はがき通信ホームページへもどる No.63 2000.5.25.
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沖縄に行って来ました


3月10日〜12日まで沖縄に行って来ました。北海道や九州に比べ、沖縄は「車いすで行きにくい所」と思っていました。那覇空港までは良いですが、問題は島内での移動の確保です。トランスファーが出来るようであれば、レンタカーを借りて介護者に運転してもらい観光地を回るのが一番の方法かもしれません。私のようなレベル(C4)ですとそれも難しく、行きたいと思いながらもなかなか行けずにいました。でも今回、いろいろホームページを見ていると「沖縄脊髄損傷者連合会」のホームページに当たり、何の気なしに「島内の車いす障害者の移動」について電子メールを出したところ、宜野湾市内のCIL(自立生活センター)の移送サービスを紹介していただきました。やはり、沖縄では車いす障害者の移動はすべてリフト付きワゴンに限られるとのことで、寒い時期、宿泊外出をしていなかった私は、旅行がしたくて「ウズウズ」していたこともあってすぐにお願いしました。

訪問看護の合間の3日間ですが、まだ未到達の沖縄です。介護者も決まり、数ヶ月ぶりの旅行に少々興奮気味です。もちろん往復飛行機、身体のことを考えJALのスーパーシートにしました。飛行機内では快適ですが、空港での車いすの乗り換えが頸損者にとっては非常に煩わしい事、トランスファーで失敗してお尻でもすりむいたらせっかくの旅行が台無しになってしまいます。私があらかじめ口酸っぱく言ったせいか、なんと!電動車いすのまま機内に入り、シート横付けでトランスファー出来ました。スーパーシートだから?良い担当者に当たった?と思いつつ、あっという間に沖縄へ。那覇空港でも同様に電動車いすにそのまま乗れました。那覇空港で移送サービスの方と待ち合わせし、リフト付きワゴンで市内国際通りへ。

国際通りは、那覇市内で一番の繁華街。ホテルや土産物などのお店が並び、ホテルのチェックインした後、国際通りを散歩しながら郷土料理の店で夕食を食べ、土産物店などを数件見て回りました。ストリートミュージシャンや空ぶかしの車など夜中まで賑やかで、「どこに行っても同じだなぁ」というのが国際通りの印象でした。

2日目はあいにくの雨。午前中は牧志公設市場で買い物をし、午後から移送サービスで首里城公園→平和祈念公園→ひめゆりの塔→琉球ガラス村などを回り、運転手さんが観光ガイドまでしてくれました。首里城では正殿の中まで車いす昇降機やスロープなどあり、神社や仏閣などの歴史的建物では「そこまでしなくても?」と思うくらいバリアフリ−でした。雨は降っていたものの、さすが沖縄。「蒸し暑かった」。

3日目は何とか雨も上がり、飛行機の出発時間の合間に那覇港に回ってもらい、海も見ることが出来ました。那覇空港では電動車いすのまま機内まで行けましたが、帰りの羽田空港ではやはりあの「窮屈な車いす」に乗るはめになりましたが、以前に比べれば航空会社の対応も幾分良くなっている気がしました。

今回、残念ながら沖縄で生活している障害者とは話が出来ませんでしたが、歩道や観光地などはもちろん、市場の中まで点字ブロックや音の出る音声誘導装置など、視力障害者の配慮は目立ちましたが、バス大国の沖縄に「ノンステップバスやスロープバス」が走っていないのは改めて驚きです。
昨年からの旅行については、電車時刻の検索・飛行機の予約・ホテル(車いすの対応など)の予約・観光地の情報収集や地図・現地との連絡など、ホームページを検索し、電子メールのやり取りだけで電話・FAXを使わずに、すべて家にいながら自分のパソコンで旅行の準備が出来るようになりました。私たち頸髄損傷者にとってはとても便利になりましたが、ホームページを見ていると、また出かけたくなってしまうのではないかとちょっと心配です。
沖縄旅行の様子(写真)は「ふざわたかし・ホームページ」で見られます。

