2014527():「声を大きくすると優しく響かない」

毎月一回朝日新聞の購読者に配布される小冊子「スタイル アサヒ」の6月号に「その声は優しく響いていますか」の見出しで小笠原望先生(高知県四万十市・大野内科院長)の随筆が載っている(「診療所の窓辺から」いのちを抱きしめる、四万十川のほとりにて)。その一部をご紹介する。

「ぼくは耳の遠いお年寄りに、大きな声では話さない。声を大きくすると、優しく響かない。体を寄せて、低い声で蚊を置見ながらゆっくりしゃべる。耳元でがなり立てることはしない」「耳の聞こえない若者が遠くから診察に来る。ぼくは身ぶり手振りで会話する。ちゃんと通じる。どうしても伝わらない時に母親に手話通訳をしてもらう。彼女とは十分に会話ができている。笑い合うこともできる」「耳のそばで、大声で怒鳴るような言葉はやっぱり優しさからは遠い」「沈黙もコミュニケーション。そして柔らかな雰囲気の中が本当のやりとり。会話も自然な調子がやっぱりいい。」

私も日頃から講演や研修会で同じことをよく話し、「難聴者に伝わりやすい話し方」を啓発してきたので、小笠原先生とは面識がなかったが、早速メールで同感の意を伝えた。また、昨年末に「週刊金曜日」に連載したコラム第8回「聞こえの痛みを理解する社会に」と、本研究会ホームページの公開資料「聞こえにくいお年寄りへの対応」http://www.jeaa.info/documents.html を差し出がましいがお送りした。翌日すぐに小笠原先生から次のような返信があった。「田舎の医療の現場では、診察室や訪問診療先で耳の遠い方との会話の機会がよくあります。どうしたら優しさを伝えるかはスキルではないかとずっと感じていました。先生に同感と書いていただき勇気をいただきました。本当にありがとうございました。四万十は今、堤防にあざみが咲いています。」



2014523():帯状疱疹・MRI検査

先週の水曜日は「障害学概論」の講義が2コマ。木曜日はGNリサウンドジャパンのプレス向け発表会で「難聴の予兆を知る」を講演。金曜日は川崎市の要約筆記者講座で「聞こえの仕組みと聴覚補償」の講演。3日間連続の講義と講演でさすがに疲労困憊した。翌日517日の土曜日に右の偏頭痛と右目奥の痛みが発症した。

更に日曜日には右頭部に疱疹ができ、目の奥の痛みがひどくなった。更に月曜日になっても持続性の強い偏頭痛が続いた。発症から5日目となる520日(火)、右頭部、額、目の周辺に疱疹が増え右の偏頭痛と目の奥の痛みで眠れない状態になった。とうとう堪りかねて筑波技術大の東西医学統合医療センターの神経内科に行き大越教授(副学長)の診察を受けた。血液検査には特に異常を認めず、MRI検査でも特に異常を認めなかった。大越先生は帯状疱疹と三叉神経痛の疑いがあると診断され3種類の薬を処方された。

発症後7日目となる昨日22日はつくば市教育委員会の定例会があり教育委員長の私が議事進行しなければならない。頭痛とふらつき、額から目にかけての疱疹と腫れをおして何とか役目を果たした。今日になって頭痛が軽減し疱疹がかさぶた状になり、この会長日誌を書くことができる容態になった次第である。

ところで、初めてMRI検査を経験したが、いくつか気付いたことがある。カプセルの中に入り防音ヘッドホンをかぶっても物凄い様々な音に曝される。今になって実際の音圧は何デシベルなのか訊ねてみたいことである。聴覚過敏や閉所心配のある人には耐えられそうもない。どのように対処しているのであろうか。また、MRI検査受付には「人工内耳装用者の検査は受け付けられません」とある。検査可能な人工内耳の開発も進んでいるようだが、側頭内にある磁石を小手術でいったん取り外さなければならないのが大変だ。ただ一つ今回のことで安心したことがある。MRIの頭部画像を診た大越教授が「立派な脳ですね。50歳の人の脳画像だと言ってもいいくらいです」と私を勇気づけてくださった。



