2014425():社会に出る学生に贈った話(7年前の学長式辞より)

平成19年(2007年)316日、筑波技術大学に併設された短期大学部の卒業式が挙行された。大学の創起(開学)20周年を迎える年である。卒業生を世の中に送り出すに当たって述べた私の想いを再掲する。さて、就職したての青年たちはこの一ヶ月で会社を辞めたくなるような辛い経験もしたのではなかろうか。そして、当時も今と同じように倫理観に欠ける様々な不祥事が連続して起こる世相があった。新社会人を励ます意味でここに改めて7年前の学長式辞を紹介する。

【人生の幸せ】

さて、これから卒業生の皆さんが飛び込む社会は安泰ではありません。向上心の強い人々に囲まれて弱音を吐きたくなるでしょう。自分のためにしか行動しない利己的な人に幻滅するでしょう。障害者に対する理解を求めるどころではないような冷たい現実にも直面するでしょう。そして、きっと仕事で失敗したり、競争相手に負けたりもするでしょう。しかし、人生を本当に幸せにするのはいったい何だろうか。人間の一生にとって最も大切なものは何かを考える余裕もなく、「勝ち組と負け組み」に分ける世相を受け入れてはなりません。

【小説「海と毒薬」】

敗戦濃厚な第二次世界大戦末期、昭和205月、九州にあった帝国大学医学部で、米軍捕虜8名が生きたままで解剖されたとされる事件が起きました。医学部内の教授達の権力争いと軍の横暴がからんで起きた残虐な事件でした。この米軍捕虜生体解剖事件をモチーフに遠藤周作が創作した小説が「海と毒薬」です。大学病院の外科の研究生だった2人の若い医師が、上司から生体解剖の手術に関わることを求められ、罪だと知りながら手伝うことを承諾してしまいます。生きている捕虜に対して、どれほどの量の空気を血管に注入したら死に至るか、肺をどこまで切除したら死に至るかなどの生体実験でした。

【自らの良心】

今から50年ほど前に刊行された小説「海と毒薬」を、私は学生時代に読み、人間の良心、倫理観、罪と罰について重苦しく考えさせられたものです。昨今、日本の指導者や社会の上に立つ人々の中にまで、不正を行なう人や倫理観のない人が多く見られます。そのような罪をおかすに至った彼らに共通している認識は、世間の評価や社会から受ける罰ばかりを恐れ、倫理的責任や自らの良心に対する罪を思わなかったことです。金銭や物や出世にこだわり過ぎ、心が豊かでなければ幸せとは言えないことを忘れ、いつしか精神の健康が失われていったのです。このことに自分でも気付かなくなっていたのでしょう。

【湯の中のカエル、己(自らの異変)を知らず】

ところで、「井の中の蛙、大海を知らず」、とは別のカエルの話があります。それは「湯の中のカエル」という話です。熱い湯の中に突然入れられたカエルは、すぐ跳びだすに決まっています。ところが、カエルを水に入れ、その水を徐々に温めていくとどうなるだろうか。跳び出すタイミングを失い、カエルはそのまま煮えあがってしまうそうです。科学的に事実かどうか知りませんが、少しずつ変化する環境に麻痺してしまい、自らを助けることができなくなるというのです。「湯の中のカエル、己(自らの異変)を知らず」ということでしょう。

【信条と座右の銘】

皆さんは、これからの人生、生き方で岐路に立ち選択を迫られるときがあります。何が大切なのか、何が正しいのか判断に迷うことがあります。そんなとき従うべきは、世間や社会の評価や罰ではなく、自らの良心です。しかし私達もまた「海と毒薬」の登場人物のように、あるいは「湯の中のカエル」のように、自分を見失いやすい弱い人間に違いありません。そのためにも、よりどころとなる「信条」や「座右の銘」を持ってください。「思いやり」から生まれる信条がキーワードだと私は思います。

【「自灯明」】

例えば、私の座右の銘の一つは「自灯明」という言葉です。お釈迦様が死の床にあって弟子達に残したことばです。他の人から道を照らしてもらうのではなく、灯明のロウソクのように自分自身を燃やして周囲を明るく照らすような生き方をしてほしいという意味です。皆さんはこれからも、他の人のためになる、社会の安全・安心にかかわる仕事をしてください。必ずしもそのような職業に就くことを言っているのではありません。世の中でそのような役割を果たしてください。



2014420():聴覚過敏当事者からの要望

「聞こえと補聴器のガイドブック」(発行:シーメンスヒアリングインスツルメンツ社)は、今年になって私が監修・執筆した40ページ余りの小冊子である。SIEMENS社のPRも入っているが少し専門的な情報も盛り込んであるので、補聴器入門パンフレットとして読んでもらえるかもしれない。全国の補聴器販売店の店頭に置かれていて自由に手に取れるので、一般の人の目にも触れるようである。

先月、この冊子で私の名前を知ったある地方都市の母親から突然に電話をいただいた。聴覚過敏の中学生を持つ親である。長年にわたって聴覚過敏を周囲に理解してもらえず、偏見や誤解で悩み続けている現状を切々と訴えられた。耳栓やイヤーマフも適用が困難で、様々な機器を工夫し試してきた。現在はウオークマンを装着し何とか我慢して過ごしているが、教室などに持ち込むとイジメにあったりし実用しにくい。本人も親も疲労困憊している様子が伝わってくる。聴覚過敏という障害があることを社会が認めてくれない。そこで、障害者に公に交付される補聴器のようなものなら付けてもいいのではないかと親子で考えたと言う。インターネットで私の研究テーマなどを知ったので、最新の補聴器の技術を応用して“聞こえすぎる耳”に対応した補装具の開発研究をしてもらいたい。聴覚過敏の障害者の未来を明るくする活動のきっかけを作ってほしい。そのように懇願されたのである。“聞こえにくい耳”のことばかり考えてきた私に突き付けられた難題である。



