はがき通信ホームページへもどる No.76 2002.7.25.
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インターネットでシンポジウムを


第6回「療護施設と人権」シンポジウム・全国交流集会のシンポジウムの部(下記)を、インターネットで希望者に同時配信したいと考えております。参加できない方はぜひご活用ください。
 NTTフェニコムの「"Phoenix"ストリーミングシステム」を考えておりますので特別な設備や費用は不要ですが、Windows付属ソフトMedia Playerと普段お使いの電話回線使用料が必要となります。ただし、配信数(現在50回線を予定)も限られており、希望された方のみに送付されるURLからアクセスしていただくことになり、そのために事前に予約を取っていただく必要があります。
 また、会場からの一方方向の配信となりますので、ご覧になりながらの質問などは別にEメールやFAXで受け付けて、可能な限りお答えしていこうと考えております。
 興味のある方、希望される方は以下までご連絡ください。
 中村 良隆 E-mail: river-d@poem.ocn.ne.jp
 ただし、事前にわかっている質問やシンポジウムの詳細は以下まで。
 掲示板「施設の交差点」http://member.nifty.ne.jp/RYOGONET/
           記
第6回「療護施設と人権」シンポジウム・全国交流集会
めざせ生活の達人! —契約時代をどう生きるのか—
開 催 日:2002年8月24日(土)〜25日(日)
開催場所:神奈川県社会福祉会館
【シンポジウム】
日 時:8月24日(土)11:15〜13:00
テーマ:めざせ生活の達人! —契約時代をどう生きるのか—
これまではサービスの対象でしかなかった利用者が契約により、権利の主体として自分のニーズを実現させる“生活の達人”となれる時代が迫っています。今回のシンポジウムでは、その根底にある支援費制度が果たして“生活の達人”を生み出すのに十分な制度になっているかどうかを検証すると共に、利用者が“生活の達人”になるために重要な権利をどのように構築するかも考えます。
<シンポジスト>
小室清吾氏(厚生労働省障害福祉課 課長補佐)
伊藤勇一氏(全国身体障害者施設協議会 副会長)
鈴木治郎氏(神奈川県身体障害者自立生活支援センター 事務局長)
小峰和守氏(療護施設自治会全国ネットワーク 会長)
<コーディネーター>
本名靖氏(東海大学健康科学部社会福祉学科 助教授)
 神奈川県:小峰 k-komine@nifty.ne.jpメール
 


