はがき通信ホームページへもどる No.99 2006.5.25.
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 『立った!ついに歩いた!——脊髄損傷・完全四肢麻痺からの生還——』
  (右近清、樹心社)を読んで −前編−
 

C5損傷19年、57歳♂

 まだ所沢の国リハに入院しているころのこと、朝ベッドのなかで胸のあたりに置いていた両手の指が動いた。大あわてで付添い婦を呼んだ。一刻も早く蒲団をどけて指を見たい。なかなか来てくれない。大声を出して付添いの名を呼んだところで目が覚めた。ようやくやってきた付添いは、けげんそうな顔をした。
 もう一つも夢の話だ。在宅になって数年たったある夜、ひどくのどが渇いたが、部屋には誰もいないので、しょうがない自分で台所に行って水を飲もうと、そおっと上半身を起こしたら起きあがれた。「なんだ、そおっとやれば起きあがれるのか、もっと早くやればよかった」と思い、膀胱瘻の尿袋に気をつけながら片足を床におろしたあたりで目が覚めた。歩く夢はもう一つ見たことがあるが、何にしても夢の話だ。これ以上書いても意味がない。
 小樽の右近清氏が最重度の頸損森照子さんを8年で歩かせた経過の記録は「はがき通信」で断片的に読んだことがある。半信半疑だった。ウソやペテンだと思ったわけではない。C2のひとが歩くだなんて、そんな話は聞いたことがないからだ。こうして一書にまとめられたものを読むと、ひょっとしたら誰でも歩けるようになるのかもしれないと思う。ここに書かれているのは夢ではなく現実の話だ。
 巻頭にせきずい基金の大濱理事長が「日々励まされています」という推薦文を寄せている。大濱さんも小樽に赴き《私自身、チャレンジしてみて、「ここまでできるのか!」と驚愕し、熱中してしまいました。/その訓練とは、まるで私の身体を知っているかの如く明確な指示だったのですから。》と手放しの賛辞を送っている。
 右近氏の文章は独特だ。訓練を開始するときの風景はこう描かれる。《私はすぐMDにスイッチを入れ、喜多郎が奏でるシンセサイザーの『無限水』が天空に舞い上がり、光芒が部屋の空間にきらめくのを聴きながら私専用のソファーに腰をおろします。そして美子(森さんの姪)が入れてくれる熱い番茶を一口すすり、手に鞭を持ち「ヨシ!」との合図で一日の訓練が始まります。》思い入れの強い文といっていいだろう。これをきらうひともいるが、じつはこの思い入れの強さ、情熱こそが「奇跡のリハビリ」をなしとげた原動力なのだと本書を読んで思った。
 ちなみに森さんと右近氏(昭和16年生)の家はすぐ近くで、親の代から家族ぐるみのつきあいだ。

