要旨
 アメリカにおける障害者福祉の全容は、関係する専門家や当事者の交流がさかんに存在するにもかかわらず、案外知られていない。それは、制度を支える理念や背景の違いが大きくあり、わが国において可能な一元的、一律的な制度理解が困難なことが原因と思われる。
 たとえば、障害者の雇用という事例ひとつをとりあげても、わが国においては、割り当て雇用制度としての雇用率制度があるが、機会均等と競争原理を社会の基本的な考え方とするアメリカ社会にあってはこうしたサービスの提供の方法はむしろ差別的であるとさえされる。また、障害者に対する様々なサービスが、わが国においてはおおむね恩恵的な福祉施策として実施されるのに対して、アメリカにおいては差別禁止や権利保障を原理原則として実施される。
 その典型的な例が障害をもつアメリカ人法の制定であり、同法の制定は、アメリカにおける障害をもつ当事者による長年にわたる地道な運動の成果である。同法の制定が世界各国の障害関係者に与えたインパクトははかりしれず、制定後10年を経た現在でもその余震はいまだに続いているといえる。
 
アメリカの社会保障
第3部 医療保障と社会サービス
第11章 社会福祉サービス
第2節 障害者サービス
久保 耕造 エンパワメント研究所 主任研究員
佐藤 久夫 日本社会事業大学 教授
・はじめに
 障害者分野における福祉サービスについては、近年アメリカにおける動向が最も注目されつつある。その傾向は、1970年代に自立生活運動が登場し、その理念がわが国に伝えられた後に顕著となり、1990年に「障害をもつアメリカ人法」(The Americans with Disabilities Act of 1990、略称ADA)(注1)が制定された際には、かつてないほどの大きな関心が寄せられるにいたった。
 しかしながら、アメリカにおける障害者に対する福祉サービスの内容が十分にわが国に伝えられているかというと、必ずしもそうとはいいがたい現状である。それは制度を支える理念や様々な背景の違いにより、わが国のサービスの体系や実態を把握する際には可能な一律的な理解がアメリカにおいては困難になっているためと考えられる。
 本節においても、限られた紙数の中では、残念ながらアメリカにおける障害者に対する具体的なサービスのすべてを紹介することは困難である。そこで、最初に制度全体に共通するいくつかの基本的な事項について紹介し、具体的な制度紹介については、最も注目を集めている障害をもつアメリカ人法の紹介にとどめたい。そして最後に、アメリカにおける障害者サービスに関する情報の入手方法について簡単に紹介するので、本節で紹介できなかった他のサービスや制度については、それを手がかりとして理解していただきたい。
1.障害者サービスの概要
 (1)行政組織
 アメリカにおける障害者に対する福祉サービスを所管する省庁の主なものには、教育省(Department of Education)と厚生省(Department of Health and Human Services)のふたつがある。この両省はかつては保健教育福祉省(Department of Health, Education and Welfare)と呼ばれるひとつの省庁であったが、1979年の機構改革により二分された。
  @教育省
 教育省のもとには特殊教育・リハビリテーションサービス局(Office of Special Education and Rehabilitative Services)があり、このもとにさらに特殊教育課(Office of Special Education Programs)、リハビリテーションサービス庁(Rehabilitation Services Administration)および国立障害・リハビリテーション研究所(National Institute on Disability and Rehabilitation Research)という3つの課がある。
 特殊教育課は文字どおり全米の特殊教育全般を所管している。アメリカにおいては、障害者教育法(Individuals with Disabilities Education Act、旧称は全障害児教育法)に基づき、0歳児から21歳までの障害児に対する適切な教育を無料で提供することが定められており、同課はこれを所管している。アメリカの障害児教育のもとでは、障害者教育法により障害児ひとりひとりに対する個別教育計画(Individualized Education Program)が教師や親の参加のもとで策定され、それに基づいて教育が実践されることが義務づけられており、この手法は最近わが国の関係者の注目を大きく集めている。
 リハビリテーションサービス庁はリハビリテーション法(Rehabilitation Act)に基づくサービス全般を所管しており、アメリカにおける障害者に対するサービスの最も中心的な行政機関である。主な事業は、職業リハビリテーション、援助付き雇用(supported employment)、自立生活センター(independent living center)への助成などである。職業リハビリテーション・サービスの提供においても、特殊教育の場合と同様に、障害者本人との間に書面による個別リハビリテーション計画書(Individualized Written Rehabilitation Program、略称IWRP)をとりかわすことが義務づけられており、契約概念に基づくサービスの提供という点で特徴的な手法がとられている。また、職業リハビリテーション・サービスにおいては、単なる特定職種の技術訓練を提供するだけではなく、職業に結びつくために必要なあらゆるサービスの提供が含まれている。たとえば、ある障害者を職業に結びつけるのに必要とされれば大学で勉強するためにも助成金が支給されるなど、幅広い対応がなされている。
 国立障害・リハビリテーション研究所は、その名称から巨大な研究機構のようなものを想像しがちであるが、同研究所自体は研究事業を行う機関ではなく、主に大学の諸機関などが行う研究や実践に対して助成金を交付する行政機関である。これにより、1998年には全米各地の研究機関183ケ所に対して、約7,100万ドルの助成がなされている。
  A厚生省
 厚生省のもとで障害者サービスに主として関与するのは発達障害庁(Administration on Developmental Disabilities)である。これは、厚生省の中にある児童および家庭局(Administration for Children and Families)のもとにある機関であり、発達障害全般にかかわるサービスを所管している。発達障害とは何かについては別項で述べるが、法律的には「発達障害援助法」(Developmental Disabilities Assistance and Bill of Rights Act)に定められたサービスの実施にあたっている。
 具体的なサービス内容は、同法のB章に基づき、発達障害庁の中におかれた発達障害協議会(Developmental Disability Council)をつうじて交付された助成金により、各州の発達障害協議会が各州に必要なサービスの内容を決定していくためにその内容は一様でない。しかし、その主なサービスは診断、評価、治療、介助、デイケア、住宅改造、職業訓練、教育、授産訓練、レクリエーション、権利擁護、情報提供、移動手段の提供などと多岐にわたっている。さらに同法C章では、各州が権利擁護機関(Protection and Advocacy Agency)を設置することを義務づけている。これは障害者に対する虐待や権利侵害を監視する機構であり、サービスの実施機関からは独立した性格をもつことが求められている。
 また、厚生省のもとには保健ケア財政庁(Health Care Financing Administration)があり、ここでは、高齢者および65歳以下の障害者に対する医療保障であるメディケア(Medicare)および低所得の障害者をも対象として医療保障を行うメディケイド(Medicaid)を所管している。
 なお、「社会保障法」(Social Security Act)に基づき社会保障障害保険(Social Security Disability Insurance Benefits)および補足的保障給付(Supplemental Security Income)という障害者に対する二大所得保障サービスを所管している社会保障庁(Administration on Social Security)は従来は厚生省のもとにあったが1998年4月からは独立した機関となった。
  Bその他の機関
 これらと関連して特徴的なのは、行政機関から独立した形でいくつかの政府機関が存在することである。たとえば、全米障害者協議会(National Council on Disability)はリハビリテーション法によってその設置が定められている機関であるが、15人の委員から構成され(そのうち半数以上が当事者であることも同法によって定められている)、法律や制度が障害者本位のものとなっているかどうかを監視することがその役割となっている。同協議会は議会と大統領に対してのみ報告義務を有しており、他の省庁からの干渉を受けることがなく、障害をもつアメリカ人法の制定においても中心的な役割を果たした。
 同様の機関として、知的障害に関する大統領委員会(President's Committee on Mental Retardation)、障害者雇用大統領委員会(President's Committee on Employment of People with Disabilities)や建築物および交通機関の障壁に関する改善命令委員会(Architectural and Transportation Barriers Compliance Board)などがある。また、雇用機会均等委員会(Equal Employment Opportunity Office)は、障害者のためだけの機関ではないが、雇用関連の不服申し立て機関として重要な機能を有している。
  Cアメリカの障害者福祉行政の特徴
 アメリカの福祉行政では連邦政府のもとにある中央省庁が予算を各州にわりあて、それに基づいてサービスが実施されているが、この予算には二種類ある。ひとつは、各州が全米にしめる人口比と財政規模あるいは各州のニーズなどを勘案した比率に基づき自動的に金額が決定され交付される定率予算(formula fund)であり、もうひとつは州が申請して認められた場合に交付される任意予算(discretionary fund)である。同一のサービス内容に対して、両者から予算交付がなされる場合もあるし、さらに、州の独自の予算が上乗せされている場合もある。こうした仕組みが制度理解を難しくしている一因にもなっている。
 また、国立障害・リハビリテーション研究所の助成事業にみられるように、行政が直接何かを実施するのではなく民間のサービスを購入するという手法がとられているというのもひとつの特徴である。こうした手法はアメリカの行政そのものにおいて一般的にとられている手法であるが、このために同一のサービス事業が異なる行政機関によって所管され、異なる財源によってまかなわれるということがあり、このこともアメリカの福祉サービスの理解を難しくしている一因になっている。
 さらに、福祉サービスを執行する行政機関の要職を障害者自身が数多く占めているというのもアメリカの大きな特徴である。現在のクリントン大統領が着任した以降に、同大統領が自ら任命した例をみただけでも、特殊教育・リハビリテーションサービス局の局長は電動車いすを利用するポリオ後遺症の女性であり、リハビリテーションサービス庁の長官は盲人であり、障害者雇用大統領委員会の代表はてんかんをもつ元国会議員であり、全米障害者協議会の会長は頸髄損傷の四肢まひをもつ女性である。こうしたことが可能な背景には、専門家としての有能な障害者が多数存在しているという事実もあるが、行政機関の高位の者を大統領が直接任命する政治的任命(political appointment)というシステムの存在がある。これにより、思い切った施策の変更も容易であることは好ましいが、政権交代による施策の継続性に不安定要素があることも否めない。
 (2)障害の定義
 従来、アメリカにおける障害者の人数については正確な統計はなく様々な数字があげられてきた。しかし、障害をもつアメリカ人法制定の前後には「アメリカには約4,300万人の障害者がいる」という表現が定着してきた。この数字は最近は4,900万人という数字に置きかえられつつあるが、これらの根拠となっているのは国勢調査局( Bureau of Census )が行う人口動態調査( Current Population Survey)などである。CPSは毎月行われているが、障害者の実態調査のためだけに行われるものではない。これに対して、CPSを実施するのと同じ国勢調査局が行う所得および社会保障受給調査( Survey of Income and Program Participation)はサンプルは小さいが、障害者関連事項についてはADAの定義と同一の定義が適用されており、障害を多面的に把握している。その障害をもつアメリカ人法は実はリハビリテーション法における障害者の定義をそのまま採用したものである。それによれば、障害の定義はつぎの3つの形で定義されている。
 ・個人の主たる生活活動の1つ以上を著しく制限する身体的・精神的障害をもつ者
 ・このような障害の経歴をもつ者
 ・ここのような障害をもつとされる者
 3つ目の定義は、たとえば顔面に火傷をおおったために傷が残り、身体的機能には何ら問題がないが、周囲の者の拒絶的な対応などから障害者として判断されるという者などが例示されている。
 もうひとつの障害の定義として用いられているのは発達障害の定義である。これは前述の発達障害援助法によって定義づけられているものである。それによれば、発達障害とは次の要件を満たしている者である。
 ・22歳以前に生じた障害であり、
 ・精神的もしくは身体的な機能障害による重度で長期的な障害であって
 ・生活の複数の部分において実質的な機能的制約を受け、
 ・長期にわたりサービスを必要とする者
 この定義は抽象的であるが、実態としては知的障害、脳性まひ、てんかん、自閉症などをさしていることが多い。
 このように、アメリカにおける障害の定義はよくいえば広範囲であるが、悪くいえば曖昧である。こうした定義の仕方についてはアメリカにおいても議論はあるが、新しく生じる障害への対応(たとえばエイズなど)が容易であるようにという配慮と、できるだけ多くの人々を対象にするという考え方から現在の定義が支持されてきている。その背景には、従来、リハビリテーション法が上記の定義に基づいて長年にわたり運用されてきたが特に問題が生じなかったことや、法律制度自体が実定法主義ではなく判例主義によっていることなどがある。
2.障害をもつアメリカ人法(ADA)
 (1)制定の背景
  @ 制度的背景
 199年7月26日に障害をもつアメリカ人法が制定される以前のアメリカにおける差別禁止の基本的な法律としては「1964年公民権法」(The Civil Rights Act of 1964)と「1973年リハビリテーション法」(The Rahabilitation Act of 1973)という二つの法律が存在していた。
   (ア) 公民権法
 公民権法は、公共的施設・雇用・住宅・教育など社会生活上の重要な場面における、人種、肌の色、性別、出身国、宗教に基づく差別を禁止したものである。しかしながら、同法は黒人を中心とした民族的マイノリティを主な対象者としており、障害者はその対象に含まれていなかった。
