ホーム > みみっと > 震災特集 > 平成23年 4月12日:初稿

(社)全難聴東日本大震災全難聴災害対策本部挨拶

事務局長 佐野 昇

 この度の大震災で被災された皆さまにお見舞い申し上げます。また、親族や親戚、友人、知人が亡くなられた皆さまに心からお悔やみ申し上げます。

 3月11日午後2時46分、遠く500キロも離れた静岡県内でも、5分間という長い時間に大きな揺れが続きました。2分ほど前に緊急地震速報が流れました。幹線道路を外れた市道に車を停止しました。5分間がとても長く感じました。その間には、停電となり、建物から出てくる方も大勢いました。当地の震度は分かりませんが、ついに東海大地震かと思った事は事実です。更に15日静岡県東部富士宮を中心に震度6強という強い揺れがありました。この時は、揺れは非常に強かったのですが、1分と連続しなかったように思います。4月1日に東北道を福島県内に入ると屋根の棟瓦を中心に被害が目に付き、富士宮や私の住んでいる地区の被害と同じようでした。

 さて、全難聴では、11日発災時には、職員が泊まり込みの退避となりました首都圏の交通網も大混乱でした。新幹線もストップしました。

 翌日から東北各県の津波による被害や福島原発の爆発や放射能漏れが判明し、その後徐々に、一日一日被害の甚大さが判明してきました。

 そのような情況の中で、全難聴事務所を拠点とする被災地協会への安否確認の依頼を進めました。また、被災地協会役員さえも被災されている方や職場でのライフラインが寸断されているなか、どこも復旧に大変な困難、労苦をされているようでした。そのため、安否確認は全難聴事務所で協会から提出いただいた名簿を元に調べました。 また、機関誌購読者名簿を基にした安否確認も行いました。

 3月25日は、対策本部として会議を招集し、対策を練りました。募金、支援物資、本部組織等の決定と長期化が避けられない現地支援の方策を検討しました。その頃、みやぎ・せんだい中途失聴難聴者協会では、独自に支援活動を開始する等、奮闘をされていて、本部長の高岡理事長の仙台入りについて打診がありました。理事長の決断の元、被災現地に理事長が高速バスで入るなら、支援物資や今後の支援体制の構築や被災現地の情況把握も必要との判断から、急遽本部から4名で被災地協会に支援に行くことに決定しました。

 4月1日夜出発し、福島県安達太良パーキングで夜明けまで待機し、燃料補給もして、仙台に入りました。

 みやぎ・せんだい協会、岩手県協会、福島県協会に支援活動のさしあたりの支援金として持参し支援物資とともにお渡しできました。

 今後も、第2次、第3次と現地協会対策本部と相談しながら、継続して支援活動を進めて行きます。
被災された皆さまも、東日本全体に、全国に広がっています。今こそ国難ともいえる大震災から復興に向けて、息長い闘いになるでしょうが、頑張ろう全難聴、頑張ろう難聴者の心意気で、できる限りの支援をしていきます。

被災地の皆さまも、頑張りましょう。



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