はがき通信ホームページへもどる No.109 2008.1.25.
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 旅行記「信州」(中編)


 ◇五箇山・白川郷
 旅行2日目8月22日、白川郷に行きました。
 6:00起床。なんだか空はどんより。天気予報では、富山、岐阜は曇り雨。ちょっと心配です。10:00前、岐阜県高山から、毎年お世話になっているSタクシーのIさんが、迎えに来てくださいました。親戚以上に身近に感じるIさん、お変わりなくお元気そうです。
 北陸自動車道を通って行きました。ここからも田園が広がります。「せっかく白川郷へ行くのなら、五箇山へ行ってみませんか?」とIさん。北陸自動車道から東海北陸自動車道を通って白川郷へ行くと近いのですが、一般道を山越えルートで白川郷へ行くと五箇山へ行けるらしい。それは願ってもないチャンスと、即答で五箇山へ行くことにしました。時折降る雨が気になる……。山道をくねくね越えると、五箇山に到着! 11:30雨が上がった、太陽も出て陽射しが強い。
 Iさんが言われる通り、そう観光客も多くなく、のんびりと合掌造りを楽しめる。民家は、ほとんど宿かお店になっていました。白川郷へ行く途中、道路右に「岩瀬家」がありました。実物は想像以上に大きな家。感動! 隣接して、行徳寺。これもおもわず息を止めてしまいそうになるくらい、美しい。



写真上:国指定重要文化財 合掌造り最大 岩瀬家・写真下:行徳寺


 13:30白川郷へ到着! すごい観光客だ。合掌造りの家を挟んで、アスファルトの幹線道路が走り、バスや車が通っているのには驚いた。少し離れた所に駐車場があって、合掌造り集落へ歩いていくのかと思っていたのです。車イスで入れる合掌造りの食事所を発見! 「白水園」というお店です。30分待ちました。どのお店もお客さんがいっぱいです。店内はほとんど畳敷き。梁(はり)もすごい! 白川豆腐と赤カブ、野沢菜のお漬物、葉わさびのザル蕎麦を注文。どれも上品な盛り付けでおいしい。店員さんも、とてもNiceな笑顔。ごちそうさまでした! お店から出ると雨。お願い、晴れて! 願いは通じ、10分ほど待つと雨は上がり晴れ間が出てきました。さあ、白川郷散策です。
 明善寺です。4階建てなんですよ〜。観光客は、建物の中に入って見物しています。こんなときに車イスは入れなくって悔しい。
 「ふるさと」というお宿。秋篠宮さまご一家が、よくお泊まりになるそうです。去年、TVで「今年も合掌造りのおうちに泊まられます」と映像が流れ、場所は言いませんでしたが、白川郷だな?って思いました。思っていたより、随分質素でこぢんまりとしたお家でした。



写真上:明善寺・写真下:「ふるさと」というお宿


 最後に、タクシーで展望台へ上がりました。すご〜い! まるで合掌造りの箱庭。体中が震えます。世界遺産「白川郷」の誇らしげなまぶしい景色です。感動的な景色をありがとうございました!



          展望台から白川郷


 白川郷16:30後にしたとたん、大雨が降り出した。帰り道に、石を積み上げて作ったロックヒルダム御母衣(みほろ)ダムがありました。大きなダムでした。ダム沿いに樹齢450年「荘川桜」が2本。ダムを造ることによって集落は沈み、住民は移住したそうですが、その時この桜もここへ移植したのだそうです。この集落の住民だった方は、毎年桜の季節になると、この「荘川桜」へ集まるのだそうですよ。
 17:40高山到着。美容院へ降ろしてもらい、シャンプーをしてもらってお店を出る頃には雨も上がり、歩いて宿泊先「フォーシーズン」へ行きました。去年泊まってとても感じがよかったので今年もお願いしました。フロントに行くなり「広陵高校、(甲子園の決勝戦で)ぎりぎりで負けましたね!」残念。
 少し休憩して、今年も郷土料理の「京や」へ。相変わらず、店内はお客さんでいっぱい。女将さんも大将も覚えていてくださり、温かく迎えてくださいました。待望のこのシーズンでしか食べられない「こなす」のお漬物と、鮎やうるか、飛騨牛のほお葉焼、富山湾のプリプリのお刺身、ザル蕎麦を堪能。またきま〜す! 明日は上高地です。

 (旅行3日目・最終日へ続く)

広島県:M.K.



