障害をもつアメリカ人法の制定と今後のわが国の障害者問題における課題
 
             社会福祉法人 東京コロニー 事務局次長 久保 耕造
 
・はじめに
 1990年7月26日に「障害をもつアメリカ人法(The Americans with Disabilities Act of 1990、略称ADA)」が制定されてから2年半ほどが経過した(注1)。その後、同法の細則である連邦規則などが制定され、制定当初に比較すればその全体像が明らかになりつつあるとはいうものの、法の発効までに経過措置がとられ未だに発効していない部分があることなどから、その成果や実効性についての評価は定まっていない。しかしながら、障害ゆえの差別を包括的に禁止したことの意義とその内外に与えた影響には少なからざるものがあり、その余震はいまだに続いている。 本稿ではADAの制定の経緯およびその概要について紹介するとともに、その後の関連する動きを紹介し、あわせて今後のわが国の障害者問題における課題についてさぐってみたい。
T.障害をもつアメリカ人法の制定
 1.制定の背景
  (1) 制度的背景
 ADA制定以前のアメリカにおける差別禁止の基本的な法律としては1964年公民権法(The Civil Rights Act of 1964)と1973年リハビリテーション法(The Rehabilitation Act of 1973)という二つの法律が存在していた。
   (ア) 公民権法
 公民権法は、公共的施設・雇用・住宅・教育など社会生活上の重要な場面における、人種、肌の色、性別、出身国、宗教に基づく差別を禁止したものである。しかしながら、同法は黒人を中心とした民族的マイノリティを主な対象者としており、障害者はその対象に含まれていなかった。
 そこで、公民権法と同じ水準の差別禁止と権利保障を障害者にもたらすものとして提案されたのがADAであった。そのため、ADAの中には、考え方の枠組みが公民権法の内容そのままの部分もあるほどである。つまり、ADAは公民権法の対象者を障害者にまで拡大したものであるということもできるのである。(注2)
   (イ) リハビリテーション法
 公民権法の適用がないもとで、不十分ながら障害者にとっての公民権法しての役割を果たしてきたのがリハビリテーション法であった。同法には障害者に対する差別禁止がうたわれているが、その適用範囲が限定されている。すなわち、@連邦政府における差別禁止(同法第501条)、A連邦政府から補助を受けている事業における差別禁止(同法第504条)、B連邦政府機関との間に年間2,500ドル以上の契約高をもつ企業に対する採用や昇進にあたっての差別是正措置(affirmative action)の義務づけ(同法第503条)という形でのみ差別禁止がうたわれていたのである。
 逆にいえば、州政府の事業で連邦政府の補助金を受けていない単独事業や、連邦政府との間に年間2,500ドルに達する契約高をもたない企業における障害者に対する差別禁止は法律によっては保障されていなかったのである。ADAのもとでは、これらの制約が基本的にとり払われた。つまり、ADAはリハビリテーション法の適用範囲を州や地方自治体あるいは民間企業にまで広げたものであるということができるのである。
  (2) 理念的背景
 ADAの制定を可能にした背景には、上記のような制度的な背景とともに、いくつかの見逃すことのできない考え方のうえでの背景があった。
   (ア) 機会均等
 そのひとつは、ADAが障害者に対して機会均等(equal opportunity)をもたらすことを企図した法律であったということである。いうまでもなく、ADAは障害者に対する障害ゆえの差別を禁止することを目的とした法律であるが、それはいいかえると障害者に対して非障害者と同等の機会を保障するということでもある。
 アメリカは多民族国家であり、様々な言語、文化、伝統などをもつ人間が国家を形成しているが、これらの異なる価値観をもつ者が共通して認める数少ないもののひとつが、競争の自由という考え方と対をなす形での機会均等という考え方である。そして、ADAはアメリカ人であれば誰でもが認めるこの価値観を保障しようとした内容であったからこそ、成立しえたといえるのである。
   (イ) 費用の企業負担
 もうひとつの理念的背景は、ADAの制定により、基本的に政府には財政負担がかからないようになっているということである。財政と貿易という、いわゆる双子の赤字に苦しむアメリカでは、レーガン政権以来、福祉の分野も聖域ではありえず大幅な予算削減を余儀なくされてきた。そのような中にあって、新たな財政負担を生む法律の制定は望むべくもなかったのである。
 ところが、後述する内容からわかるように、ADAによって生じる費用負担は基本的には企業にかかる仕組みになっている。それゆえ、その審議過程では主に中小企業を中心とした反対が大きかった。しかし、これに対しては、実際にはそれほどの費用負担がかからないとする専門機関の研究結果や、ADAを実施した場合の費用と効果の経済分析などが大きな反論の根拠となった(注3)。