 蘭とメダカ(目高)と独居老人と 

C5,6、受傷歴37年、電動車イス使用


 皆さん、暑く苦しい日々をいかがお過ごしでしょうか。無理はしないで過ごしましょう。
 私は、売れ残った蘭を安く買って育て、花を咲かせるのを趣味にして14〜5年になります。でも、今回はメダカです。
 一人で生活をするようになって、もちろん1日に1時間半〜2時間はヘルパーさんが入るし、週2回の看護婦さんの訪問があります。こんな不自由な身体の私を、心から癒されるペットを飼うことを思いつき、犬を始め鳥、熱帯魚と考えて全て駄目だとわかりました。なかには、セキセイインコを鳥かごごと上げますと言うヘルパーさん、子猫をただでやると言う脊損仲間、でも自分では世話ができません。
 結局、メダカを発砲スチロールの箱で飼うことに決めました。10匹の緋メダカを、ペットショップから自分で買ってきました。あれから9年が経ちました。カエルが住み着き、一晩中鳴き声で眠れず、近所からも苦情が出ました。田舎とは言え町の中、蛙の声は喧し過ぎた。自分ではカエルを捕まえることができません。翌年にオタマジャクシを見つけては、河に流し解決しました。
 今年は暖かくなるのが早く、産卵も早まり卵を見つけて親の箱から取り出し、ふ化用の箱に移すのが大変です。大きめの発泡スチロールの箱は3個、水槽も3個、梅を漬ける壺は2個、全てメダカです。我が家では緋メダカも、黒メダカも、一緒で混合で飼っています。多くなり過ぎて困っているぐらいです。
 平成11年2月18日、環境庁により「絶滅危惧種・Ⅱ類」に指定される結果となりました。あの時は、欲しがる親子が増えて困った。また川からメダカ数匹を取って来て、ここで増やしてと真剣に言う小学生、「学校でやりなさい」と言って帰したその後、小学校でメダカを飼う教室があると近所の父兄さんに聞ました。あの子も中学生、どうなったことやら。
 メダカの寿命は自然界では1年と思われているが、大事に飼育すれば2〜年です。すぐに大きくなって産卵します。1匹のメダカが産卵する数は1000個以上と言われていますが、仲間に子メダカは食べられます。越冬できる数はほんの僅かです。川や池では弱く、水中昆虫類の餌にもなります。今、当家にいるメダカは当家で生まれ、育った、何十匹です。私がいないとこのメダカたちも生きていけないと、自分に言い聞かせて頑張っています。
 最近、コッピーや赤ヒレなどという小魚をいただきます。「2匹買ったけれど1匹死んでしまった」と、3人から持ち込まれました。コッピーは、スーパーストアや花屋さんで小ビンに入って売られています。赤ヒレは最近、ペットショップで熱帯魚として生協でも買えると聞きますが、取りあえず同じ水槽に入れて飼っております。私には、コッピーと赤ヒレの区別ができません。赤ヒレは、熱帯魚の餌として売ってるとも聞ました。
鳥取県:HY hy0025@ncn-k.netメール
 