東京都 : 麸澤孝(編集委員) ホームページHOME fuzawa@par.allnet.ne.jp



仕事だけが社会参加じゃない

私たち四肢麻痺者にとっての就労とは、限りなく夢に近いあこがれのようなものかもしれません。それは、重度になればなるほどその度合いは増します。大多数の「無職」の頸随損傷者(あるいは重度障害者)たちは、就労している希有な同胞に向かって「運が良かったから」「周囲の環境に恵まれたから」「傷害が軽いから」などと言い訳を作り、自らを納得させているふしがありますが、それはとりもなおさず「就労」という形が何より善であり、「大人」として「社会の一員」である証のように思いこんでいるからにほかならないからではないでしょうか。
社会の一員である「証」は、大別すると二つに分けることが出来そうです。「頭脳労働」と「肉体労働」です。もし、私たち頸随損傷者に「仕事」ができるとしたら、それは「頭脳労働」にほかなりません。けれどもその「就労」が難しいのは、たとえば一般事務職のような「頭脳労働」すら出来ないところにあります。それは、インフラから来る、あるいは肉体から来る傷害から、毎日定時に出勤が出来ない、でありましょうし、単に車椅子に座っていられないからです。
結局、傷害が重度になればなるほど、「仕事」の範囲は狭まっていくことになります。皮肉にも「仕事」は、範囲が狭まるほど専門知識を要求してきます。つまりたとえば、在宅、ベッドの上で社会参加していると実感できる「仕事」といえば、それはもう個人の突出した才能が要求される世界になってしまいます。
けれども悲しいかな、大多数の頸随損傷者は健常者と同じ比率の凡人たちです。この不景気とも相まって、それはもう闇夜に放たれた黒猫のように、声はすれどもこの手にすることは難しいことになっています。それらをカヴァーするインフラや法の整備を期待し要求もし続けますが、それに終始した言い訳や発信だけの日々では、気持ちの痼りは取れるはずもありません。
もしかしたら、私たちが望んでいることって、満足できる日々って、「私は一個の大人として社会に参加している」という実感なのではないでしょうか。健常者といえども、そのほとんど全てがカールルイスのようには走れません。周囲をつらつら傍観していると、人々は皆、タイムは遅くとも個々、自分が走れる精一杯のスピードで走っているように見えます。これが「社会に参加する」ということなのかと思えてきもします。
「仕事」とは、金銭の授受よりも大きな比重で「社会に参加している」という精神的充実感、安心感、満足感を得る一手段なのではないでしょうか。
だとすると、たとえ寝たきりだとしても「社会参加」はできるように思えます。それは「他者への思いやり」。「社会参加」=「他者への思いやり」?一見何の脈略もなさげです。が、たとえば一例ですが、介助者に頼むときは思いつきで呼びつけるのではなくて、頼むことを整理し一度にして貰う、といったようなことです。これにより介助者は他者に回れ、依頼者は介助者へのかりそめのシエスタを思いやられ、あるいは国費節減という自己満足が得られたりします。レベル的には、案外「就労」から得られる充実感と同等なのではないかと思えます。
ともあれ「就労」もいっときのこと。あの天賦恵まれたカールルイスでさえ、いまや大多数の一部になっており、いずれは私たち頸随損傷者と変わらない凡人になります。そのとき覚えるのは、日ごろ私たちが奥底にしまい隠している「無職」感でしょう。「疎外感」「不要感」「お荷物感」。そのとき真に問われるのが「自立」ではないでしょうか。
高知県 : S air@mail2.netwave.or.jpPOST



感染症には気をつけましょう

私は昨年の10月末(はがき通信懇親会のあと)に、風邪をひき体調を崩しました。治せないでいるうちに気管支炎・上気道炎・中耳炎・膀胱炎と併発し、11月8日に入院しました。15日後に退院はしたものの、トランスファーがまったく不能となってしまい在宅生活ができず、リハビリ入院をしました。しかし、膀胱炎がひどくなり発熱するようになって、総合病院の泌尿器科に紹介され転院しました。

年末(12月30日)にようやく退院したものの、1月10日に具合が悪くなりタクシーで病院に行ったところ、そのまま緊急入院となりました。病名は低カリウム血症。カリウム剤の点滴治療が始まりましたが、ひどい血管痛のためにCVCを注入しました。それと同時に腎盂腎炎を起こし、40℃の発熱が続きました。一ヶ月経っても熱が下がらないために血液培養した結果、身体に真菌が感染していることが判明しました。また、ヘモグロビンが3.5まで低下しているという極度の貧血状態に陥り、脳に酸素が行かなくなる寸前で危うく命を落とすところでした。 即に1600ccの輸血と中心静脈栄養が始まり、命を取り止めました。

たかが風邪ですが、合併症(特に感染症)を起こすと命をも落としかねません。みなさんも「風邪くらい・・・」と思わないよう、十分注意し、ひどくならないうちにしっかり治してください。
私は風邪がもとで多くの合併症を起こし、四ヶ月もの入院生活を送るはめになり、大学の方は後期出席できずに来年留年することになりました。だけど命があっての学生生活なので、今は大学の単位のことよりも身体を一番に考えるように心がけることにしました。というわけで、私は今年4年生ですが、卒業単位が足りないために来年もう一度4年生です。このような私ですが、これからもよろしくお願いします。
山口県 : ミカリン mikarin@mx5.tiki.ne.jpPOST