◇森さんの障害程度
 本書を読む前にいだいていた最大の疑問は、森さんの頸髄がどれほど損傷していたかということだ。頸損関係者なら誰しも、歩いた歩いたといってもそれは損傷程度が軽かっただけのことではないかという疑念をまずいだくだろう。1993年6月6日、森照子さん(昭和12年生、当時55歳)は、自転車で転倒。既往症の後縦靱帯骨化症で骨化した靱帯が衝撃で折れて頸髄の2番から5番を傷つけた。小樽第二病院で《首の後ろ側の骨(二〜七番)全てを取り除くという》手術を受ける。頸髄を取り去ったのではなく、あくまでも頸椎の背側(棘突起や横突起)を取り去ったということだろう。省略して「2〜7全てを取り去った」という表現が随所に出てくるが、これは誤解を招きやすい。できればイラストで損傷状況を図解してほしかった。とにかく損傷部位はC2だから医師は「2、3日うちに呼吸は停止するだろう」と診断した。C2ならクリストファー・リーブと同じだ。
 事故後すぐに島田脳外科に担ぎ込まれ、メチルプレドニゾロンの大量投与を受けたのち、市立小樽第二病院へ搬送。メチルプレドニゾロンが脊髄損傷に有効であることが発見されたのは1990年ということだから、島田院長の処置はきわめて先進的なものだったといえるだろう(有名になったのは1995年のリーブの落馬事故の時ではないだろうか)。ただし、島田医師も第二病院の医師たちも「もう動くことはないだろう」と思ったという。
 「まばたきしかできず声もほとんど出なかった」という表現がことあるごとに出てくる。それは見舞客の観察であって医学的なものではない。呼吸しているのをあたりまえととらえている。C2で自発呼吸があるのは奇跡的なことだという認識がない。息ができれば声も出るはず。「まばたきしかできない」というのも能力の問題ではない。表情筋は頸損とは関係ないはずだ。しかし、声も表情も事故直後の茫然自失状態ではともにきわめて微弱なものになるだろう。手術後、面会許可がおりた時点では《親戚さえも見分けることができなかったその顔は、腫れ上がり、頭蓋とまぶたにまで血痕がこびり付き、激しい衝撃で歯は欠損して、手術後何日経っても耳から、髪から砂が出てくるのです。》というありさまだったのだから。
 自発呼吸が残ったところを見ると、頸髄C2、3、4の損傷は甚大なものではなかったという可能性も捨てきれないが……。医師の診断はこうだ。《手術後、執刀の先生は「森さんは神経の表面に傷を受けたから動くことはかなり厳しく、難しいと思います」と言われました。私はそれを聞き、「あぁ、表面でよかった。芯ではなく」と思ったものです。/しかし、これはとんでもない間違いでした。その表面の白質層こそ、脳からの指令、伝達を司る長く伸びた神経繊維で作られた神経路の「鞘(サヤ)」であり、髄鞘(ズイショウ)、ミエリン鞘とも言われ、全ての指令の伝達被膜だったのです。》《私は手術後に真っ先に聞いたのは、「切断ですか?」でした。先生はちょっと間をおき、/「いわゆるスパッと切れた切断ではありません」/「では挫滅ですか?」/「そうです。しかし、いずれにしても医学的に切断状態であることには変わりません」》
 医学的には切断、と聞いても、右近氏は諦めなかった。《何十万もの無数の脊髄神経が、横断によって、その神経細胞が全て死滅して機能しなくなったとは、どうしても私には考えることはできませんでした。「生き残っている神経は必ずある!」と思っていたからです。》専門家が切断だ、動かないといっているのに耳を貸さないとは、そうとうなガンコ者だ。
 手にも注目したい。森さんは手もまったく動かなかった。手の訓練は、歩けるようになってからだ。《最初から手をやっていたら一年も経たずに挫折してしまい、その結果、手は勿論、立たせるなどとは到底考えもつかなかったことは断言できます。》足にまけずおとらず手の訓練もまた困難を極めたようだ。背中にめり込んだ肩胛骨を引っ張り出す訓練に成功してから、つぎにテーブルの上に手をのせて前後にうごかす訓練を1年つづける。最初は1ミリも動かなかった。これもまた見舞客が《その緊迫感に寒気を催す》ほど精神を集中する特訓になる。ひじが肩の高さまで上がったのは2000年12月。受傷から7年半後のことだ。以上から判断すると、自発呼吸が残ったという点を除けばまさしくC2レベルの麻痺だったのだ。