ワールドカップを応援しました


 通信の皆様、毎日梅雨寒のお天気が続いておりますが、いかがお過ごしでしょうか。主人も私も2匹の猫(満1歳)も、お陰様で元気に過ごしております。今年も6月は、特に主人の健康状態に気をつけなければならない季節です。昨年は肺炎になったり大変な思いをしました。朝晩に検温をしたり食事に気をつけたりしていますが、風邪を引きやすく、私は神経が疲れます。
 楽しい出来事は、2002年ワールドカップが日本・韓国で開催され、家族で応援できる事です。5月31日、ワールドカップの開会式が韓国で盛大に行われました。美しい韓国民族服に彩られた何万人もの人によるマスゲームが行われ、花火も打ち上げられ、驚くばかりの開会式を見る事ができました。
 続いて初戦は、フランス対セネガルでした。ところが、4年前に優勝したフランスがなんと初めて出場したセネガルに、1対0で負けてしまいました。どうした事なのか、驚きの第1戦でした。
 ワールドカップは、何が起こるかわからない戦いです。いよいよ6月4日、日本対ベルギー戦が埼玉スタジアムで始まりました。日本はHグループの初戦です。なかなかゴールが決まらず、得点が入りません。ドキドキしながらの観戦でした。前半45分は0対0で折り返し、後半で2対2と引き分けました。稲本、鈴木選手に大きな拍手を送りました。スタジアムは、青一色のサポーターで興奮と感動に包まれていました。得点1は、日本にとって歴史的勝ち点となりました。もうこれからは、ワールドカップ一色となった日本です。全国各地で予選リーグが始まりました。
 6月9日、この日は日本対ロシア戦です。強そうでドキドキする相手です。今日も勝てますように、祈るような気持ちで午後8時30分のキックオフを迎えました。もう家族でテレビの前に釘付けとなり、全国のサポーターと一体となって第2戦を応援しました。前半は0対0で折り返し、後半に稲本選手の貴重なシュートで1点が入り、1対0でなんとロシアに勝つ事ができました。今日も、日本にとって歴史的勝利となりました。日本は勝ち点3となりました。2試合で勝ち点4となる素晴らしい試合でした。家族も全国の応援サポーターとも一体となり、応援ができた楽しく素晴らしい日でした。
 6月14日、いよいよ第3戦。日本対チュニジアです。予選リーグ最終の日です。今日も勝ち点がとれますようにと、祈る気持ちで午後3時30分のキックオフの時間を迎えました。今日はどうしても勝ってほしい、勝てば予選リーグ1位で決勝トーナメントに進める! 大切な大切な戦いです。チュニジアは、大変強い選手団と聞いています。どうか頑張ってゴールを入れてほしい……。前半日本はどんどん攻めてはいましたが、得点にならず0対0で折り返し、後半3分、選手交代して入った森島選手が右足で左隅へゴールを決め先制ゴールとし、日本初の1点を入れました。あっと言う間の出来事でびっくりしたり、喜んだりで家中大騒ぎでした。長居スタジアムの応援サポーターとともに大きな拍手を送り、ゴールを喜びました。その後半30分、またまた中田(英)選手がなんとヘディングで2点目をゴール。なんという素晴らしさ! とうとう日本は、チュニジアに2対0で勝ちました。そして、勝ち点7と日本はH組1位で予選を通過し、決勝トーナメントへ進む事ができました。今までの3試合で「勝つ事が一番だが、重要な事は負けない事」が日本の大きな目標となったチュニジア戦でした。主人も私も長男も2匹の猫の手も借りて、大きな応援のエールを送った日でした。
 6月18日、(大雨の中の日本対トルコの戦いの日)いよいよ日本は、初めて決勝トーナメント戦へと進みました。この戦いに勝てると日本はベスト8に進む、大変大切なドキドキするような戦いです。午後8時30分のキックオフの時間を迎え、今日はビデオを撮りながら観戦しました。前半10分、なんと日本のミスにより、トルコのコーナーキックで1点を失ってしまいました。あっと言う間の出来事でした。ただ茫然としてしまった一瞬でした。今日は大雨の中での戦いでもあり、選手一人一人も大変な事でした。後半も日本はどうしてもゴールに届かず、0対1のまま負けてしまいました。ただ残念! という気持ちばかりが残り、力が抜けるのを感じました。ミスさえなかったらきっと勝てたかもしれない、そんな思いで一杯でした。でも、日本は初めてグループH組1位で決勝トーナメントへ参加できた事、ベスト16になれた事、日本は頑張りました。
 家族で喜び、応援できた事を心からうれしく思います。決勝トーナメントに進み、準決勝、決勝と進んで行く韓国・トルコ・ドイツ・ブラジルの選手の皆様の健闘を心からお祈りいたします。楽しく応援できたワールドカップに感謝の気持ちで一杯です。
 通信の皆様、気候不順の折り、くれぐれもお身体を大切にお過ごし下さいますように。

埼玉県:HS

 

老化かな〜!<最近考える事>

頸損歴13年目、C3〜5不全、62歳

 通信の皆さん、お変わりなくお過ごしの事と思います。小生はこの頃、心身共に顕著な変貌の中を過ごしているような感じがしております。
 一つにはド忘れ・物忘れがひどい事。人から声をかけられても誰だったか思い出せない。知人である事は認識できるのだが、そのうち思い出すだろうと適当に相槌を打っている。(エート、エート誰だったっけ)上の空で聞いてるものだから、何を話しているのかも定かでないまま、「じゃーまた」。
 また、新しいヘルパーさんや訪問看護婦さんが入った時は、名前は当然だが年齢、出身地、血液型等々限りなくプライバシーを聞き出すのが(悪)趣味である。が、「この前言ったじゃな〜い!」と言われるのが怖くて、この人は聞いたかなー、何型だったかナーってな具合でデータが大混乱。「タレントの○○に似てるね」と言いたいのだが、この○○が出てこない。さらに言葉もなかなか出てこない。「…?」言葉を探している間に機会を逃し、シラケ鳥が飛んで行く。こんな時は五十音を頭につけて、順次脳内検索をしてみるのだが、そのストレスは相当な重圧である。
 その二は、言動がまとまらない事。したい事、しなければならない事、いろいろ思考しながら予定をたてるのだが、いざ行動となると“やろう!”という気が起きず、ついウトウト・ダラダラと時を無駄にして、虚脱感と自己嫌悪に陥る。文章を書いたり、講話をする時も、書きたい事・話したい事があるのにその整理ができない。この投稿文もまさにその部類で、単に言葉を脈絡なく羅列しただけと思われるのではないだろうか。自分としては、精一杯努力したつもりなのだが……。
 この二つの現象は、やはり二つの事が原因ではないかと思われる。それは、ホームヘルパーさんや訪問看護婦さんと接する以外の長い時間を独りで過ごし、会話のラリーの機会が少ない事と、老化現象の進行ではないだろうかと思う。外出しても、昼間から話し相手になってくれるような暇人はいない。食事もしなきゃいけないし、尿も採らなければいけない……となると、それができる家にこもるしかない。願わくば、老若男女の健常者・障害者を問わず、何時でも自由に集える福祉コミュニティーセンターみたいなのができれば……と考えている次第です。前述の症状が、老化の進行でない事を祈りつつ……。
佐賀県:KN isikawa@pa2.so-net.ne.jpメール