 2.制定の経緯
  (1) 全米障害者評議会による勧告
 前述した、ADA制定以前において障害者の差別禁止法として機能していた二つの法律のもつ問題点を指摘し、ADAが制定される直接のきっかけをもたらしたのは、米国障害者評議会(当時はNational Council on the Handicapped、現在はNational Council on Disability)と呼ばれる機関が1986年に発表した「自立へ向かって(Toward Independence)」と題された一冊の答申書であった。
 同評議会はリハビリテーション法第W章によってその設置が定められているのであるが、アメリカの障害者に関する法律やサービスが障害者本位のものになっているかどうかをチェックするオンブズマン的な機能を備えた、全米各地の15人の委員から成る独立した連邦政府機関である。
 「自立へ向かって」の中で最も優先的に勧告されことのが、障害者差別禁止のための包括的な法律の必要性ということであった。
  (2) 議会における審議
 この障害者差別禁止のための包括的な法律の必要性の指摘にこたえ、最初の法案が議会に上程されたが1988年のことであった。しかし、この時は審議未了で成立には至らなかった。その後、ADA制定の必要性の全国調査を行なう機関が議会によって設置され、全国各地でヒアリングが開催された。そして、1990年7月になってようやく成立にこぎつけた。
 これを支えたのは、障害の種別や支持政党の違いをこえた障害者団体の団結と、ブッシュ大統領自身を含めた、超党派の数多くの議員の支持であった。
 3.法律の対象者
  (1) 3つの定義
 ADAの対象者には、わが国でいうところの身体障害者、精神薄弱者、精神障害者あるいはわが国では障害者として認定されていない難病の者などがすべて含まれる。ADAにおける障害者の定義においては、わが国の障害者関連法制にみられる制限列挙方式はとられておらず、次のような3点によって幅広い定義が採用されている。
 ・個人の主たる生活活動のひとつ以上を著しく  制限する身体的・精神的障害をもつ者。
 ・このような障害の経歴をもつ者。
 ・このような障害をもつとみなされる者。   ここには、エイズ・ウィルス感染者までも含まれていることはよく知られている。因みに、この障害者の定義はリハビリテーション法におけるそれと基本的に同一のものである。
 このような幅広い定義については、アメリカにおいても問題視する立場もあるが、リハビリテーション法のもとにおけるこの定義によって特に問題が生じていないことと、すべての障害者を対象とするというADAの基本的な理念から、このような定義に落ち着いた。
  (2) 対象にならない障害者
 ADAの対象とならないのは、感染症の者が食品関係の仕事に就く場合、不法薬物中毒者などである。その他には、同性愛者、両性愛者、服装倒錯者、性倒錯者、小児愛者、露出症者、窃視症者、、脅迫賭博症者、盗癖者、放火癖者などもADAのもとでは障害者としては認定されない。
 4.法律の内容
 ADAは全五章から成っており、具体的には第T章は雇用、第U章は公的サービス、第V章は民間事業体の運営する公共的施設およびサービス、第W章は電気通信、第X章は雑則となっている。しかし、その内容の点からみれば下記にご紹介する五点についてとなっている。
 なお、ADAでは、これまでに既に法律のある内容についてまでは重複して定めていない。また、州によっては、ADAの内容以上の法律を有しているところもあるが、ADAの制定を理由にその州の法律の内容を後退させてはならないことについてもADAは定めている(注4)。
  (1) 雇用について
 ADAで障害者雇用について定められている内容を一言でいうと、従業員15人以上の民間企業における「有資格障害者(a qualified individual with a disability)」に対する「必要な配慮(reasonable accommodation)」の義務づけということである。ただし、ADAの雇用に関する部分は1992年7月26日から発効し、その後2年間は従業員25人以上の企業しか対象とならないため、最終的に従業員15人以上の企業が対象となるのは1994年7月26日以降ということになっている。
 「有資格障害者」というのは、ある仕事の中心的な必須職務を遂行する能力をもっている者という意味であり、有資格といっても、何かの試験に合格した者という意味ではない。また、「必要な配慮」というのは、ある障害者を職場に受け入れるために必要とされる対応策のことであり、たとえば、車いすを使用する者を受け入れるためにスロープを設けることなどをさしている。さらに、このようなハード面での対応だけでなく、採用試験において配慮を行なったり、仕事を変則勤務とすることなどというソフト面での対応もそこには含まれる。
