は が き 通 信 Number.24−P2 前へ戻る
POST CARD CORRESPONDENCE 1993.11.25


広報部たより

広報部長・麩沢孝

療護施設自治会全国ネットワーク設立

「はがき通信」を読んでいる方の中でも療護施設に入居中の方がいると思いますが、今回「療護施設自治会全国ネットワーク」をつくり自治会同士の連帯を高め、共によりよい生活を送るために、東京にある3つの療護施設の自治会が立ち上がり、ネットワークを作ることが決まりました。
全国的にみても在宅福祉の充実が進められる反面、私達が「生活の場」としている療護施設においては、療護施設が制度化された20年前とあまり変わっていないのが現状です。現在ある施設のほとんどが日課や規則の下に「管理」され、職員配置や居室空間の制限など、プライバシーや人権の保障といった私達がかかえる問題は数えきれません。

障害や場所などの都合で、メンバーが一同に会しお互いに交流を深めることは難しいと思いますが、年4回発行(予定)の機関誌で、お話しや情報交換が出来ればと思います。自治会のない施設では、個人での入会も大歓迎です。
また、この自治会ネットにでは、機関誌の原稿を募集しています。

◎ 各地の療護施設自治会の活動報告
◎ 各地の施設利用者や自治会への質問・提案など
◎ この機関誌への鳶見・感想その他、何でも結構です。投稿お待ちしています。

まだ、設立準備段階ですが、一つでも多くの自治会、一人でも多くの方に自治会ネットに加盟さえることをお願い申し上げます。

連絡先: 〒191東京都日野市落川245−1
東京都日野療護園 入居者自治会
TELO425−93−2421(代表)
FAXO425−93−0075
年会費: 一口3,000円(団体)
一口1,000円(個人)
郵便振替:東京8−715838
療護施設自治会全国ネットワーク


東京ディズニーランドインホメーションブック発行

東京ディズニーランドは、車椅子でも楽しめる遊園地としてる有名ですが、この度、インホメーションブックが発行され、それには、各アトラクションごとに、障害者の方用にガイドがあり、そのはほかトイレの場所、便器の高さ、化粧室のベッドの大きさなども載っています。出かける前にチェックしていくと、便利で、また楽しめると思います。

目の不自由な方ようにガイドテープもあるそうです。

問い合わせ 東京ディズニーランドインホメーションセンター
    TEL: 0473−54−0001(代)

[10年ひと昔]

昭和58年の暮れに頚髄損傷者となり、早くも10年がたとうとしています。受傷当時、何もわからぬまま群馬のリハビリテーション病院に入院し、精神的にもまいっていたこともありますが“これから先、この身体でいるのか…”と絶望していたのに、あっという間にもう10年です。10年を振り返れば、膀胱ろうの手術をしたり、褥瘡が再発したり、骨折したりと、色々なことがありました。障害者団体の総会に参加して、地域で積極的に活動されている皆さんと話した時、とても立派に見え、10年くらいたてば私も皆さんのようになれればと思って来ましたが、今の私はどうでしょうか?
在宅福祉の充実が進められる中、施設入居を決めたわけですが、これから先「施設でもこのように輝いて生きられるのだ」と証明できる生き方をして行きたいと思っています。
今こうしてパソコンに向かえるのも、「はがき通信」の仲間をはじめ、回りの皆さんに恵まれたのだと思います。これからも、15年後、20年後と、この「はがき通信」の紙面で皆さんにお会いできることを楽しみにしています。
これからもよろしくお願いします。


ブラジル訪問記その2

向坊弘道


スチュワーデス講演原稿に感涙

ファーストクラスに乗ってもっともびっくりしたのは、何でもかんでもゆったりとできていますが、夕食が6回も出てくるフルコースには驚きました。
スチュワーデスは相当なインテリのようだったので、私が身障者大会で演説をする前に、その原稿を読んで悪いところがないか確認してくださいと頼みました。
発音がどうなっているのか、文法は正しいか、聞きながら訂正していきました。私が事故で全身マヒになり、仏教に出会って自立して行く内容の原稿を読んだときに、このスチュワーデスはたいへんに感激し、涙を流さんばかりに喜びました。
そのあとで手紙を書いて私にくれましたが、それには「36才の主人を亡くし、息子も19才ですが、15才にしか見えない障害者なので、たいへん悩んでいました。しかし、原稿の内容に勇気づけられました」と書いてありました。

