被災地障がい者支援センターふくしま
活動の報告と今後の課題と提案

地震・津波・原発の三重苦に翻弄される障がいを
持つ福島県民の支援を通して感じたこと
被災地障がい者支援センター
代表白石清春


被災地障がい者支援

避難区域となった飯館村の桜
避難区域となった飯館村の桜の写真


活動経過報告

大震災直後の動きと支援センターの
発足と、今までの活動


3.11東日本大震災が襲い@

大震災当時、私は郡山市内の総合福祉セン ターの3階にいた。携帯アラームが鳴った直後、 激しい揺れが襲う。普通の地震はすぐに収まる のに、今回の地震は非常に長く、それも徐々に 激しさを増していく。「これでもう終わりかな」と 思った。本震が終わっても次から次へと大きい 余震が襲ってくる。エレベーターは止まっている。 ヘルパーさんとお客さんに手伝っていただいて、 1階まで降りる。


3.11東日本大震災が襲いA

あいえるの会(私が理事長を務めている)で運営し ている生活介護事業所わーくILへ行けば、棚がいく つも倒れて足の踏み場もない状況。電動車いすで あいえるの会事務所に向かう。倒壊した家はな かったが、ブロック塀が倒れ、屋根の瓦が落ちて道 路に散乱している。あいえるの会事務所に行けば、 食器棚が倒れ、机の上からパソコンなどが落ちて いる。
雪が激しく降っていて、余震も続いているので、早 めに家に帰る。部屋の中の荷物が多少散乱してい るが、どうにか入ることができた。電気はどうにか つながっていたが、水道が止まってしまう。電話も かからない状態が続く。


3.11東日本大震災が襲いB

あいえるの会の利用者たち、障害者福祉センターへ避難
あいえるの会の利用者たち、障害者福祉センターへ避難した写真

今回の地震で、家の荷物が散乱した り、ガソリン不足のためにヘルパーの 派遣が難しくなった障がい者に、一般 避難所だった障害者福祉センターへ 避難していただく。あいえるの会の職 員らが3交代で介助にあたる。 多い時で30名の障がい者が障害者福 祉センターに避難していた。


被災地障がい者支援センターが立ち上がる

3月18日の朝に支援物資を持って 滋賀と大阪から2名の方がみえる。 ゆめ風基金の八幡さんから福島に も支援センターを立ち上げてほしい という要望あり。

運ばれてきた支援物資を手にする写真

3月19日に福島県自立生活センター協議会、きょうされん福島県支部、ALS協会 福島県支部、相談支援事業所ふっとわーくの4者が集まり、被災地障がい者支援セ ンターふくしまの活動を始める。


まずは支援物資を運ぶことから

全国各地からぞくぞくと送られてくる支援物資を一番困っている 障がい者のところへ運んでいこ うということになり、相馬市のひ まわりの家と、いわき市のけやき 共同作業所に中継拠点になって いただいて、支援物資を運ぶ活 動を行っていく。 それぞれの物資の拠点は、その地域の情報の拠点となっていること。

ぞくぞくと送られてくる支援物資


支援センターの事務所開設式

4月6日新事務所へ 障がい者制度改革推進会議の東室長、JDFの小川会 長らがみえる

3/19より、NPO法人あいえるの 会事務所に拠点を置いて、活動を 行ってきたが、活動人数が多くなり、 支援物資もたくさん届くようになり、 新しく事務所を構えることになる。 2度目の引っ越しで、現在の桑野 の事務所に落ち着く。

支援センターの事務所開設式の様子


きょうされんのボランティアさんが来る

きょうされんのボランティアの協力により、福島県内の 避難所を回る

きょうされんの全国の仲間たち が多い時は20名ほどが、支援 センターのお手伝いをというこ とで、交代で来るようになる。 避難している障がい者の所在 確認とニーズ調査を行う。 避難所の床には横になれずに 車いすに乗ったまま10日以上も いた方、お風呂に1か月も入ら なかった方、自閉症のわが子が騒ぐので、避難所に入れずに、避難所の駐車場に 車を止めて、車の中での生活をしているご家族などがいた。

