はがき通信ホームページへもどる No.116 2009.4.25.
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◆特集!「四肢マヒ者のスポーツ」


 今号の特集は、「四肢マヒ者のスポーツ」です。四肢がマヒしていても出来るスポーツがあり、生きがいとしてや楽しまれている方かおられることや、スポーツを何かしたいけどいう方へスポーツを始めるきっかけになればと、現在行われているスポーツの紹介や体験談、スポーツを始めたきっかけ、スポーツを始めて心や身体の変化、チームメイトとのエピソード、スポーツを行うなかでの工夫、気を付けていること、失敗談等々を情報交換のためにご投稿をご紹介させていただきます。



 <特集 全介助でスキューバダイビング 


 私は大学在学中に事故に遭い高位頸椎損傷を負いました。救急搬送された病院からK病院に転院しました。退院後復学をし、無事卒業した後、自立のため独居を始め訪問介護事業所に就職、転職と経験して今にいたっております。





 さて、今私がはまっているのがスキューバダイビングです。スキューバダイビングというのは海に潜るあれです。今までに沖縄、与論島、伊豆と潜ってきました。
 始めたきっかけは・・・他にできるものがなかったからというのが正直なところです。私は事故に遭う前大学でヨット部に入っていて海に抵抗なく入れましたし、小中と野球、高校でハンドボールとずっと体を動かしていたので、事故後でも何か体感できることを探していました。





 海の中は天も地も右も左もなく、ただ自分の吸う息と吐く泡の音だけが聞こえて、日々椅子の上で過ごしていることも忘れてしまいそうです。私はC4、C5レベルなので当然全介助です、ウエットスーツを着るのも岸から海に行くのも2〜3人で運んでもらいました。海に入る際も、耳抜きや、マスククリアといった水の中で命にかかわることも全て任せることになりますし、潜るというよりも沈められているというほうが適当かもしれません(笑)。

 
神奈川県:Y.K.


 <特集> 足を使わないサッカー「電動車椅子サッカー」
  〜ジョイスティックの操作だけで楽しめるスポーツ〜プール初体験
 

C5・6、受傷歴15年、38歳

 皆さんは「電動車椅子サッカー」をご存知でしょうか? 普通、サッカーは足を使ってプレーします。しかし、このサッカーは足を使わずに、電動車イスを使ってジョイスティックの操作だけでプレーできるサッカーなのです。
 実際にこのスポーツを見たことがない方には、頭の中に「???」と浮かび、電動車イスでサッカーができることをイメージすることは大変難しいことだと思います。文末にWEB上で試合をご覧いただけるURLをご紹介いたします。ご覧になったことのない方は、ぜひそちらをご覧ください。

 [自己紹介]





 ●2007年W杯日本代表Photo:JPFA/Yasuhide JOJU

 1971年生まれの38歳。受傷の3年後から東京都府中市で一人暮らしを始め12年が経ちます。趣味は電動車椅子サッカー、サッカー観戦、TVゲーム、パソコン関係(自作など)で、好きなサッカーチームはFCバルセロナとFC東京です。電動車椅子サッカーでは、国際電動車椅子サッカー連盟(FIPFA)・アジアゾーン会長、日本電動車椅子サッカー協会・常務理事、関東ブロック電動車椅子サッカー協会・会長などの役職についており、電動車椅子サッカーをライフワークとしています。

 [頸損になったきっかけ]
 子どもが好きだったので通信教育の大学で幼児教育を学びながら幼児教室で働いていた約15年前(当時23歳)に、私が助手席に乗っていた友人の運転する車が交通事故を起こしました。友人が居眠り運転をして路肩の木に衝突したため、助手席からフロントガラスと天井に衝突して頭を強打。その衝撃で首を骨折、脊髄を損傷し頸損になりました。

 [電動車イスに乗る]
 急性期にできた褥瘡の治療とリハビリのために事故から約2年間入院生活を送りました。
 リハビリでは手動の車イスに乗ってタイヤ引きなどもしましたが、ひと漕ぎで10センチくらいしか進まず、数センチの段差が越えられず、健常者にはわからないような傾斜でも車イスが傾いていってしまうような状態でした。つまり、外を自分で車イスを漕いで移動することなどは当然できません。このままリハビリを続けても、手動の車イスに乗っていては自由に一人で行動できるようにはならないので、電動車イスの購入を決心しました。
 しかし、電動車イスでは体を動かさずリハビリにならないと医療関係者に反対されましたが、電動車イスに乗る知人に情報を教えてもらったり、独自に自分で調べたりして購入できることになりました。
 退院してからはバス・電車も使って自由に外へ出かけられるようになり、リハビリにとらわれず自分の時間を有効に使うことができるようになりました。