 そこで、公民権法と同じ水準の差別禁止と権利保障を障害者にもたらすものとして提案されたのがADAであった。そのため、ADAの中には、考え方の枠組みが公民権法の内容そのままの部分もあるほどである。つまり、ADAは公民権法の対象者を障害者にまで拡大したものであるということもできるのである。(注2)
   (イ) リハビリテーション法
 公民権法の適用がないもとで、不十分ながら障害者にとっての公民権法しての役割を果たしてきたのがリハビリテーション法であった。同法には障害者に対する差別禁止がうたわれているが、その適用範囲が限定されている。すなわち、@連邦政府における差別禁止(同法第501条)、A連邦政府から補助を受けている事業における差別禁止(同法第504条)、B連邦政府機関との間に年間2,500ドル以上の契約高をもつ企業における障害者の採用や昇進にあたっての積極的差別是正措置(affirmative action)の義務づけ(同法第503条)という形でのみ差別禁止がうたわれていたのである。
 逆にいえば、州政府の事業で連邦政府の補助金を受けていない単独事業や、連邦政府との間に年間2,500ドルに達する契約高をもたない企業における障害者に対する差別禁止は法律によっては保障されていなかったのである。ADAのもとでは、これらの制約が基本的にとり払われた。つまり、ADAはリハビリテーション法の適用範囲を州や地方自治体あるいは民間企業にまで広げたものであるということができるのである。
  A 理念的背景
 ADAの制定を可能にした背景には、上記のような制度的な背景とともに、いくつかの見逃すことのできない考え方のうえでの背景があった。
   (ア) 機会均等
 そのひとつは、ADAが障害者に対して機会均等(equal opportunity)をもたらすことを企図した法律であったということである。いうまでもなく、ADAは障害者に対する障害ゆえの差別を禁止することを目的とした法律であるが、それはいいかえると障害者に対して非障害者と同等の機会を保障するということでもある。
 アメリカは多民族国家であり、様々な言語、文化、伝統などをもつ人間が国家を形成しているが、これらの異なる価値観をもつ者が共通して認める数少ないもののひとつが、競争の自由という考え方と対をなす形での機会均等という考え方である。そして、ADAはアメリカ人であれば誰でもが認めるこの価値観を障害者に対して保障しようとした内容であったからこそ、成立しえたといえるのである。
   (イ) 費用の企業負担
 もうひとつの理念的背景は、ADAの制定により、基本的に政府には財政負担がかからないようになっているということである。財政と貿易という、いわゆる双子の赤字に苦しむアメリカでは、レーガン政権以来、福祉の分野も聖域ではありえず大幅な予算削減を余儀なくされてきた。そのような中にあって、新たな財政負担を生む法律の制定は望むべくもなかったのである。
 ところが、後述する内容からわかるように、ADAによって生じる費用負担は基本的には企業にかかる仕組みになっている。それゆえ、その審議過程では主に中小企業を中心とした反対が大きかった。しかし、これに対しては、実際にはそれほどの費用負担がかからないとする専門機関の研究結果や、ADAを実施した場合の費用と効果の経済分析などが大きな反論の根拠となった(注3)。
 (2)制定の経緯
  @全米障害者評議会による勧告
 上記の、ADA制定以前において障害者の差別禁止法として機能していた二つの法律のもつ問題点を指摘し、ADAが制定される直接のきっかけをもたらしたのは、前述の米国障害者協議会(当時の名称はNational Council on the Handicapped)と呼ばれる機関が1986年に発表した「自立へ向かって(Toward Independence)」と題された一冊の答申書であった。この「自立へ向かって」の中で最も優先的に勧告されたのが、障害者差別禁止のための包括的な法律の必要性ということであった。
  A 議会における審議
 この障害者差別禁止のための包括的な法律の必要性の指摘にこたえ、最初の法案が議会に上程されたが1988年のことであった。しかし、この時は審議未了で成立には至らなかった。その後、ADA制定の必要性の全国調査を行なう機関が議会によって設置され、全国各地でヒアリングが開催された。そして、1990年7月になってようやく成立にこぎつけた。のであった。これを支えたのは、障害の種別や支持政党の違いをこえた障害者団体の団結と、ブッシュ大統領自身を含めた、超党派の数多くの議員の支持であった。
 (3)法律の対象者
 ADAの対象者としての障害の定義は前述したとおりであるが、この幅広い定義にも含まれないとされた障害者は、感染症の者が食品関係の仕事に就く場合、不法薬物中毒者などである。その他には、同性愛者、両性愛者、服装倒錯者、性倒錯者、小児愛者、露出症者、窃視症者、、脅迫賭博症者、盗癖者、放火癖者などもADAのもとでは障害者としては認定されない。
 (4)法律の内容
 ADAは全五章から成っており、具体的には第T章は雇用、第U章は公的サービス、第V章は民間事業体の運営する公共的施設およびサービス、第W章は電気通信、第X章は雑則となっている。しかし、その内容の点からみれば下記にご紹介する五点についてとなっている。
 なお、ADAでは、これまでに既に法律のある内容についてまでは重複して定めていない。また、州によっては、ADAの内容以上の法律を有しているところもあるが、ADAの制定を理由にその州の法律の内容を後退させてはならないことについてもADAは定めている(注4)。
  @雇用について
 ADAで障害者雇用について定められている内容を一言でいうと、従業員15人以上の民間企業における「有資格障害者(a qualified individual with a disability)」に対する「必要な配慮(reasonable accommodation)」の義務づけということである。
 「有資格障害者」というのは、ある仕事の中心的な必須職務を遂行する能力をもっている者という意味であり、有資格といっても、何かの試験に合格した者という意味ではない。また、「必要な配慮」というのは、ある障害者を職場に受け入れるために必要とされる対応策のことであり、たとえば、車いすを使用する者を受け入れるためにスロープを設けることなどをさしている。さらに、このようなハード面での対応だけでなく、採用試験においてその実施方法や試験時間のうえで配慮を行なったり、仕事を変則勤務とするなどというソフト面での対応もそこには含まれる。
 ただし、このような対応を企業が行なうことがその企業にとって「重大な支障(undue hardship)」となることが証明された場合は、このような義務づけからは免除されることになっている。「重大な支障」とは「必要な配慮」を行なうことにより、企業が倒産してしまう場合や、企業の業務内容の変更がせまられる場合であるとされている。
  A 公的サービス
 前述したように、ADA制定以前にも、リハビリテーション法に基づき、アメリカの連邦政府内や連邦政府から補助金を受けている事業などにおける障害者差別の禁止は定められていたが、州政府や地方自治体、あるいはこれらが行なう事業で連邦政府の補助金を受けていない事業における障害者差別までは禁じられていなかった。ADAでは、連邦政府からの補助金の有無にかかわらず、州政府や地方自治体においても連邦政府と同様に障害者差別を禁止することを命じている。
  B 交通機関について
 公共事業体や民間企業が運営する交通機関(長距離鉄道、地下鉄、路線バス)について、ADAは原則としてすべて障害者の利用が可能であるようにすることを命じている。
 ただし、このことは既存の車両やバスあるいは歴史的骨董価値を有するものに対してまでは求められていない。ADA制定後に新たにバスや車両を購入・リースあるいは改造する際に限って障害者の利用が可能となる配慮が求められている。また、路線バスが運行されていないような地域では、障害者のニーズに対応して随時運行される送迎サービスを設けることがADAでは義務づけられている。
 その実施については、経過措置として電車、バス、駅舎などのケースによって様々な年限の実施猶予期間が定められており、最長では30年というものまである。また、雇用の場合と同様に、そのことを実施することが、それを行なう事業体や企業にとって「重大な支障」となる場合はこのような義務づけが免除されることになっている。
  C公共的施設について
 ADAでいう公共的施設というのは不特定多数の集まる場所という意味である。もちろん、学校や公民館あるいは公園や図書館なども含まれれるが、その他、映画館、デパート、銀行、ガソリンスタンド、コインランドリーといった市民生活に関連するあらゆる場所をさしている。ADAでは、これらの場所が原則として障害者の利用可能となるようにすることを命じている。
 障害者の利用を可能にするというと、建物の構造上のことを思い浮かべられがちかもしれないが、それだけではなく、たとえばレストランにおけるメニューを点字で用意するなどということも含まれている。しかし、たとえば必ずしも盲人のために点字のメニューを用意しなくてもレストランの従業員がメニューを朗読することで代えることもできるというような柔軟性も同時に認められてる。
 交通機関の場合と同様に公共的施設の場合も、改造の手間も費用もかからないものを除けば、原則として、ADA制定後に改築や新築される際にのみ障害者に対する配慮を行なうことが義務づけられており、既存のものまですぐに改造することは求めれてはいない。また、その実施が企業にとって「重大な支障」であることが証明された場合の義務免除規定も同様である。
 民間企業の運営する交通機関や建物の場合は、初回の違反に対しては5万ドル以下、2回目以降の違反に対しては10万ドル以下の罰金が科せられる。
  D TDDについて
 アメリカの聴覚障害者のコミュニケーション手段として一般的に用いられているのがTDD(Telecommunication Devices for the Deaf)と略称される機器である。これは、日本の聴覚障害者の間では用いられていないシステムであるが、パソコン通信におけるチャッティグのようなもので、聴覚障害者はこれを用いて対話式に意志疎通を行なうことができる。
 しかし、TDDの問題は、この機器を所有している者同士の間においてしか利用できないということである。つまり、一般的にはこのような機器を所有していない健常者と、TDDをもっている聴覚障害者の間ではTDDは役に立たないシステムとなっている。これを解決するために、ADAは、電話会社がこの両者の間にたっていわば「通訳」としての役割を果たす、つまりリレー・サービスを行なうことを命じている。それも24時間体制で、通常の電話料金と同等の料金でサービスを行なうことを求めている。
3.情報の求め方
 アメリカの障害者関係の情報を入手するには様々な手段がある。伝統的な手法としては、関係機関の機関誌やニュースなどを定期的に購読するというものもある。また、もう少し詳しい制度的な動きをフォローしたいという場合は、日本の官報にあたる「Federal Register」を入手するという手もある。これはもちろん有料でも購読できるし、東京や大阪などのアメリカン・センターでも閲覧することができる(最近ではインターネットでも閲覧できる)。
 また、こんにちでは一般的になったインターネットを使ってアメリカの障害者情報にアクセスすることも可能である。その際にはNARIC(ナリック、http://naric.com/naric)が便利である。NARICというのは現在は正式名称であるが、かつての名称はNational Rehabilitation Information Center(全米リハビリテーション情報センター)である。現在これを運営しているのはある民間企業であるが、運営資金は前述した国立障害・リハビリテーション研究所から提供されている。
 この中にいくつものサイトがあるのだが、そのひとつにNaric's Bookmarks Disability and Rehabilitation Internet Resources(障害者関連インターネット一覧)がある。このサイトが何百という全米の障害者関連のホームページを紹介している。それらは大きくテーマ別に分類してあり、さらにそれぞれのホームページの概要が数行ずつコメントされている。複数の分野にかかわるホームページについては重複して紹介してあるのでどこからアプローチしてもめざすホームページにいきあたることができる。本節では十分にご紹介できなかった各種の具体的なサービスについては、ここを手がかりに調べられていただきたい。
・おわりに
 冒頭にも記したように、アメリカの障害者福祉サービスの全体を、わが国の制度にひきよせて理解しようとすることは困難である。アメリカには、わが国の福祉制度の基本ともいうべき措置制度というものも存在しないし、障害等級、雇用義務制度もない。また、日常生活用具の交付、種割引制度や各種の現物給付制度というものも連邦政府レベルの制度としては存在していない。さらに、国土や人口なども大きく異なることから、わが国との比較を考える際には、カリフォルニア州やテキサス州などの制度との比較を考えたほうが妥当のようにも思える。
 もちろん、アメリカの制度全体から学ぶべき点は数多くある。とりわけ、福祉や恩恵よりは権利保障を基本とする当事者・利用者主体の考え方や権利擁護・差別禁止の思想などには、今後のわが国における障害者サービスのあり方の方向をさぐるうえで大きな示唆を与えてくれることになるであろう。それらを中心として今後ともその動向に注目していきたい。
(注1)ADAの正式な名称は「障害に基づく差別の明確かつ包括的な禁止について定める法律(An Act to Establish A Clear and Comprehensive Prohibition of Discrimination on the Basis of Disability)」(公法101-336)である。正確にいうと、障害をもつアメリカ人法(ADA)というのは、同法文中における同法の名称の引用符である。
(注2)このため、かつては公民権法を改正し、差別禁止対象の根拠に障害を追加しようとする動きが1971年および1972年にはあった。(関川芳孝「アメリカ障害者差別の判断基準」、『琉大法学』第45号、琉球大学、1990年3月、148−149頁)
(注3)障害者を雇用した場合の費用と効果に関する試算についてはADA第T章の連邦規則案(1991年2月28日、29CFR Part1630)に詳しい。
(注4)たとえば、ADAの第T章は従業員15人以上の企業に適用されるが、同様の内容が、カンサス州では従業員4人以上、ミズーリー州は従業員6人以上、ワシントンD.C.では従業員1人以上の企業に適用されている。
(参考文献)
・「ADAの衝撃」( 八代英太・冨安芳和編、学苑社、1991年)
・「障害をもつアメリカ国民法」(全国社会福祉協議会、1992年)
・「障害をもつアメリカ人法の制定と、今後のわが国の障害者問題における課題(久保耕造 、「社会福祉研究」第56号、鉄道弘済会、1993年)
・「 ADA Watch - Year One」( National Council on Disability, 1993年)
・「Pocket Guide to Federal Help for Individuals with Disabilities」(Office of special Education and Rehabilitative Services, U.S.Department of Education、1997年)
・「アメリカの障害者関係法制」(日本社会事業大学社会事業研究所、1997年)
・「Closing the Gaps:1998 The N.O.D./Harris Survey of Americans with Disabilities」(National Organization on Disabbility、1998年)