 2007年社会人1年目♪ 大晦日雑感 


 今、2007年12月下旬、今年を振り返りつつこの原稿に向かっています。
 いつも、年が変わる12/31から年の明けた1/3くらいまで、1年を振り返り、そして新しい年をどのような年にしようかと、新しいスケジュール帳に書き込み、新しい年の目標などを決めたりしています。
 その習慣が始まったのは大学4年の秋頃、褥そうになってしまい、手術をして1ヶ月くらいの入院をしなければならなくなった時からでした。
 春頃から調子が悪く、とうとう卒論を仕上げるまであと3、4ヶ月くらいと迫った頃に入院となり、相当落ち込んでいたのですが、お見舞いに大学の友人が新しい年の「手帳」をプレゼントしてくれました。
 添えられた手紙に、「ここに新しい年の予定をたくさん書いて、入院生活を送ればあっと言う間だよ」と書かれていて、本当にその通り入院生活があっと言う間に終わってしまって、しかも来年頑張るぞ!と前向きになれました。
 そんなことがあってから1年を総括し、新年の抱負をスケジュール帳に書き込むのが毎年の習慣になっていますが、今年2007年を振り返ると、特に激動の年だったように思います。それは今年、『就職し社会人になったこと』、『大学院で博士の学位を取得したこと』の2点の大きな出来事があったからです。
 書きたいことはたくさんありますが、今回瀬出井さんよりご依頼をいただいたのは『仕事』に関しての原稿なので、今回は『就職し社会人になったこと』について、書いてみたいと思います。
 今年4月より、私はS生堂販売株式会社にてOL(笑)をすることになりました。大学院の博士課程まで行っている時点で、あまりもうOLと言う年ではないことは察しがつくと思いますが、まあ一応、OLになりました。
 しかも職場は銀座にほど近い汐留で、隣りのビルは日テレ、会社のビルの前にはゆりかもめが通っています(プチ自慢です……)。通勤の電車はかなり混んで大変ですが、立地はかなり気に入っています!!
 ずっと大学院で研究をしてきて、企業に勤めるということはあまり頭になかったのですが、博士論文も目処がついてきて、就職のことについて考え始めたのは一昨年の年末近くでした。その時も、やはり1年の締めくくりに1年を振り返り、新しい年のことを考えていて、修士課程が終わりに近づいていた何年か前のことを突然思い出しました。「小学校とか中学のころ、私、叔母みたいな丸の内のOLに憧れていたんだ〜。でも、頸損じゃ、OLになるのが一番難しいかも!」と、私はその時は研究一筋のつもりだったので、笑い話として話していたのですが、「じゃあ、目指してみれば良いじゃん!」と、言われたことがありました。
 やってみたいことがあったのなら、普通、卒業する1年前くらいに就職活動をするものなのだからやってみようか!と、一昨年の年末に決心し、履歴書を作り始め、2006年1/1に、まずは障害者採用のありそうな教育系の企業へ応募を出すことから就職活動を開始しました。
 そこからだんだんと就職活動が広まり、障害者向けの就職面接会に何度も参加し、1日に何十社と面接を受けたり、ハローワークの就職面接会に参加したり、東京コロニーの支援により在宅ワークで10年近く働いている頸損の友人に相談し、東京コロニーに行ってみたりとやれることはいろいろとしてみました。履歴書の写真を銀座のデパートにまで撮りに行ってみたり……。
 かなりの数の企業を受け、何十通もの履歴書が不採用で返って来て、諦めかけた秋口、今勤めている会社からの合格通知が届きました! そしてそこからあっと言う間に時が過ぎ、今年の4月より社会人1年生に!
 まず始めに、障害者採用の新入社員の研修が1週間あり、企業の歴史からビジネスマナー、「社会人とは?」というテーマをグループで話し合ったり、工場見学はちょっと遠足気分だったりと、聴覚視覚肢体不自由、内部疾患と障害の種類はいろいろですが、交流を深めることができて、あの人も頑張っているのだからと半年研修を迎えるまでの励みになりました。半年研修では入社2、3年目の方たちとも研修で交流できて、さらにネットワークの輪が広がり、お昼を一緒に食べたり、忘年会をしたりと絆が深まっています。
 また、障害者採用の同期や先輩たちだけではなく、所属している部署の部長さんや課長さん、グループの方たちやその他のグループの方たちともやはり、お昼や歓迎会、納涼会、送別会、忘年会などなど、たくさん交流する機会があり、大学院とはまた違うネットワークの広がりを感じました。
 仕事についても、はじめは引き継ぎをしてもらいつつ、未知の分野の業務内容だったので、やって行けるだろうか?と不安な部分も多々ありましたが、毎月行われるグループ・ミーティングで担当している業務内容を発表し、グループの人たちから意見をいろいろといただいて、ここのところやっと自分の次の月の課題は何か?と目標立てができるようになり、仕事の担当者となり担当者印を押すことで責任を感じ、それと同時にやり甲斐も感じています。
 そして、アフター5や週末は定期を持っていることもあり、買い物や大好きな観劇をすることが以前より飛躍的に増えました。仕事のストレスを発散させることは勿論ですが、自分のお給料やボーナスをもらい、タックスペイヤー(納税者)となることで、自分の懐具合で洋服やバッグ、チケットを買い、観劇に行くことが堂々とできているような気がします!
 すでに社会人となっている友人とも仕事の苦労や充実感など、話せる内容も増え、今までの学生と社会人の関係の時とは関係が変化し、以前のように対等な関係になったような気がしています。
 こんな感じで、ざっと特に良い面について今の心境を記しましたが、朝早く夜遅いため、介助の手がなく今のところ家族頼りになってしまっていること、今後、残業などが増えて行く場合どうして行こうか?ということなど、課題はたくさんあります。
 しかし、総括して考えて、この激動の2007年、とても充実した1年でした! 就職して良かったなと思います。
 来年の2008年は、さらにさらに良い年にできると良いなと、今から2008年の目標などをスケジュール帳に書き込んでみたいと思います。
 今年も、神奈川頸損連をはじめとする頸損連の方たちのアドバイスをいろいろな機会にいただき、本当に参考になり励まされました。2008年も、頸損連やこの「はがき通信」の方たちの体験や考えを参考に、社会人生活2年目を送りたいと思います。
 どうぞ宜しくお願い致します!!
 