きょうされんのボランティアさんが来る


第一次避難所周りの調査結果

          被災地障がい者支援センターふくしま
    チーム数 参加者 訪問
件数
避難所 社会福祉
事業所
行政 面談 人数
第一次
避難所
4月5日 7 14 10 29     7 7
4月6日 6 13 6 9     6 6
4月7日 5 21 21 17     8 18
4月8日 5 18 26 21 1 4 12 13
4月9日 5 18 25 23   2 7 17
4月10日 2 17 6   6   3 3
4月11日 7 15 28 27   1 4 10
4月12日 4 17 14 11 3   10 10
4月13日 3 10 15 15     3 3
4月14日 4 17 16 14   2 14 14
4月15日 4 10 17 14   3 3 3
4月16日 2 4 9 9     5 5
4月17日 3 6 10 9 1   3 3
57 170 221 198 13 10 85 112

*4月6日時点避難所238か所4月14日時点203か所4月22日時点1 73か所


南相馬の支援活動

原発事故の影響から、人口が7万人あった南相馬市は一時1万人まで減ったが、 現在は5万人ぐらいまで戻ってきているという。南相馬市で踏ん張って、知的障が い者等にサービスを提供している「ぴーなっつ」に支援物資を運ぶ。南相馬市には、 原発の近くということもあり、開いていない事業所が多く、「ぴーなっつ」に在宅の障がい者が集まってくるようになり、支援センターのボランティアさん(きょうされん)が職員の補佐をしている。

さらに原発の事故が拡大した場合に、障がい者や高齢者の避難計画の策定を作る ということになる。支援センターとしても在宅障がい者の所在確認を行いたいという意 向があり、お互いの利害が一致した形で、支援センターのボランティアさんが(きょうさ れん)障がい者の家庭を一軒ずつ回っての訪問調査活動を行っていく。 個人情報保護の厚い壁があって、なかなか行政からの障がい者の名簿提出がまま ならない状況下、南相馬市が唯一名簿提出を実行した行政となる。


支援センターに相談支援体制が確立

福島県相談支援充実・強化事業により

福島県の協力により、あいえるの会に委託された形ではあるが、6月1日から支援セ ンター内に相談支援員が張り付くことになり、福島県内の被災障がい者の相談の情 報が集中して集まり、支援体制が迅速に取れるようになってきている。 相談支援員のほかに、支援 センターの事務局員として2 名の若い障がい者が働いて いる。 その他に、和田事務局長は 午後2時から、穴沢事務局次 長、岡部事務局次長は不定 期に支援センターに来ている。 さらに強力助っ人として、とある相談事業所のS氏が来て くださっている。

強力助っ人として、とある相談事業所のS氏が来て
くださっている


在宅の重度身体障がい者を探し求めて

支援センター代表である白石の旧友の古井正 代さんが、大阪からはるばる応援に駆けつける。 あいえるの会で運営する生活介護事業所に寝泊 まりし、3週間にわたって応援活動を行う。

電動車椅子の女性

郡山市内の大規模避難所での聞込みの結果、 その避難所のリーダー格のドクターが、避難所で の生活で高齢者や障がい者は命を落とすことに なりかねないと、当時避難所に100名ばかりいた 高齢者等を病院や入所施設に送り込んだという 情報が入る。


入所(支援)施設巡り

自立生活センターの仲間たちと

大震災前に、在宅で生活していた重度の身体障がい者は、この大震災に遭って、 いったいどこに行ってしまったのか。第一次避難所を回っても、重度の身体障がい者 は見かけなかった。 ともかく入所施設を回って 見ようということになり、大阪からみえられた古井さん、 福島市、いわき市、会津若 松市の自立生活センターの 仲間たちと入所施設を巡っ て、避難してきている障がい 者がいないかどうかを調査 してきた。

