は が き 通 信 Number.25−P1
POST CARD CORRESPONDENCE 1994.1.25
ごあいさつ

新年あけましておめでとうございます。1994年はひょっとしたら皆さんの足が立つようになるかもしれません。そんな初夢でした。ワッハッハ。さて先日、別府市太陽の家の友人に久しぶりに会ったら床ズレの特効薬を教えてくれました。イソジン液4/1、グリセリン液1/4、グラニュー糖1/2の割合で混ぜて患部に塗り厚いクッションに穴を開けて、患部に当てるといいです。私も500円硬貨はほどの床ズレがわずか1週間で治りました。情報の大切さを痛感しました。今年も皆さんのはがき通信で本誌を盛り上げて下さい。                  
1994年1月25日 向坊弘道
ニューフェイス?

頚損30年のTMさん

初めてお便りします。
19歳の時、頚髄の5、6番を損傷して以来30年、頚損の骨董品を目指す者です。病院、施設と渡り歩いて、数年前から横浜ドリームランドそばのマンションで暮らしています。
家では、電動リクライニング式車イスのテーブルにワープロを載せて、留守番兼主夫の毎日です。施設や病院から出て暮らしてみて、あらためで世の中にはいろいろな障害を持つ人がいることを実感しています。と同時にADLの確立できないような頚損者同士の情報や意見交換の場が少ないことも痛感していました。

松井先生からのご厚意で数号前から拝見させていただいています。
若いメンバーからの横文字や新語の混ざった通信に、怪我した頃の自分の姿を重ね合わせて共感したり、時間の経過を感じています。
見えない部分も含めて、身体的な状況が似ているということは、必要以上に余分な説明や前置き抜きに話しをし、聞くことができる長所があります。

これからも皆さんの話しに耳を傾け、時には私の思いなどを聞いていただくこともあるかと思いますがよろしくお願いします。           
1993年12月3日


全国の通信仲間の皆様へ

MM


昨年中は、日々の生活に根ざした体験談を数多く拝見しながらそのつどわが身に照らし合わせてうなずきつつ楽しく読ませてもらいました。
昨年は自然災害の多い年でしたが、そう言えばあの天明(江戸時代)の大飢饉は当時4年もの間だ続きました。年の始めではありますが情報の発達した現在であるが故に無用なパニックには気をつけたいものです。
今年が無事な年でありますように願いつつどうぞ又よろしくお願いします。


夢のなかの私はいつも2本足で立っている

HS


皆さん、新年明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願い申し上げます。皆さんそれぞれの新年を迎え、はがき通信に今年一年の計などを述べる方も多いのではと忠いますが、私はちょっと変わったところで今の私の睡眠について、他にこんな人がいるかしら‥‥?という想いもあり書いてみたくなりました。

私は怪我をして以来、今でも2時間以上熟睡したことがありません。怪我をした当初や退院して家に戻って来た初期の頃は、精神的なものが多分にあったと思います。睡眠薬も飲んでいました。(現在も足の痛みのため状況に応じて飲んでいます)ケイ性その他、身体の痛み等から不眠症気味の方は多いのではと思います。
私が変わっているのは、その1、2時間といったこま切れの睡眠の間のほとんどと言ってよいほど“夢”を見ることです。それも全く違った夢が多く、たまに続きも見たりします。少なくとも一晩に3回は違う夢を見るのです。

だから眠っているのか、起きているのか…?まさに夢うつつ状態に毎晩陥っています。1年したらすごい夢の量ですよね。その時は覚えているのですが、朝になるとほとんど思い出せません。でも、サスペンス、ミステリー、スリラー、SF、ホラーの類のコミックマンガまでこの年になっても大好きな私にふさわしい?!(本人にとってはかなり恐怖だったりする)内容が多いのです。そのうち本当に異常な世界に引さ込まれたりして…?!ゾッ…ちょっと恐い話しになりましたが、熟睡できなくて『しんどいなァ〜』と感じながらも、実際はけっこう次にどんな夢を見るか楽しみだったりもします。小さい頃からふとんの中で、いろいろな物語を空想することが大好きでした。

夢って“潜在意識”の現れだったりもするでしょうか…。歩けないと夢の中の自分もわかっているのに、2本足で歩いている私がよく登場します。松葉杖だったり装具をつけていたりもします。フワフワと雲の上を歩いているような感じではなく、歩いている地面の感触が足の裏に伝わってくるような感じさえするのです。ただ、車イスの私は、2本足でしっかりと歩き続けるのでしょうか…。とても不思議ですよね。今度から枕元に書く物を置いて、夢の内容をメモしてみようかなと思っています。今日もどんな夢を見るのか・…。ハラハラ、ドキドキ、ワクワク(?!)です。
         
平成6年1月3日


2 Dear はがき通信様

TETSU-YA

謹んで新年の御祝辞を申し上げます。
昨年は一方ならぬお引き立てにあずかり誠にありがとうございました。
今年も何卒ご支援、ご指導のほどをよろしくお願いいたします。

今年もGOING MY WAYで一丁やるぞっと。夜露死苦・・・・。              
TETSU−YA


頚損歴10年の夫と共に

ST


新年あけましておめでとうございます。
平成6年の幕明けを皆様お元気で迎えられましたでしようか。九州福岡は、とてもおだやかなお正月を迎えることができました。
私は、頚損歴10年の主人と共に、はがき通信を毎号とても楽しみにしている介護歴10年のベテラン?…おばさんです。前に一度介護をしている者の立場から投稿させて頂き、それが縁で、当時入院中のご主人を介護されていた熊本の石川様の奥様と文通が始まり、昨年1月に退院され、ご自宅へ戻られたご夫妻をたずね、お互い夫婦二人暮らしという共通点もあり、とても楽しいひとときを過ごすことができました。

