は が き 通 信 Number.37---P2
POST CARD CORRESPONDENCE 1996.1.25


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チャンスを逃さずトライ

北海道 AS


明けまして おめでとうございます。34号でお便りした39歳、2児の母親です。
北海道は例年になく降雪量の多い冬を迎えております。ここ上磯町(函館市の西側に位置します)は、比較的、暖かいのですが、それでも雪は積もるので車椅子での移動は大変です。私の場合、普段のショッピングや通院などは夫の車で移動するので、そういう時は何とかなっています(車椅子は折り畳み式でヘッドレスト付きです)が、駐車場やスキー場での移動では介護する夫も苦労しています(家族が行く所には大抵、付いていきます。見ているだけですが、雰囲気だけでも味わいたいと思うものですから)。

行く先々で困るのはトイレのことです。多くのレジャー施設に身障者用トイレがないのです。男性の夫に介助を女性の私が受けている状態では、男女どちらのトイレを使用すれば良いのでしょうか(私は介助があればゆっくりなら自力歩行できます)。毎度、悩むところです。

昨年の夏には、北海道内の友人宅を宿として車で回りました。その旅で感じたことも身障者用トイレの不備でした。高速道路のサービスエリアでは数カ所ごとに一つずつあり、安心でした。でも、出来得るなら、全てのS.A.に欲しいと思いました。そして一旦高速を降りると、大きなドライブインにでも行かなくてはなかなか見つからないのが現状のようです。幸い、今回は上磯町の保健婦さんにお願いして、道内のトイレマップ(北海道共同募金会発行、H4年版)を頂いて行ったので助かりました。ただ、土日祭日、役所の終了後などは、公的な場所が使えないので不便を感じました。でも、何ケ所か、普通のパーキングエリアにとてもきれいで使いやすい身障者用トイレがありました。管理は自治体がしているのか、行き届いていたのが印象的でした(ちなみに場所は塩狩峠と定山渓の札幌寄り)。

今、私は自宅で夫の全介助で生活しています。家事は72歳の義母がやってくれています。わが家は酪農をやっていましたが、2年前に私が倒れてから、その1年後、経営を打ち切りました。施設に入ることも考えましたが、近所に全介助付きでリハビリできるような所もなく、投薬の必要もあるので、自宅で暮らすことが可能ならばと、現在に至っているわけです。勿論、夫、義母、2人の子供たちをはじめとして4匹の愛犬、?匹の猫たちも含めて、家族と離れたくないということ(甘え?)が、自宅を離れたくない最も大きな理由です。

そして…、このロシア春夏脳炎という病気の発症が、現在、日本国内では私一人だそうです。具体的な前例もなく、今後の経過も未知数のようです。リハビリによる現状維持がやっと、と言われました。けれどけれど通院中のOTやST、夫の助けを借りて行っている歩行訓練、様々な経験を通して受ける刺激などによって、わずかずつでも変化してきていることを私と夫は感じています。トライしてみようと思うことをチャンスを逃さず、トライできるのであれば、やってみて、一度はないと言われた可能性を見いだしたいと、思っているのです。

私の今の症状は、脳幹部をやられたため、四肢機能不全、頚部保持不全、言語不明瞭(そのときにより、かなり差があります)、付随運動、その他諸々です。でも昨春、東大病院で2ケ月ほどリハビリと検査をしてきました。その際、バランサー、BFO、SLBを紹介されました(医療器具のSLBは東大で入手できましたが、あとの2つは、北海道に帰ってから補装具給付の公費申請手続きをしました。5月中旬申請して7月25日に認定審査があり、結局、品物が届いたのは11月17日でした。この時間のかかり方は、どうにかならないものでしようか)。

この3つのおかげで私の生活は、この先少しずつ変わってきそうです。まず、バランサーを使ってこうしてワープロを一文字ずつでも打てるようになったことです。これは“すごい”ことです。将来は、パソコンに挑戦したいと思っています。1996/1/6
(次回の通信はフロッピーでぜひお願いします。テキストファイルでしたら、ワープロでも読み込めます:松井)




