はがき通信ホームページへもどる No.104 2007.3.25.
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<特集!「頸損と合併症」>


 今号の「特集」は、「頸損と合併症」です。頸(脊)損者の健康管理は、日頃から細心の注意を払っていても、またはちょっとの体調変化や過信や油断で、頸損歴が長くなるにしたがい、どうしても褥瘡(じょくそう)、尿路感染関係(膀胱炎・腎盂腎炎など)、呼吸器関係(肺炎・気管支炎・無気肺・誤嚥など)、消化器関係(頸損腹・ガス溜まり・腸閉塞・直腸潰瘍など)、肛門周辺関係(痔・脱肛など)、自律神経過反射関係(突発性高血圧など)、運動障害域の神経病性関節症・痙縮亢進、骨折、脊柱の変形、関節周囲異所性骨化、関節拘縮、脊髄空洞症、痛みや痺れ、起立性低血圧などなど(まだ他にもあるかもしれません)脊髄損傷にともなう疾病を併発する現状があります。健康管理について情報交換のために皆さんの体験談(予防法や克服の仕方や困っていることなど)のご投稿をご紹介させていただきます。
 なお、「頸損と合併症」や今までの特集(懇親会・パソコン入力の工夫・暑さ対策・100号到達によせて)および連載特集の「介護する側、される側」は、次号で引き続きご投稿をお待ちしております。どうぞよろしくお願いいたします。



 <特集> 20年来の痔を治療 

57歳、C7、頸損歴30年、男

 僕は20年間、痔で苦労しました。
 最初のころは摘便するたびに痔が出て、指で押えてもらうと入っていたが、それから10年経つと痔は出放し状態になり車イスにのれば出血するようになった。
 車イスにはのりつづけたいので病院で診察をうけたら、1個取り除くのに1時間かかるとのこと。3個の痔を持っているので3時間はかかると思い、とても我慢できない、手術できないと思った。
 ある友人に相談したら、痔で有名な小倉の「S病院」を紹介してもらった。その病院では、痔を1個切除する時間が5分と短く、さっそく入院することにした。個室の24時間体制で、付添婦の紹介もあった。
 手術は20分ほどで無事終了した。その後、10日間は3食ともカロリーメイトにカンロ飴(便を出さないため)のみの食事療法を行う。それが上手くいき傷も完治。摘便のときも出血がなくなった。
 4週間の入院生活を強いられたが、おかげで現在は車イスにも長くのることができるようになった。
 
福岡県:N.T.


 <特集> 頸損者の骨折って大変! 

頸損歴17年

 頸損者による骨折経験者が意外にも多いことが、周りの仲間や医療関係者によって知ったのが今から3年前のこと。実は私もその骨折経験者でした。今年で頸損歴17年になる私も、頸損者の多くが経験する合併症として、褥瘡(床ずれ)、膀胱炎、膀胱結石、うつ熱等の経験者でもあり、今後もこれら予防に努めなければならない身である。そんな数ある合併症の中でも、外傷性によって合併症を引き起こしてしまうのが骨折ではないでしょうか。
 私の骨折理由はこうである。年の瀬に近づく12月の夜に商店街を電動車イスで走行中に、前から倒れた自転車が突っ込んできたのである。私の前を走っていた自転車に、正面から来た自転車が避けきれず、そのまま前の自転車と衝突。その勢いで前の自転車が私の足元にぶつかってきたのである。その衝撃は意外にもなく、足元のステップにぶつかっただけでした。その場で怪我の確認をし、なんとも異常がなかったので私は謝る男に文句(注意)を言い、その場を立ち去りました。
 その後、外食先のお店でなんとも変な頭痛を起こし、首と肩から冷や汗が出てきたのである。最初は泌尿器のトラブルかな? と思っていたのですが、その後自宅に戻ってから靴を脱いだときでした。介助者に「足首がグラグラしていて、腫れあがっています」と言われ、私はあわてて近所の救急病院へ行き、レントゲンを撮ってもらいました。すると足首の骨部分である脛骨(けいこつ)と腓骨(ひこつ)が骨折しており、全治3ヶ月から4ヶ月という診断を受けました。まさに「やられ損」でした。
 そしてこの日から私の長い骨折闘病記(?)が始まるわけです。後日、ギプス固定をすることになったのですが、まず骨折後に問題が出たのは入浴と排泄でした。自宅の浴室はとても狭く、足を伸ばしたままで入れるわけがないので、とりあえず患部はビニール袋をかぶしてシャワー浴という形になりました。排泄もシャワー浴もシャワーチェアーにて行うので、とても厳しい体勢でした。そして日常でも座位をとることが厳しいがために、ベッド上で過ごす時間が多くなってきたわけです。膝から下まで覆うギプスは思った以上に厄介で、清拭をするにも着替えをするにも、とにかく大変でした。患部が腫れるのを防ぐため、足首を若干高くしなければいけないなど、いろいろとやらねばならないことが多く、介助者の皆さんもさぞかし気遣いされていたことでしょう。



