2014326():新刊「新生児・幼小児の難聴」

「新生児・幼小児の難聴」(編集:加我君孝、診断と治療社)が出版された。「遺伝子診断から人工内耳手術、療育・教育まで」と副題がついている。私は冒頭の「難聴児の教育の歴史(過去・現在・未来)」を執筆した。医学書なので4600円と価格が高いが、新年度の図書として教育機関等の本棚に配架していただければ幸いである。



2014324():全難聴が声明を発表「難聴の聞こえと難聴者・中途失聴者への正しい理解を」

 「偽・現代のベートーベン」の騒動は音楽界での問題だけではなく、難聴の聞こえと身体障害者手帳交付制度をめぐり、世間の誤解や聴覚障害者に対する不当な風評を生みかねない。そのことを憂慮し、全日本難聴者・中途失聴者団体連合会が本日付で声明を発表した。

http://www.zennancho.or.jp/special/statement20140324.html


声明文「難聴の聞こえと難聴者・中途失聴者への正しい理解を」のなかの聴覚障害に関する専門的な記述について、高岡理事長の依頼により私が監修した。



2014318():佐賀県聴覚障害者サポートセンター

全国殆どの都道府県には身体障害者福祉法に基づく「聴覚障害者情報提供施設」が設置されている。このことでは佐賀県は遅れていたが、念願がかない設立にこぎつけた。新年度41日から「佐賀県聴覚障害者サポートセンター」がスタートする。従来の聴覚障害者情報提供施設は手話通訳・要約筆記者の養成、手話・字幕入りビデオの制作などを主要な事業内容とする施設が多かったが、佐賀県の場合は後発の優で、最新式の聴力検査システムや補聴器フィッティング機器を備えた「聴覚相談室」も設けられた。手話通訳士や要約筆記者のスタッフだけでなく、専任の言語聴覚士も配置され聞こえと補聴器に関する相談事業が開始される。新センターのオープニングを記念する講演会が佐賀県庁で開催された。私が「聴覚補償と情報保障~聞こえのバリアフリー」の演題で講演した。終了後、2年後に全日本聾教育研究大会を控えている佐賀県立ろう学校を見学させていただいた。



201437():ウイーン学友協会ホールでワーグナーを聴く

今回の旅では予てからの私の夢が二つ叶った。一つはインスブルックでのスキー。もう一つはウイーン・フィルハーモニー管弦楽団の本拠地である「楽友協会ホール」(Musikverein)でのコンサートを聴くこと。ニューイヤーコンサートの会場として日本でも有名な「黄金のホール」(Goldener Saal)の前列中央のとても良い席だ。曲目は、ベートーベンの序曲「レオノーレ」3番、ワーグナーの歌劇「さまよえるオランダ人」序曲、マーラーの交響曲第7番「夜の歌」。“ワグネリアン“を自称する私にとってはコンサート会場も演目も最高だ。ところが一つだけ問題が。何とオーケストラは「ワグネル・ソサイアティー」、指揮は大河内雅彦である。憧れのウイーン楽友協会ホールで慶応義塾大学の海外公演を聴くことになるとは。実は、私が東北大学への入学を希望した理由は「東北大学交響楽団」に入りたかったからである。当時は学生オーケストラの双璧は慶応ワグネル・ソサイアティーと東北大オケといわれていた。私の学生時代の好敵楽団とウイーンで巡り合うとは何という奇遇か。

同行した6人の難聴者にとっては初めての本格的なクラシック音楽を人工内耳で聴くという貴重な体験となった。帰国後の323日に開催予定の「新・きこえを学ぶ会:第1回大沼ゼミ」で人工内耳装用当事者から音楽の聞こえについて感想を聞かせてもらうのが楽しみである。

https://docs.google.com/a/rtmr.me/file/d/0B6mBkiWTiKjNWFhRT3cydjFxckE/edit?usp=docslist_api




201436():オーストリアの大学病院耳鼻科

昨日、インスブルック大学耳鼻科の見学を終え、今朝は4時に起床してホテルをチェックアウトし、飛行機で1時間の距離にあるウイーンに向かった。ウイーン大学の耳鼻科を見学した。どちらの病院でも重度の難聴が早期発見されると直ぐに当たり前のように両耳への人工内耳の適応が進められている。ずいぶん前からオーストリアには聾学校は存在せず、国内3か所にある特別支援教育センターが通常学級に在籍する聴覚障害児の訪問指導を行っているという。人工内耳を装用していない重度難聴児や手話を使う子供が僅かであっても学校に居ないはずはないと思うのだが、そのような聴覚障害児に対する教育がどのように行われているのか、耳鼻科医やオーディオロジストにとってはあまり関心がないように見受けられた。