雇用・公的サービス・交通機関・公共的施設・聴覚障害者のコミュニケーションにおける機会均等の保障と差別の撤廃をめざした  
 障害をもつ
  アメリカ国民法
                とは何か
      社会福祉法人 東京コロニー
        事務局次長 久保 耕造
・はじめに
 1990年7月26日、アメリカにおいてAmericans with Disabilities Act of 1990という名称の法律が成立した。本法はその頭文字をとってADAと通称されているが、わが国においては一般的には障害をもつアメリカ国民法、障害をもつアメリカ人法あるいは米国障害者法などと訳されている。さらに、ADAの内容を意訳して障害者差別撤廃法あるいは障害者差別禁止法などと訳されることもある。
 ADAは、アメリカにおける障害者の諸権利を保障する他の法律と相俟って、障害者に対する機会均等と差別の撤廃を保障する権利保障の体系を完結させたという点で歴史的な意義のある法律である(注1)。ADAの制定はアメリカの障害者や関係者から待ち望まれていただけでなく、わが国においても制定過程から関係者を中心として大きな注目を集めており、いわゆる三大紙が社説でとりあげたり、国会でも論議になったほどである(注2)。
 本稿では、ADAの概要を紹介するとともに、その背景や今後の課題について考えてみたい。
・ADA制定の背景
 ADAが制定されたことの制度的な背景としては、大きくは次の2点をあげることができる。
 第1は、1964年公民権法(Civil Rights Act of 1964)が障害者に対する差別禁止を明確にしていなかったということである。
 同法では様々な分野における人種・皮膚の色・性・宗教・出身国などによる差別を禁じているが、第U章公共的施設、第Z章雇用、第[章住宅などの重要な分野において障害に基づく差別の禁止がうたわれていなかった。そこで、同法と同じ水準の権利保障を障害者にもたらすものとして提案されたのがADAである。
 当初は、公民権法の差別禁止の項目として人種・皮膚の色・性・宗教・出身国などと並べて障害者を加えるという手法も考えられたが、このような考え方に対しては、公民権法そのものの制定をもたらした黒人団体や女性団体が「パイが減る」という理由で支持を与えなかったという。その結果、公民権法と同様の内容をもちながら障害者のみを対象としたADAが生まれたのである(注3)。そのため、ADAの雇用に関する規程などは、その対象となる企業の範囲などにおいて同法とまったく同じ内容となっている(注4)。
 第2は、リハビリテーション法によって定められていた障害者差別禁止の適用範囲が十分でなかったということである。
 公民権法の適用のないもとで、従来、障害者にとっての公民権法としての役割を不十分ながら果たしていたのが1973年リハビリテーション法(Rehabilitation Act of 1973)であった。しかし、同法が適用される対象は連邦政府機関、連邦政府から資金を交付されて行なわれている事業、連邦政府との間に年間2,500ドル以上の契約高をもつ企業の三者に限定されていた(注5)。そのため、たとえば州が行なっている事業であっても、連邦政府の補助金を受けずに単独の事業として行なわれているものに対しては同法の適用はなされていなかったのである。同法の適用範囲を、州や地方自治体あるいは民間企業にまで広めたものがADAであるということができる。
 さらに、これは制度的な問題点ではないが、ADA制定の背景として見落としてはならないもうひとつの背景は、多民族国家であるアメリカ社会を支えている機会均等の権利(equal opportunity right)という考え方である。機会均等という考え方は競争の自由という考え方と対をなしており、アメリカ社会にはなくてはならない哲学であり権利ある。ADAは、アメリカ人であれば誰でもが認めるこの権利を障害者に保障しようとするものであったからこそ多くの支持を得て法制化が可能であったのである。
 また、こうした機会均等を生かす優秀で有能な障害者の厚い層がアメリカには存在するということもADA制定の背景としてあげることができる。たとえば、アメリカでは日本と異なりそのほとんどの法律が議員立法として制定されるが、ADAの起草そのものが障害者自身が中心的にかかわる中で行なわれたのである。こうした点における彼我の違いには大きいものがあるといえる。
・ADA制定の経緯
 ADAが制定されるまでの経緯を時間をおってみてみたい。
 1983年8月29日に、全米障害者評議会(National Council on the Handicapped、現在はNational Council on Disability)(注6)が「障害者のための国家政策(National Policy for Persons with Disabilities)」を発表し、この中で障害者に平等な機会保障を行なうための包括的な法律の必要性を初めて明らかにした。そして、この提言は当時のレーガン大統領によって承認されたのである。
 1986年2月に、同じく全米障害者評議会が「自立へ向かって(Toward Independence)」を刊行し(注7)、本書において、障害者に対する機会均等を保障する総合的な法律の必要性が勧告され、その法律の名称として「1986年の障害をもつアメリカ国民法」が提案された。また、あわせて刊行された「解説・自立へ向かって(Toward Independence Appendix)」では、その根拠について詳述された。
 さらに、1988年1月に全米障害者評議会が「自立のはじまり(On the Threshold of Independence)」を刊行し、本書において10章から成る「1988年の障害をもつアメリカ国民法」が具体的な法律の形式をもって提示された(注8)。
 これを受けて、1988年5月2日に「1988年の障害をもつアメリカ国民法」が第100回議会に上程されたが、時間不足で審議が終了せず不成立におわった。しかしながら、同日付けで下院の適正教育小委員会(House Subcommittee on Selective Education)によりADA審議のための調査活動が、障害をもつアメリカ人の権利と権限付与のための作業委員会(The Task Force on the Rights and Empowerment of Americans with Disabilities)に付託され、その議長にジャスティン・ダート・ジュニア氏が就任した。同委員会は1989年8月20日に議会に対して調査結果を報告し、その内容はADAの第2項調査結果および目的の部分にもられている。
 また、1989年1月18日に、大統領就任式を2日後に控えたブッシュ大統領が、ワシントンD.C.で開催された集会「機会への到達」(Access to Opportunity ’89)においてADAへの支持を発表した(注9)。
 1989年5月9日、トム・ハーキン民主党議員が、24人の民主党議員、9人の共和党議員から成る賛同人とともに「1989年の障害をもつアメリカ国民法」を第101議会の上院に上程した(法案番号S.933)。本法案は同年9月7日に上院を賛成76、反対8で通過した(注10)。
 しかし、上院と同日に下院でもトニー・クエロ民主党議員(注11)およびハミルトン・フィッシュ・ジュニア共和党議員によって85人の賛同人とともに上程されていたが(法案番号H.R.2273)、下院ではその後の審議がすすまなかったため、1990年2月7日には、「ワシントン・ポスト」に「ADA Yes! Legalized Discrimination No!」という意見広告が、ADAの下院での通過を求める8,500人の個人・団体により共同で掲載されることとなったのである。
 1990年5月22日、ついに下院を賛成403(民主党248、共和党155)、反対20(民主党3、共和党17)、棄権9(民主党5、共和党4)、欠席2で通過。さらに、両院協議委員会の審議を経た法案を、7月12日に下院で、13日に上院で(賛成91、反対6)通過(ADAのように上院と下院で別の形の法案が定められた場合は、このように両院協議委員会で調整を行なったうえでの法案を再度、上院と下院で承認する必要がある。両院協議委員会で調整された法案に対しては否決はできるが、修正を加えることはできない。)。
 1990年7月26日にブッシュ大統領が法案に署名し法律として成立した(公法101−336)(注12)。
・ADAの概要
 ADAは全体で5章から成っているが、その内容は大きくは次の4点にわたっている。 @雇用における障害者差別の禁止(第1章 )
 ADAは、1年に20週以上の就労日をもつ従業員15人以上の企業において、「有資格障害者(qualified individual with a disability)」の雇い入れを障害ゆえに拒否することを禁じ、「有資格障害者」に対する「必要な配慮(reasonable accommodation)」を義務づけている。ただし、経過措置として、ADAの雇用に関する内容はADA制定後2年経過後に発効となり、さらに、その後2年間は従業員25人以上の企業にのみ適用するとされている。そのため、最終的に従業員15人以上の企業に適用されるまでには、ADA制定から4年を待たなくてはならない(注13)。
 「有資格障害者」とは、仕事のうえでの必須職務をこなすことができる障害者という意味である。そのため適格障害者などと訳されることもある。また、「必要な配慮」とは企業が障害者を受け入れる際に行なわなければならない対応策のことである。ここには、障害者に対する試験方法の変更から、建物の改造、勤務時間の変更、手話通訳者や朗読者の配置などということまで含まれる。この規程が免除されるのは、宗教団体および感染性・伝染性疾患にかかっている者が、そのことによって感染の可能性のある食品の取扱を行なう業務に就業しようとする時のみである。
 たとえば、企業はこれまでは、求人に対して応募してきた車いすを用いる障害者に対して、「仕事はできるが、使用できるトイレがないから」ということで雇用を拒否することができた。しかし、ADAのもとでは、その障害者に仕事をこなす能力が備わっている限りは、企業はトイレを作らなければならないのである。ただし、障害者が仕事のうえで求められる必須職務をこなすことができるのか否かという判断基準についてはADAは細かく規程していない。
 このような、「有資格障害者」に対して「必要な配慮」を義務づけるという法律的な考え方はリハビリテーション法の504条とまったく同様の定め方である。これに対して、その判断基準が明確でないということが従来から指摘されていながら、今回も同様の手法がとられたわけである。この内容が明確になるには、ADA制定後1年以内に定められることになっている連邦規則(regulation)の制定とこれらをめぐる訴訟結果の積み重ねを待つしかないようである。
 また、「必要な配慮」を行なうことが企業にとって「重大な支障(undue hardship)」となることが証明されれば、「必要な配慮」を行なう義務を免除されることとなっている。その基準については、規模や業種などによるという以上には明確にされていないが、障害者および関係者の間ではこれは、「必要な配慮」によりその企業が業種の転換を余儀なくされる時か、もしくは倒産するような時を意味していると理解されている。
 本章に関する連邦規則については雇用機会均等委員会(Equal Employment Opportunity Commission)が1年以内に制定することとされている。
 A公的サービスにおける障害者差別の禁止 公的サービスという内容には次のふたつがある。
 イ.州や地方政府が行なう事業における障   害者差別の禁止(第2章A節)
 従来、州や地方政府の行なう活動や事業は、連邦政府から資金援助を受けているものを除けば、障害者差別を禁じたリハビリテーション法504条の適用を受けることはなかった。しかし、ADAの制定により、政府からの資金援助を受けているか否かにかかわらず、州や地方政府機関の活動や事業における障害者差別が禁じられることとなった。これは、ADA制定後18ケ月経過以降に発効となる。
 ロ.公共交通機関における障害者差別の禁   止(第2章B節)
 ここでは、電車、バス、地下鉄などといった公共輸送機関における障害者差別が禁じられている。つまり、このような交通機関を障害者が利用できる(アクセシブル)ようにすることが命じられているのである。
 ADA制定後30日経過以降に購入もしくはリースされるバスや電車は障害者の利用できるものでなくてはならない。都市鉄道の車両は、遅くともADA制定後5年以内に、1列車あたり1車両は障害者の利用可能なものとしなくてはならない(これをone car per one train ruleという)。交通機関の得られない場所の障害者などに対するパラトランジット・サービス(Paratransit Service、呼び出しによるリフト付きバスの運行など)もADA制定後18ケ月経過以降は義務づけられる。
 ADA制定後18ケ月経過以降に設置される駅舎も障害者の利用が可能でなくてはならない。ただし、主要駅が3年以内(必要に応じて30年まで延長可能)に障害者の利用が可能となるように改造することを求められていることを除けば、既存のものを改造することは求められていない。ただし、全米鉄道旅客公社(Amtrak)の駅は30年以内にすべて障害者の利用可能となるように求められている(注14)。
 本章の連邦規則に関しては運輸長官が1年以内に制定することになっている。
 B民間の事業体によって運営される公共的  施設における障害者差別の禁止(第3章  )
 ADAは、不特定多数が集まる公共的な施設における建築物やサービスのうえでの障害者差別を禁じ、これらの場所が障害者の利用が可能となるようにと命じている。このような場所としてADAで例示されているのは次のとおりである。
 ホテル・モーテルなどの宿泊施設、レストラン・バーなどの飲食物提供のための施設、映画館・コンサートホール・劇場・スタジアムなどの娯楽施設、公会堂・講堂・会議センター、パン屋・食品雑貨店・衣料品店・ショッピングセンターなどの小売り販売施設、銀行・コインランドリー・理髪店・美容院・旅行サービス・ガソリンスタンド・法律事務所・会計事務所・斎場・薬局・保険会社・病院などのサービス施設、博物館・図書館・美術館などの公共展示施設、公園・動物園、私立の保育園・小学校・中学校・高校・大学・大学院、体育館・コルフ場などの運動・リクレーション施設、等々。
 これらの公共的な場所におけるアクセシビリティの保障も、公共交通機関に対する適用と同様に、数段の階段の代わりにスロープをつけるなどという、改造の手間も費用もあまりかからずにできるものを除けば既存のものについての改造は求められておらず、新築(ADA制定後30ケ月経過以降)もしくは改築(ADA制定後18ケ月経過以降)のものからの適用となる。また、エレベーターの設置などについては、ショッピングセンターなどを除き3階未満の施設もしくは1階あたりの面積が3,000フィート未満の施設などでは免除されている。ここでも、雇用の場合と同様に、アクセシブルな場所とすることが、その企業にとって重大な支障となることが証されれば適用が免除されることとなっている。
 なお、障害者が利用できるようにするという意味には、建築物に関することのみではなく、必要な資料を視覚障害者のために拡大文字やテープを用意するなどという、補助のための機器やサービスの提供なども含まれる。しかし、同時に、盲人のためにウェイターがメニューを読むなどのサービスを行なえば点字によるメニューを用意する必要はないなどという柔軟性も認められている。
 また、ここでいう民間事業対によって行なわれる事業という中には民間企業によって運行されている交通機関も含まれている。そのため、ADA制定後30日経過以降に購入される車両、バスは公共交通機関と同様に障害者の利用可能なものでなくてはならない。しかし、長距離バスを障害者の利用が可能とするための仕様についての具体案に欠けているため、その調査に3年を要するとされている。その結果、民間企業によって提供されている長距離バスにおけるアクセシビリティ保障はADA制定後7年(大企業は6年)経過後になって発効する。
 本章に対する違反に対しては、初回5万ドル以下、2回目以降は10万ドル以下の罰金が課せられることがある。また、本章に関する連邦規則は運長官が1年以内に制定することになっている。
 Cテレコミュニケーションにおける障害者 差別の禁止(第4章)
 アメリカには2,400万人の聴覚障害者と280万人の言語障害者がいるといわれている。この聴覚言語障害者のコミニュケーション手段として普及しているのがTDD(Telecommunication Devices for the Deaf)であるが、ADAは電話局に対してTDDのリレー(中継)サービスを行なうことを命じている。(注15)
 TDDというのは、電話とディスプレー付きタイプライターを結びつけた機器であるが、TDDをもたない者との通信は不可能である。そこで、電話局がTDDをもつ者ともたない者との間に入って、通常の料金で24時間、「通訳」サービスをすることを命じたのがADAの内容である。これは、ADA制定後3年経過以降に発効する。
 1934年アメリカのコミュニケーション法(Communication Act of 1934)は全てのアメリカ国民に対するコミュニケーション・サービスの提供を義務づけているが、同法の目的が制定後50年以上を経てから、ADAの制定により実現されることとなったわけである(注16)。
・対象となる障害者
 ADAの対象となる障害者は、わが国でいう身体障害者、精神薄弱者、精神障害者等をすべて含んでいる。その定義は、次の3点によってなされている。
 @個人の主たる生活活動のひとつ以上を著しく制限する身体的・精神的障害をもつ者。つまり、歩行、会話、呼吸などといった具体的な点での障害(impairment)をもっていることである。ここには、たとえば黒い髪であるとか青い瞳であるというような状態(condition)は含まれない。 Aこのような障害の経歴をもつ者。つまり、かつて精神障害や心臓疾患を患ったことがあり、現在では治癒しているが、その病歴ゆえに差別されるような者も障害者として認定される。
 Bこのような障害をもつとみなされる者。たとえば、重度の火傷の後遺症などにより、実際の日常生活動作上では何ら支障がないが、その外見から差別を受けるような者がこれにあたる。
 このような広範囲な障害の定義により、ADAではエイズ患者もしくはエイズウィルス感染者も対象者に含まれることとなった。唯一の例外が認められているのは、不法薬物の使用者のみである。この一点を除けば、こうした障害者の定義は1973年リハビリテーション法により1974年以来施行されている障害者の定義そのものである。
 この障害の定義は、わが国における制限列挙方式による障害の定義とまったく異なるものである。米国の障害の定義については、米国においてさえ、定義が曖昧過ぎるのではないかとの議論もあるようであるが、リハビリテーション法の施行のもとで今までに特に問題がなかったとされている。また、あらゆる障害に対する差別を禁じるという観点から意図的に障害を列挙しなかったともいわれている。さらに、列挙そのものが不可能であり、法律制定後に発見される障害のある可能性もあるということも、障害を特定しないことの理由して審議の過程で述べられている。
 ADAの障害の定義で特徴的なのは、障害を生じた原因については言及していないことと、従来、行政用語としてよく用いられていたhandicapという語に変わってdisabilityという語が注意深く用いられるようになったことである。
・リハビリテーション法との関連
 障害者の対象範囲においては、前述のように不法薬物の使用者が対象から除外されたが、これはリハビリテーション法の障害者の定義とは異なるものである。その結果、ADAの制定にともないリハビリテーション法の障害者の定義の部分が改訂されることとなった。部分的とはいえ、リハビリテーション法の障害者の定義が改訂されることは初めてのことである。
 リハビリテーション法のもとでは、1986年から援助付き雇用(supported employment)の制度が開始されている。これは、従来の「訓練してから雇用へ」という図式を「雇用してから訓練を」という図式に転換させ、従来は期限付きであった職業リハビリテーション・サービスを永続的に提供しようという制度である。近い将来、この援助付き雇用とADAの雇用に関する規程とが結びつきアメリカにおける障害者の雇用が促進される可能性が高いといえる。
 さらに、連邦政府で新しく購入されるパソコンなどが障害者の利用可能な製品であることを命じたリハビリテーション法508条によるエレクトロニクス・アクセシビリティの保障により、障害者に対応したハイテク機器の導入が「必要な配慮」として認められ、障害者の雇用促進が図られるであろう。
 ADAの雇用の部分に関する連邦規則が制定されることにより、従来から定義が曖昧だとされていたリハビリテーシン法504条における「必要な配慮」や「有資格障害者」に逆に影響を与えることも予想される。
・ADAから何を学ぶか
 ADAには日本の関係者から大きな注目がよせられている。そのひとつの理由は、日本のマスコミの報道に正確さが欠け、あたかもADAは、それ自体で障害者の権利やサービスについてすべて定めた包括的な法律であるかのような伝え方をされ、その結果、過大な注目を集めたということにあるかもしれない。もちろん、アクセスについての規程や差別禁止ということを法律にもりこんだ意義は大きい。しかし、言うまでもなくADAは日本とは異なるアメリカという条件のもとに成立している制度であるから、短絡的にADAならぬJDAの制定をなどということにはあまり意味がない。
 筆者としては、ADAから学ぶべき点としてあげられると思うのは下記の諸点である。@アクセスの保障
 交通機関や建物におけるアクセスは日本ではまったく立ち後れている部分であり、このことはまず第一に学ぶべき点としてあげられる。
 これについては、技術的には特に問題はないが、費用負担などの点における合意が必要となってくるであろう。それよりも重要なのは、障害者自身がこうしたアクセスの実現に関わり、真に経済的で効率的な手法をもたらすことである。たとえば、日本でも新しく設置された地下鉄はアクセスが整うようになってきた。しかし、折角アクセシブルなトイレができても障害者専用かつ華美に過ぎた構造であったり、エレベーターが設けられても使用時間が制限されているというようなことがないようにしなくてはならない。このようなことは、意志決定過程に障害者自身が関与することによって避けられることである。
 また、ADAに学びアクセスに関連して念頭においておきたいのは、改築によりアクセスを設けることに比べれば新築のものにアクセスを整えることは非常に安価であるということである。アクセスに大きく関連する鉄道法、道路法や建築基準法という一般法の中で、公共性の高いものは障害者の利用可能とすることを義務付けるような規程を設けることが期待される。
A全米障害者評議会と同様のシステムの確立 ADAの制定に果たした全米障害者評議会の役割には大きいものがあったが、このような、当事者の立場にたち、行政機関との間に利害関係をもたずに自由に制度や法律を点検できるシステムがわが国にもほしいところである。日本にも、機能そのものの類似性という点では中央心身障害者対策協議会があるが、独立性や当事者中心性という点ではまだ不足する部分が多いであろう。
B当事者参加の重要性
 日本とアメリカでは法律の制定の仕組みが異なるということにもよるが、ADAのもつ重要性のひとつは、その立案・制定過程に障害者をはじめとする当事者が主体的にかかわっているという点にある。
 わが国においてADAへの関心が高まるのと平行して、国会では福祉関連8法の審議が行なわれていたが、これに対する障害者関係者の対応はADAへの熱心度にくらべると寂しい限りであった。ADAが教えているのは、福祉関連法案の改正のプロセスに障害者自身が主体的に参加することである。たとえば、現在、日本の各地で無償の介助者の援助により地域社会の中で自立生活を行う障害者が増えつつあるが(一部で有料のものもあるが)、もしそれが必要なことなのであれば、それを保障するような制度・法案そのものを障害をもつ者自身が(必要に応じて専門家を利用しつつ)書きあげるというようなことが必要なのではないだろうか。
C高等教育の保障
 Bを保障する基盤として、障害者に対する高等教育の保障ということがあげられる。高等教育ばかりが万能というわけではないが、政策立案能力を支える大きな原動力のひとつであることは間違いないであろう。
 たとえば「必要な配慮」と「有資格障害者」という考え方の枠組みのうえに成り立っているADAの雇用に関する部分なども、前述のように有能な障害者の厚い層があって初めて可能となっている。これに対して「これは能力のある者だけを中心にした考え方である」などという否定的なトーンでの指摘を聞くことがあるが、こうした発言は無意識のうちに障害者を能力のない者であると前提づけたものである。米国の障害者は、こうした疑問には「教育とテクノロジーをもってすればどんな重度障害者にも可能性はある」と答えている。「必要な配慮」の幅を広く解釈すれば、誰にでも雇用は可能なのである。
D差別禁止の立法化
 ADAから学ぶべき第5の点として、差別禁止を立法化する必要性をあげることができる。
 日本では、差別という言葉は情緒的・心理的・感情的側面を伴って用いられることが多いが、ADAにいう差別は非常に具体的である。たとえば、雇用における差別とは何かというところでは、下記のものが差別であるとされている。
 イ)障害ゆえに、その機会または地位に悪影 響を及ぼす形で、障害者を制限、分離、分 類すること。
 ロ)ADAで禁じられた差別に障害者をさら すことにつながる契約や協定に関与するこ と。
 ハ)障害者差別につながり、他の従業員の障 害者差別を永続させるような管理方法をも つこと。
 ニ)有資格障害者の友人や知人に障害がある という理由で平等な雇用や給付を行なわな いこと。
 ホ)「必要な配慮」を行なうことが「重大な 支障」となることが証明されないにもかか わらず「必要な配慮」を行なわないこと。 ヘ)「必要な配慮」を行なわなくてはならな いことを理由に有資格の障害者を拒否する こと。
 ト)障害者排除に資する採用試験や選抜基準 を設けること。
 チ)障害をもつ応募者の試験結果がその応募 者の適性や能力を正確に反映するものなる ようにするために効果的な方法をとらない こと。
 このようにADAにいう差別は非常に具体的である。そもそも、差別というのは英語のdiscriminationの訳語であるが、この語の原義は識別するという意味であり、もちろん差別とも訳されはするが、日本でいう差別という言葉のような情緒的ニュアンスを伴った言葉ではない。近年、日本のビジネス界では、他社より秀でるための営業方針を差別化戦略などと呼んでいるが、この方が語の原義には近い用いられ方かもしれない(注17)。
 わが国においては、差別禁止をうたう条項を心身障害者対策基本法に盛り込むことが障害者団体で審議されていながら、日本の風土に馴染まないという理由で問題提起にいたらなかったという歴史がある。このような、それこそ「風土」を脱却して、法律に具体的な項目として差別事項をしるし、それを禁じる法制的規制を行なう必要があろう。
・おわりに
 ADAは「20世紀の障害者の奴隷解放宣言」あるいは「障害者の独立宣言」などと称賛されており、日本だけでなく、ヨーロッパやソ連でも注目を集めている。
 そうした中で、ADAは当面は連邦規則作りに焦点がおかれている。かつてリハビリテーション法504条の連邦規則作りが何年にもわたり放置され、その策定には全米の障害者の長期にわたる座込みが必要であったという苦い経験をもつ米国の障害者運動は、今回は連邦規則作りにも厳しい監視の目を向けている。この連邦規則作りとその中で行なわれるADAの条文解釈をめぐる論争が短期的な重要課題となるでろう。また、ポストADAとしての長期的な課題としては、介助保障に関する全米的な制度作りがターゲットとなりそうである。
 来年1992年は「国連・障害者の10年」の最終年にあたる。わが国においても、ADAの精神に学び、障害者の「完全参加と平等」実現にむけた法制度の整備がすすむことを期待したい。



































