こだま 2006年4月号(第335号)


目次
視点・・・1
手をつなごう全ての視覚障害者全国集会が開催されました・・・4
西武デパート交渉に参加!・・・6
りそな銀行に行きました!・・・8
田辺光男氏を偲んで・・・10
「小笠原航海記」(その1)・・・12
教養講座 「弱視児としての幼少年期−15年戦争時代の記憶−」に参加して・・・17
(連載27)−OCRではじめて自動点訳したのは『特許公報』だった−「公表できなかった実験」(その1)・・・20
情報アラカルト・・・23
ありがとうコーナー・・・25
事務局だより・・・26
日程情報・・・27

視点
 政府の提出した高齢者、障害者等の移動等の円滑化の促進に関する法律案(いわゆるバリアフリー新法、以下法案)の国会審議が来週にも始まります。今回は、この法律について考えてみたい。
 2000年5月に成立、同年11月15日に施行されたいわゆる交通バリアフリー法には、5年後の見直しが書かれている。この見直しを機に同法といわゆるハートビル法をひとつにまとめたのが法案だ。
 法案は、(1)これまで鉄道駅を中心に決めなければならなかった重点整備地区を、必ずしも駅を含まなくともよいことにしたこと、(2)バリアフリー化を進めるための基本構想の策定を担う協議会制度を法律で定めたこと、(3)住民等からの基本構想の作成、提案、制度を創設した点で前進が見られる。これらのことは、駅ホームからの転落事故防止をはじめとする私達障害者の運動の反映ではないだろうか。行政と事業者まかせでは、バリアフリー化やユニバーサル社会の実現は来ないことを国が認めたということではないだろうか。
 しかし、手放しでは喜べない。法案が成立・施行されても、視覚障害者の安全な移動、安心な歩行の推進には、大きな疑問符がつく。
可動式ホーム柵設置の規定はどこにもない。ホーム要員・有人改札・みどりの窓口などの確保、エスカレーターへの点字ブロックによる誘導など駅利用の安全を確保しようという明確な対策がない。点字ブロックをはがしたり、車椅子用客室をつぶして転用しても明確な法違反とならない欠陥は是正されていない。法案に基づく整備推進への予算措置がはっきりしない、バリアフリー化の主体がもっぱら市町村に任され、国の責任が見えてこない。障害者等の移動の円滑化の内容が政令や省令を見なければまったく見えない。
 全体として法案は、私達障害者の移動の円滑化の方向を向いていると言える。しかしこれは、私達の願いを正面から受け止めて推進しようというものではない。法案の政党シンポジウム(DPI主催、4月5日)の席で、自民党の代表は、「障害者の気持ちはよくわかるが、昔よりはよくなっていることを見て欲しい」と発言した。
 まちづくりは、民主主義の具現化である。それは、誰もが安心して歩ける、自由に移動できる街・社会を実現する運動ではないか。視覚障害者の願いを法案審議に生かして欲しい。東視協としても、そのことを国会にぶつけていこうではないか。
(編集委員 山城 完治)

手をつなごう全ての視覚障害者全国集会が開催されました
南部 田中 章治
 2005年度後期の手をつなごう全ての視覚障害者全国集会が3月13日午前9時から午後4時まで開催されました。
 まず厚労省ロビーに集合し開会集会の後、班分けを行いました。今回の交渉・懇談先は厚労省(福祉関係)、総務省、日本郵政公社、西武デパート、りそな銀行、民主党、日本共産党、社会民主党で6班に分かれて交渉・懇談を行いました。なお、各政党とは「無免許マッサージの取り締まり問題」などについて懇談しました。
 午後は東京都障害者福祉会館に場所を移し、「憲法九条学習会」と要請行動報告会を実施しました。今回の集会への参加者は全部で56名でした。
 憲法九条学習会は「21世紀をリードする日本国憲法第九条」のテーマで川村准夫氏(憲法会議事務局長)の講演がありました。講師のお話で特に私が印象的だったのは次の3点でした。
 (1)太平洋戦争敗戦当時の日本人の平均寿命は男23.7歳女32.3歳でした。
 (2)戦争を違法とする世界の流れがあること、イラク戦争を進めるブッシュ、これに追随する小泉は世界の少数派ある。世界は日本の憲法九条に注目している。
 (3)世論調査では九条支持が根強くある。毎日新聞05年10月5日付けによると、「今の憲法を変えることについて」「賛成58%」、「反対34%」。しかし、憲法九条を変えるべきかについて、「変えるべきだ30%」、「変えるべきではない62%」となっている。
 以上、たいへん有意義な学習会となりました。