 ただし、このような対応を企業が行なうことがその企業にとって「重大な支障(undue hardship)」となることが証明された場合は、このような義務づけからは免除されることになっている。「重大な支障」とは「必要な配慮」を行なうことにより、企業が倒産してしまう場合や、企業の業務内容の変更がせまられる場合であるとされている。
  (2) 公的サービス
 前述したように、ADA制定以前にも、リハビリテーション法に基づき、アメリカの連邦政府内や連邦政府から補助金を受けている事業などにおける障害者差別の禁止は定められていたが、州政府や地方自治体、あるいはこれらが行なう事業で連邦政府の補助金を受けていない事業における障害者差別までは禁じられていなかった。ADAでは、連邦政府からの補助金の有無にかかわらず、州政府や地方自治体においても連邦政府と同様に障害者差別を禁止することを命じている。
  (3) 交通機関について
 公共事業体や民間企業が運営する交通機関(長距離鉄道、地下鉄、路線バス)について、ADAは原則としてすべて障害者の利用が可能であるようにすることを命じている。
 ただし、このことは既存の車両やバスあるいは歴史的骨董価値を有するものに対してまでは求められていない。ADA制定後に新たにバスや車両を購入・リースあるいは改造する際に限って障害者の利用が可能となる配慮が求められている。また、路線バスが運行されていないような地域では、障害者のニーズに対応して随時運行される送迎サービスを設けることがADAでは義務づけられている。
 その実施については、経過措置として電車、バス、駅舎などのケースによって様々な年限の実施猶予期間が定められており、最長では30年というものまである。また、雇用の場合と同様に、そのことを実施することが、それを行なう事業体や企業にとって「重大な支障」となる場合はこのような義務づけが免除されることになっている。
  (4) 公共的施設について
 ADAでいう公共的施設というのは不特定多数の集まる場所という意味である。もちろん、学校や公民館あるいは公園や図書館なども含まれれるが、その他、映画館、デパート、銀行、ガソリンスタンド、コインランドリーといった市民生活に関連するあらゆる場所をさしている。ADAでは、これらの場所が原則として障害者の利用可能となるようにすることを命じている。
 障害者の利用を可能にするというと、建物の構造上のことを思い浮かべられがちかもしれないが、それだけではなく、たとえばレストランにおけるメニューを点字で用意するなどということも含まれている。しかし、たとえば必ずしも盲人のために点字のメニューを用意しなくてもレストランの従業員がメニューを朗読することで代えることもできるというような柔軟性も同時に認められてる。
 交通機関の場合と同様に公共的施設の場合も、改造の手間も費用もかからないものを除けば、原則として、ADA制定後に改築や新築される際にのみ障害者に対する配慮を行なうことが義務づけられており、既存のものまですぐに改造することは求めれてはいない。また、その実施が企業にとって「重大な支障」であることが証明された場合の義務免除規定も同様である。
 民間企業の運営する交通機関や建物の場合は、初回の違反に対しては5万ドル以下、2回目以降の違反に対しては10万ドル以下の罰金が科せられる。
  (5) TDDについて
 アメリカの聴覚障害者のコミュニケーション手段として一般的に用いられているのがTDD(Telecommunications Device for the Deaf)と略称される機器である。これは、日本の聴覚障害者の間では用いられていないシステムであるが、電話とワープロがあわさったもので、聴覚障害者はこれを用いて対話式に意志疎通を行なうことができる。
 しかし、TDDの問題は、この機器を所有している者同士の間においてしか利用できないということである。つまり、一般的にはこのような機器を所有していない健常者と、TDDをもっている聴覚障害者の間ではTDDは役に立たないシステムとなっている。これを解決するために、ADAは、電話会社がこの両者の間にたっていわば「通訳」としての役割を果たす、つまりリレー・サービスを行なうことを命じている。それも24時間体制で、通常の電話料金と同等の料金でサービスを行なうことを求めている。
 5.ADA制定後の動き
 ADA制定後の動きには数えきれないものがあるが、ここでは制度上の動きに関連したもののみをご紹介するにとどめる。
  (1) 連邦規則の制定
 ADAの各章に対応しては連邦規則が定められることとなっており、いずれもADA制定後1年以内に制定が義務づけられていたが、1991年9月までにすべての連邦規則が制定された。それらの所管と制定された日は次のとおりである。  第T章(雇用)
  雇用機会均等委員会(EEOC)(1991  年7月26日)
