は が き 通 信 Number.21---P2 前ページへ戻る
POST CARD CORRESPONDENCE 1993.5.25


うめ吉です(^^ゞポリポリ

SS

TETSU−YAさんにならってハンドルで登場しましょう。本名はSです。お忘れなく。

<PC通信>
Fくん、お久しぶりで。。。と言っても、この通信が発行される頃には、既に東京でお会いした後になっているでしょうけど。
PC通信と聞けば黙ってられないので登場します。まずは、オタッキー(と言うほどのものではないが)な通信環境から紹介しましよう。

【使用機種】 自宅
PC :NEC PC-9801DA2
MONITOR :SANYO CMT−H14HC+TORAY
E-flter DJ
HDD :ICM INTER-135ES
RAM :DA2内蔵1.6MB+MELCO EDA-8000
PRINTER :EPSON HG−2550
3.5'FDD :MIQ FD−312NH両用2D .
MODEM:OMRON MD24FP5+OMRON MD24HS(ELECOM DTS2−232XNで切換使用)
EXTRA :NEOS BUS MOUSE
通信ソフト :WTERM

職場1
PC :NECPC−9801NoteSX/T
HDD :TRUST 80NE
RAM :NS/T内蔵1.6MB+PIO-98NT 8ME+
PIO−NT34 2M
PRINTER :CANON LBP-A404+PC ROM
EX「 +PC RAM O5O
MODEM :OMRON MD24FPV
CD−ROM :SONY DD−DR1
通信ソフト :WTERM

職場2
PC :Apple Macinntosh Centris 65O
MONITOR:Appie 16'Color Monitor
HDD:Centris内蔵500MB
RAM:Centris内蔵8MB
PRINTER:CANON LBP-A404+PC ROM
EX「 +PC RAM O50(NS/Tと共用,PRINTCADIE)
MODEM:OMRON MD24FPV NS/Tと共用(BUFFALO MDS-22で切換使用)
CD-ROM:Apple CD300i(Centris内蔵)
Key Board:Apple標準KeyBoard
通信ソフト :Terminal-J,Apple Talk
Remote Access

BBS<編集者注:パソコン通信のネットワーク>は言わずと知れたプロップ・ステーションが運営するプロップ・ネット(06-882-5393:2400BPS/MNP5 1回線)、そして、その発祥の地である「情報倉庫」西宮(0798-35-3001:2400BPS 5画線,FENICSROAD 2:2400BPS 2回線)に主に出没しています。
「情報倉庫」西宮では、「タウンミーティング 街角・福祉なんでもネットワーク」というS.I.G.(SpecialInterestedGroup)<編集者注:一定の事柄やテーマについて情報や意見を交換する>のコーディネータをやってます。商用ネットには加入していません。
Sさんを支援する会の独自のネット「ガベちゃんネット」(06-423-3817:2400BPS/MNP5)にも出没しております。他に大阪市職業リハビリテーションセンターのHeart Land(06-704-4432,3183,Tri-P:2400BPS/MNP4)では大坂頚髄損傷者連絡会C.U.G.(Closed User Group)<編集者注:定められた利用者だけが参加できるネットワーク>のオペレータをやってます。大阪朝日「中之島ネット」(06-232-3481:2400BPS)などに時々顔を出ます。東京方面ならトーコロBBSやABC−NETねりま等に情報が集積されているようですね。
ハンドル・ネームはどこでも“うめ吉”です。
ところで電動車いすの御話。いやですね。なんにも知らない奴らが勝手に法律つくってもうて。こっちはえらい迷惑ですわ。


<Sさん復職>
Sさん、復職おめでとうございます。
3月7日(日)、大阪市西区土佐堀にある大阪YMCA国際文化センターでSさんの復職を記念してプロップ・ステーション主催でシンポジウムを行いました(詳しくは「FLANKER5号」を参照)。シンポにはS先生、大阪府大の定藤先生、KSさんを支援する会の井殿先生、そして“せんせい”という呼称からは程遠い私が出演(?)しました。       
5月12日

<お問い合わせのページメーカは4jです。器械オンチがパソコンをマスターするにはパソコンと遊ぶことが必要だと思いますが、その時間がとれません。いつもその場しのぎで、近ければ、応援をお願いしたいところです
松井>