西武デパート交渉に参加!
北部 杉田 直枝
 デパート交渉は、「手をつなごう集会」では初めての交渉です。
 障害者に対して、社員の給料から、ワンコイン(500円)の募金を呼びかけたり、デパートの地下入口付近に、大きな募金箱も、置いてありました。
 何人かの「ハートフルアドバイザー」がいて、いろいろな障害者に対応されているそうです。
 また「コンシェルジュ」のサービスを利用して、買い物のお手伝いをしてもらいたい時、前もって電話予約します。その際、時間や買い物の内容をあらかじめ伝えます。そうすると丁寧に対応してくれるとのことでした。ただし、入口から案内カウンターまで誘導ブロックはないそうです。改札口までの送り迎えをして欲しいと質問しましたが、勤務中に社員は外に出られないので、駅との連携がうまく行くようにしたいと話され、今後の課題となりました。
 また、障害者の利用が、昨年と比較すると、倍以上の利用になっているそうです。
最後に、これからも色々な問題について、前向きに取り組んでいきたいと言われました。

りそな銀行に行きました!
北部 織田 洋
 手をつなごう集会のりそな銀行交渉は6名、それも男ばかりで行って来ました。銀行は大手町にあり、あまり行かないところなので、ちょっとうきうきしながら出かけました。
 今回の交渉は、いつも行っている行政ではなく、民間それも日頃よく利用するところということで、銀行を選んだようです。
 りそな銀行は公的資金の借り入れがあるので、十分なサービスはまだできない、という挨拶で始まりましたが、ひとつひとつ話を進める中で、以下の成果がありました。
 視覚障害者対応のATM機設置については、この秋より生体認証式のATM機を各店舗に最低1台は設置するので、その際にハンドセット(テンキー受話機式)を併用したものをつけたい。また、将来的にはATM機のあり方が変わるかもしれないが、すべての店舗のすべてのATM機を生体認証式に切り替えたいのでその際はすべてハンドセットに変えるとのことでした。また、点字による入出金案内はすでに行っており、一層の充実を図りたい、視覚障害者への代筆についてはマニュアルがあり、代筆を断ることはないとのことでした。誘導ブロックの敷設については、店舗の改装などの時に設置していきたいので、要望を出して欲しいとのことでした。
 りそな銀行を含め東視協では、三菱、三井住友、みずほの各銀行へ話し合いに行きましたが、おおむね視覚障害者への対応はよくなっていると思いました。これは一昨年来の国会質問(佐々木憲昭氏、日本共産党)によるもので、全国銀行協会会長が視覚障害者への対応を約束したことが大きく影響していると思いました。しかし、各店舗では相変わらず代筆拒否などのトラブルが起きています。そのたびに本店と交渉するなどひとつひとつを解決していかなければ全体のものにはならないというのが実状です。
 皆さん、銀行や郵便局でのトラブルが発生した時は、ひとりで泣き寝入りしないで事務局に相談してください。

田辺光男氏を偲んで
 ※先月号でもお知らせしましたが、3月5日に当会で長く活躍された田辺光男さんが亡くなられました。ここに改めてご冥福をお祈り致します。田辺さんと八盲同窓会などで活動された福田謹一さんに田辺さんを偲んでいただきました。※
西部 福田 謹一
 平成18年3月8日、中野区の江古田斎場に私はいた。この日午前11時から始まった田辺氏の葬儀が行われたからだ。読経を聞きながら先輩田辺氏との関わりに思いをはせていた。
 私が小学生時代、彼は専攻科生であったが寄宿舎での生活はまさに家族関係に近いものがあった。彼は正義感の強い人という印象で私達小さな子にもやさしく接してくれた。その田辺氏とは卒業後は同窓会の役員として、年に1度発行される会報の編集委員、あるいは会長、副会長としてなど30年余りの関わりの中、彼の人となりを一層知ることになったのだ。
 奥様からの感謝のご挨拶の中に、「夫は穏やかな性格でいつもにこにこしていた」とあった。確かに私も彼が声を荒げて話されたのを聞いたことがない。また「夫は平和を願い」とも言われた。もう四半世紀も前から八盲の同窓会会報には視覚障害者の戦争体験の原稿を、できるかぎり毎回載せるようになっているが、その提案者は田辺氏である。さらに「音楽を愛し」とも言われ、その会報にテープ版を加え、やはり25年余り前から発行しているが、その音楽を担当され、それぞれの原稿に合わせたユニークな音楽をいつも選ばれていた。
 奥様は最後に「今そこにいて、これからも仲良く生きていこうね」と話していたのにと声を詰まらせておられた。そう、彼は母校の同窓生である生熊正人氏が平成16年の7月に亡くなられたが、その同じ年の秋に腎臓癌が見つかり入退院を数度行っていた。今回もこの2月初めから入院され、退院したばかりの3月5日の夜、入浴中に亡くなられたのだった。まさに奥様としては、とても信じがたいことだったにちがいない。察するに今回の入院を控えた1月末、「今回はインターフェロンの治療になるんだけど、みんなが副作用が強いって脅かすんだよ」と、また、「今年の総会には行けると思うから」と電話を下さったその声を忘れられない。まったく人の命は儚い、しかし、彼の思い、思い出は私たちの心で、いつまでも生き続けるのだ。合掌。