 第U章(公的サービス)
  @地方および州政府の活動について
   司法長官(1991年7月26日)
  A航空機または特定の鉄道を除く公共交通に   ついて
   運輸長官(1991年9月6日)
 第V章(民間事業体の経営による公共的施設)  @公共的施設および商業施設における新築お   よび改築について
   司法長官(1991年7月26日)
  A民間事業体の経営による公共的交通につい   て
   運輸長官(1991年9月6日)
 第W章(TDDのリレーサービス)
  連邦通信委員会(FCC)(1991年8月  1日)
 さらに、第V章については建築物と交通機関の障壁に関する改善命令委員会(ATBCB)が定める指針に従うことが義務付けられており、ATBCBにより1991年7月26日および9月6日に指針が制定された。
  (2) ADA改正法の動き
 ADA制定後にADA改正法案が既に2回提案されている。そのひとつは1992年4月28日にダンメイアー下院議員(William Dannemeyer)から提出された法案(H.R.4993)で、雇用や公共的施設における「必要な配慮」に費やされる金額に上限を設けようとするものであった。もうひとつは、1992年6月22日にエドワード下院議員(Mickey Edwards)から提出された法案(H.R.5450)で、ADAの内容を全面的に無効にしようとするものであった。いずれも、ひとりの共同提案者をも得ることができずに廃案となった。  (3) 訴訟
 ADAの詳細については、関連する判例が出されて初めてわかるといわれているが、ADA関連の最初の訴訟は、同法第V章が発効した1992年1月26日直後に、ニューヨークの障害者団体により行なわれた。これはエンパイア・ステート・ビルディングを含む3つのニューヨーク市内の主要建造物が障害者に対するアクセシビリティを備えていないとした訴えであった。その他、ワシントンD.C.でもホワイトハウスからわずか5ブロックしか離れていない商店街が訴えられ、ペンシルヴァニアでは12歳の脳性まひの少女がガールスカウトのサマー・キャンプに受け入れられなかったとして訴訟を起こした。
 また、アリゾナ州の地方裁判所では、少年野球でコーチズ・ボックスに障害者のコーチが入ることを禁じたリトルリーグの規則に対して違法判決が出された。雇用機会均等委員会には、ADA制定以来1992年11月30日までに、ADA第T章に関連する訴えや不服申請が2,461件なされたが、今のところ訴訟にもちこまれたのは、肺ガンが脳に転移したと医者に宣告された従業員を解雇したケース1件だけである。
  (4) 内国税法の改正
 1990年11月5日に内国税法(Internal Revenue Code)の第44条が改正され、中小企業のADAにともなう出費に対しては税額控除がなされることになった。
 その内容は、売上100万ドルもしくはフルタイムの従業員30人以下の中小企業は、ADAの定めるところに従った「必要な配慮」にともなう支出があった場合には一定の金額が税額から控除されるというものである。その金額は、単年度あたり250ドルをこえ、かつ10,250ドル以下の金額の半分である。
  (5) 新公民権法の制定
 1991年11月21日に1991年公民権法(The Civil Rights Act of 1991、公法102−166)が制定された。ADA第T章に関する差別行為に対する救済策については基本的には公民権法と同じ取扱をすることとなっているため、公民権法での取扱いがADAに大きく影響することになる。従来の公民権法のもとでは雇用に関する差別行為に対して、法廷費用や不払い給与の返還などの請求は可能であったが、それ以上の金銭的懲罰を求めることはできなかった。しかし、新しい公民権法ではその救済策として金銭による懲罰的賠償が可能になったのである。その内容は、従業員数の規模によって異なっており次のとおりである。
  従業員数       金 額
  0− 14人        0ドル 
 15−100人   50,000ドル
101−200人  100,000ドル
201−500人  200,000ドル
501人以上    300,000ドル
U.今後のわが国の障害者問題における課題   ADAの概要についてみてきたが、これらにふまえて、今後のわが国における障害者問題における課題についてさぐってみたい。
1.障害の定義について
 わが国の障害の定義は、ADAの幅広い定義とは異なり制限列挙方式となっている。そのため、そのリストからもれると障害者として認定されず、その結果、たとえば難病、自閉症やてんかんをもつ人々などの多くが福祉的サービスを得られないままになっている。
