿者の個人を特定しないことを約束の下、膨大な投稿を分析し、さまざまな人の住まいや生活での課題や工夫(知識・智恵)が抽出・整理できデータベース化の可能性を検討していきます。
 また、今年の全国頸髄損傷者連絡会総会・兵庫大会では、兵庫県立大の学生さんのボランティア協力をいただき、総会準備、当日の食事介助や夜間移乗介助などお手伝いいただきました。多くの頸髄損傷者や団体との関わりも深い方です。

広報担当:麸澤 孝









【編集後記】


 2ページでお知らせしていますように、編集担当を札幌市在住の戸羽さんに引き受けていただきました。つきましては次号・2月号の編集を担当していただきますので、原稿の送付は下記戸羽さんの連絡先までお送りいただければと思います。
 次に購読者の方より、電動車イスで外出するさいに思いがけず事故に遭うことが心配で、電動車イスの保険についての問い合わせと誌面で情報掲載のリクエストをいただきました。加えて2010年の報道によると、ハンドル型電動車イス(シニアカー)に追突された被害者が、右足に全治3カ月の重傷を負い後遺症が残ったとして、440万円の賠償を求めて訴えるということがあったそうで、はからずも加害者になるおそれもあります。そんなわけでどなたか電動車イスで利用できる保険について詳しい方や実際に加入されている体験談など、ぜひともご投稿をお待ちしております。どうぞよろしくお願いいたします。
 


編集担当:藤田 忠





………………《編集担当》………………
◇ 藤田 忠  福岡県 E-mail:stonesandeggs99@yahoo.co.jp
◇ 瀬出井弘美  神奈川県 E-mail:h-sedei@js7.so-net.ne.jp

………………《広報担当》………………
◇ 麸澤 孝 東京都 E-mail:fzw@nifty.com

………………《編集顧問》………………
◇ 向坊弘道  (永久名誉顧問)

(2012年4月時点での連絡先です)

発行:九州障害者定期刊行物協会
〒812-0054 福岡市東区馬出2丁目2-18
TEL:092-292-4311 fax:092-292-4312
E-mail: qsk@plum.ocn.ne.jp

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