は が き 通 信 Number.30---P2 前ページへもどる
POST CARD CORRESPONDENCE 1994.11.25


家族通信 : 施設入所までの6ヶ月

MM


ようやく暑い夏が終わり、秋風が吹くこの頃如何お過ごしですか。
主人も施設での生活も1年半となり、それなりに慣れたようです。
思い返せば2年前の今ごろから入所までの6ヶ月間は県庁の福祉課と施設、病院、医師、看護婦の建て前と本音の中で揺れ動く木の葉のような日々でした。重度ゆえに受け入れを拝む施設側と受け入れを説得する福祉課、在宅可能と主張する医師とつんぼさじきにされたと怒る看護婦、車イスは過週3回乗っていますとか家に一泊してきなさい、その次は2泊してきなさい。それができれば受け入れを考えましようと条件を突きつける施設側。事故より5年、病院の外に出たこともない主人が家で外泊するには何が必要なのか、呼吸器、吸引器、ベッド、エアマット、オイルヒータ、主人と機材を運び込むためのワゴン車など考えただけでも気の遠くなる話でした。

「入れるのか、入れないのか、はっきりしなければ家に外泊はしない」と主人のいらいらはつのるばかり。そんな中で主人と若い看護婦が施設入所のことで喧嘩を始めてしまったのです。止めに入った私も巻き込まれてたいへんなことになってしまいました。結局、その看護婦の侘びもなく、うやむやになってしまいました。主人や私が何をしたのでしようか。彼女たちはどうして私たちの不安や苦しみ、怒りを察してくれなかったのでしょうか。とてもやりきれませんでした。万が一に、患者と看護婦がけんかを始めたら、止めに入る前に必ず婦長か他の看護婦を呼んでくることをお奨めします。あとで私たちのようにうやむやにされないためにも。

車イス、外泊の一泊、二泊をなんとか終え、ようやく入所が決まったものの準備不足とかで入所日が決まりません。こうなるともう施設不信です。施設側も受け入れを決めたものの重度ゆえにかなり神経質になっていたようです。ようやく平成5年の3月に入所が決まりました。

退院時、私はまた戻ってくるかもしれないなと思っていました。主人も同じだったと思います。1週間ほど泊まり込んで呼吸器の扱い、吸引器の使い方、体交のやり方など指導しました。部屋には今でも手順を書いた紙が下がっています。今でも一日一回は行っています。入浴日(週2回)、車イス(週2回)、排便(週3回)、呼吸器、吸引器の管理のためです。私が忙しい時は、まる一日行かない時もありますが・・・
主人の施設での生活は全部まかせっきりという訳にはいきませんでしたが、主人の生活も私の生活も良い方に変わりました。
条件がそろったとはいえ、呼吸器使用者の施設入所は日本では初めてかと思います。他の人所者のように「あとはよろしく」ではないことを知っていただきたいのです。自分たちの生き方が第3者の決定によって決められる不気味さをつくづくと感じた6ヶ月でした。施設入所の申込より4年、順番がきても面接も受けられず、ポツにされ続けたと聞きます。平成4年の春、突然「主人が施設入所の話はどうなっているのか」と言い出したことがきっかけで、なぜか福祉課が動きだしたのです。主人のその一言がなかったら今ごろはまだ病院だったかもしれません。ともかく病院よりは、人間らしい生活を送れるだけで、主人は満足しているようです。少し長くなりましたが、主人の施設入所までのいきさつを書いてみました。福祉課内の誰かの「このままではいけない」という人間的な熱い想いが多くの人の心を動かしたのだと思います。1994/9/24


可山優零さん訪問

SA


久しぶりにお会いした建二君のお母さんがとても明るく、元気なのでホッとしました。
向坊さんから本(よみがえる命)を送っていただきました。息子の記事も載せていただきとても有り難く思いました。親子でとてもうれしくまた生きてゆく励みになりました。10月1日お約束通り可山優零さんが来てくれました。青々ときれいに剃った頭がとてもステキでした。床屋さんに行かれたのでしようか。聞くのを忘れてしまいました。真っ黒に日焼けした顔がとても逞しくて自信に満ちあふれていました。いろいろと役に立つ話を聞かせてもらいためになりました。胸を張って勇気を持って頑張るぞいという気持ちになりました。遠いところ来ていただき息子も有り難いと言っております。家族もありがたいことだと話しております。