「小笠原航海記」(その1)
南部 伊藤 常雄(JBSA東京)
 私は3月8日から21日まで、大阪市所有の帆船「あこがれ(総トン数300トン)」に乗り、大阪南港発、小笠原父島、そして大阪南港着の航海をしてきました。
 行き帰りとも大しけに見舞われ、船は怒涛にもてあそばれ、ローリング・ピッチングともに激しく、左舷51度・右舷45度の傾きを記録し、甲板を波が洗い、波しぶきがブリッジの窓に叩きつけるという状況の中、訓練作業生活をしてきました。デッキ上では風に押され、足元を波が行き来するなか、少し恐怖心に襲われながら、ライフラインにしがみつき帆を張ったり下ろしたりしていました。
 船の操縦もさせていただきました。視力障害者の私はアシスタントをつけていただき、計器類を読み上げてもらいながら行いました。船というのは水の上に漂っているようなものですから、ハンドルを回してもすぐに舵は効きません。そのかわり曲がり始めたら、舵をすぐに元に戻さないと、同じところを回ってしまいます。そのように自動車とはちょっと違ったところがあります。
 船内では船酔いする者が続出し、三日ぐらい食事が取れない人も何人かおりまして、私と薬剤師のトレーニーの二人で治療にあたりました。
 食事は、普段は食堂で家庭と同じような内容のものをいただくのですが、今回は何回か、おにぎりと手で持って食べられるようなものだけで我慢しなければなりませんでした。揺れる体をテーブル・イスにホールドしながら容器を抱え込み、胃の中に流し込むという時も数度となくありました。ベッドに横たわっておりましても、楽をできず無意識に突っ張っていることもありました。夜中に起こされタックを換えたり、朝6時に、たたき起こされ船の横流れを防ぐため、劣悪な状況の中、帆を移動する作業もかせられました。そんな時は普段穏やかな船長も、声を荒立て叱咤激励し、異様な緊張感の中、作業が行われました。
 ある日のこと、仕事をしているとデッキで固まっているトレーニーを見つけました。私は夢中で声をかけました。「君、何をしている」。怖いのか相手は無言でうなずきました。私は叫んでいました。「船長を信じなさい。そうすれば何も恐れることはないはずだ。私のヨット経験から言えば、自分の反対側にいる人間が足元に見えている時でも45度以下の傾きしかない。この船のスタビリティーは75度と聞いている。まだ十分に余裕がある。」と、たしなめるように言ったところ、相手は再びうなずき、よろよろとしながらも自分の持ち場に戻りました。私自身、そういう事で弱い魂にカツを入れていたのでしょう。皆が緊張の頂点にいました。
 海はとても気まぐれで、突然ふと穏やかな顔を見せる時が時々あります。そんなときは皆甲板に繰り出してきます。日向ぼっこをしながら談笑をしたり、運動会をしたりします。大の大人が子供に帰ったような表情になり、いくつかの種目に打ち興じている姿は、なんともほほえましいものです。思い出したように、たまった洗濯物を抱えて、船内に二つしかない洗濯機に走っていく人もいます。海上では真水は大変貴重なものです。洗濯はまず洗濯槽に水をため、洗剤を入れ、回します。終わったら脱水機に入れます。再び洗濯槽に水をため、流しっぱなしにしないで、すすぎをし、脱水機に入れたら出来あがりです。洗剤のニオイが、きつく残りますが仕方ありません。後は乾燥機に入れるだけです。色々な所にある蛇口には手を離すと自動的にしまる形式のものが着けられています。トイレの便器に流す水は海水です。あこがれにはシャワーしかありませんが真水を節約して使います。船員さんは心得たもので、この時を逃さずと、甲板に人が入れるくらいの箱を設置し海水をエンジンの廃熱で温めたものを注ぎこみ、潮騒温泉を開店します。お湯にゆったりと浸かれるのは何よりの喜びです。それに見渡せば360度の大パノラマ。紺碧の海と抜けるような真っ青な空が果てしなく広がっています。時が過ぎればサンセット、水平線に傾いた太陽がすべてを茜色に染め上げます。それを過ぎたら満天の星の大舞踏会が開催されます。これ以上贅沢な露天風呂はなかなかないでしょう。でも、潮騒温泉は航海中、悪天候が続いたため、たったの1回しか営業されませんでした。(次号に続く)

