No.183 2020/7/10
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 風邪の置きみやげ『嗅覚障害(嗅覚過敏・嗅覚錯誤) 

 新型コロナウィルス騒動で、こんな事態が起こるなんて……。皆さんいかがお過ごしでしょうか? ようやく、ほとんどの都道府県で緊急事態宣言解除となりましたが、不安は残ります。私としては、一人一人が1チームとなって、もう少し頑張って自粛生活を続けてほしいなあと思います。

 年明け早々風邪をこじらせ、入院を勧められるほど重症になってしまいました。熱はほとんどなく、咳と痰。普通だと側臥位や痙性や加圧で、時間はかかりながらも痰は出ますが、このたびは思うように出すことができません。薬を服用しても、薬を吸入しても楽にはならず、痰吸引もままならず……。ついに入院を勧められましたが、お断りしました。
 何故かというと、26年前に受傷したのは、誕生日の1週間前のことでした。昏睡状態の続く中、時折「もうすぐ誕生日ですよ。頑張ってくださいね。」と看護師さんの声が遠くに聞こえて来る。多くの支えに見守られ誕生日を迎えることができた数日後、意識が戻りました……。偶然にも風邪を引いたのは受傷した日と同じで、入院を勧められたのも誕生日の前日、とまた誕生日は病院で迎えることになる。もし入院したら、今度こそもう家に帰ってくることができなくなるような気がしたのです。いやいやそれは嫌だ! まだやり残したことがありますからね……。

 夜はベッドを少し起こしての就寝。痰切れが少し良くなってきても息苦しさで眠れず、喉は痛く、久々に声が出にくい日が続きました。引き始めから3週間が過ぎ症状が楽になり始めた頃、「ん? においが少し変?」尿から感じました。ま、薬や風邪でのことだろうと思っていました。
 でも、日にちが経っても治まるどころか、他の物からも異臭を感じることになり耳鼻科受診。診断は、風邪のウィルスによる嗅覚障害の1つ『嗅覚過敏・嗅覚錯誤』。症状が出て約2週間、と日にちが経っていることと、嗅覚過敏・嗅覚錯誤が治まるには3ヶ月から6ヶ月、もしくは治らないかも……と言われました。

 治りにくい“やっかいな物”らしいそうです。治療は、ステロイドの点鼻、漢方:当帰芍薬散(とうきしゃくやくさん)。2ヶ月経ってもなかなか改善が見られず、しかもコロナで味覚症状が報道される。ヒヤッとして医師に尋ねると、大丈夫とのこと。よかったあー…。こうなると他に改善策はないかと探した結果、メコバラミン(ビタミン12)、ポラプレジンク(亜鉛)、人参養栄湯(にんじんようえいとう)(マグネシュウムを含む)が有効とのこと。
 藁(わら)をつかむ思いで、これも服用開始。治療を始めて4ヶ月、思ったような改善はなく、さすがに食品からの悪臭にはうんざり。ついに吐き気が伴うようになり、吐き気止めが手放せなくなりました。まさかこの年になって、またつわりが始まるなんて……(笑)。すべての食品からではないので、大丈夫な食べ物を見つけては「負けるもんか!」とつぶやきながら、治まることを楽しみに過ごしています。
 皆さんも風邪を引くと、こういうこともあるということ、もしなってしまったら早期治療も必要なので、早めに受診されて下さいね。嗅覚障害はコロナだけではないですよ。

広島県:M.K.

 『臥龍窟日乗』-64- 奇遇 

 編集担当の藤田さんからメールをいただいた。個人的に私を知っているらしい読者の方からメールが届いているが、転送してよいか、という内容だ。悪かろうはずがない。
 開いて驚いた。青天の霹靂(へきれき)、いやいや荒天の曙光(しょこう)だ。同じ街、同じ小学校を卒業した同窓生だ。脊損、頸損というごく限られた世界で同郷の人と出会える。なんてドラマチックなんだ。

 この方を仮にMさんとしておこう。Mさんの父上が晩年、頸損になられ、『はがき通信』の読者となって、前々から藤田さんとは旧知のあいだだったらしい。なんどかメールの遣り取りがあって、「子供の頃の写真を送ってくれ、見覚えがあるかもしれない」と話がすすんだ。
 悪ガキだった時期の素行がバレるかな、とも思ったが、いまさら隠すのも大人気ない。旧い卒業アルバムなどを引っ張り出して、コピーしてお送りした。
 反応は早かった。「この人、先隣りの○○ちゃんのお兄ちゃんだっ」と相成った。あとは芋づる式に、この人も、あの人もと、共通の知人がめじろ押しだ。小学校の先生ばかりでなく、保育園の保母さんまでいっしょだった。