2014511():大きな声で話す夫婦に

我が家はどうした訳か母の日とか父の日を祝う習慣がない。神戸と京都に住む娘二人からもその日の出来事を普段通りに電話やメールで知らせてよこすだけで、カーネーションなどを貰ったためしがない。それで全くいいと思っている。今日は母の日だからというわけではなく、美味しいものを食べて何か気に入ったものがあったら買おうと、朝食をとらず日本橋の三越本店に出かけた。11時にコレド室町でフランス料理のブランチをし、三越のヨーガンレールで妻のお気に入りの白の夏服を購入した。私もメフィストの靴店で見つけて以来愛用している紗乃織靴紐(さのはたくつひも)を買ってご機嫌である。

3時のお茶は千疋屋に入った。すぐ隣のテーブルで中年の夫婦が会話している。その奥さんの方の声が異様に大きく甲高いのだ。せっかく紅茶とデザートを静かに楽しんでるのにと妻の顔が不満げだ。堪りかねて妻はもう出ましょうと言う。私はすでに夫婦の話し声が何故大きすぎるのかその理由に気が付いていた。ご主人の方が少し耳が遠いのだ。右手の掌を耳に当てて奥さんの声を聴いている。その振る舞いが私の妻からは見えてないので、マナーをわきまえない夫婦だと不機嫌になってしまった次第である。聞こえの問題が人を誤解させてしまう。店を出てから私の事情説明を聞いた妻いわく。「それなら、あの奥さんの甲高いトーンは余計にご主人の耳に聞きにくいのだから、もっと低い落ち着いた声で話せばいいのに。それと、補聴器をつけたらいいのに」と。



201459():加齢難聴の予兆を知る

人の聴力は30代から少しずつ低下し始め、60代から70代にかけて聴覚の老化がさらに進んでいく。加齢による聞こえにくさは徐々に低下するので本人も気づかないまま対応が遅れてしまう心配がある。私たちは超高齢社会にあって、いずれ誰もが歳をとり足腰が弱くなり目も衰え、高齢者として生きていくのだという覚悟は持つようになった。しかしそれでも、“耳も歳をとっていく”ということの認識や備えにはまだまだ甘いところがある。自らの難聴を自覚認識することから補聴器へのアプローチは始まる。テレビの音量を上げるようになり家族から注意されたことで聞こえの問題に気が付いたという例は多い。

私の経験から、もしテレビを観ていて次のようなことを経験したとすると、それは高齢難聴の予兆なのだと言えよう。ニュースを読むアナウンサーの声は比較的よく聞き取れるのに、ドラマの「セリフ」やバラエティー番組の雑談が何を言ってるのか分からない。外国映画の番組は「音声吹き替え」より「字幕付き」の方がいい。音はよく聞こえているのに話がモゴモゴして分からないときに、耳元に「手のひら」をかざしてみたらハッキリと聞こえた、などである。

65歳の頃、風邪をひき床の中で熱を測っているとき、体温計の「ピッピッ」と鳴った電子音を聞き逃し、いつまでも腋に挟んだままの私に妻が注意してくれたのが加齢難聴の予兆を知ったきっかけである。研究室のオージオメータに向かい自分で聴力検査をしたところ、「日本人65歳の平均的な聴力の減退」の高音漸傾型オージオグラムにピッタリだった。

夏が近づいたら試してみたい聴能実験がある。若い頃は気付かないうちに「蚊」に刺されたなどということはないが、歳をとると耳元近くまで飛んで来て初めて手を上げる様だ。蚊が寄ってくるのを待って補聴器装用時と裸耳とでの自己防衛能力の差を確認してみようと考えている。






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