入所施設を巡り、避難してきている障がい者がいないかどうかを調査


避難区域となっている町村へ

入所施設にはあまり避難していないもよう

福島県内の各入所施設をくまなく調査して回っ たが、在宅から施設への避難件数はそんなには なかった。

出張所の写真

各町村出張所へ

次に、避難区域となっている各町村の出張所 に出向いて、在宅の重度身体障がい者の所在 確認を行ってくる。 大震災前から田舎の地域では、重度障がい者 を入所施設に入れてしまっている可能性もある ので。


支援(入所)施設・各町村の第一次調査報告

入所施設と原発事故による避難区域の町村役場の避難障がい者の調査結果(中間報告)

入所施設の状況

訪問
月日
訪問
場所
地域 初期
避難者数
現在
避難者数
備考
3月31日 アガッセ 会津若松 3 0 相馬市の施設から2名、南相馬市から視覚障がい者1名(夫婦で、夫)
5月18日 カナン村 いわき 6 ? グループホームから5名、在宅から1名。
5月18日 光の家・本部 いわき     全員で神奈川、長野の施設に一時的に避難。
5月18日 養護学校 いわき 1 0 障がい児を持つ家族が3週間避難していた
5月19日 清心園 福島 1 0 ショートステーで1か月。
5月19日 けやきの村 福島 7 0-1 3名は敷地内にある支援住宅から。3名はふきのとう園という生活介護から。1名は南相馬市か ら。福島市で自立か。
5月19日 青松園 福島 3 0 地域移行した人たちが相馬から避難。
5月26日 太陽の国 西郷村 108+? ? 浪江の救護施設「ひまわり荘」の入所者(知的がほとんど)が全員で避難。その他にも在宅の者 が何人か避難か?
6月10日 さくら館 郡山 数名 0 さくら館系列の病院から1名。さくら館の生活介護を利用している者が家に帰れずに1泊する。
6月10日 国立福島病院 須賀川 1 1 田村から避難してきた重複の重度障がい者の女性。家族は避難所に。
6月10日 宇津峰十字の里 須賀川 0 0 知的障がい者施設。系列の通所の建物が壊れたので、十字の里の一部を利用。他からの避難 者はなし。

避難区域の町村役場の調査

訪問
月日
役場名 地域 人口 震災前
入所者数
新入所者数 備考
6月21日 川内村 郡山 3000 8 0 川内村の人口は少ないので、重度の障がい者も少ないだろう。
6月21日 富岡町 郡山 16000 10程度 0 富岡町の人口は多い。施設への入所者が少なく、家族が抱えているのか。二次避難所から仮 設住宅への移行の時期が問題となるだろう。
6月24日 飯館村 福島 6150 10程度 3 担当の今野氏とは何度もお会いしているので顔見知り。震災後3名の重度身体障がい者が入 所したという。
6月24日 浪江町 二本松 21000     担当者が休みで情報なし
6月28日 葛尾村 会津坂下 1532 ? 3 新規入所者の3名は65歳以上の高齢者。219名が県外避難。7月いっぱいで役場を三春町に 移すとのこと。
6月28日 大熊町 会津若松 11000 22 1 大熊町には身体障がい者は400名。震災前の22名はGHやCHも含めて。震災後の1名は太陽 の国に入所。
6月28日 楢葉町 会津美里 8000 10以下 1 新入所者数の1名は、いわきの野の花ホームに避難した方。その後は?いわきに避難している 頚損の方が、仮設住宅にリフトを付けたいという相談がある。詳しいデータはいわきの明星大にある出張所で把握している。

UF−787プロジェクト

まずひまわりを植えていく活動

支援センターの事務局長である和田氏が勤めている 知的障がい者事業所「にんじん舎」の農場の土壌に は14000ベクレル以上の放射線量があった。にん じん舎の農場を蘇らせるため、福島県の土地から放 射性物質を取り除いていくためにUF−787プロジェ クトをスタートさせる。 にんじん舎や二本松の作業所の農地にひまわりを 植えていく活動からはじ めている。今後、ひまわ りや菜の花の茎や根の 処分方法を考えていか なければならない。

