はがき通信ホームページへもどる No.78 2002.11.25.
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も く じ
ball ごあいさつ 広報委員:麸澤孝
ball 懇親会を終えて 編集顧問:向坊弘道
ball 「はがき通信」からのお知らせ はがき通信
ball 「はがき通信」懇親会について 広島県:ハローマリ
ball 「バリアフリーゆかたProject」を通して学んだこと 山口県:ミカリン
ball 立った! そして今ついに歩いた(その4) 北海道:右近清
ball 歩けない人は乗せれません!(後編) KIJI
ball 赤裸々な物語 東京都:MK
ball 裸王 玉葱おやじの孤独 広島県:玉葱おやじ
ball 熊本県のIT活用の紹介 熊本県:KI
ball 生活支援センターを作ります 広島県:大竹
ball 図書館の宅配サービス 石川県:TH
ball 主人が突然の発作を起こして 埼玉県:HS
ball 私の尿処理方法の歴史 新潟県:TH
ball 夢のバリアフリー温泉への旅 佐賀県:中島虎彦
ball 思い立っての京都行き 広島県:TH
ball 懇親会に初参加 鳥取県:HY
ball ひとくちインフォメーション



購読料の振り込み口座が下記の通り変更になりました。 
年間購読料 1,000円を郵便局で振り込みの場合は下記の口座です。

口座名/はがき通信 記号:15550 番号:21323201

ごあいさつ

 今年も残すところ後1ヶ月となりましたが、みなさんいかがお過ごしでしょうか?
 私にとって「セコムの食事介助ロボット」のおかげで、テレビ・新聞・雑誌などに登場する機会のとても多い1年でした。マスコミはあまり好きではありませんが、いろいろな分野の方と知り合うことができ、本当に得るものの大きい1年だったと思います。大勢の方の前で話したり質問されたりと、少し緊張には慣れてきましたが、しゃべりは全然うまくなりません。これからの課題かなぁ〜と思います。
 今年は、新車(電動車いす)を手に入れたことも生活の契機のひとつでもありました。来年春には「支援費支給制度」がいよいよ始まります。少なくとも現在の生活を維持することが、まず一番の願いです。季節の変わり目で体調を崩しやすい時期ですので、くれぐれもご自愛下さい。
広報委員:麸澤孝

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懇親会を終えて

 お変わりありませんか。参加者のみなさん、会場の聞法会館、ボランティアを派遣された中央仏教学院のおかげで、9月28〜30日の「はがき通信」懇親会 in 京都 を無事に終わることができました。ありがとうございました。
 また、松井先生の数ヶ月にわたるご尽力とサポートで、カナダのアイリーン先生にもいいお話をいただきました。ボランティアも30人来てくれました。29日午後の観光では何人かのボランティアと一緒にあちこち回りましたが、さすがに京都、世界遺産や国宝の連続に圧倒されました。別れでは西尾ボラほか何人かが泣いていました。私も別れが辛かったです。
 地元の頸損も入れて初日は、33組の参加がありました。来年はハワイで懇親会を……わくわくしますが、もう少し冷静に賛否を議論する余地が必要ですので、「はがき通信」にご意見の投稿をお願いします。やるとなれば、私も老骨にむち打ってお世話のできる限りがんばります。
 半年前から限界を感じていた、購読者名簿と購読料の管理を石川大輔さん・石川ミカさんカップルに頼むことができてホッとしています。住所の移動、購読料振り込み、など毎日の記帳は大変で、2人の緊密なチームワークで乗り切って下さい。最近の購読料の請求事務でも私の記帳の間違いがあり、何人かにご迷惑を掛けました。申しわけありません。
 私は編集顧問として協力は惜しみませんので、今後ともよろしくお願いします。 

実行委員長 向坊 弘道(編集顧問)

はがき通信懇親会の写真

 【懇親会収支決算報告】 (情報誌にのみ掲載)

 アイリーン先生は、お土産の日本人形をことのほか喜ばれました。聞法会館側の厚意で、豪華な200人用のホールを備品機器使用料を含めて3日間2万円で借り、ボランティア控室料も10%に割引されています。ボランティアの交通費は中央仏教学院が出してくださったので、今回は支出がありません。
 みなさんのご協力で無事に懇親会が終了しました。大変ありがとうございました。 