教養講座 「弱視児としての幼少年期−15年戦争時代の記憶−」に参加して
西部 栗山 健
 このテーマは、昨年から要望が出ていて、私もとても期待していました。私は、先天性の弱視で、終戦の年(昭和20年)に北朝鮮から引き揚げてきたのですが、両親は戦争のことは話したがらないまま他界してしまいました。
 講師の大嶋康夫さんは、日本軍が満州へ侵攻を始めた1931年に埼玉県・秩父に生まれ、幼い頃病気で弱視になられたそうです。
目が悪いことを理由に就学が1年遅れたこと、本は30p離して読まなければならなく教科書は読めなかったこと、「メッカチ」・「ゴクツブシ」などと言われたこと、戦歌をよく歌ったこと、戦争は「連戦連勝」の情報ばかりだったこと、成績が優秀でも体が悪ければ不合格にされたこと、国民学校高等科になると工業や家畜の飼育が仕事になったこと、学童疎開(縁故疎開、集団疎開)が始まると、夕方になると寂しがって泣く子がいたこと、空襲が激しくなると八王子方面などの空が赤くなったりドーンという爆音が聞こえたこと等を話していただきました。参加者からは「服装はどんなものを着ていたか」「どんなものを食べていたか」などの質問がありました。
 私は、講師が「当時、本当のことを(事実を)知らされていたらどうなっていただろうかと思う」という言葉に、真実を学ぶことの大切さと平和への思いを強く感じました。
翌日(3月27日)は、「中国侵攻をやめよ」という国連の勧告を受け入れず、日本が国際連盟を脱退した日でした。

(連載27)−OCRではじめて自動点訳したのは『特許公報』だった−
「公表できなかった実験」(その1)
北部 長谷川 貞夫
 昭和50年10月頃、電子技術総合研究所の電子計算機室長であった矢田光治氏と都立工業技術センターの平塚尚一氏が附属盲学校へ来られ、当時の汎用コンピュータで技術開発する具体的テーマがないかと尋ねられた。
 平塚氏は5月に附属盲学校を訪ね、すでに点字プリンターの試作を志していたが、まだそれは組み立てられていなかった。
 そこで私は、当時コンピュータを最も利用した印刷法であった電算写植に用いられている磁気テープで点字本を作る、自動点訳印刷の実験を行ないたいと申し出た。
 昭和48年の実験はコンピュータが小規模で、また自由に使えないなどの制約があり、ごく短い文章だけの実験に留まっていた。
 点訳に用いる磁気テープは、コンピュータ用のオープン磁気テープで、その幅は当時のオープン録音テープの幅よりずっと広かった。しかも、9トラックで、テープの直角方向に文字などのコードが記録されていた。
 1巻の直径は7インチであった。
 点訳用のテープデータは、国会図書館電子計算課と東京JPから提供を受けることができた。
 前にも述べたが、この両者は私に非常に協力して下さっていた。
 国会図書館からは、『当用漢字音訓表』のほか、『国会図書館図書目録』の一部分も提供された。
 東京JPからは、『坊っちゃん』(夏目漱石)、『若きヴェルテルの悩み』(ゲーテ)、『脳のはたらき』(千葉康則)、『トランジスタの誕生』(菊池誠)など多数あった。
 ただ、これらの磁気テープを自動点訳し、紙テープの点字コードにするのであるが、小さな単行本でも直径約20センチの紙テープで数巻になる。
 これを岡崎式点字データタイプライターで印刷するのだが、なにしろ毎秒3〜4マス程度の印刷速度であったから、非常に時間がかかり待ち遠しいものであった。
 その頃、当分の間は漢字を含む日本語OCRは無理とされていたので、電算写植印刷により通常の本を印刷に用いるデータから、直接自動点訳するというのが私のアイディアであった。そして、何冊もの本について、六点漢字を用い実験することができた。
 このように電算写植から自動点訳ができるようになると、次はまだ無理と言われるOCRで、紙に書かれた文字から直接、自動点訳を行なう方法を模索するようになった。
 何といっても、これこそが本当の自動点訳だからだ。

