は が き 通 信 Number.23−P2
POST CARD CORRESPONDENCE 1993.9.25


広報部たより

≪リハビリテーション工学カンフアレンス参加記:麩沢孝≫

8月3日〜6日まで所沢の国立身体障害者リハビリテーションセンターで、リハ工カンフアレンスが開催され、4、5、6日と参加する機会を得ました。参加申込書が届いたのは6月でしたので、夏の一番暑い時期に車椅子で長時間大丈夫か心配でしたが、ご存知のとおりの冷夏でクーラで腹を冷やさないようにするのが大変でした。
最初は、リハ工学の分野には初めて参加するわけで、私のような好奇心だけの参加では、皆さん発表を聞きに来ているのに参加の意味が少々違うのではないかとためらったのですが、皆さん明るい雰囲気で余り堅苦しくなく、発表の合間の空き時間には、久しぶりの再会や情報交換に話しもはずんでいるようでした。会場には全国よりたくさんの人たちが参加し、女性の参加者も多く、福祉機器の本などで目にする人たちが実際に目の前にいるので、なんだか圧倒されるような気がしました。

4日には清家さんと再会、5日の午後にはUさん夫妻との初対面と、私にとって発表を聞くことよりもとても大きな参加の意味を得られ、お二人には、楽しいお話しといろいろな方々を紹介していただき、たいへん感激しました。
少々気になったのが障害を持った方の参加が少なく、もちろん福祉機器の開発では、障害を持った方、本人の意見も取り入れられていると思いますが、会場に障害を持った人の姿が少ないような気がしました。

[おたずねします!]

私は、受傷直後に仙骨部に褥瘡が出来たのですが数年で治り、褥瘡のことなど忘れていたのですが、最近の生活の不摂生?からか、皮が薄いところが剥け(表面がすりむける程度)すぐに治るのですが、またちょっとしたことでむけてしまいます。皮膚を強くするような薬、方法など、ご存知でしたらご連絡下さい。また、その分野で詳しい医師、看護婦さんをご存じでしたらご紹介下さい。

KUさんからプレゼント(左の絵)

カラーで掲載できないのがたいへん残念ですし、Uさんのご厚意を皆さんにお伝えできればと思いました。


可山優零さん神経研を訪問

7月下旬、可山さんから電話で友人の見舞いを兼ねて神経研を訪問したいという連絡がありました。
当日は、「はがき通信」のボランティアを申し出てくれた、MNさん(日本社会事業学校学生)と一緒に可山さんの訪問を待っていました。
ほぼ約束の時間ちかく、ボランティアの学生さんに大きな車イスを押してもらい、4階の研究室に見えました。可山さんとはこれまで何度も会っていますが、彼が私を訪問するのも、車イス姿を見せるのも初めてです。
可山さんの車イス姿を写真に撮りまくる私に、学生さんや一緒に見えた脊損のTさんはさぞびっくりされたことでしょう。
「冥冥なる人間」を読んで下さっている方なら分かってくださるかと思いますが、つい半年前まで「車イスに乗って何をするんですか」と居直っていた人が、突如ひとり暮らしを始め、車イスで私を訪ねてきたのです。

一緒に見えた日中さんは、12年前労災で脊損になられた方で、多摩市で障害者サークル活動をしていて可山さんと交流するようになりました。Tさんは激しい下肢痛があり、痛みの発作が起きると、家族もよりつけないような恐ろしい形相になるほどでした。その痛みが神経研の隣の都立神経病院で脊髄電気ブロックを受け、それ以来痛みがピタッと止まったそうです。
しばらくの間、社会学のセミナー室で歓談したあと、皆で隣の都立府中病院リハビリテーション科に入院中のMさんに会いにいきました。Mさんは昨年夏学校のプールで水泳中頚損になった中学生です。リハビリから戻ってきたMさんに廊下でばったりと会い、広間のような廊下で歓談が始まりました。

Tさんと可山さんが先輩として車イスや生活についてのアドバイスに、まだ少年の面影が強いMさんが熱心に耳を傾けていました。TさんがMさんにおもわず「いい顔しているな」と言われるほど、好感を与える少年です。
「車イスとシューズのブルーはお揃いですか」とNさんの質問にうれしそうにうなずいていました。可山さんの体裁を問わない大きな車イスとMさんのハイセンスの車イスは対照的でした。2人とも手動車イスへこだわりが強いようです。とくに可山さんはどっちみち介助者なしの外出はできないから、手動でいいと頑固一徹に対し、「週に1度は電動に乗っています」とMさんの素直な反応は印象的でした。