お陰様で息子も何事もなく元気にしております。今は補装具研にお願いしている車イスと環境制御装置が出来るのをひたすら待っているところです。
何事もなく一日が終わると有り難さを感じ、今が一番幸せな時かもと話しをしていいます。
皆さんもどうぞお体を大切にして下さい。
                   
1994/10/10
(可山さんはAさんのみでなく、この10月、Sさん、Sさんとベンチレータ使用の頚損者をつぎつぎと訪問されました。皆さん、「冥冥なる人間」で抱いた可山さんのイメージと目の前の彼のギャップにびっくりされたようですが、Aさんの手紙やSさんの礼状「可山さんのきて頂けたことは衣津子にとって驚きと勇気を与えて頂きました。感謝しています」とあるように、可山さんの訪問は気管切開のため声も出せず、寝たきりの頚損者に予想以上の大きな励ましとなったようです。M)


“定さん命”で頑張っていく

大阪市 NM

▲自己紹介

定さん38歳、平成3年2月もらい事故で新婚11ヶ月目で無念のC1受傷、しかし持ち前の根性と、明るい性格で呼吸器から少しでもおさらばできる様、日々がんばっています。
その妻・NM29歳、3年半におよぶ入院別居生活からやっと新婚生活の続きを今、堪能(?)しています。頭の線が、切れかかったり、ケンカはしょっちゅうですが、“定さん命!”で頑張っていくつもりです。

▲付添えさん

9月の2週間付添さんが見つからず、一人で定さんを看護していたのです。普通の付添の人では、定さんのような患者を見れる人が少ないのです。その間、非常に体が疲れましたが、精神的にも少々疲れました。母にときどき家事の手伝いをしてもらったりしていましたが、久しぶりに“もういややー”という状態になりました。
しかし幸い9月末にやっと吸引もできて、体交などできる方が見つかり、今に至ります。

▲ストレス解消の猫

それからもう一つ私をストレスから救ってくれたのがあります。それは猫です。定さんは反対していたのですが、私がしつこくお願いして(定さんより猫を可愛がったりしないから等)念願かない9月の初めやってきたのです。雑種ですが、とてもうれしく、生活が楽しくなりました。子どももいず、2人の生活なので、出かけられなくても猫と遊ぶと、疲れが飛んでってしまいます。
今では付添さんが火、木、土24時間看護にあたって頂けるので、外出などできる様になり、ホッと一息ついています。

▲定さん快調

なにより安心なのは、定さんの体調が良いことです。今年こそ大晦日〜お正月をわが家で迎えることができそうです。呼吸の練習も少しずつではありますが、しています。でも肩が凝って続かないのです。前は、1時間できたこともあるのですが、今は3分がやっとです。でもまだやり始めたばかりなので、毎日すればどんどん時間が延びていくと思います。1回の呼吸量が強いのです。だから私は希望を持っています(10月20日現在5分に延びました)。
先日送っていただいた“呼吸管理プログラム”の内容はただ驚くばかりです。定さんは将来バンクーバで生活したいとまで言い出すしまつです。「大阪城までも行けないのに、なにがバンクーバや」といって一笑に伏しています。でも今、労災に電動車椅子を申請しています。もちろん呼吸器を乗せられる様なものです。それが来れば福祉タクシー等に乗り、どこかへ行きたいねーと話し合っています。