実行委員長 向坊 弘道(編集顧問) 




「はがき通信」からのお知らせ

 《編集部員(会計)が交代しました》 

 購読料と名簿管理事務を、お若い石川さんご夫妻が引き受けてくださいました。ということで、編集部員の会計担当が遠藤さんから石川大輔さん・石川ミカさんに交代になりました。
 長年会計事務を担当してくださった遠藤さん、ご協力どうもありがとうございました。石川大輔さん・石川ミカさん、これからよろしくお願い申し上げます。
 
石川さん御夫妻の写真
 石川ミカ・石川大輔と申します。このたび、向坊さんより「はがき通信」の会計実務ならびに、名簿管理、バックナンバー管理をおおせつかりました。大先輩からの引継ぎであり、緊張感があることも否めませんが、誠実に勤めてまいろうと2人で話しております。若輩の身で、ご指導いただくことが多いと思います。ご迷惑をおかけすることがないように頑張りますが、みなさまにおかれましては大きな気持ちで見守っていただき、末永くお付き合いをお願いしたい所存です。どうぞよろしくお願いいたします。
 お気づきの点がございましたら、ぜひご指摘くださいますよう重ねてお願い申し上げます。
 (石川ミカ・石川大輔)
 
 《購読料振り込み口座の変更》

 石川さんご夫妻の会計就任に伴い、購読料の振り込み先(表紙の下に記載)も変更になりましたので、どうぞお間違えのないようにお願いいたします。
<新口座・郵便局>
 記号:15550 番号:21323201
口座名:『はがき通信』

 《「はがき通信」購読料未納のお知らせ》

 前号でもお知らせしましたが、今月号でも「はがき通信」購読料の未納額をお知らせしますので、よろしくお願いいたします。帯封(おびふう)の宛名についている「様」の字の後ろに、青い色で小さく数字を印刷してお知らせしてあります。
 たとえば、「田中太郎 様3」というふうに表示してあれば、3は3年間未納という意味です。小さい字ですが、青色ですから注意してご覧下さい。1の場合、今年未納か数年前の1年間未納だったか、の意味です。購読有料化は平成8年です。購読開始以来一度も払っていない人は、mの記号で表示しました。*2とあれば、2年間過分に納めている意味です。
 こちらの記帳の間違いがある場合もありますので、どうかご容赦下さい。その場合、ご自分の記憶でけっこうですので、未納期間の購読料を納入していただくようお願いいたします。
 問い合わせ先:石川大輔・石川ミカ(会計)
E-mail: daisuke@c-able.ne.jp(大輔)
mikarin@c-able.ne.jp(ミカ)

 《ご寄付をいただいた方》
 情報誌にのみ掲載
 どうもありがとうございました。基本的に実名掲載とさせていただきます。匿名やイニシャルを希望される方は、その旨お申し添えください。
 なお、明確にご寄付とわかった方のみの掲載となっておりますので、どうぞご了承ください。今回は、№71で記載ミスのあった方も合わせて掲載させていただきました。

 《発送部数と郵送方法について》

 11月号から、「通信」の発送作業を引き受けてくださる作業所さんからの要望です。個人で複数の部数の受け取りを希望される方には、今までは「希望部数分を封筒に入れて送る」作業で対応していました。これは、宛名ラベルに書いてある発送部数の印字を見て判断するわけですが、このシステムは作業上、難しい面があるようです。
 従って、今回から、購読者1人あたりの送付(受け取り)部数を上限5部とし、全て“バラ”で送るようにしたいとの提案です。
 たとえば、今まで10部を受け取っていた方は……上限5部へ。郵送方法:1部×5帯封=5部届くというふうになります。よろしくお願いいたします。



 「はがき通信」懇親会について

C4,5、1994年1月受傷、43歳、床の間に飾ってもらっている主婦、夫、2娘

 こんにちは! 皆様、いかがお過ごしでしょうか。広島在住のKです。
 いつもOさんから懇親会への誘いを受けながら、遠過ぎる、車椅子になって新幹線に乗ったこともない、夫も休みがとれない、娘だけでは不安だし、初めてのボランティアさんでは……と参加する勇気がありませんでした。でも、3年前広島で懇親会開催ということになり、これぞチャンス! と初参加。初対面の方がほとんどですがすぐに打ち解け、ず〜っと以前からの友達みたいに会話が弾み、ほんとうに楽しいひとときでした。もっともっと一緒にいたい、話がしたいと思いました。何よりもみんなのすごいエネルギーに圧倒され、「私は何をやっているんだろう」と思う半面、おもいっきり後押しされました。夫もとても感動して、帰りの車中で「来年も絶対参加しよう」と約束しました。