ともあれ、どこか遠くへ行ってしまったような気がしていたFさんが、たいへんたくましくなって、しばらくぶりに戻ってきてくれたようで、ほんとうに安心しました(松井)。


ブラジル訪問記その1:向坊弘道

講演の依頼

昨年、ブラジルの身障者の大会を仏教の僧侶がやっているので、手伝いに行ってくれないか、という話がありました。その僧侶は27年も前にブラジルにきて、脳梗塞で7年前に倒れ、体が動かなくなったのです。どん底の苦しみから、いつ死のうかとピストルを枕の下に隠していましたが、「役たたずになった人間にも仏さまのお慈悲はかけられている、いや、落ちこぼれだからこそ、仏さまはなおさら心配してくださるんだ」という本願に気づきました。
人々に説いてきたお念仏に、今度は自分が救われて立ち直ることになり、ブラジル人の身障者を何人か集めて励ましているうちに、市長や友人も手伝うようになって、それが今ではボランティアを含めて500人もの参加者が集まる大イベントに発展しているのです。

その真宗僧侶は私の「甦る仏教」という本を偶然読んで、私がその身障者大会で自立についての講演をすれば、多くのブラジル人身障者は励まされるだろうと思って、私に講演を依頼してきたのでした。この話を聞いた私は、体に自信はないものの、何かにつき動かされてブラジルに行かなければならないような衝動に駆られました。
その僧侶は、一時は絶望の底に沈んだはずですが、よくもまあ仏さまのお慈悲に会えたものだ、という感動がこみ上げてきました。同時に、私の似たような体験が思い出されて、ひと事とは思えません。私は命をかけてもブラジルにゆきなさいという仏さまの至上命令がきたような気がして、長旅の危険を省みずに快諾の返事を出したのでした。
どうせ講演をするなら現地のポルトガル語で・・・と、言葉の勉強も始めました。そして半年,,,,,ポルトガル語で講演し、簡単な会話もできる自信ができたところでブラジルヘ出発となりました。

ブラジルヘ出発
5月31日に福岡空港のVIP待合室で他の参加者20名と結団式を行ない、井上薄厚先生が挨拶の後、団長の毛利善明先生からお言葉がありました。都城市や荒尾市のお寺から若い娘さんも参加しておりました。山本さんという女性は、息子さんがアマゾン河でワニの養殖をしているので会いに行くのだ、という話でした。私も5台の中古の車イスを大会で身障者に寄付するためにブラジルに持っていきました。

おそらく、一生の思い出になるような長い旅になるだろうと思い、出発から帰宅まですべてをビデオで撮ることにしました。私の場合、13日間の旅行でシッコが出なくなる症状が最も恐い病気(尿閉症)で、そうなれば腎臓病の心配もしなければいけません。それには、座る姿勢が腰に負担をかけるのでもっともいけないのですが、福岡空港から成田に向う間、足を下げてほとんど真っ直ぐに座っていなければならなかったのでたいへん苦痛でした。
東京の成田空港から飛行機が上空に達して安定飛行に入り、食事も済ました後で、おしりを前に出してクッションの上に降ろし、背中は飛行機の座席に倒して、ちょうど寝たような格好になってロサンジェルスまで行きましたので、この間は問題ありませんでした。 途中、ロスでラジオ出演。

日付変更線を真夜中に過ぎますと、すぐに外が明るくなり、非常に体の調子が狂う原因になります。ロサンジェルスについた時には、11時間の飛行機の旅にもかかわらず、時計の上の時間は逆戻りして、まるっきり一日半くらい得をしたような時刻になっています。
ロサンジェルスのホテルの部屋はシングルベッドが2つありましたが、一人で使わせてもらうようにしてあったのです、心置きなく高いびきをかきながら眠りました。翌朝みんなと顔を会わせると、時差ボケでたいへん眠たそうな顔をしていました。
本願寺ロサンジェルス別院から、「毎週日曜日に日系人向かって放送する宗教の時間があって、そのラジオ放送の録音をあなたに頼みたい」という依頼がありました。ちょうど退屈していたので、急いで別院に向かい、「甦える人生」というテーマで夢中で話しました。’

ロサンジェルスからブラジルまでは13時間かかるので危険です。飛行機に乗り込むとすぐにスチュワーデスが「あなたをファーストクラスに案内します」と、否応なしに席を替えてくれました。ファーストクラスでは金髪の美人のスチュワーデスが一人付きっきりで世話をしてくれました。これは大変ありがたく思いましたが、もっとありがたかったのは、座席がリクライニングで寝たような姿勢になれることでした。このおかげで、長時間の飛行にもかかわらず、尿閉症にならずにブラジルに着くことが確実になりました。

