2014216()PEPNet-Japan総理大臣表彰祝賀会

日本聴覚障害学生高等教育支援ネットワーク(PEPNet-Japan)が、平成25年度「バリアフリー・ユニバーサルデザイン推進功労者」として内閣総理大臣表彰を受けた。祝賀会が秋葉原で催され、10年前にこの組織を立ち上げた初代代表として私もお祝いに駆けつけた。私の祝辞では、PEPNet-Japanの設立に至る源流について知る人が少なくなるので、2000年にさかのぼって話した。

15年前、筑波技術短期大学の私の研究室に国立特殊教育総合研究所の中澤恵江先生から電話が入った。中澤先生は現在、横浜訓盲院の院長をされているが、当時から盲聾重複障害教育では有名な実践研究者である。「日本財団の石井さんという方が聴覚障害者の高等教育のことで相談したいことがあるらしいので一度会ってほしい」という。この一本の電話が無かったなら私と石井靖乃氏(日本財団・国際協力グループ長)との長いお付き合いとその後の展開も生まれなかったであろう。

2000年、オーストラリアのシドニーで「聴覚障害教育国際会議(ICED)」と「アジア太平洋地域聴覚障害問題会議(APCD)」が同時開催された。聴覚障害教育に関する国際動向を初めて見学した石井氏は、その場でアメリカからシドニー大会に参加していたロチェスター工科大学・国立聾工科大学(NTID)のデカロ教授と私に「聴覚障害者のための国際大学連合」の構想を提案されたのである。その結果、2001年にアメリカ、ロシア、中国、日本の代表がロチェスターのNTIDに集まり、「PEN-International」設立の調印式を行う運びとなった次第である。

莫大な資金を提供してくれた日本財団のおかげでPEN-Internationalの活動は全世界に広まり、特に日本においては筑波技術大学以外の一般の大学に学ぶ聴覚障害学生に対する支援をどうするかが主要な課題となった。そこで、既に全米の支援体制を確立し実績を上げていたアメリカの「PEPNet」をモデルに「日本版PEPNet」を設立すべく、白澤麻弓先生を筑波技術大学に採用しその任に当たってもらうことになったのである。白澤先生の献身的な努力により200410月にPEPNet-Japanが結成された。20091月には大学のトップに直接働きかけるのがよいと考え「第1回障害学生支援に関する全国大学長会議」を開催し現在に至っている。



2014213():治せる難聴と治せない難聴

●「聴覚障害2級の障害者手帳を持つ(偽)作曲家」は、未だに自ら顔を見せ問題の経緯を説明しようとはしないようだが、「3年ほど前から聴力が回復し聞こえるようになってきた」と弁護人が語ったことが報道された。作曲の嘘に加え、さらに難聴についても嘘を重ねるのだとしたら、聴覚障害者や難聴に対する世の中の誤解と無理解をいっそう招くのではないかと心配である。

●耳鼻科医や聴覚障害学の専門家であれば、10年以上も治ることなく続いていた100デシベル以上の重度難聴がこの数年で軽度中等度に変化することなどあり得ないと直ぐに分かる。「聴覚障害2級」が認定される聴力の損失のレベルは非常に重く、そのような重度の聞こえ難さをもたらすのは「感音性難聴」であり、しかも残念ながら「感音性難聴」は自然に治ったりするものではない。内耳の蝸牛(かたつむり管)にある感覚細胞(有毛細胞)の故障が主な原因で聞こえなくなる「感音性難聴」 は、一度死んでしまった細胞は生き返らないのと同様に、治ることはない。治したくとも治せない重度難聴であるから「2級」なのである。

●耳の聞こえが悪くなった原因が鼓膜や中耳などの故障によって起こる「伝音性難聴」であれば、それは必ず「治せる難聴」であるから、回復するまで医学的治療に取り組む必要がある。しかも「伝音性難聴」の聞こえ難さは重度になることはなく、声や音を大きくすれば普通に明瞭に聞こえるのである。

●ところが「感音性難聴」の場合はそうはいかない。我が子が重度の「感音性難聴」であると診断結果を告げられた親が、思いもかけなかったショックから立ち直り、その後の親子が素晴らしい育ち方・学び方・生き方ができるようになるのは、もう耳は「治らない」のだという覚悟が定まったからである。耳そのものは治らなくとも、子供は適切な教育を受け、「聴覚補償」と「情報保障」の恩恵を受け発達し成長する。

●ダメ-ジを受けずに残っている有毛細胞に向けて増幅した音を伝えようとするのが補聴器の役割、「聴覚補償」の一つである。また、有毛細胞が故障して使い物にならないなら、それに頼らず代りになる電気信号を送り込めばいいとして開発された新しい「聴覚補償」が人工内耳である。しかし補聴器も人工内耳も、失った聴力を完全に取り戻すものではなく、その効果には個人差があり、ある程度の難聴状態を覚悟しなければならない。手話通訳者や要約筆記者が配置され、会場に補聴システムが備えられるなど「情報保障」の環境が整っていくことも「治せない感音性難聴」には重要である。



201428():現代のベートーベン?