▲呼吸器の事故

呼吸器の事故で亡くなられた笹井建二君のことは、私も本当に胸が痛みます。定さんも入院中ですが、呼吸器が夜間はずれ、アラームが鳴っているのに看護婦さんが気づいてくれず、死にかけたことがありますが、その時の恐怖は私も忘れられないのです。それから先日私が外出中、付添さんだけの時、呼吸器から突然空気が来なくなり、アラームがなりっぱなしの事故(?)が起こったのです。すぐ本人がアンビューバックをするように指示し、付添さんも回路がどこか外れているのか確認したのですが、どこも外れていず、水も回路に溜まっていないということで、おばさんはパニックになった様ですが、定さんが「薬の袋に病院のTEL番号があるからすぐ電話するように」と指示しました。たまたま日中だったので、すぐ駆けつけてくれ、原因をあちこち調べてもらった結果、なんと加湿器の水が下限より少なくなっていて、それが原因で呼吸器から空気が送られなかったのです。うちで使用しているのは、コンパニオン280という機種で、皆さんに当てはまるかどうか分かりませんが、是非気をつけて下さい。
でも今回は、私が悪かったのです。ちゃんと水の量も見ず出かけたのですから。ちょうどその日は病院から先生が来て回路を全部交換する日だったので、いつもは加湿器の水が少なくても「どうせ交換するから・・・」と、あまり水を補給しないのです。

今まではたまたま大丈夫だっただけで、今回は乾燥気味で加湿器の水の減り具合が早く、突然空気が送られなくなったようです。私も加湿器の水が極端に少なくなると、こういう状態になることを全く知らなかったので、本当に勉強になりました。本人もぐったりしていましたが、幸い無事で、本当に胸をなで下ろした一日でした。

▲在宅用呼吸器の公的補助

大阪府では、今年8月より医療機関に対し、在宅用人工呼吸器の購入資金援助制度をスタートさせました。購入費の4分の3、上限250万円の範囲で補助するそうです。もちろん、医療機関といっても、在宅医療体制が整い、愚者、家族に対し、在宅ケアの教育指導できることが条件で、5台分1250万円予算があるようです。
「はがき通信」はいつも読ませてもらい、元気がでます。私も家族通信のコーナにと書き始めた途中で、呼吸器の事故が起こったりして、書き終えるまで1週間もかかってしまいました。
それでは今回はこれぐらいにしておきます。                    
 1994/10/22


頚損歴4年の息子とともに

福岡県 HG


“はがき通信”をいつもありがとうございます。大変楽しみに読ませていただいています。その中で“家族の通信欄”と言う所が出来ましたのでさっそくペンをとりました。
私の息子・NGは平成2年7月(16歳)の時にプールでケガをして頚椎損傷(第4、5番)になり、高校に入学したばかりでしたが、8ヶ月入院したのち、もう一度1年生から入り直して車いすでの高校生活を終え、現在北九州大学に通学しております。
今年の夏は大変な暑さで、ケガして4年間床ズレなど出来たことがなかったのに、7月位から汗が出始めどうしたのかと思っていると、お尻の真中あたりが赤くなりだんだん汗もひどく出るようになると、2ヶ所も床ズレが出来てしまいました。でも学校は試験期間中なので、休むわけにいかなくて、汗をふきふきテストを受けることになりましたが、本人は“汗が出ると涼しくていいよ”とケロツとしていました。床ズレはひどくなるばかりで心配していましたが、8月からやっと学校も夏休みに入り、ベッドの生活をさせ、どうにか治りました。その間向坊様にはいろいろアドバイスやら、クッションなどいただき、大変お世話になりました。ありがとうございました。
これから頚損者にとってはつらい寒さがやってきますね。もう今でも大学にいる間は寒いようです。
みな様も寒さには十分気をつけてお過ごし下さいませ。皆様のお手紙やお電話でもいただけたら幸いです。    
1994/10/28


建二を亡くして1年

埼玉県 HS


皆様、お元気ですか。やっと夏の猛暑も過ぎ、さわやかな風と秋空の広がる気持ちの良い季節となりました。昨年11月26日に建二を亡くし、悲しみの日々から一年が過ぎようとしております。本当に月日の流れは早く、この1年間いろいろなことがありました。

6年間という長期に渡りました裁判も、建二の死亡したことにより和解となり、あっけなく終結いたしました。建二と共に歩んだこの長い道程6年間というものはー体何であったのか、ただ毎日無我夢中で過ごして来てしまいました。でも、建二が家に居てくれるからこそ家族が5人になり、家の中が調和し、明るかったのです。それが、急に建二が亡くなり、家の中に大きな空洞ができ、その空洞を埋めることができるのには、多くの時間と年月がかかるのではないかと思います。余りにも深い建二との関わり合いがあったからです。