 (ブラジル講演の旅はビデオもあります。向坊さんは最近ビデオの編集を始めています。ブラジルの旅も十数時間のビデオテープを2時間に編集してこの原稿を一緒に送ってくれました。ビデオと長編を読むとブラジルの旅を向坊さんと一緒に体験したようによく理解できます。)


海外情報その3 脊髄神経の再生:HK

倫理的な問題や技術的な問題があって、人間の脊髄の再生を促す組織的な実験はなかなかできないが、動物を使った実験は100年以上前から行われてきた。しかし残念ながら、現在完全に人間の脊髄神経を再生する技術は見つかっていない。しかし両性類などの無脊椎動物では多くの成功例がある。

神経が再生するためには、神経細胞の軸索が延びることが必要であるが、それだけでは機能は回復しない。完全に切れた脊髄で神経細胞が傷口の反対側に延びてそのニューロンと結び付き、反対側のニユーロンの反応を引出し、動きや感覚の回復が見られなければならない。

神経の図脊椎動物の神経繊維は数ミリは延びるが、数センチ延びることは難しい。これは蛋に軸索の問題だけでなく、それを取り巻く環境にも関係がある。

末梢神経人間の中枢神経の一部、例えば後部脳下垂体とか視神経などは自然に再生する。これも神経繊維の回りの環境の違いによるものと思われる。
犬や鼠や猫や猿といった脊椎動物でも実験することで不完全な再生が起こる。
人間の脊髄の軸索は十分な長さにまで延びないので、内部環境や外部環境を変えて色々な実験が行われているが、完全な再生は認められていない。

ある種の魚や両性類の軸索は自然に再生し、シナプスの結合が起き動くようになる。これを良く理解することによって高等脊椎動物の神経再生が可能になるかもしれない。
再生を妨げている因子を特定することによって人間の脊髄の軸索の機能的な再生を目指す正しい治療法が見つかるかもしれない。

末梢神経を橋渡しに移植したり、胎児の組織を移植したり、外部環境を変える為に色々な分子を加える事によって再生が起こるかもしれない。

以上、脊髄神経の再生について、最新の研究成果を基本点に絞って報告しました。最後に、別の論文で、ちょうどむすびの言葉にあてはまる文章があったので、紹介します。
Paris V 大学は、ねずみの胎児の脊髄神経細胞を成熟した大人のねずみに移植して軸索の再生、そして神経の再生に1992年に成功したということである。今までにも魚や両性類では中枢神経の再生に成功していたが、脊椎動物では完全にきれた脊髄神経の再生は初めてのことである。なお自分の末梢神経を脊髄に移植した場合には軸索は延びるが完全な再生は見られなかった。

(今回参照した文献は、L.E.Buchanan 他編著「脊髄損傷」の第10章「脊髄再生」と国際バラプレジア医学会の雑誌「バラプレジア」30周年記念号パート1に掲載された論文「21世紀の脊髄損傷」でした。)


お知らせと交換市

*4000cc入り大シビンを4千円で譲ります、一度も使っていない、新品です。
*電動車イス(イマセン製)中古、3万円(送料別)
*使わなくなった車イス(大人用)はフィリピンの男子高校生へ寄贈しますので、どなたかよろしくお願いします。
以上、問い合わせは向坊まで


あとがき

*なんともたいへんな夏でした。AさんやIさんの通信が届いた後がたいへんでした。でも台風の被害が一番ひどかった鹿児島からGさんの明るい通信が届いてほっとしました。

*ブラジル訪問記は長編と短編を同時に送っていただきました。四肢麻痺の体で一昼夜以上の飛行機の長旅をどのようにされてきたのか、長編のほうがはるかに説得力があると感じましたが、ページ数の関係で短編を3回こわけて連載させていただくことにしました。長編はいずれ向坊さんの3番目の著作に掲載されることでしよう。
「あのおっさんには当分頑張ってもらわなくては…」とある有能な後輩が期待していますよ、向坊さん!

*HK氏の海外情報紹介は今回で3回目になりました。今回の脊髄再生は皆さんの感心がとても強く、ときどき新聞で手術結果が紹介されると必ず問い合わせがあります。再生のメカニズムはとても難解ですが、頚損者に少しでも訳に立てばと専門用語が氾濫する英文の文献を抄訳して紹介して下さいました。

*皆さんそれぞれの方法でハガキ通信を活用して下さっている様子が伝わってきて、私にも励みになっています。次号までに足の痛みが消えた!というSさんのお便りが届くよう祈りております。皆さんお元気で!