 老老介護のはてと言葉あそび 第8弾! 


 5月28日におとなり鹿島市で心中未遂事件があった。83歳の夫が80歳の妻を車いすに乗せて近くの川へ飛び込み、妻は死亡、夫のほうは40cmの水深で死にきれず生き残った。妻は以前から身体が不自由で夫やヘルパーの介護を受けていたが、最近夫のほうも不自由になり、ともに将来をはかなんだものという。同じ障害を抱える者として、なんともやりきれなく、歯がゆい。
 この手の事件が起きると、よく殺したほうの人間に対して情状酌量や助命を嘆願する動きが出てくる。かつて横浜で母親が脳性マヒの子どもを殺した事件でもそれがあり、「青い芝の会」が「殺された障害児の人権はどうなるのか!?」というアピールを強烈に繰り広げたことは有名である。
 「殺すまでにいたった夫や母親(介護者)の苦労も察するに余りある」という同情は一見もっともらしいが、殺されるほうにしたらとんでもない話だ。鹿島の老妻だって本心から死を望んでいたかどうかは誰にもわからない。
 そんな理不尽が繰り返されないために、ホームヘルパーや介護保険の制度が整えられてきたはずである。実際、鹿島の夫婦の場合も毎日数時間ずつヘルパーの訪問を受けていたというから、決しておろそかにされていたわけではない。
 にもかかわらず死を選んだのは、ひとえに老いや障害の受け入れ方に問題があったと見るべきだろう。80代といえば大正の生まれである。戦前の軍国教育を受けて成人した二人は、おそらく「人様に迷惑をかけてはいけない」「自分のことは自分で始末しろ」というような刷り込みを受けていたはずで、そのため夫婦して自宅に見知らぬヘルパーを受け入れるなどということは申し訳なさの骨頂だ、という思いこみからとうとう自由になれなかったのだろう。
しかしそんなことを気にしていたら、世の中のもっと多くの重度障害者たちは決して精神的に自立してゆくことができない。あるときは他人に頼ったってかまわないではないか。介護してもらうことで何かを伝えてゆくこともできるだろう。死者に鞭打つわけではないが、自ら死を選ぶということは、そういうひそかな闘いを続けている多くの仲間たちの意気をくじくことになる。