 翌年福岡での懇親会、また新しい出会いがあり、去年の横浜に行くときには、高2の娘と2人で車椅子新幹線初乗り。大冒険です。大竹さんのボランティアさんにその晩、翌朝と介助を手伝っていただきました。それから主人が来るまでの15時まで、娘は遊びに行くという別行動を取り、初めて出会った家族の方やボランティアさんにお願いしました。初対面なのに自分の家族のように自然で、人ってほんとうに暖かくやさしいんだ、人は人に支えられながら生きているんだ、とつくづく教えられました。感謝……。年に1度会える友達、会うたびにエネルギーと自信をくれる仲間たち、素晴らしい懇親会だと思います。私にとってはかけがえのないものになっているようで、夫の不安をよそに「娘と2人で横浜に行こう」と決められたのだと思います。

 今年の京都での懇親会、とても楽しみにしていたのですが都合がつかず行けませんでした。「来年はきっと……」と思っていたら、何やら来年はハワイにという話が浮上!? なになに? と問い合わせてみますと、懇親会への参加者数が減って来た、マンネリ化しつつある、会場を受けるところがない……といったところから、見つめ直すためにといった意味も含めて、懇親会を1年休憩しては、ということでした。ならば休憩中を利用して、有志で集うレクのようなハワイ旅行はどうか、というひとつの提案のようです。ということは来年もみんなに会えない、そんなぁ……。

 いつも懇親会の最後や参加された一部の人たちで、次回の懇親会のことが話し合われます。毎年会場のなすぐりあいで、後味悪し……。もしかしたら、近くの会場になったら参加してみたい、もう少し状態が落ち着いたら参加してみたい、懇親会の内容が変わったら参加してみたい、この土地になったら観光を含めて参加してみたい、日程が変われば参加できる、もしかしたら、参加できなかった人の中に私たちが懇親会を受けてもいいですよ、といった声があるかもしれません。一度みんなで意見を出し合ってみてはと思うのですが、どうでしょうか。

 広島には、5年前に立ち上がった“広島頸損ネットワーク”という団体があります。私もその会員ですが、総会を含め年5回交流会を開催しています。会場は県内を東部、西部、南部、北部と大きく4ブロックに分け、開催。近くであれば行ってみよう、という趣旨もあります。それぞれの地区の幹事が持ちまわりで交流会を担当し、いつになっても担当者は大変ですが、みんなの笑顔と再会を楽しみに頑張れ、自分の勉強にもなります。ボランティアさんにお世話になっている私たち、懇親会開催のお手伝いは私たちにできるボランティアのような気がします。「はがき通信」懇親会も、大きくブロック分けして持ちまわりはどうでしょうか。たとえば、九州地区、中国、四国、関西、関東、東北、北海道。場所によっては参加者が少ないかもしれませんが、意味はきっと大きいと思います。

広島県:ハローマリ hello-mari@enjoy.ne.jp



「バリアフリーゆかたProject」を通して学んだこと

<ゆかた以外のファッションに対して思うこと>

 障害者が服を選ぶとき、「デザインは気に入っているが、動きにくい」「障害の特徴上、着ることが難しい」ということが多いのではないでしょうか。実際に私は「かわいいスカート!」と思っても、ミニスカートで車いすに座ったらパンツが見えてしまうからそれを選べなかったり、冬なんかは雪解けの地面を走った車いすのタイヤにコートの袖口が巻き込まれ、ドロドロに汚れたり……せっかく気に入って買った服もすぐにダメになったりします。
 それを解消するためには、ファッションとしてのセンスを最大限活かした上で、そして着る人への思いやりや配慮をした商品を作らなくてはなりません。今までの作る側(デザイナー)のアイディアを押しつけた製品ではなく、障害を持った当事者が自分の欲しいものの使い勝手を自ら考え、モノづくりの現場にかかわっていく。そのことにより、より使いやすいものが製作できると考えます。

