は が き 通 信 No.55 - Page. 1 . 2 . 3 . 4
POST CARD CORRESPONDENCE 1999. 1. 25

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懇親会報告

1998年10月10日、11日、浜松で、THさん、Yさん、0さん、とお会いしました。皆な変わりなく、元気でした。
10日、土曜日の朝7時、アパートを出て、地下鉄大濠駅に向かいました。地下鉄でJR博多駅に行き、新幹線、グランドひかりに乗りました。車中で、アナゴ弁当を食べました。名古屋で乗り換え、浜松に着きました。
名古屋駅で、向坊弘道さん(スズキ電動リクライニング車いす利用者)、楽元楽造さん、Yさんたちと一緒になりました。浜松駅には、市職員でボランティアのIさんたちが待っていました。会場のマルコーインに行きました。会場には、松井さん(浜松医大教授)がいました。

10日は、Sさん(電動車いす利用者)の司会で、発表が行われました。Tさん(電動車いす利用者)、Kさん(電動車いす利用者)、KSさん(手動式車いす利用者)、SKさん(人工呼吸器利用者)、0さん(イマセンあご操作電動リクライニング車いす利用者)、ISHさん(セコム研究所)、MIさん(アクションあご操作電動リクライニング車いす利用者)、KOSHOさん(スズキ電動リクライニング車いす利用者)、Fさん(カーフシステム電動リクライニング車いす利用者)たちの話がありました。
麸澤さん(スズキ電動車いす利用者)、Yさん(手動式車いす利用者)、THさん(スズキ電動車いす利用者)、Oさん(手動式車いす利用者)、FJIさん(アクションあご操作電動リクライニング車いす利用者)、Tさん(手動式車いす利用者)、Gさん(スズキ電動車いす利用者)たちも発表を聞いていました。
ぼくは、1995年10月に、NHK・教育で放映された、『ワーキング・クォーズ(WORKING QUADS)』No.10を紹介していただいた「あすの福祉 手足のハンディを越えて 重度四肢まひ者の就労」という番組のビデオを使い、話しました。番組の司会は、NHKのアナウンサー青木裕子さんでした。放送大学教授の三ツ木任一さんも出演してくれたものです。向坊弘道さんと、KSさんの生活ぶりが映っています。

言いたかったことは、こうです。障害をもつ人々の中にも、2種類の人たちがいる。日常生活動作に関して自分自身のことができる大多数の人たちと、肢体不自由者の中で、さらに少数者ではあるが、日常生活において他者の介助を必要とし、車の運転ができない、四肢まひ者という、最重度の障害をもつ人々である。
たしかに、人工呼吸器使用者には、本人の「死ぬかもしれない」、まわりの人たちの「死
なせてしまうかもしれない」、という重大な問題があります。しかし、要介助の四肢まひ者たちは、障害を持つ不便さだけでなく、生きているかぎり、他人との人間関係という、一番難かしい問題の中で、自分のやりたいこと、ニーズを処理していかなければならない。これはとても大変なことだと思う、ということを言いたかったのです。
経済的にも、社会的人間関係における処理能力というスキルに関しても。「はがき通信」でも、もう少し、この他人介助の問題を取り上げていただければ、と締めくくりました。映像で紹介されていた向坊弘道さんと、KSさんから、コメントをいただきました。
向坊さんは、「1人暮らしでは、火事を起こしそうになったときと、夜中に排便がうまくいかないときが、ピンチだった。タクシーを呼んだり、介助者を呼んだりして切り抜けた」という話をしてくれました。
市職員でボランティアのIさんと、訪問看護ステーションで理学療法士として働いている男性の方が、感想を話してくれました。
ビデオテープは、0さんが、「広島で回覧したい」と言ってくれたので、差し上げました。ダビングテープが必要な方は、ご連絡ください。
夕食は、みんな、浜松の名物、うなぎ弁当(中)でした。「わしらは、脳ミソが筋肉でできている体育会系」というスポーツマンのI道和さん、0さん、KOSHOさんと一緒に食べました。
夜、行われた、プレゼント交歓会では、MOさん(人工呼吸器利用者)、TERさん(人工呼吸器利用者)、MTさんたちが一緒になりました。ぼくは、プレゼントを用意していなかったので権利はなかったのですが、Oさんのお母さんに、葡萄をいただきました。
去年は、小さくて使えなかったマルコーインのエレベーターですが、今年は、I道和さんに、後ろから乗り込む方法を教えてもらい、エレベーターが使えるようになりました。