 
障害をもつアメリカ人法の制定と
  今後のわが国の障害者問題における課題

     社会福祉法人 東京コロニー
      事務局次長 久保 耕造
 
 
・はじめに
 1990年7月26日に「障害をもつアメリカ人法(The Americans with Disabilities Act of 1990、略称ADA)」が制定されてから2年半ほどが経過した(注1)。その後、同法の細則である連邦規則などが制定され、制定当初に比較すればその全体像が明らかになりつつあるとはいうものの、法の発効までに経過措置がとられ未だに発効していない部分があることなどから、その成果や実効性についての評価は定まっていない。しかしながら、障害ゆえの差別を包括的に禁止したことの意義とその内外に与えた影響には少なからざるものがあり、その余震はいまだに続いている。 本稿ではADAの制定の経緯およびその概要について紹介するとともに、その後の関連する動きを紹介し、あわせて今後のわが国の障害者問題における課題についてさぐってみたい。
T.障害をもつアメリカ人法の制定
 1.制定の背景
  (1) 制度的背景
 ADA制定以前のアメリカにおける差別禁止の基本的な法律としては1964年公民権法(The Civil Rights Act of 1964)と1973年リハビリテーション法(The Rehabilitation Act of 1973)という二つの法律が存在していた。
   (ア) 公民権法
 公民権法は、公共的施設・雇用・住宅・教育など社会生活上の重要な場面における、人種、肌の色、性別、出身国、宗教に基づく差別を禁止したものである。しかしながら、同法は黒人を中心とした民族的マイノリティを主な対象者としており、障害者はその対象に含まれていなかった。
 そこで、公民権法と同じ水準の差別禁止と権利保障を障害者にもたらすものとして提案されたのがADAであった。そのため、ADAの中には、考え方の枠組みが公民権法の内容そのままの部分もあるほどである。つまり、ADAは公民権法の対象者を障害者にまで拡大したものであるということもできるのである。(注2)
   (イ) リハビリテーション法
 公民権法の適用がないもとで、不十分ながら障害者にとっての公民権法しての役割を果たしてきたのがリハビリテーション法であった。同法には障害者に対する差別禁止がうたわれているが、その適用範囲が限定されている。すなわち、@連邦政府における差別禁止(同法第501条)、A連邦政府から補助を受けている事業における差別禁止(同法第504条)、B連邦政府機関との間に年間2,500ドル以上の契約高をもつ企業に対する採用や昇進にあたっての差別是正措置(affirmative action)の義務づけ(同法第503条)という形でのみ差別禁止がうたわれていたのである。
 逆にいえば、州政府の事業で連邦政府の補助金を受けていない単独事業や、連邦政府との間に年間2,500ドルに達する契約高をもたない企業における障害者に対する差別禁止は法律によっては保障されていなかったのである。ADAのもとでは、これらの制約が基本的にとり払われた。つまり、ADAはリハビリテーション法の適用範囲を州や地方自治体あるいは民間企業にまで広げたものであるということができるのである。
  (2) 理念的背景
 ADAの制定を可能にした背景には、上記のような制度的な背景とともに、いくつかの見逃すことのできない考え方のうえでの背景があった。
   (ア) 機会均等
 そのひとつは、ADAが障害者に対して機会均等(equal opportunity)をもたらすことを企図した法律であったということである。いうまでもなく、ADAは障害者に対する障害ゆえの差別を禁止することを目的とした法律であるが、それはいいかえると障害者に対して非障害者と同等の機会を保障するということでもある。
 アメリカは多民族国家であり、様々な言語、文化、伝統などをもつ人間が国家を形成しているが、これらの異なる価値観をもつ者が共通して認める数少ないもののひとつが、競争の自由という考え方と対をなす形での機会均等という考え方である。そして、ADAはアメリカ人であれば誰でもが認めるこの価値観を保障しようとした内容であったからこそ、成立しえたといえるのである。
   (イ) 費用の企業負担
 もうひとつの理念的背景は、ADAの制定により、基本的に政府には財政負担がかからないようになっているということである。財政と貿易という、いわゆる双子の赤字に苦しむアメリカでは、レーガン政権以来、福祉の分野も聖域ではありえず大幅な予算削減を余儀なくされてきた。そのような中にあって、新たな財政負担を生む法律の制定は望むべくもなかったのである。
 ところが、後述する内容からわかるように、ADAによって生じる費用負担は基本的には企業にかかる仕組みになっている。それゆえ、その審議過程では主に中小企業を中心とした反対が大きかった。しかし、これに対しては、実際にはそれほどの費用負担がかからないとする専門機関の研究結果や、ADAを実施した場合の費用と効果の経済分析などが大きな反論の根拠となった(注3)。
 2.制定の経緯
  (1) 全米障害者評議会による勧告
 前述した、ADA制定以前において障害者の差別禁止法として機能していた二つの法律のもつ問題点を指摘し、ADAが制定される直接のきっかけをもたらしたのは、米国障害者評議会(当時はNational Council on the Handicapped、現在はNational Council on Disability)と呼ばれる機関が1986年に発表した「自立へ向かって(Toward Independence)」と題された一冊の答申書であった。
 同評議会はリハビリテーション法第W章によってその設置が定められているのであるが、アメリカの障害者に関する法律やサービスが障害者本位のものになっているかどうかをチェックするオンブズマン的な機能を備えた、全米各地の15人の委員から成る独立した連邦政府機関である。
 「自立へ向かって」の中で最も優先的に勧告されことのが、障害者差別禁止のための包括的な法律の必要性ということであった。
  (2) 議会における審議
 この障害者差別禁止のための包括的な法律の必要性の指摘にこたえ、最初の法案が議会に上程されたが1988年のことであった。しかし、この時は審議未了で成立には至らなかった。その後、ADA制定の必要性の全国調査を行なう機関が議会によって設置され、全国各地でヒアリングが開催された。そして、1990年7月になってようやく成立にこぎつけた。
 これを支えたのは、障害の種別や支持政党の違いをこえた障害者団体の団結と、ブッシュ大統領自身を含めた、超党派の数多くの議員の支持であった。
 3.法律の対象者
  (1) 3つの定義
 ADAの対象者には、わが国でいうところの身体障害者、精神薄弱者、精神障害者あるいはわが国では障害者として認定されていない難病の者などがすべて含まれる。ADAにおける障害者の定義においては、わが国の障害者関連法制にみられる制限列挙方式はとられておらず、次のような3点によって幅広い定義が採用されている。
 ・個人の主たる生活活動のひとつ以上を著しく  制限する身体的・精神的障害をもつ者。
 ・このような障害の経歴をもつ者。
 ・このような障害をもつとみなされる者。   ここには、エイズ・ウィルス感染者までも含まれていることはよく知られている。因みに、この障害者の定義はリハビリテーション法におけるそれと基本的に同一のものである。
 このような幅広い定義については、アメリカにおいても問題視する立場もあるが、リハビリテーション法のもとにおけるこの定義によって特に問題が生じていないことと、すべての障害者を対象とするというADAの基本的な理念から、このような定義に落ち着いた。
  (2) 対象にならない障害者
 ADAの対象とならないのは、感染症の者が食品関係の仕事に就く場合、不法薬物中毒者などである。その他には、同性愛者、両性愛者、服装倒錯者、性倒錯者、小児愛者、露出症者、窃視症者、、脅迫賭博症者、盗癖者、放火癖者などもADAのもとでは障害者としては認定されない。
 4.法律の内容
 ADAは全五章から成っており、具体的には第T章は雇用、第U章は公的サービス、第V章は民間事業体の運営する公共的施設およびサービス、第W章は電気通信、第X章は雑則となっている。しかし、その内容の点からみれば下記にご紹介する五点についてとなっている。
 なお、ADAでは、これまでに既に法律のある内容についてまでは重複して定めていない。また、州によっては、ADAの内容以上の法律を有しているところもあるが、ADAの制定を理由にその州の法律の内容を後退させてはならないことについてもADAは定めている(注4)。
  (1) 雇用について
 ADAで障害者雇用について定められている内容を一言でいうと、従業員15人以上の民間企業における「有資格障害者(a qualified individual with a disability)」に対する「必要な配慮(reasonable accommodation)」の義務づけということである。ただし、ADAの雇用に関する部分は1992年7月26日から発効し、その後2年間は従業員25人以上の企業しか対象とならないため、最終的に従業員15人以上の企業が対象となるのは1994年7月26日以降ということになっている。
 「有資格障害者」というのは、ある仕事の中心的な必須職務を遂行する能力をもっている者という意味であり、有資格といっても、何かの試験に合格した者という意味ではない。また、「必要な配慮」というのは、ある障害者を職場に受け入れるために必要とされる対応策のことであり、たとえば、車いすを使用する者を受け入れるためにスロープを設けることなどをさしている。さらに、このようなハード面での対応だけでなく、採用試験において配慮を行なったり、仕事を変則勤務とすることなどというソフト面での対応もそこには含まれる。
 ただし、このような対応を企業が行なうことがその企業にとって「重大な支障(undue hardship)」となることが証明された場合は、このような義務づけからは免除されることになっている。「重大な支障」とは「必要な配慮」を行なうことにより、企業が倒産してしまう場合や、企業の業務内容の変更がせまられる場合であるとされている。
  (2) 公的サービス
 前述したように、ADA制定以前にも、リハビリテーション法に基づき、アメリカの連邦政府内や連邦政府から補助金を受けている事業などにおける障害者差別の禁止は定められていたが、州政府や地方自治体、あるいはこれらが行なう事業で連邦政府の補助金を受けていない事業における障害者差別までは禁じられていなかった。ADAでは、連邦政府からの補助金の有無にかかわらず、州政府や地方自治体においても連邦政府と同様に障害者差別を禁止することを命じている。
  (3) 交通機関について
 公共事業体や民間企業が運営する交通機関(長距離鉄道、地下鉄、路線バス)について、ADAは原則としてすべて障害者の利用が可能であるようにすることを命じている。
 ただし、このことは既存の車両やバスあるいは歴史的骨董価値を有するものに対してまでは求められていない。ADA制定後に新たにバスや車両を購入・リースあるいは改造する際に限って障害者の利用が可能となる配慮が求められている。また、路線バスが運行されていないような地域では、障害者のニーズに対応して随時運行される送迎サービスを設けることがADAでは義務づけられている。
 その実施については、経過措置として電車、バス、駅舎などのケースによって様々な年限の実施猶予期間が定められており、最長では30年というものまである。また、雇用の場合と同様に、そのことを実施することが、それを行なう事業体や企業にとって「重大な支障」となる場合はこのような義務づけが免除されることになっている。
  (4) 公共的施設について
 ADAでいう公共的施設というのは不特定多数の集まる場所という意味である。もちろん、学校や公民館あるいは公園や図書館なども含まれれるが、その他、映画館、デパート、銀行、ガソリンスタンド、コインランドリーといった市民生活に関連するあらゆる場所をさしている。ADAでは、これらの場所が原則として障害者の利用可能となるようにすることを命じている。
 障害者の利用を可能にするというと、建物の構造上のことを思い浮かべられがちかもしれないが、それだけではなく、たとえばレストランにおけるメニューを点字で用意するなどということも含まれている。しかし、たとえば必ずしも盲人のために点字のメニューを用意しなくてもレストランの従業員がメニューを朗読することで代えることもできるというような柔軟性も同時に認められてる。
 交通機関の場合と同様に公共的施設の場合も、改造の手間も費用もかからないものを除けば、原則として、ADA制定後に改築や新築される際にのみ障害者に対する配慮を行なうことが義務づけられており、既存のものまですぐに改造することは求めれてはいない。また、その実施が企業にとって「重大な支障」であることが証明された場合の義務免除規定も同様である。
 民間企業の運営する交通機関や建物の場合は、初回の違反に対しては5万ドル以下、2回目以降の違反に対しては10万ドル以下の罰金が科せられる。
  (5) TDDについて
 アメリカの聴覚障害者のコミュニケーション手段として一般的に用いられているのがTDD(Telecommunications Device for the Deaf)と略称される機器である。これは、日本の聴覚障害者の間では用いられていないシステムであるが、電話とワープロがあわさったもので、聴覚障害者はこれを用いて対話式に意志疎通を行なうことができる。
 しかし、TDDの問題は、この機器を所有している者同士の間においてしか利用できないということである。つまり、一般的にはこのような機器を所有していない健常者と、TDDをもっている聴覚障害者の間ではTDDは役に立たないシステムとなっている。これを解決するために、ADAは、電話会社がこの両者の間にたっていわば「通訳」としての役割を果たす、つまりリレー・サービスを行なうことを命じている。それも24時間体制で、通常の電話料金と同等の料金でサービスを行なうことを求めている。
 5.ADA制定後の動き
 ADA制定後の動きには数えきれないものがあるが、ここでは制度上の動きに関連したもののみをご紹介するにとどめる。
  (1) 連邦規則の制定
 ADAの各章に対応しては連邦規則が定められることとなっており、いずれもADA制定後1年以内に制定が義務づけられていたが、1991年9月までにすべての連邦規則が制定された。それらの所管と制定された日は次のとおりである。  第T章(雇用)
