アメリカにおける「障害をもつアメリカ国民法(ADA)」成立の意義について
 
     社会福祉法人 東京コロニー
      事務局次長 久保 耕造
 
 
・はじめに
 さる七月二六日、アメリカにおいて障害をもつアメリカ国民法(Americans with Disabilities Act 、略称ADA)が制定された。この法律は、ブッシュ大統領によれは「障害をもつアメリカ人のための独立宣言」、上院におけるADAの提唱者であるトム・ハーキン議員によれば「二十世紀の奴隷解放宣言」と称されている。
 ヨーロッパとならび障害者に関する制度や福祉の点で先進国と思われていたアメリカで、今日このような法律が必要なまでに制度的な不備があったのかと疑問に思われる方もおられるかもしれない。しかしながら、これまでのアメリカにおける障害者に対する権利は、リハビリテーション法をはじめとするいくつかの連邦レベルの法律や州レベルの法律によって「パッチワークのように」(「ウォールストリートジャーナル」)しか守られていなかったのである。
 本稿では、ADAの制定経過、概要、雇用問題などをとおしてその意義について考えてみたい。
一 上程に至る背景
 これまでのアメリカにおける基本的な権利保障法としては一九六四年に制定された公民権法があった。この法律のもとでは性、宗教、皮膚の色、人種、出身国などによる差別が禁じられていた。しかし、そこには障害による差別という項目は抜け落ちていた。
 この点を指摘したのが、一九八六年二月に全米障害者評議会によって発表された「自立へ向かって」であった。全米障害者評議会は、リハビリテーション法に基づき設置された独立した政府機関であり、障害者のための施策や制度が正しく行なわれているかどうかをチェックするという、オンブズマンのような組織である。
 「自立へ向かって」の中で、最も強調されたのは障害者のための機会均等法の制定の必要性であった。そして、その具体的な内容として雇用、住宅、公的機関、公共的な場所、公共輸送機関、聴覚障害者のためのテレコミニュケーションなどにおける障害者に対する差別を禁止することが提唱された。
 その後、一九八八年一月に、全米障害者評議会から、「自立へ向かって」にもられた勧告がどの程度実現されたかを評価するための「自立のはじまり」が刊行された。ここにおいて、十章から成る「一九八八年の障害をもつアメリカ国民法」が具体的に示されたのであった。
二 法律制定の経緯
 ADAが法律として正式に上程されたのは一九八八年の第百回議会であるが、この時は時間切れで審議未了のまま法律制定は見送られてしまった。
 第百一議会においては、ADAは一九八九年五月九日にトム・ハーキン議員によって上院に上程された。そして、九月七日に賛成七六、反対八の圧倒的賛成多数で可決された。 ADAは上院の通過後、一九八九年九月一二日に下院にまわされた。そして、一九九〇年五月二二日に、賛成四〇三、反対二〇の圧倒的な賛成多数で可決された。
 この後、両院協議委員会が開催され、上院および下院の異なる通過法案についての調整が行なわれた後、再度、七月一三日には上院の承認を得、そして七月二六日の大統領による署名となった。
 ADAは、このような議会の中における審議だけでもたらされたわけではない。障害者団体の一致団結した強い働きかけにより、様々な審議促進のための手段がとられた。アメリカにおいては法案制定をもたらすための一般的手法である地元選出議員に対する電話や手紙による働きかけを行なうことを、どの障害者団体もが機関誌等で訴えた。また、一九九〇年二月七日には、下院での審議の遅さに業をにやした障害者個人、団体有志八千五百人が共同で「ワシントン・ポスト」に一面を費やして意見広告を掲載した。このような、障害者団体の、障害の種別をこえた共同や連帯があったこともADAをもたらした大きな要因のひとつである。
三 ADAの概要
 ADAの主な内容は四点ある。
 第一は、詳しくは後述するが、民間企業の雇用における障害者差別を禁じ、有資格障害者に対する「必要な配慮」を義務付けたことである。
 第二は、列車、電車、地下鉄、バス等の公共交通機関における障害者差別を禁じ、これらの公共交通機関を障害者が利用できるものとすることを命じたことである。この中には、駅舎の改築なども含まれる。ただし、このことはあらたに購入するものや改造するものについて適用されるものであり、現存するものの改良を命じた内容にはなっていない。