ひまわりとみつばちの写真


訪問者がたくさん

(左上より)蓮舫大臣、乙武さん来所、宇部市から避難所提供へ、 宮城の及川さん、神奈川から義援金届く、静岡の井出さん(左)

訪問者の写真


支援活動を通しての問題点と 大震災に際しての提案と要望

今後、大震災が起こっても、障がい者が安心した 避難生活ができるように

現在まで、四度の懇談、要望活動を県に対して行うと 同時に、来所される国会議員の皆様方にも要望を伝えてきた


避難所に関して

一般の避難所では大変

支援センターでは、避難所をまわって被災障がい者のニーズを聞いてまわったが、 そのときに、避難所ではとても生活できないとの声があり、避難所は学校の体育館 のようなところが多く、入口に段差があるところが目立った。避難所に入る重度の身 体障がい者は少なかった。

避難所の様子

提案・要望

今後も全国各地に大震災が起こると思うので、そのときの対策として、避難所として 利用する場所はバリアフリーの建物として、障がい者や高齢者に使いやすいお風呂 やトイレのユニット式のものを作っておいて、避難所に設置していくような方法を作っ ていくこと。避難所には迅速にベッドを運びこむことができるような体制をつくっておくこと。知的障がい者など、集団生活が困難な者には個室を設けたり、避難所の近くに 小さな建物を設けて、避難生活が容易にできるような方法をとること。


住宅に関して

仮設住宅は?

阪神大震災から何回も震災があったが、残念なことに東日本大震災の現在に至っても、早くから当事者団体から要望したにもかかわらず、現実には合理的配慮など後回しにされ、どんどん仮設住宅の建設が進んでいる。 仮設住宅にスロープはついているが、室内は車いす対応となっていない!

行政で借り上げ住宅を確保したが

福島県内各地に福島県などがたくさんの借り上げ住宅を確保したが(県外については、借り上げ住宅の補助制度が整っていないところがある)、一般賃貸住宅の多くには、ユニバーサル化された住宅はほとんど無く、車いすを使う身体障がい者にとっては難しい住宅確保となっている。

提案・要望

仮設住宅を利用するのは、高齢者が多いのではないだろうか。仮設住宅の設計段階ですべての住宅をユニバーサル化されたものにすること。入り口を広くしたり、バストイレに余裕をもった広さを確保し、介助者とともに入れるようにすること。設計段階で検討を行えばコストも低く抑えられるのではないだろうか。 一般の住宅をすべてユニバーサル化されたものにするべきだろう。人間いずれは高齢化 をむかえ体が不自由になっていくのだから。一生のライフスタイルを考えた住宅のあり方を今、問わなければならないだろう。政府と住宅会社や障がい当事者と話し合う機会を もって、ユニバーサル一般住宅の建設を推し進めていこう。


障がい者サービスに関して

東北地方は福祉を含めて、社会意識が低い

今度の大震災で、30キロ圏外の田村市の重度障がい者が原発事故の危険性から自 発的に南会津や新潟に避難した。そのためにヘルパーの時間数がオーバーして田 村市に請求をあげたが、それが認められないという事態が起こっている。 大震災の前から、行政は、各市町村に住んでいた在宅障がい者の家族に介助など の負担を押しつけていた現状があったのではないか。とくに東北は、財政的基盤の 弱さもあって障がい者福祉関係の予算が低いということもある。東北全県が福祉を 含めた社会的意識の低い状況にあるようだ。

提案・要望

大災害時において、とくに在宅の重度障がい者の福祉サービスについては、被災障 がい者の生活の安定化を図っていくために、地方自治体の負担を度外視してでも国 が100%負担で障がい者サービス事業を実施すること。