 周知のように、国連や世界保健機構(WHO)は、障害を機能障害(impairment)、能力障害(disability)、社会的不利(handicap)という三つのレベルにわけて考える必要性を提唱している。わが国においても、機能障害や能力障害に着目するだけでなく、社会的不利という観点にも着目した幅広い障害の定義を法的に確立し、すべての障害者に対するサービスを可能にする必要がある。
 2.総合福祉法の制定について
 わが国には、障害者福祉に関する基本的な法律として身体障害者福祉法、精神薄弱者福祉法および精神保健法の三法があり、障害の種別を問わないADAとは異なり、障害者に対する福祉法が障害種別に分かれている。その結果、行政窓口、施設、障害者団体など関係するものすべてがこの障害種別に縦割りにされている。
 このことは、障害者として共通する問題の一挙的な解決を難しくするとともに、地域の様々な障害者の多様なニーズに柔軟に対応できる施策の実現をも困難にしている。精神障害者に対する福祉法の要素をも含んだ形での総合福祉法が新しく制定される必要がある。
 3.権利保障型の制度作りについて
 従来のわが国の障害者関係法制のもとでは、対象となる障害者は保護、更生、育成すべき対象としてとらえられ、ADAのもとにおける能力と生産性にあふれた障害者像とは異なり、そこでは障害者は能力の低い、力の弱い存在として無前提に考えられてきた。そのため、障害者の人権を守り自立生活をすすめるというよりは、現物給付や施設サービスを基調とすることに力点がおかれてきた。
 こうした考え方が障害者の人権や潜在能力を長い期間にわたり抑えこむ役割を果たしてきたことは歴史的には否めない。今後は、ADAに学び、障害者の人権、平等、主体性を尊重する観点に立ち、権利としての所得保障を充実させ、必要なサービスは障害者本人の選択に基づいて購入できることを基本的な構造とする権利保障型の制度作りを行なうことが必要である。
 4.機会均等と差別禁止のための法律の制定    について
 機会均等という言葉は、わが国においても男女雇用機会均等法が制定されたことなどにより最近でこそ馴染みがでてきたが、その意味するところはあまり深くは理解されていない。ここでいう機会均等というのは、ADAでいうのと同様に、障害のない者が受けるのことができるのと等しいサービスや利益を障害者が受けられるようにするということを意味している。また、そのために必要な配慮を行なうということもあわせて意味している。
 わが国では差別というと心理的、情緒的なものとしてのみとらえられがちであるが、ADA同様に、機会均等保障のために必要な配慮が行なわれないという具体性こそが差別としてとらえられるべきであり、その意味での差別こそ法律によって明確に禁じられる必要がある。
 5.オンブズマン機関の設立について
 障害者に関する国の法律や、行政が行なう障害者関係サービスが正しく行なわれているかどうかをチェックするオンブズマン機関がわが国にはない。このような機関の重要性は、ADAの制定過程で果たした全米障害者評議会の役割でも明らかにされている。また、このような機関における当事者の中心性を保障することも重要である。(注5)
 わが国には、本来的にはそうした機能を発揮すべきものとして中央心身障害者対策協議会が設置されているが、行政の枠組みをこえた活動は難しい仕組みになっており問題がある。利害関係にとらわれない自由な立場にたち、障害者の権利と平等を保障し、自立をすすめる観点からのチェックを行なうための機構を設立する必要がある。
 6.障害者運動の統合について
 わが国には、障害者運動をになうための障害者団体と呼ばれるものが多数あるが、それらは、身体障害か精神薄弱かなどという対象とする障害の種別、あるいは会員が障害者本人だけか、親や兄弟かなどという構成員によって、あるいは支持政党や事業内容などによっても分かれているのが現状である。
 こうした状況が、制度の改善などを行政に対して要求する際に大きな弱点となることはいうまでもない。ADA制定の過程でも立場をこえた障害者団体の統一した行動が同法の制定をもたらした大きな原動力となったことに学び、それぞれの独自性を生かした活動は維持しつつも、すべての障害者団体が統合された場を作る必要がある。
 7.政策立案能力の獲得について
 障害者団体が統合されても自ら政策立案能力をもたなければ意味がない。従来の運動は要求項目を羅列して行政にぶつけ、あとは行政が法制度化するのを待つというスタイルが典型であったが、ADAの法案そのものを障害者自身が中心になって起草したように、今後は必要な課題については自ら筆をとって法案を策定するくらいの政策立案能力が求められてくると思われる。
 こうした政策立案能力は、ひとりひとりの障害者自身にも求められてくるであろう。当事者の中心性や障害者自身の決定過程への参加ということは、わが国においても理念としては定着しつつある。しかし、今後は単に障害をもつ者というだけでなく、障害をもちつつ解決すべき問題に対する専門性をも有する者という意味での当事者が必要とされてくると思われるからである。
 8.高等教育の保障について