 また、障害者が主要交通機関を利用できない場合には、過大な費用負担とならない限り、パラトランジット・サービスと呼ばれるものが義務付けられる。これは、呼び出しによるリフトバスサービスなどのことである。
 また、ADAでは、交通機関を障害者が利用できるようにするための具体的な方法については定められていない。そのため、民営のバスなどは、障害者が利用できるための最善の方法について答申が出されるまでは六年から七年間適用が猶予されることとなった。
 第三は、ホテルなどの宿泊施設、レストランなどの飲食物提供のための施設、映画館などの娯楽施設、公会堂・講堂・会議センター、パン屋などの小売り販売施設、銀行などのサービス施設、博物館などの公共展示施設、公園・動物園、私立の保育園・小学校・中学校・高校・大学・大学院、体育館などの運動・リクレーション施設、等々の民間企業体によって運営されている、不特定多数が集まる場所における障害者差別を禁じ、これらの場所を障害者が利用できるものとすることを命じたことである。
 これも、公共交通機関に対する適用と同様に、数段の階段の代わりにスロープをつけるなどというすぐにできるものを除けば、新築もしくは改築中のものからの適用となる。
 障害者が利用できるようにするという意味には、建築に関することのみではなく、障害者の利用を可能とするための機器やサービスの提供なども含まれる。たとえば、必要な資料を視覚障害者のために拡大文字やテープを用意することなどである。しかし、同時に、盲人のためにウェイターがメニューを読むなどのサービスを行なえば点字によるメニューを用意する必要はないなどという柔軟性も認めている。
 第四は、アメリカの聴覚障害者がコミュニケーションの一般的な手段としているTDD(Telecommunications Device for the Deaf)というものがあるが、これを使用する聴覚障害者と、これをもたない健聴者との間に電話会社が通訳のような形でかかわり、リレー・サービスを、二四時間、しかも通常の電話料金で行なうことを義務付けたことである。 TDDというのは電話とタイプライターを組合せたもので、タイプされた文字が電話回線をつうじて相手のディスプレーに表示されるのであるが、これにはTDDをもつ者同士の間でしかコミニュケーションできないという制約があった。ADAは、リレー・サービスによりTDDをもつ者ともたない者のコミュニケーションを可能にしたのである。
 実は、このようなサービスは、既に一七州では実施されており、別の一〇州でも実施が検討されている。しかし、いずれも資金と人員が不足しており、サービスの質は良くないとされている。
 障害者に対する権利保障といえば、その他の面でも様々に保障しなければならないことがあるが、上記の四点以外は既に他の法律によって差別禁止や権利保障がなされているとして、ADAでは、こうしたものについて、あらためては規程していない。
 たとえば、ADAの当初の提案段階では含まれていた住宅に対する差別禁止は、その後一九八八年に公正住宅法の改正がなされたことで削除された。また、一九八六年に航空機アクセス法が制定されたことでADAの公共交通機関における差別禁止の対象から航空機は除かれている。リハビリテーション法の対象となっている政府機関あるいはインディアン部族などもADAの対象とはなっていない。
四 対象となる障害者
 ADAの対象となる障害者の定義は、@個人の主たる生活活動のひとつ以上を著しく制限する身体的・精神的障害をもつ者、Aこのような障害の経歴をもつ者、Bこのような障害をもつとみなされる者(ここには、重い火傷による後遺症などが含まれる)、となっている。これらは、リハビリテーション法おける障害者の定義そのものであるが、障害の種別を制限列挙するわが国の定義の方法とは際立った違いをみせている。
 また、ADAではエイズ患者もしくはエイズウィルス感染者は対象者とされたが、不法薬物の使用者は除外されることとなった。
五 対象となる企業
 ADAの対象となる企業は、一年に二〇週以上の就労日があり、各就労日に従業員二五人以上を有する企業となっている。しかし、法律発効後二年を経過した後は従業員一五人以上の企業に適用される。ADAの雇用に関する章は法律制定後二年後に発効することになっているので、結局は、法律制定後四年を経過した時点からADAは従業員一五人以上の企業に適用されるということになる。
