はがき通信ホームページへもどる No.120 2009.12.25.
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 <特集>田舎のネズミと都会のネズミ 


 はがき通信懇親会in東京へ行きました。会場は両国にある「第一ホテル両国」。何度行っても迷路のような東京だけど、何年か前、「第一ホテル両国」で頸損連絡会全国大会が開催され、1度行ったことがあったのでちょっと自信を持っての東京行き。しかし……東京駅での電車の乗り換えでひと波乱。記憶の中では、両国へは地下鉄大江戸線だったのですが、駅員さんが「絶対JRが近いです」と言われます。「でも時間がかかっても、地下鉄に乗りたい」」と粘る私、でも「いいえ、JR」と譲らず……。根負けで、JRで行くことになりました。
 両国駅に降りると、2度めだったので迷うことなくホテルへ到着! 14:30懇親会が始まりました。まずは「四肢麻痺者の生活に有効な支援機器の紹介と展示」。噂には聞いていたけど、ほとんど初めて見る物ばかり。体が不自由になってもなんとかなるもんだ〜と興味津々。ただ、ちょっと高いよなあ〜……。
 少し早めに会場を出て(ごめんなさい)、ホテルにある美容院でシャンプーをしていただきました。旅行に出かけると、いつも美容院でシャンプーです。このことを思いついてからは、夫共々快適! このたびは、時間の制約があったので、事前に調べ予約を入れておきました。
 レセプション前、少し休憩を……と部屋に向かいましたが、荷物が届いてない!! フロントに問い合わせると、16:00には到着のはずがまだ届いてないと言う。慌てました。宅配業者へ問い合わせたりとひやひや(汗)。結局は、フロントのミスで、届いている荷物を届いていないと思っていたようです。
 18:00、25階からの素晴しい夜景に包まれながらレセプションが始まりました。皆さんの笑顔やアクティブな活動報告に、元気が出ます。初対面、何年振りかの再会でも不思議なくらい会話がはずみます。話ができなくても顔を見ているだけで、一緒にいるだけで嬉しくなる。仲間とはこういったものなのでしょうね……。
 2日めの自由観光は、谷中へ行きました。東京の下町は風情があり大好きなんです。JR両国駅→秋葉原→日暮里。秋葉原駅で電車を待っていると、明治チョコレート仕様の電車が入って来ました。駅員さんが「山手線で1時間に1本しか走ってないんですよ。ラッキーですね。」とにっこり。ラッキーにあやかろうと記念撮影を一枚、パチリ! 