  雇用機会均等委員会(EEOC)(1991  年7月26日)
 第U章(公的サービス)
  @地方および州政府の活動について
   司法長官(1991年7月26日)
  A航空機または特定の鉄道を除く公共交通に   ついて
   運輸長官(1991年9月6日)
 第V章(民間事業体の経営による公共的施設)  @公共的施設および商業施設における新築お   よび改築について
   司法長官(1991年7月26日)
  A民間事業体の経営による公共的交通につい   て
   運輸長官(1991年9月6日)
 第W章(TDDのリレーサービス)
  連邦通信委員会(FCC)(1991年8月  1日)
 さらに、第V章については建築物と交通機関の障壁に関する改善命令委員会(ATBCB)が定める指針に従うことが義務付けられており、ATBCBにより1991年7月26日および9月6日に指針が制定された。
  (2) ADA改正法の動き
 ADA制定後にADA改正法案が既に2回提案されている。そのひとつは1992年4月28日にダンメイアー下院議員(William Dannemeyer)から提出された法案(H.R.4993)で、雇用や公共的施設における「必要な配慮」に費やされる金額に上限を設けようとするものであった。もうひとつは、1992年6月22日にエドワード下院議員(Mickey Edwards)から提出された法案(H.R.5450)で、ADAの内容を全面的に無効にしようとするものであった。いずれも、ひとりの共同提案者をも得ることができずに廃案となった。  (3) 訴訟
 ADAの詳細については、関連する判例が出されて初めてわかるといわれているが、ADA関連の最初の訴訟は、同法第V章が発効した1992年1月26日直後に、ニューヨークの障害者団体により行なわれた。これはエンパイア・ステート・ビルディングを含む3つのニューヨーク市内の主要建造物が障害者に対するアクセシビリティを備えていないとした訴えであった。その他、ワシントンD.C.でもホワイトハウスからわずか5ブロックしか離れていない商店街が訴えられ、ペンシルヴァニアでは12歳の脳性まひの少女がガールスカウトのサマー・キャンプに受け入れられなかったとして訴訟を起こした。
 また、アリゾナ州の地方裁判所では、少年野球でコーチズ・ボックスに障害者のコーチが入ることを禁じたリトルリーグの規則に対して違法判決が出された。雇用機会均等委員会には、ADA制定以来1992年11月30日までに、ADA第T章に関連する訴えや不服申請が2,461件なされたが、今のところ訴訟にもちこまれたのは、肺ガンが脳に転移したと医者に宣告された従業員を解雇したケース1件だけである。
  (4) 内国税法の改正
 1990年11月5日に内国税法(Internal Revenue Code)の第44条が改正され、中小企業のADAにともなう出費に対しては税額控除がなされることになった。
 その内容は、売上100万ドルもしくはフルタイムの従業員30人以下の中小企業は、ADAの定めるところに従った「必要な配慮」にともなう支出があった場合には一定の金額が税額から控除されるというものである。その金額は、単年度あたり250ドルをこえ、かつ10,250ドル以下の金額の半分である。
  (5) 新公民権法の制定
 1991年11月21日に1991年公民権法(The Civil Rights Act of 1991、公法102−166)が制定された。ADA第T章に関する差別行為に対する救済策については基本的には公民権法と同じ取扱をすることとなっているため、公民権法での取扱いがADAに大きく影響することになる。従来の公民権法のもとでは雇用に関する差別行為に対して、法廷費用や不払い給与の返還などの請求は可能であったが、それ以上の金銭的懲罰を求めることはできなかった。しかし、新しい公民権法ではその救済策として金銭による懲罰的賠償が可能になったのである。その内容は、従業員数の規模によって異なっており次のとおりである。
  従業員数       金 額
  0− 14人        0ドル 
 15−100人   50,000ドル
101−200人  100,000ドル
201−500人  200,000ドル
501人以上    300,000ドル
U.今後のわが国の障害者問題における課題   ADAの概要についてみてきたが、これらにふまえて、今後のわが国における障害者問題における課題についてさぐってみたい。
1.障害の定義について
 わが国の障害の定義は、ADAの幅広い定義とは異なり制限列挙方式となっている。そのため、そのリストからもれると障害者として認定されず、その結果、たとえば難病、自閉症やてんかんをもつ人々などの多くが福祉的サービスを得られないままになっている。
 周知のように、国連や世界保健機構(WHO)は、障害を機能障害(impairment)、能力障害(disability)、社会的不利(handicap)という三つのレベルにわけて考える必要性を提唱している。わが国においても、機能障害や能力障害に着目するだけでなく、社会的不利という観点にも着目した幅広い障害の定義を法的に確立し、すべての障害者に対するサービスを可能にする必要がある。
 2.総合福祉法の制定について
 わが国には、障害者福祉に関する基本的な法律として身体障害者福祉法、精神薄弱者福祉法および精神保健法の三法があり、障害の種別を問わないADAとは異なり、障害者に対する福祉法が障害種別に分かれている。その結果、行政窓口、施設、障害者団体など関係するものすべてがこの障害種別に縦割りにされている。
 このことは、障害者として共通する問題の一挙的な解決を難しくするとともに、地域の様々な障害者の多様なニーズに柔軟に対応できる施策の実現をも困難にしている。精神障害者に対する福祉法の要素をも含んだ形での総合福祉法が新しく制定される必要がある。
 3.権利保障型の制度作りについて
 従来のわが国の障害者関係法制のもとでは、対象となる障害者は保護、更生、育成すべき対象としてとらえられ、ADAのもとにおける能力と生産性にあふれた障害者像とは異なり、そこでは障害者は能力の低い、力の弱い存在として無前提に考えられてきた。そのため、障害者の人権を守り自立生活をすすめるというよりは、現物給付や施設サービスを基調とすることに力点がおかれてきた。
 こうした考え方が障害者の人権や潜在能力を長い期間にわたり抑えこむ役割を果たしてきたことは歴史的には否めない。今後は、ADAに学び、障害者の人権、平等、主体性を尊重する観点に立ち、権利としての所得保障を充実させ、必要なサービスは障害者本人の選択に基づいて購入できることを基本的な構造とする権利保障型の制度作りを行なうことが必要である。
 4.機会均等と差別禁止のための法律の制定    について
 機会均等という言葉は、わが国においても男女雇用機会均等法が制定されたことなどにより最近でこそ馴染みがでてきたが、その意味するところはあまり深くは理解されていない。ここでいう機会均等というのは、ADAでいうのと同様に、障害のない者が受けるのことができるのと等しいサービスや利益を障害者が受けられるようにするということを意味している。また、そのために必要な配慮を行なうということもあわせて意味している。
 わが国では差別というと心理的、情緒的なものとしてのみとらえられがちであるが、ADA同様に、機会均等保障のために必要な配慮が行なわれないという具体性こそが差別としてとらえられるべきであり、その意味での差別こそ法律によって明確に禁じられる必要がある。
 5.オンブズマン機関の設立について
 障害者に関する国の法律や、行政が行なう障害者関係サービスが正しく行なわれているかどうかをチェックするオンブズマン機関がわが国にはない。このような機関の重要性は、ADAの制定過程で果たした全米障害者評議会の役割でも明らかにされている。また、このような機関における当事者の中心性を保障することも重要である。(注5)
 わが国には、本来的にはそうした機能を発揮すべきものとして中央心身障害者対策協議会が設置されているが、行政の枠組みをこえた活動は難しい仕組みになっており問題がある。利害関係にとらわれない自由な立場にたち、障害者の権利と平等を保障し、自立をすすめる観点からのチェックを行なうための機構を設立する必要がある。
 6.障害者運動の統合について
 わが国には、障害者運動をになうための障害者団体と呼ばれるものが多数あるが、それらは、身体障害か精神薄弱かなどという対象とする障害の種別、あるいは会員が障害者本人だけか、親や兄弟かなどという構成員によって、あるいは支持政党や事業内容などによっても分かれているのが現状である。
 こうした状況が、制度の改善などを行政に対して要求する際に大きな弱点となることはいうまでもない。ADA制定の過程でも立場をこえた障害者団体の統一した行動が同法の制定をもたらした大きな原動力となったことに学び、それぞれの独自性を生かした活動は維持しつつも、すべての障害者団体が統合された場を作る必要がある。
 7.政策立案能力の獲得について
 障害者団体が統合されても自ら政策立案能力をもたなければ意味がない。従来の運動は要求項目を羅列して行政にぶつけ、あとは行政が法制度化するのを待つというスタイルが典型であったが、ADAの法案そのものを障害者自身が中心になって起草したように、今後は必要な課題については自ら筆をとって法案を策定するくらいの政策立案能力が求められてくると思われる。
 こうした政策立案能力は、ひとりひとりの障害者自身にも求められてくるであろう。当事者の中心性や障害者自身の決定過程への参加ということは、わが国においても理念としては定着しつつある。しかし、今後は単に障害をもつ者というだけでなく、障害をもちつつ解決すべき問題に対する専門性をも有する者という意味での当事者が必要とされてくると思われるからである。
 8.高等教育の保障について
 高等教育の保障という問題は、高等教育に至る過程の充実、統合教育の実現、高等教育への門戸開放、高等教育の場における支援サービス・システムの保障など様々なものを含んでいる。
 高等教育だけがすべてではないが、前述の政策立案能力を身につけるにあたっても高等教育が重要な要素のひとつであることは言うをまたない。ADAの制定も、高い専門性を有する障害者自身の厚い層によって支えられていたが、これを生み出しているひとつが高等教育の保障であることは間違いないところである。
 9.アクセスの保障について
 ADAに比較して、わが国で最も遅れているのは建物や交通機関に対するアクセスの保障である。こうしたアクセスを保障する動きは、わが国においても既にいくつかの地方自治体で部分的には現実のものとなりつつあるが、これを国の政策レベルで保障することが必要である。
 また、アクセスの保障という時には、建物や交通機関というハード面のことだけでなく、情報やコミュニケーションに対するアクセス(つまり、コンピュータを利用しやすくすることや、手話通訳の配置、字幕放送の充実、朗読サービスの提供など)ということも重視される必要がある。高度に情報化した今日の社会では、情報やコミュニケーションにおけるアクセス保障は基本的な人権の一部とさえいえるからである。
 10.アジアへの貢献について
 周知のように、ESCAP(国連アジア太平洋経済社会委員会)は、1993年から2002年までの十年を「アジア太平洋障害者の十年」とすることを定めた。わが国の障害者をめぐる状況は、欧米に比べると遅れた部分も目立つが、アジアの中では様々な意味で指導的な位置を占めており、アジアの国々からの期待にも大きいものがある。これまでの十年間は、どちらかといえば欧米の方を向いていたわが国の障害者福祉の流れを、今後はアジアにも向けていくことが必要である。
 ADAに署名する際のブッシュ大統領のメッセージでは、ADAに続く国々の筆頭に日本の名があげられているが、日本もアジアの国々に対して、ADAが日本に対して与えたのと同等のインパクトをもちうるような制度の確立につとめる必要がある。
・おわりに
 冒頭にも述べたとおり、ADAにはまだ完全には発効していない部分もあることから、その全貌や評価には定まらない部分も大きい。たとえば、連邦政府が全米10ケ所にADAに関する情報提供や訓練のためのセンターを設置し、全米障害者評議会がADA Watchという名称の、ADAの実施状況チェック機能を開始させたのも1992年に入ってからのことである。また、最近行なわれた企業に対する調査では、ADAを「よく知っている」と答えたのはわずかに14%に過ぎない(注6)。今後ともその行方について注視していきたいところである。
 しかし、わが国の障害者および関係者に真に求められているのは、ADAの法文の細かい解釈などよりは、ADAを成立させたアメリカの障害者のパワーとADAの基本精神に学び、わが国における障害者をとりまく法制度全体を見直してみることではないかと思われる。
(注1)ADAの正式な名称は「障害に基づく差別の明確かつ包括的な禁止について定める法律(An Act to Establish a Clear and Comprehensive Prohibition of Discrimination on the Basis of Disability)」(公法101−336)である。正確にいうと、障害をもつアメリカ人法(ADA)というのは、同法文中における同法の名称の引用符である。
(注2)このため、かつては公民権法を改正し、差別禁止対象の根拠に障害を追加しようとする動きが1971年および1972年にはあった。(関川芳孝「アメリカ障害者差別の判断基準」、『琉大法学』第45号、琉球大学、1990年3月、148−149頁)
(注3)障害者を雇用した場合の費用と効果に関する試算についてはADA第T章の連邦規則案(1991年2月28日、29CFR Part1630)に詳しい。
(注4)たとえば、ADAの第T章は従業員15人以上の企業に適用されるが、同様の内容が、カンサス州では従業員4人以上、ミズーリー州は従業員6人以上、ワシントンD.C.では従業員1人以上の企業に適用されている。
(注5)全米障害者評議会は、リハビリテーション法よって、その委員の3分の1以上は障害者もしくは代弁者でなくてはならないとされていたが、昨年の同法改正では、この割合が半分以上へと改訂された。
(注6)Baseline Study to Determine Business’ Attitudes, Awareness, and Reaction to the Americans with Disabilities Act, The Electronic Industries Foundation, 1992年10月 
 
