死を考えること

「現在、私は34歳、私と共に生き続ける病、*筋ジストロフィー症デュシェンヌ型(以降D型とする)は全身の筋肉が次第に萎縮し衰え、死に至る病である。この病はその昔、18歳前後で人生を閉じると言われていた。(D型の多くが母親から遺伝する劣性遺伝である。しかし中には突然変異もある)しかし医学の進歩などに伴い、今では私のように気管切開を受け、24時間、人工呼吸器を使用しながら私の年齢で生きているのも決して珍しいことではない。

*筋ジストロフィー症には数多くの病型が存在し、病型によっては50〜60歳以上の人 生を過ごすこと人もいる。よって筋ジストロフィー症と名の付く病を持つ人全てが、短命というわけではない。」

 気管切開を受ける以前、冬場になると神経を尖らしていた。なぜなら全身の筋肉の衰えに伴い、痰を出すことが難しいからである。つまり風邪をひき、痰を詰まらせて苦しいのではないか、痰を詰まらせ死に至ってしまうのではないか、という恐怖が付きまとっていた。実際に冬になると緊張している人は多い筈である。それは決して大袈裟なことではない。
 先に書いたように私の病型であるD型は、18歳前後で亡くなるという常識のようなものが自分の中にある。事実、ひとつ年上の兄、正明も昭和60年(1985.1)に23歳で亡くなり、D型の20歳の記念写真を撮った同級生も21歳以降、次々に亡くなっていった。死にゆく病棟の仲間を目にすることで、気管切開を受けず体外式と呼ばれる人工呼吸器を装着していた頃の私は常に死の恐怖を意識していた。
 平成2年、気管切開を受け、完全に現在のような寝たきりの状態になった。

 それからというもの死に対する恐怖が薄らいだ気がする。薄らいだと言うのは死から完全に解放されたわけでなく、また「体力や循環器機能が低下してきているから、どうせ死ぬんだ」というように開き直っているわけでもない。どちらかと言えば、死に対する思いはとても自然なもので、恐くて受け入れられない、考えたくない、言葉も聞きたくないというものではない。むしろ自分の中にある死というものを考えている。意識することが自然な死に対する思いである。
 死という事柄は多くの場合、タブー視し、話題にしたくないと思う人は多いだろう。ましてや病の末期の状態にあっては・・・
しかし私は死を意識し、日常茶飯事のように話題にし、人工呼吸器を使い、死に近いからこそあえて話題にしたい。それはどこか難病も含め、あらゆる現実の自分の姿の受け入れに似ているように思う。
 死はこの世から存在が消滅することであり、決別を意味する。また死は一旦訪れれば、2度とこの世に舞い戻ることはできない。まさしく未知の世界だ。その死の世界の有無を誰も証明できないから恐れるのである。未知の世界だからこそ人は期待する。そして夢を抱く、次の世界を信じる人がある。しかし私は証明できないものを全面的に信じることはできない。あるかも知れない、ないかも知れないと曖昧な気持ちである限り、私にとっては、生命の存在こそが私の存在の全てある。またその反面、私を知る人がある限りは永遠の生命である。それは紛れもない事実だ。
 死を話題にすることはよく言われることでだが、「如何に生きるか」という意味そのものであるように思う。確かに「俺はもうすぐ死ぬんだ」と意識したからといって、今すぐ何かが変わるというものではないだろう。しかし自分の不安に思うことを言葉にすることで、死を意識したときの衝撃は弱いのではないかと思う。また意識や言葉にしたからといって、体調の安定している時は実感はなく、生き方が変わることはあまりないだろう。また何事も通り過ぎるものに目を取られるだけなら、平穏無事に暮らしてゆけるだろう。しかしそれでは何とも味気ない。そうではなく死を大切なものとするために、日常を穏やかにできるよう死について考えるべきだ。

 〜死、それは誰も逃れることのできない事柄、この世に存在する最高の平等である。〜生きる権利もあるが、死を望む権利もある。それは誰も阻害してはならない。それにはガイドラインに沿ったものであれば、私は安楽死を容認する。あくまでも安楽死を手伝う者が裁かれてはならない。また死の強要や強制、切り捨てはあってはならない。

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