 [電動車椅子サッカーを始めるきっかけ]
 入院中にある雑誌に出会いました。現在は廃刊になっている「アクティブ・ジャパン」という障害者スポーツ雑誌に電動車椅子サッカーの大会の様子がカラーで4ページも特集されていました。それを見て「これしかない!!」とすぐにこの競技に飛びつきました。なぜなら、受傷前にも草サッカーチームに所属するなどサッカーをしていたし、自分自身の意思で動いてスポーツができるからでした。車イスバスケットや車イスラグビーでは、他の選手のスピードについていくことができず、ボールのパスや受け取りができないことから、ほとんどコートにいるだけのオマケ状態、自分の障害のレベルではこれらのスポーツを楽しめる状態ではありませんでした。しかし、この電動車椅子サッカーなら、自分も積極的に参加できると確信しました。
 実家の近くに既存のチームがあったので、すぐに連絡を取り練習を見学させてもらいました。自分が乗っていた電動車イスは簡易式電動でしたので実際に体験はできませんでしたが、充分に面白さを感じることができました。(※簡易式電動車イスは手動の車イスをベースとしているため、強度や重量の問題など安全性の面から使用を禁止されています)

 [FINEを結成]
 その後、すぐに電動車イスに乗る友人などへ声をかけ、電動車椅子サッカーチーム「FINE」を結成しました。自分の持っていた電動車イスは簡易式でしたので、月1・2回の練習ごとに通院していた病院から電動車イスを拝借し練習を重ねました。数年後にはスポーツ用の電動車イスを購入し、多くの大会へ出場するようになりました。
 年々チームが力をつけていくうちに、結成から3年後の1999年には第5回日本電動車椅子サッカー選手権大会で初優勝し、自身もMVPを受賞しました。

 [夢のワールドカップ開催へ]
 日本国内での優勝後は海外へも視野を向けるようになりました。まだこの頃は海外との交流はなく、日本以外での国でプレーされているかもわからない状況でした。その頃に私は電動車椅子サッカーであっても“サッカー選手”として、「ワールドカップ開催」の夢を思い描くようになりました。そのためにも海外へ出かけ仲間を増やしていかなければいけないと思い、積極的に海外での活動を開始しました。
 1999年カナダ・バンクーバーで地元チームとの親善試合を皮切りに、2000年スペイン・バルセロナでサッカー教室開催、2001年には電動車椅子サッカーが行われていなかった“サッカーの母国”であるイングランドでデモンストレーションを行い普及に努めました。2003年にはイングランド中を2ヶ月間コーチしながら回り、プレミアリーグのアーセナルでも講習会を行いました。






 ●アーセナルでの講習会

 2001年・2004年にはアメリカで行われたアメリカの国内大会へ参加し、日本有志チームは両年とも優勝しました。2004年には日本、アメリカ、フランス、イングランドが参加しており、W杯開催の同じ夢を持った仲間たちが、翌年フランス・パリで世界組織を立ち上げることになりました。その後、数ヶ国で会議やイベントを行い、世界統一ルールを作り上げました(それまでは各国バラバラのルールで行われていました)。
 そして、2007年ついに世界初の電動車椅子サッカーW杯である「第1回 FIPFA ワールドカップ 2007」を東京で開催しました。私は大会運営最高責任者として運営に携わるほか、日本代表チームのコーチ兼選手としても出場しました。電動車椅子サッカー競技概要やワールドカップ開催については、「はがき通信」2008年1月号へ投稿させていただきましたので、そちらをご参照ください。