 最近では、ファッションの業界でも「ユニバーサルデザイン」という言葉を耳にするようになりました。ファッションにおいての私の考えは、みんなが同じ服を着るのではなく、障害の有無に関係なく、好きなファッション(好みのデザイン・色・柄の服を着て)を楽しむことができることが大切だと思います。現在、障害者は、少ない選択肢(★機能的で動きやすいか=動くときに手足を刺激する場合、危険を伴います。★脱ぎ着がしやすい服か=簡単に着られるつくりなら一人で着られるが、そうでないと手伝ってもらわなければ脱ぎ着ができません。しかし、どんなに着やすさを配慮したものでも手助けの必要な人がいます。その場合、介助者の着せやすさではなく、着る人の着やすさや苦痛(痛み)を伴わないこと、着たいと思う好みのデザインであることが大切です。★肌にやさしい素材であり、デザインであるか=硬い生地であったり、プリーツやボタン、ファスナーが後ろにあると褥創ができてしまうのです)の中からさらに絞り込み、どの服が自分をかっこよく(かわいく、きれいに)見せることができるか、自分の好みは……などと選んでいきます。もともと少ない選択肢の中から絞り込むのだから、ほとんど選択の幅がないといっていいでしょう。
 上記の★印の項目(私が思い当たるだけで、実際にはもっとたくさんあるかもしれません。)にも配慮した商品がたくさん作られ、障害者の服を選ぶ選択肢が広がることを願っています。そしてできることならば、障害者の中からも超メジャーなファッションデザイナーが誕生すればいいなぁ……なんて思います。パリ・コレに出るくらいの有名ブランドにも、障害者デザイナーが入ってほしいですね! そのためには障害者が元気になって、おしゃれに関してもどんどん声を出していくことがまずは必要だと考えています。

<ユニバーサルデザインとバリアフリー>

 「バリアフリーゆかた」を紹介してきました。時代の流れの「ユニバーサルデザイン」ではなく、「バリアフリー」じゃないか……と思われるかもしれません。ご存じのとおり、バリアフリーは元々ある障壁(バリア)を取り除くことで、ユニバーサルデザインははじめからその障壁(バリア)を作らない、誰もが使いやすいものを作るということです。もちろん、そのようなものが増えることはとてもいいことであり、私も望むことです。
 しかし、「誰もが(みんなが)」着られる、使えるということは、きっとないと思います。これまでゆかたを作ってきて、障害のタイプや身体の動きはみんな違い、ゆかたの着方や着やすさもみんな違っていたことで、そう確信しました。まずは、個々人にとっての障壁(バリア)を取り除き、多くの人の意見、アイディアを寄せ合わせていくことにより、より多くの人にとって着やすい、使いやすいものが創造できると考えます。どんなに完璧と思うものでも着られない人、使えない人は必ずいるでしょうから目標は「できるだけ多くの人」が着られる、使えるものを作ることで、それにも障壁(バリア)を感じる人たちには、さらにバリアフリー化する必要があると思います。大切なことは一人ひとりを大切にする気持ち、相手の声に耳を傾け尊重する姿勢……それらの土壌があれば、バリアフリーやユニバーサルデザインという言葉はさほど問題でないと思っています。
 ユニバーサルデザインがどんなに浸透しても、その陰にバリアフリーはずっとついて回るということを「バリアフリーゆかた」作りを通して実感しました。
山口県:ミカリン mikarin@c-able.ne.jpメール



立った! そして今ついに歩いた(その4) 