2014413():高齢運転者マーク

つくば市内のレストランの駐車場で当て逃げに遭ってしまった。愛車ジャガーの後部バンパーの辺りに10センチ四方の傷をつけられた。バンパー交換の見積もりを依頼し修理に出すまでの間、見っとも無いのでテープかステッカーなどで応急処置しておくことにした。ふと思いついて高齢運転者標識(四葉のクローバーにシニアのSをデザインした高齢者マーク)を間に合わせに貼ってみると、傷の部分がちょうどうまく隠れる。思いがけず格好もいい。数日間そのまま乗ってみると、何やら焦らずゆったりと車を運転できることに気が付いた。高額な修理も見合わせることにした。

道路交通法には「75歳以上のものが高齢運転者標識を付けないで普通自動車を運転すること」を禁じる道路交通法の規定がある。しかし、この規定は附則により、当分の間は適用しないこととされているので、今のところ高齢運転者標識の表示義務及び違反者に対する罰則はない。私は72歳なので適用外である。しかし、「加齢に伴つて生ずる身体の機能の低下が自動車の運転に影響を及ぼすおそれ」のある70歳以上の者は、高齢運転者標識を付けて普通自動車を運転するように努めなければならないとする「努力義務規定」が私には適用される。これまで私は、いくら年をとったって「枯れ葉マーク」「落ち葉マーク」など付けるものかと粋がっていたのだが。自分は紛れもなくシニア運転者なのだと一旦受け容れてみると、意外にも気が楽になる。自分らしい自由な運転ができるのである。「聴覚障害者標識」(10mの距離で90dBの警音器の音が聞こえるという基準を満たさなくとも、一定の条件で運転を許可された聴覚障害者が掲示しなければならない)のマークは私の身近で見ることは少ないが、当事者の感想も聞いてみたいものだ。

ところで、本日は急な買い物があり日本橋三越まで車で往復した。帰路は車体に「四つ葉マーク」を付けていることを忘れつくばの自宅まで40分で到着するというスピード運転をしてしまった。実際はどうも高齢運転者という自覚が未だ足りないようだ。



201448():見当違いな依頼事(二つの例)

 卒業式や入学式で学校を訪問しPTA関係者や学校評議員の方々と名刺交換した際に、教育委員会に対する意見や頼まれごとを聞かされることが多い。中には見当違いな依頼事もある。先日も地元のある建築会社の社長さんが、私をつくば市の「教育委員長」だと知ってコンタクトを取り始めるということがあった。 校舎の耐震工事に採用できる新しい建築工法があるので市役所の関係部署のどなたかを紹介してほしいという。現在、国では教育委員会制度改革の議論が続けられているが、多くの市民は「教育長」と「教育委員長」の区別を認識していないという実情にあろう。この社長さんも教育委員会の事務方のトップである「教育長」の職に私が就いているものと誤解していた。つくば市の教育行政の専門職として教育委員会事務局を指揮監督する「教育長」は、市長・副市長と並ぶ市役所の三役の一人である。一方「教育委員長」である私は議会の同意を得て市長から任命されたものである。「教育長」や教育委員会事務局が公正な仕事を遂行し、つくば市の教育行政が適正に行われているかをみる立場にある。市民の代表ともいえる「教育委員長」が一業者に情報を提供するなどは道義に反する。くだんの社長さんにはこのことを慇懃無礼に説明しお引き取り願った次第である。

 もう一つの事例。携帯電話に見ず知らずの会社の方から留守録の連絡をいただいた。何事かとこちらから電話すると、これもまた見当違いな依頼事であった。テレビショッピングの番組に出演してほしい。「集音器」の通信販売コマーシャルに聴覚研究をしている東大の先生としてその効果をコメントしてほしいという。私は電話口で以下のような説明をした。

『国民生活センターでは、通信販売で売られている集音器等について調査した結果、消費者に次のことをアドバイスしています。①フィッティングを受けて補聴器を購入するようにしよう。②補聴器を購入する際は、業界の認定制度のもとで一定の基準を満たした販売店で購入するようにしよう。③難聴者は集音器等を使用しないようにしよう。』

私は公益財団法人テクノエイド協会に設置されている「補聴器協議会」のメンバーの一人でもある。我が国における補聴器が適正に供給され効果的に使われることを進める立場にある。昨年末まで「週刊金曜日」に連載した「初めての補聴器選び」でも、最終回では「補聴器と間違えて集音器を買ってしまわないように」とアドバイスしている。難聴者の実態や補聴器事情を余り調べもせず、選りによって私に「集音器」の宣伝を依頼するとは。この番組製作会社にも慇懃無礼に説明しお引き取り願った次第である。



201441():辞令交付式

年度末と年度初めはつくば市教育委員長としての出番が多い。市内に53校ある小中学校のうちの1校を選んで卒業式と入学式に出席する。祝辞は児童生徒に向けた話と保護者に伝えたい内容を用意する。私のスピーチにはいつも障害児教育にまつわる話題を加えるようにしている。

つくば市の教職員異動は退職・転出と転入・新任を合わせ500名以上の規模である。昨日は退職者や市外への転出者の辞令交付を行った。新年度始めの今日は新任校長・教頭や転入の教員、そして新採用の先生などへの辞令交付式を行った。「異動は最大の研修である」と言われる。今年も、教育オーディオロジーに長く貢献した聾学校の先生が何人も現場を去って行ったのを知るにつけ、異動しなくとも優れた研修を積み重ねる先生がいることを大事に思う。






TOP


Home