情報アラカルト
 1.音声付地球儀「ニューオデッセイグローブ」は、付属のペンで触れた国の情報などを音声で教えてくれる地球儀です。国の情報は首都・人口・面積・通貨・代表音楽などです。子供から大人まで遊びながら、世界の国々を学べます。大きさは幅24.5cm、奥行30cm、高さ34cm、単2乾電池4本使用、価格2.625円、百貨店の文房具売り場や、大型おもちゃ店「トイザらス」で購入できます。また送料負担すれば取り寄せ可能、お問い合わせは学研「トイホビー」 03−3493−3301まで。
 2.ガイドヘルプサービスの紹介:昭和記念公園では、公園まで行かれる人に限り、ガイドヘルプサービスを利用できます。なお、付き添いの同伴も可能です。実施日時は、毎週土曜・日曜の午前10時から午後3時まで(受付は午後2時)。1回の利用時間は2時間程度。利用料金は無料です。ただし他のことについては有料ですが、入園料は身障手帳を提示して無料です。待ち合わせ場所は、公園西立川口ゲート内「ガイドデスク」です。視覚障害者の場合は、JR青梅線西立川駅ホーム・改札でも出迎えていただけます。申し込みは利用希望日の三日前までに、専用ダイヤル042−528−1867までお願いします。団体利用、土・日以外の利用についてもご相談ください。
 3.事業委員会からお知らせ:昨年の秋から取り組んできたチョコレートの販売は、今期は終了しました。お茶とともに皆さんの大きな協力により、すべて完売です。おかげさまで本会計に32万円納めることができました。本当にありがとうございました。

ありがとうコーナー(省略)

事務局だより
 1.青い鳥福祉はがき無料配布の申請受付は、4月3日から5月31日までです。障害者手帳を持参し、もよりの郵便局で申請用紙を提出(代筆OK)すれば、切り欠き入りはがきが無料で配布されます。ぜひ申請してください。
 2.都営地下鉄新宿線の号車・ドア番号の点字表示が3月末までに改善されました。田崎博芳さんの指摘に基づく交通局要請などによって実現しました。
 3.東視協の第40回総会議案の印刷・発送作業を例年通り4月29日に行います。封筒づくり、印刷、発送の作業にご協力をお願い致します。なお、会で昼食を用意します。参加される方は事務局までご連絡ください。

日程情報
(4月10日から5月28日)
4/10(月) 障全協各省交渉 同「手をつなごう全ての視覚障害者全国集会」JR東日本本社要請
4/12(水) 障館相談(担当・山城完治) 同こだま4月号テープ版ダビング発送
4/13(木) こだま4月号活字版発行、事務局作業
4/15(土) 事務局作業 同「ステッキーズ」レッスン
4/16(日) 東視協役員会 同女性部例会 
4/17(月) 将来像委員会
4/19(水) 障館相談(担当・鈴木彰)
4/20(木) 事務局作業
4/22(土) 事務局作業 同霞ヶ関など駅点検 同青年学生部例会 同会員拡大会議
4/23(日) 教養講座「食酢の文化と味わい・選び方」
4/26(水) 障館相談(担当・栗山健)
4/27(木) 事務局作業 同まちづくり委員会
4/29(土) 総会議案印刷・発送 同こだま編集委員会
4/30(日) 女性部バーベキュー
5/1(月) 障害者メーデーに参加、午前8時45分原宿駅渋谷寄りホーム待ち合わせ
同点字民報編集委員会
5/2(火) 雇用をすすめる会
5/3(水) 障館相談(担当・織田津友子)
5/6(土) 事務局作業 同「ステッキーズ」レッスン(予定) 同東部ブロック会(予定) 同北部ブロック会
5/7(日) 南部ブロック平和行進に参加
5/10(水) 障館相談(担当・山城完治)
5/11(木) 事務局作業
5/13(土) こだま5月号点字版発行 
5/14(日) 「かーなづーち」レッスン
5/17(水) 障館相談(担当・鈴木彰) 同こだま5月号テープ版ダビング・発送(予定)
5/18(木) こだま5月号活字版印刷・発送、事務局作業
5/20(土) 事務局作業
5/21(日) 東視協役員会
5/24(水) 障館相談(担当・栗山健)
5/25(木) まちづくり委員会
5/27(土) 事務局作業 同青年学生部例会
5/28(日) 教養講座「田端文士村記念館見学、同文士村散歩」