 2週間に1度の外来で病院には行っておりましたが、とうとう恐れていたことが起きました。それは褥瘡です。なんとギプス固定部のかかとに水泡ができていたのである。これは「ヤバイ!」と思い、即日に外来にてギプスのかかと部分を大きくくり抜いてもらいました。これで一安心と思いきや、くり抜かれた部分の傷は治ったのですが、くり抜いた穴の周りに(円を描くように)、褥瘡ができたのです。そして、また外来にてギプスのかかと穴部を広げていくのですが、広げた部分がまたまた褥瘡に・・・、もう「いたちごっこ」のようでした。血行もあまり良くないせいか、足の指とくるぶしまで褥瘡に。そして、排泄のトラブルも併発したのです。大便の便秘、小便の詰まり(膀胱瘻により)、偏頭痛、外出がままならないためのストレス蓄積、もう踏んだり蹴ったりといった感じでした。
 結局、全治3ヶから4ヶ月と言われた骨折完治期間も、6ヶ月かかってしまいました。ただ、幸いなことに骨折による骨の変形等はなく、無事に靴も履けて、足首の可動にも影響は出ませんでした。





 私は最初、どうせ足を骨折したって最初から車イスに乗っているし、足を地に着かせるわけでもないので生活自体にそんな影響はないだろうと思っておりました。とんでもない誤りでした。どんな怪我や病気でもそうですが、そもそも動けない体にさらなる病魔が重なることは本当に恐ろしいものです。皆さんも骨折はもちろんですが、風邪等でも十分、合併症(廃用症候群)を引き起こすので、十分お気をつけ下さい。それと外出時はくれぐれも交通安全を!
 
東京都:M.A.


 <特集> 低ナトリウム血症 

55歳、頸損歴20年、男

 ここ数年、冬場になるとひとシーズンに数回風邪で寝込み、そしてそれを時々こじらせて気管支炎や、肺炎になっていた。そんなとき、病院に入院して調べると極端な低ナトリウム状態になっていることがわかり、正常な状態にもどすために多量の点滴が行われた。以後、日頃から毎日、何個か梅干しをたべて塩分を多めに摂るようにしていた。それでも時々風邪をこじらせ、また調べて見るとやっぱり低ナトリウムの状態になっていた。
 低ナトリウム対策で一番効果がある方法は、尿と一緒に排泄されるナトリウムを少なくするために尿量を少なくすること。それには摂取する水分を少なくすること(500ml/日程度にすること)らしい。私の場合、水分は2000ml/日を摂っていてかなり多めだが、これを減らすと尿路感染の心配がでてくるから減らせない。ならば塩分を多量に摂るしかない。そこでたどりついた方法は朝夕の食事のときに塩を2gずつ服用にするようにし、さらに定期的に血液検査をするようにした。この方法はうまくいっているようだ。採用してから半年になるが、それ以後は風邪を引いていない。ナトリウムの濃度も正常値まであと少しのところだ。
 風邪のときには、一般に水分を多めに摂りなさいといわれているが、日頃から尿路感染対策として多量の水分を摂っている頸椎損傷者がさらに水分を多めに摂るときは、ナトリウムのバランスを考えて塩をなめるなどの対策も必要だと思う。振り返って見ると風邪のたびに水分をさらに多く摂り、そのために低ナトリウムをさらに悪化させていたのではなかろうかと反省している。

福岡市:Y.I.