私が「サンパウロの別院で明日講演をするので来ませんか?」と言ったら、「それじゃあ、是非とも話を聞きに行きます」という返事です。
そして、このスチュワーデスは、感激してほかのスチュワーデスにも私の原稿を読ませ、さらにパーサーから機長まで読んでもらうという念のいれようでした。

機内で冷汗

飛行機の中はものすごく寒いので、毛布を4・5枚被って寝ておりましたが、それでもすーすー冷えるので、隣の谷君人先生に調べてもらたら、「収尿用のビニ一ル袋におシッコが溜まっておりません。コンドームがはずれておシッコが漏れたようですよ」と言ってくれました。見ると座席はすでにべっとりとシッコで濡れているので、どうしようもありません。私は一応謝ることにしました。3人くらい集まってきたスチュワーデスに、「シッシ(ブラジル語でシツコ)が漏れました。ごめんなさい」と言いました。
ところが、案に相違して、ブラジル人はものすごく優しいのか、「いいえ、そんなことは心配しないで。そのためにわれわれが乗っているのですから。どんな迷惑でも気になさらないでください」と言うんです。おかげさまで苦にしておりましたお漏らし事件も解決です。
そして、だんだんと心配になってきたのは、ロスを出発して十何時間もシッコで体が濡れているので、寒さのあまり風邪をひくことでした。
サンパウロに降りると急いでホテルにチェックインして、暑いお湯で体をあったかくした時には、非常に気持ちが良くなったので、これでブラジルで風邪をひくことはあるまいと思いました。

仏教と身障者

私の介護はエルザさんという奥先生の奥さんと今井開教使(32才・滋賀県出身)で、たいへんよく世話をしてくれました。
思うに今、仏教界で今回の福祉大会の重要性に対して、どれほどの認識があるだろうかと思います。奥先生のように福祉を中心にして念仏を広げる運動を展開していきたいというところまで考えているお坊さんはいないのではないかと思われます。その意味で、21世紀に向かって新しい動きがブラジルの田舎で始まっているような気さえ致します。
仏教の説く完全な生命の平等という立場からすれば、人間対人間の生命の平等関係として社会福祉があり、人間と自然の生命の平等関係として環境保護という問題があるわけで、21世紀における人類社会の最重要課題であると思われます。
だから、身障者のように、落ちこぼれて不完全で矛盾だらけの生命だとしても、それはそれで許され認められるわけで、健全な生命と同様に貴重な価値を持っているのです。
今回はブラジルの年取った開教使も、若い開教使も、何百キロという遠いところから福祉大会を手伝うために駆けつけて来られたと聞いて、たいへん感激しました。
サンジョゼ市での身障者の大会は、奥先生が中風で倒れてからリハビリテーションの病院に通ううちに、それまであまり知らなかったブラジル人の中にとけ込むようになって、たくさんの人々の共感を得るようになった結果、だんだん大きくなってきたということでした。
今回は第5回大会で、約80人のボーイスカウトや50人の裏方さん、それに“身障者を励ます会”の皆様の並々ならぬ努力がありました。(次号へ続く)


海外情報4−『障害者の高齢化一生活、自由、そして幸福の追及、障害者のペナルティーについて』

HK


今回は、米国の心理学者Roberta B.Trieschmann博士の著作“Aging with a Disability”1987で紹介された8人一脊髄損傷が6人、ポリオが2人−の障害生活史の章の最後“障害のペナルティ”の全訳です。
それぞれの生活、仕事、結婚、学業、環境などで障害者がぶるかる壁やその人の収入などが詳しく書かれていますが、これを全部紹介するには多すぎるので最後の部分の訳に止めました。この本は私が楽しませてもらって、あまり紹介する価値があるかどうかわかりません。外国の人の障害にたいする考え方も日本と違うのではと感じました。