栃木34歳青年  原因・・・・・硬膜外血腫。受傷㍻14年、レベルT4〜8、㍻14/8来樽。 

 青年はわが子の誕生を今か今かと心待ちにしていました。不妊症の奥さんがついに妊娠して、2週間後パパになるからです。実家に帰った奥さんに携帯で連絡してから床につく毎日でした。これが決定的な生と死の間一髪の境となります。
 この時も電話で連絡を取り合い就寝しました。突然「ガバッ!」と身体は跳ね上げられ、凄まじい衝撃とともに目の眩むような激痛が刺し貫き、急速に意識が薄れていったのです。そのとき、咄嗟に手を伸ばしたのが枕元の携帯です。119番に連絡後のことは今でも覚えていません。「もし枕元に携帯がなかったら、会社の者か妻の家族が駆けつけるまでには間違いなく2日は経っていたでしょう」と言います。
 診断は動静脈奇形による破裂で一瞬にして胸中が血の海となり、血腫による胸髄損傷であり、そのレベルは凄く、何と胸髄の半分近く4〜8番まで損傷を受けました。当然下肢全廃を宣告されほどなく転院しましたが、その訓練を知り愕然としたのです。訓練内容すべてが上肢であり、下肢はいっさい投げ捨てられたのです。中でもやり切れなかったのは車イスバスケでした。「私はバスケをやりに来たんじゃない、足を動かしに来たんです」といくら頼んでも「下肢全廃と診断されたでしょう?」と不思議なことを聞く者だ、と呆れ顔だったといいます。
 やがて生まれた男の子を連れ、奥さんが駆けつけました。しかし、「この子を道連れにして」と夫婦はギリギリの精神状態まで追い込まれます。それは、脊損の2人が自殺を企てたのを目撃したからです。「ほっといてくれ! 死なせてくれ!」重度C損を負わされた彼らが喉から振り絞る残酷な絶叫が、決定的な絶望を叩きつけたからです。しかし、どうしても諦めきれず、パソコンを持ち込んだのです。当然持ち込み禁止です。皆が寝静まった深夜、光が洩れないように布団を頭からかぶり、一人でも起きていたらその彼が寝つくまで音を消し、パソコンを半開きにして必死に検索しました。私にはその鬼気迫る情景が目に浮かび、戦慄します。

 ところが脊損の項目を検索したものの、それこそ膨大なサイトが画面に現れ、愕然としたのです。そしてついに「はがき通信」を探り当てました。しかし、1990年の創刊〜№76まで、その記事は膨大です。目指すのはどの号を検索するかです。何と一発で№67をクリックしたのです。この号こそ、はじめて森の全記録が掲載された号です。それを聞き、私は鳥肌が立ちました。ある意思を感じたからです。200数十ページにもなるあの膨大な記録を布団をかぶり、朝までかかり読破しました。青年はすぐ退院を申し出たところ、医師から「あなた! いったい何を考えてるの? ここに入るのに3ヶ月も待たされたのを忘れたの?」。両親からは「気は確かか!」と激怒されています。しかし、何と言われようと「ボクとまったく同じ考えの人がたった1人いる。それが森さんだ!」と、即退院しました。

 初日からの青年の反応は素晴らしく、TES(外部電極刺激)を与えたところ、足は大きく跳ね上がり「あーっ!」と叫び、椅子からガクリと前倒れして絞り出す呻き声を上げ崩れてしまいました。開閉脚・引き込み・自由な回転・力強く蹴飛ばすそのたびに堪えていた嗚咽が洩れ、奥さんも背中をさすりそのつどリハは中断します。
 さらに感覚は冷覚を除き、足裏から損傷を受けた胸部までジリジリと這い上がってきたのです。冷蔵庫を背にして立った時、「あぁ……こういうふうに見えるんだ」と呟いたその言葉に今まで立つことを奪われた彼の切ない心情を思い、胸が熱くなります。