 <特集> ガスが腹に溜まる 

C5、頸損歴40年

 私は頸損になってから40年経ちました。割合用心していたつもりですが、今までに不覚にも褥瘡関係の大きな手術を5回、そして尿路関係の手術を4回も受けてしまいました。恐らく頸損になられた方はこの2つについては十分注意されていることと思います。ただひとつ尿路感染で腎盂腎炎(じんうじんえん)をときどき起こす人は腎臓に石が溜まりやすくなることを了解していたほうがいいと思います。
 現在私が一番悩んでいるのは腹にガスが溜まることです。私は腸がマヒしているせいと運動しないことに大いに関係あると思っているのですが、なかなか厄介なものです。なぜか側臥位(横向きの姿勢) になっているとあまり溜まらないのですが、半座位で何かやっていると腹パンパンになるほど張ってくることがあります。こういうことは事故を起こしてから10年ぐらいの間にはまったく感じませんでした。ある程度早い段階で腹部をもんだりしてもらって動かしておく必要があったのかなと思っています。多分便がすごく硬くなったころ、何か手当てが必要だったのではないかと思っている次第です。ただ‘ガスコン’という薬を試したところゲップが出て、腹が張るのが少し楽になった気がします。私も何か良い方法があれば教えてもらいたいとも思っています。よろしくお願いします。
 余分になりますが、ヨーグルトのビフィズス菌を研究している人の話で、大便は何でできているかということ調べたそうです。非常に硬い便も下痢便もそれほど水分に大きな違いはないそうで、硬いもので70%ぐらい、下痢していても80%ぐらいで、せいぜい10%ぐらいしか違わないそうです。そしてその固形成分は何でできているかというと、意外にも重さにして、食べた成分の残りのセルロースなどが3分の1、胃や腸内の表皮の離れたものが3分の1、そして残り3分の1が大腸菌だそうです。思ったほど食べ物のかすは多くなくて、何も食べなくても大便は出るということのようです。便は脊損にとって体調を調べる大事なバロメーターだと思っているので書きました。参考までに。

千葉県:H.K.



 <特集> 「頸損と合併症」私の場合 

頸損歴25年、女性

 頸損歴25年目にもなりますと、あちらこちらにガタが来て、痛み痺れは当たり前、運動機能の低下に腹はポッコリガス満タン、デブっている割に筋肉がやせて腰痛にも悩まされている。
[痔]
 数年前には頸損前から悩まされていた痔の結紮(けっさつ)術をした。場所が場所だけに診てもらうまで悩みに悩んだが、‘案ずるよりも産むが易し’である。麻痺した体が幸いして結紮に痛みはなく、何十年も育てた“いぼ痔”は普通5〜6日で取れるそうだが、8日もかかったがポロリと取れた。
[神経因性膀胱]
 お尻がすっきりしたら、膀胱がご機嫌ななめ? 膀胱瘻にして10年目、カテーテルの異常な流れと失禁を繰り返し、泌尿器科に行くと「神経因性膀胱」とかなんとか言われて膀胱の痙攣(けいれん)止めなる薬を処方される。カテーテル詰まりも異常な流れも失禁も止まったが、薬を止めると繰り返す。ガス腹には“ガスコン”膀胱には“ボラキス”と薬の量が増えている。
[痛み]
 これに加えて昨今、腸の痛みか? 膀胱関係か? どこからの痛みか分からない灼熱痛(焼けるような、痺れるような、刺すような痛み)に襲われることが多々あり、頓用(とんよう)で鎮痙(ちんけい)剤と鎮痛剤を出してもらいお守り代わりに所持している。出された当初(2〜3年前から)は毎晩のように飲んでいたが、最近は痛みに耐えられるようになり余程でなければ服用せずにすませている。しかし痛い、痛みがあると何もやる気にならず、運動不足に拍車がかかる。昨年秋より病院の外来リハがうち切られたので、デイサービスで起立台に立たせてもらっている(骨粗鬆症予防と腸の動きを少しでもよくするために)。
[褥瘡・巻き爪]
 褥瘡も2回経験、巻き爪も1回手術して、ただいま反対側が巻いて来ている。やばいやばいと叶わぬ指で巻いた爪の角を持ち上げてみるのだが、叶わぬ指では触ってみるのが精いっぱい、形成外科に行くべきか、否か!?
[虫歯から蓄膿]
 合併症には関係ないかもしれないが、障害の身に馴れないころ、歯医者へ行くのもためらわれ、虫歯をとことん放置していたら、虫歯から蓄膿になり、鼻腔内ポリープは4回も手術したが、いまだ万年鼻づまりですっきりしていない。皆様、食後の歯磨きは大切です。虫歯ができたら早めに治療しましょうね。
 以上、50代、頸損おばさんの今の一番の悩みは“進まぬダイエット!”です。どなたか、いいダイエット法がありましたらご伝授下さい。
 

