2014125():声を出さない一日

雪道の車運転を考えると好きなスキー行も諦めてしまう。しかし少し暇ができると、この季節どうしても雪山を滑走せずにいられない。「日帰りスキー・格安バスツアー」の広告を見つけたので試しに申し込んでみた。まだ暗い早朝5時半前につくばセンターに集合、延々4時間かけて会津高原「たかつえスキー場」に。セットで付いている1日リフト券をフルに使い思う存分に全コースを滑った。ツアーバスはスキー場を午後4時に出て復路も4時間かけ、夜8時につくばに帰り着いた。

一人黙々と過ごしたスキー行を振り返ってみると、ほとんど声を発しない、ものを言わない一日だったことに気が付く。バスの車中でも、スキー場のリフトでも、レストハウスのロッカーでも、昼食のカフェテリアでさえもセルフサービスで一言もしゃべらず用が済んでいたのである。バスの案内やスキー場の情報を「読む・聞く」ことは欠かせなかったが、「話す」ことは必要なかった。

一度だけ声を出して頼んだことがあった。雪山をバックに写真を撮っておこうと、スキーコースの途中で立ち止まっていた親子にスマートフォンのシャッターを押してもらったときである。母親に礼を述べ子供に「何歳?」ときくと、6歳でスキーを始め今回2シーズン目の7歳だという。白髪頭でも滑る私に感心したのか「お幾つですか」と問う母親に「72歳になっても滑ってね」と答えた。雪の上の短い立ち話しだったのに、この日の唯一声を使ったコミュニケーションは鮮やかに記憶に残っている。



201417():本研究会の活動記事掲載(教育医事新聞)

教育医事新聞(11日号)に比較的大きく本研究会のことが載っている。私へのインタヴュー「日本教育オーディオロジー研究会会長に聞く」と、広聴・広報担当の富澤先生(目白大学)への取材「日本教育オーディオロジー研究会・活動10年目」である。全文はご紹介できないので記事の見出しのみを並べてみる。

「聴覚障害児のQOLを究める」「“教育オーディオロジスト”養成を推進」「医療、補聴技術進み“聴覚補償”に成果」「意思疎通を支える“情報保障”が課題に」「聞こえのバリアフリーと子どもの教育を橋渡し」「専門的人材の育成へ研修会・講座を開催」

ちなみに、教育医事新聞社の創業者・樋渡誠社長とは、かつて仙台で特殊教育関係の雑誌を刊行していた頃からの知古である。30年前に私が宮城聾学校を辞め仙台を去った同じ年に、彼も東京に移り現在の新聞社を立ち上げた。



201413():原稿の書初め

私の干支は午、今年の年男である。あと数日で72歳の誕生日を迎える。いつも原稿の締め切りに追われている身だが、この年末年始は珍しくやり残した大きな仕事や執筆はなかった。正月の原稿書初めは「宮城県立聴覚支援学校100年記念誌」の「百周年に寄せてー宮聾は私の原点」の原稿である。1025日に百周年記念式典が計画されている。

1965(昭和40)年に宮城聾学校の教員として私の社会人生活がスタートした。奉職したのは19年、その間5人の校長先生に仕えた。子供たちとその親御さん、教師仲間、・・教職員組合の分会長を務めストライキを先導するなど、子供の教育実践には模範と言えない教員だった時代もある。思い出を記せば切りがない。始めは「デモシカ」教師だったが、1970年代後半になってようやく自分の仕事に誇りをもって取り組むようになった。「聴覚補償センター」を設置し、当時としては最新のシステムを手作りし全校の子供の聴覚・補聴器管理を始めた。全国的にも珍しい0歳児から聴覚障害の親と子を指導する「乳幼児教室」を開設したところ、山形県、福島県からも越境して親子が宮聾に相談に来るようになった。日本にはまだ超早期教育のモデルが無かったので、休日を返上しては上京し都内で開催される研究会や横須賀にある国立特殊教育総合研究の先生方に教えを乞いに出かけたものだった。

自己流で手探りの乳幼児教育に悩み、専門性を身につける必要を感じていた時、校医でもあった三好病院長・三好佑先生の熱心な助言とお薦めをいただきアメリカ留学を決意した。無給の休職という身分で聾学校を一時留守にしての海外窮乏生活だったが、ワシントン大学医学部附属・中央聾研究所(CID)でオーディオロジー(聴覚補償学)という新しい領域を夢中になって学んだ。1984(昭和59)年に宮城聾学校を退職し、仙台を去ってから30年が経った。その後の国立特殊教育総合研究所での4年間、筑波技術大学での21年間、東京大学での5年間は、その全てが私にとって聾学校教員時代にやり残したこと、できなかった課題を追い求めての仕事だった。私の人生の意味は何なのか、誰のために何を為すべきかを考える原材料と宿題を与えてくれたのが宮城聾学校であることは間違いない。

さて、私が会長を務めている日本教育オーディオロジー研究会だが、東北地区にだけはどうしても長い間設立が叶わず、宮城聾学校出身の大沼会長の地元にだけどうして存在しないのかと問われ肩身が狭い思いをしていた。東北各県の代表の先生による熱心な準備の甲斐あって、昨年2013810日、長年の夢だった「東北教育オーディオロジー研究協議会」が設立された。これにより全国9地区(北海道、東北、北陸、関東、東海、近畿、中国、四国、九州)全てに教育オーディオロジーの実践拠点が揃ったことになる。今後は、東北の中心校たる宮城県立聴覚支援学校がこの領域での活動も牽引していただけるものと期待している。




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