 高等教育の保障という問題は、高等教育に至る過程の充実、統合教育の実現、高等教育への門戸開放、高等教育の場における支援サービス・システムの保障など様々なものを含んでいる。
 高等教育だけがすべてではないが、前述の政策立案能力を身につけるにあたっても高等教育が重要な要素のひとつであることは言うをまたない。ADAの制定も、高い専門性を有する障害者自身の厚い層によって支えられていたが、これを生み出しているひとつが高等教育の保障であることは間違いないところである。
 9.アクセスの保障について
 ADAに比較して、わが国で最も遅れているのは建物や交通機関に対するアクセスの保障である。こうしたアクセスを保障する動きは、わが国においても既にいくつかの地方自治体で部分的には現実のものとなりつつあるが、これを国の政策レベルで保障することが必要である。
 また、アクセスの保障という時には、建物や交通機関というハード面のことだけでなく、情報やコミュニケーションに対するアクセス(つまり、コンピュータを利用しやすくすることや、手話通訳の配置、字幕放送の充実、朗読サービスの提供など)ということも重視される必要がある。高度に情報化した今日の社会では、情報やコミュニケーションにおけるアクセス保障は基本的な人権の一部とさえいえるからである。
 10.アジアへの貢献について
 周知のように、ESCAP(国連アジア太平洋経済社会委員会)は、1993年から2002年までの十年を「アジア太平洋障害者の十年」とすることを定めた。わが国の障害者をめぐる状況は、欧米に比べると遅れた部分も目立つが、アジアの中では様々な意味で指導的な位置を占めており、アジアの国々からの期待にも大きいものがある。これまでの十年間は、どちらかといえば欧米の方を向いていたわが国の障害者福祉の流れを、今後はアジアにも向けていくことが必要である。
 ADAに署名する際のブッシュ大統領のメッセージでは、ADAに続く国々の筆頭に日本の名があげられているが、日本もアジアの国々に対して、ADAが日本に対して与えたのと同等のインパクトをもちうるような制度の確立につとめる必要がある。
・おわりに
 冒頭にも述べたとおり、ADAにはまだ完全には発効していない部分もあることから、その全貌や評価には定まらない部分も大きい。たとえば、連邦政府が全米10ケ所にADAに関する情報提供や訓練のためのセンターを設置し、全米障害者評議会がADA Watchという名称の、ADAの実施状況チェック機能を開始させたのも1992年に入ってからのことである。また、最近行なわれた企業に対する調査では、ADAを「よく知っている」と答えたのはわずかに14%に過ぎない(注6)。今後ともその行方について注視していきたいところである。
 しかし、わが国の障害者および関係者に真に求められているのは、ADAの法文の細かい解釈などよりは、ADAを成立させたアメリカの障害者のパワーとADAの基本精神に学び、わが国における障害者をとりまく法制度全体を見直してみることではないかと思われる。
(注1)ADAの正式な名称は「障害に基づく差別の明確かつ包括的な禁止について定める法律(An Act to Establish a Clear and Comprehensive Prohibition of Discrimination on the Basis of Disability)」(公法101−336)である。正確にいうと、障害をもつアメリカ人法(ADA)というのは、同法文中における同法の名称の引用符である。
(注2)このため、かつては公民権法を改正し、差別禁止対象の根拠に障害を追加しようとする動きが1971年および1972年にはあった。(関川芳孝「アメリカ障害者差別の判断基準」、『琉大法学』第45号、琉球大学、1990年3月、148−149頁)
(注3)障害者を雇用した場合の費用と効果に関する試算についてはADA第T章の連邦規則案(1991年2月28日、29CFR Part1630)に詳しい。
(注4)たとえば、ADAの第T章は従業員15人以上の企業に適用されるが、同様の内容が、カンサス州では従業員4人以上、ミズーリー州は従業員6人以上、ワシントンD.C.では従業員1人以上の企業に適用されている。
(注5)全米障害者評議会は、リハビリテーション法よって、その委員の3分の1以上は障害者もしくは代弁者でなくてはならないとされていたが、昨年の同法改正では、この割合が半分以上へと改訂された。
(注6)Baseline Study to Determine Business’ Attitudes, Awareness, and Reaction to the Americans with Disabilities Act, The Electronic Industries Foundation, 1992年10月 


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