はがき通信ホームページへもどる No.78 2002.11.25.
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赤裸々な物語

 『幸福亡命——車いすで伴侶さがし——』 比佐岡英樹 三輪書店

 「幸福亡命」とは、山のあなたの空遠く……ではないけれど、17歳で障害者になってから、8万円の福祉年金で豊かな暮らしができる「幸福」を求めて日本を脱出し、39歳でフィリピンにてステキなフィアンセと結婚するまでの、赤裸々な物語である。
 障害者に夢と希望を与えてくれる本が、ついに出版された。こんなに繊細でいて、それなのにタフな人生を送っている障害者は、なかなかいない。     
 障害者仲間では、「ヘキくん」こと「比佐岡英樹(ペンネーム)」はアイドル的存在である。自力でフィリピンに行き、在住し、「結婚」した彼の波乱万丈の人生を憧れと羨望のまなこで見ている。障害者は、彼にメールで質問をあびせかけた。その質問に1つ1つていねいに答える姿に、ヘキくんの誠実な人柄を感じていた。この『幸福亡命——車いすで伴侶さがし——』は、皆からの質問に対する「回答書」である。彼の結婚までに至る人生をもっともっと知りたがっていた障害者は、彼の出版を今か今かと首を長くして待っていた。「結婚願望」の強かった彼は、実践し、「事業の失敗と数えきれない失恋」の末、遂に目的達成! 興味の尽きない内容であった。簡潔な文章でありのままの告白は、サスペンス小説よりも息を呑む緊張感に襲われる。読み終わるまで、ハラハラドキドキ。バリアフリーや日本の福祉をうんぬんする障害者本が多い中で、独自の道を切り開いた、異彩を放つ「パワフル・ノンフィクション」である。とにかくおもしろい!
 「結婚願望」や「性への興味」のある「普通の障害者」には、新たな必読書が出版されたという印象が強い。C5受傷の彼は、自分の障害についてはうとくて福祉制度についても知らないまま、家族に頼って生活していた。多くの障害者と同じ道をたどっていた。ただ、何にでも挑戦し、失敗しても「バハラ・ナ」(明日は明日の風が吹く)、くよくよしないで次の道を探しながら生きてきた。これだけ重度で、熱を出しやすい体調でありながら、ビル管理、カラオケ店経営、コンピュータープログラマーをやり、ぼうだいな借金を背負い込んでも生きていく情熱を失わなかった。あっけらかんとして、何とかしてしまう「障害力」を感じた。芯が強いのであった。あまりの激しさに、読み手である私のほうがキリキリと胃が痛んだ。
 これは、赤裸々な「幸せ探求記」である。彼は、「障害者にだって気の多い人間がいてもおかしくないではないか。波風を立てずにおとなしくしているだけでは、面白い人生なんて味わえない」と言う。誠実な妻アレリにめぐり合うまで、本当に失敗の連続であった。しかし、彼はあきらめなかった。障害者に一番大切なのは、あきらめないこと、目標に向かって前進することである。彼がアイドル的なのは、このどこまでも女性を追い続ける「情熱」と「やさしさ」であると思う。私は、フィリピン・ルセナの彼の家を訪問し、会った瞬間に「かっこいい!」と叫んだほどだ。感性が鋭く、しかも頭が良い! やさしく語りかける口調に、障害者である前にりっぱな社会人だという印象が強かった。
 国際結婚に必要な手続き、フィリピンの習慣などもていねいに書かれてある。これから、このような国際結婚、外国での生活を望む障害者は増加するであろう。日本の福祉年金で、フィリピンでは十分生活していける。フィリピン女性は情熱的なスペインの血が混じり、美人が多い。熱いカトリック信仰があるから、結婚相手にとことん尽くす。離婚も堕胎も許されないから、純粋である。竜宮城に行った気分になる。すべての人は幸福になる権利がある。障害があっても幸福を得る「貪欲さ」を失ってはならない。そんなことを彼から教えてもらった。この書は多くの障害者に勇気と希望をあたえるであろう。
東京都:MK AAV16375@biglobe.ne.jpメール
 