東京都:Y.F.



 ヒト人工多能性幹細胞(iPS細胞)の樹立に成功
                  —再生医療前進へ(その1)
 


 昨年11月21日付けの新聞各紙の一面に、「人の皮膚から万能細胞」という見出しと聞き慣れない「iPS細胞」という専門用語が踊った。京都大学物質—細胞統合システム拠点/再生医科学研究所の山中伸弥教授らの研究グループが、ヒトの皮膚細胞から、遺伝子操作によって、さまざまな細胞になる能力をもった多能性幹細胞を作ることに成功したことを報じる記事である。研究成果が11月20付けの米科学誌「セル」電子版と京大のプレスリリースで発表された。このニュースは、テレビでも一斉に取り上げられ、ニュース番組での山中教授のインタビュー放映が深夜まで続いた。大手新聞の多くが社説で取り上げ、科学欄、保健欄、社会欄などで解説記事を載せている。海外メディアでも大きく取り上げられた。それだけ注目度の高い研究成果であった。脊損の方のなかには興味をもたれた方も多いと思う。
 山中チームは、この人工的な万能細胞を“induced pluripotent stem cell=iPS細胞”(ヒト人工多能性幹細胞)と名付け、今では国際的にもこの名称で通る。この細胞は、細胞移植によって難病治療を行う上での有力な医療材料を作り出すと期待されている。山中教授は対象となる難病の例として、脊髄損傷、若年性糖尿病、心筋疾患などを上げた。
 この分野での世界的な研究者間の競争は熾烈である。世界に先駆けて開発したiPS細胞樹立方式は山中方式とも呼ばれる。世界中の研究者が山中方式の追認検証を行い、臨床応用に向けての研究競争が激化している。米国ウィスコンシン大学の研究チームも山中チームと同様のヒトiPS細胞樹立に成功し、同じ11月20日付けの科学誌「サイエンス」に発表している。日米両国でのヒトiPS細胞の同時樹立という形となった。
 12月に入って、政府はiPS細胞の研究を臨床応用に至るまで国を挙げて支援することを決め、早急に官学共同のオールジャパンでサポートする体制の方向付けを行った。12月24日の閣議では、予算の復活折衝によるiPS研究支援経費の10億円増額を認め、今後5年間に100億円以上を投じていくことを了承した。山中報告から1ヶ月、政府としては異例の迅速な対処であった。 
 これらの報道を受けて脊髄損傷者の関心も高い。本誌の読者からのメールや電話は、まずiPS細胞への期待や可能性について触れるものが多い。すぐにでも治療が始まるかと期待してしまう人も少なくない。
 私自身、当事者として、この情報の全体像と現時点でのポイントを整理しておきたいと思った。本誌編集者の求めによって、以下のようにまとめてみた。
1.iPS細胞とは—研究の背景と経過
2.iPS細胞研究の現状と今後の課題(以下次号)
3.オールジャパン研究支援体制構築急速に進行中
4.iPS細胞による脊髄損傷治療の場合について考える