「現代のベートーベン」と注目を浴びている人がいることは承知していたが、マスコミがベートーベンの再来だと騒ぎ始めた頃から私は胡散臭い話だと感じていた。だから本研究会の会長日誌でも触れなかったし、講演などの中で社会活動に尽力した聴覚障害者の一人としても取り上げないできた。

 メディア関係から次のような質問が間接的に私にあった。「聴覚障害の障害手帳を取得するための聴力検査で嘘の反応をして聴力程度を偽ることができるのか。脳波による聴力検査はどうか」、「聴覚障害手帳2級の聴覚障害者の聞こえで専門的な作曲活動ができるのか」。私の解説を一部紹介する。

●一般に成人の難聴程度はヘッドフォンをかぶってピーとかブーの検査音を聞いて応える純音聴力検査により診断します。これは「自覚的聴力検査」と呼ばれる検査法です。500hz(ヘルツ)、1000Hz2000Hz3つの周波数について聴力レベルを測定し、その値を平均して「平均聴力レベル」(日本では4分法)を算出します。左右の耳について検査し、両耳とも平均聴力レベルが100dB(デシベル)以上であれば最も重い「2級」に相当します。聞こえているのに聞こえないふりをする「詐聴」を見破る検査法も昔から開発されてあります。しかし難聴を訴えて治療にきた患者さんが自分の聴力を悪く見せる人はいないだろうと性善説寄りに考えるのが普通で、耳鼻科における検査でも特別な詐聴検査をすることはあまりありません。聞こえを悪く見せるために巧妙に検査音が聞こえても反応ボタンを押さないでおくことは可能だということです。

●「自覚的聴力検査」では正確な聴力を把握できない乳幼児幼児のために開発されたのが、脳波を手がかりにした聴性脳幹反応検査などの「他覚的聴力検査」です。これを純音聴力検査ができる成人にわざわざ適応することはありません。もし問題となっている人のような疑わしい患者さんに対して15年前に聴性脳幹反応検査をしたとしても、当時は100020004000Hzの周波数ごとの値が正確に得られないABR検査でしたから、成人の障害者手帳の交付のために面倒な脳波による他覚的聴力検査をする耳鼻科医はいるはずがありません。偽りの2級手帳を手に入れることは不可能ではないということでしょう。「聞こえるふり」も「聞こえないふり」もできる聴覚障害ですが、もし私のようなオーディオロジーの専門家がこの人に直接会ったら偽難聴かもしれないと気が付いたでしょう。

●一方、それでは仮にこの人が本当に2級に該当する最重度難聴だとしたら、音楽の聴取と音声によるコミュニケーションがどの程度可能であるかということです。補聴器をかなり上手に活用したとしても、強弱高低のあるオーケストラの楽音の全てが可聴範囲に入り聞こえるとは言えないでしょう。自ら作曲した音楽の演奏を音の細部まで聴覚的に確認することは困難なはずです。補聴器はおおよそ失った聴力の半分の利得で聞こえを補償する機器ですから、その補聴効果は50dB程度の中等度の難聴者と同じくらいだろうということです。また、日常生活でコミュニケーションや発音の一部に不自然さが現れていて当然です。

●この人が人工内耳手術を受けたかどうか情報はありませんが、仮に人工内耳を装用したとしても、当時の人工内耳の性能は音声を聞くには優れていても音楽を聴くには補聴器よりも不利でしたから、オーケストラの楽音の細部までを聞き分けることは不可能でしょう。作曲の専門家に自分の創作イメージだけを提案し、あれほどの大曲を別人に下請けさせることが本当に作曲と言えるものなのか、音楽界が判断する事でしょうが、先ずは、障害者手帳を取得した経緯と、聴覚障害を偽って社会活動を長年にわたって続けてきたことについて、本人が自ら全て正直に説明することが求められます。



201423():第12回福祉工学カフェ

 国立障害者リハビリテーションセンター研究所と新エネルギー産業技術総合開発機構(NEDO)の共催で「12回福祉工学カフェ」がNEDO分室(霞が関)で開催される。今回のテーマは「福祉機器開発とユニバーサルデザインとの関係性-聴覚障害を例としたコミュニケーション支援技術とは何か」である。

 発起人の小野栄一氏(国立リハビリテーションセンター研究所・障害工学研究部長)から講演依頼があり、演題を「聴覚補償と情報保障のコンフリクト-グラハム・ベルから人工内耳まで」とした。発表予定の概要が以下のように掲載されている。http://www.rehab.go.jp/ri/event/at_cafe2010/schedule.html#cafe12

 『概要:電話器の発明者としてのグラハム・ベルは、聴覚障害者のコミュニケーション指導のための「視話法」を開発し口話教育を発展させるなど聾・難聴児の教育者としての貢献も大でした。ところがその後、聴覚障害児に対する発音指導や聴能訓練の厳しさへの反発が生まれ、「ろう文化」や「手話」による教育が広まると、「聴覚口話法」への批判と併せて、“ろう者の敵はベル”とまで言われてしまいます。19世紀以前からあった「手話口話論争」は、今に至っても古今東西繰り返されている感があります。聴覚障害児を生んだ親は誰もがクリティカルな選択の悩みを抱えることになります。手話による教育が良いのか、残存聴覚を活用する教育が良いのか、聾学校か通常の学校か、情報保障は手話通訳か要約筆記か、教室ではFM補聴器と磁気ループ補聴システムのどちらを使うべきか・・・。更に、「人工内耳」が出現したことにより、様々な聴覚障害問題をめぐる衝突・対立・葛藤(内なるバリアフリー・コンフリクト)は顕著になりました。聴覚障害者へのコミュニケーション支援に関わろうとする者は、「聴覚補償」と「情報保障」の両方をよく理解して課題にアプローチすることが大事です。』








TOP


Home