 裸王 玉葱おやじの孤独 

 もしも、という選択が可能ならこんな文はキット書かないだろうと思う。某月某日、今朝は入浴日である。夕べから宿泊ボラの女子学生が友達を同伴して3人で泊っている。今朝は、昼から講義とかで深夜まで話し込んでいた。キット、異性や恋愛・就職や実習の話で盛り上がったことだろう。狭い3LDKでカーテンで仕切った浴室。玉葱は一度も覗き見などしていない。不埒な連想も湧かない玉葱おやじの純な性格は今も昔も……。
 7時半には、朝食のための巡回ヘルパーさん(以下Hと書く)いそいそと朝食準備に……。話題は多種雑多で、朝の盛り上がりの会話に一日の弾みが付く。30歳を越えて子育てを終えようとする世代のHは元気が美貌を強調し、玉葱の心はハイテンションに揺れて……。朝食が終わると、入れ替わりの家事援助に間もなくHが来宅。9時過ぎに入浴ヘルパーさんが2人で来宅。
 今朝は実習生ですと、専門学校の女学生を紹介された。室内のざわめきに目覚めた宿泊ボラの3人が起き出て挨拶を……。楽居を囲み、賑わう傍らで玉葱おやじは血圧測定・検温……そして、衣服を剥ぎ取られる。
 楽居を含め、8人の妙齢の女性に玉葱おやじの存在感は軽い。女どもの眼中に、もはや「男の俺」は存在していないのである。たとえ一糸まとわぬ裸体であろうとも。入浴という仕事に携わるHにしても、ボラの人にも裸で入浴は常識であるから、玉葱おやじが脱いでいようと裸であろうと気にしないのです。
 楽居が男性Hに入れ替えられたら問題は大騒ぎになるであろう。寛大な玉葱おやじは悠然と構えてなされるがままに泰然自若として、裸体をさらす入浴シーン……否、入浴介助。
 時折、ハーレムじゃね。女の中に男が一人よ。今日は8人も……思わぬ訳でもないが……豊満な……艶かしく揺れる……すすり泣くような嗚咽……妄想をふりほどく玉葱おやじの純な心よ! 「バカヤロウ!」何がハーレムじゃ、男じゃ女じゃ♂じゃ♀じゃの次元は超えてる玉葱おやじも一瞬ムッとなる。
 ♂機能を逸し、♂の闘争心も失せた見掛けだけの♂性玉葱おやじの心情は、深い深い愁いに沈むのである。ああー、俺は雌雄一体の蚯蚓や蝸牛が羨ましいよ。今日も偉そうに福祉論に口角泡を飛ばす玉葱は、孤独な裸の王様ですね。
広島県:玉葱おやじ ecosakohata@do2.enjoy.ne.jpメール
 


熊本県のIT活用の紹介

C4

 「はがき通信」の皆さん、こんにちは。熊本県のK.Iです。ますます発展するIT社会において、優れたIT知識を持った障害者が活躍の場を求めて模索しています。熊本県は高度情報化社会だからこそ実現できる、ITを活用したテレワークによる障害者の在宅就労を支援する「チャレンジド・テレワークプロジェクト」を発足いたしました。熊本県が始めた、障害者のための在宅就労支援について紹介いたします。
 さて、熊本県では2002年8月より、ITを活用したテレワークによる障害者の在宅就労を支援する「チャレンジド・テレワークプロジェクト」を平成16年度までの実験プロジェクトとして発足させました。三重県についで2番目だそうです。
 これは就職が難しい障害者「テレワーカー」のために、「エージェント」という仲介組織が営業活動を行い、主に「サポーターズクラブ会員」等(仕事発注者)から仕事を受注し、テレワーカーに仕事を分配するというものです。職種は「ホームページ作成」「CG」「CAD」「プログラム作成」「デザイン」の各分野にて、個人事業主として仕事をするものです。

 8月末日に説明会がありましたが、約50名の障害者の方が出席しておりました。車椅子の人は10名くらいでしたが、見た目の重度障害者の人は私を含め3名でした。就労支援といっても、かなり厳しい内容の説明がありました。
  • 県職員が仕事発注企業を開拓しているが、なかなか応じてくれるところは少ないのが現状である。
  • 障害者といえども、仕事においては健常者と同等なことが望まれる。
  • 各分野にて技術スキルの高い人であり、今までに仕事実績のある人が望ましい(即戦力)。
 障害者にとってというより、新しい分野にて独学で勉強してきた者にとっては、かなり厳しい内容だと思います。今後の流れは障害者が県に「テレワーカー」の申し込みをして、「エージェント」との面接に合格して初めて「テレワーカー」として登録されることになります。申し込み時にある程度のスキル等を書きますが、内容によっては面接機会もないということです。
 プロジェクトに私自身も申し込みをし、面接の案内が来るのを待っていましたが、何の連絡もないので「ダメかな?」と思っていたころ、約1ヶ月後の9月末日にやっと県庁にて面接があるとの通知が参りました。履歴書と過去にした仕事のプリントアウトの一部を持って、面接に出かけました。面接会場には仲介業者にあたる「エージェント」の3社の方がおられ、今までの経歴やプログラムを勉強する経緯などを話し、15分くらいで終わりました。
 その場では技術的に突っ込んだ話はありませんでしたので、「私のプログラム技量がわからないで仕事の発注ができるのだろうか?」という心配と疑問が湧きましたが、一応面接ができたことに満足して帰りました。そして数日後に、「仮登録しました」という通知がきました。今回は全員が一応「仮登録」という形になり、「エージェント」が仕事を受注して私に発注した時に「登録」になるようです。10月11日には、県主催の「障害者テレワーク推進大会」なる催しがホテルにて大々的に開催されました。熊本県知事を始めとして関係者約200名が出席され、そのうち障害者は30名くらいでした。