10日夜、有楽町の銀座ライオンに行き、I道和さん、麸澤さん、KOSHOさん、FJIさん、Tさんたちと、楽しく飲みました。夜の有楽町は、土曜日ということもあり、人がものすごく多かった。帰り道、コンビニでミネラルウォーターを買って帰りました。ホテルに帰って、I道和さんから、町まで出て買ってきたというたこ焼きをもらいました。おいしかった。
1998年10月11日、ミス・"WORKING QUADS"のS弘美さんにお会いしました。いつもですが、とてもきれいでした。うめ吉さん(スズキ電動リクライニング車いす利用者)も来られました。
11日は、S弘美さんの司会で発表が行われました。0さん、麸澤さん、Yさん、THさんたちの話を聞くことができました。

来年は広島で開催、ということが決まりました。0さんと、SKさんのお父さんが中心となってお世話することになるそうです。浜松は今年で終わりということで、こだまで、新富士まで、富士山を見にいきました。駅の2階のレストランから、雪のない富士山がかすかに見えました。白い雲の上に、黒っぽい富士が、うすく、あわく、青空にとけこんでいました。目をこらして見ないと、消えてしまいそうでした。
帰りは、名古屋から、500系のぞみに初めて乗りました。揺れも少なく、高速で、非常に快適でした。博多に帰った時、雨が降っていました。
これからもよろしくお願いします。敬具

Tちゃんは頑張っています

写真平成9年10月11日、浜松で行われた「はがき通信」懇親会2日め、アイリーンさんをお招きしての講演会で北海道より参加されましたTちゃんのお父様と初めてお会いいたしました。短い時間でしたがお話しすることができました。

本の表紙「あの子の笑顔は永遠に」 お話の中で『あの子の笑顔は永遠に』の本を親戚の方より送っていただき読みましたと言われびっくりいたしました。当時、Tちゃんの事故のことでたいへん落ち込んでいた時にこの本を読みとても勇気付けられましたと話して下さいました。ほんの少しでもお役に立てたことを嬉しく思いました。

また、2年後ぐらいには、Tちゃんをつれてこの「はがき通信」懇親会に参加したいとも話されていました。今は、呼吸器を取りたい一念で呼吸の訓練を頑張っているそうです。お父様とはほんの束の間の出会いでしたがお話しできたことを嬉しく思っています。その後お会いすることもできませんでしたが「はがき通信」51号でTちゃんのお母様から5歳になられたTちゃんの元気な様子がお便りされていました。雪かきをしたい、スキーをしたい、スキー場のリフトに乗りたい、意欲満々な可愛いTちゃんの笑顔が目に見えるようです。本当に素晴らしいですね。

「はがき通信」54号に松井先生からの報告を読みました。信じられないような、先生もびっくりするようなTちゃんの回復力には、ただただびっくりするばかりでした。自力呼吸へ向けての訓練も順調に進んでいる様子で、お家の中では、おもちゃの自動車にまたがり一生懸命漕いで乗ったり、外で子供用の自転車にまで乗れるとのこと、左手では、絵や字も書ける、本当にC2を損傷したとは信じられない光景です。きっと早期のリハビリもよかったのでしょうが、それにも増して御両親の愛情あふれるTちゃんへの介護の賜物と思います。まだTちゃんは5歳です。どんどん良い方向へ回復されることと思います。

1999年にはきっと呼吸器も完全に取れ自転車乗りや、スキーもできる夢のような日が訪れることと思います。自由に遊び、楽しく学校へも行ける日を、そんな日を可愛いTちゃんのために遠方より応援しています。
寒さも厳しい北海道の冬をお体に気を付けお元気にお過ごし下さい。
埼玉県 : HS