ところで今回は、ちょっと皆様のご意見を伺えたらと思いペンをとりました。主人が重度の障害者といわれるようになってから、障害という文字や、言葉にとても敏感になり、ある日、わが家の辞書で障害という字を調べてみると、「ジャマ」、「サワリ」という意味が書いてありました。これに「者」をつけると、「ジャマ者」ということか……となんとも悲しい気持ちになりました。
日本語は、むつかしいけれど、美しい文字や言葉だと思っておりますが、この障害者というのは、いただけないなと思っているのですが、だからといって、他に替わる、文字や言葉があるかと、聞かれると、不自由という言葉ぐらいしか頭に浮かばないのですが… 外国では、どんな風に、呼ばれているのでしようか。おばさんの頭に浮かぶのは、ハンディぐらいしかありません。
主人が障害者と呼ばれるようになってから10年も経つというのに、未だにこの「障害者」という言葉に慣れずに、見るたび、聞くたびに、頭の隅でカチンときている私ですが、皆様は、如何、思われますか。よろしかったら、ご意見を、お聞かせ下さい。お正月早々、少し固い話しで申し訳ございません。はがき通信の愛読者の皆様、今年も自分の身体と上手につき合い、同じ時間を送るのなら、楽しく過ごしていけるように、生きていきたいものですね。

遅くなりましたが、向坊さんをはじめ、松井先生他、スタッフの皆さん、本当に、いつもありがとうございます。はがき通信のお陰でどれだけ勇気づけられ、教えられることが多いか分かりません。今後とも、毎号楽しみにしております。皆様の御健勝を心からお祈り致しております。長くなり申し訳ございません。           
1994年1月3日


今年はパソコンにチャレンジ

KI


はがき通信のみなさん、明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
お正月は暖かく過ごしやすかったですね。電動車椅子で日なたぼっこをしながら、家の回りをうろうろしていました。
私はお餅が大好きなんですが、あまり太るといけないので、少ししか食べれませんでした?!?
昨年はテレビばかり見て、怠惰な生活で頭が退化してしまった気がします。今年はパソコンを購入してチャレンジするつもりです。はがき通信のみなさんは、プロ級の方が沢山いらっしゃるので、わからない時は質問しますのでよろしくご指導ください。

昨年、弱気になっておられたS先生は、お元気になられたでしようか?遠くから何ができるわけでもありませんが、心配しています。私も後1年余りで休職期間が終わり、復職のことを考えますが諦め感が強いです。でも先生のがんばりを見ると、自分の努力不足を痛感します。復職がどうであれ、自分にできる仕事を、きっと何か見つけたいと思っています。同じ障害を持った人のがんばりや悲しみは、自分のことのように嬉しく、又悲しく感じます。

今年も何事にも一生懸命頑張っていこうと思います。はがき通信のみなさんにも今年が良い年でありますように……                
1月7日


START

鹿児島市 RG


気待ちを新たに、新しい年の始まりですね〜Beginning!!

大晦日から元旦へかけて皆さんはどの様な気持ちで過ごされたでしょうか。
私は、「家族の無事」そして自身へのテーマ「自由」ということです。
私は大学在学中に頚椎Cl-2を骨折し、人工呼吸器を付けておりましたが、3年後自力呼吸ができ5年後顎コントロール電動車椅子へ乗れるようになり退院しました。介助者は母で、他、市のヘルパーと学生ボランティアをお願いしています。(ボランティア募集中!^^;)
「自由」ということですが、

札幌で部屋を借り、呼吸器を付けて自立をされている筋ジスの方を知って感じますが、彼女が閉ぎされた病室の窓から自分も同じように町中を歩いてみたい!
と感じた時から現実になるまでの不安や周囲の反応、様々な葛藤を考えると、想像をはるかに超えたものがあります。
それは、辛さや悲しみよりも憧れの方が遥かに強いと言うことなのでしょう。
強い精神力、意地、ひらきなおり…また自信が感じられ、「可能性を信じ続けること、やればできる」と勇気づけられました。
私は、与えられた環境を最大限に生かし、切り開き、自分なりの自由で生きがいのある世界を創いて行きたいというつもりです。

“はぁ〜るよ来いっ、はぁ〜やく来いっ”
頬をなでる日差しがポカポカとここち好い季節が恋しい・・・
この時期、障害者は雪のなか、すべてが冬眠中!って感じですが皆さんお身体に気を付けて。


初めての初詣に想うこと

TK


ストレッチヤータイプの電動車イスに出会って外出する機会も増え、その分だけ人々とも出会う訳ですが、多くの障害者に出会うたびにどうして皆様はこんなにも明るく強く生きられるのだろうかと本当に不思議でなりません。無理に努めて明るさを作っているのだと思ったりします。実際に小生などは生きていくのがこれほど辛いのに(これほどと云っても誰も解ってはくれないことを承知で云っています)、何故生きるために楽しくするためにひそかに計画を練ったりしているんですから驚きです。
人間の生って一体何なのか、人間が棲む地球って何なのか、人と人の関わりのむずかしさ、素晴らしさを知れば知るはどジレンマだけが大きくなりそうです。どこまで生きられるのか、ぎりぎりまで全力投球することを自分に要求しています。はがき通信の皆様の奮闘を祈っています。

年頭に際し、新しき門出に夢大きくふくらませたことと推察し、小生も叶わぬことと知りつつも神社に祈願など致しました。この世に生を受けて初めての初詣でした。
健康なときになぜ初詣をしなかったかといまさらながら不思議がっております。新年早々、なぜかいろいろな疑問がわいて自分で困っております。  
1月13日