 多くの関係者の期待を担って、平成16年まで実験的意味合いにてプロジェクトが推進されますが、このプロジェクトを成功させるためにはいろいろな問題に直面することと推測されます。今まで在宅就労について模索してきた方はご存じと思いますが、障害者のスキルや社会的通念が要求されるのは当然ですが、仲介組織である「エージェント」の重要性です。各分野のプロフェッショナルを備えた「エージェント」が必須であり、個々の「テレワーカー」の個性を把握して、受注した仕事をいかにコーディネイトできるかが大きなキーポイントになるような気がいたします。
 今までに前例のないプロジェクトを、一当事者として最善の努力を尽くしたいと思っています。また一障害者として、今後の在宅就労のあり方を見守っていきたいと思います。
熊本県:KI isikawa@pa2.so-net.ne.jpメール
 
 

生活支援センターを作ります

C4、46歳、頸損歴18年

 猫も杓子もNPOという昨今、私も猫になります。ただ今申請中ですが、年内には特定非営利活動法人生活支援センター「まいらいふ」が誕生します。「まいらいふ」は、障害者が主体となって運営する生活支援センターです。目的は「当事者の問題は当事者で解決する」「重度障害者が金を稼ぐ」ことにあります。体系は事務局、福祉事業部、介護事業部から成り、次の業務等を行います。
  • 事務局…法人の運営
  • 福祉事業部…
    1. 会報誌の発行       
    2. ピアカウンセリング       
    3. HPによる福祉情報の提供       
    4. バリアフリー住宅の公開        
    5. 講師(障害者)の紹介
  • 介護事業部…
    1. 支援費による介護サービスの提供       
    2. 有料介護サービスの提供
 平成15年度より支援費制度に変わり、法人格をもっていればホームヘルプサービスの提供事業が可能になります。もちろん居宅介護指定事業者(所)の指定を受けなればなりません。
 要件として
  1. 事務所があること。自宅を事務所にする場合は、生活の場との区分けがはっきりしていること。
  2. 常勤としてサービス提供責任者を置く。要件は介護福祉士、1級ヘルパーとなっていますが、もう少し緩和されそうです。
  3. ヘルパーの勤務時間が常勤換算で2.5時間以上あること。
    (週当たり70時間以上<常勤32時間・登録48時間>)
 私の場合、①は自宅の2階を使うことでクリア。②もクリアできたのですが、③については頭を悩ませました。介護時間総数が対象者4人合わせて58時間/週しかありません。常勤を遊ばせ登録に多く動いてもらえば時間数はクリアできるのですが、はたして採算が取れるのか? という問題が発生してきます。でも、大丈夫です。ヘルパーの事務やミーティングも賃金を払えば、時間数に含まれるのです。時給を下げ登録ヘルパーに事務をしてもらえば、常勤を動かせます。大まかな試算としては、年収入850万円、人件費650万円、経費と役員報酬200万円といった具合でしょうか。
 来年4月から、対象者4人、ヘルパー5人でのスタートです。質の高い介護サービスを提供していくことが最も大切だと思います。そして、良い噂が立てば仕事はおのずと増えると信じています。最初は量を制限し、無理をしないことが大切なのです。今は私の介護が80%を占める「ONLY まいらいふ」ですが、早く「ALL らいふ」にしたいものです。皆さん! 応援してくださいね。途中報告は、来年の「はがき通信懇親会」で発表します。では……。
広島県:大竹 ohtake@enjoy.ne.jpメール