<写真挿入>

 [写真説明]
 5月18日に広島の頸髄損傷、Kさんご夫妻が嬉野温泉のホテル「ハミルトン宇礼志野」(ちなみに宇礼志野は万葉仮名の古語)へ遊びにこられたので、会いに行った。同人誌仲間のO.Yもくっついてきた。彼は真理さんの写真や画集「花の日々」を見て、ファンになっていたのである。あいにく雨がパラついたが、手製の(漬物用)ビニール袋雨合羽をかぶっていたので、それほど濡れはしなかった。
 ホテルの部屋まで挨拶しにゆき、晴れていれば町なかの名所(元湯跡、シーボルトの足湯、交流センターの肥前吉田焼き、瑞光寺の大楠、豊球姫神社の白鯰の焼き物)などご案内しようと思っていたのだが、降りやまなかった。
 そこで部屋の中でうだうだと世間話をしたり写真を撮ったりしていると、夕方になってようやく小降りになってきたので、町なかへ降りた。ハミルトンの玄関前はすごい急坂なのでちょっと怖かった。またホテル内に車いす用のスロープはあるがコーナーが狭いので電動車いすひとりではなかなか難しいだろう。そのつど介助してくれたOさんにはお礼の言葉もない。それに真理さんの旦那さんも相変わらずやさしい人で、その仲むつまじさにはいつも当てられっぱなしである。ひとりもんはつらいよ(笑い)。
 とはいえハミルトンは調度類のセンスが際立っている。それにここの女将さんは論客でもある。
 そこから最短の「温泉食堂」へ向い、みんなで乾杯した。名物の「温泉湯豆腐」「温泉卵」のほか「ニラ玉定食」「麦焼酎」などなど。いいあんばいに酔っぱらえたので、まずまずの一日だった。真理さんたち、明日は竹崎ガ二を食べに行くそうである。帰り道ではホタルと何度もニアミスをしそうになった。

    《言葉あそび集》
御殿場娘、こっぱミジンコ、私の好きな女優「良き巫女」、マキを切ってもムネオ上げできず、やる木梨、あの俳優は孵卵器やさかい、だんご三兄弟疑惑、二コラス刑事、ワンマン戦争、大正でも暗しー、月腑が出る、困難でましたけどー、児童販売機を徹去せよ、インコに罪はない、浪費家はたまらん、祖母の口からカレー臭、固ゆで豊、最近アレにはまってるの、北朝鮮はラチがあかない、広島の生まれ邪険、恫喝政治家にどう勝つ!?、花より談合、反物みにいくみのもんた、シルク履くは苦し、韓国女性の髪にパッチン止め、3月を忘れちゃ弥生、火祭りで血祭り、いま個展てんてこ舞い、アラマいい香り、いたいけな携帯、奇抜な椿、佐倉の客、宝塚じゃんね、高知娘のはちきんれそうな肢体、細川たかしはんもうかりまっかり村?、おしゃれの相手無、あわや松浦亜弥を見逃すところだった、おチョコで一杯、カリスマもいつのまにやら仮住まい、公判の前半、花柄下着泥棒、シャガの花しゃがんで見ているお釈迦様、大虎でもなく小虎でもなく中虎、サマンサだべさ、繊維質が繊維喪失、亭主淡白で妻用事、排他的な歯科医、排他的なゲロ、添付らに感染せぬよう、今わの際までああしろこうしろう、旦那が今や病がなんだ、百度参りを百マイル、ヒット曲「おさかんな天国」、砂利砂利した感触、上昇志向のないパイロット、フーリ癌に冒される、サンローランさん、走り梅雨になったね、おしゃれしてる場合じゃあるまーに、たいそうきかいな試技、バスに乗り遅れて徒歩歩歩、嫁姑の角質をとる、「圧巻、ベッカム!」、「圧巻! ベーブルース」が「あっかんべー、ブルース」と聞こえる、お天気お姉さんはいま山かな、豚をうとんじる、まっ向からクジラ、ミンクの襟巻きをしたクジラ、あっしの湯、痴呆爺々、ゼネコンのくせに建設的でない意見、W杯フランス戦のもめごとは示談にする、多久地区の時計店、今週まあ消費者となろう、母系ーっとするな、瀬出井のせいでない、みすみすコンテストに出される、東京都東グルメ市、矢野真美族、出歯亀のデジカメ、愛想なしのつぶて、吸った揉んだの据え膳食わぬは男の恥、七転八起苦汁の充溢、人のふりん見て我がふりん直せ、見て見ぬふりん、W杯って水割りのダブルのこと?、クリスマス停戦ならぬワールドカップ停戦、三度目の掃除機、アレックスさんとする、中津江村のカボスを噛めるーん?。
 