 [スポーツを行うなかでの工夫、気を付けていること]
 頸損ということで、褥瘡、体温調節など多くのことに気を使わなければいけません。
 褥瘡については、自分でプッシュアップできないので、電動リクライニング機能のついた電動車イスに乗り、リクライニングを倒し臀部の除圧ができるようにしています。大会など遠くへ遠征する場合も、移動する車や電車の中でもリクライニングを倒すことができます。また、電動なのでスイッチ一つで簡単に操作できることから、体の保持がストレスなく数ミリ単位で姿勢を直すことができます。
 体温調節については、なかなか冷暖房のついた体育館はありませんので、夏はサウナのように、冬は冷蔵庫のように最悪な環境となります。夏は外へ出て頭から水をかぶったり扇風機を持ち込んで冷やしたり、休憩時間に合わせて車の冷房を効かせて逃げ込みます。冬は簡易カイロをTシャツの上の首や肩まわりに貼り付け体を冷やさないようにします。私はやっていませんが、電動車イスから電源を取り電熱線ヒーターで手を温める装置をつける選手も多くいます。
 電動車イスの工夫としては、ホールド性を第一に考えています。体幹を保持できないので左右へ体が倒れないように、アームレストを脇下まで上げ、体を包むようにパイプで曲げ加工しています。素早く旋回するとその遠心力で足やお尻の位置がずれてしまうので、足は3ヶ所、胸を1ヶ所ベルトで固定しています。また、電動車イスを操作するジョイスティックを指で握れないので、指とレバーをマジックテープで巻きつけ外れないようにしています。そのおかげで、ドリブルやパス、バックでの高速走行も安定して行うことができます。






 ●電動車椅子サッカー用車イス


 その他にメカニカルの面では、モーターを使う4輪の乗り物として、「モータースポーツ」の要素も兼ね備えているので、電動車イスの車高、前後重量バランス、ホイールベース長、トレッド幅、タイヤ径、トー角やキャンバー角、強化クラッチ、冷却ファンなどなど・・・・・・操作性を追求することにより、自分の思い描くようなプレーができる電動車イスにすることも可能です。さらに、車種によっては、最高速(前進・バック・旋回)、加速度(前進・バック・旋回)、ブレーキ(前進・バック・旋回)、ジョイスティックの感度など数多くの機能を、プログラムパッドを使用してプログラミングすることが可能です。それにより、痙性の強い選手は感度を下げ、指先のみ動かせる選手はミリ単位で操作できるように感度を上げるなど、それぞれ個々の障害に合わせて電動車イスの操作性をカスタマイズすることができます。もちろん、競技用にレーシーなセッティングにすることも可能です。

 [海外での驚きのエピソード]
 海外へ出かけて一番驚いたことは、人工呼吸器をつけた選手が数多くいたことです。アメリカ、フランスでは本当に数多くの選手がいました。日本では安全面から医療関係者に電動車椅子サッカーを禁止される傾向にありますが、海外では自分の意思と責任のもとプレーすることが普通にできるのです。特に印象に残っているのは2001年アメリカの大会です。1チーム4名コートに入れるのですが、対戦した相手チームは4名中3名が人工呼吸器をつけた選手でした。しかも、そのうちの頸損の選手の車イス後部に取り付けた人工呼吸器に試合中ボールが当たり、「ピー」と機械が止まってしまうことがありました。それでもヘルパーがすぐにアンビュー(手動式人工呼吸器)で呼吸させ、その間に機械を直してすぐに試合に復帰してきました。これには本当に驚きました。
 また、イングランドでは最初にデモンストレーションを行った際に、電動車イス利用者1名が見学・体験に妊娠中の奥さんと一緒に来ていました。彼、マーティンの障害は筋ジストロフィーで、ジョイスティックではなく1つのボタンのタッチスイッチを押し電動車イスを操作していました。2003年にコーチとして再訪した際に彼の家に遊びに行きましたが、電動車椅子サッカーの魅力にどっぷりとはまり、自分のチームをしっかりと作っていました。そしてかわいい女の子の赤ちゃんも1歳半になっていました。しかし、残念ながら2005年に彼は永眠されました。






 ●人工呼吸器をつけた選手(右)、世界の電動車椅子サッカー選手(2006/アトランタ)

 [充電での大失敗]
 海外2回目となる2000年にスペインへ私ともう1名の電動車イス利用者で行きました。行きと帰りの2日間だけホテルを事前に予約して、それ以外の3週間は自由なぶらり旅だったので、充電器は重たく荷物になるということで、2人で1個持っていくことになりました。日本の電圧は100Vですがヨーロッパはほぼ220〜240Vなので、その切り替え機能のある充電器を持っていきました。
 1週間半が経った頃、ホテルで充電しようとした時に、ボランティアさんがその切り替えスイッチを間違え、日本の100Vに設定しコンセントに刺しました。すると、まるでマンガのように「ボン!!」と音と煙を立てながら充電器は火花を散らしました。修理を試みましたが、言葉も文化も違う異国ではどうにもなりませんでした。
 しかし、2人の電動車イスは、手動車イス用のタイヤを取り付けられるオプション部品があり、手動車イス用タイヤも持ってきていたので、電動ユニットを取り外してそれを取り付け、残り半分の日程は車イスを押してもらう羽目になりました。