例えば、私と 一緒にワープロで一生懸命8月の暑さの中、裁判所長宛てに3枚のお手紙を打ち、提出できたことです。それから、バルセロナ・オリンピックを夜中まで家中で応援したこと、また昨年は、サッカーの三浦和良選手に夢中になり、カズ選手がゴールを決めると、顔面一杯の笑顔で喜んでいました。私は両手で建二の頬をたたき共に応援し、喜びで合いました。そんな建二の笑顔が今でも忘れられません。今もサッカーや野球の日本シリーズをテレビで見ていると、つい昨日のことの様に思い出されるのです。余りにも急な建二の死は、今でも信じられない気持ちです。

これからも建二は、私の心の中に永遠に生き続け、私や家族を見守ってくれているのではないかと信じ、多くの思い出を大切にしていこうと思っております。もうすぐ記念祭を迎えようとしている今日この頃です。皆様とお話しでき嬉しく思います。
では皆様、これから寒さに向かいます。今年も残り少なくなって参りました。どうぞくれぐれもお身体を大切になさってください。   1994/11/4


電話通信 KFさん

東京都 KS


*通信29号のパソコン用レーザ光線入力装置を公費請求したのは、環境制御装置とではなく、“意志伝達装置”の誤りです(これは松井の聞き違いです)。

*著書「上の空一頚髄損傷者の体と心」のカセットテープ版ができました。購入希望される方は、下記に申し込んで下さい。

有限会オフィス・コア
〒220 横浜市西区花咲町5-136-5-402
TEL:045-263-1585

90分テープ5本、2500円

福岡県 SK


*11月上旬、清家一雄代表の「四肢マヒ者就労問題研究会」に大手研究肋成財団から200万円の研究補助金内定という通知が入りました。研究の目的とともに昨年12月発行した「ワーキングクオーズ」の実績が評価されたようです。


広報部だより

広報部長 麸沢 孝


▲祝はがき通信30号

私が、はがき通信の第1号に自己紹介を書いてから、早いもので30号が出ようとしています。私も、このはがき通信を書いて行くうちに、いろいろな事がありました。沢渡温泉病院を退院し、カーサ・ミナノに入居したことや、障害者団体の行事への参加、たくさんの人との出会いなど、過去のはがき通信を読み返すと、まるで自分の通ってきた道を見ているかのようです。
ある障害者協会の機関誌に「私の生きがい」というタイトルで原稿を依頼され、どんな感じでまとめるのか考えていますが、やはりこの「はがき通信」のことを書くことは間違いないと思います。
向坊さんや松井先生を始め、編集、発送をしてくださる方、そしてはがき通信を読んで、楽しい通信を書いてくださる全国のみなさんに、心より感謝申し上げます。

▲感激の同窓会

高校在学中に、交通事故により受傷してから11年がたち、卒業式も出席できなかった私が、同窓会として改めて友人達の前に顔を出すのは初めてでした。

これまでに、何度か同窓会はあったそうですが、やはり車椅子という障害者であるという事から、私には話さなかったようで、たぶん当時であれば、話があっても私の方で断っていたことと思います。
同窓会とくれば、仕事の話、結婚や子供のが出るのはいやでもわかっています。今回も“体調が悪い”の一言で済んでしまう事ですが“私を呼んでくれた”ということにとても感激し、私が出席する事で、みんなが気を使い

盛り上がれないという心配もありましたが、今回は思い切って出てみることにしました。
仕事の都合や遠方に住んでいるなどで、参加できない人もいたものの、10年ぶりに会わす顔は変わりなく、初めは私の姿にみんな驚いていましたが、高校時代の話で盛り上がることができ、おまけに送り迎えまでしてくれ、本当に涙が出るくらい嬉しかったです。

私たち、中途障害者はある日突然の事故や病気で、今までの生活が180度変わり、友人、知人からも逆に気を使かわれ、接するのさえ難しくなることさえあります。ノーマライゼーションが叫ばれ、障害者の社会参加の機会が多くなり、障害者主催の行事や、障害者としての社会参加ももちろん大切ですが、ひとりの一般人として、障害を持っていない人たちの中に出ることも、大切なノーマライゼーションのひとつではないでしょうか?