家族通信:出版記念会

埼玉県 HS


明けましておめでとうございます。
今年、やっとわが家にもお正月を迎えることができました。2年ぶりにお年賀状が書け、嬉しい年となりました。
昨年は原稿書きに終われた1年でした。昨年11月25日「あの子の笑顔は永遠に」と、Kの闘病生活記録を無事出版できた本当に記念すべき嬉しい日となりました。
あの子の笑顔は永遠に
笹井裕子著
制作:日本教会新報社チャペル工房

出版記念会では、松井先生に講演をしていただきました。その中で印象に残ったのは、気管カニユーレにはカフ付きとカフなしがあること。カニューレを長期に使う場合はカフ付きからカフなしカニユーレに切り替える。そうすれば、訓練により普通に声を出し、話ができるようになる。
先生はカフなしカニユーレの実物を見せて、使い方など説明して下さいました(注:カナダ、バンクーバで開発されたピアソンロックのこと)。それは今までみたこともないメタル製のカニユーレでした。
カナダでは、頚損専門の病院で初期から呼吸リハビリテーションなど、専門的な治療が集中的に受けられ、社会復帰をめざし、人工呼吸器を使っていても寝たきりにしないと、日本の医療では考えられない不思議とも思われる話でした。C2やC3の人でも一般の人並に仕事をしているそうです。その人たちの写真も見せて頂きました。

私は、この出版記念会を皆様と共に立派にできたことを心から嬉しく、生涯忘れることができないと思います。
「はがき通信」の皆さんからも多数本の注文を頂きました。この本を通じてお手紙を頂いたり、電話でも話しができました。今まで以上に親しい友人ができたことがなによりも嬉しいことでした。これからも皆さんのお役に少しでも立ちたいと願っています。


最後に、Kの友人、TW君の手紙を紹介させて下さい。

「今日、K君の本が届きました。早速開いて目を通してみました。K君の辛く苦しい日々の中でも笑顔を絶やさなかった明るさや、家族の方々の苦労と努力を知り、とても感動しています。また、自分が健康であることに感謝すると共に、気の抜けた毎日を送る自分を反省しています。この本の制作にあたって、K君のお母さんを始め家族の方々も多大な時間を費やし、大変なご苦労があったと思いますが、素晴らしい本に仕上がり、僕もとても嬉しく思います。本当にご苦労様でした。この本はK君の思い出と、自分自身の気持ちを引さ締めるためにも宝物にしたいと思います」

では、皆さん、お寒い折、お体を大切にして下さいますよう。1996/1/5

その後の反響 その後の反響




広報部だより

「はがき通信」広報部長 麩澤

①「はがき通信」の今後

はがき通信36号(前号)の広報部だよりに4月以降の継続について、松井先生より皆さんに問いかけがありました。私も何人かの読者とこれについて話しましたが、皆さん、会費制でも続けて読たいとのことでした。
私もその意見に賛成です。確かにお金を払ってまで必要ないと言う方もいるかもしれません。そのような考えの方はしかたありませんが、この「はがさ通信」について言えば、福祉機器や尿路管理などの情報はもちろん、お金では買えない生きる勇気みたいなものがあります。今では、障害を持った本人だけでなく、家族の方にも大切な支えになっているようです。

一昨年より私は、療護施設治会全国ネットワークの機関誌「あした」の編集もしています。「あした」の場合、自己紹介や原稿などを毎回呼びかけるのですが反応がなく、こちらから原稿を依頼するのが現状です。そのため毎号ともページを埋めるために、難しい厚生省の療護施設に関する資料を載せたり、意味のないカットを入れたりと毎回を同じような内容になってしまい苦情もしばしばです。

他方、文字を小さくして載せられる通信を増やさなければならないはど皆さん積極的に投稿し、毎回必ず新顔が見え、送られてくるのが楽しみという「はがさ通信」には皆を引きつける何かがあるのです。90年2月より私の自己紹介で始まった「はがき通信」ですが私にとって“自分自身の心の記録”でもあり、割り箸をくわえてワープロを打った文章を、今読み返すととても新鮮に感じ、向坊さん・松井先生そして読者の皆さんに支えられているだと改めて実感します。