結構、気ー使ってかいてるんですよ TO はがき通信様××××

TETSU−YA


こんにちわ。最近、また金髪にして調子こんでるTETSU−YAです。
自称ミュージシャンだからいいんですよ。ハッハッハ。
あとtelくれたかたほんとにthanxでした。
ってことで、最近は観光地や山田かまち何とか展など、
いろいろなところに遊びに行ってます。
駅前でタバコ吸ってるだけとかね。
そこでの人とのふれあいがいい。ほんとに笑っちゃうこといっぱいある。
障害者同士だと何も生まれないけど、健常者とだと障害者はいろいろとpositiveになるっておもった。
まー、俺のことだからくっだらねーことばっかりですけど(笑)。
だから最近いろいろあって結構楽しいかなー。
俺っちに無謀は昔からつきものなのさ。
ガッハッハと。
やっぱ障害をいろいろと利用しないとねっ。
あとは後々、プロレス観にいったり旅行もいきてーな。ちょっとした情報待ってます。
あとは電動車椅子も手動式にしました。
ったく、SuZukiはちーっと中指立てもんですよ、fuckだよー(笑)。
まー、のりやすくなったからいいんだけどさ。
こんなもんちこっと工夫すれば出来るんだよっていってやりてーな。
結構、まわりのヤツいーてーこというからな。
とかいって感謝してるんですけどね(笑)。
読み直すとどーも:カッコ笑:が多い。
なんか馬鹿じゃねーのって感じたけど、結構、気ー使ってかいてるんですよ。よろしくねー。
ってことで、またtelください。手紙よりtelの方がいーです。
よろしくねってことで、さようなら××××         
5月13日


ネパールの旅

向坊弘道

ネパールに民宿兼仏教研究所を建設し、欧米の若者に仏教を勉強してもらおうという向坊さんの第1作「よみがえる仏教」以来の計画を実現するため、去る4月下旬から5月初めにかけて向坊さんは単身ネパールヘ行ってこられました。
香港でフィリピンから呼び寄せたヘルパーのノリ君と合流、彼がホテルを予約しているはずでしたが、どこも満員で、倉庫に泊まったそうです。
カトマンズではフェーン現象による40度の熱風に4時間さらされ、危険な状態に陥ったり、たいへんな旅のようでしたが、今回の旅行で、1年後に小さな民宿兼仏教研究所がネパールに誕生する見込みがついたとのことです。以上、向坊さんから送られたネパール中間報告より抜粋


「頚損連絡会全国総会」久々の参加

TF


5月15・16日と頚髄損傷者連絡会全国総会が東京の日赤会館で行われ、今総会は、20周年という記念の会でもあり、地方からの参加者や電動車イスの高位頚損者、それに女性の参加者も目立ち、いつもの総会とは違った雰囲気で行われました。C4と呼ばれる頚損者もかなり参加がありました。
私は、東京で行われた第15・16回と参加したのですが、大阪、横浜、京都大会と不参加で、久しぶりの再会を期待していました。以前は病院からの参加で、病院で知り合った頚損者しかつき合いがなく、在宅生活を送っている皆さんのなかで、少々気まずかったのですが、今回は頚損連絡会以外でも何度か顔を合わす方も増え、また今回より施設入居者としての参加で、以前とはまた違った気持ちでの参加でした。はがき通信の紙面でしかお会いできませんでした方とも、初めてお会いでき大変感激しました。

記念式典・パーティでも生バンド演奏をやるなど以前にない盛り上がりで、例により部屋に帰ってからも数名ずつでまた飲みなおし、明け方まで起きていた人もいました。
翌日も、皆さん昨夜の疲れもみせず、毎日新聞論説委員の大熊由紀子氏の講演の後、20年の軌跡、今後の頚損連絡会のあり方などを話し合い閉幕しました。20年と一口に言うと簡単ですが、車椅子というだけでなく、四肢麻痺という障害を持ちながら、少ない情報のなかでここまで頚損連絡会を育ててきた方々は、大変な努力があったのだと思います。

私自身、頚損となり10年が経ちますが、頚損連絡会に入会し皆さんとお会いできたことが、今の私にとってとても大きな事と感じています。
94年は栃木で全国集会を予定しているそうです。次回も是非参加したいと思います。
     