 
 
 
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 その後のADA
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  障害をもつアメリカ人法
    第T章の連邦規則について
 
     社会福祉法人 東京コロニー
        事務局次長 久保 耕造
 
・はじめに
 一九九〇年七月二六日に障害もつアメリカ人法(Americans with Disabilities Act、略称ADA)が制定されてから一年を経ようとしている。ADAは制定後一年以内に各章に対応する連邦規則(regulation)を定めることを命じていることから、現在はADAにとって注目すべき時期であるといえる。本稿は、公表されたADAの第T章に対応する連邦規則の案の概要を紹介するとともに、あわせてADAに関連した動きや問題点について紹介する。なお、ADAの制定経過や内容そのものについては本誌掲載の拙稿(一九九〇年一一月号)をお読みいただきたい。
・ADAの連邦規則
 ADAの各章に対応する連邦規則は本年七月二六日までに制定されることが義務付けられている。その、連邦規則の立案の所管は次のとおりである。カッコ内は連邦規則の案が公表された日付(いずれも一九九一年)である。
 第T章(雇用)
  雇用機会均等委員会(EEOC)(二月  二八日)
 第U章(公的サービス)
  @地方および州政府の活動について
   司法長官(二月二八日)
  A航空機または特定の鉄道を除く公共交  通について
   運輸長官(四月四日)
  B都市間鉄道および通勤鉄道による公共  交通について
   運輸長官(四月四日)
 第V章(民間事業体の経営による公共的施 設)
  @公共的施設について
   司法長官(二月二二日)
  A公共的施設および商業施設における新  築および改築について
   司法長官(二月二二日)
  B民間事業体の経営による公共的交通に  ついて
   運輸長官(四月四日)
 第W章(TDDのリレーサービス)
  連邦通信委員会(FCC)(本稿執筆時  点では未公表)
 さらに、第V章については建築物と交通機関の障壁に関する改善命令委員会(ATBCB)が四月二六日までに定める指針にそうことが義務付けられており、ATBCBから第V章の@およびAについては一月二二日に、第V章のBについては三月二〇日に案が示された。
 公表された連邦規則案に対しては期限を定めて意見が募られている。また、これらの連邦規則案が掲載された「官報」はADAの定めにしたがい点字、拡大字、録音テープ、ディスクによっても入手可能となっている(司法省から発表されているADA公式関連資料なども同様である)。
・ADA第T章の連邦規則案の策定経過
 雇用について定めたADAの第T章の連邦規則については、ADAが制定された直後の一九九〇年八月一日に連邦規則制定のための事前公告(ANPRM)が発表された。これに対して、締切の八月三一日までに寄せれた意見は一三八件あり、全米で六二ケ所で開かれたEEOC主催の公聴会には二千四百もの障害者団体や企業の代表が参加した。
 これをもとにして、一九九一年二月二八日に連邦規則案が示された。これに対して、締切の四月二九日までに寄せられた意見は約九百件であり、意見を提出したのは全国規模の団体から個人まで、その長さは長いものでは二百頁から短いものでは二パラグラフまでというバラエティに富んだものであった。現在、これらの意見を集約したうえで最終的な連邦規則が検討されているところである。EEOCはADAによって定められた連邦規則策定の期限である本年七月二六日を厳守するとのことであるから、本稿が読まれている頃には連邦規則が確定しているはずである。
・ADA第T章の連邦規則案の特徴
 ADA第T章の連邦規則案の第一の特徴としてあげることができるのは、連邦規則案が示されることによりADAの数多くの不明点が明らかにされることが期待されていたにもかかわらず、残念ながら雇用に関する連邦規則案はその期待には十分応えるものとはなっていないということである。
 その理由としてEEOCは次の二点をあげている。第一の理由は、周知のようにADAの雇用に関する考え方の枠組みそのものがリハビリテーション法第五〇四条をモデルとしていたため、今回発表された連邦規則案も同条に対する連邦規則とその解釈をめぐっての判例以上の内容を含むものとはなりえなかったということである。第二の理由は、ADAの第T章そのものが法文としては異例に詳述されており、通常は連邦規則に盛り込まれるような内容までを含んでいるため、連邦規則案として独自に解釈の幅を示すことが難しかったということである。
 ADA第T章の連邦規則案の第二の特徴としてあげることができるのは、この連邦規則案に付録として解説版が付け加えられていることである。これは、議会での審議過程で論議されたことなどを根拠としてまとめられており、連邦規則案の主要な条項について具体的な例示などを行いつつEEOCとしての各条項に対する解釈や考え方を示している。この解説版が策定された目的は「有資格障害者(後述)」にADAに基づく諸権利を正しく理解させ、EEOCが企業の差別行為の有無を判定する際の手引きとすることにある。
・注目されるADA第T章の費用試算
 連邦規則案のもうひとつの特徴としてあげることができるのは、ADAの定めに従って障害者の雇用をすすめた場合のコスト・ベネフィット(対費用効果)が試算されていることである。これは、これまでに発表されている様々な研究・調査等の結果をADAの枠組みにあてはめて試算されたものである。その意味では、まったく初めて紹介される数字というわけではないがアメリカ流の考え方が示されていて興味深いものがある。
 これによれば、「必要な配慮(後述)」による年間支出が千六百四十四万三千ドル、EEOCによる行政支出が二千五百万ドルであるのに対して、生産性の向上により一億六千四百四十三万ドルの増収、年金等の費用の支出減と税金の増収で二億二千百七十六万ドルの支出減および増収となり、対費用効果は最小の場合でも八対一、最大の場合は三十五対一にもなるという。
 もちろん、こうした試算は厳密に行なうことはできない。たとえば、ADAの実施により平等が達成されたなどという要素は費用換算できないものであるが、決して無視できない要素ではある。建物の改造などという大規模な費用支出はここには含まれていない。また、「必要な配慮」にともなう支出を単なる支出とだけみなすことを行なわない考え方も登場しつつある。さらに、ADAの制定後にあらたに法制化された「必要な配慮」の実施にともなう税額控除制度(総額三十七万ドルにも達すると予想される)による税負担の軽減なども厳密にいえば見過ごせない要素である。しかし、これらの要素はADAの対費用効果を上げることはあっても下げることは決してないものである。
・三つのキーワード
 ADAの第T章では、従業員十五人以上の民間企業が「有資格障害者」に対して「必要な配慮」を行なうことを義務付けており、「必要な配慮」を行なうことが企業にとって「重大な支障」となることが証明される時に限って免除規程を設けている。この三つのキーワードについて連邦規則案では次のように説明がなされている。前述したように、これらの解釈はADAで初めてなされたものではなく、基本的にはリハビリテーション法第五〇四条およびその連邦規則やそれに関わる判例などで既にこれまでにも示されてきたものである。
@「有資格障害者」とは 
 「有資格障害者」であるか否かはふたつの段階にわけて考えることができる。第一の段階は、障害者が就こうとする職にあらかじめ必要とされている条件をみたすことができるかということである。十分な学歴、職歴、資格などがこれにあたる。たとえば脊髄損傷の者が公認会計士の仕事に応募してきた際に、「有資格障害者」か否かというのは公認会計士の免許を所持しているか否かよって決定されるのである。第二の段階は、「必要な配慮」をともなうか否かにかかわらず、就こうとする仕事の必須職務をこなすことができるかということである。これは、職務とは直接関係のない周辺部分のことができないという理由だけで障害者が採用を拒否されることのないように配慮したものである。
 では、必須職務とは何かというと、それはさらに二つの要素によって決定される。第一の要素は、その職務がその仕事の存在している理由となっているかどうかということである。たとえば、校正ができる能力というものは、校正がひとつの独立した仕事になるという意味で必須職務といえるのである。第二の要素は、同一の職務内容をこなす従業員数である。小人数の職場ではひとりでいくつもの異なる仕事をこなさなくてはならないため、人数の多い職場であれば必須職務とならないものまでもが必須職務となる可能性があるからである。さらに、特定の専門性や技術が必要な職務においては、その専門性や技術の程度そのものが必須職務か否かを決定する要素となりうる。
A「必要な配慮」とは
 「必要な配慮」には三つの概念がある。第一は応募の過程で機会均等を保障するためのものであり、第二は障害をもつ従業員が必須職務をこなすことができるようにするためのものであり、第三は障害のない従業員が受けるのと同等の恩典を受けることができるようにするためのものである。
 「必要な配慮」の例示はADAの本文の中に数多くなされているが、例示されていないものとしては、治療のために通院する際の有給休暇の使用許可や無給休暇の追加的付与、障害者の利用を可能とするための企業主提供の通勤手段の改造、本や書類の頁めくりのためや出張のための介助者の提供、専用駐車場の確保などである。
 企業主は個人の生活レベルにかかわることや仕事とは関係のないことにおいてまで「必要な配慮」を義務付けられるものではない。たとえば、義肢や車いすを提供することや冷蔵庫を支給することなどは「必要な配慮」とはみなされない。
B「重大な支障」とは
 「必要な配慮」を行なうことが企業にとって「重大な支障」となるか否かは金銭面に密接に関連することであるが、それのみには限定されない。企業が行なう事業の本質を決定的に変化させてしまうか否かということも「重大な支障」の要件になる。
 たとえば、弱視の者がナイトクラブのウェイターとして応募し、自分は職場をもう少し明るくしてほしいと要望しても、それはナイトクラブという事業の性格そのものを損なうことにつながるから「重大な支障」であるという理由で企業主は拒否することができる。しかし、このことは、職場をもう少し明るくするという「必要な配慮」に限って免除するということであって、その他の「必要な配慮」までをも免除するものではない。
 また、資金がないという場合は、手持ち資金の有無だけが問われるのではなく、職業リハビリテーション機関などから資金交付を受けて「必要な配慮」を行なうことが可能であるならばそれらの活用も求められる。その際には、当該企業の負担分についてのみ着目して「重大な支障」となっているか否かが判断される。
・ADA第T章に関連する新しい法制度
@企業に対する新たな税額控除策
 一九九〇年一一月五日に内国税法(Internal Revenue Code)の第四四条が改正され、中小企業のADAにともなう出費に対しては税額控除がなされることになった。
 この内容は、売上一万ドルもしくはフルタイムの従業員三〇人以下の中小企業は、ADAの定めるところに従った「必要な配慮」にともなう支出があった場合には一定の金額が税額から控除されるというものである。その金額は、単年度あたり二百五十ドルをこえ、かつ一万二百五十ドル以下の金額の半分である。たとえば、視覚障害者の雇い入れにともない朗読者を配置するために七千五百ドルかかったとすると、七千五百ドルから二百五十ドルをひいた数字を二で割った額、つまり三千六百二十五ドルが、その企業が支払うべき税額から控除されることになる。ただし、これは新しく建設されるものやADAの要件に従わないものには適用されない。
 これにともなう税収減への配慮から、障害者対応の費用にともなう利益控除=経費認定について従来から定めていた内国税法の一九〇条については、逆に上限額が三万五千ドルから五千ドルに引き下げられることになった。
A新公民権法の上程と議会通過
 一九九〇年公民権法は議会を通過しながらも、同年一〇月二二日にブッシュ大統領の拒否権発動により成立を阻まれてしまった。また、本年も六月五日に新公民権法案が議会を通過したが再度、大統領が拒否権を発動する構えを見せている。
 そもそもこの法案は、「現在の公民権法は黒人や女性に対して優遇するあまり逆差別的である」とした法廷への訴えを認める最高裁の判例がここ数年来出されていることに対して歯止めをかけようとしたものであった。ブッシュ大統領の拒否権発動は、改正法案が企業主に対して割当雇用を強いることになるからだという理由によるが、本年議会を通過した民主党案には「人種割り当て制」への反対が明記されている(与党である共和党の法案は議会を通過できなかった)。
 ADAでは差別行為に対する救済策については基本的には公民権法と同じ取扱をすることとなっているため、現在は法律違反に対して金銭的懲罰を求めることができない。しかし、新しい公民権法では障害者をも対象者に含めた救済策として金銭による賠償がなされることになっているのである。つまりこの法案が議会を通過すれば差別行為に対して金銭的補償が求められるが、廃案となれば自動的にADAのもとでの救済策は、雇用に関していえば現職復帰、賃金の後払い、法廷費用程度の範囲にとどめられることになってしまうのである。
・おわりに
 今回ご紹介した連邦規則はあくまでも公表された案をもとにしたものであり、前述したように本稿が読まれている頃には連邦規則が確定しているはずである。同案では、保険、労災、労働協約との関係など、行政の側が特定して問題提起を自ら求めていることもあり、これらを中心として、確定した連邦規則が案とどれほどの違いをみせるかは興味深いところである。
 ADAの連邦規則は前述したように本年の七月二六日までに制定される予定であるが、ご存じのようにADAの発効日は内容によって異なっている。本稿でご紹介した第T章に関していえば、従業員二五人以上の企業に適用されるのが一九九二年、従業員一五人以上の企業に適用されるのはさらに二年後となっている。来年の七月以降に従業員二五人以上の企業に実際に適用される中で連邦規則の改訂がさらに必要となってくることも予想される。
 来年に予想されているリハビリテーション法の大幅改正や、ポストADAの最大課題とされている介助者制度の法制化などの動きとあわせてADAの連邦規則の今後の推移を見守っていきたい。        
        (一九九一年七月二三日)
 