◇リハの経過
 第二病院は3ヶ月で出ていけと言う。転院先はいっこうに見つからない(頸損なら全員が体験することだ)。そんななかでリハビリで有名な札幌の大病院が引き受けてくれるが、これがとんでもないインチキ病院であることがじきに判明する。訓練もマッサージもなく、腕も指も曲がり、足は尖足に。それなのにいきなり寝返りの訓練を申し渡される。「C2〜7番のうしろ側を取り払った首、極端に言うと脊髄が剥き出しになっている状態」でそれはあまりにも危険な訓練だと右近氏が憤るのはもっともな話だ。
 寝返りが不可能と分かると、今度は起立台も使わず、両脇から支えられての「立ち」訓練ときた。倒れるまでの数秒間、たしかに立ったように見えるが、それは本物の「立ち」ではない。片麻痺患者の扱いと混同しているらしい。だから、いいかげんなインチキ病院というより、頸髄損傷に無知な病院といったほうが正確だろう。頸損に対する世間の認識はそんなものだ。
 この病院では泌尿器科の医師から膀胱瘻の手術を勧められたが、その場にいあわせた看護師が反対し、つらい訓練の結果なんとか8ヶ月で自力排尿にこぎつける。その方法はカテーテルのクランプによる膀胱訓練のようだ。《もしこの手術を受けていたなら、これから始まる凄絶とも言える床運動のうち、うつ伏せ、中でも寝返りへの実に厳しく激しい特訓に果たして耐え得たであろうか。また、この手術につきものの周辺の褥瘡と膀胱洗浄、定期的な管の交換、細菌感染の処置などを考えたとき、この勇気ある看護師さんは森さんにとって決して忘れることができない生涯の恩人なのです。》膀胱瘻周辺の褥瘡というのがわたしの経験にはないが、ほかの指摘は正確なものだ。できればこんなことはしたくない。だがせざるを得なかったわたしは、これを読んで悲しくなる。受傷以後、うつぶせになったことは一度もない。もうひとつやるせなくなるのは、帰宅後電動車イスを処分してしまうという話だ。あまりにも便利すぎて《一旦これに慣れると、リハビリを施す者、受ける者が、立って歩くという想像を絶する訓練に挑戦しようとの気は起きるはずもありません。》この狂気にも似た決意が必要だとしたら、どれだけの障害者が参加できるだろう。受傷歴の長い者には無理だろう。
 《そしてここで私たちは、病院の職員から衝撃的な事実を聞かされることになります。/「これからも第二病院から患者さんを廻してもらうため、六ヶ月の間、森さんを引き取っただけなのです」》1994年2月退院。結局この札幌の病院では寝ていただけに終わる。札幌にいた半年のあいだに全身の状況は悪化してしまった。足首・腕・手首・指、みな妙な方向にねじまがり硬縮した。
 右近氏はいくつもの大病院をたずねリハビリの実態を見て回ったが、片麻痺の患者ばかりで、全身麻痺も下肢麻痺もいなかったという。《私は今まで数多くのPT・OTに、「頸髄損傷による全身麻痺患者のリハビリ経験は?」と聞いたところ、異口同音に「リハのやりようが無いじゃないですか」との答えでした。なかにはフッと薄笑いを漏らした者もいたのです。そこで頸髄を損傷した完全四肢麻痺患者を扱ったことがないとの決定的な事実が分かったのです。脊損のリハビリ経験もない人がどうして「やりようがないじゃないですか」と言えるのか。》まるでわが国には脊損のリハをおこなう病院がないかのような書きぶりだが、そんなことはない。ただし、ほとんどのPTははなからあきらめている。歩けるようになるなんて思ってない。 (後編へ続く)

編集部員:藤川 景



 書評と「とろうのおの集」 


 ★「障害者の経済学」(中島隆信著、東洋経済新報社、2006年、1500円)
 [書評]
 作者は1960年生まれ、慶応大卒、現在慶応大教授、商学博士。
 目からウロコが落ちる本。障害者の問題を同情や単純な善悪論ではなく、あくまで経済学の冷静な視点から研究素材として見つめ、障害者の本当の幸せを考えようとする。今までに見られなかった発想が新鮮だ。教えられることが多い。
 資料として挙げられている本も、「母よ、殺すな!」(横塚晃一)や「日本の障害者」(花田春兆)や「セックス・ボランティア」(河合香織)など、おなじみのものがどんどん出てくる。私とはかなり問題意識が重なっていそうだ。
 たとえば、普通の学問ならまず研究対象をじっくり観察することから始めるのに、障害者問題の場合その障害者の姿そのものが見えにくいとか、障害者の施策に見られる「転ばぬ先の杖」型から「産むが易し」型への移行が必要とか、障害者は三種類(家族、医療関係、役所関係)の人間としか関わらないとか、愛は必ずしも正義ではない(仏教では煩悩の元)とか、自由競争はかえって差別を減らすとか、耳新しく目新しい指摘に満ちている。
 まだ新しい分野だろうが、これから伸びてゆく可能性を感じさせる。
 ただし、障害者問題をあくまで経済の視点からとらえる、という発想を聞いたとき、私は一抹の不安を抱いたことも正直につけ加えておかねばならない。というのはコメをはじめとする農業の懸案が議論されるとき、一部の学者や政治家から「農業も経済法則にしたがって扱うべきだ」という意見が出て、貿易自由化などの政策が導入されたが、それによって農村はさらに疲弊した。農業というものは経済原理などで動くものではないということが次第に明らかになってきた事実があるからである。
 老婆心かもしれないが、障害者の問題にもそう安易に当てはめられるものだろうか、という素朴な疑問を呈しておこう。