佐賀県:中島虎彦 nakaji@po.saganet.ne.jp http://www2.saganet.ne.jp/nakaji/





 フィブラストS経過日誌


 こんにちは! 皆様いかがお過ごしでしょうか。梅雨は何処へ……と青空が広がる真夏日続きの広島です。
 “フィブラストS”を使い始めて1年が過ぎました。ついに驚きの事実がやって来ました。陥没していた肉が、元の表面より盛り上がったのです。おもわず先生に「バストにもふりかけたい!」と言うと、看護師さんたちが「私も!」「私も!」って(笑)。
 2001年6月20日より“フィブラストS”使用開始。坐骨、仙骨にジョクソウができて3年半。骨と皮が一進一退の大きなジョクソウでしたが、仙骨部はエアーマット『モルテン花ゆらぎ』を使い始めると、一晩中体位交換はしないのに、半年後に脅威の完治! しかし、車椅子に座る時間が長いので、座骨部はあと一歩からがなかなか治りません。少しずつ治ってポケットもなくなり、やっと直径3.5センチに。深さは1センチぐらいでしょうか。使用開始から2週間、急に肉が盛り始め経過良好。半信半疑だった先生もびっくり!《2001年7月》
 ※フィブラストはスプレーで冷蔵庫保管です。小さい容器に入っていて、開封後スプレーのノズルを装着、開封後2週間で使い切りです。生食で患部をきれいに洗い流した後、少し乾かしスプレー後、約1分放置します。浸透させるのでしょうか…? ちょっと面倒ですが、経過は良好です。主治医の考えで、他にも薬をつけています。
 “フィブラストS”使用開始から2ヶ月が過ぎました。ついに、傷口のほとりから白く皮膚が張ってきました。フィブラストSをスプレー後、皮膚を張らせる作用のアクトシン軟膏、抗菌作用のゲンタシン軟膏を塗り、皮膚の保護のためにリフラップシートを貼る。陥没部は、平らになるまでの肉盛りは手術以外不可能とのこと。この状態で皮膚ができれば、一応完治です。《2001年9月》
 使用し始めて4ヶ月が過ぎました。今年の夏の暑さにはさすがに参って、食欲がなく心配していましたが、経過は良好です。近頃食欲が出てきたので晩酌は止め、入るだけ食べるように努めているのがいいのか、一進一退の傷がまた急に良くなってきました。「肉が盛るにも限度があり、穴があいた状態で皮膚ができ、完治」と言われていたジョクソウ。フィブラストSとアクトシン(皮膚を作る)を使っていますが、グングン肉が盛ってきて、驚いています。潰瘍部を整えるために、アクトシンからグラニューゲルに変わりました。《2001年10月31日》
 1月18日、両手、お腹に大反省の火傷を負ってしまい、火傷を治そうと栄養分がこちらにも取られるのか、発熱等で抵抗力が少し落ちたのか、ジョクソウの治り具合が止まってしまいました。おいしい物を食べて、免疫力を高めなきゃあ。《2002年2月》
 ついにフィブラストS、一応終了です。もう一息の表皮張り待ち状態。ちょっとの油断で、新しい表皮はすぐめくれてしまうので、気の緩みは禁物です。骨と皮の一進一退状態のジョクソウができて4年。当初はひどい汗、吐き気、熱、痙性……と辛かっただけに、ほんとうに楽しみです。間もなくマラソン42.195km完走かな? ジョクソウができてからも、ほとんど車椅子での生活。旅行にも行ったり、あいかわらずの外出、除圧もできない。でも「こんな生活でも治る」と確信できました。フィブラストSさん、ありがとう!《2002年5月1日》
 ただいま、ちょっとの不摂生で表皮がむけてしまい、進歩がないのでフィブラストS使用開始。皮膚を乾燥させる役目のある“カデックス”軟膏も使用開始。今度こそ“ゴール!”となりますように……。《2002年6月》
広島県:ハローマリ hello-mari@enjoy.ne.jpメール
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