1993年5月18日


カナダ・クリークビューにおける自立生活ビデオの紹介

HK

<編集部より:ビデオ“A Life of Independence-Creekview”は、カナダ脊損協会のノーマン・ハウ氏の厚意で入手し、器械的人工呼吸による高位頚損者5人を含む6人のグループホーム形式の自立生活をビデオ化したものです。ナレーションやスピーチはすべて英語です。希望者にはビデオの貸し出しもしていますが、解説が必要と思っておりましたところ、HK氏から「英語のお手伝いします」という申し出があり、早速お願いしました。以下はナレーション部分の翻訳です。紙面の関係で若干短縮させていただきました>

脊髄は非常にもろいものである。毎年アメリカで1万5千人から2万人が脊髄損傷になっている。いったん脊損になるとその生活は180度転換してしまう。マヒの強さや範囲の広さは、脊髄のどの部分を損傷したかによって決ってくる。下部の方を揖傷した場合には足を動かすこともできないし、感じることもできない。上部の方を揖傷した場合は、もっと悲惨なもので、手も足も動かすことができないし、感覚がなくなる。首を折って、ひどい場合には自分で呼吸ができなくなることもある。

医学の技術が命を救うことができた。しかし鉄の肺に入って病院で生活しなければならなかった。人から離れて生活して、去るものは日々に疎しという状態であった。しかし幸いなことに時間と技術が変化して、ポータブル・レスピレータが鉄の肺に取って替り、ヒートセンティプコントロールユニット、デンシャアクティブコンピュータができ、息でコントロールできる車イスなどが障害者に新しい世界をもたらし、脊損者の仲間に入ってくるようになってきた。狭いところに閉じ込められているのに満足せず、脊損者は新しい生活を始めた。危険が多いと思われるようなことにも挑戦し始めている。そうするために彼らは新しくいろいろなことを学ぼうとしている。

ここはバンクーバです。非常に活気のある美しい町です。100周年記念の年です。そして交通とコミュニケーションの世界博覧会を主催しています。と同時にバンクーバはレックハンセンの車イス世界一周の出発点でもあります。しかしバンクーバにはもっと驚くような旅立ちがあります。たとえばレスピレー夕使用の5人を含む6人の頚損者が自分の家に住むようになった。彼らは比較的安全な環境であり、そしてまた充分な治療を受けられる病院を出てきたのである。彼らはすべて四肢麻痺、手足がマヒしている人々である。彼らはもっとも重度であるが、この旅立ちを試みたのである。
ちょっと考えてみれば、彼ら自身の家を持つということがどんなにすばらしいことであるかすぐにわかるであろう。
彼らは介助者を雇って生活している。彼らのように重傷を負った者が普通このような生活をすることは考えられないことであった。自分のお金とか、保険とか政府の補助金などを利用して世界の先駆けとなって独立した生活を送ろうとしている。彼らは一日5時間、自分に合った仕事をそれぞれしている。
ドーダンは大学へ戻ってコンピュータを使った会計の仕事をしている。マイクとジェニーは僅かの息で操作できる車イスに乗っている。そして彼らはアパートの管理をしている。ペントロンは器械でするのが当然と我々が思っていることを自分の力でやってのける。

グロディーはボブと同じように画家である。彼らの絵は世界中で売られることになった。グロデイーはこの成功にも満足せず、有名な画家の先生で、彼の絵にさらに創造的な洞察を与えるロバートに会った。
身障者は意義のある関係を維持するのに、ときたまチャレンジしなければならないことがある。いまこの6人をみているとどうして彼らが重い障害を克服しているのか理解するのは難しい。みんな背後に事故による大きな外傷がある。

たとえば17歳のジョハンナを例にとってみると、ジョハンナと両親には今始まったばかりでそれから生涯続く苦悩に対する闘いがある。彼女の事故以来、家族が病院のスタッフに替って個人的な面倒をみている。両親は彼女が家で生活するためにはいろんな必要な装置を備えなければならない。ジョハンナは未成年であるから、その装置を維持する費用は、彼女が施設で生活する費用に比べてわずかなものである。ただ施設にいるときには貰えたが、家では支給されない、財政的にいえば負担があることも事実である。
一方、シェーハスは10歳であるが、6歳のときに自転車に乗っていて自動車にぶつかって怪我をした。彼女は4年後もとの学絞にもどって勉強をするようになった。キャサリン先生のお蔭で他の人と同じ授業を受けることができるようになった。彼女は飲み込むことも話すこともできないので、食べ物は直接胃に流し込んでいる。その損傷は最も重いもので、やっと生きることができたという状態である。シェーハスはこのような人のなかで最も若い。彼女は必要なときに人を呼ぶことができないので、いつも誰かがそばにいてやらなければならない。彼女は一人では生きていけないのである。