            「とろうのおの集」
新潟は初雪という切ないね多恵子のたえは耐えるのたえか
雪おろしの自衛隊ならたのもしくサマワへ向かうリアリティーのなさ
頸損も正月くらいお休みになってくれたらへのへのもへじ
ひどくなるばかりと思えば失望も少なくてすむ元旦うららか
ねり柿にしてまで食べていた頃のひもじさなんてぜいたくな話
手作りのロールケーキに何かしら足りないものを呑みこんでいる
さよならを言えるだけでも幸せやがばいばあちゃん語録の一つ
朝起きてまずパソコンに灯を入れる竈を起こす嫁もなければ
持たぬもの妻子に名刺だんらんの記憶それから携帯電話   
団欒を知らぬ私とホリエモンそれぞれの道分かたれてくる 
福岡では九千組が結婚し四千組が別れるという
おとなりもやってるねES細胞の捏造に車いすがっかりとして
富士山をライトアップしようなど考えついてくれるなテレビ 
泣きたくてアルビノー二のアダージョの最後の一分間に悶絶
水楢の落ち葉の下の方代さん踏みしめにきておりますよう
驚いて飛びたつカラスそのあとに屍のようなものも見える
板切れがあったら釘が出ていると思えと育てられ過疎の村
母がまた茶碗を割るも叱らずにマグカップに味噌汁をとく
大人用紙おむつのロゴ見えぬよう横倒してもらう棚の上
周期的膀胱炎としてあらわれてくる世のやるせなさ

佐賀県:中島 虎彦 E-mail: henomohe@po.ktknet.ne.jp
 「障害者の文学」 http://www.ktknet.ne.jp/henomohe/



 朗報、マイスプーン購入に助成金が使えます 


 食事支援ロボット「マイスプーン」は皆さんご存じだと思います。今回、(社)日本身体障害者団体連合会の今年度の「食事支援福祉機器助成事業」に「マイスプーン」が、対象種目として認定されました。審査を経て助成事業の適用対象者と認定された場合、「マイスプーン」が販売価格の1割(約4万円)で購入できます。
 対象者は、電動車イスのような判定等はなく障害者手帳のコピーが審査項目です。(手帳に「1級」「四肢に障害がある」と明記されていること)これ以上の審査はありません。
 「使ってみたいけど値段がねぇ…」「自分の好きな時間に食事をしたい…」とお考えのみなさま、この機会に「マイスプーン」の購入をお薦めします。
 申請方法や指定特約店情報など詳細につきましては、日身連またはセコムにお問合せください。よろしくお願いいたします。
 


            マイスプーン


[問い合わせ先]
 セコム・マイスプーンカスタマーセンター
 TEL: 0120-580-756
 「セコム・ホームページ」
 http://www.secom.co.jp/service/medical/myspoon.html

