2012523():「東北教育オーディオロジー研究協議会」の設立機運

福島県立聾学校の高屋隆男校長とは20年来のお付き合いがある。震災後の昨年8月、年度途中で校長の重責を担うことになった。聾教育の現場から長い期間離れていて、久しぶりに戻ってみると教職員の専門性の低下にショックを受けたという。古い先生のなかにも現状に安住してしまって勉強を怠っている教員が多く、それがかえって活性化を妨げている、聾学校の勤務がただ長ければいいというものではないと主張し、何と27人の教職員を新人に入れ替えてしまった。学校を一から建て直さなければという高屋校長の断行には、当然のこと味方より敵が多くなる。嫌われ者になることを承知で聾学校改革を行おうとする高屋校長の理想の高さには鬼気迫るものがある。折しも、愛媛大学の立入哉先生の怒りの主張「教員の専門性を現場に生かせ」が朝日新聞の「私の視点」に載った。私自身は物事に正面切って怒らず、「負けるが勝ち」の戦術で、結局は後になってみれば自分の思い通りになるものだとして生きてきた。しかし一方で、義憤に駆られ怒って我を忘れて行動する人を見ると手助けしないでいられないという性分もある。

あえて「聾教育ゼロからのスタート」を高屋校長が宣言し企画された平成24年度初回の福島県立聾学校専門研修会の講師をよろこんでお引き受けした次第である。朝から夕刻まで続いた授業研究と講演を通じて、先生たちの聴覚障害教育に取り組む意識が変わっていくことが感じられる一日だった。教育懇談は夕食の会まで繋がり、日本教育オーディオロジー会員の先生からは「東北教育オーディオロジー研究協議会」の立ち上げを希望する発言があった。長く聴覚障害児の療育環境の改善に尽くされてきた校医の鶴岡美果先生(星総合病院言語聴覚科・耳鼻咽喉科診療部長)も同席され、設立準備に協力を約束されたのは有り難い。教育オーディオロジー研究会が存在しない唯一の地域となった東北地区に、震災復興の目印の一つとして「東北教育オーディオロジー研究協議会」が生まれることを期待したい。



2012522():聞こえにくい耳と聞こえすぎる耳

「東大駒場研究公開」が61日(金)と2日(土)に開催される。急に私にも研究室紹介を依頼されたので、テーマを「聞こえにくい耳と聞こえすぎる耳-“聞こえの痛み”を和らげる補聴テクニック」とした。以下は、案内パンフレットの原稿である。

『聞こえにくい耳(難聴)も聞こえすぎる耳(聴覚過敏)も、それ自体に痛みはなく、周囲の人から見えにくい障害なので、本人がどう困っているのか想像しにくく理解されにくいものです。“聞こえ”に関する問題は、当事者を取り巻く人・社会・環境との関わりにより、余計な“痛み”を伴うことになります。補聴器フィッティング技術の進歩と相まって、オーディオロジー(聴覚障害補償学)は“聞こえの痛み”を和らげるバリアフリーにも貢献しようとしています。』



2012519():墨田区立小学校の公開授業参観

難聴児が一人在籍する墨田区立緑小学校(天田隆校長)の2年生の教室を訪問した。「土曜授業」が公開されていて、保護者だけでなく地域の人も参観できる。つくばの自宅から大江戸線に乗り換えると、車内は東京スカイツリー周辺に向かう観光客も多く、新しい名所として変化を見せている町である。1時間目の「国語」、2時間目の「算数」、3時間目の「集団下校」を見学させていただいた。初回の参観の主なポイントは、(1)担任教師の話し方と難聴児のきこえ、(2)教室内の音環境、(3)難聴児と級友との関わり合い、である。難聴児を初めて担当する若い先生の声量、間合い、語尾の明瞭さなどは申し分なく、補聴器を通して教師の音声が難聴児の耳に届いていることが確認できた。木材フローリングと机椅子脚の硬質カヴァーとの滑りもよく、テニスボール脚の加工をしなくともノイズがほとんど気にならない。本研究会ホームページの「お役立ち啓発研修資料」の「教室のきこえの環境評価シート」が役立った。児童が下校した後で担任の先生に懇談の時間を割いていただき、拙稿「聴く子どもの育ち方と教育」のコピーを手渡してより一層の難聴理解をお願いした。最近は難聴児が学ぶ教室を含め授業を学外者にも公開している学校は他にも多いのだろうか。また機会があったら訪問行脚してみたい。



201256():連休最終日の竜巻

この9日間の連休を何処にも出かけず自宅で過ごした。締め切りが迫っている原稿や学会誌の論文査読などを終わらせる予定だった。ところがのんびりし過ぎて、明日から明日からと延ばすうちに連休最後の日となってしまった。忙しい毎日が続いているときほど、かえって頭がよく回わり筆が進むものだと思う。今日は結婚記念46年の日でもある。朝から天気もいいし、机に向かって頑張るのはまた明日からでいいさと、庭に出て立木の手入れをし、ハンモックを張ったりしていた。午後になって少し風が強くはなったが、まさか同じ時刻に同じつくば市内の北の方では竜巻に襲われているとは想像もできない。仙台の友人からの「竜巻は大丈夫でしたか」の電話を受けて初めて、庭から部屋に入りニュースで大変な事態を知った次第である。携帯メールやフェイスブックを通じて各地から早速のお見舞いをいただいた。






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