この自叙伝を読むと、それぞれの生活スタイル、背景、個性、環境資源のあることが分かる。しかし皆に共通している物がある…それは障害によって自由を奪われるという不利益を受けたという事である。生涯皆感情的に、肉体的に、財政的に不利益な立場にあった。だが皆圧倒的な精神力で生き延びてきた。生きようという意志を持っていたし、自分自身の生活に責任を持つ決意を持っていた。障害を持って生活することは肉体的に過酷なもので、感情的にはフラストレーションがあり、経済的には負担も多いが、ここに紹介した皆は有意義な生活をしてきた。そして成功もあったし、失敗も味わった。幸福も不幸もあった。従って、全ての基準に照らし併せてみて、皆「ノーマル」な人たちである。ただ、たまたま身体的な障害を持ってきて殆ど毎日の生活により大きいエネルギーの消費を必要とし、生きるのにより沢山の費用を必要としてきたということだけである。

それぞれのケースで、肉体的障害のあるため、自由な選択、つまりどの様に生きるかについての自由を奪われてきた。この内二人は政府の補助金を受けて自由を取り戻す事が出来た。一人が言っているように、十分なお金が無いと、選択する場合でも身体障害者は自分の思う道を選べない事がある。二人は高学歴によって十分な収入を得ることができ、それにより身体障害者であるために受けがちな金銭的な不利益を克服することができた…少なくとも現在までは。他の三人はばらばらの社会制度のためはるかに酷しい不利益をこうむった。この制度は元々皆を貧しくさせるものではなくて、何か援助が必要な時に、助けてあげるべきものなのだが。この三人は自立して、独立してやって行くという強い決意にもかかわらず、回りの指示の無さに打ち勝つことができなかった。この様に、我々が身体障害者を扱う扱い方にも不平等がある。これは自由の原則と機会均等の民主主義にあって、正当化するのは難しい。
今、これまでの戦いの後、皆年を取り、肉体的なペナルティーは益々増している。不幸にもそれによって個人的な金銭的な不利益は非常に増大している。そこでやりくり上手の人も皆将来のことを非常に心配している。間違いなく皆年をとるので、一つ強調したいことがある…それは自由のままでいたいということ…自宅で自分の生活を何とかやって行く自由である。誰も身体障害者が年取って行くことに対する解決策としてナーシングホームをもっと建てる必要性は考えていない。

死は生活の一部であり、年取って行くことは成長の一形態である。これらの過程は健康という面からみるべきである。ここに自叙伝を書いた人は皆健康である。皆肉体的な制約と機能の低下を実感しているかもしれないが、これは何十年に渡る生活の正常な姿であり、病気と考えるべきではない。従って年取ることと障害があるということに対する我々の研究に概念的な枠組みを作ることが必要である…生活を次のものの調和を達成する過程とみなす枠組み…つまり、心理的なもの、生物学的な(有機的な)もの、環境的な影響、そしてこれら三つの要素の快適で釣合のとれた健康である。


第28回日本バラプレジア医学会

診断基準の見直し、米国せき損治療システムの成果、褥瘡被覆貼布剤など


今年のバラプレジア医学会は、特別報告で、基礎研究の成果にともなう脊髄障害部位診断の従来の定説に対する疑問や見直しが提起されたこと、脊髄損傷者の救命医療や手術で第一線の医師が直面している課題や悩みなどが率直に報告されたこと、さらに米国の脊髄損傷総合ケアシステムの成果にかんする招待講演など、たいへん刺激的な内容でした。
また会場には脊髄損傷に関する図書コーナが設置され、そこで“The Cerbical Spine(頚椎)”という専門書をみつけました。この本は、米国の頸椎・頸髄専門医の研究委員会が編集した約900ページもある大著の第2版、1989年の発行でした。日本ではまだこのような頚椎・頚髄損傷のみ対象とした専門書はありません。みなさんがたいへん関心を持っている治療や脊髄再生についても最新の研究成果が詳しく紹介されています。内容が専門的ですから翻訳はむずかしいでしようが、英語の得意な方に協力していただきながら、この通信で紹介していきましよう。

さて肝心の学会に話しを戻します。
詳しい報告は来年の学会誌に掲載されますが、はがき通信23号で問い合わせのあった褥瘡の薬について、参考になる本多先生の報告と米国脊髄損傷総合ケアシステムの発展と成果について紹介します。