▲ラップトップワープロ 売ります

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海外情報

その8 背損後の慢性中枢性痛みの治療薬ブァルプロエイト HK


Paraplegia32(1994)565-569

中枢性の慢性痛みは、しばしば脊損の合併症となる。抗痙攣剤、とくにプァルプロエイト(Ⅴalproate)はその治療に推奨される。今回重傷の中枢性の痛みに対して詳しい統計的手法を採り入れて、偽薬と比較してみた。この研究では、プァルプロエイトの血漿濃度と痛みと副作用を調べて、それらに基づいて服用量を調整した。血漿濃度と服用量は高いレベルに達したが、プァルプロエイトの有意の無痛効果は示されなかった。脊損に伴う痛みの研究は少ないので、さらなる研究を望む。
脊損による慢性の痛みの発生率は、著者により6%から94%までと差が大きい。我々の以前の研究では66%であった。中枢性の痛みは損傷のレベル以下で感じるのが普通で、治療は非常に難しい。外科的手術にも限界があるし、普通の鎮痛剤はあまり役に立たない。プァルプロエイトは中枢性の痛みの治療で、何人かの脊損者に良い結果をもたらした。

この研究は1990年8月から'91年3月まで行われた。この研究に参加した脊揖者は合計20人で、17人は外来、3人は入院していた。18歳以上の安定した状態の脊損者で、痛みは1ヶ月以上続いていた。全ての人は普通の治療では効果がなかった。中枢性の痛みは正常の感覚を失った、障害のレベルより抹消の痛みと定義した。
この研究ではまず3週間治療して、2週間休み、もう3週間続けて治療した。どちらかの3週間に本当の薬を飲んだか分からないようにした。毎週プァルプロエイトの血漿濃度と肝機能検査を行い、薬の量を調整した。最初は600mgの服用から始めた。

20人中15人は男、5人は女であった。平均年齢は32.5歳、脊損年齢は中央値79.5ヶ月であった。痛みは全例、受傷後2、3ヶ月で始まった。皆他の鎮痛剤を既に使っていたが効果がなかった。一人は2週間のプァルプロエイトの治療(毎日の服用量が1800mgで血漿濃度は748マイクロmo1/1)で胃腸炎が起こった。肝機能検査は正常であった。後から考えてみると、胃腸炎はプァルプロエイトの副作用ではないと確信する。この研究で、4人が目眩の副作用を示したので、服用量は増やさなかった。3週間の治療で、6人の痛みに改善がみられ、2人は痛みが増した。服用量の中央億は1800mg(600〜2400)、血漿濃度の中央値614マイクロmo1/1(128−999)であった。

偽薬とプァルプロエイトの間には、有意の差は見られなかったが、プァルプロエイトの治療中痛みが改善する傾向がみられた。
結果は、有意の効果を示すものでなかったが、とにかく4人の脊損者がこの研究の後も、治療継続を希望した。
さらに最近の研究ではアミトリプチリン(amitriptyline)とカルバマゼピン(carbamazepine)、あるいはこの薬の組み合わせで、何人かの人に治療して、成功したと報じられた。
現在使用している痛みを取る薬は、弱いか、中くらいの痛みを持つ脊損者に最も効果があるという点では一致している。一般的にプァルプロエイトは強い中枢性の痛みには薦められない。


本の紹介

『遥か彼方に進む』リックハンセン&ジョアン・ロープ著

渡辺

バンクーバーのKUさんから、とても興味深い本が送られてきました。
今やカナダの国民的英雄となった脊損者のリック・ハンセンさんと心理学者のジョアン・ロープさんとの共著、『遥か彼方に進む(Going the DistanCe)』です。