 前号でも記したように、私は戦後の生まれだ。団塊世代の申し子みたいなもので、高度経済成長期の恩恵と試練を身をもって生き抜いてきた。日本の歴史上、きわめて恵まれた時代を体験した「生き証人」ともいえる。
 Mさんの父上も私の父も、財閥系の化学肥料工場の社員だった。鉛筆一本十円だった時代に、年商40億を上回ったというから、よほど儲かったのだろう。1000人の社員とその家族を支えていくために、社宅を造り共同浴場を設け、保育園や小学校まで設置した。一つの企業を中心に自治体が形成されるウソみたいな時代だった。
 その小学校を卒業して、私の一家は千葉工場に転勤となった。長いあいだその理由が分からなかった。戦地から引き揚げ、飲んだくれで暴れん坊だった父が、体よく島流しされたんだろうくらいに、私は考えていた。
 Mさんのメールで、その会社の『六十年史』があるのを知った。箱入り上製の立派な本だ。企業の社史であるばかりでなく、戦後日本の復興史を綴(つづ)った貴重な歴史書でもある。この本で驚くべき事実に遭遇した。
 驚異的な利益を上げたのは、昭和22年から34年頃までだ。親会社の三池炭鉱の石炭が枯渇したため、ホルマリン、メタノールなど主力製品の生産に支障をきたすようになった。代替エネルギーとして白羽の矢が立つたのが、千葉の天然ガスだった。おそらく鼻つまみ者だった父にとって、転勤は渡りに船だったのだろう。これによって私の生活も一変したのだから、人生なんて、どこでどう転ぶか分かったもんじゃない。
 『六十年史』の記述がじつに面白い。敗戦後、進駐軍の大男たちが乗り込んできて、「労働組合を作れ」と迫る。しどろもどろになって応対する会社幹部……。緊迫しつつも滑稽(こっけい)な情景が目に浮かぶ。財閥解体、農地解放と、初めは左寄りの政策で、日本統治に臨んだGHQの政策を如実に示したエピソードだ。
 組合が組織され、やがて内部分裂がおき、第二組合が生まれる。いつの世にも変わらぬ足の引っ張り合いだ。わが親父どのは第一だったのか、寝返り派だったのか?
 会社の業績は急激に悪化した。赤字輸出や競合他社による追い上げに苦しんだ。前号で示した『ロジスティック曲線』をそのままたどった。転勤とは名ばかりの人員削減だった。
 旅立ちの夕べ。東京行寝台特急あさかぜのB寝台に乗り込んだ我が一家を、父の同僚たちが見送りにきた。プラットフォームから見下ろす関門海峡には、重い霧が垂れ込めている。皆いちように項垂(うなだ)れ、唸るように唄った社歌が私には御詠歌のように聞こえた。行くも地獄、残るも地獄だったのだ。背後の関門海峡をとおる大型タンカーが、ぶぅおおーっ、ぶぅおおーっと哭(な)いた。

 *小説『霧笛海峡』がAMAZQNのkindle版(電子書籍)になりました。お手持ちのPCやスマホにて、税込み440円でご覧いただけます。よろしくお願いします。
 

千葉県:出口 臥龍

 コロナ収束を願う 

頸髄損傷高位C5、受傷後13年

 「はがき通信」ウェブサイトを読ませてもらって6年になります。
 中国の武漢での新型コロナウィルスの感染拡大をニュースで知った1月下旬のころは、現在のような世界全体の大惨事になるとは想像できませんでした。
 私の住む札幌でも2月中旬から感染拡大が始まりましたが、国内で先がけて北海道知事が緊急事態宣言を発して外出自粛要請や学校の休業をおこなったことにより、いったん感染拡大が収まりました。そのころ、私は、春を迎えて暖かく湿度が高い時期になれば、感染も落ち着くんだろうと考えていました。しかし、今回の新型コロナウィルスは予想をはるかに越える強敵で、1ヶ月後、北海道に第2の感染拡大の波が発生しました。5月中旬の今、やっと1日の感染者数が1ケタになり、もうひと頑張りというところです。

 私は札幌市内に自宅がありますが、事情があり、自宅から車で15~20分の距離にある札幌市東区の施設で生活しています。この施設の建物は、3階が私が入居している障害者施設、2階が老人福祉施設、1階が通所施設という複合型の構成になっています。

 2月中旬に、厚生労働省から通所施設の業務停止を指導する通知が発せられましたが、当1階通所施設では営業を継続し、軽症者を外すなどといった対象者を絞り込むこともしませんでした。
 その数日後の2月24日に、安倍首相から新型コロナウィルス感染防止の注意喚起の発言を受けて、翌日25日から当施設の2階と3階は家族を含めて面会禁止となり、これは現在も継続中で、施設利用者が家族と会えない日々が続いています。
 これと同時に、私のリハビリが半減してしまいました。これにより私の身体の苦痛が増大し、かなり辛い事態になっています。私がふだん週3回のリハビリをおこなっている場所は1階にありますが、1階の通所施設は以前と変わらず営業を継続しているため、感染防止対策の目的で私は1階に行くことを禁止されて、リハビリが自室のベッド上での簡易なものに制限されてしまったのです。
 あっという間に、精神的と肉体的の両面でのダメージを負うハメになってしまいました。これは結構キツいものになっています。
 また、理髪室も1階にあるため、同じく感染防止対策という理由で散髪も禁止されてしまいました。
 さらに、入浴が週2回から週1回に減らされる日々が続いています。これは、この春に上司のパワハラに耐えきれずに、辞職した介護職員が多かったために要員不足となったことが理由で、新型コロナウィルスとは関係ありません。この上司というのが無能な女性看護師で、障害者の看護に必要な知識やスキルを自発的に習得しないまま、10年間この職場に勤続しているやっかい者です。介護職員に対しては、日常の仕事現場の現状把握を怠(おこた)っているくせに、つまらないことで小言をぶつけ、髪の長さや靴の色などが気に入らないとしつこく注意するので、介護職員の嫌われ者です。私もがん検査を妨害されるなど、これまでに数多くの被害を受けており、困っています。1日でも早くこの施設から消えて欲しいと思っています。