<脊髄損傷の褥瘡に対する被膜貼布剤の使用経験:長野労災リハ作業所長・本多先生>


「米国NDM社で開発され、すでに欧米諸国で市販されている“ハイドロゲル系の被膜剤Clear Site”を11の医療機関の協力を得て、脊髄損傷56例を含む69例の褥瘡治療に使用した結果、85.5%に有用性ありの評価をえた。
元来、褥瘡の治療は瘡の乾燥化を主に考えられたが、被覆剤は湿潤状態におくことと、数日間は貼布交換は行わないでよいという利点があり、従来とは違った治療剤として、とくに社会生活を送る脊髄損傷者の管理に使用価値が高い」という報告でした。


<米国における脊髄損傷総合ケアシステムの発展と成果:Paul R.Meyer博士>


脊髄損傷の治療に、救急救命医療の充実、急性期の治療からリハビリテーション、社会復帰と総合的なケアシステムが不可欠ということは日本でもよく指摘されています。問題は、そのシステムを如何に全国的なネットワークとして実現するかではないでしょうか。 みなさんも体験されたように、脊髄損傷のような災害は、いつどこで発生するかわかりません。受傷直後から最良の専門医療とリハビリを受けられたならば、もっと機能が改善していたのではと考えている方も少なくないでしょう。

前置きが長くなりました。米国では脊損を含む急性災害を対象とした全国的な救急医療サービスネットワークシステムが開発され、そのシステムの普及とせき損治療センターの統合によって、脊髄損傷の二次障害を著しく減少させ、大きな治療効果をあげていると具体的な数字で示す報告でした。

約4千人のデータから、システムが開発された1972年、脊髄損傷者の死亡率は13%が1992年には4%に激減し、二次的な神経損傷は81%から1988年から92年では57%から24%と減少、1972年当初、せき損センターの入所も受傷後数ヶ月が一般的であったのが、1993年には平均約5時間、78%は受傷後72時間以内にせき損専門センターに入所、さらに神経の機能改善が受傷後24時間以内の入所者で9.11%、24時間以上で7.64%という報告でした。
神経機能の改善成績は、それほど劇的な変化ではないがと演者は断っていますが、頚髄損傷ではわずかな損傷部位の差が自力でトランスファができるかどうか、自力呼吸ができるかどうかの違いになります。専門的な早期治療による二次神経損傷の予防と機能改善の効果は非常に大きいと思いました。
会場で隣座席のドクターが、日本ではあんなにきちんと固定された状態で病院に搬送されてくるせき損者はいないと、報告者のスライドにため息をついていました(松井)。


ベンチレータのウィーニング

RGさんの経験から


22号から陽気に登場したGさん、その彼が受傷後3年半も人工呼吸器を必要としていた方とは考えられません。
Gさんの通信を読まれた方々、とくに未だにベンチレータ付きで生活されている方のご家族から、Gさんはどうやってウイーニング(人工呼吸器を外す)の訓練をされたのかと、問い合わせがありました。また最近とくにベンチレータ長期使用の頸損者について問い合わせや相談が多くなっています。

そこでGさんにお願いして、10月鹿児島市で開催されたバラプレジア医学会に参加前日お宅へ訪問し、ウイーニングの経過についてお話しを伺いました。

Gさんは8年前、バイクで帰宅途中、横切ってきた乗用車と衝突、第2頚椎歯状突起骨折による頚髄1、2番揖傷で救急車で運ばれる途中、呼吸停止の状態で、入院直後気管切開によるベンチレータ使用、当初3ヶ月の命と宣告され、3ヶ月が過ぎるとあと持っても6ヶ月と診断されました。

受傷から2ヶ月後、看護婦さんが吸引するとき、気管切開部に手を当てると、呼気がふれ、呼吸している、肺活量があると分かり、自呼吸の訓練が始まりました。当時まだハローベストを装着していたので、呼吸訓練はとてもつらそうでした。専門的な装具は使わず、おもちゃの風車を呼気で回すことも試みましたが、長続きはしませんでした。 自力呼吸は、最初6分15秒から始まり、離脱時間の推移はご両親がノートに記録し、そのノートは今も大切に保管されていました。

10ヶ月後、大分から自宅近くの病院へベンチレータ付きで転院されました。そのときはまだ16分6秒間しか自力で呼吸できない状態でした。医師と看護婦を含む5人の付添で、夜中車のもっとも少ない時間帯に、救急車で酸素ボンベ2本携帯しての転院でした。
転院して約1年半後、ベンチレータ依存から3年半後、懸命な訓練によって24時間自力呼吸で過ごせるようになりました。医師は万一痰が詰まると、窒息死の危険があると、切開部を閉鎖することには反対されたそうですが、再切開を覚悟して、切開部を閉鎖する手術を受けました。