スポーツマンだったハンセンさんは15才の時、交通事故で脊髄を損傷しましたが、その後もスポーツに興味を持ち、大学で体育を専攻し、車椅子での陸上競技生活を続けました。そんな彼が建てた目標は、地球一周にあたる2万5千マイルを、19ヶ月間をかけて、世界の34ヶ国を旅行しながら、車椅子で走ることでした。
ハンセンさんはこの目標を実現するために、運動や医学、リハビリ、栄養学などの専門家を含めた仲間作りをしました。また、スポンサー探しもしなければなりませんでした。そして、準備万端とはいえない状態でなんとかスタートしたものの、途中で最も信頼していたマネージャーが、健康上の理由でツアーから離れることになったり、盗難に4回もあったりしました。最後は、予定が遅れたために、ゴールが10月から寒さの厳しい3月にズレこむというピンチに陥りますが、仲間が技術や知恵を出し合い、カナダの雪と氷の道を走り切ることにも成功しました。そしてこの夢は、2年2ヶ月と2日かかって、現実になったのです!
私はこの本を、あまりのおもしろさに夢中になり、2日ほどで読んでしまいました。本には、ハンセンさんがどんなふうに変わったのか、なぜ変わったのかということよりも、むしろいかにして変わっていったのか、ということに力点があります。大きな目標であっても、小さなステップの積み重ねによって達成できる、人は変わることができるのだということが、心理学者のロープさんの協力によって、よりよく理解できるように構成されています。
本の詳細は、いつものようにKさんに紹介していただく予定です。皆さん、ご期待ください。

(バンクーバで清家さんと一緒にお会いしたときのハンセンさんは、自信に満ちあふれた顔、体全体からエネルギーがほとばしるような印象でした。彼の充実した生活が体全体から伝わってくるようで圧倒される思いでした。200ページ近い英文の本を一気に読ませるとは、渡辺さんの語学力もたいへんなものですが、それだけ引きつけ、読みごたえのある本に違いないと思いました。M)

「よみがえる生命(いのち)」 向坊弘道著 樹心社


ここを押すと書評へ飛ぶ「よみがえる仏教」、「よみがえる人生」につぐ向坊弘道著の3作目が9月末出版されました。
出版直後、朝日新聞にも大きく報道されましたので、ご覧になった方も多いでしよう。

第1章の導入「明日も分からない自立生活」は、四肢マヒの一人暮らしの不安やトラブルが正直につづられていて、引き込まれるように読みすすみます。ネパール、ブラジル訪問記など行動範囲の広さにも目を見張るものがありますし、向坊さんとヘルパーのユーモアたっぷりな描写にも思わず吹き出してしまいます。

本書は第2作目からわずか2年足らずで出版され、しかも初版5千部が2ヶ月足らずで完売の予定、まもなく2版目の印刷に入るとのことでした。

通信の読者はすでに入手されているでしょうが、これから購入される方は向坊さん宅に直接申し込んで下さい。購入部数によって割引が異なります。

9冊以下1400円、10冊以上1300円、30冊以上1200円なお送料は実費です。
申し込み先 : 北九州市 向坊弘道 BXE06432@niftyserve.or.jp


第29回日本パラプレジア医学会報告

英国脊損医の特別報告/損傷脊髄の再生研究/脊髄損傷者の高齢化/性機能


今年のバラプレジア(脊髄損傷)医学会が9月末、北海道旭川で開催されました。そのなかで皆さんに是非とも報告したい情報がありました。

▲英国脊損専門医の特別報告

初日会場で外国人としては小柄な紳士を見かけました。今年6月神戸の国際バラプレジア医学会で頻繁に発言していた英国のドクターでした。整形の演題でも泌尿器の演題にも活発な発言をされるので、あのドクターはいったい何科が専門だろうかと不思議に思っていました。

日本では皆さんご存知のように、脊損の治療には整形、泌尿器、リハビリ、脳外の専門医が係わっています。私は勉強のため整形も泌尿器もリハビリもすべてのセッションに参加していましたが、数年前、まだ参加者が少なく一つの会場で開催されていたとき、整形の演題が終わると、潮が引くように整形のドクターが一斉に会場から出て、つぎのセッションの泌尿器のドクターが一斉に会場に入ってくるという状況でした。ですから整形にも泌尿器にも参加し、積極的に発言する英国のドクターはとても奇異に見えました。