彼女は自分なりの遊びをしているし、友達と孤立していることもない。彼女は自分で友達を作っている。キャサリン先生は現代の最先端の技術を使ってシェーハスがそのカを充分に発揮できるようにつとめている。彼女は24時間家族の介助を受けなければならない。彼女の両親は彼女を家族の一員として欠かせないものとして扱うように努力しているつもりである。
カルフォルニアをベースに働いている神経言語学のパイオニアであるロバートビル博士は、人間の心に直接入っていくコンピュータでコントロールする次世代のコンピュータの器械を発明した。シェーハスは皮膚に生じる微妙なセンサーの変化を捉えて、自分の考えによって動くコンピュータを操作できる。たとえばロボットをコントロールできる。今は簡単な画一化されたものしかコントロールできないが、これは将来に対して道を開くもので身障者の大きな助けになるものと考える。

制限とは何であろうか。制限はどこにあるのであろうか。シェーハスはマヒした指の先に付けられたものからでさえもコンピュータを操作するのに充分なカを自分の考えで出すこともできる。脊損者も将来的には治療することができる。最終的には医師もダメージを受けた脊髄をつなぐことができるだろう。そして神経を再生することができる。
シェーハスがまた歩くことができるとはなんとすばらしいことだろう。現在のところ何十万人もいる脊損者は彼らの家族や友だちと同じように生活したいと願っている。彼らはもっと知りたがっているし、彼らは施設ではなく、家で独立して生活したいと思っている。結婚して子供を持ちたいと思っているし、有意義な仕事について社会のために貢献したいと思っている。彼らはあらゆることをしたいと思っているし、実際にするだろう。


ビデオの感想

HK


患者さんがしゃべっていることは良く聞き取れませんでしたが、とにかくアクティブでクリエイティブでインディペンデントな生活をしているということです。
一番印象に残った言葉は麻痺した手につけたセンサーででもコンビュータをコントロールする事が出来るし、直接脳からの指示でロボットを動かしたことである。そして冥想している様に見える子供に付けられた電極を通して確かにコンピュータの図形が変わっていた。
私も先生からいくらか冗談を交えて足を切断したらどうか、軽くなるし、褥創の心配もないしと何度か言われたが、立派に将来役に立つかもしれないので、これからはこの話しをしてきっぱりと断ろうとおもっている。
皆、相当重度の障害者でも、施設や病院でなく、まとまって楽しく生活しているのに驚かされた。確かバンクーバーという町は、町全体が障害者を暖かい気持ちで受け入れる所であると聞いたことがある。日本も少しは改善されてきたが、早くこのような町に追い付く様に私たちも努力しなければならないと感じた次第である。
私の場合、病院にいるが、割合自由にさせてもらっていて、いまどうしてもこういう生活をしたいとは感じないが、これからの問題として考えなければいけないことである。
ビデオでも言っていたが、20年前にはレスピレータと呼ばれる今の様な小型のものはなく、鉄の肺と呼ばれているものに頼らなければ生きて行けなかった人達が僅かに呼吸する息でコントロールできる車イスに乗って町に買物に行ける様になったという事はすばらしいことである。
最後にナレータが言っていた脊損者の神経がつながるようになって、最後に出てきた重傷の少女が歩く様になるのも夢ではないという気がしている。確かに神経の複雑な精密な構造が妨げになっていることは事実だが。

<HK氏は可山優零著「冥冥なる人間」に登場するあのKさんです。あの本は著者がペンネームで、Kさんは実名でというと、Kさんも苦笑いをしていました:松井>


日本における脊髄積傷の発生状況

日本バラプレジア医学会疫学調査より


日本バラプレジア医学会から、1990年1年間の脊損発生状況にかんする全国調査の結果が発表されました。日本初の全国規模の貴重な調査結果です。その要点を新宮彦助先生の報告の引用で、紹介してみましょう。
対象:全国の病院・医院8,569施設、9,270科のうち5,247科より回答
結果:

*1990年の1年間に受傷した脊髄損傷者は3,465人
*男(2813):女(651)=81:19
*脊髄損傷〔2573〕:胸腰仙髄損傷(883)=74:26
*受傷原因:交通事故(45%)、墜落(29%)、転倒(12%)、追突(6%)、スポーツ事故(5%)、その他
*交通事故は、自動車が46%、単車が30%、自転車が16%、歩行者が6%
*スボーツ事故は、水泳、ラグビー、フットボール、スキー、体繰、柔道、野球、グライダー、モトクロス、バスケットポール、闘牛、騎馬戦、モータポート、スノーモービル、バレーポール、ゲートポール、競輪、乗馬、マラソンなど
*労働災害は673人、全体の19%

頚髄損傷の増加、交通事故による脊損の増加は予想以上の結果でした。10月の学会で第2報が報告されますので、その内容はまた紹介しましょう。


せき髄損傷者の体外受精で出産

朝日新聞より


せき髄損傷のため性機能に障害を持つ男性の副こう丸から、手術で精子を採り、体外受精で出産にこぎつけることに、北九州市のセントマザー産婦人科(田中温院長)が成功した。
副こう丸は、こう丸で成熟した精子の通り道にあたる。同医院では、精子の動きが悪い男性百人以上に対してもこの方法を適用、出産の実績をあげている。
手術を受けたのは、水泳の飛び込みで事故に遭い、車いすの生活を送っている福岡県内の男性(33)。今月になって、妻が出産した。ほかに同じような夫妻数組でも、妊娠が確認されている。

勃起しない男性の精子を得るには、薬や電気の刺激で射精を起こす方法が行われてきた。だが射精できない人や、射精しても精液の量が少なかったり、精子の動きが悪い人がいて、妊娠、出産に結びつかない場合があった。
田中院長は「せき髄損傷だけでなく、射精障害のある男性もこの方法の対象となり、新しい選択肢が加わった」と説明している。
1993年4月28日、夕刊、向坊さんより


売りもの情報


※スズキ電動リクライニング式車イス、新品同様5万円也。
※ローホークッション、厚さ10cm、5cm二種、新品同様、各2万円也。
 
(問い合わせは向坊まで)




編集後記


*1号から欠かさず通信を寄せて下さり、最近はこの通信の要のような存在となってきたTFさんが、はがき通信の発行・編集のメンバーに参加してくれることになりました。無給ですので、せめて肩書だけでもりっぱにと、向坊氏の提案ではがき通信の「広報部長」という辞令をFさんに交付しました。20代の若き広報部長の活躍を期待したいものです。皆様のご協力をお願いします。

*連休に入る直前、テレビでベストセラー「ワイルド・スワン」の著者ユン・チアンのインタビューを聞き、翌日数件の本屋を周り、上下2冊の翻訳本を購入してきました。連休中にするはずであった仕事をそっちのけで、読み通してしまいました。久しぶりに没頭できる、読み応えのある内容でした。以前、中国政府高官の息子が文化大革命のとき暴力で脊損になった、という話しを聞いたことがありましたが、この本を読んで、暴力で脊損になるということも実感として理解することができました。権力を持つと人間はどのように変貌するのか、人権の確立とか人権意識がいかに重要なものであるか、読みながら、また読んだあとも考えています。

*はがき通信の読者は、上は60歳以上、下は中学生と年齢の幅が大きく、また社会的な背景も多様で、ただひとつ重度の四肢麻痺という共通点で交流している方々です。みなさんに理解してもらえる言葉で書くということはたいへんむずかしいことですが、はがき通信は、四肢麻痺者の本音や生活意識など他の情報誌で得られないものが掴めるという意見も寄せられるようになりました。今回もMさんのお母様の心にひびくお便りやTETSU−YAさんのちょっぴり反省?を込めたお便り、また送る場を間違えているのではないかと思わせるような専門的なパソコン通信などなど、ほんとうに催促もしないのに5月15日の締切までにたくさんの通信をいただきました。この通信が皆さんに届く頃、向坊さんは「よみがえる人生」の講演〔第3回身障者大会にて)のため、ブラジルへ出発されていることでしょう。無事に帰国されて、次号でユニークなブラジル通信が読めるよう、期待しています。