まるまるまる子



 <特集> 私なりの体温調節方法 

頸損歴16年、C6

 こんにちは。私は、1991年に21歳で受傷のC6頸損です。
 一応自力で車に乗ることができ、現在公立学校の事務室に勤めています。今の職場に来て2年目ですが、困っていることは事務室の施錠と空調(特に冬場)の件です。
 施錠の件は、機械警備が導入されており、カードでキーボックスを開けなければいけないこと。そもそも、これまでの職場には、警備員さんが夜間常駐で入っており、施錠など自分でしたことはありませんでした。現在、勤務の都合にて一人で残業する時は、警備員さんの到着を待って(それまで残業をして)施錠してもらってます。
 もう一点、今回のテーマに近い暖房の件ですが、事務室内は、大型のファンヒーターで暖かい(ただし、机の場所によってかなり温度差がある)のですが、廊下、トイレ等はとても寒いです。特にトイレは、自己導尿でもあり、体がしっかり冷えます。
 頸損になって2,3年くらいは、冬の寒さは苦にならなかったのですが、20代後半くらいから体の冷え方がひどくなり、冬場は半年近くズボン下を履いています。スポーツで合宿に参加した時は、着替えの時などよくチームメイトにからかわれていたものです。その代わり、私は他の頸損の選手より、夏(暑さ)には強い自信がありました。話が横道にそれましたが、仕事帰り、車に乗り移る時など自分の足のあまりの冷たさにゾッとすることが時々あります。
 ここで、私なりの体温調節方法をご紹介します。私の場合これは、冬の寒さに対してだけでなく、夏の暑さにも有効です。方法は簡単、お風呂に長く入ることです。夏、陸上の練習をしていたころ、練習中霧吹きをかけたり、頭から水をかぶったりしながらやっていましたが、練習後その日一日中体温が上がりっぱなしで、他のことが何もできませんでした。最初は、ただ冷やせばいいと思って、井戸水で風呂に入ったりしましたが、冷えすぎて下痢になるなど試行錯誤でした。そしてたどり着いた結論が体温に近い水温の水に長時間(最低30分)つかること。顔や上半身だけでなく膝の裏に手を入れて体温をみます。これで風呂から上がるとほぼ平熱に戻ります。冬は逆にぬるめの湯に長くつかります。ただ、この場合、上がる5分くらい前に少し温度を上げないと上がった時がちょっと寒いです。冬は特に体から遠い足先の体温を意識します。足の先まで温まると、そのまま体全体が温まっている気がします。
 どちらも個人の体の状態や、浴室と着替える場所との距離等、住宅環境によって、適当な水温やつかる時間にばらつきはあると思いますが、一定の効果はあると思います。
 ただ、風呂上がりの起立性低血圧にはご注意を。
 暖かい春までもう少しです。皆様風邪などひかれませんように。
 

福岡市:Y.S.