ドクターの名は、W.D.ELMasry、座長の紹介によると、英国の資格である脊髄損傷専門医だそうです。私は、英国脊損治療の創設者、Sir Ludwig Guttmannの“spinal Cord Injuries−Comprehensivemanagement and research”を読んでいながら、恥ずかしいことに、英国に脊髄損傷を総合的に対象とする専門医制度があるとは知りませんでした。

特別報告の演題は「Spinal Injudes−The Natureof the Problem」(脊髄損傷−問題の本質)と、脊損治療の哲学に関する報告でした。その骨子を紹介します。

脊髄損傷とは、家族、友人、地域や社会全体を巻き込み、医療、身体、精神、性、社会経済に影響を及ぼすカタストロフィーな外傷である。脊損は身体のあらゆるシステムに“a multi system impaiment”をもたらす。この“a multi system impaiment”は、身体的な障害とともに、大きく2つのタイプの問題を引き起こす。一つは、患者のQOLに係わる問題、例えば失禁、歩けないこと、手を使えないこと、independentの全体的な喪失である。二つは、初期の生物力学、生理学的な安定性の欠如ゆえに神経の潜在能力を低下さすような危険な間題、例えば腎不全や自律神経過反射による脳血管障害である。その危険因子は、損傷レベル以下の感覚の喪失ゆえに痛みなど症状を自覚できないからいっそう増強する。脊損の治療は総合的かつダイナミックなアプローチが重要とたいへん熱っぼい講演でした。

▲損傷脊髄の再生研究

数年前から移植による損傷脊髄再生に関する報告がでてきましたが、今回のように教育講演や一つのセッションとして再生研究が取り上げられたのは初めてのことです。教育講演「脊髄損傷後の機能回復と神経回路の、可塑性」では、「サルの脊髄を下部胸髄レベルで半切断すると、傷害側下肢に弛緩性マヒが生じる。しかし4週間目以後から次第に下肢の伸張反射の亢進と、随意運動の回復が生じてくる」という注目すべきサルの実験結果が報告されました。実際の脊損は、実験のような単純ではなく複雑な損傷で、瘢痕(きずあと)ができてしまうので、機能回復がむずかしいという報告でした。

別の演者から、実験でも脊髄を半切ではなく、完全に横断すると、死亡してしまう。完全マヒ脊損は実験ではつくれないという報告もありました。

▲脊髄損傷者の高齢化

脊損高齢化の問題は、脊髄損傷者の高齢化と高齢者の脊髄損傷発生という2つの問題を含みますが、シンポジウムは二つとも対象としていました。バラプレジア医学会が実施した疫学調査のまとめによりますと、1990年から’92年の3年間に新患として登録された日本の脊損者は、9752人、平均受傷年齢は48.6±19.1歳、50歳前後と20歳前後に多発の山がありますが、最大の山は59歳にあります。外国の疫学調査と比べると、日本の高齢者の高発生は異常で、しかも高齢脊損者の9割弱は頚損者だそうです。

若いとき受傷した脊損者の高齢化では、リハの本格的実施後の脊損者に化骨形成が目立ち、これは認めたくないことであるが、過度のリハの影響もあるかもしれないという指摘もありました。

▲性機能

神経性インポテンツ自己注射の代表として、塩酸パパベリン(PA)とプロスタグランデインE1(PGE1)の副作用に関する報告がありました。PAの勃起率は高く、月1回以下の使用であれば長期使用できるが、頻繁な使用による陰茎海面体繊維化の副作用は不可逆であること、PGE1は、コストは高いが副作用の心配が少ないという報告でした。なお人工射精のクモ膜下腔ワゴスチグミン注入療法は脳出血誘発の危険性が高く、国際的には中止されたそうです。


U氏からKUさんへ質問


30年近く留置カテーテルで排尿管理が良好な理由

U氏の質問:→の先が上野さんの回答

①膀胱洗浄の回数→Pearson Hospitalを出てからしたことはありません。
洗浄液は水道水ですか→するとすれば蒸留水またはお水を5分以上ボイルしたものを冷まして使用、器具も消毒したものを使用。