 日暮里駅に到着。日暮里駅はバリアフリーですが、複雑過ぎてローカルな私たちは駅員さんの誘導なしでは迷子になりそう。谷中へ行くには坂道が続きます。目的の「谷中銀座」に到着すると、いきなり下って降りる階段。「うっそう〜———!?」。一瞬クラ〜っとなったけど、通りがかりの方が「降りる道がありますよ」と声をかけて下さいました。ありがとうございました。この階段は「夕やけだんだん」といって、名前の通り上段からの夕焼けがきれいなのだそうです。見晴らしのいい階段は、猫たちの憩いの場所にもなっているとか。昭和のにおいたっぷりの谷中銀座は、たくさんの人で賑わっていました。猫の町でもあり、いたるところに猫の置物。
 名物の「メンチカツ屋すずき」は大人気で、すごい行列。よ〜く見ると、お店には「槇原敬之も大好きなメンチカツ」と書かれた、マッキーが食べている写真の張り紙。マッキー大大大ファンとしては、これを見たからには見過ごすわけにはいかない。頑張って並んでゲット! 途中で生ビールを買っていただきました。おいしかったです(幸)。坂道とお寺の多い谷中をゆっくり散策しました。案の定、帰りの日暮里駅は半迷子……。
 夜は、友人と表参道で待ち合わせ。大江戸線両国駅で切符を買っていると、なんとまあ、10年ぶりに大切な友人にばったり!? 東京の空の下よくもまあ……。入院中、彼にはとても勇気づけられました。そのお陰で今の私がある、と言ってもおかしくない。時間がなくゆっくり話せなかったのが心残りだけど、とてもびっくり嬉しい再会でした。
 表参道はおしゃれな街。でも駅にはエレベーターはなく、駅員さんに支えられ長いエスカレーターに乗って地上に出ました。車で迎えに来てくれた友人と、南青山にあるジャズクラブへ行きました。お店は地下1階、隠れ場的な感じで店内も古い洋画の世界。あこがれのクラーク・ゲーブル様が、グラス片手に微笑みながら声をかけて来そうな雰囲気……。素晴しい演奏とボーカルに終始酔いしれました。ボーカルのチャリートに声をかけられ、CDに「私の歌であなたがいつも前向きでいられますように」のサインとほっぺにキスをプレゼント。ホテルに帰ると0:00を回っていました。
 最終日、大江戸博物館でこれからの「はがき通信」について話し合いました。その後、「浅草の天丼がうまい!」という樋口暁子さんの言葉に誘われ、昼食の天丼を食べに浅草へ行きました。JR両国駅から浅草は1駅、と聞いて軽い気持ちで出かけたのですが、下車した浅草橋で「浅草へは電車を乗り換えて下さい」と言われ、案内されました。案内された通路は、駅が古く階段ばかり。長い道のりをモノレールのような階段昇降機に乗せられ、階段を降りたり昇ったり。高所恐怖症の私の心臓はバクバク……。乗り換えは、いったん駅の外へ出て信号を渡るというややっこしいものでした。みんなの言う通り、歩いて行った方がよかったのかも?と思いました。







 やっと着いた浅草、「さあ!天丼!」とお店を目指しましたが、噂のお店は長蛇の列。これを待っていると帰りの新幹線に間に合いそうにないので、断念。残念!



          <浅草・浅草寺(せんそうじ)雷門前>


 東京駅へ向かうにも乗り継いだどの駅も古く、またあのモノレールのような階段昇降機から始まって、銀座線神田駅では長い階段2か所をかかえてもらって昇り、JRに乗り換えではエスカレーター2か所を止めて移動。そんな手間で時間がかかり過ぎ、新幹線の時間が危うい。東京駅に着くと、駅員さんが秘密のレトロな地下道を猛ダッシュで車椅子を押してホームへ直行。
 夫は、初めてこんなに長い距離をダッシュで走ったらしい。でも追いつけなかった。すごい息切れ、死ぬかと思ったそうです(笑)。お陰さまで、何とか新幹線に間に合いました。車椅子になって東京へは3度めだけど、相変わらずかっこよくスムーズにいきませんね。そろそろ「田舎のネズミ」も「都会のネズミ」に近づきたいものです。

広島県:M.K.



 <特集>都営地下鉄で巡る、浅草・靖国神社・六本木ヒルズ 

C4、53歳、頸損歴26年、♂、O型、水瓶座

 ホテルのある両国から浅草には、都営地下鉄大江戸線に乗り、隣の蔵前駅で下車しました。
 地上に出て、広い歩道を15分ほど歩くと有名な雷門が見えてきます。人力車を引く若いお兄ちゃんたちや演芸場の案内をする、粋(いき)な格好をした若者がたくさんいます。
 「雷門をくぐり仲見世を通って浅草寺(せんそうじ)に行く」ただそれだけに多くの人が集まるのです。浅草の魅力とは、一体何なんでしょうか? 江戸の粋を感じさせる数少ない場所なのかもしれません。
 次の目的地は靖国神社です。一生に一度は行ってみたかった所です。大江戸線の森下駅で新宿線に乗り換え、九段下駅で降りました。
 地上に出るとコゲ茶色の大きな鳥居が見えるので近いようですが、本殿までは結構あります。坂道を上って行くと途中に武道館が見え、屋根の上に光る大きな玉ねぎが載っています。