夢のように終わった「かながわ・ゆめ大会」

今年も残り少なくなってきましたね。師走に入り、ぐっと寒くなりました。この号が出るのは新年になってからですが、皆さん、どうぞお元気で良い年末・年始をお過ごしください。

私にとっての平成10年は、「かながわ・ゆめ大会」の出場が決まった春から常にそのことが頭から離れず、レーサーの四苦八苦の練習ともども、国体に明け国体に終わった感じです。11月の大会終了後、何かドッと気抜けしてしまい、“燃え尽き症候群”状態が続いていました。未だパワーが全開しません。

写真結果は2種目とも、自己ベストの金メダルで上出来すぎるほど。特に100メートルは、インコースという不利な場所だったにもかかわらず、大会記録には0.79秒及びませんでしたが、本大会で初めて35秒の壁を破ることができました。ほんとにクソーッと思いながら、3輪の練習してきた甲斐があったというものです。
しっかし、本番になぜか強い私……緊張はしたものの上がりはしませんでした。うーん、やっぱり心臓に毛が生えているのかな?! でも、ゴールラインに気がつかないほど、レース中はコースアウトしないように無我夢中で走っていました。

さてさて今回、皇太子殿下と雅子さまを交流会で、至近距離3メートルくらいの位置から幸運にも拝見することができました。マスコミはたくさん来てフラッシュをたいていたのに、写真は撮っちゃいけないとかでとても残念でした。1枚くらい撮っちゃおーかなーと思ったのですが、衝立ての向こうから顔半分覗かせている、SPの人と目が合ってしまうんですよ。
オレンジジュースでお2人も乾杯したのですが、お飲みになった後のグラスはすぐに別に置かれ、ふたがされていました。雅子さまはおきれいでしたけれど、あの笑顔をずっと浮かべたままくずれない横顔は、皇太子妃になられてからのまさに訓練の賜物でしょうか?! お2人は翌日の開会式ご出席のため、同じホテルに泊まられました(たぶん最上階の1泊50万円するスイートルーム。私たちが泊まっていた部屋も、パンフを見ると最低でも3万5千円でした。2度とこんなところに4泊もできませんよー)。

半年あまりずっと頭から離れず練習してきたわけですが、終わってみるとまさに「ゆめ」の大会であったような気さえします。余韻はまだ体から完全に抜け切っていません。開会式の大歓声と感動は忘れられません。
開会式の日は雨が降り出しそうなほど寒く、毛布でダルマになりながら開会式を待ちました。競技後、控えのテントの前で見た夕日がとてもきれいだったナー! 閉会式ではイルカのコンサートがあり、日が暮れた中、みんなでペンライトを振りました。後夜祭では他県の人たちとの交流も持てました。頸損には朝早くから夜までハードスケジュールでしたが、楽しかったです。

地元の大会に出場できて本当によかったと思います。プレッシャーもありましたけれど、友達とかの応援の声がとてもうれしかったです。一生の思い出になりました。個人種目はもう1度出られます。種目を変えてまたチャレンジしてみたいです。12月4日
横須賀市 : HS h-sedei@ma4.justnet.ne.jp



