No.181 2020/2/25
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 私の耳はロバの耳 

50代、男性、受傷後18年、C5/6

 イソップ物語『王様の耳はロバの耳』は、王の耳がロバの耳であることを知ってしまった理髪師が、口止めをされた苦しさから逃れるために地面に掘った穴に向かって「王様の耳はロバの耳」と叫んだら、そこから生えた草がその言葉を言うようになってしまったというお話です。この理髪師殿が責められるとすれば他人事に触れたことでしょうか。情報社会の現代にも通じる教訓です。

 私は、訪問看護の枠で、2週間ごとに理学療法士に施術されています。私好みのガッツリとしたストレッチをしてもらいながら話すことも多いのですが、管理職になった彼からは仕事の愚痴を聞かされることが増えました。「王様の耳はロバの耳」と叫んでいます。そこは私も年長者ですから、愚痴も自慢も寛容に聞いてあげます。所詮、他人事ですし。

 ある日、彼が冬の夜にパンクしてクレジットカード付帯のロードサービスを利用した話をしてくれました。その話を聞いて、わが家のリフター架装車にはスペアタイヤが積まれていないことを確認し、自動車保険にロードサービスの特約を付帯させました。数ヶ月後、この特約は空港に向かう車のタイヤがパンクしていた際に役立ちました。このように他人の何気ない話が自分の行動につながることは、何度も経験しています。今回の場合は、タイヤのパンクという問題の予想、スペアタイヤの不備という現状の確認、車の搬送という課題の想定、保険の特約という対策の準備、の流れです。

 問題の発生を予想できなければ話になりません。私が受傷して担ぎ込まれた救急病院では、四肢マヒは私1人でした。次のリハ病院の4人部屋では、入れ替わりで6人の四肢マヒ者と同居しました。誰もが将来に不安を抱えていましたが、具体的に問題の発生を予想できる者はいませんでした。四肢マヒの経験もなく関わることもない人生を送ってきたのですから、無理もないことです。18年後の現在、6人の誰もが、予想もできない問題について自身の経験として語れるでしょう。その多くは失敗談かもしれません。
 「はがき通信」に私が投稿する理由は何でしょう。以前、“四肢マヒ者&ご家族が書かれたご投稿は、どなたかの役に立つであろう貴重な内容”とありました。肉体的条件も社会的環境も自分とは異なる方からの投稿を拝見して、私もそう実感するひとりです。それに、「王様の耳はロバの耳」と叫ぶのではなく、「私の耳はロバの耳」と文章にすることが、心の平穏のために必要なこともあります。

茨城県:DRY

 市庁舎コンサート 

(兵庫頸髄損傷者連絡会機関誌「縦横夢人」27号への同時投稿)

 皆さま初めまして。兵庫県で自立生活をしているY.I.といいます。受傷レベルは、C4.5です。そんな私が生きがいとしているのが、ブルースハーモニカです。学生時代にギター、ブルースハーモニカで演奏していた経験があり、受傷中に呼吸のリハビリとしてブルースハーモニカを吹き始めました。今も毎日ハーモニカに触れ、定期的にいろいろな場所で吹かせていただいています。そして、1月16日に市庁舎コンサートで演奏してきましたのでお伝えしたいと思います。

 市庁舎コンサートとは、三田市で市民文化活動の普及・振興や開かれた市役所をめざして、登録をした団体・個人が毎月1組、第2木曜日に披露するコンサートです。時間は30分です。今まで経験してきた中で一番長い時間で、どう構成しようかと悩みました。私には頸髄損傷の障害以外に、高次脳機能障害があり、優先順位を決めて物事をうまく進めることや、頭の中で順序立てて、自分の伝えたいことをうまく話すのが難しいため、準備には人より時間がかかるので、演奏依頼があったその日から準備に取り掛かりました。MCで何を自分が伝えたいのか、曲は何を演奏し、何曲演奏するのか、またどの順番で演奏するのか、ヘルパーさんにもいろいろアドバイスをもらい、3曲とMCをすることに決めました。曲は「Let it be」「Isn't she lovely」「Comin' Home Baby」に決めました。この3曲に決めた理由は、それぞれあるのですが、「Let it be」は歌詞が前向きで自分が救われた曲だったため選びました。曲が決まったことで、猛練習が始まりました。



 いよいよ当日です。自前の衣装に着替え出発です。開始より2時間30分も前に市役所へ行き、担当の方と軽い打ち合わせを行いました。事前に聞いていたのですが、控え室みたいな場所があり、そこで軽く音出ししていました。そうこうしていたら、音響の方が入ってこられて音響の調整をしていただきました。今までも音響の調整は何度も行ってきましたが、最高だと思えるくらい良かったです。精神を整え、いざ会場へ。立派な舞台が作られていて、一気に緊張が上がります。30分前に着くと80席に数人が座っているだけだったのに、10分前には、80席がほぼ埋まっていました。(じたばたしても仕方ない)心を決め、いざ。アナウンスがあり、開始です。カンペを見ながらなのに言葉がたどたどしい(笑)。始まる直前に、司会の方からアンコールはどうしましょうか?といわれて、戸惑いました。だって、コンサート自体初めてなのにアンコールなんて……だけども求められたら応えるのが男だと今は亡きおばあちゃんの教え(笑)。演奏は、上手く行ったところもありましたが、まだまだ練習が必要なところが多くあると感じました。でも、初めての一人でのコンサート。とても貴重な体験をすることができました。





 最後に重度障害者になっても、音楽を楽しめるという姿をたくさんの方に知ってもらいたく、いろんな場所で演奏してます。どこでも足を運びますので、是非お声かけのほどよろしくお願いします。

兵庫県:Y.I.