 
 
 
 
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   その後のADA
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 障害をもつアメリカ国民法制定以降の
  米国における障害者関連法制の動き
 
      社会福祉法人 東京コロニー
       事務局次長 久保 耕造
 
・はじめに
 ご存じのように、米国では一九九〇年七月二六日に障害者をもつアメリカ国民法(Americans with Disabilities Act、ADA)が制定された。米国における障害者関係の雑誌や機関紙の紙面などからうかがうと、ADA制定に対する障害者および関係者の興奮は少なくとも年末いっぱいまでは続いたようである。
 いうまでもなく、ADAの制定だけで一朝一夕にしてバリアー・フリーな(障壁のない)社会が登場するというわけではないが、同時にそれに向けての確実な歩みが開始されたということも間違いないであろう。本稿では、ADAの制定以降の米国における障害者関連法制の動きについて報告する。
1 ADAの連邦規則    について
a ADAと連邦規則
 ADAの各章では、それぞれの章の内容に関連した連邦規則(regulation)制定の所管を定めている。つまり、第T章の雇用は雇用機会均等委員会(Equal Employment Opportunity Commission、EEOC)、第U章の公的サービスおよび第V章の民間事業体により運営される公共的施設およびサービスは労働大臣および法務長官、第W省のTDDは連邦コミュニケーション委員会(Federal Communication Commission)がADA制定一年後にあたる一九九一年七月二六日までにそれぞれ連邦規則を定めることになっているのである。さらに、ADAの第五〇四条により、第U章および第V章の連邦規則策定のために、建築物および交通機関の障壁に関する改善命令委員会(Architectural and Tansportation Barriers Compliance Board、ATBCB)が同委員会の策定した現行の「アクセシブルなデザインの最低基準に関する指針および要件(Minimum Guidelines and Requirements for Accessible Design、MGRAD)」を一九九一年四月二六日までに修正することが定められている。そして、運輸大臣や法務長官が制定する連邦規則はこのMGRADに一致もしくはそれを含むものでなくてはならないとされているのである。
 この連邦規則に関しては、ADA制定後直後の八月一日にEEOCから、八月三一日にはATBCBから連邦規則制定に関する事前公告(ANPRMs)が出されていた。これは連邦規則の制定の方法について広く意見を求めるものであり、これによって定められた方法に基づき連邦規則案が定められる。さらに、この連邦規則案に対して広く意見が求められた後に最終的な連邦規則が制定されるのである。そして、それぞれの段階で寄せられた主要な意見に対しては、次の段階において必要な回答がなされるのである(日本でも、一昨年、リハビリテーション法五〇八条に触発されて通産省が策定した情報処理機器対応アクセシビリティ指針の確定に際しては同様の手法がとられた)。
 米国の連邦規則は日本でいえば通知や条令にあたるものであり、その制定なしでは法律の運用がありえないものである。かつて、一九七三年リハビリテーション法がその連邦規則制定について明確に定めていなかったために、ADA制定以前には障害者にとって公民権法的な役割を果たしていた同法五〇四条が一九七八年まで効力を発揮しなかったという歴史がある。そして、その制定のためには全米中の障害者の長期にわたる座込みとデモンストレーションを必要としたのであった。その教訓をふまえた米国の障害者運動は、今回のADAの連邦規則制定には注意深い監視の目をむけ続けている。
b ATBCBの指針案
 こうした手続の中の初めての具体的な動きとして一月二二日にATBCBから「建物および施設のアクセシビリティ指針案(Accessibility Guidelines for Buildings and Facilities)」が発表された。これは前述したように、MGRADを修正したものであり、ADAの連邦規則制定にあたり運輸大臣や法務長官が基本とする内容を含んだものである。
 そもそも最初にMGRADが策定されたのは一九八二年のことであり(一九八九年改訂)、一九六八年建築物の障壁に関する法律(Architectural Barriers Act)の対象とされている建築物のために「建造物のアクセスに関する連邦統一基準(Uniform Federal Accessibility Standards、UFAS)」を策定するために作られたものであった。その際に、下敷きとして利用されたのが民間の全米基準協会(American National Standards Institute、ANSI)が発行していた「身体障害者の利用を配慮した建築物や施設のための建築指針(American National Standards Specification for Buildings and Facilities Accessible to and Usable by Physically Handicapped People)」(ANSI A117.1ー1980)であった。今回の指針案は基本的にはこのA117.1を利用しつつ、それにADAの内容に即して必要な改訂を加えたものである(A117.1は五年おきに改訂されており、現在のものは一九八六年版であり、名称も若干変わっている)。
 今回の指針案に対する意見提出期限は三月二五日であり交通機関に関する指針案は後日に示されることになっている。
c 指針案の主な内容
 今回発表された指針案は、概要だけでも「官報(Federal Register)」約二五頁にわたり、指針本文は七三ページにもわたる膨大なものである。
 主な点をかいつまんでご紹介すると次のような内容である。なお、ADAによりこれらが適用されるのは新設もしくは改築されるものからであり、現在あるものをこのように改造することは求められていない。
・食料品店および小売店は、すべての出口通路を車いす使用者を含む障害者が利用できるようにしなくてはならない。これは、二つのレジの出口通路をひとつにすることで可能であるとされている。
・レストランおよび図書館のテーブルの最低五%はアクセシブルでなくてはならず、かつ食事をする場所全体の三分の二はアクセシブルでなくてはならない。レストランでこれが適用されるのは動かすことができない机や個室である。さらに、病院の待合室の一〇%、ナーシング・ホームの居室の五〇%、オフィス・ビルでは各階の約半数の水飲み場がアクセシブルでなくてはならない。
・車いすやクラッチ使用者が通過するのに必要な、エレベーターのドアが閉じるまでの時間を計算するのに新たな算式を用いる。
・車いすの使用者を配慮してカーペットの高さは〇・五インチ以下でなくてはならない。・トイレをアクセシブルにすることが難しい時は、男女共用のものでも構わない。
・銀行にある二つ以上の電話のうち少なくともひとつは聴覚障害者が利用できるように音量調節ができるものでなくてはならない。
・六台以上の公衆電話をもつ建物では、少なくとも一台はTDDにつなげるものでなくてはならない。
2 ADAに関連する    法制の動きについて 
a 企業に対する新たな税額控除策
 詳述は避けるが、ADAは基本的には企業が費用負担を行なうという仕組みになっている。そのため、ADAの審議過程ではとりわけ中小企業を中心とする反対が強かった。また、その審議過程では企業負担を軽減するためのいくつかの抱き合わせ法案も上程されたがいずれも廃案となった。しかし、ADAの制定後になって、一九九〇年一一月五日に内国税法(Internal Revenue Code)の第四四条が改正されることになり、中小企業のADAにともなう出費に対しては税額控除がなされることになった。
 この内容は、売上一万ドルもしくはフルタイムの従業員三〇人以下の中小企業は、ADAの定めるところに従った「必要な配慮(reasonable accommodation)」にともなう費用があった場合には一定の税額が控除されるというものである。その金額は、単年度あたり二百五十ドルをこえ、かつ一万二百五十ドル以下の税額の半分である。たとえば、視覚障害者の雇い入れにともない朗読者を配置するために七千五百ドルかかったとすると、七千五百ドルから二百五十ドルをひいた数字を二で割った額、つまり三千六百二十五ドルが、その企業が支払うべき税額から控除されることになる。ただし、これは新しく建設されるものやADAの要件に従わないものには適用されない。
 これにともなう税収減への配慮から、障害者対応の費用にともなう利益控除(費用認定)について従来から定めていた内国税法の一九〇条については、逆に上限額が三万五千ドルから五千ドルに引き下げられることになったが、ここでは紙数の関係で詳しい説明は省略する。
b 一九九〇年公民権法の不成立
 一九九〇年公民権法は議会を通過しながらも、一〇月二二日にブッシュ大統領の拒否権発動により成立を阻まれてしまった。これをくつがえすための再度の議会による審議結果でも、わずか一票の賛成票の不足により拒否権を押し戻すことができなかった。そもそもこの法案は、「一九六四年公民権法は黒人や女性に対して優遇するあまり逆差別的である」とした法廷への訴えを認める最高裁の判例がここ数年来出されていることに対して歯止めをかけようとしたものであった。ブッシュ大統領の拒否権発動は、改正法案が企業主に対して割当雇用を強いることになるからだという理由によるものであるとされているが、同法案の内容は決してそのようなものとはなっていない。
 このことが何故ADAに関連するかというと、ADAでは差別行為に対する救済策については基本的には公民権法と同じ取扱をすることとなっているからである。そして、一九九〇年公民権法では、障害者をも対象者に含めた救済策として金銭による賠償がなされることになっていたのである。つまりこの法案が廃案となったことで、自動的にADAのもとでの救済策は、雇用に関していえば現職復帰、賃金の後払い、法廷費用程度の範囲にとどめられることになってしまったのである。3 その他の法制上の    動き
a TVデコーダー法の成立
 一九九〇年一〇月一五日にTVデコーダー法(Television Decorder Circuitry Act of 1990、公法一〇一ー四三一)が制定された。この法律は一九九三年七月一日以降に米国で製造もしくは販売される、一三インチ以上のテレビにデコーダー(字幕解像装置)の内蔵を義務付けるものである。
 これにより、将来はどのテレビでもスウィッチひとつで(事前にもしくは同時に字幕が挿入されている限り)字幕を引き出すことができることになる。これは、二百ドルもするデコーダーを購入しなくてはならなかった二千四百万人といわれる米国の聴覚障害者のみならず(実際のデコーダーの推定販売数は九十万台ほどだが)、児童や英語を母国語としない市民あるいは留学生などにも大きな利益をもたらすことになる。多民族国家であり、正しい英語が失われつつあるといわれる米国にとってこのことがもつ意味には大きいものがある。また、米国のテレビのほとんどが日本製であることを考えると、この法律がわが国に与える影響にも少なかざるものがあるといえる。
b その他の法律の動き
 @障害者教育法の改正法の制定
 一九九〇年一〇月三〇日に同法の改正法が通過した。様々な重要なポイントがあるものの紙数の関係で詳述は避けるが、一六歳もしくは必要と認められれば一四歳で個別移行プログラム(Individualized Transition Plan)を定めることが義務付けられことになり、障害をもつ者の教育に関する法(Individuals with Disabilities Education Act)へと名称が変更された。
 A運輸省がリハビリテーション法五〇四条  に基づく連邦規則を策定
 リハビリテーション法の五〇四条に基づく連邦規則の策定が最後まで遅れていた運輸省から、一九九〇年一〇月四日に連邦規則の最終版が発表された。
c 障害者関連法制についての今後の日程
 米国の障害者に関連する法制度で今年中もしくは近い将来に動きが予定されている主なものは次のものである。
 @公正住宅法の改正法(Fair Hou  sing Amendments Ac  t of 1988)の発効
 住宅における障害者差別の禁止について定めた同法が三月一三日に発効する。
 A公正住宅法の改正法に基づくガイドライ  ンの制定
 一九九〇年六月一六日にガイドライン(案)が示されていながら最終的なガイドラインがまとめられていないため、障害者団体から早期確定が要望されている。
 B援助付き雇用(Supported E  mployment)に関する連邦規則  の改訂
 これも一九九〇年二月一三日に案が示されていながら最終的な連邦規則がまとめられていないものである。
 C障害者自立生活センターに対する最低基  準の策定
 リハビリテーション法第七章パートBの資金交付を受ける自立生活センターの要件を定めた最低基準について審議が行なわれていたが、四月をめどに案がまとめられる予定である。
 Dリハビリテーション法の改正
 リハビリテーション法については一九八六年の改正により一九九〇年の予算内容についてまで定められていたが、その後の改正については一九九〇年二月一五日に公告されており、年内に改正される予定である。
d ポストADAの課題
 ADAが制定されたことにより米国の障害者関連の法制度の整備が完全に終了したわけではない。ADA制定後に残された最大の課題とされているのは介助に関する連邦政府レベルでの制度である。介助の保障に関しては州レベルで異なる対応がなされており、連邦政府レベルでの法律は現在はまったく無い。そのため、多くの障害者が介助を家族に頼らざるを得ない状況がある。ADAの制定に貢献した団体のひとつである障害者の利用できる公共交通を要求する障害者会議(American Disabled for Accessible Public Transportation)などは略称をそのままにして早々と介助制度の即時制定を要求する障害者会議(American Disabled for Attendant Programs Today)へと名称変更を行なったほどである。
・おわりに
 ADAは本年の七月二六日までに連邦規則を策定することを義務付けている。前述したように、リハビリテーション法連邦規則制定の過程で苦い経験を味わった米国の障害者運動はADAの連邦規則制定には目を光らせている。
 ADAの制定経過に学び、米国にみられるような障害者自身の決定過程参加がわが国の法制度形成過程にも制度的に保障され、同時に障害者運動の側にも政策立案能力が大きく備わることを期待したい。
        (一九九一年二月二五日)
 