           <靖国神社入り口の大鳥居>


鳥居をくぐり、広く長い殺伐とした参道を歩いていると緊張してきました。
 参道中央の高〜い所から、大村益次郎公(靖国神社の創始者)の像が太い眉を吊り上げて、にらみを利かせています。「変な族(やから)はここから一歩たりとも通さんぞ!」と言っているようです。社殿も威厳があり、両脇には錦の御旗が立っています。(黄色のポロシャツで来なくて良かった)



        <大村益次郎公の像>


拝礼を済まし、もうひとつの目的である遊就館(資料館)に行きました。ここは、古代から大東亜戦争に至るまでの戦争の歴史が刻まれています。和歌や中世の甲冑(かっちゅう)の展示から始まり、戊申(ぼしん)戦争・西南戦争・日清戦争・日露戦争へと、軍事色が濃くなって行く様子がうかがえます。
 大東亜戦争の展示コーナーになると遺品も多くなり、馴染の軍服や軍刀・日の丸・遺書・花嫁人形などの光景が飛び込んできました。極めつけは無数の遺影です。「靖国の神々」と題した展示が3部屋あり、軍人の遺影で埋め尽くされています。
 大展示室にたどり着き、ホッとするのもつかの間、最後にダメ押しの1部屋があるのです。重苦しい空間です。ここの展示は小部屋が連なっていて、一度入り込むと抜け出せません。必ず無数の遺影を見るのです。「靖国を軽んじるな!」という神社や遺族のメッセージを感じました。
 遊就館を出て再び参道に出たとき、本殿に振り返り深々と一礼しました。どうやら「靖国の策略」にハマったようです。重苦しい空気を引きずって九段駅に着いたとき、駅員さんに「お帰りなさい」と声をかけられ緊張が少しほぐれました。
 次の目的地は、六本木ヒルズの展望台です。東京タワーを見るのが目的です。新宿線で森下に戻り、大江戸線に乗り換えで六本木駅で降りました。(東京メトロ線を使えば直行できます)
 ちょっと曇っていたけど、ここから観る360度のパノラマは絶景でした。遠くは、富士山や横浜ランドマークタワーも見えるそうです。中でも東京タワーは、格段の存在感があります。大都会に埋もれているせいか思ったより小さかったけど、近く下に見えます。あれ? 東京タワーの方が高いんじゃーないの? どうよ! どうよ!とM村さんに尋ねると、「六本木ヒルズと言うくらいだから森ビルが丘の上に立っているからだろう」という説明に納得しました。
 (帰って調べてみると、森ビル238mに対し東京タワーは333m。高さが違いすぎます。ガラスに細工がしてある?という「ヒルズの陰謀」を勝手に唱えている私です。)



 <六本木ヒルズ展望台から見た東京タワー>


東京の日暮れは早く、5時前だというのにもう薄暗くなってきます。六本木から両国へは、大江戸線で乗り継ぎなしで帰れます。ホテルに戻って、I組長・S嬢と待ち合わせて美味しいチャンコを食べました。
 ちょっと疲れたけど、有意義で充実した一日でした。懇親会を準備して下さったスタッフやボランティアの皆さん、本当にありがとうございました。心より感謝申し上げます。

広島県:Y.О.