「はがき通信」は楽しみにしている人がいる以上、これからも絶対に続けていきたいと思いますが、私は費用はもとより文字入力や編集・コピー・発送などの作業が心配です。今の体制で発行できるのは次号の38号までです。会費制にするにしろ寄付別にするにしろ、フロッピーディスクやパソコン通信を利用したり、お手伝いして頂ける方を探すなど編集作業の軽減を模索し、これからも続けられるような方向で考えて行けたらと思います。皆さんのご協力、ぜひお願いします。1996/1/6

②今後の「はがき通信」について

前号の問いかけに、直接、回答を寄せて下さった方は10数人、みな会費制を希望されています。
寄付は困る、あるいは寄付よりは会費制が良いと明記されています。前号でお知らせしたように、今の印刷と郵送法では年額3千円弱の会費が必要ですが、皆さんの回答では、会費は3千円から3百円と大きな開きがあります。向坊さんの提案は、会費制にするならできるだけ低額にすることです。

そのため第3種郵便を申請して、印刷は韓国で行うことを検討しています。昨年末、フィリピンから届いた向坊さんの手紙では、4月以降の体制が整ったから心配しなくてよいそうです。
なおKさんのお母さん、RHさんから「はがき通信は金銭ではかえられない、生きる勇気と心の安定を与えてくれた」とお便りをいただき、たいへん励みになりました。そのうえ1万円のカンパをいただきました。4月以降の発行費に使わせていただきます(松井)。




最先端の頚損プログラム

松井


カナダBC州で頚損プログラムが効率よく機能する背景には、2つの組織の係わりがあります。BCリハビリテーション協会とBCPA(British Columbia Paraplegic Association)という専門家組織と当事者組織です。うち今回は、BCPAの係わりについて報告しましょう。

BCPAとはBC州の脊髄損傷者協会のことです。全国組織、カナダ脊髄損傷者協会(CPA)の結成が1945年、第二次大戦による退役軍人が組織しました。BCPAはその3年後、1948年に結成されました。BCPAでも結成時、中心となったのは退役軍人です。しかしその活動は退役軍人の利益に限定されません。1949年、市民対象のリハビリテーション施設、GFストロングセンターの設立にBCPAが大きく関与したことでも明かでしよう。

GFストロングセンターとは、前号で紹介したように、BC州の代表的なリハ施設です。BC州の頚損は大半がそこでセルフケアを習得します。センター名の由来となったのが、もう一方の設立者であるGFストロング医師です。彼には対麻痺の娘がいて、専門的なリハビリテーションを希望したが、当時BC州には市民を受け入れるリハビリテーション施設がなかった。そこで医師とBCPAが中心となって設立されたのが市民対象のリハ施設、GFストロングセンターだそうです。最先端の頸損プログラムを支えるセンターは、市民のニーズから設立され、BCPAは結成当初からセンターの運営のみならず、BC州の頚損プログラムに深く係わってきたのです。

BCPAの年報(1994年)によると、常勤職員46人、非常勤6人、ピア組織としては大規模。会員数約7千、80年代末の3千人強と比べて急増、組織拡大の背景にはBC州の脊損発生数の増加('93年19名人、'94年249入)もあるが、障害を持つ人々にとって不可欠な組織となってきたからでしょう。

BCPA代表のハウ氏は頚髄損傷、手動の車椅子で背広姿、エネルギイツシュなビジネスマンという印象。2回目の訪問で、会議中わぎわざ抜けて会ってくれました。初対面という感じのしない、温かさが伝わってくる人柄でした。