 「日本身体障害者団体連合会・ホームページ」
 http://www.nissinren.or.jp/

広報委員:麸澤 孝



 主人は月に3回も熱を出し心配しました 


 「通信」の皆さまお元気でお過ごしでしょうか。今年は例年になく寒さの厳しい冬を過ごしましたが、やっと4月も後半になり暖かく春らしい季節となりました。5月を目前に木々の緑も美しく私には心安らぐ思いです。今のところ主人はおかげさまで何事もなく元気にしておりますが、3月には1ヶ月の間に3回も風邪を引き、痰のからんだ咳をしたり、気になる状態です。もう3年ほど前になることですが肺炎になり1ヶ月近くも病院へ通った記憶があります。今回は3回とも同じような症状でしたので肺炎にでもなったら大変です。急ぎ病院へ行き診察を受け薬をもらい、早め早めの対処をし、大事にいたらずにすみました。今は元気になり安定しています。まずまず一安心といったところです。
 私は、昨年7月に急に足腰を痛め、歩行困難となり埼玉医大整形に通い始め、そろそろ1年になろうとしています。未だに足の付け根が痛んだり、左足の運びが重苦しかったりしていますが、湿布薬を貼ったり、コルセットを着けたり、痛みの強いときには薬を飲むようにと3種類の薬が出ています。なるべく薬は飲みたくありません。シビレが出てきたときには手術を、などとDrから聞かされています。今はどうにか薬も飲まずにコルセットと湿布だけで大丈夫のようです。無理はできません。重い物もいけません、と注意が出ています。主人のトイレ介護は立ったり、座ったりと一寸負担がかかるように思います。日々の生活を注意しながら一日一日を大切に過ごしています。
 新緑の輝く5月を迎えようとしています。明るい太陽、美しい緑、私の心が洗われる季節です。主人と共にこれからも頑張っていきたいと思っています。
 では、皆さま季節の変わり目でもあり、くれぐれもお身体には気を付けお元気でお過ごし下さいますようにお祈り申し上げます。

埼玉県:S



 ひとくちインフォメーション 


 ◆ご協力を
NPO法人「日本せきずい基金」
  2006年3月末の基金残高
3,612万4,000円

 ※金額は昨年と同じです。基金残高は定期預金の金額だけをご連絡しておりまして、3月末までに定期に積み増ししていないため、前年と同額になりました。(事務局より)

[問い合わせ先]日本せきずい基金事務局
〒183-0034 東京都府中市住吉町4-17-16
 TEL: 042-366-5153, Fax: -314-2753
 E-mail: jscf@jscf.org
 http://www.normanet.ne.jp/~JSCF/


 ◆1年間、年会費が無料に
  (1級障害者限定)


 このたび、助成金を得て4月から1年間、相談会費(年6000円)が無料にできることになりました(1級障害者限定)。
 月刊誌と制度係へのフリーダイヤル相談電話が無料になります。お知り合いで、特に情報の得られにくい過疎地域で介護制度に困っている1級障害者がいましたら、ぜひこの情報をお伝えください。障害者自立支援法の情報など重要な情報が入ります。

 [申し込み]
 発送係:TEL & FAX 0120−870−222(フリーダイヤル)
 電話は…9:00〜17:00(土日・祝日除く)
 FAXの場合は、「1級1年間 相談会員無料申し込み希望」と記載し、月刊誌送り先の、郵便番号・住所・電話・お名前・障害名・障害等級を記入してお送りください。
 編集:障害者自立生活・介護制度相談センター
 情報提供・協力:全国障害者介護保障協議会
 E-mail:kaijo@anet.ne.jp
 HP:http://www.kaigoseido.net
 「月刊 全国障害者介護制度情報」メールマガジン版は無料です。
< http://mag2.com/ >
 メールマガジンは、まぐまぐのシステムを利用して配信しています。
(情報提供:「月刊 全国障害者介護制度情報」メールマガジン版臨時号より)


◆掲示板 リフトカーを譲ります

 人工呼吸器使用者の前オーナーが他界され、「ぜひどなたか活用してくだされば……寄付をしたいのはやまやまだけど、買っていただける方がおられればありがたい……」とのご両親からのご依頼です。購入希望者や質問のある方は下記までご連絡下さい。