 『臥龍窟日乗』-62- 17年目の呟き 

 令和2年1月をもって、頸損年齢17歳になった。
「わっ、青春真っ只なかだ」なんて、はしゃいでいる場合じゃないだろ。神の声が聞こえてくる。毎日が煉獄(れんごく)のような17年だった。明日の朝は目が覚めるのだろうかと案じながら、17年が過ぎた。
 1年のうち三分の二くらいは、地球を這いずり回る日々だった。ある日突然、手足をもぎ取られたこけしみたいになったのだから、精神的なショックは言い尽くしがたい。頸髄損傷というのは怪我ではなく病いなのだと思い知った。怪我は一瞬、けれども永く辛い後遺症が残る。心の病いと自律神経失調症だ。これに尽きる。
 台湾の高速道路での事故だったが、インターチェンジのそばに台湾最大の病院があった。手術は十数時間に及んでいる。帰国のとき受け取ったカルテには、「心肺停止」という文字が記されてあった。後縦靭帯骨化症という持病があったそうだが、執刀医は「日本人に多い病気だ」とだけつぶやいた。
 頸髄損傷や脊髄損傷には、一人として同じ症状は出ない。人によって、損傷する脊髄の部位や深さ角度などが異なるからだ。損傷が横から入った場合と、斜めに入った場合とでは症状はまったく異なる。だから一概には言えないのだが、私の場合には寒暖の差にきわめて敏感だ。冬はもちろんのこと、夏もクーラーと聞いただけで身の毛がよだつ。
 幻肢痛にも悩まされる。神経が損傷されているのだから痛みなどを感じるはずもないのだが、手足を金属製のワイヤーで縛り上げられたような強い痛みに苛まれる。実際にはありえない痛みなので幻肢痛という。ファントムペインとは、よくぞ言ったものだ。意識すればするほど痛みは強まる。17年も頸損をやっていると、この幻肢痛のメカニズムも分かってきた。幻肢痛はストレスによって惹起(じゃっき)されるのだと。それが証拠に深夜目覚めたときに幻肢痛はおきない。また何事かに熱中しているときに襲われることもない。つまり幻肢痛対策はストレスを溜めないことだと悟った。とはいえ仏様じゃあるまいし、ストレスの発散というのも、そうやすやすとできるものではないのだが……。
 ストレスから逃れる方法として、私の場合は毎日1時間の散歩とパソコン作業を欠かさないようにしている。なんでもいい。何かに集中できる時間を設けると、その間だけでもストレスからは解放される。幻肢痛も起きることはない。それでも執拗な痛みから完全に逃れることはできないが、うまく付き合っていくしかないのだろう。
 幻肢痛が自律神経失調症なのかどうかは知らない。年を重ねるごとに治まってくるものだと、当初は思っていた。ところが一向にその気配はない。それどころか年々ひどくなってきたようにも感じる。私の世代では、頸損、脊損の自律神経失調症というのは、一生拭うことのできない宿命みたいなものなのだろう。

 心の病いについても触れておきたい。
 自律神経失調症とも密接に関わってくる問題なのだが、健康であるとないとに関係なく、人はだれしも心の病い一つや二つ抱えて生きているものだ。
 小さいながらも事業をやっていたので、とにかく一刻もはやく現場復帰せねばという焦りが頭を離れない。やがてこれが強迫観念になっていく。4、5年経って現場復帰はとても叶わぬ願いだと思い知った。絶望に近かった。
 さらに四肢麻痺になったわが身が、10年経ち20年経ってどんな終末を迎えるのだろうという恐怖感が追い打ちとなった。身体の自由が効けば、わが身の終活は自分で設計できる。手足が不自由なまま認知症にでもなればどんなおぞましい事態になるか。考えるだけでも気が滅入る。
 毎日の散歩の途中、お会いする老夫婦がおられる。私より一回り上の年恰好だ。お子さんが障害を持っていて、施設に入所している。そのお子さんの世話をするため、毎日バスで施設に通っておられる。おそらくは自分の何たるかさえ分からぬお子さんを置き去りにして、先立っていく親の苦しみ。子の介護のためだけに生きる人生って残酷すぎやしないか。悲壮な顔で足早に歩いておられるご夫婦の姿を目にするにつけ、頸損なんてまだまだチョロいもんだと思わざるを得ない。
 人間の一生ってなんと非業なのだと心が痛む。

千葉県:出口 臥龍

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