 帰る当日、立ちながら腹筋を使い、自ら腰のバランスの矯正をし「その足を前に出せ!」との鋭い檄に、足は激しく震えながらついに半歩前に出た時の驚愕した彼の目を私は忘れることはないでしょう。突き上げる慟哭に身体は激しく震い、顔は苦しげに歪みます。椅子に下ろした時、奥さんはご主人の首にすがりつき、彼の口から絞り出た途切れ途切れの言葉は「……生きてて本当に良かった」でした。
 青年はわが子がもの心つく時、車イスの姿だけは絶対見せたくないというのが切ない願望でした。そして、この両親の悲願である息子を真中に、親子3人手をつないで歩くという狂おしい夢がほどなくして現実のものとなります。
 重度脊髄損傷者にとって立ち、歩くということは身を焦がす切実な願望であり、立つ足を奪われた彼らの悲嘆の極みを私は誰より知っています。「足の訓練を!」と泣いて頼んだ家族の方が何と多いことでしょう。しかし、「動かないものはどんなことをしても動きません」といっさい取り合ってはくれません。立つ機能を奪ったのは、じつに不運な事故・病気等により脊髄に損傷を受けたからです。しかし、これはあくまでも発症原因です。ところが、立つ意欲をもぎ取るのは「一生車イスです」との宣告です。
 受傷直後、CT・MRIのフィルムでの灰白した部位を指し、「これでは動きを取り戻すことは将来とも不可能です」と訓練を行なう前から宣告を下します。医学にまったく無知な家族がこのように宣告された時、目の眩む衝撃とともに刺し貫くのは、断裂され切断されたブラブラの脊髄です。このフィルム所見だけで、その方の一生を断定する根拠はいったい何なのか。
 これこそがその方の人生を決定づけ、立つ足を奪う2次的要因であり、無念の極みでなくて何でしょう。それを撥ね退け「見てろ! 必ず立ってみせる!」との決意を持った人が果たしているでしょうか。今、訓練を行っている52人の方々すべてが完全麻痺を宣告されました。では何故全員が動きを取り戻したのか。それは「完全麻痺」でなかっただけです。そうして決して諦めてはいなかったのです。いや、諦めることができなかったのです。その顕著な例を最後に紹介します。

東京26歳青年  原因・・・・・バイク。受傷㍻14/5月、レベルT5〜6、㍻14/8来樽。

 この青年は、受傷3ヶ月もせず退院して現在小樽でリハ中です。入院中担当医にこう言われています。「脊髄を損傷したら絶対動かない、というのはもう過去のことなんだ。足を動かす神経は無数にある。100本あるとしよう。その100本とも切断されているなんて考えられるかい? そんなことは決してないんだよ。だから完全麻痺と言ってはならないんだ。その中で生き残った20本でも立派に動く。だから諦めないで訓練を続けることが何より大切なんだ」何と素晴らしい医師でしょう。私は心から感動し、畏敬の念を覚えます。

 今このような医師とOT・PTの先生が確実に増えてきているのです。その言葉を励みに、在宅準備が整わないうちに家族は即、退院させました。そうして両親、兄弟、嫁いだ妹夫婦まで一丸となり、刺激を与え続けていたのです。
 この青年も来樽3日目にして動きを取り戻しています。見事に反応するその足を見て、兄は「おーぉ! 動いた!」と身体を仰け反らせ豪快に笑っていましたが、頬からは大粒の涙が滴っていました。本人は蒼白になりながら「凄ぇ……凄ぇ」とつぶやくばかりです。
 脊髄を損傷したら動くことはないというのは今までの学説であり、これは間違いであったと現代医学では認められているのはご承知と思います。動きを取り戻さなかったのは、宣告により諦めて訓練をやらなかっただけです。
 前号から列記した7例は顕著なものばかり集めて、と思うかも知れません。重脊という傷を身体と心に負わされ、諦めた末に失意の人生に終わるか。本人と家族が強い決意を持って立ち上がるか。この2つの選択肢しかないない方たちは、一生を賭ける重大な岐路に立たされています。そのような時、劇的回復例ばかり示し、今すぐに立てるがごとく希望を何で私が与えるでしょう。またそれを投稿する理由がどこにあるでしょう。そうして何の得があるでしょう。これこそが無責任の極みです。
 まだ20代の若さで宣告通り諦めるか。その宣告を撥ね退け、「必ず立ち、歩く」との強い決意で挑むか。ついに立った時に振り返って見た時、ベッドで寝たままのかつての自分の悲惨な姿は、その若さという一生からみるとほんの数日であり数分です。
 小樽に来た両親は、一様に震えが止まらず床にへたり込みます。それは、わが子が凄まじい気迫と圧倒的な精神力で訓練に挑む形相を見るからであり、それほど激しい迫力です。親さえ想像すらつかない変貌するその姿に励ましの言葉を失い、「こんなに頑張れるなんて」「この子のどこに」と顔を覆います。

 小樽に来て1週間で動きを取り戻すのではなく、動くだけの機能が間違いなく残されていたのです。そうして52人全員に共通していたもの。それは「はがき通信」からの情報でした。決して減ることのない重脊損を負った本人と家族に対し、諦めを吹っ切り、果敢に挑み、動きを取り戻した方たちの実例の数々が報告されている全国唯一の情報発信誌として、私はこれからも紹介し続けます。