 <特集> 頸椎の骨折以外初めての骨折 

68歳、頸損歴42年目、電動車イス使用

 昨年2006年は、私にとって大きな転換期だったようです。5月に突然、向坊弘道氏の死を知らされて同い年でありながら、6年も前に受傷され、私が知り合ったのは遅かったのですが、大きくて素晴らしい道しるべでありました。まだ動揺が収まらない内に膀胱結石の除去手術を受けました。これは一晩の入院で帰りました。
 そして横浜の第33回全国頸髄損傷者連絡会総会・神奈川大会です。ここに参加させていただいたことは、心が慰められました。広島の懇親会も幹事をされた方々の行き届いた心遣いで楽しい思い出作りができました。
 このまま年末年始を迎えられたら、平穏無事に過ごせたと障害を持つ独居老人も思ったでしょう。しかし、人生ゲームはそんなに簡単ではない。
 まず、11月25日の夜9時前に、リフトを自分で操作してベッドに上がり、一休みして、いつでも足元で結びベッド上に置いてあるロープを使い、一気に上半身を起こし足元に折りたたんである布団を両手で引き上げるのです。だけどこの日は、引き上げると同時に右足がベットの外に落ちました。上半身も引きずられるように落ちました。このことは10時に安否確認に入るヘルパーに発見され、リフトで上がり終わりました。
 9日後12月4日に訪問看護が、右足太ももの異常な腫れを発見して主治医に報告、紹介で病院へ。レントゲン写真を見たらすぐに判る大腿骨(だいたいこつ)骨折でした。すぐにでも手術して下さいとお願いしました。隣の部屋の副医院長にお伺いを立てに行った主治医(はじめて会うDr.)は、帰るなり手術は無理です。貴方の骨は、永い車イス生活で薄く、もろく、手術に耐えられない。手術をすればその先が、ひびが入ったり折れたりする可能性が大きい、鋼線牽引で引っ張って自然に治るまで入院して下さい。
 私は、そんな馬鹿なすぐに手術をして折れている所を止めて下さい。たとえひびが入っても、折れても構いませんから。何故なら、頸損者には、辛うじて残っている手、腕の動きが一番大切です。長期入院は、今まで築いて来た在宅自立生活を根底から崩す最悪のストーリーです。その日は、私の話を聞いてもらえなくて帰りました。
 一晩で手術をしてくれる病院が見つかる訳もなく、朝から電話で早く病院に来るように急かせてきます。もう一度話し合い(インフォームド・コンセント)を持とうと出かけて行ったのが間違いでした。外来の看護師に下げられてストレッチャーに移動、昨日の医者が呼ばれて太ももに鋼線を通して、牽引の道具をセットして出て行きました。その後病室に運ばれて入院です。
 納得の行かない不本意な結果に、身体が異常な反応を示していました。医院長が来てくれました、そして私と同じ意見でした。とっても嬉しかった。でも結局若い医師たちに押し切られて、山脇さん駄目だってよと告げて病室を出て行きました。途端に、凄いプレッシャーとストレスで、軽い気管支炎になり泡状の痰が、咳と同時に出始めて、痰を取るのが大変になります。看護師に頼んで、ビニールの袋にストローを入れて、袋の口をしっかり輪ゴムで止めてもらい、痰が出ればストローの口からビニールの中に出します。ティシュはなかなか取れません、それに痰は簡単に出てくれません。
 入院して3日目に最悪の状態になります。呼吸ができなくなり気管切開も考え4日目には、大阪から娘2人も呼ばれました。「延命処置はしない」に同意して、自呼吸ができるようになったら人工呼吸器はすぐに外すのを約束して帰りました。
 その後に、医院長が飛んできて、若い医者に怒鳴っていました。手術もしないで人工呼吸器を付けて帰すのか? この人はストレスで、体内の水分電解質が狂ってるのだ。それから点滴が始まりました。だんだんと呼吸も楽になり、酸素吸入も3日目には取れました。また、鋼線牽引も中止になり、スピード牽引に変わりますが、手術はしてもらえませんでした。
 まもなく、この病院にノロウイルスが侵入したと、テレビ、新聞で報道していると聞く。まもなく体力も免疫力もない私に、ノロウイルスが入るのは、簡単でした。12月19日火曜日の夜にノロウイルスによる嘔吐と下痢が始まる。これは苦しい! 健常者は3〜4日でウイルスは体外に排出され元気に治ると聞くが、頸損は別扱い、1週間は様子を見ようと話している。4日目にまた、凄い嘔吐に下痢です。2回目の感染で、ノロウイルスは、免疫ができることはなく、私がこのいまいましい病原体から解放されたのは12月30日でした。
 正月の雑煮もなく、おせち料理もなく、朝食はパン1枚、昼、夜食はお粥でした。雑煮と言えば、鳥取県は、甘いぜんざいなのです。ドクトルマンボウこと、北 杜夫さん(私の好きな作家)が、書いておられた文章に、自分が幼かったころ、雑煮に一椀のおしるこがついていて、それが好きだったとあり、よく似た風習があるものと思った。香川県は白みそに、甘いあん餅入り、似ている?
 2006年1月10日に、まだ早いと言われながら退院して来ました。‘悪魔の住む’病院から脱出した。そんな感じがする。家庭で寝ていたのですが、2月に入って電動車イスに移乗が許されましたが、これが大変で、リフトにぶら下がるには、両下肢と両上肢をベルトで吊すのですが、医者曰く、骨折している右足は水平に保つのが望ましい、車イスに移乗したら下げても良いとのこと、2月一杯はこの状態が続くと思います。まだ骨折部分が治ったか、偽関節になっているのか知らされていません。
 2月11〜12日には、心配していた利き手の左手に麻痺と凄い痛みが襲って来て、食事介助も受ける状態になり、あわてて病院へ。主治医ではなかったが、ステロイド剤とキシロカインの混合5ccを肩関節に直接注射をしてもらい帰りました。痛みと痺れが引き始めのは5時間後からでした。現在は電動車イスの操作が長時間できますが、元に戻るのはいつのことやら。
 私たち頸椎損傷者は慎重に行動する方が多いと思います。でもアクシデントは、起こります。そんな時は、意識がはっきりしている限り、自分に残っている機能や能力を失ないたくないことを理解し協力してくれる医師を探しましょう。無理してパソコンに向かいました。誤字や乱文をお許し下さい。
 

鳥取県:H.Y.

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