 
 
 
 
ショートレビュー その後のADA
( The Changes and Achievements after   the Enactment of ADA )
エンパワメント研究所 
 主任研究員 久保 耕造
( Kozo Kubo, Senior Researcher,      Empowerment Institute )
 
はじめに
 米国において「障害をもつアメリカ人法( Americans with Disabilities Act, ADA )」が制定されてから6年ほどが経過しようとしている。内容により法の発効時期が異なり、経過措置が長期間にわたり認められている部分もあるため、正確にはいまだに全面発効しているとはいえないものの、その実質的な部分は確実に動き始めている。
 本稿ではADA制定後の動きに関する文献を概観し、その主要なものの概要を紹介したい。
1.ADAとは
 ADAは1990年7月26日に制定された法律であるが、その基本的な意義は、障害者に対する障害を理由とした差別を法律によって禁じたところにあった。具体的には、雇用、州や地方自治体、交通機関、不特定多数が利用する建築物、聴覚障害者が利用するTDDと称されるコミュニケーション手段などにおける差別を禁じたものであった。
 本稿ではADAそのものについて論じることが目的ではないので、その内容については下記の文献等を参照していただきたい。
 ・「ADAの衝撃」( 八代英太・冨安芳和  編、学苑社、1991年)
 ・「障害をもつアメリカ国民法」(全国社  会福祉協議会、1992年)
 ・「障害をもつアメリカ人法と障害者の人  権」(拙稿、「理学療法ジャーナル」第  27巻第1号、医学書院、1993年)
2.ADA制定後の資料について
 a.文献資料
 ADA制定後に書かれた和文の文献はそもそも絶対数が少ないが、ADA制定後の変化と成果という点について的をしぼって書かれたものとなるとさらに少なく、筆者の知る範囲では下記の2点ほどである。
 ・「障害福祉政策決定過程への当事者参加  −ADAと地方政府の取り組み−」( 相  内真子著、「障害者の福祉」、第15巻6  号、7号、日本障害者リハビリテーショ  ン協会、1995年)
 ・「障害をもつアメリカ人法の制定と、今  後のわが国の障害者問題における課題」  ( 拙稿、「社会福祉研究」第56号、鉄道  弘済会、1993年)
 しかし、前者は貴重な文献ではあるが全米レベルでの論及ではなく、後者も、成果を問うという段階としては早すぎるものであった。
なお、本稿執筆中に「ノーマライゼーション」(日本障害者リハビリテーション協会発行)に、「ADAの施行状況について」と題した北九州大学の関川芳孝氏の連載が開始されたが注目したい。
 これにひきかえ、欧文の文献となると数え切れないほど膨大な文献がある。しかしながら、そのほとんどは「ADAとは何か」ということの説明に終始しているか、ある特定の分野について論じられたものであり、制定後の動きや変化について全般的かつ全米的なレベルでまとめられたものは僅かである。
 その中で、信頼性も高く最もまとまった内容となっているのは下記の2点である。
 ・「 ADA Watch - Year One」( National   Council on Disability, 1993年)
 ・「 Federal Implementation of the     Americans with Disabilities Act,    1991-94」( Jane West、Milbank      Memorial Fund、1994年)(資料1)
 前者はADA制定後初の公式評価ともいうべきものである(注1)。後者は、ADA全体について、制定後4年間の動きについて最も緻密に検証を行った報告書である。この報告書については後章でご紹介する。
 b.調査資料
 ADA制定後の文献の中で、統計学的な手法を用いて行われた調査結果は貴重な資料であり、これまでに35あるとされている。注目しておきたいのは下記の2点である。
 ・「 Baseline Study to Determine      Business, Attitudes, Awareness, and   Reaction to the Americans with     Disabilities Act」( Electronic     Industries Foundation 、1992年)
 ・「 Harris Survey of Employment of    People with Disabilities」(National   Organization on Disability、1995年)
  (資料2)
 前者はADAに対する企業の意識調査を行ったものである。時期的な問題から、中心的な内容はADAに対する周知度などにとどまってはいるが、ADA制定直後のものとして重要な資料である(注2)。
 後者は、表題にこそADAという文字はないが、ADAの制定5年を記念して行われた調査であり、最新の調査結果となっている。その概要については後章でご紹介したい。さらに新しい資料としては、全米大統領委員会によって1996年10月に行われた調査結果があるが、その全容はまだ発表されていない。
 その他にも、様々な資料があるが、これらについては、ADAに関して統計的な手法を用いて行われた調査報告そのものについてまとめた下記の文献を参照されたい。
 ・「 A Critical Review of ADA       Implementation Studies which Use    Empirical Data」( David Pfeiffer,   Disability Studies Quarterly, Vol.   16, No.1, 1996 )
 ・「 Empirical Study of the Americans   with Disabilities Act ( 1990-1993)」
   ( Peter David Blank, Journal of     Vocational Rehabilitation, Vol.4,    No.3, 1994 )
3.ADAの円滑な推進を阻む行政
 前章でご紹介した(資料1)の要点は下記のとおりであった。
 ADA制定後の大きな問題として、苦情処理がスムーズにすすんでいないことがあげられる。たとえば、雇用問題に関する苦情処理窓口である雇用機会均等委員会では、ADA制定後2年間に27,944件の苦情申し立てを受け、そのうち43%は解決したとされているが、うち80%は事務処理上の理由や正当な理由が見当たらないとして却下されたものであった。さらに、未処理案件は85,000件に達しており、解決まで必要とされる平均日数は293日であるという。司法省においても事情は似ており、州や地方自治体の問題については2,649件、建築物の問題については2,714件の苦情を受けていながら、建築物に関する苦情申し立ての40%は開封されてさえいないという。それどころか交通問題所管の運輸省では苦情処理の案件数事体を確定できないありさまだという。
 このように、ADAを担当する行政部署が分立しており、それを統括して推進する部署のないことやADAの成果や達成度を定期的かつ全般的に把握する機構のことが大きな問題として指摘されている。そこで、これらを解決するためにADA施行基準の制定(苦情申し立てに対する処理期限を含む)、司法省の公民権部門の増強、ADA担当行政機関を調整する部門の確立などが提案されている。また、民間団体やADAが適用される企業や事業体に対しても、ADAの実施について継続的に監視していくことを求めている。
4.障害者雇用に前向きな企業
 前々章でご紹介した(資料2)の調査結果の要点は下記のとおりであった。
 職場の改造、就業時間の変更など、障害者に対する必要な配慮を行った企業は、1986年に行われた同様の調査(注3)にくらべると51%から81%へと上昇している。また、障害者雇用のための規定を策定したり担当部署を設置するなどした企業も46%から56%へと上昇している。しかしながら、過去3年間において実際に障害者を雇用した企業は62%から64%へと微増したにとどまっている。ただし、この数字は企業規模が大きいほど高く、逆に規模規模が小さいほど低くなっており、わが国の障害者雇用事情とは正反対の傾向となっており興味深い。
 その他の調査結果としては、次のようなものがあった。89%の雇用主が障害者雇用を従業員が支持するとしている。79%が障害者雇用は国全体の活力を増加させるとしている。障害者の働きぶりに対しては76%が肯定的にとらえている。また、48%は、ADAのために障害者雇用に費用がかかるようになったのはごく僅かであるとしており、32%はまったく変わらないとしている。これは、ADAの制定によって企業に費用負担が重くのしかかるのではとされていた危惧を否定するものであった。
 これらを踏まえて、米国の企業の大半(70%)はADAに変更が加えられるべきではないとしている。また、75%は今後3年間にわたり障害者雇用にむけてさらに努力していくとしている。
 5.ADAと米国の作業療法士について
 米国におけるADAと作業療法士との関係はどのようになっているのであろうか。文献紹介という主題からは少しはずれるかもしれないが、多くの読者にとって興味があると思われるこの点について若干ふれておきたい。
米国作業療法士協会では「 Why worry about theADA ? 」、障害者雇用大統領委員会では「 ADA and the Health Professionals 」と題したパンフレットを発行して、作業療法士を始めとする医療関係者に対してADAとの関係についての啓蒙活動を行っている。
 それらによれば、作業療法士に活躍が期待されているのは、主に企業の障害者雇用に関連してである。雇用主がADAに準拠した行動をとれるように、作業療法士が助言等を行うものとして具体的に例示されているものとしては下記などがある。
 ・職務内容の表記の仕方について
 ・職務遂行能力の評価について
 ・面接や雇用手続きの進め方について
 ・職場における同僚に対する教育について ・職場における変更や改変について
 ・訴訟となった場合の専門家としての証言
 いずれにしろ、医療関連の知識や技術にとどまらず、ADAの内容(とりわけ健康診断などの取り扱いについて)や仕事の内容そのものについての深い知識までが求められるよ
うになっている。企業コンサルタントとして颯爽と活躍するという、わが国にはあまり見られない形での米国の作業療法士の姿が見えてくるようである。
6.おわりに
 ADAは米国のみならず、世界中の障害者や関係者に対して大きな影響を与え、現在も与えつつある。たとえば、ADAの影響を受けて、イギリスでは1995年の11月に障害差別に関する法律( Disability Discrimination Act 1995 )が制定された。また、わが国の1993年の障害者基本法の制定や1995年の障害者プランの策定などにも有形無形の影響を与えたと考えられる。こうした内外への影響は今後とも続くとみられることから、その牽引役としてのADAそのものの行方について今後とも注目していきたい。
(注1)この報告書の概要については「ADAに対して初の公式評価−ADAウォッチについて」(拙稿、「障害者の福祉」第14巻1号、日本障害者リハビリテーション協会、 1994年 )を参照されたい。
(注2)この報告書の概要については「アメリカで障害者関係のふたつの全国調査結果発表」( 拙稿、「月刊福祉」第75巻11号、全国社会福祉協議会、1992年)を参照されたい。(注3)「 The ICD: Employing Disabled Americans 」( International Center for the Disabled、 1987年)