初体験! ひったくり

お久しぶりです。2回めの投稿のHMです。1回めは1年ぐらい前だったと思います。1年間いろいろありました。よかったことは引っ越ししたこと。といっても前住んでいたマンションの目の前だけど……。私の部屋は少しだけ広くなりました。ショックだったのはひったくりにあったこと。1人でデパートをうろうろしていたら後ろから手が……。何があったのかしばらく分かりませんでした。次の日の警察の事情聴取も初体験でした。中身はあんまりなかったのでよかったけど、財布は買ったばかりだったし使いやすく気に入ってたので、財布だけでも返してほしかった。みなさんも気を付けてください。
1年前から始めた生活にもだいぶん慣れてきました。吸引が少し不安でしたが、呼吸器を付けていれば少しタンが出ても大丈夫みたいです。それより話し相手がいなくて時々さびしくなります。一応PHSは持っているのですが、長時間スピーキングバルブを付けてると頭が痛くなります。それで最近いいなーと思ってるのがEメール。いろんな人とメール交換したいし、自分のホームページも作ってみたいです。でもパソコンをまだ持ってません。パソコンを買うお金もありません。買い物が趣味andストレス解消の私には貯金は難しいかも。それで前回に引き続き家でできるバイトを探しています。できれば月2〜3万ぐらいなどとぜいたくなことを思ってます。
嬉野のNさんから教えていただいたテープおこしは今も探してますが、なかなかありません。これからも探してみますが、他にもあるよっという方教えてください。障害者手帳でパソコンもらったよという方もこっそり教えてください。
寒くなってきました。風邪には気を付けてください。
北九州市 : HM



私の願い

私は当年とって77歳です。ちょうど4年前、松の手入れ中転落、頸椎損傷者になりました。幸いにも四肢は動きますが、末梢神経が麻痺して歩行器が必要です。日常は車椅子で暮らしています。ただし排泄機能が充分でなく尿はチューブ付きの袋で自然排泄、便は2日に1度、座薬を使います。
苦痛は、1日9時間車椅子にすわって食事、新聞、読書、テレビ、日記等をしているあいだ、腕と脚と臀部がしびれて痛むことです。もちろん午前に30分、昼に1時間、夕食前の1時間30分はベッド休息をとります。
中でも3度の食事は、とても大変です。箸が使えないのでスプーンとフォークを使います。歯は上下とも義歯で自分の歯は上に7本、下に2本あります。おいしくいただけますが、平均して40分から50分かかります。主食は米とパン、麺類、副食は2〜3種類、主食の量に分けて均等に食べます。その後に朝夕は4種類、昼は2種類の薬を飲みます。1日に牛乳1本とお茶2,000〜2,500ccは必ず飲むように主治医より指示されています。起床は6時、就寝は10時以降で睡眠薬を使います。平均5時間は眠れます。私の日課は以上です。
日常の介護は妻(73歳)です。介護だけではなく食事はもちろん、屋内外の掃除、手入れ、洗濯、畑の世話などたいへん忙しい日々を送っています。入浴は週2回、特別養護老人ホームで月2回ヘルパーさんにお世話になっています。その他に週1回の訪問看護婦に膀胱の洗浄と、月2回のリハビリを理学療法士に、月1回主治医の往診を受けています。
私の家は山麓にあり、道路は広くても傾斜が強くて、他の家へは行けません。一番困ります。したがって終日、屋内にこもりがちです。妻との会話は別として知人や友達との交わりが、つい疎遠になり寂寥のきわみです。でもその寂しさや体の苦痛を嘆いたり、ごまかしたりしないで自分の心に忠実に生きたいと思っています。苦しさや寂しさということは、運命が私を育てようとしているのだということを忘れてはならない。正面から向きあって、しっかり見つめて、これからの人生を条件や環境の中で楽しくいきたいものです。
平成11年4月より能勢町福祉センターが発足することになっていますので、知人や友人と話し合えることを唯一の楽しみに待っているこの頃です。
大阪府 : TF



ジョクソウからくる汗

子供とパパの夏休みに、九州2泊3日、特典“朝夕蓐瘡処置付”の旅行に出かけました。2カ月も続く熱と食欲不振で、もともと無口で内気(?)な私は身も心もボロボロ…? 蓐瘡からくる汗のため、首にはタオルを巻き手にはうで抜きをはめ出かけました。「まるでどっかのおばさんみたいじゃね」って笑ったら、「おばさんがなにようるん」と子供に返された。“悔しい〜!”けど私も四十路のカウントダウン。今年も痙性、しびれ等がますます辛くなる、いやな冬が近づいて来ましたよ。熊のように冬眠ができればいいのにね。
広島県 MK : hello-mari@enjoy.ne.jp



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