 [このスポーツを始めて]
 このスポーツに出会って大きく変わったこと思うことは、「外出する機会」が増えたことと「多くの仲間」に出会えたことです。練習することによって、実力を試すために大会へ出たくなり、大会へ出れば多くの人々と出会い、また、対戦チームなどと仲良くなり交流を深めることになります。自分の場合には、日本国内にとどまらず世界中に電動車椅子サッカーを通して活動することにより、多くの仲間をつくることができました。サッカーをしていなければ海外へ行くこともなかったでしょう。私はこのサッカーに出会えたことにとても感謝しています。たぶん、このサッカーに出会わなければ、生き甲斐を見つけられずに、モヤモヤとした気持ちで過ごしていたかもしれません。

 [最後に]
 頸損の方は比較的障害が重く、手動車イスを利用している方は少ないので、そのような方にとってスポーツをする機会はほとんどなく、ましてや、個人ではなくチームとして集団で行えるスポーツなど考えられなかったと思います。しかし、この電動車椅子サッカーでは、指・手・足・あごなどの数少なく残された機能を動かして電動車イスを操作するだけで、パスやドリブル、もちろんシュートをすることもできます。
 電動車イスさえ操作できれば、性別は問わず障害を持つ誰もが楽しめるユニバーサルなスポーツ「電動車椅子サッカー」を、興味のある方はぜひ始めてみてください!

 [WEBサイトのご紹介]
・日本電動車椅子サッカー協会:http://www.web-jpfa.jp/
・モバチュウ(W杯全試合VOD配信・無料):http://www.i-project.jp/stand/mobachoo/w-cup/
 

東京都:H.T.(国際電動車椅子サッカー連盟(FIPFA)・アジアゾーン会長、日本電動車椅子サッカー協会・常務理事、関東ブロック電動車椅子サッカー協会・会長) 
 E-mail:fcbsoycule@u01.gate01.com



 <特集> 電動車椅子サッカーの楽しさ 

C4、23歳





 電動車椅子サッカーと出会ったのは5年前、その後チームメイトになる友人のお父さんにやってみないかと言われたのが始まりでした。そのときはまだ自分の車イスもなく、「ああ、そんなスポーツもあるのか」ぐらいにしか思っていませんでしたが、その後練習風景、試合風景を見に行き、その真剣さに驚きやってみたいという想いが強くなりました。
 僕はレスリングでの練習中スポーツ事故で頸椎損傷C4となりました。がむしゃらに高校生活をレスリングで送り、結果で大学がどうなるやらというところでの3年生のインターハイ、夏の前の事故でした。事故はいきなりでしたが、現実はじわじわやってくるもので今までできたことができなくなるというのは悲しいものでした。その中でもスポーツというジャンルがポッカリ空いてしまったのは、なんというか空しいものでした。僕にとってスポーツというのは、競ったり、仲間になったり、人脈や知らないこと、そして知らない場所へ行くための手段でもあるからです。もうスポーツはできないのかなと思っていた自分にはとても運が良かったなと今では思います。





 電動車椅子サッカーの良いところの一つは障害での差があまりないところです。障害が重度の方でもでき僕自身もあごで操作しています。電動車イスさえ操作できればできる、これはとてもすばらしいことだと僕は思います。また操作は自分、やるのは自分ということであり大会や練習を自分で行かねばなりません。いろんな意味でやるのは自分というのもいいところだと思います。
 それから大会で横浜、大阪、富山など遠くへ行く機会もいただいたりしました。行くのも計画や移動方法、宿泊方法など大変な部分もありますが、それを調べたり知ったりするのもまた成長していけた部分かなと今では思います。
 最後に電動車椅子サッカーはもちろん競技するための準備や、日本協会への登録、ルールなどやらねばならぬこと大変なことも多いです。でも、今まで書いたように僕はこの競技以外の部分でもサッカーに助けられている部分があります。もし、これからされる方がいらしても胸を張ってぜひやりましょうと言えるものです。いろいろスポーツもありますがその中のひとつとしてやられる方が増えたらいいなと思います。またやられている方はぜひ試合しましょう。電動車椅子サッカーの発展と復興を願います。

広島市:K.T.

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