車名:メルセデスベンツ 型式 KC−903462
ミッション:AT




特徴:リフター付、9人乗、車イス2台乗ります、後席テレビ付、後部座席にもAC電源あり(吸引器、ネブライザーが後部座席で使用可)、立って作業が可能、白(ボディーカラー)、ディーゼル車

[連絡・問い合わせ先]
 *売却済み


注)双方が直接連絡を取り合いお取引いただくことになります。お取引などは各自の責任で行ってください。また、取引に関するトラブルなどは一切関知いたしませんのでご承知願います。高額なこともあり、くれぐれも慎重にお願いいたします。


 ◆補助犬拒否に罰則検討

  厚労省、施行状況で初会合
 厚生労働省は22日、介助犬や盲導犬、聴導犬の育成や利用者の社会参加を図る身体障害者補助犬法の施行状況をめぐる検討会の初会合を開き、法が禁じている飲食店やホテルでの補助犬の同伴拒否が続いている現状を踏まえ、罰則を含めて検討していくことを決めた。4月中にも中間報告をまとめる。
 初会合では(1)法を守らない場合の罰則(2)相談体制の整備(3)受け入れ義務の職場や住宅への対象拡大−を柱に検討することを確認。「盲導犬に比べ、介助犬や聴導犬の有効性が知られていない」などの意見が出された。今後利用者から直接意見を聴く予定。
 ホテルや飲食店など受け入れ側に対する調査では、補助犬を受け入れているのは全体の52%で、病院や教育機関、旅館などで否定的な回答が目立つという。
(情報提供:共同通信 平成18年3月22日)


 ◆入学式:たん吸引必要な女児、新たな出発——津の小学校

 生まれつき自力呼吸ができず、たんの吸引が必要な今井莉歩ちゃん(6)=(三重県)津市雲出長常町=が6日、同市立の一般小学校に入学した。たんの吸引は「医療行為」にあたるため、同市は看護師資格を持つ介助員を1人雇用し、対応する。莉歩ちゃんの両親は「市教委などの配慮に感謝したい」と述べた。
 莉歩ちゃんは、自力呼吸ができない病気「両側性声帯まひ」にかかり、生後間もなく人工呼吸器を装着。10カ月で外れたが、通常の呼吸は困難で、気管に直接酸素を送り込むため、のどに穴を開けてチューブを取り付けている。チューブにはたんがたまりやすく、数日に1回程度吸引している。
 02年の学校教育法の改正で、医療行為が必要な児童も各自治体教委の判断で一般の学校に通えるようになり、津市教委も看護師の確保を条件に入学を認めた。
 莉歩ちゃんは午前9時半ごろ、父の仁さん(34)、母の浩子さん(36)と一緒に車で入学先の雲出小学校に到着。早速介助員に付き添われ、少し緊張した様子で10時からの入学式に臨んだ。【山口知】
(情報提供:毎日新聞 平成18年4月6日)






【編集後記】

私の手元にある「はがき通信」の一番古い号は、向坊さん宅で手渡された24号(1993年11月号)です。まさかその時は編集担当になるとは思いもしなかったのが、65号(2000年9月号)から編集委員として「はがき通信」にかかわらせていただいています。今までお世話になった皆さまへお礼を申し上げるとともに、これからもよろしくお願い申し上げます。

 次号の編集担当は、瀬出井 弘美さんです。

編集委員: 藤田 忠


………………《編集委員》………………
◇ 藤田 忠  福岡県 E-mail:fujitata@aioros.ocn.ne.jp
◇ 瀬出井弘美  神奈川県 E-mail:h-sedei@js7.so-net.ne.jp

………………《広報委員》………………
◇ 麸澤 孝 東京都 E-mail:fzw@nifty.com

………………《編集顧問》………………
◇ 松井和子 東京都清瀬市国立看護大学校
◇ 向坊弘道 福岡県

(2005.7.25.時点での連絡先です)

発行:九州障害者定期刊行物協会
〒812-0069 福岡県福岡市東区郷口町7−7
TEL&FAX: 092-629-3387
E-mail: qsk@plum.ocn.ne.jp

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