障がい者の生存権に関して

原発事故に関連して

原発事故の影響から、放射線によって福島県は大変な状況におかれている。福島市、 郡山市、二本松市などは比較的放射線が高い地域であり、子供たちにとっては大変 危険な地域で生活しているのである。 放射線の積算量が多くなれば、病気になる確率も大きくなる。将来、福島県では病気 になったり小児ガンで死亡する子供たちが増えていくだろう。それとともに、死産や虚 弱児の出産が増えていくであろう。チェルノブイリでもそうであったが、身体に変形が 見られる障がい児も産まれてくることであろう。

提案・要望

原発事故における放射線の影響から、数年後には虚弱児や障がい児の産まれる確 率が多くなると思われる。優生思想に基づく、放射線関連の障がい者差別が起こる 可能性がある。現に、福島県外では、「福島県の女性と結婚するな」という風潮が広 まっているという。 そのようなことも十分踏まえたうえで、障がい者基本法や障がい者差別禁止法の内 容を吟味して創っていくようにしたい。


支援センターとしての今後の活動

原発事故という福島の特殊性を見極めた 今後の活動計画


福島県全域の仮設住宅まわり

パンフレットを作成して

支援センターのパンフレットを大量に作り、福島県内に造られた仮設住宅に全戸配 布を考えている。 仮設住宅のどこに障がい者が暮らし ているのか分からないので、とにかく 全戸配布を試みる。 一般住民にもよい宣伝になるだろう。


サロンの開設

被災障がい者に寄り添って

郡山市内にサロンを開設して、そこに被災障がい者を呼んで、悩み事を聞いたり、障 がい児の一時預かりのような場所にしたり、一時的避難所に活用することができるよ うにしていく。一時的避難障がい者に対しては、放射線量の少ない地域に避難するこ とを薦めていく。ボランティアさんを大勢確保して、炊き出しなどもできるようにしたい。

郡山市内にサロンを開設


UF−787プロジェクトに関連して

つながり∞ふくしまプロジェクトカンバッジ販売

南相馬の事業所(作業所)では、この大震災の影響で、下請け作業や自主作業が満 足にできない状況に追い込まれている。 南相馬の事業所で作ったカンバッジを 全国的に販売していく計画を立ててい る。売り上げの利益は、事業所を利用 している障がい者の工賃に上乗せさ れることになっている。 UF−787プロジェクトと連携して、福 島を元気にして、障がい者の働く場を 確保していく、このプロジェクトにご協 力をお願いしたい。

つながり∞ふくしまプロジェクトカンバッジの写真


南相馬市等の状況改善に向けて

原発の収束がままならない状況であるが

南相馬市は、原発の近くということもあり、地域の中で、学校や病院などが閉鎖され た状態にあり、障がい者関係の事業所も開いている所は数少ない。 そのような中にあって、少ない職員で、予定オーバーの利用者である障がい者をか かえて頑張っている事業所に対し て、支援センターとしてできるだけ の支援をしていきたい。 南相馬市だけでなく、相馬市や二 本松市で孤立無援で頑張っている 事業所に対しても惜しまない支援 をしていく所存である。

相馬市の様子


福島県外に自立生活の拠点を

福島県内の自立生活センターで、連携した活動を

福島原発からちょっと離れている伊達市、福島市、二本松市、本宮市、郡山市などの 放射線量がかなり高い。それに、原発の収束はいつになるのか見当もつかない。こ のような状態で長期間にわたって生活していくのは危険ではないかと考えている。 特に、子供たちや若い者はなるべく早く に福島県から離れたほうがよい。 福島県自立生活センター協議会と連携し て、福島県外に自立生活(サービス提供) の拠点を作っていく活動も並行して行っ ていきたい。若い障がい者や関係機関の 職員たちや子どもたちを優先的に長期避 難させていく計画を立てていきたい。 その他の事業所にも声をかけていき、共 同での集団避難も考えていきたい。

自立生活センター