◇iPS細胞とは—研究の背景と経過

 [ES細胞の代替としてのiPS細胞]
 難病患者を細胞移植によって治療する再生医療において、最も期待される移植材料として胚性幹細胞=ES細胞が研究されてきた。万能性、分化能力、増殖力という点に関して最も優れた素材だからである。受精卵は生命の出発点であり、分化過程を経て人の体の全ての組織になっていく。受精卵は、受精後分裂を開始し、受精4〜6日頃に胚に出現した胚盤胞の内部細胞塊が全ての組織へと分化を開始する。この段階で、分化を開始する直前の未分化の状態でこの細胞塊を生体外に取り出して培養し、万能性を維持したままで増殖し続ける細胞株を作り出す技術が開発された。これがES細胞株である。このES細胞を起点として、移植資源としての細胞集団を作り出すことができる。
 1981年に英国のM.エバンス博士らがマウスでES細胞株を樹立。そして1998年、米国のJ.トムソン博士らが、ヒトのES細胞株樹立に成功して、ES細胞を使って治療のために必要とする細胞へと分化誘導する再生医療の研究がスタートした。マウスES細胞樹立から26年、ヒトES細胞樹立から9年経過している。基礎研究レベルではあるが、心筋細胞、インスリンを分泌する膵臓ベータ細胞、軸索をもった神経細胞などいくつかの細胞の作成に成功している。しかし、ES細胞には社会的、技術的に大きな制約がある。
 ES細胞を得るには、人に成長するかもしれない受精卵を壊さなければならないため、これを使うことに関して倫理上の立場が大きく分かれる。発生を開始した受精卵を人間の萌芽(ほうが)とみる人々の多くがES細胞を使うことを認めていない。米国のブッシュ政権、ローマカトリック教会はこれを禁止している。ES細胞を利用していく上で社会的合意が得にくい状況がある。
 また、ES細胞は、他人の細胞がもとになっているため、それから作成した細胞を移植した場合、免疫拒絶が生じる。そのコントロールが必要になる。
 さらに、ES細胞を長期間継体増殖させ続けると染色体変異や遺伝子異常が生じて蓄積していくことが明らかになっている。
 山中教授は、万能細胞を得るのに、ES細胞ではなく、成体の細胞をES細胞のような未分化の状態に戻す方法を追求した。ES細胞の抱える緒問題を回避するためである。成体の細胞から移植細胞を得られるのであれば、患者自身の細胞を使うことによって、倫理問題も免疫拒絶問題も回避できるからである。