 例年はそろそろ街へ出かけてランチや買い物を始める時期ですが、今年は外出をあきらめるしかないようです。
 新型コロナウィルスの感染拡大が収束して、私の施設の面会禁止令が解除される日ができるだけ早く訪れることを願い、家族と会えるようになることを気長に待つことにしようと思っています。
 自宅で暮らしている方は、ヘルパーや訪問看護師の派遣手配に苦慮されているケースが多いかもしれませんが、新型コロナ収束まで乗り切っていただくようお祈りいたします。

 [5月20日投稿]

札幌市:UmeSuppapa

 気休めの気 

50代、男性、受傷後18年、C5/6

 気功における「気」は神秘的に語られることもありますが、中国医学では「意が至れば気が至り、気が至れば血が至る」と考えるそうです。それに従えば、気は「エネルギー」といった漠然としたものでなく、「部位の無駄な緊張を取り除くもの」と理解しても良いでしょう。
 四肢マヒ者は臥位でも座位でも同じ姿勢を続けることが多い上に、自力で柔軟体操やストレッチを行うことができません。意識することで体内に気を満たし血流を良い状態にでき、それで筋肉のこわばりや痛みを軽減できるのならばありがたいことです。その方法が日本では、養生の分野で伝えられています。

 佚斎樗山(いっさいちょざん)『天狗藝術論』の「収気の術」は、「両の肩をぬき出すように開くときは、気伸ぶるものなり」と、仰臥位で肩の力を抜き胸と肩とを左右へ開く形を重視します。「手足を心のままに伸べ、手を臍(へそ)の辺り虚欠の所に置き、悠々として萬慮を忘れ、とやかく心を用いることなく、気の滞(とどこお)りを解き、気を引き下げ、指の先までも気の往わたるように、気を総身に充たしめ」、「息をつめ気を張るには非らず、気を内に充たしめて活すなり」とイメージします。仰臥位でできるようになれば、座位でも意識するだけで気が満ちるそうです。

 白隠禅師『夜船閑話(やせんかんな)』の「軟酥(なんそ)の法」は、頭上においた酥(そ)(バターのようなもの)が溶けて体の周りや体の中を流れ落ちていくと同時に、病気や邪気も一緒に洗い流していく様をイメージします。さらに流れは脚を温め足裏で止まりますが、温かいものは蓄積され、まるでたらいに溜めた薬湯の中にへそより下が漬かっているように感じるとのことです。

 これに似たものとして、中国の『雲笈七籤(うんきゅうしちせん)』の「明補法」には、「まず手足をゆったりさせて仰向けに寝る。頭頂に酥の塊があって、溶け流れて心臓に注ぎこみ、手足すみずみまで広がっていく様を瞑想(めいそう)する。また、酥の池の中に横たわっているさまを瞑想し、沐浴(もくよく)するさまを観想する。しばらくすると皮膚が光沢を放てば、気が練れて補い終えたということである」とあります。

 このほかに、仰臥位で両脚を踏みしめるような関節動作を伴わない静的な等尺性筋収縮と、呼吸法を組み合わせたものもあります。貝原益軒『養生訓』の「養気の術」は、呼吸を調え静かに丹田呼吸を行うものですが、新旧の気の交換のために、仰臥位で手を握りしめる深呼吸を朝夕に行います。白隠禅師『夜船閑話』の「内観の法」は、仰臥位で両脚を伸ばし強く踏みそろえ、全身の気を臍下足心の間に充足させます。平田篤胤(あつたね)『志都能石屋講本』の「臍下へ気を練り畳むの修法」は、両脚を踏みしめる時間を百息とし、緊張と弛緩を繰り返します。

 これらの方法に共通するのは、老子のいう上虚下実の状態です。それを実現するために、雑念を払い、肩の力を抜き、臍下丹田に意識を集中し、さらに足までイメージを広げます。『荘子』内篇には、「道を体得した人は踵で息をするが、普通の者は喉で息をする」とあります。
 気功や瞑想は、素人がのめり込むと精神の不調を招くこともあるそうです。ここで紹介した方法は、気休めか気晴らし程度にご理解ください。

茨城県:DRY

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