はがき通信ホームページへもどる No.135 2012.6.25.
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 『臥龍窟日乗』 —五十年目の箏曲(そうきょく)—  


中学の同級生エミちゃんは、筝(こと)をやっていた。その当時、筝をやるなんて、よほど金持ちのお嬢様だったろうが、近寄りがたい雰囲気も確かに漂っていた。
 このエミちゃんに、ニキビ面の私はぞっこん惚れ込んでしまった。片思いである。なんとかエミちゃんと話題を共有したいがために、彼女の得意な音楽はとくに力を入れて勉強した。
 音楽のテストと言うと、楽譜を読んで曲名を当てる、なんてのがあったが、楽器の演奏はからきしダメな私が、毎回満点近い成績だった。
 一応あしらってはくれるが、エミちゃんの念頭には、私みたいなむさ苦しい坊主は存在しなかったようだ。一晩寝ないで熟考したプロポーズの口上を、卒業式の日に打ち明けようとしたが、
 「じゃあ元気でねェ、バ〜イ」
 と手を振って、風のように去っていった。
 逃げた魚の大きさと、去っていく女の美しさは、いつの世にも変わらない。かくして魂を失った私の心には、蝉(せみ)の抜け殻のような「音楽趣味」だけが残った。
 私が弦楽器の魅力に憑(つ)かれたのは、それからだった。
 思い出すのは大学受験の時。先輩のいた京都の大学を受けることになった。旅館を予約したが、先輩からは、
 「そんな所に行かんで学生寮に泊まれ」
 とのお達し。銭湯に入ると、探検部のリーダーだった先輩の腰には、赤と青の糸で編んだ紐(ひも)が結んである。
 「アフリカの土人の娘にもろうたんじゃ」
 と大声で笑った。
 三条川端通り辺りの赤提灯で、しこたま呑まされ学生寮までマラソンで帰った。酒の呑み方を知らない私は、へべれけになり、薄汚い寮のぼったん便所でべえべえと吐いた。先輩の部屋は、窓ガラスが割れ、風が吹き込まないように、割れた形に切り抜いた新聞紙が、セロテープで貼ってあった。
 がんがんする頭を抱えていると、近くの部屋からギターのメロディーが流れてきた。『影を慕いて』だった。
 当時、あまり例のなかった引き籠(こも)りだった。出席日数の足りない私を卒業させるさせないで、郷里の高校では揉(も)めに揉めていた。教師は「国立一期に受かった生徒を、落第にすれば社会問題だ」と私に発破を掛け、先輩にも言い含めてあったようだ。
 クラシック一辺倒だった私には、か細い男の声とギターの音色が心に沁(し)みた。ただ「永遠(とわ)に春見ぬ 我が運命(さだめ)」という一節が、しっかり脳裏に焼き付いたものだ。案の定、この受験には失敗した。
 あれから半世紀。ヴァイオリン、三線(さんしん)、二胡などを経てたどり着いたのが邦楽だった。
 私の人生の節目節目には、不思議なことに、何らかの形で弦楽器が絡(から)んできた。そして深淵(しんえん)から私を救い上げてくれた。
 5月15日、お江戸日本橋亭での『らいぶ独箏(ひとりごと)』に招かれた。杉浦充さんと五十川真子さん。いずれ全国区でブレイクするに違いないお二人のライブだから、万難を排して出掛けた。
 CDには録り込めない、ライブの醍醐味(だいごみ)があった。昔味わったことがあるな、と考えていたら、津軽三味線を初めて聴いた時と同じ感興だった。正月番組の背後に流れるちんとんしゃんとは、似ても似付かぬ迫力だ。
 弾(はじ)いた弦の余韻が重なり合って、滝壷(たきつぼ)の中で吹き上げてくる音の飛沫(しぶき)を浴びている。そんな感じだった。弦の持つ可能性を最大限に引き出し、邦楽というカテゴリーを曖昧(あいまい)にしてしまうような、スケールの大きさ、奥深さだ。
 お二人は邦楽ばかりでなく、和太鼓やジャズバンドとの競演にも積極的に取り組んでおられる。五十年目の筝曲(そうきょく)は、いったいどのような形で、私の人生に関わってこようとしているのだろうか。