真っ赤なスポーツカーで通勤するKさんも頚髄損傷、常勤のリハビリテーション・カウンセラーです。歩行中、日本製のバイクに追突された頚損です。彼女は受傷直後、BCPAの適切な援助があったからこそ今の生活があると何度も強調していました。1984年の受傷、当時、BC州の脊損プログラムは軌道にのっていたはず。しかし彼女が受傷直後運ばれた病院は脊損専門ではなかった。専門病院への転院は困難だったが、BCPAの懸命な交渉によって受傷から半月後に転院できた。彼女の損傷レベルはC7、受傷から2ケ月半後でGFストロングセンターに入所したが、その時点で自分のことは何もできなかった。着替えも歯磨きもできなかった。起立性低血圧がひどく、車椅子にも2時間くらいしか来れなかった。リハのスタッフは彼女の希望で大学へ通学できるプログラムを作った。10ケ月のリハ後、センター近くのアパートで単身生活を始めた。大学(UBC)に通いながら、筋肉トレーニングのためセンターに通った。

大学で社会福祉を専攻した。卒業後、BCPAの常勤職員に採用された。リハビリテーション・カウンセリングでは、彼女の体験を最大限活用する。
18歳で突然の受傷、いままで何気なくできていたことが何もかもできなくなり、絶望的な状態になった。その自分が車の運転から家事までこなせるようになった。健常者と結楯し、一般住宅で生活しているという。BCPAは彼女のように被災体験と専門知識を持つ職員が多い。

政界初の試みとなったベンチレータ使用頚損者のグループホーム、クリークビューの建設でもBCPAが深く係わった。行政主導では、入居者のニーズ、自立生活は拘束される。事故責任が関係するからだ。自立を優先するため、クリークビューは行政が全責任を持つ従来型のケア施設にせず、居住者がケア・スタッフの採用などすべてに責任を持つことになった。それを可能にしたのはBCPAが入居者の相談役を引き受けたから。BCPAは行政の厚い信頼があるからだ。

BCPAの活動は脊髄損傷にとどまらない。BC州2番目のベンチレータ専用のグループホーム、ノーブルハウスは、ポリオや筋ジスなど進行性の障害を持つ人々が対象である。その建設、運営にもBCPAは深く係わる。
1995年5月訪問したとき、BCPAのロビーの壁一面に設計図が貼ってあった。“バラロツジ”の設計図である。家族生活用のタウンハウス(集合住宅)を建設する計画である。障害を持つ人々が結婚しても住める住宅建設をBCPAが企画する。建物は高位頚髄損傷レベルの人たちが生活できる基準で設計された。居住者用が39戸、ゲストハウスが8戸、計47戸と規模が大きい。
日本の車椅子の人たちがバンクーバを訪問したら、宿はBCPAで紹介しますとKさんから伝言を頼まれた。






あとがき


*中谷みゆきさんが年末、約1年ぶりに来研、仕事納めが早かったからと通信のインプットを手伝ってくれました。助かりました。

*はがき通信の編集顧問(無給)・KF氏、ご自身の通信タイトルはこちらに任せるときました。久々に緊張しました。でもさすがプロですね。「障害者列伝」は面白そう。向坊さんといわず、どなたか挑戦しませんか。

*Kさんの笑顔を思い出すと、「苦多くても幸福感あり」は実感できます。Kさん、お母さんのご快復祈っています。

*笹井さん、カフ付きのカニューレでもカフの空気を抜けば話せるようになりますよ。青田さんはカフ付きのカニユーレですでに声を出すコツを掴んだそうです。ベンチレー夕使用で大学通学中の宇都宮の太田さんの経験とビデオが活かされました。今年、青田さんのベンチレータを外す目標は2分、焦らず、諦めずに続けてください。

*日本の男性にも心優しい人がいますね。Sさんの通信には、伴侶の方の添え書きがありました。一面識もないのに温かさと優しさを感じました。私のところにも年末、頚損の人と婚約の報告に来てくれた男性がいました。その晩はなかなか寝つけませんでした。哲也さんではないけど、「嬉しかったんサ」

*TETSU-YA&YUKOさんのCD、発売から1ケ月余りでほぼ完売。お二人とも今回は超多忙のようです。代わりに報告しておきましょう。

*今年の冬は厳冬とか、できるだけ楽しいことを思い浮かべながら風邪を追い払いましょう。

(松井)





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