北海道:右近 清 Ukon@aioros.ocn.ne.jp



  歩けない人は乗せれません!(後編)


 成田空港でも、床をはって、階段を1段ずつ降りた。階段を降りた先には、自分の車イスが用意され、それに乗り移った。そして、ターミナルに向かうバスに乗ろうとするが、階段があった。階段のある滑走路のバスなんて、はじめて見た。どこの国でも、段差のないノンステップバスである。一般の乗客も乗りにくいだろう。日本の首都空港で、この有り様とは情けない。成田では、4名の係員が待ちうけていた。なんだか物々しい。そして平謝り。申し訳ございませんでした。どうかご勘弁くださいという。一方で「帰りの飛行機は1便ずらしていただけませんか?」と頼まれた。それは困る。サッカーワールドカップ イタリア×エクアドル TV放送に間に合わないじゃないか。私はイタリアファンである。帰りも自分で乗り降りするので、同じ飛行機に乗ると伝えた。
 6月3日(月)成田に帰国。伊丹に向かう飛行機を遅らされることはなかった。ほっとした。同じように自分で床をはって乗り降りし、行きと同じように隣に職員が座っていた。ここでも謝罪があった。それは真摯に受け止め、私は尋ねた。今後のこともあります。それで車イス単独で、この飛行機に乗れるのですか? 私は次回も、この飛行機を利用していいのですか? 乗れないというのも会社の方針として結構ですが、その情報を開示すべきです。「この便は、お体に障害のあるお客さまの搭乗をお断りすることがあります」と書いてくださいと、お願いした。職員は、「今後検討させていただきます」とだけ応えた。
  • 就航したばかりの路線
     搭乗拒否のあった伊丹−成田NH3112便は、2002年4月18日にオープンした成田空港の新滑走路を使う路線。なぜ、体の不自由な人や高齢者の対応を考えずに営業開始したのか疑問である。そして、関西経済の停滞を象徴する関空の国際線発着の減少。全日空も成田新滑走路オープンで、関空から成田にシフトした路線もある。関空で乗れなくなり、成田を利用せざるを得ないのに、利用できないとはひどい。鉄道の新しい駅や新路線はバリアフリーになっているのに。航空は反対みたいだ。
     この搭乗拒否については、正式に「要望書」として、6月12日 郵送にて(そうしてくださいと言われた)、全日空に提出いたしました。各方面から、いろいろと反響が来ています。全日空のその後の対応も含め、事件以降の話もまとめたいと思います。

  • 全日空の回答
     6月12日、全日空カスタマーサポート推進室に要望書を提出。内容は以下の2点です。
    1. 搭乗を拒否することがあることの情報開示をしてほしい(すべてに乗れるような表現をしているので)。
    2. ホームページ上にある「ご高齢やおからだの不自由なお客様に、安心して快適な空の旅を楽しんでいただけるよう、よろこんでお手伝いさせていただきます」という記述と、「サービスに関するQ&A」事実と異なる部分を訂正してほしい。

 これに対し、全日空から担当部署部長の署名入りで、6月21日に回答が送られてきました。
 ①に対しては、情報提供を改善すべく検討するとのこと。しばらくお時間を頂戴したいとのこと。
 ②に対しては、弊社の指針であるので、現行の内容でご理解いただきたいとのこと。しかし、一部Q&Aのところに「関連会社の運航便に対し、ご搭乗いただけない場合がございます」との文面を加えるとのこと。
 実際の変化は、「乗れない飛行機があるかもしれない」とサイト上で表記したこと。ただし、その便名は明らかにせず、お問い合わせくださいに留まった。
 今後、同じような飛行機に私のような車イスの者が乗れるのか否かは、今だ判明せず。ブラックボックスです。
 この記述で問題となることがあります。「事前問い合わせ」です。実は「事前問い合わせ」は、やっかいな代物なのです。それは多くの方からの意見や事例からも明らかになっています。
 より詳しい記述、「要望書」、他の人の意見/事例、飛行機の写真などは、下記のサイトでもご覧いただけます。

 『ANAアシストデスク』 http://svc.ana.co.jp/dms_svc/service/assist/index.html
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