千葉県:臥龍



 通所施設で機織(はたお)り 

C5

 こんにちは、N.Mです。2度目の投稿になります。
 私は、昨年の2月から、区内の通所施設に通い始めました。週に1回ですが、最初は戸惑いが多く、正直前日は眠れない日もありました。1年が経ち、ようやく慣れたところです。
 そこにはいろいろな障害を持っている人たちが通っていて、グループに別れ、いくつかの作業やレクリエーションをします。
 私が選んだのは、草木染めや機織(はたお)りなどです。その中でも、特に機織りにはまってしまいました。
 怪我をする前には編み物が好きだったので、糸が織り上がっていき、完成していく過程が楽しいです。でき上がった作品は、年に数回、販売もします。
 今は、全部を自分でやることはできませんが、その代わり、みんなで力を合わせてひとつのものをつくりだしていく喜びがあります。
 この詩は、その様子を書いたものです。これからも、日々の生活の中で感じたことなどを詩にしていきたいと思っています。

 はたおり

 カッタン コットン
 キリキリ コロコロ

 心地よい音の中で
 縦糸と横糸
 いくつもの色がからみあっていく

 私は引っ張るだけだけど
 たくさんの手をかりて できた
 世界に一つだけのマフラー 



東京都:N.M.


 たまにやってくるめまい 

42歳、C6、頸損歴24年

 日本女子サッカー代表・エースの澤選手が、3月の世界大会決勝など3試合を体調不良で欠場し、いろいろな憶測が飛び交う中で帰国後に精密検査を受けた結果。耳石が離れ落ち三半規管の中に入り込むと、平衡感覚に狂いが生じてめまいが起きる「良性発作性頭位めまい症」が欠場理由だと報道されていました。
 アッ、これ自分がたまになるやつだ。私も3年前より同じ症状が起きていて、左側臥位に体位交換するときと左側臥位から仰向けに戻るときに、有無をいわさず目の前が10秒くらいクルクルとまわるようにめまいがします。何度もめまいがすると気分が悪くなり、すぐに何か深刻な病気かと恐れおののきながら医師に診てもらうと澤選手と同じ病名を告げられました。完治までは通常1〜2週間で長引くと1か月、治療方法はなく、年齢・性別に関係なく誰にでも起きるということでした。治療方法がないなら症状が治まるまでひたすら付き合っていくしかしょうがなくつらいです。特にめまいと何かもう一つ、花粉症で眼がかゆくなったり鼻水が出たり、痰の出が悪かったり、頭痛がしたりしたときと重なるともう訳が分からなくなりつらさが倍増します。今のところだいたい突然症状が起きてから1週間くらいで治まっていて、すっかり忘れた頃の半年に1度の頻度でやってきます。
 テレビで病気について、診察して耳石を戻す方向に頭を動かす運動が有効と解説していました。そんなこと医師は診察時に何も教えてくれなかったなぁー。


編集担当:藤田 忠










【編集後記】



 寒く長かった冬でしたが、夏本番前、今年の夏も暑いのでしょうか。ここ3年くらいの夏の蒸し暑さは、尋常ではないような気がします。冬の寒さより、夏の暑さに恐怖を覚えるほどです。
 今年も電力不足が言われていますが、部屋の中ではエアコンも併用していかないと体温調節がうまくできない頸損者は本当に体力と気力を消耗し、気がついたら熱中症という事態にもなりかねません。
 他の暑さ対策もしつつ、エアコンなどの冷房装置も上手に組み合わせて夏を無事に乗り切りたいものです。
 暑くなってくると、私が特に気をつけているのが入浴です。入浴は頸損にとって思った以上に体力を使い、疲労するものです。私は、自分で洗っているのでなおさらです。低血糖にならないように入浴前に甘味を摂る、空腹時に入浴しない、起立性低血圧予防に水分補給しながら入浴するといったことを心がけています。
 次号の編集担当は、藤田忠さんです。


編集担当:瀬出井 弘美







………………《編集担当》………………
◇ 藤田 忠  福岡県 E-mail:fujitata@aioros.ocn.ne.jp
◇ 瀬出井弘美  神奈川県 E-mail:h-sedei@js7.so-net.ne.jp

………………《広報担当》………………
◇ 麸澤 孝 東京都 E-mail:fzw@nifty.com

………………《編集顧問》………………
◇ 向坊弘道  (永久名誉顧問)

(2012年4月時点での連絡先です)

発行:九州障害者定期刊行物協会
〒812-0054 福岡市東区馬出2丁目2-18
TEL:092-292-4311 fax:092-292-4312
E-mail: qsk@plum.ocn.ne.jp

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