 逆にいうと、従業員一四人以下の事業所ではADAの適用は受けないわけであるが、割当雇用という制度化の根本的な違いはあるものの、わが国において法定雇用率が従業員六六人以下の事業所には適用されないという点とは数字のうえで大きく異なっている。この、最終的には従業員一五人以上の企業を対象とするという点は、前述の一九六四年公民権法の雇用における差別禁止をうたった部分と同一の対象規程である。
六 有資格障害者と「必要な配慮」
 企業に応募してきた障害者が、求める仕事における必須職務をこなせる能力を有している場合、その障害者は有資格障害者と呼ばれる。ただし、ここでいう有資格とは、証明書が発行されるというような意味での資格ではない。ADAのもとでは、このような有資格障害者に対しては、企業は障害を理由として雇い入れを拒否することはできない。たとえば、ある企業の経理担当者募集に対して簿記の資格をもった盲人が応募してきた場合、企業は盲人であるからという理由で雇い入れを拒否できないのである。
 仕事における必須職務をこなすことができるとはいえ、障害者を受け入れる以上は何らかの改変措置をとる必要がある。これが「必要な配慮」と呼ばれるものである。具体的には、仕事の再編成、変則勤務体制、空位の地位への任命変更、機器または装置の取得または改変、試験・訓練教材または方針の調整または変更、視覚障害者や聴覚障害者のための有資格の朗読者または通訳の提供などを意味している。つまり、「必要な配慮」とは障害者受け入れのための、ハード、ソフト両面での対応策を意味しているのである。
 ただし、こうした「必要な配慮」をとることが、企業にとって「重大な支障」となることが証明される場合は、有資格障害者の雇い入れを拒否することも不可能ではない。「重大な支障」とは、ADAの法文においては「著しい困難または出費」となっているが、詳細については事業の種類・規模、「必要な配慮」に要する費用などによるという以上には細かくは定義されていない。
七 リハビリテーション法との関連
 ADAで定められている、有資格の障害者に対する障害ゆえの雇用の拒否の禁止や、有資格障害者に対する「必要な配慮」の義務付けは、従来もリハビリテーション法五〇四条によって定められていた。ただし、その対象者が、政府機関、政府機関から補助金を受けている事業、政府機関との間に年間二千五百ドル以上の契約をもつ企業に限られていたのである。言い換えれば、ADAの雇用に関する規程というのは、リハビリテーション五〇四条の内容を、公民権法の雇用における差別禁止の対象としている範囲にまで拡張したものであるということができる。
 障害者の対象範囲においては、前述のように、不法薬物の使用者が対象から除外されたが、これはリハビリテーション法の障害者の定義とは異なるものである。その結果、ADAの制定にともないリハビリテーション法の障害者の定義が改訂されることとなった。部分的とはいえ、リハビリテーション法の障害者の定義が改訂されることは初めてのことである。
 また、リハビリテーション法のもとでは、一九八六年から援助付き雇用の制度が開始されている。これは、従来の「訓練から雇用へ」という図式を、「雇用してから訓練」という図式に転換させた制度である。近い将来、この援助付き雇用とADAの雇用に関する規程とが結びつきアメリカにおける障害者の雇用が促進される可能性は高いといえるであろう。 さらに、リハビリテーション法五〇八条によって定められたエレクトロニクス・アクセシビリティの保障により、障害者に対応したハイテク機器の導入が「必要な配慮」として認められ、障害者の雇用促進が図られるであろう。
・おわりに
 ADAのもとで民間企業にまで適用されることとなった、有資格障害者と「必要な配慮」という考え方に基づく障害者雇用制度は、機会均等と自由な競争ということを社会の根本原理とする多民族国家ゆえにもたらされた制度であるということができるであろう。もうひとつの成因は、こうした競争原理に応えることのできる有能な障害者の厚い層がアメリカには存在するということであろう。この点には、彼我の大きな差を感じさせられる。 また、雇用以外の面においても、ADAが交通機関や公共的スペースにおけるアクセスを義務付けたことなどには、この点においてはわが国はまだ「途上国」であることを思い知らされるばかりである。
 ADAの動向にはわが国の行政も強い関心を抱いていることでもあり、この際、ADAに学び、権利保障や差別禁止という観点から、わが国における障害者関連の法制度を点検してみる機会とするのもよいのではないだろうか。

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