 図書館の宅配サービス 


 「はがき通信」の皆様、お元気でしょうか。暑い夏も過ぎずいぶん秋めいてきたと思ったら、急に寒くなってきましたね。昨年の今頃ですが、暑い夏をなんとか乗りきってやれやれと思っていたら、突然ぜんそく様気管支炎になり、せき、痰がひどくて2週間入院してしまいました。季節の変わり目はぜんそくになりやすいそうなので、それ以来かぜをひかぬように気をつけています。突然ぜんそくになる人も多いそうで、皆さんも気をつけてください。
 他の自治体でやっているのかもしれませんが、M市立図書館が高齢者や障害者を対象に11月から図書の宅配サービスを始めてくれることになりました。電話かファックスで頼めば2週間で6冊借りられ、希望時間に宅配してくれます。前々からこういう制度があればいいなと思っていたので、とても嬉しいです。 

石川県:TH





 主人が突然の発作を起こして


 「通信」の皆様、お元気でお過ごしでしょうか。一雨ごとに秋も深まり、寒さを感じる今の頃です。今年もあと2ヶ月余りと残り少なくなってまいりました。月日の流れの早さに驚く私です。
 おかげさまでどうにか元気に過ごしておりますが、先日10月15日の夜中の午前2時に突然主人の様子が変になり、大変な思いをしました(首が右側に向き、黒目が両眼とも右側に寄り動かなくなっています。首も身体も固まったように動かなくなり、一瞬、20〜30秒のあいだ意識がなくなり、左手、動くほうの手が少しケイレンを起こしてふるえているのです。指の爪も少しチアノーゼになっています。呼吸はハァハァと荒くしています)。このような状態になったことは初めてです。私は何が起きたのかわからず本当にびっくりし、ドキドキしながら無我夢中でホホを叩いたり、呼びかけたりすることのほか、何もできませんでした。
 すると、だんだん両眼の黒目が動き、意識が戻り普通の状態に戻りました。ただ、びっくりした瞬間でした。ベッドの上で上体を起こし、お茶を飲ませたりして落ち着かせ、その後寝かせました。するとまた15分後に同じような状態になり、2回めの発作が起こりました。私は心筋梗塞を起こしているのではと、一瞬そうは思いましたが、20〜30秒で意識が戻ることで何か脳で起こる発作ではと思いました。またも午前2時30分、3回めの発作が起こり、この時も前回の2回めの時と同じような状態でした。やはり、20〜30秒で意識が戻りました。ベッド上にたくさん布団などを積み、主人の上体を少し寄りかかるようにした姿勢にすわらせ様子を見ていました。また4回めの発作でも起きたら救急車を呼ぶということで時計を見ていましたが、その後は寄りかかるような姿勢がよかったのか、何ごともなく朝まで過ごすことができました。ホッとする私でした。一晩中、主人の脈をとっていました。
 午前6時30分かかりつけの病院へ電話を入れ、夜中に起きた主人の様子を話しますと、電話に出た受付の職員の対応の悪さに驚きました。始めに年齢を聞かれ70歳ということを話すと、今この病院ではベッドが満杯なので他の病院へ行くようにと、今まで聞いたこともない遠方にある病院を紹介され、本当に驚きました。何のためのかかりつけの病院なのか? 入院になるのかならないのか、診察をしてみなければわからないことです。担当の先生にも連絡はなかった様子。
 主人はその後変わったこともなく午後まで様子を見て、水曜日の担当の先生の日でもあり、午後2時に緊急に診察を受けました。先生もびっくりしていました。「カルテはここにあるのだからこの病院へ来ればよい」と話して下さいました。この時の主人は何ごともなかったように「先生、こんにちは」と挨拶をしたりしていました。血圧は110と高いこともなく、先生は血液検査をしましょうということで血液を採り、結果は1週間後にわかります(ケイレン・発作予防の薬を飲んでいますが、薬の量が足りているかどうかの検査です)。またもっと大きな発作が起こるかもしれない、気をつけて見ているようにと言われました。本当に気の休まることのない私です。「無呼吸」があること、今また「発作」がいつまた起こるのではないかと、心身ともに疲れている私です。
 1週間後の検査結果は尿酸値が少し高いこと、白血球が少し増えているということでした。どこかに炎症があったのでは(風邪気味であったのか?)ということでしたが、熱もなく別に変わった様子もなかった主人でした。このようなことがあった日から約2週間が過ぎましたが、今は何ごともなく毎日を過ごしています。脳死状態になった人のような目になり、もう死んでしまうのではないかと本当に驚きドキドキした体験をし、心身とも疲れ果てた1日、10月15日でした。これから寒さも増し、何ごともなく日々を過ごすことができるようにと祈るような気持ちです。
 「通信」の皆様、季節柄お身体に気をつけ、お元気でお過ごし下さいますように。
埼玉県:HS

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