20143月4():外国語のための補聴器調整

メドエル社での講演の日である。オーストリア本社の社長であるホフマイヤー女史(Dr.Ingeborg Hochmair)の歓迎を受けた。ホフマイヤー博士は人工内耳の開発研究の業績が認められ昨年末に「ラスカー賞」を受賞された(オーストラリアのGraem Clark博士、アメリカのBlake Wilson博士、3人での共同受賞)。アルバート・ラスカー医学研究賞はアメリカ医学界最高の賞で、アメリカのノーベル医学・生理学賞とも称される。ラスカー賞の受賞者からノーベル賞が選ばれることが多い。山中伸弥先生も2009年にラスカー賞を受けて、その後にノーベル賞に輝いた。

メドエル社の社員は20か国から集まっているといわれ、ドイツ語よりも英語が共通語となっている。講演会場に集まったのは幹部社員たちなので、ドイツ語が苦手な私は30分のスピーチを英語で話した。「日本における教育オーディオロジーの現状と課題」の講演が終わると、質問は「先進国の人工内耳の普及に比べて日本では極端に数が少ないのは何か特別な理由があるのか」に集中した。日本語でも的確に答えるのが難しい内容に対して英語で意を尽くすのは容易ではない。

実は渡航の数日前、私の補聴器を英語が聞きやすいようにと特性を調整変更しておいた。私の経験では2000Hzから4000Hzにかけて普段よりも5dBほど音響利得をアップさせておくとよい。しかし実際の場では「よく聞こえる」ことイコール「よく分かる」ことではないのだ。外国出張の度にもっと英語力を身に着けなければと悔やむのは今回も同じであった。やはり、「聴力+聴能」、「聴能+言語力」、「言語力+知識・専門性」が大事。



201433():インスブルックでスキー

ウイーンから国内便に乗り継いでインスブルックに到着した。オーストリア共和国の西に位置するチロル州の州都である。インスブルックは2000m級の山々に四方を囲まれた風光明媚な街だ。1964年と1976年には冬季オリンピックが開催され、黒い稲妻と呼ばれたアルペンスキーの名手トニー・ザイラーゆかりの地でもある。私の少年時代からの憧れの地である。明日のメドエル本社での講演を前に自由時間ができた。7つあるスキー場にはどこへも1時間足らずで行ける。ゲレンデから雄大な絶景が望め、中上級コースが充実しているアクサマ-リツム(AxamerLizum)スキー場にホテル前から無料バスに乗って出かけた。私の年齢を勘案してレンタルスキー店が選んでくれたスキー板と靴の性能には多少不満があったが、2000mの高山から滑り降りるロングコースを堪能できた。

広大なゲレンデなのでスキーヤーで混んでいないこともあるが、リフトに乗っていてもカフェの雪上のベンチでも、いやに静かなことに気付く。日本のスキー場は何処も彼処もスピーカーから必要以上に大きな音で音楽が流れているのが常だ。ここではバックグラウンド音楽を聞かされる不愉快さがない。大自然の中のサウンドスケープを静かに満喫できる。音の文化の違いを見た。



201432():人工内耳装用者との海外旅行

「新・きこえを学ぶ会」(仮称。当面の世話人は、私と加我君孝先生)の活動の一つとして海外旅行を企画した。人工内耳装用者が自分の装着する機器がどのように製造されているのか、実際にその場所を訪ねてみること。一つ一つ手作業で造られる人工内耳にはシリアル番号が付いている。その番号をたどると自分の体内に埋め込まれているインプラントを実際に造った人が誰なのかわかるという。工場の製造部門でその人に会って対話してみること。自らの人工内耳ライフや課題などを外国の関係者を前に英語でスピーチしてみること。そのような内容も含めて、人工内耳を装用している6名(青年5名、高齢者1名、コクレア社製とメドエル社製の両耳装用者も)と連れ立って旅に出た。目的地はオーストリアのインスブルック市である。

成田空港の国際チェックインカウンターで、最初の人工内耳問題に遭遇した。機内持ち込み荷物の中にさまざまな補聴援助システムや充電機器などが入っているので、念のため人工内耳装用者6名のグループであることを告げると、受付段階で過剰反応をされてしまった。人工内耳とは何ぞや、搭乗に際して危険はないのか、機内で何か配慮しなくてはならないか、あれこれと電話で空港管理者に問い合わせ相談し始めたのである。30分以上も予想外の時間を費やされ漸くチェックインすることができた。補聴器を着けての搭乗には何も問題とされないのに比べ、一般への人工内耳の認知はこれからだと改めて知らされた。















TOP


Home