 <実行委員長の麸澤さん(左)と夕食レセプション司会担当のM原さん>
 


 <特集>月島から浅草へ 


 「はがき通信」懇親会2日目の午前中、S上さんと両国から都営大江戸線で月島へ行った。A7の出口エレベーターで地上に出ると、左側の西仲通りの両側にもんじゃ焼き店がズラリ約60店舗並んでいた。ネットでなんとなく選んだ“夢や”を目指して一番奥の四番街まで進んだ。
 “夢や”は開店前で準備中。店の入口を見て愕然。7cm位の段が……。案内人失格である。他の店を探すのも大変なので、店のご主人に「スロープになる板はありませんか?」と尋ねてみた。探してもらっているときに、S井さんとバッタリ! 月島で合流する予定ではあったのだが、こんなにうまく会えるとは思ってもいなかった。スロープになるものがなく諦めようと思っていたら、ご主人が他の店のスロープを持って来てくれたのだ。無事に入れてホッと一安心したが、スロープを持って行かれた店を考えると複雑であった。





 ご主人はとってもいい人で、もんじゃ焼きの焼き方や美味しい食べ方を教えてくれた。本場のもんじゃ焼きは、最高に美味かった。
 月島から浅草へ行くことになり、蔵前で乗り換えれば簡単なのだが、都営大江戸線と都営浅草線の連絡が階段のため、蔵前から電動車イスで行くことにした。約15分で雷門に。雷門の大提灯(ちょうちん)を見ていたら、35年前、奥さんとデートで三社祭に来たことを思い出した。懐かしい! 仲見世通りは、人でごった返して外国人が多く目に留まった。猫の置物と雷おこし、お煎餅を購入しながら浅草寺(せんそうじ)へ。浅草寺は、瓦換えの工事が入っていてシートがかぶせてあり建物全体が見られなかった。





 そのシートの横にエレベーターマークを発見。正面の左側へ回るとエレベーターが設置され本堂に上がれた。ただ、残念なことにエレベーターに乗るまで、通路の幅が狭く直角に曲がるところが2箇所もあり、電動車イスを何度も切り返さないと乗れなかった。大きい電動車イスでは使いづらい。お寺の外観もあると思うが、どんな車イスでも利用しやすいエレベーターにして欲しかった。
 浅草で、S上さんが帰宅のため別れて両国に戻った。今度は、S井さんとO竹さんの6人でちゃんこ屋でちゃんこ鍋を堪能した。満腹になった皆の顔が笑顔であった。3日間、お世話になったS木さんに感謝。

神奈川県:M.I.



 <特集>懇親会の意義? 


 SさんとIさんと月島でもんじゃ焼きを食べた。頸損者の場合、大きな電動車いす3台が入れるお店を探すだけでも苦労する。入れたはよいが、着席するまでにもうひと苦労(騒動)?(笑)それもまた楽し。良き思い出となる。
 ふと、以前、ある年の懇親会に出席された脊損連合会の某さんが夕食レセプション時、スピーチの開口一番に驚いたように言われた言葉を思い出した。
 「アルコールが出ないんですね」……思わず苦笑。





 そのときは、会場費を安く抑えるため公共の施設での開催だったのでアルコール類はご法度で、弁当とお茶という内容だった。仕事を持ち、収入もある脊損の方にとってアルコールも出ない弁当だけの懇親会など、意外過ぎて(?)想像もできなかったのだろうか。
 あえて言わせていただければ、脊損者と頸損者には“本質的な違い”があるように思う。この“違い”に的を射た過去の投稿がある。懇親会参加後の故中島虎彦さんの文章を引用したい。
 「自分で改造車を運転するなど比較的移動の容易な脊髄損傷とちがって、頸髄損傷は会場までたどりつくことそのものに大きな意義がある。その前後の自由行動で未知の市内を試行錯誤しながら移動し、飲み食いすることそのものにまた大きな意義があるのですね。それにくらべれば、懇親会のひとときなどはほんの点景にすぎない、ということなのですよね。」……ウム、ナットク!
 今年で14回目の開催となる懇親会。“完全制覇”しているのは向坊さんが亡くなり、私一人だ。この14回の間に大勢の方とお会いした。その中で、「一番大きく成長して変わった!」と私が思っているのはОさんだ。(初告白? 笑)そのОさんとも、今年もまた楽しい思い出を作ることができた。


編集委員:瀬出井 弘美

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