②留置カテーテルの材質は シリコン? ゴム?交換の頻度は?
→シリコンで4週間毎に交換

ハルンホースのコネクターなどの消毒は?
→私はアルコールにアレルギーなのでバッグを洗うとき×を洗うだけで洗ったあと、キャップをかぶせておき、取り替えるとき何もふれない様に気をつける。夜、ベッドのときは200ccのバック、車椅子のときは700ccのもの。ナイトバックもレッグバックも交換する毎に消毒液を入れて洗い、濯ぎ、下のクランプを空気が入るように開けておく。私の場合、空気も殺菌する。閉めたままにしておくと膀胱感染になる。アテンダントの人がきちっと洗ってくれている時は感染はなく、感染しても抗生物質ですぐ治る。

③使用中のハルン・バック
 何を使っているか
 滅菌タイプか

 名杯は→会社がいくつかありますからスケッタ製
 交換の頻度は→ナイトバック4週毎
       レツクバック8週毎

④膀胱炎の予防薬は服用しているか
     →していません

⑤尿路糸の定期検査は受けているか、またその頻度は
  尿検査は→なし
  膀胱造影検査→1978年、81年3月にしたまま、その後していません。自分でドクターに予約してでないといけないのですが、ついしないままです。

⑥その他
  ナースに上野さんは「尿管理」が良いと褒められる根拠は何か
 →水分の摂取、バッグをきれいに洗ってもらうこと。局部も一日2回きれいに洗ってもらう。
 他の頚損に比べて特別に注意していることがあるか
→衣類、タイトのスラックス、下着は着けない。バッグはいっばいにならないうちに空にしてもらう。チューブはいつも抑えられたり、折れたりしていない様気を付ける。ベッドのときは余分のチューブはベッドの上で丸く置いておく。下にぶら下がっていると流れが良くないか、流れない時もある。
水分はお茶、またはお湯かお水、アルコールはアレルギーで飲めません。

朝 
7:30 ジュース      180cc
9:30 お茶        200cc


12:30 お茶またはコヒー  200cc
 昼食がスープ類のときは  50cc
13:00 お茶        200cc
15:00 お茶        200cc
17:30 お茶        200cc
18:30 お茶        200cc
20:30 お茶        200cc
合計     1580㏄〜1630㏄


追伸:U氏の質問短く書くつもりでしたが、ちょっと長くなってしまいました。男女による違いがあるかもしれません。1966年私が怪我したころカテーテルはまだゴム製で1週間毎に消毒して同じものを使っていました。夜もガラスのシビンで今のように使い捨てではありませんでした。グループホームに移ってからも最初の頃はカテーテル交換の日はお鍋で綿ポール数個、ピンセット他などボイルしておりました。使い捨てカテーテルは1971年頃から使っています。      
1994年10月24日 カナダ・バンクーバにてKU


あとがき

*今回は長編の通信がたいへん多く、活字をワンボンイト落して18ページになんとか納めました。字が小さく、読むのにたいへんかもしれませんが、どの通信も読み応えがあります。

*Gさんの通信はご本人が全力を注いだというだけあって、熱戦の情景がありありと浮かんできますね。それにしても1対4とはGさんの対戦相手に同情してしまいます。Kさんのお母様、成人式の写真を掲載して良かったですね(28号)。プロレス三昧の日々なんてKさんがどんな猛女かと想像されかねませんものね。

*最初は読むのさえ拒絶していたというKSさん、数年でユーモアたっぷりな通信発信者に変身です。石川さんも最初は奥さんが通信に参加されていました。まだ家族を通じてしか発信できないベンチレータ使用者もいずれKSさんのように変身されると期待しています。書くことで気持ちが落ちつき、考えが整理され、見えなかったものが見えてくることもあります。ペンネームでも結構です。
ご家族の皆さんも積極的にこの通信を活用して下さい。

*神経研のSさんが9月末、所内異動で社会学部門を去りました。はがき通信が5年間継続できたのは、ひとえにSさんの協力のお陰です。今回からSさんの後任のYHさんに発送などお世話になります。部数も増えて、コピーの負担が大きすぎるので、印刷だけ今回から外注に出します。早めに業者に回すため締切日後に到着した通信は次号に回します。皆さんのご協力お願いします。
少し早いですが、良いお年をお迎え下さい。




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