 [マウスiPS細胞の樹立]
 受精卵から分化成長を開始して人になり、それぞれの組織が完成して、分化しきった細胞には多能性はない。基本的には胚への後戻りは不可能である。そこで山中教授らのチームは、ES細胞と体細胞を融合させるとその体細胞が未分化な多能生を獲得する事実に注目した。ES細胞に成体細胞を未分化なものに戻す因子が備わっているのではないかと判断してその因子を探した。そしてES細胞内にある24の遺伝子が分化能や増殖力に関わっていると分析し、それをマウスの成体細胞に導入してみる研究を積み重ねた。その結果、4つの遺伝子をセットで導入すると、成体細胞が未分化な状態に戻る(初期化する)ことを突き止めた。マウスの皮膚細胞にこの4因子、Oct3/4、Sox2、cMyc、Klf4 を導入したところ、ES細胞と同様の高い増殖力と分化多能性を持つ細胞が誘導された。これがiPSの樹立である。2006年8月である。
 成体細胞を初期化する因子の解明はそれまでなされていなかったので、これは重要な発見であった。
 ついで2007年6月、前年開発のiPSを改善し、分化能を高めた第2世代iPS細胞を開発。さらにマウスから人への応用に研究を進めた。一方、iPS細胞研究の世界的な競争が激化するなかで、同じ頃、マサチューセッツ工科大学、ハーバード大学、UCLA医科大学が相次いでマウスのiPS細胞樹立に成功している。また樹立方法の改良も進んだ。

 [ヒトiPS細胞の樹立]
 2007年11月までに、山中チームが他に先駆けてiPS細胞のヒトでの樹立に成功。白人女性の顔の皮膚由来線維芽細胞に上述のマウスの場合と同じ4つの遺伝子を運び屋のレトロウィルスを使って導入したところ、iPS細胞の作成に成功した。そのほか、69歳男性の滑膜細胞、新生児の包皮由来神経芽細胞でもiPS細胞が誘導された。
 同じ頃、上述のウィスコンシン大学のJ.トムソン教授のチームも同様の研究を進めていた。トムソンチームのiPS細胞は、胎児の肺由来線維芽細胞と新生児の包皮由来線維芽細胞に4つ遺伝子を導入して作成されたが、導入された遺伝子はOct4、Sox2、Nanog、Lin28で、運び屋はレンチウィルスである。使われた遺伝子とその運び屋が山中チームとは異なっている。遺伝子やベクターの異なった組み合わせがあり得ることを示した。
 2007年12月、ハーバード大学もヒトiPS細胞の樹立に成功、23日付けNature誌で配信された。このケースでは、成人男性の掌(てのひら)から直接採取した皮膚細胞でiPS細胞を誘導した。山中チームの場合は、市販されている研究用成人の皮膚細胞であったことに比べれば、ハーバードのほうはさらに臨床応用に一歩前進と評価されている。
 昨年は、世界的にiPS細胞樹立が進んだ年であった。将来、患者自身の細胞から必要とする細胞を作り出して治療を行える可能性が開けた。

 (次号へつづく) 

東京都:A.Y.




 ひとくちインフォメーション 


 ★ 全国頸髄損傷者連絡会・日本リハビリテーション工学協会合同シンポジウム

 『福祉機器の格差を考える−地域と生活−』
 福祉機器にまつわる地域の格差、サービスの格差、情報の格差などを各地域で生活する当事者の視点から考え、その問題点を議論し、各地域における福祉機器の将来あるべき姿を提案することを目的とします。どのような地域にいても当事者が満足できる生活をするために、必要な機器を手にいれ、活用するにはどうすればよいのかを討論します。
開催日時:2008年3月1日(土)13:00〜17:00(開場12:30)
主催:全国頸髄損傷者連絡会、日本リハビリテーション工学協会
協賛:特定非営利活動法人 塩井障害者自立支援基金
会場:全国障害者総合福祉センター 戸山サンライズ 大研修室
   東京都新宿区戸山1−22−1 TEL:03-3204-3611
参加者会費:1,000円…全国頸髄損傷者連絡会会員、日本リハビリテーション工学協会員(学生会員含む) 障害のある方(介助者は無料)   
      2,000円…一般
申込方法:住所、氏名、所属、連絡先、介助者の有無をご記入の上、シンポジウム事務局までお送り下さい。メール、電話、FAXにて承ります。
定員:120名
申込締切:2月22日(金)※定員になり次第受付を終了させていただきます。