チンコントロールの電動車椅子に乗れるようになり、5年後自宅に退院し、在宅生活を始め、在宅生活3年目なりました。24時間自力呼吸で呼吸器のトラブルはなく、昨年の夏はご両親と車で日本一周旅行もされました。その旅行記は、まもなく発行予定の就労問題研究会会報⑨の特集号(代表・清家一雄氏)に掲載されています。

最近、Gさんはカラオケに凝り始め、同じくバラプレジア医学会の参加で鹿児島に滞在していた清家さんと近くのカラオケボックスに行く約束をしていました。「カラオケはリハビリになる」とGさんのお母さんが言われますが、当日私も誘われ、Gさんの歌をたっぷりと聞かせていただきました。Gさんは、車イスをほぼ水平に倒した姿勢で歌い続けますが、途中声が途切れたり、苦しそうな様子は全くありませんでした。

2年前、医学のあゆみ別冊・呼吸器疾患の「在宅人工呼吸療法」の冒頭に、「在宅人工呼吸療法は医療界に押し寄せた在宅ケアの大きな波のひとつであるが、長期人工呼吸依存患者をつくらないための医療陣の精力的、積極的な離脱の訓練を怠るべきでない」という記述がありました。
しかしGさんのように高位の頸髄損傷、完全麻痺と診断されてしまうと自力呼吸は無理という固定観念に医療陣が全面的に縛られている例が多いようです。 その点でも、たいへん貴重な経験を話して下さったRGさん、ご両覿に深謝いたします(松井記)。



私に“活”を!

KS


例年ならお米の刈り入れ時で、にぎわう秋祭りも今年は、冷夏の影響でもの淋しく感じるのは、私だけでしょうか。「はがき通信」の皆様 こんにちわ!!
私はこの1ヶ月程、風邪がなおらなくて、毎日、夕方になると熱がでて、点滴をしながら出勤していました。仕事があるという事はつらい時もありますが、心の張りもになります。2月8日に復職してから、3日だけ病気で休みました。まあ良い方でないでしようか。 この間、可山さんの「冥冥なる人間」、向坊さんの「よみがえる人生」、松井先生が持ってきて下さった向坊さんの「一日の生活」のビデオや、英語が分からないのですが、カナダでの人工呼吸器を付けて車イスに乗っている人の生活のビデオなどいっきに読んだり見たりしました。皆さん、前向きに力強く生きている姿に胸が熱くなりました。

私は昨年9月に現在のマンションに退院してくる迄、復職したい、復職するぞ!!との強い湧き上がる様な気待ちを持っていました。自分自身でもどこからこんなに強い希望が湧いてきて、生き生きしていられるのかと不思議なくらいでした。それが、現在は少し陰りがみえています。復職が果たせて気が抜けたのかもしれません。でも私の希望している学校現場への復帰はゆるされていません。学枚現場への復帰ができることを私は信じています。が、今のようなこんな気持ちでは、どうするの、と自分で自分を叱ってはいるのですが、どうも声が弱々しい。来年度、同居生活をしてくれる人を探さないといけないし、日曜日のボランティアの人も探さなければなりません。グズグズ言っているヒマはないのですが…。どなたか私に“活”を入れてくれませんか。
12月の初めに海遊舘という水族館で高学年の小学生を集めて授業をします。周囲から成功するのを期待されすぎて強いプレッシャーを感じています。
でも授業は楽しみにしています。
それでは、また……。11月14日 代筆



あとがき

*今年最後の通信です。たくさんの情報が寄せられました。Kさんから素敵なカット絵を送っていただきながら、今回は枚数超過で使用できません。次号で使わせていたださます。たった今、S先生からはがき2枚の通信が届きました。活字が小さくてすみません。

*「はがき通信」の“はがき”に拘る方がいますが、字数のご心配は無用です。と言っても毎回両面の面倒なコピーや発送を担当して下さるSさんの負担を考慮して、全体のページ数には限度があります。どうしても1回に納まりきれない通信は、数回に分けて掲範するように致します。

*M克巳さん、術後の経過は如何でしょうか。皆さんお元気で良いお年をお迎え下さい。