脅かすつもりはありませんが

もう13〜4年も前、私が神奈川リハビリテーションセンターの更生ホームに入所中のことです。リハビリ工学科が頸損者の睡眠状態を調べました。
更生ホームで10人、病院で10人ぐらいの頸損者を対象に、顔に何カ所ものセンサーをつけて一晩中、測定したわけです。その結果、約半数の人が睡眠時無呼吸症であることがわかったと言ってました。寝ているうちに息をするのを忘れるというか、呼吸が止まるのですが、これが一晩で30回以上あると睡眠時無呼吸症と呼ぶそうです。当然、苦しくなり、あわてて息をするわけです。これでは深い眠りなどできるはずもありません。
私の場合はよく寝ているつもりだったのに、50回以上の無呼吸だったそうで、調査員もこれでよく寝た気になるねェ、とあきれていました。一晩、約8時間(480分)とすれば10分に1回の割りですもんねー。(計算しながらあきれています)
ある時、肺活量の測定をしたことがあります。口に管をくわえて10分間ほど横になっているだけですが、ほどなく寝入ってしまいました。するとどうでしょう、徐々に肺活量が減っていく様子が見事に記録されていました。まさに睡眠時無呼吸症をグラフに見てしまいました。そういわれてみると、私のいびきは規則的でなく、時々苦しそうにあえぐそうです。あわてて息を吸い込んだときなのでしょう。
この睡眠時無呼吸症はもちろん健常者たちも発症し、疲れやすかったり、集中できなかったり、昼間眠くて仕方なかったりと良いことがありません。さらに、最近では、これが突然死の原因ではないかとも疑われています。施設の医師にも相談したことがありますが、「中枢神経を痛めてるからね」と妙案もありません。脅かしてごめんなさい。



良き出会い

通信の皆様、いかがお過ごしでしょうか。風薫る5月、さわやかな季節になってまいりました。私はお陰様で元気にしております。日々、主人の介護に追われています。
毎日、室内を杖を離れ、歩くリハビリをしています。まだおぼつかない歩きではありますが、60歩ほど歩けるようになりました。
長男直樹は事故より半年以上も経ちましたが、まだ背中の圧迫骨折の部分の痛みと胸の痛みがあり、仕事に復帰できず、リハビリのため通院しています。今年の秋には、右足に入ったビスと鉄板を抜く手術をする予定です。この手術が無事に終わり歩けるようになることと、背中と胸の痛みが一日も早く良くなることを願っています。

平成12年2月17日、九州・熊本より佃さんが埼玉県嵐山(らんざん)町で行われる、農業研修会に参加されるために上京されました。嵐山町で一泊し、翌日の18日にお忙しい時間を割いて上福岡までおいで下さいました。午前9時半に、上福岡近くの交番前で待ち合わせのお約束をしました。私はまだ一度もお目にかかったこともなく、お顔もわかりません。とても心配でした。電話の向こうから聞こえる佃さんの声は、明るく感じの良い方でした。
私は佃さんをいろいろとイメージしながら、交番前へと急ぎました。自宅から駅までは約7分と大変近く、途中の交番まではすぐです。交番へ近づくと佃さんはニコニコ顔で手を振り、待っていて下さいました。私は佃さんに駆け寄り、思わず握手をしていました。心配していたことなど吹き飛んでしまいました。なぜか初めてお会いした方ではないような、ずっと前からお友達であったような不思議な出会いでした。お互いにやっと出会えた喜びを体で感じ、気がつくと佃さんと肩を組み、自宅に向って歩き始めていました。そして、自宅に着くと、車椅子生活となった主人ともやさしくお話しして下さり、いろいろ励まして下さいました。
佃さんの息子さんは、健二と同じようなスポーツクラブ(スイミング)での事故で頸椎を損傷し、大変苦しい思いをされてきました。また、裁判も経験され、私と同じ思いをされてきました。お互いに心が通じ合うのでしょうか、次から次へとお話しが尽きることはありません。佃さんは「もう一生お会いできないかもしれないから」と言われ、記念に写真を撮りました。自宅での1時間30分、何と短い出会いだったでしょう。
佃さんの息子さんは今、障害を乗り越え、元気に大学生活を楽しんでいられるようです。また、驚いたことに車の運転免許も取り、車を運転しているとのことです。明るく前向きな息子さんを、佃さんも大変喜んでおられました。本当に短い時間ではありましたが、佃さんと心の通ったお話しができたことは私にとって忘れることはできません。これから嵐山町に戻り、農業研修に参加され、次の日に熊本へお帰りになるそうです。
佃さん、楽しい思い出深い出会いをありがとうございました。これからもずっと良いおつき合いができますように、またいつの日かお会いできる日を楽しみにしております。佃さん、お元気でお仕事に、介護にがんばって下さいますように、今度はゆっくりお話しできますようにと願っています。
埼玉県 : HS
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