<プログラム>
13:00-13:10 開会挨拶 
13:10-14:25 第1部:地方で生活するユーザーの実情
14:40-15:30 第2部:アクティブユーザーからの提言
15:45-16:30 第3部:総合討論
※プログラムは予告なく変更される場合があります。

[お問い合わせ]
合同シンポジウム事務局 〒359-8555 埼玉県所沢市並木4−1 
国立身体障害者リハビリテーションセンター研究所 福祉機器開発部内(担当:塚田)
TEL:04-2995-3100 FAX:04-2995-3132 E-mail:tsukada@rehab.go.jp
URL:http://www.normanet.ne.jp/~tkyksn/goudoushinpo.html



     M.S.さん(香川県)の絵手紙作品


 ★ すべての人に旅のよろこびを

年齢・しょうがいの有無に関係なく、誰でも参加しやすい、ゆっくりとした行程のユニバーサルデザイン(UD)旅行を提案しております、旅行会社【旅のよろこび】と申します(熊本県よりUD大賞を受賞)。
 リフト付貸切バス利用。トイレ休憩は多目的トイレで約1時間半毎に30分間程度。見学先の段差の有無をチェック。刻みやペースト食対応レストランを選定。看護師・介護職員が同行。シャワー椅子・スポンジマット・滑り止めマット等の入浴補助用品を持参。
 弊社定期ツアーをはじめ、オーダーメイドの個人旅行、施設での旅行もお手伝いいたします。
 少しの勇気で大きな自信を! 行けるところから、行きたいところへ出掛けましょう! 

 旅のよろこび(株)
熊本市飛田 3-1-28 
TEL: 096−345−0811
E-mail: info@tabinoyorokobi.com
HP: http://tabinoyorokobi.com

(情報提供:熊本県のK.I.さん)





【編集後記】


 今年もどうぞよろしくお願いいたします。今年も皆様からのご投稿を心よりお待ち申し上げております。
 さて、1月号の編集担当になってから2年目。私の新年は「はがき通信」の編集から始まる。長年、藤田さんにお任せしてきていつもお正月ゆっくりできないのでは申し訳ないので「交代しましょう」と申し出たことがあるが、「大丈夫です」という言葉に甘えてきてしまった。100号の向坊さん追悼記念号を藤田さんが続けて編集に当たってくださった関係で、編集担当月が入れ替わった。
 1月号の編集というのはやってみてわかったことだが、かなりのプレッシャーがある。(1度も休刊をしたことがない「はがき通信」の編集は毎号、私にとっては少なからずプレッシャーなのだが……)「はがき通信」は低料金の第三種郵便物認可のため、発行するには九州障害者定期刊行物協会に連絡をして“通巻番号”というものを取得しなければならない。編集を仕上げなければ通巻番号を取得することはできず、年末年始というのはどこも長期のお休みに入ってしまう。
 印刷に送らなければならない期限とのバトルというのは大げさかもしれないが、「パソコンよ、壊れないでくれ〜! 体調よ、悪くならないでくれ〜!」と半ば祈り、焦った気持ちを抱えながらパソコン画面に向かう。
 向坊さんが亡くなってから、余計1号発行できるたびのホッとするような安堵感が強くなった。これからも1号、また1号……その積み重ねなのだろう。
 次号の編集担当は、藤田忠さんです。


編集委員:瀬出井 弘美





………………《編集委員》………………
◇ 藤田 忠  福岡県 E-mail:fujitata@aioros.ocn.ne.jp
◇ 瀬出井弘美  神奈川県 E-mail:h-sedei@js7.so-net.ne.jp

………………《広報委員》………………
◇ 麸澤 孝 東京都 E-mail:fzw@nifty.com

………………《編集顧問》………………
◇ 松井和子 東京都清瀬市国立看護大学校
◇ 向坊弘道  (永久名誉顧問)

(2006.11.25.時点での連絡先です)

発行:九州障害者定期刊行物協会
〒812-0069 福岡県福岡市東区郷口町7−7
TEL&FAX: 092-629-3387
E-mail: qsk@plum.ocn.ne.jp

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